俺と鬼と賽の河原と。生生流転
ある日、俺が数珠家を訪問した時のことである。
その日は愛沙が仕事で遅くなるというので、俺は春奈の様子を見に来た訳だ。
「ま、あと一時間もしたら帰って来るだろ」
「んー」
春奈に飯を食わせて、今は二人ソファに座ってテレビを見ているところである。
春奈は足をぱたぱたとさせながら、じっとテレビを見ていた。
その手には、大事に包み込むように一本の缶が握られている。
「そーいや、珍しいもん飲んでるな」
「おかーさんが買ってきた」
コンビニなんかにはよく寄る俺も、その飲み物は知らない。
どっかの新製品だったりして、伝手があって発売前にもらったりできるのだろうか。
だとすると少し羨ましいぞ。
「ねー、やくしー」
「なんだ?」
のほほんと、春奈が呼びかける。
俺が答えるが、春奈は再び俺の名前を呼んだ。
「ねぇ……、やくし」
「ん?」
春奈が机に缶を置く。
俺は気になって春奈の方を見た。
すると、何故だか顔が赤いことに気が付く。
最近めっきり寒くなった。風邪でも引いただろうか。
とすると、今日の風呂はまずいな。
「熱でもあるか?」
なんとかは風邪を引かないというが、春奈ならば風邪を引いたことに気が付かない可能性がある。
俺は春奈のでこに手を当ててみる。
「んん、やっぱ熱いぞお前さん」
「えへへ、やくしー」
そんな春奈は何故か嬉しそうで。
何故か俺は抱きしめられていた。
「だいすき」
「待てやめろ折れる折れる折れる」
いつも以上に手加減なしで抱きしめられて骨が軋む。
そして。
「えいっ」
俺は何故か押し倒されていた。
其の四十
「待て、春奈どういうことだ。落ち着け」
「んふ? わたしは、おちついてるよ?」
俺の上に馬乗りになって、両手首を押さえてくる春奈はそう言って笑った。
その顔は何故か普段ではありえないほど蠱惑的で。
まるで、春奈ではないかのようだ。
一体なんだこの状況。
と、そんな中ふと俺は気付く。
そして、仰向けの状態で横を向いてそれを見た。
春奈の飲んでいた缶。そこに書かれていた衝撃的事実。
『アルコール 3%』
「お酒は二十歳になってからッ!!」
俺は思わず叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
お母さん! ぜひともお酒は子供の手の届かないところへ!!
「まあ、とりあえず落ちつけ春奈。そして、手を離むぐぅ」
冷静に諌めようとしたその時、春奈が俺に口づけを落とす。
子供っぽい柔らかな唇が重なり、そして、子供らしい柔らかく華奢な体が俺の胸に預けられる。
「ん……、ぷは……」
そして、しばしの後、春奈は俺から顔を離した。
「次は……、どうするの……?」
荒い息を吐いて、艶かしげに春奈は首を傾げる。
次、次だと、それを俺に求めるかこの野郎。
「ぐぎぎ、言ってくれるぜ」
しかしまずいぞ、意外とこの状況は。
春奈は実は、腕力で言えばかなりの上位に入る。流石にそこは愛沙の最高傑作だと言えよう。
で、だ。
それが酒飲んで無意識に手加減してたのも完全に投げてやがる。
俺じゃなかったら手がもげる程だ。
つまりいつもの春奈以上に力強く俺を押さえつけて来るのである。
春奈の体重的にそのままでも立ち上がれないかと思ったが、上手く足を絡ませて立ち上がらせてくれないというかこれ以上は椅子が砕ける。
かといって力任せに拘束を解くのは骨が折れそうだ。
無理矢理で怪我をさせるわけにも行かない。
「んー……」
もう一度、口づけが行なわれる。
「ぷぁ……、ん……」
そして、更に。
俺の拘束を解かないために春奈は口で俺のYシャツのボタンを外す、というか噛み千切る。
それから、俺の胸板に唇を這わせてくる。
「ねぇ、これからどうするの、やくし」
「したことないから俺にも詳しい手順はわからん!」
さあどうするんだ俺。椅子を破壊するか?
いや、よく見たら意外と高そうだぞこの椅子。
もしや……、万事休すなのかこの状況。
くそ、ませたところは、というか親しくしてる運営のお姉さまとやらのせいで微妙に教育に悪いことを教えられている春奈だが、具体的なことは教えられていないようだし、耐えればどうにか……。
興味津々というところなのだろうが、付き合うつもりはないというか俺では無理ということで。
しかし、幼子に組み敷かれているという情けない状況。意外と本気で泣けてきたぞ……。
そんな俺がげっそりとしてきた時だった。
俺を救ったのは、風呂が沸いたことを知らせる、安っぽい音だった。
「あ、そっか。おふろ、入るんだ」
思い出したかのように春奈が手をぽんと叩く。
俺の手首が同時に拘束から逃れた。
「ああ、そうだな、うんそうだ。そうしてくれ」
「ん。じゃ、はいろっか」
そう言って春奈は、再び俺の手首を握って、引っ張ったのだった。
何故だ。
はて、しかし風呂は酒を抜くのに役立つんだったかどうか。
逆に血流の問題がだの、心臓の負担がどうのこうのでとかそんな感じな気もするが。
だが、これより状況が悪くなることはないはずだ。
とりあえず心臓に負担云々の話を思い出したので、風呂は温くなるように水を入れておこう。
「おっふろーっ、やくし、はやくはやく」
「落ちつけ、滑って転ぶからな」
俺は春奈に連れられて風呂の中へ。
「ほら、とりあえず座れ、な?」
「んー」
そう言って春奈を椅子に座らせ、桶でお湯を被せる。
そして、体を洗うために垢擦りに石鹸を付けてその背を擦る。
まるで猫を洗ってるみたいだ。
そんなことを考えつつ、背を流し終えて、俺は言う。
「前は自分でできるな?」
「できない」
んー、なんという即答だろう。
「できるよな?」
「やだ」
くるり、と春奈が後ろを向く。
つまり、俺と対面する形だ。
「……まあ、子供だし、いいか」
仕方のない奴だ、と俺は春奈の体を擦ってやる。
「んーっ、つよいよ、やくしぃ……」
「そりゃすまん」
まったく手の掛かる奴である。
そんな春奈は、体を擦る俺の手を、じっと見ていた。
「なんか、どきどきする」
「しらん」
そして、体を洗い終わり、頭を洗ってやる。
黒い髪を、わしゃわしゃと洗いながら俺は呟く。
「また、髪伸びてきたな」
「また切って」
「嫌だ」
人の髪を切るというのは緊張しすぎて嫌だ。全力で嫌だ。
なにせこちとら素人である。
どう考えたって餅は餅屋に、その道の人に任せたほうがいいのだが。
「おねがい」
「……まあ、その時がきたらな」
そう言って俺は泡だらけの春奈の髪にお湯を掛けて流す。
「やくしはー?」
「俺は後でいい」
とにかくこの春奈をどうにかしたいので俺は掛け湯だけ済ませて春奈の両脇を持って風呂に入る。
流石に元寮で浴場があったうちとは違うので、悠々と入れる広さはなく、春奈は俺の膝から胸に掛けてに乗っかっている。
「あー……」
「この後、どうするのー?」
「……寝ろ」
聞いてくる春奈に、俺はとりあえずそう答えたのだった。
そうして、さっくりと風呂上りに寝てしまった春奈。
どうにか髪を乾かすまでは半死半生といったところで持ちこたえたが、終わった途端ぱったりと。
うむ、これからは絶対に春奈に酒は飲ませないようにしよう。
「あー……、風呂でも入るか」
俺はぽつりと呟いた。
俺は体を洗ってないし、かといって家に帰って入るにも時間が経ちすぎてしまった。
となれば、丁度沸いている風呂に浸からせてもらおう。
少々、疲れたしな。
そうして、とりあえず風呂に入る。
「あー……、なんか疲れた」
ちなみに、便利なことに温め直す機能があるので、風呂は適温、温かい。
しかしそれにしてもなんか眠たくなってきたぞ。
あまりに気持ちよくてたゆたうという表現が正に似合う心境。
そんな時、ふと俺に声が掛けられた。
「誰か入っているので?」
「……おーう、元凶だ」
「げ、元凶?」
いつの間にやら、愛沙が帰ってきていたみたいだな。
「春奈が酒飲んでたぞ。今寝かせたところだ」
「春奈が酒を!?」
「おう、お前さんが買ってきたやつだろ? つか、お前さん酒飲むんだな」
「……まぁ、少し気が向いただけで。普段はあまり」
「ん? 悩みでもあんの?」
少し言いよどんだ愛沙に俺は問う。
普段飲まない酒に手を伸ばすということは悩みでもあるのだろうか、と考えたのだが。
「……べ、別に、貴方がお酒が好きだからというわけではありませんので!」
「俺?」
「関係ないので!」
「おう? おう」
「そ、そんなことより、あなたは何故入浴を?」
「あー、まあ、春奈を風呂に入れたんだが、俺の方は中途半端でな。ちゃんと入っておこうと」
「は、春奈と、入ったので?」
「いや、別にあれだぞ? 邪なものはないぞ?」
そんな中、何故か衣擦れの音が響き。
何故か、風呂の扉が開いた。
「……おい」
「は、裸の付き合いというものを、春奈に先を越されるとは思わなかったのだけれど……」
「何故入ってきたし」
「は? 何か文句があるというのでっ?」
なんだか、あまりにも必死で、俺は口を噤んだ。
「わ、私は、はやくお風呂に入りたかっただけで、別に他意はないので!」
「さいで」
そして、徐に、彼女は肌を洗い始めた。
「な、なにか?」
それをぼんやりとふやけた頭で見つめていると、上目遣いで赤くなりつつ愛沙は問う。
「んー、いや、綺麗な肌だと思ってな」
愛沙の肌は驚くほど白い。
研究者という役職上という奴だろうか。陶磁器のようだ。
そんなことを考えていたら、余計に彼女は顔を赤くした。
「……あんまり、見ないで、欲しいのだけれど」
「恥ずかしいなら入ってこなけりゃいいのに」
「こ、ここは私の家なのでっ。何をしようが私の勝手だと思うのだけれど」
「そういや、そうか」
ふと気付いて俺は立ち上がる。
それを見て更に愛沙の顔は赤くなった。
「とりあえず俺は上がるから、後はごゆっくり」
そう言って、俺は外に出ようとしたのだが。
「あっ……」
なんか、手首をつかまれていた。
よく、手首をつかまれる日だ。
「ま、待つので。別に、貴方が上がることはないのだけれど」
「いや、邪魔だろ。狭いだろ」
「そんなことは」
「いやいや、気にすんなって。別に気にはせんよ」
「そ、そんなことよりっ、その、手首が赤いのだけれど、これは、春奈が……?」
話を摩り替えられたのだが、答えないのも礼儀に反する。
「いや、まあな。大したことはないから気にすんな」
言うと、愛沙が気遣わしげに俺の手首を見つめ、その白い手で撫でてくる。
「痛くないので……?」
「平気だ。うん、天狗舐めんな。つーことで、出るぜ」
「待つのでっ。その、迷惑を掛けてしまったのだから、背中くらいは――」
「ぬ」
結局、離してくれず、そして、責任を感じてしまっているようだ。
仕方ないので、俺はどっかりと椅子に座った。
「じゃあ、頼む」
とりあえず要求に応えて手っ取り早く出よう。
それがいい、というのが先ほどの春奈の時にも悟ったことだ。
「で、では、失礼するので」
そして、背を向ける俺に、しばしの間を置いて、むに、と柔らかい二つの感触が。
「……んん?」
「どうかしたので?」
その柔らかいものが動いて、俺の背を擦るわけだが。
「何をしていらっしゃるのか」
「背を流すとはこういうものでは?」
「……違うと思うぞ」
「え?」
「普通に垢擦りなり手ぬぐいなりで擦ってくれればいいんだが……」
「そ、そそそ、そうなので……!?」
知らなかったんかい、っていうかなんでそっちを知ってたんだよ。
ぱっと離れる愛沙に、俺は何も言わないことにした。
そして、せっせと今度は垢擦りで俺の背を擦ってくる愛沙に身を委ねる。
もう少し強くてもいいのだが、まあ、いいか。
まるでぬるま湯に浸ったような空気が、しばらく続く。
「さて、じゃあ、上がるぜ」
そして、背中のあとは一通り自分で洗って俺は風呂から上がることにしたのだが、二度あることは三度あるという話で、また手首をつかまれる。
「ちゃんと、温まらなくては」
「いや、俺丈夫だから。こんくらいは別に」
「めっ」
俺は言葉を失う。めっ、されてしまった。
何てことだ、いい年なのに。と考えていたら、愛沙の方が顔を赤くしてしまった。
「こ、これはいつもの癖で、その」
「いや、別にいいんだが。まあ、分かった、風呂に浸かろう。めっ、されちまったからな」
「そ、それは言わないで欲しいので!」
茶化しながら、風呂に入る俺。
「で、では、失礼するので」
そう言って、俺の上から風呂に浸かる愛沙。
奇しくも、春奈と同じ状態だが、色々違う。
起伏のある体とか、肌の不健康さとか色々だ。
「あー、あったけーな」
やはり風呂はいい。日本人なら仕方ない。
「……重くないといいのだけれど」
「別に、軽いぞ」
「な、ならいいので」
ほんのりと白い肌に赤みが差す。
「……しかし、また貴方には迷惑を掛けてしまったようで」
「あ? 気にすんな。いつものことだ」
「いつものことなのが問題な気がするのだけれど」
言って、愛沙は風呂の縁に両腕を乗せて、その上に顎を乗せる。
「お世話になりっぱなしで、なんだか暖かくて、心地いいから思わずその胸板に寄りかかりたく……、って何を言ってるので、私はっ」
「別にいいけどな。よっかかっても」
呟くと、その通りに背中を預けてくる。
「……いいので?」
「いいぜ」
「もっと寄りかかりたくなってしまったら?」
「その時は、まあ」
俺はにやりと笑って、冗談めかして口にした。
「結婚でもするか?」
何を馬鹿なことを。
そう言われると思ったのだが。
「ッ――!!?」
「愛沙が一瞬でのぼせたーッ!!」
結局愛沙も、俺が髪を乾かして寝かせることになったのだった。
―――
ご無沙汰してました。
火曜日にまた面接です。あと免許取りに行ってるせいで雪道が恐ろしくなりました。
技能講習やりたくないと毎日のようにじたばたしてます。
返信
通りすがり六世様
前特別編で藍音さんと前さんでやったような気がしないでもないですけど気のせいかもしれません。
まあ、薬師は初期型(憐子さん時代。一番ピュアでツンデレ)前期型(にゃん子、藍音さん、大天狗奇譚時代。憐子さんが死んでほんのり捻くれついでに大天狗になって戦争が日常なせいで殺伐風味)と、
後期型(本編時代。肩の荷が下りてのほほんとしてる)の変遷を遂げてます。中期型は寄譚でさくっと女の子殺ったりしてますしね。
ちなみに、年齢差については、実は前さんと薬師ではそこまで大きい差があるわけでもなかったり。
月様
まあ、違うものですから、実際はくらべること自体が間違いなのでしょうね。
前さんはちょっと遠くて、藍音さんはちょっと近すぎる、そんな関係ですから。
丁度いい位置取りというのは二人の丁度間くらいでしょうか。そりゃまあ、お互い羨ましいといえば羨ましいでしょうけど。
ちなみに、どうしようもなくなったら自サイトで細々やりたいと思います。今自分のところに全話データあるかわかりませんけど。というかパソコンクラッシュしたときに失われた可能性もあったりなかったり。
がお~様
お気に召したのならば幸いです。ガールズトークもいいものですね。
後、たまには薬師が出ないのも心安らぎます、はい。あの野郎はちょっと旅にでも出たほうが……。
いや、まあ旅に出たら出たで追いかける人々が、という展開が……。ダメですね。程ほどにいつも通りがいいかもしれません。
あの二人は完全にもうメインヒロインと裏ヒロインって所でしょうかね。期せずして正反対な二人です。
最後に。
きっと組み敷かれてる最中、特にYシャツの肌蹴させられたとききっと藍音さんは見守って、写真にそれを……、なんでもないです。