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No.31521の一覧
[0] 銀愚伝 完[空乃無志](2012/02/17 22:09)
[1] 銀愚伝1[空乃無志](2012/02/18 00:45)
[2] 銀愚伝2[空乃無志](2012/02/13 07:24)
[3] 銀愚伝3[空乃無志](2012/02/14 02:05)
[4] 銀愚伝4 [空乃無志](2012/02/20 21:39)
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[31521] 銀愚伝4 
Name: 空乃無志◆90014c13 ID:91dc2ff1 前を表示する
Date: 2012/02/20 21:39
「カレンシースワップ?…ではないよな」

ヤンは唸った。これはどう表現するべき政策なのだろうか?

所謂、通貨スワップでは正確にはないようだが。

同盟はライヒマルクに紙幣価値を認めていない。

大体ライヒマルクの増刷所は帝国に抑えられている。

敵国がその気になればいくらでも刷れる、そんな紙幣を2国間貿易で使う馬鹿はいない。

一方、共和国の技術力では偽札対策を十分に施した新貨幣の造札には時間がかかる。

このままでは共和国との取引に支障を来たすのだ。

そこでトリューニヒトは使用期限付き政府発行紙幣を刷って、一定レートでの共和国の保持するライヒマルクとの交換に応じたのだ。

この政府発行紙幣の有効期限は5年と決まっており、5年後までには同額の共和国紙幣との交換が叶う仕組みだ。

万が一、共和国が交換に応じれない事態に陥っていた場合はその効力は延長となる。

「面白い政策だと思うけどね」

ディナールは多少のインフレになるのかな?

いや、共和国の経済実態が伴った増刷だ。

それならインフレーションはあまり起こらないかもしれない。

「すでに交換は始まったみたいですね」

ユリアンの言葉にヤンは頷いた。

「ユリアン。おそらく同盟の狙いは経済協力なんかじゃない。分かるかい?」

「え?」

ヤンは笑った。

「今に、とんでもないことが起こる。今までで最悪の酷さだ。なるほど、ルーアンは酷い奴だ。だが真の知略とはこういうものなのだろうな…」

彼は目を細めた。



◇◇◇◇◇



戦争の始まりは近い。

日に日に準備が整いつつある中、皇帝の下に一人の少女がかけて行った。

ヒルダである。

彼女は皇帝と会うや、切り出した。

「陛下。やはりこのままでは宜しくありません」

ヒルダの言葉に皇帝となった男、ラインハルト・フォン・ローエングラムは戸惑った顔を見せた。

ヒルデガンド・フォン・マリーンドルフはこの度、皇帝主席秘書官となった。

「フロイライン・マリーンドルフ。宜しくないとは一体、何の話だ」

「同盟の事です。このまま、彼らを自由にしたままに共和国と戦争をしたところでおおよそ勝てるものではありません」

たしかに。

自由同盟が変幻自在に戦場に現れるようでは、共和国にどんなに勝ってもその勝利はリセットされる。

「ならば、俺は同盟の救済の手が伸びるより早く共和国の息の根を止めてくれる」

「しかし、陛下、我々が共和国を討ち滅ぼさんとすれば、まさにその時、ヤンはこちらの何倍もの武力を率いて戦場に現れるはずです」

「ならば、ヤンが現れるより早く仕留めてくれる」

「しかし、陛下、共和国の軍勢は我が方の二倍です」

「そのようなことは問題ではない。ヤンが居たアスターテですら、俺は二倍の相手を倒してみせたのだ」

ラインハルトは自信に満ちた言葉を発した。

その言葉はどこまでも力に満ち満ちている。

しかし、ヒルダは首を振った。

「陛下、共和国軍の二分の一は我々の限界の兵力です。戦いに全力を傾ければオーディンは丸裸です」

同盟に其処を狙われればどうなる。…どうにもなるまい。

「フロイライン。それでも戦争はしなければならない。連中を野放しにしておけないのだ」

ヒルダは決意を帯びた顔でラインハルトに言った。

「陛下。私が同盟に向かいましょう」

「何!?」

ラインハルトは目を見開き驚いた。

「此度、同盟は大勝を得ました。同盟は民主主義国家です。同盟の民衆は勝利に浮かれ、これ以上の浪費、戦争行為を忌避しだしています」

自由同盟では厭戦ムードはさらに高まっている。

議会も軍縮の決定が続いている。

「なにより同盟の民衆は気質としてロマンチストです。共和国が受けた理由も其処にあります。私が涙ながらに同盟との講和を申し出れば、同盟の世論は揺れるはずです」

「フロイライン。そのような三文芝居をさせるために貴方を招聘したのではない」

同盟などにフロイラインを行かせたくない。

なぜか、そう思った。

しかし、彼の中の男の部分がそれを思わせているのだと彼自身、ついぞ気づきはしなかったのだが。

ヒルダは言った。

「ですが、講和の使者は必要です。そして陛下は彼の戦場に向かわれる中、一人でも多くの武将をお手元に留めたいはず。私が適任です」

「それは。しかし…」

ラインハルトは黙った。考える。

勝算は本当にあるのか?

しかし…そう…、やはり必要なことだと気づいた。

そして、ラインハルトもまた腹を決めた。

「分かった。フロインライン。よろしく頼む」

「ありがとうございます!陛下!」

彼女が下がった後、ラインハルトは人を呼ばせた。

「キルヒアイスを呼んでくれ」

ラインハルトはこの二人を同盟に講和の使者として送りつける事を決めたのだ。

彼と彼女なら信用できる。

きっと必ずや同盟を止めてくれることだろう。

そうなれば、ラインハルトは何の憂いもなく共和国を打倒できるはずだ。

「彼らはたった二人だが、この帝国の半分に等しい。必ずや同盟を止めてくれるはずだ」



◇◇◇◇◇



「キルヒアイス卿とフロイライン・マリーンドルフが講和の使者として同盟に参るそうです」

「くく、何もかもお前の言うとおりだな!」

トリューニヒトは愉快そうに笑った。

「そうでしょうか?たしかにフロイラインが来ることは予想しましたが…」

キルヒアイスまで送りつけるとは…。

なるほど、皇帝は相当に本気である。

まぁ、良いか。

「もとより今回の戦いでは帝国に大勝してもらわなければなりません」

ルーアンの言葉にトリューニヒトは頷いた。

「そうであったな。そうであった」

トリューニヒトは芝居がかった仕草で使いの者に命じた。

「御二方を盛大に歓迎してやれ」

トリューニヒトの言葉に使いは頷き去っていった。

「さて、もう大詰めだな。どうするルーアン」

「もう特になにも考えていませんよ。閣下」

彼をして全ての仕掛けはし終えたという事だろう。

「帝国も共和国もやはり残すのか」

「はい、それが宜しいかと思います」

トリューニヒトは苦笑した。

「まぁ、私としては全銀河を取ってしまっても別に構わないがな」

肥大した軍需産業の落とし所を考えるのは大変そうではあるが。

それに結局のところ一種のガス抜き装置として共和国も同盟も残っていた方が自然なのだ。

そう自然に考えられる当たり、今のトリューニヒト自身、以前ほど銀河統一政府の初代国家元首になるという夢にとりつかれているわけではない。

あるいは枯れてしまったのかもしれない。

すでに十分銀河をコントロールできるだけの権限を得た。

しかし、銀河を得てしたい事が特にあった訳でもなかった事に気がついた。

怪物は漸く満腹に至ったのだ。

彼は苦笑した。

「これが終わったら英雄として引退しようかな。良い幕引きだ。政治家は華々しく引退してこそ伝説になれる。散ることを惜しまれてこその美しい華だ」

そう言いながらトリューニヒトは秘蔵のワインに手を伸ばした。

410年産のワインである。

少し早いが勝利の美酒を楽しもうとそう思ったのだ。

「素晴らしいと思います。私も十分楽しみましたし十分稼ぎました。のんびりこれからの世界を眺めて余生をすごそうと思います」

実際この二人はフェザーンを転覆させる際の一種のインサイダー取引で巨万の富を得ている。

稼いだ金額から考えて余生が一万年続いても豪勢に暮らせるはずであった。つまり問題は何もない。

「君は若いのにな。私より年寄りに見える」

銀河の全てを喰い尽くした男たちは愉快そうに乾杯をした。

さて次の時代はどのように進むのだろうか。

案外あの未熟なジェシカが次の政権をとり、対話による真の和平が実現するかもしれない。しないかもしれない。

まぁ、可能性はあるだろう。

しかし、すでに今後の銀河の行く末など彼らにとってどうでもよかった。

遊び尽くしたゲームに興味など無かったのだ。



◇◇◇◇◇



ジークフリード・キルヒアイスの同盟での好感度は非常に高い。

多くの同盟国民の心に彼が笑顔ながらに彼の英雄ヤン・ウェンリーと握手を交わして捕虜の交換に応じた様子が残っているのだ。

そもそもラインハルト自体が猛烈な人気を誇っている。

何かに熱狂する女性ファンと言う生き物は女心が第一で、国際的な関係などと言うものはそれこそ『どうでもいい』らしい。

いや、逆に敵というのが燃えるらしい。

敵国なのにブロマイドや写真集が飛ぶように売れるのだ。

キルヒアイスが上陸したフェザーンの空港には出待ちのファンが10万人を超えたというのだから実に呆れる。

さらに彼がハイネセン入りしたときには実に100万人を超えたという。

『貴公子旋風』と新聞各社は書き立てた。

新星フロイライン・マリーンドルフも人気では負けていない。

彼女にも熱狂的なファンが付いて、『ヒルダ姫』と呼称がついたらしい。

とにかくあまりの熱烈歓迎に二人は顔を見合わせて嘆息した。

とにかく、自由同盟は予想以上に春を謳歌している。

悪く言えば平和ボケだ。

なんせ企業も民衆も儲かって仕方がない。

フェザーンもイゼルローンも抑えて憂いが無いし、彼らは平和という美酒に飽きることなく酔いしれていられるのだ。

そもそも彼らの宿敵ゴールデンバウム朝は跡形も無く消滅した。

これは歴史的大勝利だと同盟国民は思っている訳だ。

精神的、経済的な豊かさは人を大らかにするらしい。

いずれにせよ、お祭り騒ぎの中に現れた美しい異邦人を彼らは非常に熱く歓迎したのであった。



◇◇◇◇◇



「なに?金髪の孺子めが同盟と和平だと?」

「議長、どうなさいますか?」

ブラウンシュヴァイク公は目を細めた。

彼はてっきり血気はやるラインハルトの事だからそちらから向かって来てくれるだろうとばかりに待ち構えていたのに一向に攻めて来ない。

ばかりか、いつの間にやら同盟と講和を結ぶなどと言い出した。

(拙いな)

ラインハルトは電撃的にクーデターを成功させた。

そしてゴールデンバウム王朝を廃し、新しい国を作ってしまった。

まさかと思い、同盟に確認すると新生帝国と旧帝国とはどうも『別の国』という認識なのである。

完全に別とも言い切れないが一緒ともいえない。

あれだけ、堂々と宣言しておいてぬけぬけとそう言う。

狸め!

こういうところがトリューニヒトという政治家の恐ろしいところなのだ。

同盟と共和国の経済的な協力関係は続いているがどうも戦争の協力に関してはどうも「あやふや」になってしまったのだ。

まぁ、同盟の協力など無くてもあの小僧ごとき怖くはないのだが。

しかし、メルカッツの言う100%の勝利は疑わしくなってきたのも事実だ。

何をするにも同盟のさじ加減一つと言うわけだ。

ところで同盟があれほど憎んだゴールデンバウム王朝だがそれに止めを刺した英雄は誰なのだろうか。

とある同盟人は半分をブラウンシュヴァイク公が、残り半分をラインハルトが刺したと言った。

つまり、ラインハルトも実のところ、同盟にとって、「英雄」なのだそうだ。

その辺のところがどうにも宜しくない。

万が一、長期化するような事になれば圧倒的な優勢が揺らぐかもしれない!

是が非でもここで息の根を止めねば!

「メルカッツを呼べ、積極的攻勢に打って出るぞ!」



◇◇◇◇◇



「すでにゴールデンバウム王朝はありません。我々は敵対者ではないのです」

視聴者に必死に訴えるヒルダ。

「なるほど、確かに我々があなた方と講和は結ぶ上で過去の軋轢は無い様ですね」

対談の相手はこの同盟の著名な戦争評論家らしい。

「しかし、今回のアンバサーであるミス・マリーンドルフ。貴方たちは同盟が出した条項にサインを為さらなかったではないですか」

最初に同盟議会が提示した和平の条件はおおよそ容認できるものではなかった。

それは大きく。

0、前提として自由同盟を正統国家として認めること。

1、共和国と即時停戦すること。

2、自由同盟と帝国はお互いを最恵国として、全ての貿易を制限しないこと、また全ての貿易品に関税をかけることをしないこと。

3、帝国から同盟への亡命や移民を制限しないこと

4、互いの文化、特許権、著作者権等の知的財産を保護しあうこと

5、お互いに宗教、言論の自由を認め保護すること

となっていた。

正直、これでは難しい。

今から戦争したいのに共和国に手を出せないのは難しい。

他の毒素条項についてはこの際目をつぶっても良い。

「せめて一について再考して欲しいのです。我々は現実問題、共和国とは戦争状態にあるのですから」

「しかし、我々はすでに共和国と協力関係にあります。そして、帝国の前身がゴールデンバウム王朝である、これは無視できない」

「我々は決してゴールデンバウム王朝の後継者などではありません!」

フロインラインは声を荒げた。

半分は演技だ。これはソリビジョンの出し物なのだから役者はピエロになる必要もあるのだ。

「しかしフロイライン。我々の中にも未だ帝国の銀河に住む方々を許していない者は大勢います」

「それは」

それを無視することは出来ない。

やはりラインハルトを憎む人間は相当数に上る。

とくにアスターテで皇帝が成し遂げた戦果が逆に首を絞めてくる。

「やはり、お互いが手を取り合って平和的に話を進めるべきではないでしょうか」

「しかし、我々帝国は今、共和国の脅威に晒されているのです」

ヒルダは涙ながらに語った。

「わが国は共和国にしてみればもはや弱国。その上、同盟にまで敵視されればこの銀河で生きてはいけません」

「共和国が和平を貴女方と結ばれる可能性は?」

「それは無いでしょう」

きっぱりと言い切ったヒルダに相手方のコメンテーターは困ったような顔で言った。

「ふむ、それは難しい…」

その後は終始和やかなムードで対話は続いた。

趣味の話や理想の男性の話なぞもさせられたが、リップサービスは必要だろう。

とにかく、テレビに出ることも今回の仕事の一環だ。

世論の評価は悪くない。

条項が議会の賛成を得て通る公算は高い。

そのとき、キルヒアイスから通信が入った。

キルヒアイスはなにやらお笑い芸人とバラエティーに出ているらしい。

彼はヒルダに比べても、よほど顔が厚いらしく、終始笑顔を絶やさず、ドラマにバラエティーに引っ張りだこだ。

「はい、ヒルダです」

「キルヒアイスです。実はラインハルトさまから連絡がありました」

「というと?」

「一つ条件付きで例の条例にサインしろとのことです」

一つ?一体なんだ。

「どんな条件ですか?」

「1の条項に関して、即時停戦を認める代わりに共和国側からの宣戦には応じても良い。その場合は講和を継続すると書き加えろと…」

ヒルダは目を見開いた。

「なるほど、それなら同盟に手を出させずに共和国を討ち滅ぼすことが出来ます!」

むしろ、帝国の息の根を止めたいのは向うの方なのだから。上手く行くかもしれない。

そして、二ヵ月後、実際にこの修正案は議会で了承され、同盟と帝国は講和を結ぶことが決まったのである。



◇◇◇◇◇



同盟と帝国の和平が成立した。

その事実は衝撃となって共和国を襲った。

共和国は見捨てられたと感じたのだろう。

実際のところ、戦争の即時停止を求める今回の講和は共和国を見捨てたものとは違うのだが。

怒れるブラウンシュヴァイク公はトリューニヒトに通信で怒鳴りつけた。

トリューニヒトは、

「私は貴殿を助けたいのはやまやまなのですが、同盟は民主主義国家だ。民意は無視できない。同盟の民は平和を望んでいるのです」

と釈明した。さらに彼は、

「我々は貴殿らへの経済協力を惜しみません。ご安心ください。同盟と帝国は条約を締結しましたが、同盟と帝国の貿易市場の正式な開放は為替相場の方法も含めて来年に持ち越されました」

と述べたので漸く、ブラウンシュヴァイク公は溜飲を下げることが出来た。

同盟の八方美人ぶりにはいささか食中毒気味になったが連中を敵にはまわせない。

ならば、早く帝国を仕留めねば拙い。

彼は早期の決戦を一度は「時期早々」と拒否したメルカッツを再度呼びつけた。

ブラウンシュヴァイク公の再三の要請に、ついにメルカッツは、

「こうなっては仕方ありません」

と重い腰を上げたのだった。

それから、しばらくしてメルカッツ率いる共和国軍がガイエスブルクを出、帝国の境界を越えて進軍しだした。

明らかな領海侵犯である。

「ついに来たか。待ちわびたぞ!」

この状況を聞いたラインハルトは気迫に満ちた声をあげた。

帝国暦489年。宇宙暦798年。10月23日。

アルテナ星域。

史実から遅れること一年と半年。

ついに後の世に伝わるリップシュタット戦役が始まるのだった。



◇◇◇◇◇



最初の一週間。互いの大軍は犇めきあって見合った。

ブラウンシュヴァイク公の陣営は約3100万人、約21万隻。

原作では2560万(艦隻数は不明ながら16万~18万程度だろうか)とあるから二割近く増えたことになる。

動員された人員のみをみれば、これは皮肉にもあのアムリッツァ星域会戦とほぼ一緒の数である。

対する皇帝ラインハルトの率いる陣営は約1600万人、約11万隻。

アムリッツァ星域会戦が行われなかった事もあって帝国にはこれだけの兵力があったわけだ。

お互い、さぁ来い、さぁ来いと睨みあったが中々動かない。

メルカッツはとにかく気が流行る貴族どもを押さえつけた。

「我々の狙いは正面から帝国を向かえて消耗戦をすることだ」

ラインハルトにもメルカッツの狙いは分かっていた。

「奴らは一種の乱戦を考えている。21万隻をわっと襲わせて、無様に殴りあう気なのだ。お互いに消耗が大きくなるがどうやっても勝ちに拘るなら最善手だ」

戦術が機能しなくなる混戦になれば、ものを言うのは数の暴力だ。

そうなれば、帝国の負けは見えている。

メルカッツとしてはいかにも不本意な戦術ではあった。

しかし、さすがの彼にも3100万人の将校を一人で完全にコントロールすることは難しい。

シュターデンとファーレンハイトがいても当然、厳しい。

しかし中途半端に策を弄し、ラインハルトの知略に翻弄されれば、たちまち数を減らされてしまう。

彼が暖めていた戦術構想は待ちぶせて誘き出し、消耗を誘い、完全に参ったところを討つというものだからどうにも「拙いことになった」と頭を抱えた。

しかし、すぐに頭を切り替えて別の案を模索しだした。

同盟が和平を進めいている状況にブラウンシュヴァイク公を痺れを切らしたこと事態は仕方の無いことなのだ…。

(他に案が無いわけではない)

とある秘策を胸に秘めてこの場に臨んでいる。

その秘策がある意味において、この混戦なのだが、ラインハルトはそれを見抜いた。

「ふん、ご所望とあらば混戦でも構わない。各将校と繋げろ」

ラインハルトは銀河を挟み動けない状況を動かすべく、各将と通信をつなげた。

ミッターマイヤー、ロイエンタール、ケンプ、ビッテンフェルト、メックリンガー、ワーレン、ルッツ、レンネンカンプ、アイゼナッハ、ミュラー。

万が一を考えてオーベルシュタイン、ケスラーを置いてきたが早々たる顔ぶれだ。

ラインハルトを含めて11人、丁度良い。

「卿らに一人に一個艦隊に僅かに満たない1万の隻を与える。そして11個のブロックを作る」

「戦力を分断するのですか?」

戦力分断は愚の骨頂だ。

「そうではない。一つの戦場で21万隻が無計画に攻めて来れば、濃淡が必ず生まれる。濃い部分を可能な限り無視し、薄いところを攻めるには何が必要だ?」

「適切な戦力集中と適当な機動力です」

ラインハルトの問いにミッターマイヤーが答えた。

ラインハルトは重々しく頷いた。

「そうだ。そしてそれはメルカッツには出来ない所業だ。奴自身の判断力はともかく、他の者はそれに一歩劣る」

「なるほど、混戦では各指揮官の判断力の速さこそが機動力に直結します」

「そう、そして1万を1ブロックと決めておけば必要以上にわが方の武力が薄まることはない。無秩序に見える戦場で秩序を守れ。互いに協力しながら21万の艦隊が入り乱れる戦場を泳ぎ回るのだ」

将たちの脳裏に11個もの頭を持つ巨大な龍の姿が思い描かれた。

何と壮大で画期的な戦術だろうか。もし、この作戦が成功すれば、後世の戦術史にその名の燦然と輝かすだろう。

一方、ロイエンタールは別の懸念から主君の真意を尋ねた。

「それは…つまり、陛下は我々に10万の艦隊の指揮権を完全にお譲りになると?」

「そういうことだ。卿らは独自に考え、独自の方法で戦局を作れ」

ロイエンタールは目を見開いた。

あのラインハルトが考えた作戦とは思えないからだ。

戦場においては自己顕示欲が異常に強い主君である彼が有効とは言え、このような形で他人に戦局を委ねるような戦術を取るとは…。

ラインハルトは笑った。

「俺には信頼できる将がいるが、奴にはいない。それがこの勝負を分けるのだ」



◇◇◇◇◇



時間というものは皮肉なものでメルカッツはかつてほど自らの陣営の戦力に期待できなくなっていた。

彼が数に頼る戦術を取ってしまったのも一緒に居た時間が長くなって彼らの戦術上の運用における限界を見切ってしまったが故だろう。

しかし、見切っているということはそれを当てにすることも無いと言うことだ。

それでも勝てるという算段をつけてここにいるという事になる。

「皇帝陛下にあっても、その事、ゆめゆめ忘れなさらぬように」

メルカッツは笑った。メルカッツの戦術構想では彼の皇帝の働きこそ重要なのだ。

是非、メルカッツの望むように健闘して戴きたい。

そして戦局はまさにラインハルトの想像通りに動いた。

先鋒を取ったのはやはりビッテンフェルトだった。

彼の黒色槍騎兵艦隊(シュワルツ・ランツェンレイター)が自慢の足で攻め込むと雪崩込む様に21万の共和軍が帝国軍を襲い掛かったのだ。

彼を援護すべく続けてミッターマイヤーが動いた。

他の将も続々と続き、戦場は序盤からして、まさに混戦の名に相応しい混沌とした様相を見せ始めたのだった…。



◇◇◇◇◇



激しく動く戦局の中でミッターマイヤーはひとつの確信を得た。

(これは拙い)

無秩序の中に秩序を求めたのはメルカッツも同様らしい。

確かに戦場は混沌としており無秩序な濃淡が生まれだしてはいる。

しかし、一方であからさまに整然とした部分が残っているのだ。

ミッターマイヤーの見立てだと極端に濃い部分が強すぎる部分が3つある。

メルカッツはままならない貴族を使って混沌を演出しつつ、メルカッツ3万、シュターデン2万、ファーレンハルト2万に艦隊を分け、隠し刀を忍ばせたのだ。

それらは彼らが貴族の中で真に使えると選りすぐった21万隻の中の精鋭部隊7万隻だ。

彼らが真の共和国軍と言っても良い。

彼らは帝国の将が小魚を食べるのに夢中になっているその隙に怪魚を操り、『わっ』と大口を開けて食べてしまおうとしている。

(拙いぞ、裏をかかれた!)

1万と7万ではとにかく宜しくない。

このままでは我々は連中の良い餌食ではないか!

「ロイエンタール、ミュラー。卿ら協力してくれ」

ミッターマイヤーの言葉に目の前の戦局に同様の感想を抱いていたロイエンタールがすぐさま応じた。

「我らで囮を買って出るというのだな!」

「そうだ!」

ミュラーは無言で頷いた。

ミッターマイヤーは笑った、話が早くて助かる。

こうして、双璧と鉄壁。

3つの壁が協力し、メルカッツらの精鋭部隊にぶつかる事態となった。

「む、これは・・・」

メルカッツの口から戸惑う言葉が漏れた。

「囮の動き!読まれたか」

参った。

読まれたことにではない。読みよりその判断の早さに参ったのだ。

どうやら彼らは末端まで自由自在に動けるらしい。

こちらの策に気づかれるのは当然、時間の問題だがラインハルトが己一人で全てを判断していたのなら、その判断から導き出される結論は戦場最速とは行かない。

トップダウンでは判断が行動に移るまでいささか時間がかかるのだ。

わずかな時間でも、その時間差で2、3人の将はあの世に送れると思っていたのだが・・・。

「ローエングラム候。成長されましたな…」

彼がよもやこの大一番で自由な裁量を部下に委ねるとは…。

それは以前のラインハルトを知るメルカッツをして信じがたい思いだったのだ。

以前の彼ならばもっと個人プレイに拘ったはずであろうに…。

「まぁ、良い。とにかくこの3万を食ってやれ!全力だ」

こうして、ミッターマイヤーらの決死の防衛戦が始まった。

メルカッツらは目の前の3万隻にとにかく手を焼くこととなる。

一方、ミッターマイヤーらとほぼ同時にその状況に気づいたラインハルトは、

「さすが、双璧だ」

とその働きに感心し、

「もはや我が帝国の勝利は決まった!皆も続け!!」

と吠えた。呼応するように麾下の兵たちもうねるような鬨の声を上げた。

そのうねりは音の伝わらぬ銀河でさえも震わせているようであった。

こうして壮絶な撃ち合いが始まった。



◇◇◇◇◇



とにかくこの混沌戦は戦局が目まぐるしく動いた。

勝利の女神が目を回すほどの戦局の雑多さだ。

とても全てを語ることは出来ない。

それは同時にラインハルトがトップダウンに拘っていれば、無数の戦局の処理に翻弄され、最善手は時間と共に逃げていく状況になっていたはずだった。

一個人には到底処理しきれない激闘であった。

まぁ、もっとも予見を絡めて、無数の細かい戦局の処理を並列し、それを平然とやってのけるヤン・ウェンリーのような天才もいるにはいるが、一先ず、この戦場にヤンはいない。

しばらくして戦局が一先ず落ち着き、両陣営が別れた。

ミッターマイヤーらは必死にメルカッツを食い止め、戦局が落ち着いたときにはその数を3者とも1000隻近くにまで減らしていた。

しかし、一方、共和国軍の損害は正に甚大であった。

メルカッツの精鋭軍が65000隻残ったのに対して、残る14万隻の使えぬ貴族の烏合の衆はなんと38000隻まで、数を減らしてしまったのだ。

対するラインハルト陣営は、ほぼ壊滅的な損害を出した3名を除けば、ほぼ無傷のラインハルトの9500隻を筆頭に各将、8500隻前後を残し、一番消耗したビッフェテルトで6000隻を残す大金星をあげたのだ。

およそ4万隻の損害を出し、残り約7万隻となった帝国軍に対して、共和国軍は21万隻を10万隻近くまで減らしてしまったことになる。

これはさぞや帝国は勝利に向かって勢いづき、共和国は敗北の予感に身を震わせているだろうと思うところである。

ところがラインハルトとメルカッツ。

両雄の雑感はそれとは正反対のものであった。

メルカッツは笑い、

「これは勝てるな」

と呟けば、ラインハルトは深刻な顔で、

「このままでは負ける」

と呟いたのだ。

戦局は囲碁でいえば終局に向かって寄せに入った段階である。

メルカッツが勝利を確信し、ラインハルトが負けを意識した理由は二つある。

一つはラインハルト陣営の中核、双璧、ミッターマイヤーとローエンタールの離脱にある。

もちろん、両名は健在である。しかし、麾下の兵力は1500隻に満たない。

ラインハルトは戦力を完全に11分割してしまった。

これがここに来て良くない。

戦場において一度決めた指揮系統を崩して再構築する様な真似はしたくともできない。

無用な混乱や士気の低下に繋がりかねない。

ラインハルトが再びトップになるのはなんら問題ないがミッターマイヤーとローエンタールを他の将の部隊に吸収させて、指揮官を挿げ替えるというのは宜しくないのだ。

そもそも各将も面白くないだろう。

故に両雄には最早1000隻並みの活躍しか期待できない。

それともう一つ、ラインハルトには懸念しなければならない要素があった。

各艦の消耗度である。

メルカッツは7万のユニットを運用し、たった3万を相手にしただけに、殆ど消耗していなかった。

それはともかく時間稼ぎに徹したミッターマイヤーらの逃げありきの戦術ゆえもあるのだが。

一方、10万隻を沈めた各将の艦隊は満身創痍であった。

なんせ14万隻だ。

数でこそ7万隻を残した帝国軍ではあるがそれを文字通り7万隻と考えて運用してはいけない。

戦力として考えれば実質5万隻程度の戦力と見て良い。

とメルカッツは見ていた。

それは事実近いものがあった。

メルカッツは笑った。

「ふむ、ちょうど手頃なサイズになったな」

彼は10万ちょっとにまで減った我が軍を見て、そう不適に笑ったのだ。

両雄が睨み合う中、ついにその時が来た。

「おのれ、このまま愚かなメルカッツに任せておけるか!!私が出る!!」

怒り叫んだのはリッテンハイム候である。

ブランシュヴァイク公はガイエスブルクに籠っていたのでここにいる貴族たちでは最大の序列者である。

「いまから総大将はこの俺だ!皆よ続け!!」

彼はそう叫び、軍を動かした。呼応したのは僅かに38000隻だった。

彼は驚愕した。

たった38000隻だと!?何故だ!?

彼は事を起こすに当たって、皆が自分と同じように考えて、無能なメルカッツを呪い、動いてくれるはずだと信じていたのだ。

なんせメルカッツは自らは11万隻を失い、相手にはたった4万隻の損失しか与えなかった、大馬鹿者なのだ。

しかし、現実は違った。

同じように考えて行動してくれたのは彼と同じくらいに阿呆な貴族の方々だけだったのである。

メルカッツは自らは動かずに笑い、言った。

「これは侯爵殿、感謝します」

彼は死地に自ら足を踏み入れた愚か者たちにそっと手を振り見送った。

メルカッツによって、このリッテンハイム候の暴走は予想の範疇であった。

しかし、一方でこの無謀なる突撃を予想していないものがいた。ラインハルトである。

メルカッツがこのような愚策をとるはずがない。

そもそも事は愚かしい大貴族の自棄くその行動だ。

あまりに愚策過ぎて、さすがのラインハルトとて予想できなかったのだ。

そんなハプニングを起こると予想できたのは彼らを非常に良く知るメルカッツぐらいだろう。

ラインハルトの深謀なる知性は思わず戸惑った。

彼の麾下の名将たちとて気づきはしないだろう。

とっさに対応を決め、これを向かえ撃ったがその動きは遅い。

ラインハルトの判断が遅いのでは無く、艦隊そのものの動きが鈍っているのだ。

メルカッツはリッテンハイム候に続いた貴族たちを見捨てた。

その判断の正確さ苛烈さは実に恐るべきものであった。

メルカッツは彼らを囮に使いつつ、側面に回り込むや、実に狙いすました絶妙なタイミングでラインハルトの陣営を襲ったのだ。

ラインハルトは誰よりもいち早くそれに気づき、最速最良の判断を下したが「余りに遅い」と嘆くほどの我が艦隊の動きの鈍さに手を焼き、大きな損失を出すことになった。

リッテンハイム候の艦隊は全滅した。

ラインハルトの艦隊は25000の艦隻を失った。

「ようやく我が身の憂いを晴らすことが出来た。感謝するラインハルト皇帝陛下」

メルカッツの方の損失は僅かに250隻。

総数で見ればメルカッツ軍64000隻余、ラインハルト軍45000隻余。

数の上ではその差はさらに縮まったと見える。

しかし、その実体は違う。

その差は『もはやどうにもならない』程に広がったと言えた。

メルカッツは主力を完全に温存しきった。

今の攻防でのお互いの消耗にその差が如実に現れていた。

そして同時に、この状況に至ってようやく、ラインハルトはメルカッツが何を成したか理解した。

「奴め!この俺たちをまんまと利用し、自らの気に入らぬ役立たずの門閥貴族どもを粛正したな!!」

この一年と半年の間、メルカッツは次の銀河を見据え、優秀な貴族の選別と教育に全霊をあげていたのだ。

その成果がここに集結を見た。

彼が残した6万4千隻の艦隊こそ、真の共和国軍なのだ。

ラインハルトは自らの脳裏に激しい電撃が走ったのを感じた。

自らの完敗を悟ったのだ。

「おのれ、メルカッツ、おのれ!!」

この状況に到り、ラインハルトには二つの選択しがあった。

完全なる敗北か、撤退か。

ラインハルトは震えた。メルカッツ如きにしてやられたと言う事実は彼の自尊心を大いに傷つけた。こうなっては撤退など選べる訳がない。

「こうなれば、この命尽きようとメルカッツをしとめてくれる!!」

彼は怒りを爆発させた。

ほぼ同じ頃、ロイエンタールもまた、悟った。

どうやらこの勝負、

「我が方の完敗」

らしい。

ロイエンタールはこの後、我らが君主が何を選ぶかを考えた。

彼は苦笑し、

「無様に逃げるよりは死を選ぶだろうな」

と呟いた。

ならば自分はどうしようかと考えた。

一緒に死ぬなど馬鹿げている。

ふと、後ろからブリュンヒルデを撃ったらどうだろうと思い、笑った。

思わぬ悪魔の囁きに好奇心がそそられる。

いかんな。どうにもいかん。

笑いが止まらなくなって来たところで通信が入った。

ミッターマイヤーだ。

彼は真剣な口調で言った。

「卿よ。おかしなことを考えるな?」

絶妙なタイミングで釘を刺す同僚にロイエンタールはさらに笑いを深めた。

冗談で笑うぐらい良いだろう。笑うしかない状況だ。

「心配するな。妙な真似はしない」

「ならば、良いのだが…」

ロイエンタールはミッタマイヤーに言った。

「負けるとて死ぬのはいかん。卿『も』死ぬなよ」

ミッターマイヤーの返事は無かった。



◇◇◇◇◇



このまま、帝国の命運は尽きるのか。

そのように見えた。

しかし、天は彼を見捨てなかった。

「あれはなんだ?」

ワープアウト特有の光陰が次々と銀河に生まれる。

突如として1万5千隻の艦隊が現れたのだ。

それはここで散っていた艦隊のその数から見れば僅かな艦隊ではあった。

しかしこの段階にあって大局を動かすに足る艦隊数でもあった。

「ラインハルトさま、お待たせしました」

通信で響いたその声に帝国軍は歓喜した。

「キルヒアイスが援軍を連れてきたぞ!!」

皇帝が目を輝かせてその言葉に力を取り戻し吠えた!

「いまこそ、反撃の時だ!続けぇ!!」

キルヒアイスは条約を締結するや辺境軍を回って軍勢をそろえてこの銀河に急行したのだ。

この1万5千隻はキルヒアイスの人柄が寄せた帝国の限界ぎりぎりのへそくりであった。

やはりキルヒアイス居てこそのラインハルトであり、帝国軍である。

息を吹き返したと見える帝国軍を見てメルカッツは唸った。

「これはいかん」

状況は負けるとも勝てるとも言えなくなった。

いや、これでもメルカッツは勝てるがそれでは消耗が激しすぎる。

最後の一兵まで戦い切るような無謀な戦いは彼の望むものではなかった。

「先生。どういたしましょう?」

若い貴族の問いにメルカッツは頷いた。

「ふむ、一旦は引くか。陛下。勝ちは一先ずお預けしますぞ」

メルカッツは撤退を指示した。



◇◇◇◇◇



「連中が引いていくぞ!」

帝国軍から歓声が上がった。

この戦争に我が方は勝利したのだ。

それは多少事実と違う勘違いだが。

キルヒアイスは通信でラインハルトに確認した。

「追いますか?」

「…。いや、勝たせてくれるなら勝ちを貰っておこう」

本当は追いたいがキルヒアイスの余剰艦隊は出来栄えの悪い老朽艦を集めたなんとか飛んでるレベルのものも多い。

援軍を得ても、純粋な戦力比ではラインハルトはメルカッツに追いつけなかった。

この戦いは俺の負けだ。

「次はお前に勝つぞ。メルカッツ!」

ラインハルトは空しい形だけの勝利を得て、オーディンへの帰路に着いた。

一方、帰還したメルカッツをブラウンシュヴァイク公は激しく罵った。

「お前はなんと愚かな将なのだ!今日ほど、わし自身が戦場に立たなかったことを後悔した日はないわ!!」

メルカッツはそれを悠然と受け入れ、

「議長。私を罷免なされますか?」

と言った。

ブラウンシュヴァイク公はそれで済むかと憤りながら頷いた。

「では議会を開きましょう。議題は私の罷免について」

新議員たちがぞろぞろと集まり始めた。

ブラウンシュヴァイク公は彼らの顔を見てぎょっとした。

「り、リッテンハイム候は?」

「戦死なされました」

「アンスバッハは?」

「同様に」

メルカッツ派と目される新議員たちの顔を眺めて彼は天を仰いだ。

彼らは戦争の前、少数派であった。今は彼らが全てであった。

彼は戦場で『何が』あったか、さすがに悟った。

「…議題を変える。新議長を選出しなさい」

「というと?」

「わしは議会を引退する」

先ほど叱ったメルカッツがあまりに恐ろしくてブランシュヴァイク公は彼の顔が見れなかった。



◇◇◇◇◇



一方、その頃、帝国本土ではとんでもない事態が起こっていた。


『ハイパーインフレーシュン』である。


一応説明するならハイパーインフレーシュンとは物価指数が1年間で数十倍・数百倍になることを指す。

何故起こったのか。

ラインハルト陣営は良く言えば、質実剛健、悪く言えば実力はあっても金策には縁のない貴族の寄せ集めなのだ。

金満貴族を皆、敵に回したのだから、この貧乏は当然と言えば当然なのだがこの貧乏所帯に残念ながら一つの問題が起こった。

同盟に市場の物流を乗っ取られたのだ。

なぜそんな事態に陥ったのか。

まず、世界で一番ライヒマルクを持っていたのはフェザーンだった。

次に世界で二番目にライヒマルクを持っていたのはラインハルトが憎む金満貴族どもだった。

何番目か下って金満貴族どもの支配する地域の住民や企業も大量のマルクを当然持っていた。

否、総額で言えばこれが一番大きい。

まず、フェザーンが同盟に吸収され、続けて帝国が二つに分断され、その一つの金満貴族どもの経済圏が同盟に吸収された。

この結果としてフェザーンと金満貴族とその経済圏、これらすべてのマルクは同盟の手に渡った。

フェザーンから15兆。貴族から10兆。民衆から35兆。

トリューニヒトが手に入れたマルクの総額は60兆ライヒマルクにのぼったのだ。

単純に1ディナール=1000円、1マルク=150円程度の価値と考えると(厳密には不明だが)9000兆円ほど手に入れたことになる。

その総額はなんと残った帝国国内に残ったマルクにほぼ匹敵する。

無論ここで言う半分とは土地や株や金融と言った資産価値を別にした純粋なマルク紙幣でのお金ではという事だ。

たとえば日本の通貨発行量は700兆円ほどである一方、流通量は70兆円ほどしか無いと言われている。

(なお、資産価値で見ると日本国民は2000兆円程保有しているのだが…)

帝国はこれまでに135兆マルクを発行していたが、その平時の流通量は20兆に満たない。

60兆マルクという額の恐ろしさがよく分かるだろう。

それは帝国が一年に運営できる額の数倍の規模に及ぶのだから恐ろしい。

日頃「金など卑しき愚者の食べ物」と豪語してはばからないラインハルトを長としている似た者集団なのだから貧乏は仕方ない。

帝国元帥の年金が年額250万マルク(3億5千万円程度)といっても元帥級の給料を今のところ貰っているのは皇帝しかいない。

貧乏が悪いのだ。

彼ら脳筋族は戦争で決着が着くなら無敵であったろう。

反面、経済については純粋無垢の処女のように清らかで清廉であったから、お金にとことん縁が無かった。

こそを突かれた。

何度も言おう。貧乏が悪いのだ。

ルーアンの密命を受けたボルテックはフェザーンの商人たちに対してとある商談を持ちかけた。

それは恐るべき計画であった。

フェザーンの商人の拝金主義は筋がね入りで我こぞってこの計画に参加した。

ボルテックは同盟では紙切れと賞されたライヒマルクを壮大に消費して、帝国内のありとあらゆる物流を買い占め、同盟に密輸する密命を受けていたのだ。

フェザーンの商人たちは自分が帝国領の商人だったころにはおよそ見たこともない大量のマルクをつかまされて帝国の市場に放たれた。

帝国を襲ったこの台風は当初、景気刺激になって経済を活性化させた。

マルクが潤い、多くの人はラインハルトの治世を感謝したりもした。

異変は静かに、しかし確実に帝国を蝕んでいった。

当初、商人は市場を掌握しつつも小口の流通を見せ掛けで残し、問題を表面化させていなかった。

そして、ある日を境に一斉に顕在化したのだ。

その『ある日』とは皮肉にもキルヒアイスとヒルダが条約を締結した日であったのだ。

その日、フェザーンの商船が列を成し帝国に押し寄せた。

驚いた辺境警備軍は彼らを呼び止めた。

「お前ら、どうやってフェザーンの関を越えたんだ?」

「知らんのか?帝国と同盟の貿易が開始されたのさ」

兵たちにも条約締結の知らせは入っていた。正式な貿易のための準備はまだとはいえ、条約自体はすでに有効になっている。

中央とも検討した結果、辺境警備軍は積荷に問題がなければ通すより他ないと結論付いた。

コンテナにはなんだかガラクタのようなものが詰まっている。兵士たちは苦笑した。

また、あるコンテナには大量の水、それも海水が詰まっていた。

「おいおい、こんなので儲かるのか?」

「馬鹿言え、こいつは魔法の水さ」

商人たちは口々に笑った。

思えば、現場の辺境警備軍はあまりに経験不足であった。

以前、フェザーンとの貿易が盛んだった頃にはそれなりにベテランの検査官がいたものである。

しかしフェザーンの市場が閉ざさせるやそういう関連の優秀な人材は中央へ異動してしまった。

いままで貿易の監査などしたことの無い兵士たちは、行きに空荷はさすが拙いだろうというフェザーン商人の用意した見せ掛けの積荷がまさか本当に売買に使われるなどと思い込んでしまったのだ。

列挙して押し寄せる商人の群れを数が少ない辺境軍は総出で対処した。

なんでこんなに行き来しているのか訳が分からなかったがやはり経験の無い兵士たちは「こういうものなのか」と思い込んでしまったのだ。

一部のベテラン兵士はもちろん「おかしいなぁ」とは思ったがこれは開国に伴う、一種のお祭り騒ぎなのだろうとそう思っていた。

実際、こういう条約の締結と言う事態を経験したものはいなかったのでそういうものだと思い込んでしまったのだ。

また辺境王キルヒアイスらの奮闘を良く知る現場の軍人がこんな事で彼の足を引っ張るようなまねをしたくないという感情もあったのだろう。

こうした事態は当然、オーベルシュタインの耳にも入った。

もっとも彼の耳に入った報告は「どうやら早速、商魂逞しいフェザーンの商人どもが貿易を始めたらしいですよ」という何とも間の抜けたものであった。

オーベルシュタインをして、「まだ為替レートも定まっていないのによくやる」としか思わなかった。

彼自身、フェザーンの勇み足を嗜めようとも思わなかった。どうせ少数の商人の勇み足だろうとしか思っていなかったのだ。

彼は中央にいる只の一役人だったので辺境の宇宙まで見てこれた訳ではないのだ。

彼が正式な報告書を受けたのは3日後である。

さすがの彼も目を見開き、事実確認を急いだが『すべての事は終わった』後だったのだ…。

こうして帝国の市場からあらゆるものが同盟の銀河へと巣立っていたのだ。



◇◇◇◇◇



市場が空になっても帝国の様な閉鎖的な市場では発見のタイミングが遅れるのは仕方の無いことだろう。

まず、最初に異変に気づいたのはある豚業者の会合だった。

その日は、とある惑星の畜産業種の合同会合の日であった。

その日、豚業者たちは意気揚々と会合に参加していた。

なんせ彼らのほとんど全員がとんでもない大口の売買に成功していたからだ。

あるブロイラー業者は通常の流通価格の二倍以上の価格で豚が売れたのだ。

古いのも若いのもみんな売れに売れた。

中には種豚まで売ってしまった男もいた。

彼らは意気揚々と会場に集まり自慢話を始めた。

そんな中に一人、とあるレストランから来た男が困った顔で入ってきた。

誰でも良いから豚を売ってほしいという。

提示した価格は通常の市場の3倍。

男たちは顔を見合わせた。

なんせ手持ちの豚がいない。皆は上手い話をみすみす逃したと嘆きながら互いに譲りあった。

レストランから来た男は4倍を提示した。

しかし誰も手をあげない。

一人の男が言った。

「おい、この中で食える豚をまだ飼っている奴は入るか?」

一同は顔を見合わせた。

誰もいなかったのだ。

レストランから買い付けを頼まれていた男は悲鳴をあげた。

男は叫んだ。

「鳥も、牛も、羊も、豚も一頭も買えない。この星はどうなってしまったんだ!!」

男たちはとんでもない衝撃を覚えて大口を開けた。

後に語られる『世界から豚の消えた金曜日』である。

これが端となって帝国国内は大混乱に陥る事となる。

なんせ何も無い。

定価で物を売る店は売れ切ればかりで、卸し業者の倉庫の在庫すらない。

フェザーンの商人どもは帝国で壮大にマルクを使って物品を全て同盟に流してしまったのだ。

恐るべき経済テロである。

さらにルーアンは恐るべき事をボルテックに命じていた。

各地の私営電気会社を次々買収しては再起不能のスクラップにしたり、買収した石油田に火を放ったり、様々な工場を買い占めては中にあったオートメーション機械を引き離して、宇宙船に乗せ密輸したり、高齢化で農家を続けることが辛くなったご老人から買い取った畑に大量の枯れ葉剤を蒔いたり、中古宇宙船を買い占めて同盟に密輸したり、海を往く船を漁船を含めて買い占めて、沈めてしまったり・・・。

実に酷い無駄使いをやるだけやって去っていた。

フェザーンの商人はIT市場や金融市場、土地市場などの市場規模の大きな物は無視し、生活必需品を中心とした市場で、徹底的に金を使った。

ラインハルトたちが戦争を終えて帰りつき、この騒ぎに気づいた時にはすべての工作が終わっていた。

帝国の市場ではありとあらゆる物品が異常なまでの不足状態に陥り、中には再生産の見込みが無いものまであった。

すべて同盟に買われて行ったのだ。

そして使われたマルクが市場に大量に余った。

これが不味かった。

帝国内のありとあらゆる物品の供給は大幅に縮小し、対して大混乱に乗じて需要は跳ね上がった。

オイルショックのような心理的恐慌状態である。

そして実際、物は無い。

一方でマルクはだだ余り状態である。

まず最初に起こったのは輸出過多によるインフレーション(コスト・プッシュ・インフレーション)だった。

その後、恐慌状態に陥った市民による需要過多によるインフレーション(ディマンド・プル・インフレーション)の第二波が巻き起こった。

その二つの大波は帝国を直撃した。

気がつけばわずかに残った物の価格は2倍、3倍、4倍と上がって行き、最終的には200倍近くまで跳ね上がった物もあった。

考えて見てほしい。

貴方の貯金が100万円あったとする。

一晩寝て起きるとその貯金では5000円分の買い物しかできなくなってしまったのだ。

この騒ぎに各地の銀行では取り付け騒ぎが起こって大混乱となった。

なんせ金はいくらでも使って物を買うことに全帝国国民が腐心している事態が起こっているのだ。

一分一秒で物の価値が値上がり行く中で自分の金は一マルクでも早く使ってしまいたいに決まっている。

帝国の銀行は15倍の貸し付けレバレッジを認められていた。また支払い準備率は僅かに10%であったからさぁ大変だ。

実際の市場流通量の15倍と言う架空マネーが消し飛び、どうあっても金が足りない状況となったのだ。

担当者が群れを成して、オーベルシュタインのもとを訪ねたが彼は誰とも合おうとしなかった。

彼らの要求の全てを丸のみにしマルクの増刷に踏み切れば、マルクはジンバブエドルになる。

オーベルシュタインは一方で経済学の権威たちに必死で電話をかけ、助言を求めたが対応は実に冷ややかだった。

ある経済学者は、

「今頃にかけて頂いても困ります。何故もっと早く我々のような人間にもお声をお掛け頂けなかったのでしょうか?皇帝陛下は軍人さまがお好きなのでしょう?我々のような愚昧な学者風情では無く貴方のような大変に多才で優秀な軍人さまが頑張ってみれば宜しいのではないのでしょうか?」

と軍人ばかりを贔屓にする皇帝を皮肉って、オーベルシュタインを痛烈に罵った。

オーベルシュタインは電話を切ると目を閉じた。

しばし、無言で考えたが良い策は見当たらない。

次の日、帝国中の銀行が一斉に破産を宣言した。



◇◇◇◇◇



億万長者が一夜で姿を消し、帝国は未曾有の大恐慌を迎える事になった。

銀行の破産を受け、帝国預金保険法の即時施行を求める声が民衆から挙がった。

無視すれば国民が暴徒とかすのは避けられない。

帝国の制度によるペイオフ (預金保護)額は10万マルク。

全保障総額は30兆マルクと試算され、オーベルシュタインの顔色は益々白くなった。

国庫を全て空にしたとて、そんな額はどこにも無い。

結局、オーベルシュタインは30兆マルク分の増刷を決定した。

その金を得た国民はもちろん早速金を使った。

こうして帝国市場にセカンドインパクトが引き起こったのだ。

すでに1000倍を超え始めていた市場は更なる燃料の投下に1万倍を超えて突き進んだ。

もはや誰にも止められない破滅の行軍だ。

こうしてライヒマルクはケツを拭く紙になったのだった・・・。

この状況を受けて、以後のオーベルシュタインは混乱の火消しに躍起になっていた。

残ったわずかな食料をかき集めて配給制にした。

気が付けば、軍人以外は一日パンが一個に屑野菜のスープが一杯。

そんな状況に陥ってしまったのだ。

このような状況でも民衆がラインハルトを支持したかと言えばそんな訳がない。

自分の大切な貯蓄や財産をみんな失ってしまった民衆の怒りは暴動を起こした。

オーベルシュタインは治安維持警察を組織して鎮火に当たったが、もはやどうにもならない状況であった。

逮捕者100万人。この処遇は如何様にすべきか彼は頭を抱えた。

連日連夜のストライキに生産性は著しく落ちていった。明日食べるものに困る状況の中ですら誰も鍬を手に取ろうとはしなかった。

そんなさなかにあって、非合法な闇市がいくつも出来た。

金や銀やレアメタルなどなど貴重な物を持っていけば、およそ法外なレートで食料などの生活雑貨と換えてくれたりするのだ。

これを裏で仕切っているのはもちろんフェザーンの商人だ。

得られた嗜好品の類はフェザーン商人を通して、同盟に運ばれた。

フェザーンの商人どもの暗躍は収まらない。

彼らは物だけでは無く人も扱い始めた。

つまり亡命だ。

なんせ大量の生活品を同盟に送ったのだから使う人間の方の需要も大量にある。

こうして、ハイパーインフレーションの混乱冷めやらぬ中で、抜き差しならない事態が確実に進行していったのだった。

この中にルーアンの真の狙いであるゲストリストの亡命があった。

ゲストとはルーアンによって位置づけられた各分野の確信的技術者や先駆者のことだ。

軍需系の天才技師から果ては絵師、料理人や人気俳優まで、とにかく国家の豊かさの為に一助となる人物のリストだ。

帝国が今後発展していく上で無くてはならない人材を根こそぎスカウトして亡命させたのだ。

帝国がこうなっては彼らの多くが同盟の誘いに乗ったのは言うまでも無い。

なんせ、ネジ一本手に入らない帝国で過ごしたい機械技師も絵の具一つ手に入らない帝国で過ごしたい絵師もいないだろう。

そしてラインハルトは有能な軍人は十分に贔屓にしても有能な技術者に対して何か特別に報いるような人間ではない。

ラインハルトは制限をする人間でも、もちろん無かったのだが、贔屓にされる脳筋族を恨めしく思っている文化人のなんと多かったことか。

もはや帝国で何かをして全うに評価させることはない、否、それ以前に自分の技術を使って何か出来る状況まで回復するかも怪しくなってきていた。

こうして人民大移動が始まった。

ルーアンの狙いは最初からこの人間、マンパワーの吸収にあった。

混乱する最中にあって、オーベルシュタインとケスラーは健闘した方だが全銀河で1億人強の暴徒を相手に決死の戦いを繰りひろげるのに手一杯でこの事態の進行には「目も回らない」状況であった。

なおフェザーンの亡命請負人には同盟に亡命を出来る人間を選定するための要件が存在した。

その選定書、


同盟亡命者選別覚え書きにはこうある。



一、軍人で無いこと。


二、前職があり、勤労意欲があり、一般的な身体と精神を持つ50歳までの男女。


三、将来的に、二に定めた要件を満たす可能性の高い20歳未満の新生児及び少年及び青年。


四、上記要件に限らず、以後に定める特別技能を納める者。


ア、医師免許を持つもの

イ、教員免許を持つもの

ウ、帝国が定める機械技師一級を持つもの

エ、帝国が定める建築技師一級を持つもの

オ、その他、特別な芸能を納めるもの


五、マルクや帝国株を除く一定の資金や財産を所持し、同盟内での生活に不自由が無いもの


六、第二項の要件を満たす配偶者並びに保護者となりうる人間が二名以上確保出来ており、同盟による保護を受けずとも生活ができるもの



つまり高齢者及び障害者のような社会的弱者の亡命は基本認めないとしていた。

勝手に亡命する場合には国際法に則った措置がされるのだが、フェザーン商人の息がかかった亡命業者による亡命にはこれらの選定条件があるのだ。

もっともそれも袖の下次第ではあったが。

ある日、オーベルシュタインは命の危険に晒されていた。

暴徒が彼の預かる新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に大挙して押し寄せたのだ。その数、300万人。

「陛下申し訳ございません」

彼はそこで死ぬことを望んだが周囲のもとに諭されて、ケスラーと共にオーディンから亡命した。

オーディンは暴徒の支配する惑星と成り果てたのだった。

この混乱した時期に大量の人間が同盟へと亡命している。完全に機能が麻痺した帝国はそれをまったく止められなかった。

同盟は量的には3割、質的には9割以上の人的能力の確保に成功したのだ。

当時、同盟150億人(元フェザーンの20億人を含む)、共和国100億人、帝国150億人だった。

こうして帝国から45億人程の亡命を受け入れた同盟の人口はこの物語の始まる前の130億人から200億人規模にまで膨れ上がったことになる。

こうして同盟は技術力を格段に高めるとともに文化的絶頂を迎え、対する帝国は軽く1千年は文化圏を退化させる事態になった。

沈み往く帝国に残った者はラインハルトを敬愛する屈強な軍人と帝国をこよなく愛する酔狂なロマンチストの他に同盟に亡命する気力もない高齢者や働く気の無い者たちであった。

すこしでも向上心がある者はこぞって同盟に亡命した。

そして、それを受け入れる物量をしっかり確保している同盟は彼らを暖かく向かい入れたのだった。



◇◇◇◇◇



オーベルシュタインとラインハルトが再開したのは銀河の上であった。

状況は最悪をとうに通り越している。

国家の崩壊、その寸前だ。

「陛下、申し訳ありません。この処分は如何様にもうけます」

頭を下げ首を差し出すオーベルシュタインを見たラインハルトは処分については何も言わず。

「状況はすでにわかっている。まずはオーディンに帰還するぞ」

大軍を引き連れて帰って来たラインハルトは一夜にして暴徒たちから新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)を取り返した。

美術品と言う美術品が奪われ、悲惨な有様となった新無憂宮を見て彼は苦笑した。

「今の俺にお似合いの宮殿だと思わないかキルヒアイス」

「ラインハルトさま。ご自愛を」

彼は随分と薄汚れた王座に腰掛けると言った。

「俺は今後どうすべきだ?さすがに何が起こったかは理解できたが…。」

一同は黙った。何ができるかなど言えるほど何かを出来る見込みもない。

「俺は同盟に復讐すべきか?」

「陛下。それは無理です」

だろうな。彼は呟いた。

「では軍はどうする?増強するか維持するか…」

キルヒアイスは沈痛な面持ちで言った。

「…軍縮するしかありません。もはや、我が方に大軍を維持する余力はありません。」

「だろうな。まったく」

ラインハルトは目を細めた。

「俺はここまでか?答えよ。ロイエンタール」

ミッターマイヤーはぎょっとした。彼としてはロイエンタールが何を言い出すか計りかねたのだ。

指名を受けたロイエンタールは笑った。

「むしろここからではありませんか?皇帝陛下」

貴方はまだ若い、そう諭したのだ。

その遠慮の無い言葉にラインハルトは満足した。

「同盟に援助を要請する。以上だ」



◇◇◇◇◇



「げ、マスター・キブリーが負けた!?」

何がそんなに衝撃的なのかユリアンはヤンが見ている新聞を横から覗き見た。

三次元チェスのグランドマスター、七冠王キブリー・オーマーが帝国から亡命して来た帝国チェス界の皇帝ミシェル・フェブチェンコに負けたのだ。

彼らは新設された初代銀河統一王者決定戦を戦っていた。

7番勝負の最後までもつれ込んだ熱戦はミシェルを王者と選んだようだ。

大のキブリー通を自認するヤンは負けを激しく悔しがった。

さすがの彼もこの勝負の行方までは分からなかったようだ。

「くそ、これでは賭けた500ディナールをポプランに払わないといけないじゃないか!」

その呟きを耳聡く聞き入れたフレデリカはにこりと笑うと言った。

「では当面、アルコールの入った紅茶はアルコール抜きですね。元帥」

「え?」

目を丸くしたヤンは慌てて、同棲を始めたばかりの女史にそれだけはご勘弁をと話をしだした。

その様子にユリアンは苦笑した。

ユリアンがソリビジョンをつけるとテレビでは帝国史上最高のプレーヤーと謳われたミハエル・エルハイムを獲得し、ウルトラボウル争奪に名乗りを上げたフライングボールの元弱小チームが同盟の超天才的プレイメーカーのエレン・ハッシー率いる銀河系集団に立ち向かっていた。

ユリアンが思わず身を乗り出すような熱戦だ。

勝負はさすがに銀河系集団に軍配が挙がったが一人奮闘したミハエルが最高得点をマークしてMVPに輝いた。

実はユリアンはミハエルのチームスカウトから誘われている。

彼としては軍人になり、偉大なヤンの後を継ぎたいのだが、どうにも世相が変わってきた。

「もう戦争なんて流行ないさ。お前はフライングボールの選手になれ」

とヤンに言われてユリアンとしてはしぶしぶ、その道を選ぼうと考えている。

大量の帝国民の流入を同盟は暖かく向かい入れた。

『帝流』などと名付けられ、一大ブームメントになっている。

帝国技術者と同盟の技術者の共同開発で新機軸の宇宙船が発表されたりもした。

芸能では伝説的なミュージシャンの銀河を超えたコラボが実現し、今年の新年歌謡ライブは紅白で帝国と同盟に分かれるらしい。

帝国の一大トレンディー俳優と同盟の伝説的女優の結婚なども報じられている。

帝国が悲惨な一方で同盟はまさに文化の春を謳歌しているのであった。

一方で着実に帝国と共和国の封じ込め作戦は行われている。

亡命してきたアルトン・ヒルマー・フォン・シャフト元技術大将の協力の下、フェザーン回廊とイゼルローン回廊に追加でイゼルローンと同級の移動可能な戦術要塞を3つずつ浮かべる案が議会で決定されたのだ。

この決定にはヤンも唖然とし、言葉を無くした。

ユリアンが、

「同じように攻略できますか?」

と聞けば、彼は苦笑し、

「いや、3つは無理だろう」

と呟いた。

普段は一つの要塞が回廊を閉鎖し、有事となれば他の要塞が移動して来て、あの狭い回廊を完全閉鎖することになる。

この作戦はイゼルローンⅡ~Ⅵ、完成までの膨大な製造費用を考えれば途方も無い無駄とも思える一方で、確かに一度作ってしまえばこれほど「手間が掛からず」に銀河を完璧に封鎖できる案も無いと思えた。

完成してからの運用コストは実際に大量の軍を敷いて守るより安上がりだ。

それはイゼルローンを見てその有能さを知っているヤンだからこそ断言できることではある。

大体、同盟には現在、腐るほど金も物資もあるのだ。必要なインフラ事業と言う面もあるのだろう。

「おい、ユリアン。帝国、同盟、ラーメン11番勝負だって、まさかルーアンはラーメン屋までVIP待遇で亡命させてないだろうな」

「美味しそうですね」

呟く二人にフレデリカが、

「では、今日はラーメンにしますか?」

と訪ねるとヤンが思わず、

「え、君が作るのかい?」

と呟いてしまったから、さぁ大変だ。

泣くフレデリカにまたも釈明に没頭するヤンを見ながらユリアンは笑った。

この二人も来年には結婚予定なのだ。

「春ですね。全く」

来年の今頃はユリアンもプロフライングボーラーとしてヤンの元を立つ。

世界は変わった。

その事に少しだけユリアンは寂しくなってそっと溜息をついたのだった…。



◇◇◇◇◇



帝国が同盟に保護を要請したことは衝撃を与えたが賢明な判断だと多くの人間が感心した。

同盟議会は焼却処分を決定していたライヒマルクの大半が焼却場から盗み出された可能性があると発表し、今回のインフレーションで一定の責任があったことを認めた。

そして帝国に対して人道支援を行うと決定した。

マルクを盗んだのはだれか。

犯人はフェザーン商人だと考えられていた。

帝国を飛ばしたのはフェザーンの亡霊であり、彼らは同盟の当て馬にされたことからラインハルトに対して相当な恨みがある。

その無念を今回のインフレで晴らしたのだとしきりに噂になった。

帝国、同盟両国民はフェザーン恐るべしと口々に囁きあった。

実際これを期にフェザーン経済とフェザーンの商人たちは復権を果たしている。

優秀な同盟議会は、意外にも早々に事の真相解明を投げ出し、ことは完全に闇に葬り去られてしまった。

一方、帝国が同盟の保護下となったことで共和国は手を出しづらくなった。

ブランシュヴァイク公の引退は皮肉にもトリューニヒトとのホットラインが崩れたことを意味しており、年若い新しい議長にトリューニヒトは難色を示し、「お前みたいなのに出てこられても…」と相手にしなかったのだ。

共和国にしても同盟を敵に回すわけには行かない。

しかし、ブランシュヴァイク公の引退はいくつかの密約を反故にする絶好の機会になってしまった訳だ。

結局、メルカッツたちは「もはや已む無し」と事を戦争から実務レベルの交渉に切り替え、フェザーン回廊を望むオーディンを含む銀河半分を帝国領、イゼルローン回廊を望む銀河の半分を共和国領として国境線を作る、大規模な和平に応じたのだった。

こうして、ようやく銀河に本格的な平和が訪れた。

帝国暦490年。宇宙暦799年。1月1日。

ハイネセンに各国首脳を集めて条約が取り結ばれた。

『バーラトの和約』

新しい時代の幕開けであった。



◇◇◇◇◇



年が明けて、いくつかの出来事が起こっている。

まずはヤンとフレデリカの結婚だろう。

ヤンはスピーチで、

「細君はイゼルローンより難攻不落の身持ちの堅い素晴らしい女性で、しかもイゼルローンより良い女房だ」

と述べるとキャゼルヌは失笑し、

「攻略されたのはお前の方だろ」

と野次れば、妻の方も

「ミラクル・ヤンを落とすのは簡単でしたよ」

と言ってしまったからヤンの顔は真っ赤になってしまった。

ヤンは後々、この日を指して『人生最大の恥をかいた日』と述べたが、彼らの円満な夫婦仲を知る者たちはまったく取り合わなかった。

帝国ではラインハルトとヒルダが結婚した。

突然の出来ちゃった婚であったからとにかく周囲は驚いた。

これにはミッターマイヤーとロイエンタールもお互いを見合い、

「陛下も男であったか」

と笑いあったという。

同じ式場でキルヒアイスとアンネローゼも結婚式を挙げた。

壮大にとは行かなかったが中々見栄えのする式になった。

この年最大の衝撃はトリューニヒトの引退だろう。

再選の時期にあって彼は出馬を止めたのだ。

驚く周囲に彼は「すでにこの身の天命は果たした。以後はこの銀河の平和を暖かく見守っていこうとおもう」と述べたそうだ。

新議長に選ばれたのはジェシカ・エドワーズであった。

彼女は初心演説で、

「トリューニヒト議長の成し得たこの偉大な平和を不断の努力で守り維持することこそ私の使命です。全力を挙げ努力して行きたい」

と述べたという。



◇◇◇◇◇



この銀河は望む、望まずに関わらず数多くの英雄を生み出してきた。

しかし、同盟が銀河の主権を握ったとされるこの動乱の時代に目立った英雄の姿を見ることはできない。

トリューニヒトを一種の英雄と考える人も中にはいる。

彼が大政治家であることは疑う余地もないが、しかし英雄と呼ぶには違和感があるのだ。

彼は偶然に助けられ、運よく大勝を得た政治家であって大した事はないと考えるものも多い。

彼の性格についてはかなり正確に後世に伝わっているのも皮肉的なものである。

ヤン・ウェンリーはどうだろうか。

イゼルローンを見事落とした彼は同盟復興の立役者であり、間違いなく英雄である。

ただ目立った英雄かというとどうだろう。

元帥になった後はさしたる実績も上げないまま任期を全うし、引退してからは何度も委員長職として招聘を受けながらものろくらと断り、売れぬ歴史書を書き続けた奇人を評価するのは何とも難しい。

しかし、一方で彼をこの一連の事件の首謀者だと考える向きは実に多い。

軍人を退いた後には売れない歴史作家として鳴らした物好きヤンが、後世においては後輩の歴史作家から歴史ミステリーの主題として何度も顔を出す事になるのは、いやはやエスプリが利いている。

なぜ、彼が其処までに歴史ミステリー作家たちから気に入られているのか。

それはヤンが晩年に発表した「戦略論」という本の存在があるからである。

ヤンはただルーアンのやったことをまとめただけなのだが、これが歴史の壮大なネタバレ本としてベストセラーになってしまったのだ。

売れない歴史作家ヤン、渾身のヒット作である。

この本の存在からヤンはトリューニヒトら政治家を自在に操って陰謀と政略にて銀河の天下を取ったのだと主張する声が多い。

一方でトリューニヒトとヤンが反目しあっていた事実や、彼が終始、イゼルローンで何をしていたとも見えなかったこと。

ここら辺がどうにも、つまり、謎(ミステリー)らしい。

ヤン・ウェンリーその謎の生涯と銘打った歴史ミステリーは未だ人気の高いのである。

謎多き男ヤンはさて置いて、ジェシカ・エドワーズを英雄視、いやヒロイン視する目は圧倒的に多い。

実際、彼女はその後の銀河における一大スターであった。

トリューニヒトの後を継いだ彼女は実に12年、3期に渡って再選され、任期中は平和活動と各国への人道支援に揺ぎ無い信念を持って立ち向かい、全銀河に平和を齎した一大レジェンドである。

紛争解決に向け、巨大な経済基盤を武器に「停戦か、制裁か」を合言葉として、選択を迫る彼女を人々は「鋼鉄の女王」と呼んだそうだ。

汚職が横行する当時の議会において、政治的汚職を絶対に許さず、清廉で堅実な政治態度を貫いた。

一部では渾名を揶揄して「更迭の女王」とも呼ばれたそうだが、民衆の人気は絶大でまさにヒーローであり、ヒロインであった。

彼女を主題とするヒーロームービーは多数存在し、この時期の人物としてはミラクル・ヤンと人気を二分する存在である。

ただ、活躍の時期が違う。彼女が活躍するのはもうすこし後の銀河である。

同盟はこんな感じだ。では他方に顔を向けてみよう。

ラインハルト・フォン・ローエングラムはどうであっただろうか。

一時は「受難王」と言うなんとも皮肉気な称号を得た彼だったが、後世には「不屈王」とか「不死王」と呼ばれた。

あるとき、彼は原因不明の大病を患った。

皆が皇帝の命運つきたと諦めたとき、彼は死の淵から不屈の精神でこれを乗り越えたのだ。

まだ負けられぬという反骨心が彼の魂を現世に縛り付けたのだ。

これが「不屈王」、「不死王」の渾名の直接的エピソードになるのだが、一方で不死鳥のように帝国を蘇らせた王としてもその名を印象付けさせている。

彼はジェシカ・エドワーズの支援を受けると、軍縮を進める一方でインフラの再整備、亡命問題により進んだ高齢化社会や無気力無労働者問題に立ち向かい、これを解決したのだ。

最初の頃こそ独裁的と非難された彼だが、以後、優れた政治手腕を発揮し、帝国を蘇えらせたことから非常な人気を得るに至っていった。

彼は特に「不死王」の渾名を気に入っており、後年は家紋のモチーフを獅子から不死鳥に換えている。

何度でも「蘇える」ことを願っていたわけだ。

ただ、彼の「いつの日か、もう一度、銀河の覇権争いに乗り出す」という夢がついに叶うことはなかった。

ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツはどうだろう。

銀河動乱の最後において、彼の銀河でラインハルトと壮絶な死闘を演じ敗れた彼を今まで上げた偉人と同列に上げるのは間違いだと思われる人も多いかもしれない。

実際、彼は21万隻の大軍を率いて11万隻に過ぎない帝国軍に大負けした将だ。その敗戦はどうにも拭えない彼の人生の汚点であろう。

しかし、「共和国の父」と呼ばれた彼を地味ながらラインハルトと同列の偉人と見る向きは非常に多い。

彼を褒めるとまさに歴史通だといわれるぐらい、彼の功績は隠れて素晴らしい。

ラインハルトとの戦いに敗れた彼ではあったがその後、議員を一新した新生の共和国議会の相談役として長く顧問を務め、数々の政治的改革の主導的立場を担った。

彼が見初めた新しい銀河を担う若者たちは実際、大成した。

共和国は瞬く間にその基盤を固め、旧帝国の半分の覇権を揺ぎ無いものとしたのだ。

身に爆弾を抱えた帝国と比べて、共和国は経済的にも早々に自立を果たしている。

帝国とは以後、何度も小競り合いを繰り広げたがその全てで勝利していることからも共和国民の「我らは帝国より、強国だ」と言う自負は噓偽りのない真実であった。

事実、「鋼鉄の女王」ジェシカ・エドワーズがいなければ、彼らはラインハルトを討ち滅ぼし、旧帝国の銀河を平定していただろう。

さて、ルーアン・ヒィッドーはどうだったろう。

彼は自らの政治的実験を為し得た後は、とある美人の妻を見初めて、結婚した後で隠居し、細々と、とあるレストランを経営しながら余生を過ごしたらしい。

彼はそこで意外にも達者な包丁捌きで訪れる来客に料理を振るまっていたそうだ。

このレストランにはお忍びで数多くの著名人が訪れたそうだがその事を知る人はほとんどいない。

実際ここまで名前が挙がった偉人はほぼ全員、この店に一度と言わず足を運んでいるそうだ。

ただ彼らがそこで何を話したかは今となっては杳として知れないことであった。

唯一、例外的に一般に知られる人物はヤン・ウェンリーだろう。

彼はそれこそ事ある毎に何度もこの店に足を運んでいるし、著書の後書きでいきつけの店として何度かその名を挙げている。

そういうわけでこの店は彼のいきつけの店としてのみ、後世の歴史に名前が残っている。

また、一般には知られていないがジェシカ・エドワーズは大変な政局を向かえる度にこのレストランを利用していたらしい。

いずれにせよ、彼のその存在が銀河の歴史に刻まれたことは一度も無い。



◇◇◇◇◇



このように、ルーアン・ヒィッドーが生きた銀河は動いた。

我々の知る彼の輝く英雄譚、銀河英雄伝説に比べて、なんと英雄たちの冴えないことであろう。

時代が英雄を求めず、愚者に戯れに勝利を与えたそんな時代。

銀河の愚者の伝説。

それはまさに伝説という名に相応しい深いヴェールにその真実を隠し、幕を閉じたのであった。



                                                             銀愚伝――FIN


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