「あのナナシさん、もうよろしいですかな?」「……ああ」終了を確認するプロスの言葉に肯定の返事を返すナナシ。時間にしてものの数分、突如ブリッジにやってきたナナシとヘンリーの会話はものの数分で終了した。「ヘンリーさん、お手数をお掛けしてすみませんでした」「いや、別に気にしちゃいねぇさ」面倒くさそうにヘンリーは無愛想な返事を返す。まるで、どうでも良さそうな気だるげな雰囲気さえ感じられる。「ありがとうございます。それでは、どれぐらいの期間になるかはわかりませんがよろしくお願いします」「了解。ま、できる範囲でがんばらせてもらうさ」最後にそう挨拶を交わして通信が切れる。同時にそれまで漂っていた微妙な緊張感が消え、待機していたメンバーから安堵の溜息が皆からもれた。「さて、ナナシさん。どうしてあのような事をお聞きになったのか説明していただけませんか?」話した会話の内容は至ってシンプルなものだった。正確にはナナシが相手に幾つか質問しただけ。しかも、特に意味があるのかとさえ思えるような良くわからない質問をしただけであった。「……少し気になる事があっただけだ」プロスの問いにもナナシはそう答えるだけ。彼としてはその内容も聞きたかったのだが、結局ナナシはそれ以上答えようとはしなかった。「ふうむ……仕方がありませんな。まあ貴方にはまだ色々聞きたい事がありますし、今回は不問としましょう」「すまない」「いえいえ、お気になさらず」場の空気を考えたのか、あっさりと引くプロス。何より、これ以上聞いてもナナシがこの場で答えまいと判断したのだろう。「さて、この件はこれぐらいにして……皆さん、この後ナデシコは北極冠遺跡付近の研究所に向かっています。その事についての作戦会議を開きたいと思うのですがどうでしょうか?」「うむ、そのほうがよかろう」「はい、私もそれでいいと思います」主要メンバーを集めて会議をするというプロスの提案にフクベ提督がうなずき、ユリカの賛成の言葉が続く。「ふむ、では提督と艦長の許可もいただけましたので早速始めた方がよさそうですな」「そうですね。早速やっちゃいましょう。善は急げっていいますしね」「それでは早速会議に必要な人物が集めなければいけませんな。艦長、よろしくお願いします」「はーい」そう言うなりコミュニケを解して会議に必要な人物を呼び出していくユリカ。次々と通信画面を開き、リストアップした人物に声をかけていった。「あれ、ナナシさん、どこへいくんですか?」とその時、いつの間にかブリッジを出て行こうとするナナシにルリが気づく。「俺は部屋に戻っている」「できれば貴方にも会議に参加してほしいのですが……」「まだ完全体調が回復していなくてな。少し休ませてほしい」「そういえば、貴方はまだ病み上がりでしたな……それでは仕方がありませんね」「すまない、迷惑をかける」「いえいえ、ごゆっくりしてきてください。体は何より資本ですから」「感謝する」10話:イレギュラー独特の空気が抜けるが音が響き、部屋の扉が閉まる。真っ暗な部屋に明かりが灯り、簡素なベッドとテーブルが一つ置かれているだけの生活臭の感じられない部屋が浮かび上がった。「結局、ほとんど何もわからなかったな……」完全に一人になった瞬間、ブリッジを出てからずっと考えていた考えが思わず口にでる。以前の歴史では存在しなかった存在。本来ならばここで朽ちるはずだった自分を助けた存在。そう、今まで変化らしい変化が無かった歴史に、ついに大きなイレギュラーが現れたのだ。(一体何者だ……あいつは?)正体不明の相手。一番初めに思い浮かんだのは木連の工作員という考えだった。確かに未だに有人ジャンプが実用化されていない木連でも、火星ならば十分工作員を送り込んでいる可能性は十分にあるし、単身で火星までたどり着いた自分達と同じくグラビティブラストとディストーションフィールドを搭載した新型実験艦であるナデシコに接触を試みる可能性もありえないわけではない。だが、その考えはすぐに否定した。何しろ、相手の乗っている機体はどう見ても木連のもの無かった。大きさだけを見ればマジンやテツジンに近しいものはあったかもしれない。だが、全体的なフォルムから見ても系統が明らかに木連のソレとは大きく違っていた。(俺の知らない火星の生き残りか……?)火星の生き残りが開発した機動兵器という可能性もありうる。これならば自分が知らなくてもおかしくは無いし、バタフライ現象で多少の歴史が代わり自分達と遭遇しただけかもしれない。だが、この考えも良く考えれば矛盾点が出てくる。何しろあの兵器はあの状況下から自分を救い出したのだ。ならば、少なくともバッタ程度ならば簡単にあしらえるほどの性能を秘めているということになる。最新鋭の機動兵器エステバリスを搭載したナデシコならともかく、地球の軍隊すらまだまだ煮え湯を飲まされているバッタを簡単にあしらえるほどの兵器を今の火星で作れるだろうか?答えは無理だ。いや、正確には限りなく不可能に近いというべきだろうか。「……やはりこれ以上はわからないか」体を動かすことには慣れているが、何時までたってもこういった頭を使う作業は苦手だった。木連でもない、ネルガルでもない、機体の系統から見ても明日香インダストリーやクリムゾンでもない未知の相手。自分の考え付く限りの推論を頭の中に並べてみたがやはり答えはでなかった。「……ん」とその時、ふともう一つの可能性が頭を過ぎる。「まさか……」普通に考えれば馬鹿らしいとさえ言える答え。自分でも、少し考えすぎではないかと思うほどの答え。そう、思わず冗談かと笑い飛ばしても可笑しくないような答えが頭に思い浮かんだ。「古代火星人の遺物……」その答えを口にした瞬間、背筋に寒気を感じる錯覚に陥る。古代火星人。遥か昔火星に存在し、今からでは考えられないほどの超科学文明を作り上げたという人々。もしもあの機体が彼らの作ったものだったとすれば……。(笑えん冗談だ……)なまじ遺跡という前例が存在するだけに、笑い事では済ませれる答えでもなかった。それに万が一あの機体が古代火星人が作った物ならばどんな機能がもりこまれているかわからない。最悪、星一つぐらい吹き飛ばす機能が付いていてもおかしくは無いのだ。「くっ……どちらにしろ情報不足か」考えが混乱する前に、無理やり思考を断ち切る。とりあえずこれ以上考えてもきりがない。結局のところ今までの考えは全て自分の推論にしか過ぎないからだ。あのディンゴとか呼ばれた男が敵にしろ味方にしろ、自分のできる限りのことをするしか選択肢はないのだ。「……ゴホッ、ゴホッ」……だが、とりあえずは今の自分には少し休息が必要らしい。口元を抑えた手に付いた赤黒い液体がそう物語っていた。今回の暴走はタイミングは兎も角、まだ致命的なものではなかった。だがこの大事なときにまた暴走されては堪らない。(仕方ない……念のためしておくか)そう思った自分は部屋の墨に置いてあった小さなケースの中からアンプルを一本取り出した。それはランダムジャンプする前日に偶然補充した、最新のナノマシン抑制剤。それを無造作に無針注射器にセットすると首に打ち込んだ。シュっという音と共に空気圧で体内に一気に注入される抑制剤。暫くすると、それまで鉛のように重かった体が少しだけ軽くなった。「残りは……あと5本か」補充した抑制剤の本数は全部で10本。そして今回の使用でちょうど半数を使ってしまった。この世界では自分の命綱に近しい抑制剤。今後はさらに慎重に使用しなければならないようだ……。(すこし……眠るか……)薬の副作用で襲ってくる軽い眠気。目覚まし用のタイマーを一時間後に合わせ、そのままベッドに倒れこむ。もちろん熟睡はしない。ただ、体を休めるだけの浅い眠り。だが、そのわずかな眠りを今の自分の体は必要としていた。(まだ持ってくれよ……俺の体)数分後、真っ暗な部屋にはわずかな吐息の漏れる音だけが響いていた。____________あとがき今回はナデシコパート