俺と鬼と賽の河原と。生生流転
からんからんと、扉の鐘が鳴る。
その店には席に付いてケーキを食べる人が二人。
ただし。
「はい、ふーちゃん、あーん」
「……ん」
客は一人もいないが。
「ふーちゃん、私には?」
「ん」
店長と、店員が、仲むつまじくケーキを食べさせ合っている。
長い期間会えなかった姉妹の心温まる一幕――。
「由比紀が草葉の陰で泣いているぞ!」
ならば良かったのだが。
「あ、お客様、いらっしゃい」
「それよりもこの状況はどうなんだ喫茶店的に」
「いいじゃないですか。どうせ客なんて来ないんですから」
店主は笑うが、それは本当にどうなんだ。
「食事の邪魔ね」
挙句、ムラサキは邪魔そうに俺を見てくるし。
「いや、こうあれだ。とりあえず……」
俺は立ち、そして店主と店員は座っている。そんな状況に俺は呟いた。
「もう少し俺に構ってくれ。空しくなるから」
「……とりあえず、食べます?」
そして、店主からフォークが差し出されたのだった。
其の三十五 俺と彼女の過剰なサービス。
「いやもうアレだぜ? 俺じゃなかったら、俺は客だぞって叫びながらタップダンスで営業妨害されるぞ」
「いや、それならそれで宣伝効果が見込めるかもしれませんし」
「昔の人はいい事を言ったもんだ。その一つを、焼け石に水という」
というか何でこんなに人が入らんのか。あれか、電磁波でも出てるのか。
「ならばそこで、パラダイムシフト、大きな変革が必要ということなんじゃないかなお客様。ということで、私、考えました」
「なんだ」
「まったく新しい喫茶店のスタイルを」
「よし、言ってみろ」
「お客様をもてなす時代は終わった――。これからはお客様にもてなしてもらうというのは、如何でしょう」
「ほう、それは……、ないな」
「あ、はい」
まったく新しい、っていうかまったく別もんだろうが。
なんつーかこう、カレーのルーの代わりにシチューのルー入れてカレー作ったらどうなんの、って感じだ。
そいつはカレーじゃなくてシチューだ、という。
「名案だと思ったんだけどなぁ……」
よくもまあ、これまでやってこれたものである。
「まったく、そんな売れ行きで今後は大丈夫なのかよ」
「私に、名案がある」
そして、そんな中それを口にしたのはムラサキである。
こないだまで社長業をやってきた女だ。
一体なにかと思えば。
「貴方が、給料を全額置いていけば問題ないと思うわ」
「俺には帰りを待つ子供と、弟と、後駄目な大人がいるんだ」
「はいはーい、お客様」
「なんだ」
「私も駄目な大人枠に入るというのは……?」
「そういう真面目な顔は別の機会に取っとけ」
「あ、濡れちゃいますか?」
「何が」
「それを私の口から言わせようだなんて。意地悪ですね、お客様は。決まってるじゃないですか、それは、さ……」
「それ以上言ったら錫杖鼻の穴にぶっこむぞ」
「ああ、それは怖い」
言って肩を竦める店主に俺は半眼を向けた。
「もー、いーじゃないですかー。可愛い店主と、かわいいかわいいふーちゃんがついてきますよー?」
「あー、はいはい、可愛い可愛い。だが断る」
嫌そうな顔をするムラサキの頭をぽんぽんと撫でて俺はきっぱりと言った。
「ただ飯食らいはいりません」
まず、由美は娘だし、由壱は弟だし、ついでに二人は河原勤務だし。季知さんは働いてるし生活費ももらっている。
藍音は、むしろ一番働いてるし、憐子さんもなんだかんだでまあ、俺の仕事、つまり厄介ごとの方に関してはあれこれ手伝ってもらってもいるわけだし、にゃん子は……、まあ、飼い猫だし。
銀子は――、まあ、あれだ。なんかこう、ただ飯食らい枠は一名ということで。
「姉さん、諦めたほうがいいと思う」
妹が、姉を嗜める。いいぞ、もっとやれ。
流石にムラサキの方はそこまで破天荒ではない。
この先は何かあったらムラサキに止めてもらおう。まあ、店主の暴走に引きずられることもあるからその辺りは気をつけて。
「座って」
そして、徐に立ち上がるとムラサキは椅子を引いてくれた。
「おう?」
そして、そのまま俺も素直に座る。
「食べなさい」
更に、少し待つと俺の前に料理が置かれていく。
そして。
「……はい」
ムラサキが、俺の膝に横向きに乗って、スプーンを突き出してきた。
「……どういうことだこりゃ」
「つまり」
「つまり?」
「新規層の開拓は不可能。ならば今いる顧客を大事にするべきだわ」
「俺か」
「代金はドルに直すと1200くらい」
「喫茶店がぼったくりバーに!」
かなり乱暴に日本円に直すと120000くらいか!
「明らかに料理以上の値段がついてやがる」
「サービス代金、それと」
「まだなんかあんのかよ」
「……これは、サービスだから、勘違いしないように」
どうやら、仕事とは言えどムラサキも恥ずかしくはあるらしい。
赤い顔で、彼女は目を逸らす。
俺は、突き出されたままのスプーンもどうかと思うので、とりあえずスプーンの上に乗ったドリアっぽいものは食べることにする。
「んん? こいつは店主が作ったのか?」
すると、俺はなんとなくいつもの味と違うことに違和感を覚えて店主に問う。
「いいえ、それはふーちゃんが作りました」
「ちょっと、姉さん……!」
焦ったように、ムラサキが声を上げた。
なるほど、これはムラサキが作ったのか。どうりで味が違うわけだ。
「ふーちゃんが毎日、いつ来てもいいように仕込みしてるんです」
「ち、違っ、そうじゃなくて……」
「んー? にゃいがだけさんに食べてもらえるよう毎日練習してるんだっけ?」
にゃいがだけさんってなんだ。
「ち、違うよっ」
慌てすぎだムラサキも。思わず素が出てんじゃねーか。
「そ、それに味付け失敗してるし、美味しくないし、その、残飯処理みたいなものだからっ」
なるほど、よく見ると、所々焦げていたり、そのような感じだ。
だが。
「ムラサキ」
「にゃ、にゃに……!?」
「美味いぞ」
「え……?」
「っていうか不味い飯を舐めるなよ小娘。不味い飯ってのはな、不味いっていうのはな……! ヘドロみたいだし刺激臭するし舌は痺れるし喉で膨張するし気絶するし、……あれ、なんか涙出て来た」
「……お客様。いいんですよ、無理しなくて」
いつの間にか後ろから店主に抱きしめられていた。
「すまん、取り乱した」
「……もっと、食べて」
いつの間にかムラサキにも哀れみの目で見られている。
仕方ないので、俺はやけ食い気味にそれを食べきった。
そして、それを見計らって、店主が俺の元へと皿を持ってやってくる。
「デザートでございます」
ケーキにフォークを突き刺し、店主は俺に差し出してくる。
「はい、あーん」
もう最近慣れたぞ、それ。
「姉さん、待って」
と、そこでムラサキからの待ったが掛かる。
「んー?」
「私が店員で、姉さんが店主だから。接客は、私の役目だと思うの」
「いやー、店主自ら出てきてこそ、店の誠意を感じることができるんじゃないかと思うよ。ってことでえい」
うむ、甘い。
「あ……」
そして何故かムラサキが睨んでくる。
そんなに接客に誇りを持っていたのか。
「どうかな?」
「甘い」
「美味しいって言ってくれないんですか? ふーちゃんの時みたいに」
わざとらしく、店主の頬が膨れる。
俺はそんな店主を半眼で見つめた。
「わりと美味いぞ、そこそこな」
「うーん、これがツンデレってやつですか……」
そして更に、俺は店主に何かされる前に、とむんずと素手でケーキを掴み、直接豪快に齧る。
「あっ、お客様」
「なんだ」
すると、店主は若干言い難そうに、それを口にした。
「それ、自信作だから、もうちょっと、味わって食べて欲しいなー、なんて……」
言われたものの、今更ケーキを更に戻してフォークでゆっくり食べる気もなく。
そのまま、ただし少しだけ豪快さはなりを潜めて俺はケーキを食う。
「……まあ、あれだ。美味いぞ」
「デレ期……!」
仏心をだした俺が馬鹿だった。
そんな言葉に半眼になり、俺は一口で残ったケーキを食べきった。
「……ごちそうさん」
「あ、お客様お客様、ちょっとこっち向いてください」
「なんだよ」
俺は、横の店主の方を見る。
すると、眼前に店主の顔。
そして、唐突に、頬に口付けされた、と思ったら、舐められた。
「頬にクリームついてましたよ、てへぺろ」
「てへぺろはそういう方向性で使うもんじゃない」
ムラサキはめちゃくちゃ俺のほうを睨んでくるし。
そんなに仕事に誇りを持っていたのか。
「……まあいいか。とりあえず食うもん食ったし、俺は帰る。料金は?」
「キスで」
「床としてろ」
そして、床に下ろしたムラサキが言う。
「さっき言った値段で」
「払えると思うか」
そこに更に、店主が笑顔で割り込む。
「じゃあ、今回はサービスで」
「いい加減に大丈夫か」
「お客様が値段付けてくれても構いませんよ。どれくらい出します?」
流石にそいつは困るというものだ。
「所謂プライスレスという奴ですね。それとも、百万ドルの笑顔ですか?」
「……三文でいいか?」
「早起きレベル!」
しかし、どうやらこれでは、またはぐらかされてしまうようだ。
今度何か礼の品でも持って尋ねようか。
「しゃーねぇ。覚えておけよ」
そして、捨て台詞を残し、俺は外に出た。
の、だが。
右隣に、なんか居る。
「なんじゃい」
「送るから」
ムラサキが、仏頂面で俺の隣に立っていた。
「いや、男だし、送ってもらわんでも」
「サービスだから、問題ないわ」
ふーむ、どうやら仕事、接客に並々ならぬ熱意、こだわりを持つムラサキ故に、断るのもなんだかな。
「わかった、じゃあ、送ってもらうか」
「ん」
二人、歩き始める。
何故か、手を繋いで。
「……これも、サービスだから」
怪訝そうな顔に気がついたのだろうか、ムラサキは言う。
「そうかい」
そうして、俺達は結局手を繋いだまま、家まで辿り着いたのである。
むしろ、きっとここはこれからムラサキを男として送り返さないといけない気がするが、本末転倒というか、ムラサキの仕事への姿勢を無駄にしてしまうことだろう。
まあ、明るいし、何かあったら飛んでいけばいいか。
「でもなあ、きっとあれだぜ? こんなことせんでも、喫茶店はお前さんとこしかいかねーさ」
何せ、野郎一匹、入りやすい店はあそこしかない。
だというのに、あそこまでもてなされるというのは罪悪感がある。
だが、彼女はいつものように仏頂面を続けるばかりだった。
「そんなの、知らない」
そして、握った手を、今一度ぎゅっと強く掴んで、彼女は言う。
「……またしたげるから、……また、来なさい」
それから、離れる手、俺は家へと向かって歩き出して、背後に居るムラサキへ手を上げて返答を返した。
「腹が減ったらまた行くさ」
―――
ムラサキの料理は、普通に食べれるレベル。
というか、レシピを見てその通りに作って尚不味いものを作るにはある種の才能が要求されると思います。
返信
月様
ストーカー娘さんなんです。手を叩けばいつでも出てこれます。
基本的に十メートル以内で常に待機で、常に薬師を見守っていますが、名目は護衛ということで。
しかしそんな彼女も人手が欲しいときには便利と言えば便利。
それとこっそり薬師に近づく妖しい人間を排除してるとかどうとか。
通りすがり六世様
別にヤンデレって言うわけでもなくて、病んでるだけというか。ただのストーカーと呼ぶべきか。
明らかに茶でない一品を一風変わったお茶だと思えるのは間違いなく閻魔の薫陶です。
下詰は、ニーズに合わせた商品を売っただけと証言しており、薬師は頑丈だしどうにかなるとの事で。
まあ、ほのぼの回ですし、和むのも仕方ないようなそんなようなかんじで。
がお~様
夏目漱石です。まあ、有名なアレですね。
ただし、薬師はそういうのは知ってる癖に、使用する予定がないから残念なんです。
知識だけあってもどうしようもないです。
しかし薬師は実際そんな事を言われたらどう返すというのか。
七伏様
言われてみれば、そうでした。でもまあ今回はただの例え話で上がっただけなんで、あのままで。
原液で使用ですからね。象も目覚めませんよ、きっと。
薬師は状態異常耐性できっともう下詰特製か閻魔料理じゃないと効かないんだと思います。
そして、暁御はストーカーじゃないですよ。話しかけたいけどタイミングが掴めなくてくっついたままになるだけで、ビーチェとは違うんです。傍から見ると差異はないですけど。
最後に。
人体に害を与えない限りは薬師にとっては不味いものではないのではないだろうか。