俺と鬼と賽の河原と。生生流転
「おい憐子さん、いるかー」
「ああ、いるよ。だがノックぐらいしたまえ。乙女の部屋に不躾だぞ」
「乙女なんていねーから問題ないんだよ。俺だって由美のときはノックくらいしてら」
「差別だそれは」
「区別できるだけだ」
まあ、そんな風にちょっとした用事があって憐子さんの部屋にやってきたのだが。
「……煙てぇ」
薄く白く煙る視界の中、憐子さんが横になって煙管を吹かしていた。
其の四 似たもの師弟。
「なぜ煙管」
そんな俺の疑問に、当の憐子さんはと言えば、口から煙管を外し、薄く笑いながら答えを返した。
「蔵があるだろう? 置いてあったんだ」
「またうちの蔵の仕業か」
蔵の仕業にももう慣れたってもんだ。
何が置いてあったとて驚くに値しない。
「なんとなく、懐かしくてね」
「吸ってたか? んなもん」
「吸ってたとも。ほら、お前もどうだ」
そう言って憐子さんは煙管をこちらに向けてきた。
「いや、いい。俺はもう無理だ」
俺はそれを手を振ってやんわりと拒否した。
煙草も嗜んでいた俺だったがそれも今は昔。
むせるまで一秒も二秒も掛かるまい。
「なんと。憐子さんとの間接キスだぞ?」
「それで騒げるのは思春期の少年だろ」
「男はいつでも心は少年さ」
憐子さんの唇が、艶かしく光る。
まあ、だからといってどうというわけもなく。
「要らんわ」
そもそもそいつは煙管でむせるのが確定しているのである。くわえるだけ、肺に入れなければいい、というのも駄目だ、というか何がしたいかよくわからん。
「残念」
残念そうでもなくそう言って、憐子さんはその煙管を口へと戻した。
「つーか吸ってたのいつだよ。記憶にないぞ」
「さてね。忘れてしまった。やめて長いから」
「そーかい」
「まあ、お前が山に来てからさ」
「あー、思えばそんな気も」
言われて、少しだけ思い出してきた。
確かに、煙たい部屋に記憶がある。
酷くおぼろげだが、吸っていたような気もした。
「大天狗になってから、ではあるのだけどね」
「そうなのか?」
「ああ、そうさ」
そう言って息を吸い込む憐子さんを見て、そういえば、大天狗になる前の憐子さんまったく知らないのだと気が付いた。
出会ったときにはこの姿で、既に大天狗だった憐子さん。
「憐子さんって、どうして大天狗になったんだ?」
「私か? ……ふーむ、そういえば、薬師こそどうして大天狗なんかに」
「憐子さんが死んだから繰上げで大天狗になったんだろーが」
まあ、こうして言ってしまえばすごい簡単に聞こえるが、色々とあったもんだ。
そんなものも、今ではいい思い出ということにしておこう。結局皆死んでないというか皆死んで平和というか。
「そういえば、そうだったか。まあ、私の死後だし、死ぬ前後の記憶なんていまいち曖昧だからね」
「それもそうか。で、憐子さんは?」
俺の問いに、紫煙燻らす部屋の中、憐子さんがどこか遠い目をした。
「うーん、そうだなぁ。私は元は大陸の人だったからね」
「そもそもどうして日本にいたんだか」
きっと憐子さんが大陸にいたのは平安か、それより前。
ならば、日本に行くのは並大抵ではない。
中国に使いを出すだけで命がけだった時代だ。気分だとか気まぐれだとかで海を渡るような真似はしないだろう。
「まあ、大陸で悪さしてたんだよ。まあ、白面金毛ほどじゃないけど、居心地が悪くなってね。日本にまでやってきたんだ」
白面金毛、つまり九尾のことだ。アレもまた日本に流れていることを考えると、日本は妖怪の流れる果てにも思えてくる。
「ほぉ。でも、大天狗になる理由はわからんな」
憐子さんはむしろ一人でふらふらしている印象なのだが。
しかし、その声はどこか切なげだった。
「まあ、寂しかったんだな。仲間が欲しかったんだ」
「憐子さんが?」
「ああ、そうとも。私は寂しがり屋なんだ」
そうは見えないがな、という言葉は飲み込んだ。
「……意外と、憐子さんのこと知らねーんだな」
「おや、気に食わないかい?」
「ああはいはい。……まあ、気になるけどな」
憐子さんがしたり顔を向けてきて俺は半眼を向けた。
それでも憐子さんは笑みを深める。
「ほほう、いいだろう。教えてやろう。赤裸々に、全部見せてやろう。まず最初太もものほくろから」
徐に、着物の帯を解く憐子さん。
「やめい」
開きかけで動きは停止。
前開きで視線に困る。
これ以上好きにさせてはいけないので、俺は話題を変えることにした。
「それよりも、寂しがりだったらなんで大天狗なんだよ」
そんな疑問に、ふっと儚げに笑って憐子さんは答えてくれた。
「お仲間に入れるだろう? 私は元は狐だからね。狐は個人主義だし」
憐子さんが立ち上がって、俺の胸を突付いてくる。
「まあ、結局寂しかったんだけどね」
「そら、偉い人はな」
結局、大天狗は天狗と違うということだ。
圧倒的力の差がそこには横たわる。そして力が全てな世界だ。天狗にしてみれば大天狗は天上人と言っても良い。
「だからお前を拾ったのかもしれないな」
「さいで」
「結局。人を騙して取り入ってみても、偉くなってみても私は寂しいままだったからね」
そう言って、彼女は俺の鼻をつんと突付く。
「まーな」
俺が当時見た憐子さんの生活はほとんど一人だった。
「煙管に煙草は、まあ、大天狗になってからかな。薬師が来てから、しばらく吸ってた」
憐子さんは、灰皿へと煙管の灰を落とし、火を消した。
その姿を見て、ああ、そういえばこんな感じだったな、と俺は在りし日を思い起こす。
「懐かしいな。煙たそうにしながら執務室の机に書類を置くお前が」
「今も煙たそうにしてるがな」
「それもそうか」
言った瞬間、風によって煙が散らされる。
「いつも、風一つで蹴散らせるくせに憐子さんがそれをやらなかったからな」
「薬師だって、風一つで蹴散らせるくせにやらなかったじゃないか」
故に、俺たちはいつも煙たい部屋で、二人書類を片付けていた。
だが、俺がしなかったのは――。
「憐子さんが煙がないと風情がないとか言ったからだろ」
その言葉に、憐子さんは何故か目を丸くする。
「そうだったのか……。そうか、気を使われていたんだな」
「別に、煙たいくらいなら嫌そうな顔で勘弁してやるよ」
「いやしかし、すまない。不謹慎かもしれないが、なんだかちょっと嬉しいんだ」
そう言って、憐子さんは本当に嬉しそうに微笑んだ。
「何でだよ」
「お前に気遣ってもらってたことが。ふふ」
返す言葉も見当たらず、俺はどうにか路線を変更しようと言葉を紡ぐ。
「……そいつはともかく。なんで煙管はやめたんだ?」
すぐには思い出せないほどの印象だった。そんな煙管。
とすれば、俺が来てから長期に渡って吸っていたということは多分ない。
では一体どうして、という質問への答えはと言えば。
「それはな……」
一旦言葉は途切れ、すぐに続く。
「お前が煙たがるからね――」
いつもの笑みと共に放たれた言葉は。
なんと間抜けな理由だろう。
俺は憐子さんのために煙草の煙くらいはと思って、憐子さんは俺のために煙管はやめた。
「後は、お前の教育と健康に悪いかと少しね」
そして、俺が煙草をやめた理由とほとんど同じな辺り、なんとも言えない。
果たして、立っているのに飽きたのか、ぺたんと座り込んだ憐子さんを、俺は見下ろした。
「なあ、憐子さん」
「なんだい?」
「憐子さんは、今でも寂しいのか?」
「寂しいよ。いつだって寂しいさ。憐子さんは寂しいと死んでしまうんだ」
洒落にならん発言だと思う。憐子さんが死ぬ原因の発端も寂しさだから。
「扱いに困るな」
「そうだろう。お姫様みたいに扱ってくれ」
そう言って苦笑する憐子さんの隣に、俺は腰を下ろした。
憐子さんが、俺を見る。
「しゃーないな」
「……本当かい?」
「責任は取るさ」
殺したのも生き返らせたのも俺ならば。
すぐ横の、手を握る。
「憐子さんは俺がいないと何もできないからな」
きっと、藍音も俺に同じ事を思っていることだろう。
まあ、それでいいかと思う。半分くらいは事実だしな。
「そうか。そうだな。いつからか薬師がいないと何もできなくなってしまったな。私は」
ぎゅっと、憐子さんが手を握り返してくる。
そうして、頭を肩に預けられて、俺は憐子さんを見た。
いつの間にやら髪の色は狐色に染まっていて、耳と尻尾がそこにはある。
「ところで薬師、お前は何しにここに来たんだ?」
「忘れたわ、そんなもん」
―――
かゆうま。
返信
通りすがり六世様
ジノさんはビルに引っ掛けて直下型ミサイルで最速クリアしてパーツゲットの印象が強いです。
下詰はちょっと超、エキサイティーング! しすぎましたね。ノリで生きてる人です。店もおおむね趣味ですし。
ちなみに、閻魔辺りは手綱を握ろうとして全力で手綱握られているタイプだと思います。
藍音さん辺りは逆に手綱握らせようとして、いつの間にか主導権を握ってるタイプ。
男鹿鰆様
果たして誰に首輪をつけようかと考えたらどこで選択肢を間違えたか野郎に首輪。
とりあえず、閻魔一族は大体犬だと思います。ああでも、ウサギとかいるかもしれない。
薬師は早いとこ誰かに手綱を渡してしまえと。今現在は握る派ですからね、いい加減どうにか。
あるいは愛沙の家で飼われてしまえばいいのにと。
最後に。
でも実はキセルとか十六世紀以降のものだったり……、下詰の仕業にしとけば問題ないね!