「憂国騎士団が動き回っている?」
ヤンは不思議そうにフレデリカの報告を聞いていた。
ヤン艦隊は今もイゼルローンに駐在しているが一時的にヤンとその副官、さらに昇進を受けるシェーンコップはハイネセンに戻って来ていた。
ヤンにとってはイゼルローンへのお引越しの準備もある。
ただこれについてはユリアンが家財品と一緒にイゼルローンについてくる気でいるのがなんとも、眉が一つ動くところではあるが…。
「憂国騎士団っというのはあれですよね?トリューニヒトが平然と飼ってる私設運動団の。連中め、いつものように戦争だ、戦争と騒いでいるのですか?」
疑問の声をあげたシェーンコップにフレデリカがやや声音を落として答えた。
「それが今回は厭戦的な事や一時停戦のメリットについて喧伝して回っているようなのです」
理的な人間には停戦を必要性を整然と、感情的な人間には悲惨な戦争の現状を説いて回っているらしい。
すでに相当な成果が出ているらしい。
「なに?連中、反戦派に鞍替えしたのですか?」
ヤンもそれを聞いておや、と思った。
あの憂国騎士団はトリューニヒトが持つ扇動機関だ。
ニュースを含めて今、同盟は次の戦いの為に力を溜める時期に入ったと声高に言う。
どういうことだ?
意図は読めないが世論の操作が始まっているは間違いない。
俗なソリビジョンや市民運動家を使って劇的に世論を動かすやり方はあの劇場型政治家の大天才トリューニヒトの専売特許とも言うべき手法である。
彼の力が動いている。
何かの下準備が入念に行われている感触。
「どうするつもりだ。どう動く。ルーアン」
ヤンは深い思索に入ったが明確な答えは見いだせなかった。
奇しくも今、同盟議会はアスターテ会戦の反省検証を含む、今後の同盟の方向性について議論する臨時議会を開催中である。
◇◇◇◇◇
同盟議会は紛糾していた。
同盟の経済状態は分かりやすく火の車にあって、戦費は嵩み正常化のためにも本来であれば一端は戦争を止めざる負えなかった。
しかし、度重なる敗走に国内世論の支持を失いかけている主戦派議員の多くは戦争続行を声高に呼びかけており、それを受けた現議長が支持率急浮上を歌って積極的大規模攻勢を提案するに至った。
この件に関してイゼルローンを獲得した事で同盟側に天秤のバランスが傾いた事に対してフェザーンが主戦派の一部に働きかけて、大規模戦争を起こさせようとしている事は明確だった。
無謀な戦いだ。
しかし、非常に多くの民衆が現議員の力量を大いに疑問視しているという状況は議員たちの心情を激しく圧迫しているのだ。
故に議会がアスターテ会戦での失態を拭う為にさらに勝ち続ける事で信頼を回復させなければならないと考えたとしてもおかしくは無い。
しかし、議会は思わぬ方向で動くことになる。
その引き金を引いたのはトリューニヒトであった。
「みなさんは即座に戦局を開くべきと考えているようだが私は断固反対です」
トリューニヒトの言葉に同じく主戦派のウィンザー夫人は驚きの声をあげた。
「主戦派の貴方がそうおっしゃるとは意外です」
トリューニヒトは心外だとばかりに肩をすくめ、
「意外とはなんだね?私がアスターテ会戦を支持する立場をとったのはそれが十分に勝算がある戦いだったからだ。事実二倍の兵を集めたアスターテは将が無能でなければ勝っていたであろう戦いであった。しかし、今回は違う」
と言った。
トリューニヒトは自慢の芝居がかった仕草で議員たちに呼びかける。
「民衆は深く傷つき疲れている。ここで連戦ともなれば士気の低い軍で勝つ見込みのない戦争を行うはめになる。そうなれば我が愛すべき同盟は取り返しのつかないほどに浪費する事になるだろう!」
「しかし、今、民の心は議会から離れています。戦いを起こし歴史的勝利を得なければ、先に示した不支持率を回復させる術など…」
先ほどの議長の積極的攻勢案に賛成していたウィンザー夫人がトリューニヒトに再度、問うた。
交代人事で入ったばかりで経験の浅い情報交通委員長である彼女は委員長の座を射止めたとは言え、まだまだ支持基盤が弱い。
彼女としては分かりやすく実績が欲しいのだろう。
トリューニヒトは芝居かかった声でもってその問いに答えた。
「それがあるのだよ、婦人。そう、あのヤン・ウェンリーのような魔法の手法で今まで出た問題を全て解決するする事ができるのだ」
トリューニヒトのその発言には議会が大いに揺れた。
「簡単だ。我々はイゼルローンの戦いでおよそ150万人もの捕虜を得た。今までに同盟の抱える捕虜の総数はおよそいくつか分かるかな?実に300万人の上る。しかし我々にはこれだけの捕虜を養っていくだけの財政的余裕はない。対して帝国には捕虜として我が同盟の愛すべき同士が同じく250万人はいる」
そこまで話せば誰もがトリューニヒトが提案しようとしている事が理解できた。
「帝国と捕虜を交換するおつもりですか!」
「その通りだ。まず300万人もの捕虜を維持する必要がなくなれば財政的な赤字は大幅に軽減できるだろう。いくらこの私でもさすがに400万人の人的不足を全て軍部から捻出する事などできはしないが、今は捕虜となっている250万の専門的な職業軍事技能者が職場復帰を果たせば、およそ300万人の本来別分野の技術者を軍部から引きあげることを約束しよう」
単純な引き算だ。
300万人もの捕虜の負担が減り、300万人もの働き手が帰ってくる。
これほど上手い話はない。
「しかしその交渉で得をするのは我々だけではない。帝国にも得をする余地がある!」
「しかし、我々はすでにイゼルローンを得ている。国力を回復させてしまえば今後戦局が我々に対して圧倒的に優位なのは間違いない。それに我々が今、真に猶予すべきなのは我らが愛する民衆の心が今、我々から離れつつあるというその現状だ。250万の帰還兵たちにはその数の10倍以上の親族・知人がおり、システム基盤、経済的な回復はより多くの民の心と懐を潤す。私にはこの捕虜交換を成功させたときの支持率の回復の試算が届いています。ふむ」
トリューニヒトは其処に表示されている試算に満足に頷いた。
「実に30%近い回復を得る事ができるそうだ。当然だな。アスターテで星と消えた150万人の命は確かにもう帰って来ないかもしれないが替わり250万人もの民を救う事ができたのだ。しかもイゼルローン回廊を我々は得た。結果としてこの一連の戦役は大成功だったと言えるのではないかな?」
「し、しかし、そんなに簡単に帝国軍と捕虜交換の話がつきますかね…」
「既に私が個人で出来る根回しは終えている。そもそもこの話が我が同盟から大ぴらに公表された場合、いくら帝国でも抱える民の感情的に断る事は難しいだろう」
そのことは十分に予見できた。
いくら帝国といえど無視できないものはあるのだ。
「つまりマスメディアなりを利用してこの交渉を公然と行うと?」
「そう、そしてこの案の最大のメリットは其処にあるのだ。万が一この要求を帝国が強情にも突っぱねた場合、我が同盟の民意はどうなると思う?」
「…帝国を憎み、賢明であった我々に同情する。逆に帝国側はその身に大きな民衆の不満を抱え込むことになる!」
「そう、たとえ失敗しても支持率は20%近く回復し、しかも帝国の基盤に少なからぬ打撃を与えることができるのだ!どちらに転んでも我々にとっては決して悪くはない案であろう。議長、貴方の案に対する対案として私の案を議題として上げてください」
採決の結果は火を見るより明らかであった。
まったく穴のない完璧なトリューニヒトの案が全会一致で可決され、同盟議会は帝国に対して大々的に捕虜の交換を呼びかけることが決定したのだ。
この議会を見届けたレべロとホワンは相変わらずのトリューニヒトの政治手腕の巧みさに舌を巻いた。
主戦派では無い二人からしても満足のいく案であったが議長案を押しのけてトリューニヒトの妙案が議会決定した、この事実を持って完全にトリューニヒトの次期議長の座が確定したと言う事に関する相当な憂慮が気持ちを重くしていた。
◇◇◇◇◇
この議会の模様をシトレ元帥から聞いたヤンはどこか平然とその内容を受け止めた。
「あまり驚かないようだが予想していたのか?」
「まさか。さすがに私でもここまで大胆な案は考えつきませんでした。ですがトリューニヒトがこのような案を提案したとしても驚きはしません」
捕虜交換を持ってして支持率強化と富国路線へ強力なシフト変更、さらにはこの停戦自体が反戦派のガス抜きにもなる。
何重にも得になる手だがことは政略の類なのだからヤンからすれば専門外ではある。
「どうしてだ?」
トリューニヒトという歪んだ巨星の影にはとんでもない一等星が隠れているからである。
あの男なら不思議はない。
「あの男にはとんでもなく凶悪な守護天使が憑いているんですよ」
「君にしては随分に酷い詩的表現だな。まぁ、トリューニヒトの奴が優秀なのは今に始まったことじゃない」
それはある意味正しく、ある意味とんでもない勘違いなのだがそれを是正しようとヤンは思わなかった。
そう認識させることが彼の望みであり、その試みは今のところほぼ完璧に成功している。
稀代の天才政治家というトリューニヒトの看板は今や一人歩きは始めたが彼はその偽りの看板を上手く利用する事に関しては病的なまでに天才的だ。
つまり上手くいくだろう。
彼のカリスマが匂ってきそうだ。
いずれ同盟はトリューニヒトを中心にかつてないほどに強大な組織に変わるかもしれない。
その可能性を予見してヤンはめまいを覚えた。
その未来予想図にはトリューニヒトに肩を並べる軍部において大元帥となったヤンの姿が一瞬写ったのだ。
冗談じゃない。
私はいずれは軍から足を洗い売れない歴史研究家になって余生を過ごすのだ。
面倒事は勘弁してほしい。
ましてあれほど毛嫌いしてトリューニヒトの横に並び立つなど…。
しかし、例の食事会以降、以前ほどの嫌悪感をトリューニヒトには感じなくなった。
食わず嫌いというと変だがヤンにとって全く理解の及ばないと言う意味で異質で恐怖の対象であったトリューニヒトの事があの一件以来、実は取るに足らない存在だとはっきりと理解できたからだろう。
だからこそ苦手意識が無くなったのである。
トリューニヒトにとってかわってやろうなどという大それた野心さえ抱かなければ良いだけだ。
多小、気に入らなくてもヤンにとって必要の無い名誉や功績を全て、あのくそ野郎にのしを付けてくれてやれば、それなりに上手くは付き合えるだろう。
その確証は得た。
「なお、この議会で君の昇進が決まった。おめでとう。君は今日から大将だ」
「嬉しくないですね」
「だがこの平和な時期に良い金を貰える役職に就けるんだ。君の舞台はしばらくイゼルローンに駐屯することになるだろうが、あそこは悪くはない城だろう」
「はぁ」
それこそヤンは気のない返事をした。
平和は喜ばしいことだがイゼルローンはまだヤンの手に渡って日が浅いのだ。
戻ってもやるべきことは多い。
「おそらく、この捕虜交換が成功すればトリューニヒトには国家元帥の地位がお前さんには元帥と同盟軍最高司令官代理の地位が転がり込んでくることになる」
「はぁ?」
今度こそぽかんとヤンは大口を開いた。
どういう冗談なのだろう、これは。
「同盟軍最高司令官代理は貴方でしょう」
「戦時にはな。常設となるとなかなか無いが前例がまったく無い訳ではない。元帥が三人になってそのうち一人が何の地位もないのは不味かろう。君は分かりやすく戦時にはこの同盟軍を全て指揮できる立場になる訳だ。もっともこれはトリューニヒトなりのわしに対する嫌がらせだがな。最高司令官の権限は本来、国家元首たる最高評議会議長にある。つまり代理人の任命権はトリューニヒトにある訳だ。軍部の権限と権威をせいぜい分断する腹つもりなのだろう。まったく食えん男だ」
なるほど、そうなれば事実、軍部は3分割される。
確かに人気者のヤンが元帥として顔を出してくれば軍部の勢力図は大いに割れるだろう。
敵対とまでいかなくても比較的外様な組織を殺さず、生かさず、弱らせず、驚異では無くする方法。
つまり分割してやれば良い。
権力分断。
それを必要な時集中する事が出来るのはあのトリューニヒトだけだ。
頭が痛くなった、ここまで頭が回るのかあの男は!
この妙案にはトリューニヒトも大いに満足言っただろう。
ヤンの人気を利用して元帥を一人仕立てるだけで戦時下にあって極度に肥大した軍部の権力を削いだのだ。
実質的には弱体化させることも無く。
「私としては捕虜交換が上手くいかない事を祈りますね。こうなっては」
「まさか!君らしくもないな。まぁ、この案は私も実は悪くないと考えている。君が司令官なら私の地位も安泰だ」
シトレ元帥としては確かに戦時における全ての厄介事を若い戦争の天才であるヤンに廻せて最高に気分が良いだろう。
自分は軍部の全人事権と言う最大の権限を手放してはいないのだから。
さっきほど一瞬、脳裏に走った青写真がこんなに近い未来の予想図だったとは。
ヤンが見るにこの捕虜交換は成功の目算が相当に高い。
こうなると年内にも史上最年少若干30歳のヤン元帥が誕生してしまう目算になる。
まったく。
「とんでもない男に目を付けられてしまったものだ」
ヤンの口をついて心からの深い溜息が漏れた。
◇◇◇◇◇
「捕虜交換?」
「そうです」
キルヒアイスの持ってきた報告にラインハルトはその美眉を顰めた。
今やラインハルトは宇宙艦隊司令長官の地位にあった。
「意図はなんだ?この時期に分かりやすい講和を望む意図は?」
「おそらく分かりやすい政治ショーでしょう。成功すれば政治的に見て分かりやすく受けが良いですし…」
「下らん衆愚政治のピエロか、こちらまで踊らされる必要はないな」
心底下らなそうにラインハルトは鼻で笑った。
が、しかしキルヒアイスは真剣な面持ちで報告を続けた。
「しかしピエロは分かりやすく人前にて踊ります。ラインハルトさま、この件は既にかなりの民衆の知るところであるようです」
「私は俗な立体TVなど見ないからな。必要な情報は部下が選別してあげてくればいい。で、つまりそのことは知る必要がある訳か」
「はい。すでに民衆は今回の捕虜交換に相当に期待しています」
ラインハルトはキルヒアイスの報告書を見て眉をさらに顰めた。
相当に広大な範囲に今回の同盟の捕虜交換の申し出の事実が流布しているようだ。
ほぼ全帝国内に知れ渡ってしまっている。
なるほど、確かにこれは感涙モノのショーらしい。
観客の意図にそぐわない出し物をすればいかに帝国といえど多かれ少なかれ民衆の反感を買ってしまう。
実にいやらしい遣り口だ。
誰だ?この意地の悪い相手は?
ヤンか?あの男の魔法だろうか??
「となると交換自体は防ぎようがないのか。しかし軍部も誰かが使者をやるとしてイゼルローン陥落で分かりやすく被害を被った連中では不適任過ぎるな。どうしたものか…」
思案するラインハルトが目くばせをするとキルヒアイスは頷いた。
「私が使者として参りましょう」
「すまないな、キルヒアイス。まぁ、民衆の為の人気取りなどに興味ないが平和の使者などお前向きな仕事だろう」
軍人としては少々優し過ぎるキルヒアイスに対しての褒美のつもりでラインハルトはこの件を諒解した。
講和がなればいよいよラインハルトも中央での政治闘争を激化しなければならない。
この銀河を得るのはこのラインハルトでなければならない。
そのためにまずこの帝国を完全に掌握する。
そのための布石は打ってきたつもりだ。
「しかし、やはりそのためにも参謀が欲しいな」
◇◇◇◇◇
「首尾はどうだ?」
「ええ、仕掛けは上々でしょう」
ルーアンのその報告に満足気にトリューニヒトは頷いた。
まったくこの男の才気には頭が下がる。
この妙案を聞いた時には鳥肌が立ったものである。
「捕虜交換で工作員を帝国に送るとは考えたな。」
その工作員の目的もまた秀逸であった。
「帝国を分かりやすく分断する方法は皇帝を暗殺することです。奴らが身内で分裂してしまえば、次の策を弄するのもまた用意でしょう」
「では工作員に皇帝を暗殺させるのか?」
ルーアンはさして面白くもなさそうに首を振りトリューニヒトに言った。
「その必要は恐らくないでしょうが万が一、皇帝がいつまでも退場しないのであれば考えます」
ルーアンはつまらそうにそう呟いた。
そう皇帝の寿命がそう長くない事はほぼ確定事項なのだ。
本来皇帝の崩御など絶対に予想できるものでは無い。
しかしルーアンには予想できる。
これは最強のカードだろう。
一応工作員の中にはそのためのカードもいくつか入れてある。
「カードは何枚用意したのかな?」
「何枚でも。しかし今回の目玉はこれです」
そう言って作戦草案をトリューニヒトに見せた。
「ほう、完璧だ。これで帝国のまず半分は潰せる。まったく素晴らしい。」
皇帝が崩御した時、分割した権力者のうち劣勢な方に同盟の艦隊が協力体制をとるのだ。
小国の戦争に強国が武力介入する。
実に分かりやすい構図ではないか。
そのための斥候となる工作員が今回の捕虜交換で帝国側に入りこむことになる。
上手く対立が長期すれば分かりやすく帝国は二つの国に分かれる。
もとは強大でも2つの国に分れてしまえば怖いものではない。
そうなれば、イゼルローン回廊を通して同盟と第二帝国の国交が開かれ、戦局は一気にフェザーン回廊が主戦場となることだろう。
当面最大の敵はフェザーンだ。
あんな何の役にも立たない国はさっさと戦場になって滅んでしまえば良い。
ルビンスキーが全銀河の経済的支配者となる夢を描いている事は知っている。
しかし、甘い。
この銀河を支配しコントロールするのはこのトリューニヒトだ。
ルビンスキーごとき小物には何も与えられないだろう。残念ながら。
◇◇◇◇◇
どうやらルビンスキーの仕掛けた策は失敗に終わり大規模な捕虜交換案が提示する運びとなったようだ。
和平の一歩とも取れる行動だけにルビンスキーは分かりやすく狼狽していた。
フェザーンの存在意義にも大いにかかわってくる決定である。
「まさかここまで頭が回るとはしてやられたな」
トリューニヒトという男がここまでに才気煥発な男だとは予想もしていなかった。
煽動の上手いだけのただの口先政治家だと思っていたのだが…。
しかし、回転の速さでは比類ないルビンスキーの頭脳が別の可能性を示唆していた。
「こうなったらトリューニヒトに取り入って同盟に銀河を取らせようか」
まだその判断は早計かもしれないがルビンスキーをして軍部のヤン、政治のトリューニヒトの二大看板を従える同盟は分かりやすく強固でそして強大に見えた。
彼等は今暫くは大人しくしているかもしれないが十分に力を蓄えた、次の機会にはその勢力と野心を帝国にぶつけるだろう。
そうなった時、あの金髪小僧は上手く対処できるだろうか。
「それを尻目に益を得る方法を考えるとするか」
今回の一件は想定外ではあったがフェザーンにとって帝国48:同盟40:フェザーン12の比率が多小変化し、同盟48:帝国40:フェザーン12に差し替わったとてさして違いはないのだ。
大げさに捉える必要はなかろう。
ルビンスキーはトリューニヒトに送る使者の選定に頭を思考を映した。
まぁ、ひとつよろしくやるとしようか。
お金が嫌いな政治家などこの世にはいない。
そしてこと、お金に関してはフェザーンの右に出る存在は銀河にはいないのだから。
しかし、それとは別にもう一つ、用意しておくべきものがある。
フェザーンの黒狐は配下の名を呼んだ。
「ボルテックはいるか?呼んで来てくれ」
「およびでしょうか。自治領主(ランデスヘル)」
すぐさまお呼びに参上したボルテックの慇懃さに苦笑しながらルビンスキーは言った。
「同盟内にクーデターの火種は無いか調べておいてくれ」
「調べるだけですか?」
「場合によっては支援しても構わない。トリューニヒトが我々の手に負えなくなったら退場させる装置に仕立てるのも良いだろう」
ルビンスキーは面白そうに笑った。
場合によってはトリューニヒトを排除しても構わない。
指し手は一人で十分。そう言う事だ。
◇◇◇◇◇
捕虜交換が帝国側であっさり了承され決定したのはヤンにとって意外だった。
一度はぐずって見せたもののどう考えてもこれはヤン好みの展開ではある。
ヤンとしては久々に気分よくその日を待っていた訳で、その浮かれようは浮かれて増えた酒の量をユリアンに怒られるくらいですらあった。
ただイゼルローンでは拿捕した大量の帝国艦を同盟艦に直す作業にてんてこまいで分かりやすく忙しそうではあった。
ヤンが1万隻も多く抱え込んでしまったがために、第13艦隊は1個艦隊でありながら2万5千隻を抱える変則的な2個艦隊編成となった。
しかもイゼルローンには大量の捕虜を抱えているとあって分かりやすく人手が足りない状況にあった。
そのため中央からかなりの人員が異例の増強体制で出向され、ヤンに半分嫌がらせで出向させられたイゼルローン要塞事務監のアレックス・キャゼルヌがそのヤンに向かって愚痴った。
「お前が楽をしているのを見ると戦争の方がまだ良かったって思えるよ。たく、何もしていないではないのか?うちの大将は」
ヤンは澄ました顔で、
「おいおい、何を言う。手を洗っているではないか」
と言い自らの手を示した。
それは調印式での握手の為と言う意味だろう。
なんにせよ、そのくらいヤンは楽しみにしているらしかった。
フレデリカはヤンの呑気に少し苦笑して言った。
「これで平和になりますか?」
「同盟はね。帝国にはもしかすると混乱が起こるかもしれない」
「というと?」
「皇帝が崩御するかもしれない。私はその兆しをつかんでいる訳ではないけど、トリューニヒトの奴はこれを期に何らかの仕掛けを張る気だと思う」
伊達に暇している訳ではない。
全容は知れないがあえて同盟が引いたと言う事実は何かしらのアクションが帝国に起こることを予期してのこととヤンは見た。
そのための布石を打っているのだろう。
あるいは皇帝あたりに暗殺者を仕向けているかもしれない。
「どのような」
「たぶん帝国が二つ無いし、いくつかに分かれる状況を促成するための方便だね。皇帝は世継ぎを今のところ指定していない。もし、ここらで崩御すれば分かりやすく帝国の覇権を求めて国が割れる状況になるはずだ」
フレデリカはその透明極まる知性で理解した。
「なるほど、その時、吾々はどちらか劣勢な方に恩を売るのですね」
「そういうことだ。帝国が二つの国に分れて乱立する機会を与えてしまえば同盟にとって脅威が分かりやすく半減する。国家版個別撃破さ。もっともトリューニヒトはそこまではやらないかもしれないけど」
ヤンが語尾を濁らせたのはルーアンならなんとなくもっと上手いやり方を考えついていそうな気がするのだ。
ここまでの緒案も所詮はルーアンの端端に隠れる策謀の一端に触れることで状況証拠的に知りえたものであって、ヤン自身の戦略的構想がルーアンのそれに完全に追いついているとはとても言い難かった。
「もし帝国がその状況を回避しようと思ったらどうすべきでしょうか?」
「同盟内にクーデターを起こすんじゃないかな。その可能性は十分にある」
ヤンは軽く言ったがフレデリカは大いに驚いた。
「そのことは中央にはお知らせしなくてよろしいのですか?」
「まさか、トリューニヒトなら私よりよっぽど上手くやる。私にとっては不得手もいいところだがこういう時クーデターを未然に防ぐ一番効果的なやり方はなんだと思う?」
簡単な謎かけのつもりだったが、人の良さそうなフレデリカ嬢には考えつかなかったらしい。
「分かりません。大将」
ヤンは上機嫌で答えた。
ヤンとしては明瞭な回答である。
「簡単さ。罠のど真ん中でクーデターを起こさせるのさ。裏切り者のミスターXを用意して成功すると信じ込ませた嘘のクーデター計画に乗せて憲兵に一網打尽。今に中央で軽く政変が起こるぞ。必ず、失敗するけどね」
一度罠にかけてしまえば、クーデターを考えていたであろう連中の運動も長期に渡って下火にならざるおえない。
起させる時期はかなり早いだろう。
皇帝の崩御というXデーがいつなのかは知らないが、それより早く同盟の禊は終わるはずだ。
ヤンがこのことを思いついたのはごくごく最近だがやる側はすでに随分と前から入念に計画を立てていただろう。
いずれにしてもイゼルローンにいるヤンにとってはあまり関係のない話だ。
ヤンとしては個人的に抵抗があったものの結局、ユリアンをイゼルローンに連れてきた最大の理由もそこにあった。
おそらく事件は全てが終わった後でニュースで見ることになるだろう。
◇◇◇◇◇
クーデターはヤンの読み通り起こり、まるで捕まるのを想定していたのかのように手際よく失敗して終息した。
これはただの防犯訓練ではないかと思ってしまう程の手際の良さだ。
死者どころか負傷者すら一人もでなかった。
おそらく今回のクーデターのメンバーは同盟の歴史上、もっとも間抜けな犯罪者として不名誉に歴史に名を刻むだろう。
しかし、ヤンは自分にはあまり関係ないと思っていた、このクーデター事件はイゼルローンに思わぬ余波を起こすことになる。
最新のニュースサイトを開いたヤンは目を見開いた。
未遂事件の首謀者にでかでかと副官フレデリカの父の名前が掲載されていたのだ。
執務室で思わず青ざめて崩れ落ちるフレデリカをヤンは支えながら医務室に運んだ。
「フレデリカ。大丈夫かい?しっかりしろ」
「はい、申し訳ありません。大将。私は大丈夫です」
そうは見えなかったがヤンとしてはほとほと困り果てた。
こういう時、どうすればいいのだろう。
「分かった。しばらくここで休んでいなさい」
「はい。申し訳ありません」
参った。
非常に参った。
22歳の女性が目の前で分かりやすく狼狽し傷ついているのを見て何一つ上手く出来ないのがミラクル・ヤンの実情であった。
しかし、ルーアンの奴め!
フレデリカの父がクーデター構成員の中に居たのなら連絡の一つもよこせばいいのに!!
完全に八つ当たりだったが怒りのぶつけようが他にはない。
ヤンは内心のムカつきに顔を歪めながら医務室を出て廊下を歩いていた。
すると状況を聞きつけたユリアンが姿を現した。
「閣下。フレデリカさんは大丈夫ですか?」
「大丈夫なものか。ニュースはどうなった?」
ヤンの問いかけにユリアンは答えた。
「どうやらクーデター自体未遂に終わったそうで今回に限っては死刑には問われないとか…」
「なるほど、どの程度の罪状に落ち着くものかな」
国家転覆罪が軽いわけはないが死刑はなさそうである。
死んでしまったのならともかくドワイト・グリーンヒル大将が生きている以上非常に長い裁判が始まる。
まぁ、軍法会議にかけられて即決死刑もあり得るが本当にどうなることやら…。
そうなれば娘であるフレデリカにはやるべきことが多いだろう。
残念ながら。
となると…。
「彼女はこのまま軍隊を去ることになるのかな…」
ヤンのつぶやきをたまたま通りかかったキャゼルヌ小将とシェーンコップ准将が聞き及んで言った。
「なんでそうなるんだ?このトンマ。どうせ執務室には今、お前の仕事はないんだ。男の裁量でお前にとっての勝利の女神さまであるフレデリカ嬢をとことん留意させてこい!」
「悲しむ女性をほっぽり出すのは感心しかねますね。私も閣下は戻るべきと具申します」
「なんでそうなるんだ」
ヤンが非難めいた声を上げたがそれに思わぬ反撃の声に変った。
「そりゃ、お前、フレデリカ嬢が軍隊に入ったのもお前さん目当てだったからに決まっているだろ。お嬢はお前が好きなのさ」
「ええ!?まさか!」
珍しく狼狽するヤンにシェーンコップの追撃が飛ぶ。
「まさか気づいてないとおっしゃいますか?貴方らしくも無い」
「それは私でも分かりましたよ。閣下」
ユリアンにまで援護射撃を撃たれてヤンは目を白黒させた。
「し、しかし、そ、それとこれとが同じ話なのか?」
「そうだよ。あの娘は親のコネまで使ってお前さんみたいなうだつの上がらない野郎の副官に進んでなろうとしたんだ。健気じゃないか」
「素晴らしい女性ですからね。羨ましいです」
そうなのか?
彼女がエル・ファシルでヤンに命を救われた話は聞きおよんでいたがしかし…。
答えのない袋小路にその明瞭な頭脳を落とされたヤンは混乱した面持ちになった。
ひとつその方向での思索を練った経験がヤンには無かった。
ノープラン。
キャゼルヌはそんなヤンをもと来た道につき返すと苦笑いを浮かべた。
どこか呆けた顔で医務室に戻っていくヤンの姿を見てキャゼルヌの苦笑が漏れた。
「お前の保護者はほんと締まらないやつだな」
「でも知ってます?あれでも同盟一の天才なんですよ?」
その発言には両者ともに大笑いで吹き出した。
その後、しばらく医務室ではヤンとフレデリカの秘密の会話が為されたがその内容は様として知れなかった。
ただその後、沈痛な面持ちのヤンにユリアンが聞き及んだところだと留意はさせたもののそのつけとして平和になったら結婚するとかしないとかの約束をさせられたとかどうとか、らしかった。
「それってつまり婚約されたんですよね?」
ユリアンからすればごく最近あったばかりとは言えフレデリカ嬢はいかにもしっかりしていてヤンにお似合いだと思ったから歓迎していたのだが…。
「どうだろう?そんな気がする…」
気がするって。
しかしユリアンも目に見えて憔悴するヤンにこれ以上のことは聞けなかったのだった…。
◇◇◇◇◇
「ルビンスキーめ、分かりやすく下手を打ったな!」
トリューニヒトがさも愉快に笑い声を上げた。
ルーアンの計画通り、フェザーンがクーデターに資金協力する現場を押さえることに成功したのだ。
クーデターを暴発させる作戦自体は当の昔から張っていた罠である。
ただ最大のネズミが引っかかるのを今か今かと待ちわびていただけの事であった。
「これでフェザーンに攻め入る口実ができましたね」
「ああ、この事実を公開すればいつでも首を掴みにいけるな」
苦笑したトリューニヒトの前には一人の男の姿があった。
狼狽したその男の名はニコラス・ボルテック。
フェザーン、ルビンスキーの側近の一人であった。
彼は今回のクーデター首謀者たちと同様に当局に身柄を拘束されていたのだった。
「お前に聞きたいことがある。何、心配するな全て話せば今度は私がお前を重用してやる」
そう言ってにっこりと笑うトリューニヒトの顔を見てボルテックは察した。
ルビンスキーどころでは無い本物の化物が目の前にいることを。
その隣にいる男にも強烈な狂気を感じた。
我々はこんな連中を相手と知らずに相撲を取っていたのか?
間抜けすぎる!!
「貴方に聞きたいことは同盟内にあるフェザーン経営のダミー企業と銀行の隠し口座。そのすべてです。ご存じですよね?」
「し、知ってどうするのですか??」
この期におよんでも虚勢をはる元気は彼にはなかったのでかなり狼狽し震えた声が上がった。
「分かりませんか?意外とフェザーンも人材に困窮しているのでしょうか?フェザーンと言う一地域は形式上は同盟では無く帝国側の自治領です。同盟では帝国を本拠を置く企業は経済活動をしてはならないと言う大原則がありまして…分かりますか?フェザーンに本拠を置く多数のダミー企業が同盟内において不正に業務を運用し、同盟国民から不当に利益を得ている可能性があるのです。政治家として許せませんねぇ。はい」
ボルテックは淡々と強烈な理屈を述べるルーアンの目に幽鬼のごとき恐ろしい冷徹さを見た。
ただの一瞥に背筋が凍り付く。
それは死の恐怖に似ている。
なんと恐ろしいのだ!
「フ、フェザーンの富は?」
「同盟内にある、そのすべては没収の上で国庫であります。当然でしょう。重要な法律違反です。自覚ございませんでしたか?」
ルーアンが厳しく追及した。
ボルテックは舌先が激しく乾くのを感じながら叫んだ。
「待ってください。そんな事をしてもフェザーンが帝国と協力して同盟と対抗する事になるだけです」
「甘い見通しですね。皇帝がもし崩御なさったらどうなるか分かりますか?」
ボルテックは眼を見開いた。
まさか!
「帝国が内輪揉めで混乱している隙にフェザーンを落とすというのですか!?」
「そのための工作員を送る手はずは整っています。彼らも貴方同様に良く踊ってくれましょう。遺産相続に揉める家族のごとき醜い争いを帝国の銀河全土で繰り広げるでしょうね。頼るべき帝国が身の振りで手一杯であればさすがのフェザーンも寄る大樹が無くて大いに困りましょう」
呆然とした。
そうなったらフェザーンは終わりだ。
同盟内の利権の全てが吹き飛び、頼りの帝国も大揉めでは話にならない。
そもそも帝国の国家体勢が分断してしまったら疎遠になった方のフェザーンの既得利権は消滅するのだ。
上手く生き残ったとしてフェザーンは皇帝の崩御を期に実に4分の3の経済力を失うことになる。
そしてフェザーンの富を吸収し肥大した同盟の口に丸のみされるだろう。
「大体調べはついているのですがね。いくつか不明な点があります。フェザーンのダミー企業のリストとフェザーンの隠し口座、送金の事実を示す書類のありかをお聞きしましょう。良いですね?」
「わ、私の身の安全は?」
「もちろん保証しよう。さらに働きによっては十分なポストを用意してやっても良い」
ボルテックは息をのんだ。
悪魔の囁きにしかし彼ごとき、矮小な人間は逆らえるはずはなかったのだ。
◇◇◇◇◇
イゼルローン要塞で捕虜交換式が行われた。
中央はまだクーデター騒ぎで大いに盛り上がっているようだがイゼルローン要塞は同盟内にあって実に静かなものである。
しかし事は両国間に渡ることなのだから中央の混乱などお構いなしに粛々と式を進めていくことになるのは当然の事に思えた。
ヤン大将はイゼルローン要塞にてキルヒアイス中将と対面した。
「貴方がミラクル・ヤンですか。素晴らしいご活躍お聞きしております」
そう言って笑いかけてきたこの好青年こそキルヒアイス中将であろう。
若い。20歳程度である。
「光栄です。多少聞き苦しい内容でしたでしょうが申し訳ありません」
たっぷりと皮肉の蜜を塗って返して見たが青年は苦笑するだけで咎めはしなかった。
随分と感じのいい青年だな。
こういう擦れてない人間が同盟にももう少しいればなぁ…。
ヤンは自分の事は棚に上げて本当にそう思った。
軽く握手を交わすとお互いの捕虜リストを交換した。
「これで多少は落ち着きますね」
「是非そうありたいですね」
ヤンからしてそれは心からの本音であった。
戦争は勝っても負けても楽しいものでは無い。
その様子に少し嬉しそうに笑ってキルヒアイスは心情を述べた。
「貴方が期待通りの人でよかった。ラインハルトさまも喜ばれます」
「それはどういう意味で受けとめて良いやら困りますね」
本当に謎のセリフである。
あるいはさっきのヤンの皮肉に対する意趣返しなのかもしれない。
何はともあれ捕虜交換は恙無く同盟と帝国の両国間にて執り行われ大量の捕虜は大量の帰還兵にとって代わられたのだった。
◇◇◇◇◇
今回の軍事クーデターを事前に察知し、納めたのはまたもトリューニヒトであった。
またイゼルローンで捕虜交換がミラクル・ヤンの手によって恙無く取り行われたこともあってトリューニヒトを次期指導者に推す声は日増しに高まっていた。
民衆はトリューニヒト最高評議長誕生を圧倒的に押しており、誕生はもう決定的となっていた。
現議長は最初難色を示したが既に再選は難しく、ぐずっても支持をより失っていくだけと言う状況に陥っており、その席を手放すのは時間の問題と見えた。
彼はクーデター後、トリューニヒトと会談の後、それなりに満足のいく天下り先を身繕ってもらったことに気を良くしてさっさと解散を決定したのだった。
トリューニヒトは最高評議長を正式に襲名すると新人事案を発表した。
そのメンバーは多少の変更はあったが従来の信頼のおける人材が残り、異才トリューニヒトにしては意外性に欠けるものではあったが政敵と見られていたジェシカ・エドワーズ代議員を法秩序委員長に抜擢したことに大いに驚きの声が上がった。
そしてヤン・ウェンリー大将がこの人事案に合わせて大将から一つ階段を上り元帥となった。
さらにそれに伴って同盟軍最高司令官代理の任を襲名する運びとなったのだ。
この人事には多くの同盟国民が喝采を上げ輝かしい同盟の未来を期待したのであった。
一方、ヤンはジェシカ・エドワーズの件を聞いて頭を抱えた。
「まさか、彼女がトリューニヒトの軍門に下るとはどういう事だろうか」
「どうでしょう。共闘しているようにも思えませんが。背中合わせで喧嘩しているような…」
フレデリカはやや不機嫌そうに言った。
その様子にヤンはこっそりユリアンに耳打ちした。
「なんで彼女不機嫌なんだい?」
「元帥が昔の女性の話をしているからに決まっているじゃないですか」
以前の三角関係的なものを週刊誌にフライデーされたヤンは滝の汗をかいたものである。
事実無根とは必ずしも言い切れず(少なくともヤンがジェシカを好きだったと言う事実はあるわけで)、フレデリカ嬢の不機嫌さも絶好調ではある。
この二人は婚約しても相変わらずらしい。
ヤンの朴念仁ぶりには益々拍車がかかっているような感じすらある。
独身貴族最後の抵抗だろうか?
「やめてくれ、元帥なんて…。しかし彼女が法秩序委員長か。大変だろうに」
帰ってきた捕虜の中には犯罪に走る者も多くジェシカはその対策を含め西に東に奔放しているようだ。
「彼女がいくら頑張ってもトリューニヒトの人気に拍車がかかるだけじゃないか。大変だなぁ、彼女は」
「それは元帥にも言えることですね。もっとも元帥は全然大変そうでは無いようですが」
えーと。ヤンは頭を掻いた。
平和な時期にヤンのする仕事などほとんどない。
最近した仕事と言えば帝国のやたらと紳士な中将と軽く握手したぐらいなものだ。
呆けの入った老人にだって出来る仕事ぐらいしかやっていないのが最近のヤン実情である。
「私はどうすればいいんだろう。ユリアン」
「黙れば良いんじゃないんですか。元帥」
なるほど、名案だ。昔から沈黙は金と言う。
ヤンはその忠告に従い、静かに電子新聞を眺めることにした。
タッチパネルをぐりぐりと動かしながら斜め読みする。
しかし、中央での新政権の支持率の高さは相当なものである。
期待感は簡単に失望感と変わってしまうがどういう手を次に撃つのだろう。
時期を見たとは思えない突飛なクーデターにこそ、その答えはあるのかもしれないとヤンは思った。
何か既に手は打たれている?
次の一手が一瞬透けてはまた見えなくなる。
ヤンはニュースペーパーを読み進め、部屋には電子モニターのニュースペーパーを捲る様な効果音だけが響く。
その深い思索の最中、経済面にてヤンの手が止まった。
「…フェザーン関連株の市場価値が落ちている…?」
それは僅かな変化だが経済面を見るヤンの脳には天啓が降りてきた。
「そう言う事か!ユリアン!我が家の家計で株を動かすことは可能か?」
「株なんかに手を出す気ですか?正気ですか?」
「ああ、いま微増している株はほとんど儲かるはずだ。地震の前の余震のようなものさ」
インサイダーに問われないことを祈ろうかな。
まぁ、その事実はまったくない訳だし多少は儲けておこう。
「たぶん年明け早々にフェザーン関連企業の株が大暴落を起こす事件が起こるはずだ。代わり同盟の二番手企業の株価が大幅に上がるはずだ」
「そんな事になったら今の政権は大打撃ですね」
「そうはならないよ。それを引き起こすのは間違いなくトリューニヒトだからね」
市場の混乱以上に国は国民は儲かるはずだ。
それも濡れてに泡のボロ儲けである。
「そうか…。凄い事、考えるなぁ。そうなれば経済的には同盟は完全に復興するだろうし…」
まさか彼女の登用もそれを狙って?
だとしたら…。
「心配だな。大丈夫かな。彼女」
思わず漏れた呟きにフレデリカ嬢が眉を動かした。
「元帥は女性の事だけはよく心配なさるのですね」
「…」
ヤンは黙って電子新聞を眺める作業に戻った。
どうやらヤンが心配しなければならないことは別の事のようだ。
◇◇◇◇◇
「また帰還兵の中から犯罪が…」
ジェシカ女史の口から苦悩する声が聞こえない日はない。
ジェシカ・エドワーズの法秩序委員長としての歩みは順風満帆とはいかないものであった。
法整備の不備もあって帰還兵による犯罪が急増している状況は戦後復興に向け、舵を切った同盟内に僅かならぬ影を落としている。
実際のところ頼るべき派閥も無いジェシカにしては融通がきかない官僚どもを相手に悪戦苦闘の日々が続いている。
今は懸命な彼女の姿勢を世間は好感を持って見てくれているがその状況がいつまで続くか。
試練の時は続いているのであった。
なぜ彼女が敵対していいると言って過言では無いトリューニヒト陣営に参加する事になったのか。
それはある男との面談がきっかけだった。
その日、ジェシカの選挙事務所にはトリューニヒトからの法秩序委員長就任の要請と一枚の食事券が届けられた。
ジェシカにとってはこの要請は勿論、寝耳に水でこれは未熟な政治家であるジェシカに対するブラックジョークなのだろうと思った。
ジェシカは反戦派を掲げて人気も高かったが同様にあのトリューニヒトに喧嘩を打った女傑として不人気も相当に高かった。
政治家にはなったもののトリューニヒトの柔剛自在で見事な政治手腕に世間の人気は集中し始めており、逆に反トリューニヒトが人気の肝だった彼女はその人気に陰りが見え始めていた。
そんなさなかの出来事である。
彼女はその形の良い眉を一つ動かすと食事券に描かれた地図に従いレストランに向かった。
たとえ未熟でも度胸だけはトリューニヒトに負けない自信があった。
其処は当然とヤンがルーアンに招待を受けたレストランであったのだがそんなことは露知らないジェシカはズカズカと入っていって問題の席の前に立った。
其処には当然とルーアンが座っていた。
「貴方は?」
「私はトリューニヒト様の腹心のルーアン・ヒィッドーです。ようこそミセス・ジェシカ。席にお座りください」
事実だろうか?
目の前の惚れ惚れするような美形の男はまだ23歳くらいの年齢に見えた。
「貴方が本当にトリューニヒトの腹心だとして、なぜこんなものを寄こしたのか説明くださいますか?」
そう言ってジェシカは男の顔の前に法秩序委員長要請の紙を突きつけた。
「ここにある最高評議長の刻印とホログラムは間違いなく本物です。貴方に我々は正式にお願いしているのです」
「理由は?納得できる説明をして頂戴!馬鹿にしているのかしら!?」
いきり立つジェシカにルーアンは端正な顔をさして動かさず事務的な口調で言った。
「まず一言。ジャン・ロベール・ラップ様の事は非常に残念でした。優秀な軍人だったと聞き及んでいます」
「そんな事は良いですわ。貴方達から冥福を祈って貰う義理はないですもの」
そう彼女は嫌悪感を隠さずに言った。
ルーアンはそれには全く動じず、
「ところでアスターテ会戦はある組織の手引きで起こりました。ご存じでしたか?」
とジェシカに問いかけた。
「え?」
目に見えて動揺するジェシカにルーアンは紙を差し出す。
それは以前ヤンに対しこの場所で開示したものと全く同じ紙である。
「フェザーンは帝国と同盟とを競わせ戦争をさせることで益を得る死の商人の集団です。彼らが引き起こした戦争は数知れず。アスターテもその一つです。貴方のフィアンセも彼らの御膳立てした戦争で彼らの策謀のうちに死んだのです」
「フェザーンが…」
絶句するジェシカはその紙面を見ながら再び驚愕した。
「貴方はこの世界に来て日が浅い。フェザーンがやってきたことを知らなすぎる。反戦派の真の敵が同盟主戦派でも帝国でもないことは明らかだ」
呆然と真実を聞く。
「勉強なさってはどうでしょう。トリューニヒト様のもとで、真に政局に触れることでしか学べないことも多いでしょう。それともう一つ」
「なにかしら?」
まだあるのだろうか。
不安がるジェシカにルーアンは真剣な顔で言った。
「吾々はフェザーンの不正を暴き、その組織を潰す気でいます。貴方にも協力してもらいたい。そのための法秩序委員長就任の要請です」
「どういう事?」
「来るべき日、フェザーンを告発しその関連企業に対し一斉監査を行います。証拠はすでに押さえてあるのでフェザーンの財産をその日のうちに同盟で没収できましょう。ただその為にはフェザーンの工作から遥かに遠い人間が法秩序委員長に就く必要がある」
「それで私に白羽の矢が立ったと?」
とてつもなく危険な立場なのだろう。
だからこそある意味、フェザーン攻略のその一点において信頼がおけてそのうえ死んで惜しくない自分が選ばれたのだろう。
復讐に燃える私が誰よりも適任なのは言うまでも無い。
「いいわ。受けてあげる。でも飼い犬になったなんて思わないで頂戴」
「結構。必要な援助があれば言ってください。では暫し共闘と行きましょう」
そう言って握手を求めてきた。ジェシカはその手を握ってから言った。
「綺麗な手。貴方人を殺したことなんて無いんでしょうね」
「それは貴方も同じでしょう。ただ私も人を看取った経験はありますよ」
この男は善人かしら悪人かしら?
それとも天使?悪魔?
ジェシカには判断がつかなかった。
食事は取らず席を立ったジェシカは店を出て行った。
彼女は先ほど男と握手した方の手を血が失せるほど握りしめた。
そして復讐の誓いを立てたのだ。
「ジャン、今一度、私に勇気を頂戴。復讐に燃えるこの愚かしい女に!」
こうしてジェシカ・エドワーズ代議員は法秩序委員長に就任する運びとなったのだった。
◇◇◇◇◇
「ラインハルトさま、実はお耳に入れたいことがありまして…」
「ふむ…オーベルシュタイン?その男が私に会いたいと?」
キルヒアイスの言葉にラインハルトは目を細めた。
「そうなのです。軍法会議にかかる寸前の男なのですが…」
イゼルローンの一件で御咎めがあるらしい、まぁゼークト大将などラインハルトに言わせれば見限られて当然の男ではあるのだが…。
だからと言って見限って良いと言うのは軍人としては別問題である。
「切れ者か?」
「はい。それはおそらく。ただなんといいますか、今までの人材とはタイプが違うといいますか…。非情なところがある男です。あと運がないですね」
ラインハルトは眉を動かした。
参謀役を探して様々な将校を値踏みしている最中だったのだ。
少しくらい可能性があるなら見てみるか。
「会ってみようか。才能があればむざむざ死なせるのも勿体無いだろうしな」
「そうおっしゃられると思いまして話の席を設けました。こちらです」
打ては響く親友の働きに満足気にラインハルトは頷いた。
ラインハルトが用意された個室に入ると照明を意図的に落とされた部屋に陰険極まる風体の男が座っていた。
この男がオーベルシュタイン?
ラインハルトとキルヒアイスは薄暗い面接室でオーベルシュタインとついに対面を果たした。
や、辛気くさい顔の男だな。
「元帥閣下、お目にかかれ光栄です。私はパウル・フォン・オーベルシュタインと申します」
「彼はヤンのあの作戦に察しがついていたそうです」
キルヒアイスの一言にラインハルトは眉を顰めた。
「ほう、卿はヤンの魔法に気づいたと?面白い話せ」
オーベルシュタインは淡々と語り始めた。
ことがイゼルローン攻略での詳細に移るとラインハルトは驚きの声をあげた。
「すべてではありませんが私もイゼルローンを攻略するためにその様な手があることを予期していました」
嘘をついているようには見えなかった。
なるほどなかなかに有能そうではある。
「一つ聞こう。もし俺がイゼルローンを攻略するとしてとる方法論を何か。答えてみよ」
ひとつ試すつもりで聞いてみる。
いずれあのイゼルローン回廊は奪還しなければならない。
「は、元帥閣下。…おそらくあの時点で、あのヤンめも代案に考えていた事でしょうが氷隕石や小惑星に推進剤を付けてのメテオインパクト、質量攻撃です。トールハンマーの一撃に耐える単純質量と亜光速といかないまでもかなりの加速度を与える必要はありますが上手くいけばこれであの要塞を破壊できます。イゼルローン要塞をまず破壊する事がイゼルローン回廊攻略の鍵となります」
ラインハルトは口笛すら吹きたくなった。
自身が温めていた戦術構想を見事に当てて見せた男に拍手を送った。
「正答だ。俺ならそうしていた。要塞など新しいものを別に立てるかどこからか持ってくれば良い。いいだろう。卿の身は俺が保障しよう」
「ありがとうございます」
そう礼を述べてからオーベルシュタインは下がっていった。
それを横目で見てラインハルトはキルヒアイスに尋ねた。
「今の俺やオーベルシュタインの案は有効か?」
「はい。かつては。しかし、宇宙空間においては単純質量攻撃は予期していれば防ぐことは比較的容易です。予期できないほどの無能があの要塞に座っていたならば可能性もありましょうが…」
キルヒアイスの冷静な分析にラインハルトも頷いた。
質量攻撃は迎撃が容易でもある。
知られる前の初手なら彗星のようなものに偽装して近づけて、直近を通るコースか
ら外して当てるなどの小細工も効くが、今イゼルローンに座っているのはあのヤン・ウェンリーだ。無能な訳がない。
「では、どうするべきなのであろうな」
「攻略能力のある要塞を引き連れてイゼルローン要塞にぶつけるしかないでしょうね。いずれにしてもヤンのとった魔法程の案はありませんよ」
その案はコストが掛かり過ぎる。
故にすぐに打てる手では無い事は確実だった。
「やれやれ、しばらくは様子見か」