俺と鬼と賽の河原と。生生流転
河原で石を積んだ後の昼休み。
俺は前さんが難しい顔で本のようなものを読んでいるのを見た。
「どうした前さん。そんなにその本のようなものが憎いのか」
「そ、そういうのじゃないよ!?」
「……ん、台本?」
本を覗き込んだ俺はそう漏らした。
前さんは頷く。
「うん、運営のイベントの演劇」
「前さんよく駆りだされるな」
「そうなんだよねぇ……、なんなのかなぁ」
「ふむ、で、出るのか?」
「出るよ。でも、あたしって大根役者なんだよね」
「なるほど、それで眉間に皺寄せてたのか」
「寄せてた?」
「ああ」
すると、恥ずかしそうに前さんは笑った。
「参っちゃうね、ほんと。読んだだけで上手くなるわけでもないしさ」
「練習相手とかいねーの?」
「いたら苦労しないって。こちとら女の一人暮らしだよ?」
「ふーむ? じゃあ、俺の家で練習でもしていくか?」
「え?」
「相手なら腐るほどいるだろ、多分」
其の三十六 俺と演技指導。
「ほほう、ふむふむ、恋愛モノか」
ぱらぱらと台本をめくって、俺は言う。
「う、うん……。あ、でもあれだよ!? キスシーンとかはないからね!」
「お、おう? まあ、いいんじゃねーの?」
よく分からないが同意を返してついでに台本も返した。
俺の家の座敷にて、俺は前さんと向かい合っている。
とりあえずは、俺と前さんだけで、ということになったのである。
「んー、とりあえず問題はどこよ」
「えっと……、ここなんだけどさ」
「おーう……」
「あ、嫌だったらいいからね!」
「協力するのはやぶさかじゃねーさ」
問題なのは、その場面である。
諸に愛を囁いたりするような場面なのだ。
やぶさかじゃないが少し覚悟が必要だぞこれは。
「とりあえず、じゃあ、やってみるか」
「う、うん」
「じゃあ行くぞ。……今宵の空はいつにも増して、あー、……煌いている。……君がいるからだ」
歯の浮く台詞を言わされるというのは中々の苦行である。
若干の照れを含みながら、俺はその台詞を言い切った。
そして、対する前さんの返答は。
「ま、まぁ、ソンナコトヲオッシャラレテハツキガテレテカクレテシマイマスワ」
「……よし、前さん、ちょっと止まれ」
「な、なに?」
「演技が上手い下手とかいう問題じゃない気がして来た」
「そこまでダメ?」
「やばい。俺も大概だが輪を掛けてやばい」
なんというかこう、演技力が年を経て成長どころか退化し続けたんだろうかこの人は。
しかしどうするか。練習になればと思っていただけで、指導ができるほど俺は演技に堪能じゃない。
「困っているようだね、薬師」
と、そんな所に見計らったかのように現れたのは憐子さんである。
「……おい」
「なんだい」
「完全に聞き耳立ててたな?」
「ああ」
「否定もしない!」
頷く憐子さんに俺は半眼を向ける。
「で……、何しに来たんだよ」
「何しに、か、決まっているだろう。そんなことは。彼女だ」
「えっと、あたし?」
「そう、なぁ薬師。彼女の演技力はお前の手に負えないのではないか?」
「まあな」
ありゃ無理だ。棒読みとかそういうのを通り越しているのだ。
「ならば、私が手を貸そうと言うのさ」
「本当の目的はなんだよ」
「薬師に恥じらいながら愛を囁いてもらおうと思ってね」
「建前くらい使えよ」
「ノーだ、必要ない。ただし、するべきことはするよ?」
確かに、現状猫の手も借りたいくらいだ。
俺ではお手上げ過ぎるのだ。
「むぅ……、分かった。前さんが認めるなら」
「あたしはまぁ、指導してくれるっていうなら助かるけど……」
「なら決まりだ。では、薬師。とりあえずここを読んでくれないか」
「……ぬ。これを俺に読めと」
「私はいつになく真剣だ、薬師。できればお前にも、それで応えて欲しいよ。彼女に演技が上手くなって欲しいならね」
いつになく真面目な顔で憐子さんは言う。
ならば俺も覚悟を決めろということなのか。
「分かった、いいだろう。俺も男だ、恥は捨てていくぜ」
これも前さんのためだ。そのためならこの程度。
「……君を愛している。何よりも、誰よりも」
うむ、恥ずかしいな! そして、そんな憐子さんの応答は。
「まぁ……! 嬉しいですわ……。私っ……、私もあなたをずっと……!」
可憐に頬を染め、瞳を潤ませ手を握りながら感極まったように憐子さんは言う。
完璧である。
「うわぁ……、薄気味悪い」
完璧すぎた。
「心外ですわ……! 私、こんなに頑張っているのに……!」
儚げに言う憐子さん。
「……いや、本気でやめてくれ」
「なんだ、迫真の演技なのに」
そうして、いつものニヤついた憐子さんに戻る。
やった、助かった、通常空間に復帰した。
「今のはやばい、SAN値が削れた」
「そうか、やはりいつもの憐子さんが素敵ということか」
「とりあえずそれでいい」
「さて、お手本だが、わかったかな?」
憐子さんは俺から前さんの方へと向き直り、問う。
「……えっと、凄すぎてわかんない」
「まあ、間違いなくな」
格が違いすぎて参考にならない一例である。
「ふむ、駄目か。どうするか」
考え込む憐子さん。いや、なにか考えがあって来たんじゃねーのかよ。
と、そこで新たな乱入者が現れた。
「……お困りのようですね」
「藍音……!」
「薬師様に愛していると言っていただけると聞いて」
「いや、そういうのじゃないから」
「よし、とりあえずやってみるんだ薬師」
と、そこで憐子さんからまさかの肯定。
どういうことだよと振り向くと憐子さんは言った。
「むしろ様々な人員の演技を見ることによって得るものがあると考えるんだ。私じゃお手本にならないならもしかしたら藍音ならいいかもしれない」
「なるほど」
「薬師様、どうぞ」
「わかった。……君を愛している。何よりも、誰よりも」
言うと、藍音は俺の胸へとしなだれかかる。
そして、潤んだ瞳で俺を見上げて頬を染め、言う。
「まぁ……、嬉しいですわ薬師様……! でも、願わくば藍音、藍音と呼んでくださいませ……!」
「いや待て、薬師でもねーし藍音でもねーよ」
登場人物の名前は薬師でも藍音でもない。
そして台本にもない台詞回しである。
「アドリブです」
「いきなりアドリブで登場人物の名前を変えるなよ」
観客が置いてけぼりになるだろうが。
「参考になりましたか? ちなみに私はかなり満足しました」
「お前さんの事は聞いてないから」
そして、そんな前さんは。
「あたしには、アドリブとかは早いかな……」
「だろうな」
妥当である。
というかあれはアドリブとかそういう話じゃないだろうに。
しかし、これで藍音も駄目か。
そう思った矢先、またまた襖が開く。
「やっくんが愛してると言ってくれる会場はここですか」
「ここじゃありません」
銀子である。
「いや、間違いない。私の勘が囁いている」
「あー、はいはい、君を愛してる誰よりも」
「まあ嬉しい。嬉しいこと言ってくれるじゃないの」
「はい、以上」
「私の扱いが酷い」
「お前さんも乗っただろ」
「もう一回」
「やる必要あんのか?」
「ある。次はマジ」
「仕方ねーな。……君を愛してる。誰よりも、何よりも」
言うと、銀子は頬を赤くし頭を掻いた。
「……照れる」
「演技しろよ!」
俺が恥ずかしいだけだろうが!
「うふふうへへ、テンション上がった。ひゃっふう」
「帰れ」
参考になったかと言われればならなかったと言わざるを得まい。
前さんも困り顔だ。
そして俺はどうしようかと考える。どうやらうちにはろくでもないのしかいないらしい。
どう考えてもこれは演技の勉強になるとかそういう問題ではない。
と考えた矢先、憐子さんが声を上げた。
「よし薬師、こうなったら愛を囁け」
「いきなりなんだ」
「こうなったらできる限り臨場感たっぷりに腰に手を回して耳元で囁いてみるんだ」
「で、どうなるんだよ」
「演技しようと意識しすぎるから駄目なんだと考えよう。だからとりあえず台本は置いてできるだけお前の言葉で臨場感たっぷりに囁け。その後で私にも囁け」
「後の言葉はともかく、まあ、分からんでもない」
俺に照れがあったのも認めるところだ。
それでは、応える方もなにかこう、応え難いものがあるのかもしれない。
それに、まずは台本に縛られ過ぎず、やりやすいように、というのもいいかもしれない。
前さんのためだ、俺は幾らでも腹を括るさ。
「前さん、次は本気で行くわ」
「う、うん」
できるだけ自然に、俺は前さんを抱きしめた。
そして、耳元で囁く。
恥は捨てた。俺は修羅だ、修羅になるのだ。
俺は演技の修羅になる。
「好きだ。俺と添い遂げてくれ」
これが俺の全力だ。
すると、前さんの顔が真っ赤になった。
そのまま彼女は言葉を紡ぐ。
「あ、あの、あのあの! あ、あたしも……、薬師のこと……、好きだよ……? って何をいっとるんだあたしは――ッ!!」
そして、俺の頬に金棒が直撃した。
「これは演技これは演技これは演技これは演技!! ふーっ、よし! 薬師、いいよ、どんとこい! ってあれ? 薬師は?」
前さんは呟くが、この衝撃は間違いなく現実なのである。
「薬師様なら、今窓を破って飛んでいきました」
「え」
ちなみに、この件で演技が上手くなったのは俺である。
「録音しました」
「録音した」
「録音したぞ、薬師」
「……消せ。いや、消し飛ばす」
―――
番外編も同時進行していたら時間が掛かってしまいました。
次回の番外編も近々更新できるかもしれません。
返信
月様
友達いない店主と、多分友達いないんじゃないかと思われる店員の二人ですからね。テンポも独特になります。
そしてついでに謎にローテンションとハイテンションの二人のため不思議空間を形成します。
閻魔妹は店内に漂う仲良しオーラと出番の無さに耐え忍びつつも強く儚く生きています。次回あたり出番もあるかもしれません。
店の経営はきっとムラサキが株でもやってどうにかしてるんじゃないですかね。喫茶店には本気で薬師しか来てないです。
がお~様
女の子が膝の上に乗っている時点でブラボー以外言う権利はないんだと思います。
ちなみに薬師の中では、食べたら死ぬ=不味い。有害だが直ちに影響はない=美味しくない。人体に害はない=普通。
味付けが逸脱していない=美味い。です。閻魔の薫陶ですね。
そしてついでにムラサキは普通にレシピ見てできる子です。
通りすがり六世様
例え体がぼろぼろになっても閻魔料理を食らい抜いた結果です。
というか死の淵に立つこと分かって尚食らい続けるのはもう修行僧かなにかかと。その内悟りでも拓くんじゃないですかね。
ちなみに前々回はハイテンションでしたが、前回はハイテンションとローテンションの二人で生温い進行に。
そして今回はごった煮でした。全体的に見ればハイテンションな気はします。
最後に。
薬師飛ばし世界新記録樹立。