俺と鬼と賽の河原と。生生流転
「薬師、今日は何の日か知っているか?」
憐子さんがにやにやしながら、そう問うてくる。
今日は二月十四日。
第一回箱根駅伝が開催された日だ。
と、昔の俺なら言っていたかもしれない。
だがしかし、ここ数年、二月十四日が何の日か、やっと分かったのである。
「憐子さん、流石の俺もいい加減分かってるっての。今日は二月十四日」
そう。
「そうか、薬師。では」
バレ……。
「チョコをくれなきゃ悪戯するぞ」
バレ……、ハロ……、んん?
「……なんだその行事」
其の四十四 俺とバレ……、バレンタインデーって何だ。
「チョコはないか、仕方ない。真に遺憾だが、悪戯といこう」
「いや待て、そのバレンタインデーはおかしい」
憐子さんが、俺の両手首を抑えて、じりじりと顔を近づけてくる。
俺は、力を入れて押し返しながら、異を唱えた。
「なにがおかしいと言うんだ薬師。これがバレンタインデーというものだよ」
しかし、憐子さんはまるで、俺がおかしいかのように語ってくる。
「俺の知ってるバレンタインデーと違う」
「時代は変わるさ。諸行無常、盛者必衰。今はこれがスタンダートということだ、薬師」
「俺の知ってるバレンタインってのはもっとこう、女から男にチョコが……、んぐ」
言い終わる前に、唇が重ねられた。
そして、おい、憐子さん。悪ふざけも、と口にする前に。
舌が捻じ込まれた。
「ん……、ふぅ……、ちゅる……、ぷは……」
そして、俺の口内を正に蹂躪した後、口は離される。
俺と憐子さんの間に、細い糸が渡され、そして切れる。
「どうだ? 薬師」
「どうだってなんだ」
あまりにもいきなりな憐子さんに、俺は呆れ顔を送る。
そんな俺に対し、憐子さんは実に愉快げに笑った。
「先ほどまで、チョコを食べていたからね。甘かったかい?」
にやり、と口の端を吊り上げての問い。
俺は溜息と一緒に、答えを返した。
「味なんぞ分かるか」
「やくしー!」
「おお、春奈か、何だ?」
そして、今度はうちの呼び鈴が鳴らされ、春奈の登場である。
バレンタインデーと関係があるのか、ないのか。
答えはさくっと出た。
「チョコくれなきゃイタズラするぞー!」
「ん!? んん?」
マジなのか。マジで言ってるのか。
いつの間に地獄はバレンタインデーの形式が変わったんだ。
「持ってないの?」
「まて、バレンタインデーに男がチョコを用意なんて聞いたことがないぞ」
「じゃあ、イタズラするー」
聞いちゃいねぇ。
「んーとね、えーっと……」
俺に対する悪戯を考える春奈。
いや思いつくものが無いなら無理に悪戯なんてしなくても……。
「スカートめくり!」
「……スカートなんて持ってないぞ」
「おっと奇遇だな薬師、ここに丁度スカートが」
「穿かねーよ!?」
都合よくミニスカートを持って現れる憐子さんに叫びつつ、春奈を見る。
「春奈さんよ」
「なにー?」
「もっと別な何かを模索するんだ」
「うん? うん」
そして再び考え込む春奈。
「えっとね。うーん……」
その後、少しして閃いたように叫ぶ。
「うそを吐く!」
「お、おう」
嘘を吐かれて俺はどうすればいいんだ。
反応に困る中、春奈は俺に向けて言った。
「やくし、嫌い!」
「お、おう……」
「うそ!」
「おう……」
ひたすら反応に困る俺。
そして、そんな俺になにを思ったのだろうか。
「……うそだよ?」
不安げに、春奈が俺のスーツを引っ張ってくる。
「分かってるよ」
言いながら、俺はぽんぽんと春奈を撫でる。
すると、春奈は俺を見上げて微笑んだ。
「うん、うそ」
「おう」
そんな満面の笑みに、俺はふと思い出して、居間の戸棚を探る。
「確かこの辺にだな……。あったあった」
俺が出したのは、棒にチョコが塗ってあるお菓子だ。
よく、落としてバッキバキになるアレだ。
「……よし、春奈にはこれをやろう」
「え? いーの?」
「ああ」
「やったー」
大事そうに菓子の箱を持つ春奈。微笑ましい。
「あ、そうだ。わたしからも、やくしにわたす物があったんだった」
「なんだ?」
そう言って出てきたのは、綺麗な包装が成された箱。
「んっと、わたしと、お母さんから、ちょこれーと」
「なんと」
よかった、二月十四日にチョコを要求してさもなくば悪戯する行事なんてなかったんだ。
「ありがとな。愛沙にも、よろしく言っといてくれ」
「わかったー、じゃあね!」
手をぶんぶんと振って去っていく春奈。
それを俺も手を振り返して見送った。
「よく来ましたね、薬師さん」
「おう、来たぞ閻魔。用ってなんだ」
メールで呼ばれ、今度は閻魔の家。
「貴方にこれを」
そして、手には臙脂色の和紙で包装された箱が。
「ああ、本当によかった。二月十四日にチョコを要求してさもなくば悪戯する行事なんてなかったんだ」
言うと、閻魔が怪訝そうな顔をした。
「なんです? それ」
「色々あったんだよ」
「そうですか」
深く聞いてこない閻魔。しかし、俺はそんな閻魔の指先が気になった。
気になってしょうがない。その絆創膏塗れの指が。
「ところで閻魔、その指。まさか」
言われて、閻魔はばつが悪そうに顔を背けた。
「おい、まさかこのチョコレート……」
「作ってませんよ。悪かったですね」
しかし、閻魔は何故か不機嫌そうに言い放つ。
ん?
「いや、でもお前さんの指」
「作ってませんよチョコなんて。お腹壊しちゃいますからね」
「んん? 作ったんじゃねーの?」
「ええ、作りましたよ」
一体どっちなんだ。
再び反応に困る俺に、閻魔は言う。
「和紙をね!!」
「和紙を……!?」
「悪かったですねー、手作りチョコじゃなくて。手作りチョコは山ほど貰えるんでしょうからこんな市販品なんて興味ないですよね」
「つまり、包装をどうにかしてみたと」
「……ええ、恥ずかしながら。包装なら、お腹、壊さないでしょう?」
「更につまり、手の傷は包装するときに?」
「……悪かったですね。不器用で」
ふい、と閻魔はそっぽを向く。
俺は、そんな閻魔に苦笑した。
「いい和紙だな。捨てずに取っておくさ」
閻魔の手作り和紙である。
出すところに出せばきっと、いい値がつくんじゃなかろうか。
「別にいいですよ、気なんて遣わなくて」
「阿呆。こんなダメ閻魔に誰が気なんて遣うか」
「な……」
「これは、俺が個人的に嬉しいからとっとくんだよ。返せつっても返さねーからな」
言うと、閻魔は頬を紅くし、照れたように口を開く。
「……ずるいですね、相変わらず」
「そうか?」
「全く。大切にしてくださいね」
「おう」
笑って返し、俺は閻魔の家を後にした。
というか、和紙なら作れんのかあの閻魔。和紙作りは家事じゃないからか。
帰って来ると、家には山崎君、体は少女が座敷に正座で待っていた。
「お待ちしておりました、薬師殿」
「……おう?」
状況が掴めていない俺に、山崎君は立ち上がって、顔をこちらに向けてくる。
「本日は、嬉恥ずかしバレンタイン。かくいう拙者も、作って候チョコレート」
「なんか語感がいいな」
「もうしわけありませぬ。拙者、今、ドキドキにござりまする」
顔は真っ赤。
手は小さく震えている。
流石の俺でもチョコが渡したいのだということは分かる。
黙って待つ。
そして。
「受け取って、いただきたく!」
そして、部屋の襖が開いた――。
いや待て、なんでチョコ渡すために襖が開くよ。
疑問の氷解は一瞬だった。
なにせ、チョコレート色の山崎(体)が群れで現れたからだ。
「前回は、体そのものを渡して喜んでいただけなかったので! 本日は研究の成果、ちょこ十割、ちょこれーとぼでぃ、を!!」
「惜しい! 限りなく正解に近くて遠い!! 体から離れろ」
どうしてそこでただのチョコにならなかったのか。
「そして怖いわ! 歩いてくんな馬鹿野郎」
歩くチョコ。
俺は、泣いてもいいだろうか。
ああ、一体バレンタインデーってどんな行事だったっけ。
「……薬師様、今年のバレンタインデーもお茶と胃薬です」
「意外とマジで助かるわ」
山崎君(チョコレートボディ)三十体は、美味しく頂いた。
食べ物は粗末にしない主義だからだ。
―――
お久しぶりです。生きています。
更新しようと思ったら繋がらず、繋がった時ちょうど免許試験控えた時期だったりで己の間の悪さに苦笑いしておりました。
お待たせして申し訳ありません。
とりあえず、免許取れました。
更新再開と行きたいと思います。
返信
wamer様
さすが一番最初にIF番外が作られただけのことはあります。
もう未亡人という響きだけで二、三人は落とせる気がしてきました。
しかし、うちはたまにパソコンというかブラウザの設定で上手く繋がらなくなりますね。
でも、また繋がるようになってよかったです。
月様
今年も薬師は薬師です!
というかもう、薬師じゃなくなったらどうなるんでしょうね。
もしかしたら来年も薬師かもしれません。
何はともあれ、今年もよろしくお願いします。
通りすがり六世様
はい、今年もよろしくお願いします。いつになれば終わるのか……、一応最終話付近の構想はあるのですが。
流石に、千年掛けた鈍さは中々治らないようです。
それでもちょっぴりでも治ってる辺り僥倖なんでしょう。
もしかしたら、完治まで更に千年かかるかもしれません。
がお~様
千年掛けて醸成された薬師病。簡単には治らないようです。
特効薬があるとすれば、強引に押し倒せ、ということで。
完治までに何年掛かるかしれたもんじゃないですが、本人に治療の意思が出てきたので芽はあるようです。
薬師病が治るのが先か、それとも焦れて押し倒されるのが先か。
男鹿鰆様
合格、おめでとうございます。課題等、お疲れ様でした。自分も内定し、免許も取れて一安心です。
薬師は極限までいつも通りです。釣った魚を飢えさせます。それでも構わないというのはやはり惚れた弱みなのか。
閻魔は、なんだかんだで今回も出てきちゃいました。AKMの次回の出番は……、いつでしょうね。
最近更新ペースが落ちてきてしまっていて申し訳ないですが、付き合っていただけると幸いです。応援感謝しております。
最後に。
まだ、二月だからセーフですよね?