「反応は?」「今、相手から識別反応が着ました。記録と……一致してます」「では、あれは紛れも無く……」重苦しい声で頷くフクベ。そんな彼の視線の先には、ところどころが厚い氷に覆われたまるで廃棄物のように鎮座している鋼の塊。――そう、地球でチューリップに吸い込まれたはず駆逐艦クロッカスの姿が映っていた。11話:裁く者、裁かれる者「で、でもおかしいです。 アレが吸い込まれのは地球じゃないですか……それがどうして」「それは前にもご説明したように、チューリップは木星トカゲの母船ではなく一種のワームホール、もしくはゲートだと考えられる。だとすれば、地球でチューリップに吸い込まれた船が火星にあってもおかしくはないでしょう?」地球で吸い込まれたはずのクロッカス何故火星に。皆が思っている疑問を口にしたユリカに、イネスがすぐさま説明を入れる。それを聞いた皆は多少の差はあれ、納得した表情を浮かべている。だが、納得した表情を浮かべているその中で唯一現状が把握できていない人物がいた。「おい、一体何の話だ?」そう、ヘンリーである。通信画面越しに、この会話に参加していた彼だけが今の会話の意味を理解していなかった。「そういえば貴方は事情を知りませんでしたね」そう言いつつ、プロスがヘンリーに事情を説明する。あの戦艦、クロッカスが地球でチューリップに吸い込まれた船だということ。そして何故クロッカスが火星にあるのかということを。「なるほどな……で、どうするんだ?」「ヒナギクを降下させます」「いえ、その必要はないでしょう。我々には優先すべき目的がありますので」「ですが、もしかしたら生存者が――」「無駄です」「――え?」「あの戦艦から生体反応は確認されません。生存者がいる可能性はほぼ0です」生存者を確認しようとした艦長の言葉を、エイダが遮る。そして淡々とした声で結果が無残な――いや一部の人間にとっては予想されていた結果が報告された。「そんな……」「艦長、ここは先を急ごう」絶句するユリカに代わり、フクベ提督が先を促そうとする。だがその瞬間、ブリッジに駆け込んでくる一人の人物がいた。「あ、あの! 俺聞きたい事あるんですけど」テンカワ・アキトである。「何をやっている、今頃のこのこと」部屋に入ってくるなりフクベ提督に詰め寄る彼をゴートが注意するが、アキトはそれを無視して話を続ける。「提督、第一次火星開戦の指揮とっていたって――」「まあまあ、昔話はまた今度にでも……」不自然に会話を遮ぎるプロス。どうやら彼の出身地を思い出し今後の展開を悟ったらしく、急いで対処をしようとしたらしい。だがその努力も、状況を理解していないユリカの次の言葉によって一瞬にして無駄になる。「フクベ提督があの開戦を指揮していたなんて誰でも知ってるわ、おかしいわよアキト」「そうさ知ってる。初戦でチューリップを撃破した英雄……でもその時の火星のコロニーが一つ消えた……」何を当たり前の事を、と言わんばかりのユリカ台詞にブツブツと事実を確認するかのように呟くアキト。そしてその呟きを言い終えた瞬間、彼の脳裏にフラッシュバックした過去の光景が今まで抑えていた彼の激情をあふれ出させた。「うわあああああああああああああ」怒声を上げて目の前にいるフクベ提督の胸倉を掴むアキト。「あんたが、あんたが、あんたがああああああああぁぁぁぁ」そしてそのまま勢いにまかせて相手を殴りつけようと腕を振り上げた。「そこまでだ」だがそこまでだった。振り上げたその手は、現れた第三者の手によってがっちりと固定され、空中に静止していた。「ナ、ナナシさん……!?」「い、何時の間に!?」驚くブリッジのメンバー。特にプロスとゴート等は驚愕に目を見開いている。それもそうだろう、一般人である他の者達だけならまだしも彼らでさえも彼が何時ブリッジに入ってきたのかわからなかったのだ。「っ!? どうしてアンタが止めるんだ!」「……」「離せよ! 俺は、俺はコイツ殴らなきゃいけないんだ!」「……」アキトは怒声を叩きつけながら、必死に腕を動かそうとする。だが、ナナシが抑えている手はピクリとも動かそうとはしない。「どうしてこんな奴庇うんだよ! コイツは……コイツはユートピアコロニーの皆を、アイちゃんを!」「……お前が提督を殴ればその皆は戻ってくるのか?」ブリッジに一際低い声が響く。その瞬間、今まで叫んでいたアキトの動きが嘘のように止まった。「え?」「お前が提督を殴れば、その殺された皆は戻ってくるのかと聞いている」低く、重く。ただ淡々と語りかけただけのような単調な声。その中から僅かに漏れ出した感情が、理性を失ったアキトに一瞬正気を戻させる。「そ、そんなの戻ってくるわけないだろ!」「なら、お前が提督を殴っても意味がないだろう」「だからってコイツを許せっていうのかよ!? コロニーの皆を殺しておいてのうのうと地球に逃げ帰ったコイツを――」だが、ナナシの言葉にアキトは激昂する。そして叫び声を上げながら無理やり腕を振り切ろうとした。「――いい加減にしろ!」が次の瞬間、ナナシの怒声と共に彼の拳がアキトの胴体に深々と食い込んだ。「ゴホッ! ……ぐっ、げぇ、おぇっ」「ア、アキト、大丈夫!?」呻き声を漏らしながらその場に蹲るアキト。アキトは呼吸するのもままならないのか、駆け寄ってきたユリカの声すら耳に届いていない様子だ。「ちょっとナナシさん、アキトに何てことするんですか!」ユリカはアキトの背中をさすりながら、アキトを見下ろしたまま動かないナナシを非難する。「言葉が通じなければ、多少手荒いことをするしかあるまい」「で、でも、幾らなんでもここまでするなんてやりすぎです」「叫ぶだけで何も理解しようとしない馬鹿には、これぐらいがちょうどいい」だがナナシはそんなユリカの非難に対して悪びれた様子すら見せない。それどころか、ただ当たり前の事実を語るかのように言い返す。「ぐっ、ゴホッ、ゴホッ……だ、誰が馬鹿だ! それに何も知らないアンタがいったい何を分かるっていうんだよ!」漸く呼吸が落ちついたのかアキトが立ち上がる。そしてその勢いのままナナシにその心の内の感情を思うままに投げかけた。そう、無関係なお前に分かるわけがないと言わんばかりに。「分かるさ」「え?」だが、帰ってきた答えはアキトの予想とは違っていた。「俺もユートピアコロニー出身だからな」「「「「――!?」」」」いや、それどころかそれはブリッジに居る全員をも驚愕させる答えであった。何しろ今まで幾ら調べても分からなかったナナシの過去が、彼の口から語られたのである。「そんな……だ、だったらなんで――何でアンタはコイツを許せるんだ!? コロニーの皆を殺したコイツを!」」」一瞬足場がぐらついた錯覚を覚えながらもアキトは言い返した。自分にはその資格がある。自分と同じ立場の人間なら誰もがそう思ってくれる。だから今彼の言葉にそのまま頷いてしまえば、それまで信じていた事か根本から崩れさってしまうような気がしたのだ。「さっきも言ったが提督責めたところで死んだ人たちは帰ってはこない。 それに提督はずっと自分の罪を理解し、今もなお悔やんでいる。ならば俺がこれ以上提督を責めたところで意味はない」「そんなわけない! こんな英雄扱いまでされてぬくぬくと暮らしてた奴が後悔してるだなんて嘘に決まってる!」アキトの怒りの矛先はいつの間にか提督からナナシへと向けられていた。何故許せる?何故罵らない?何故コイツのやった事を知っていながらそんなに冷静にいられる?どうして自分と同じ立場でありながら、何故自分と考えが違うのか?到底納得できない感情の波がそこにあふれ出していた。「何とか言えよ!」「……」「本当はコイツは後悔も何もしちゃいない……そうなんだろ!?」早く頷けと言わんばかりのアキトの叫び。だがそれらの叫びは事実を問いただすというよりも、寧ろそうあってくれという自らの願望が混じっている事に彼は気づいていない。「……提督はこのナデシコの目的地が火星であると知っていて乗った」突然、ナナシがポツリとそう呟いた。「それが何の関係があるってんだよ!」まるで関係ないように感じられる彼の呟きにアキトが叫ぶ。「ナデシコの目的の一つに火星の生き残りの救出だ」だがそんなアキトの叫び声を無視して静かに独白を続けるナナシ。彼が一体何が言いたいのか?無関係な事を言って話を誤魔化そうとでもいうのか。「だから、それが一体何の関係が――」だからアキトにはナナシが何を言おうとしているのかわからなかった。いや、彼が何を言おうと理解する気すらなかった。「なら、もしもその助けた生き残りが提督の事を知ればどうなる?」「――!?」だけど次のナナシの言葉を聞いた瞬間、彼は理解してしまった。彼が何を言わんとしているのかを……。「そう、罵られる……いや、それどころか今のお前のように怒りに身を任せる者だっているはずだ」ナナシはそんなアキトを見ながら言葉を続ける。「だが、それでも提督がこのナデシコに乗った。その理由をよく考えてみるんだな」そして最後にそう言い切ると、そのまま部屋の隅に移動すると壁に背を預け、再び何事もなかったかのように黙り込んだ。「……」アキトの動きが止まる。彼の頭の中でナナシの言葉が何度も反芻されていた。理解したくないのに……。絶対に許せないのに……。そう思えば思うほど、ナナシの言葉に自分の怒りが削られているような気がした。(で、でも……)それでも彼の怒りの炎は完全には消えなかった。ナナシの言葉に徐々に鎮火されかけながらも、燻り続けていた。確かに彼は自分の犯した罪に苛まれているかもしれない。それで罪滅ぼしをするために火星にきたのかもしれない。だが、それが理由になるのだろうか?故郷を。コロニーの皆を。そしてアイちゃんを一瞬で奪ったコイツを許せる理由になるのだろうか?(やっぱり……許せない)燻っていた怒りの火が再び燃焼しはじめる。理屈では分かっていても、感情が納得しなかった。頭が理解していても、心が納得しなかった。消えかかっていた怒りの炎が再び、赤々と燃え上がってくるのをアキトは感じた。「おい坊主」だがそんな彼の感情が再びあふれ出す寸前、不意に声を掛けた人物がいた。ヘンリーが彼に声を掛けた。「……へ、俺?」「そう、お前だ」そう、ヘンリーである。通信画面越しに傍観していたはずのヘンリーがアキトに声を掛けたのだ。「お、俺に何か用ですか?」まさかまったくの無関係とも言える彼に声を掛けられるとは思ってもおらず、一瞬怒りを忘れキョトンとした表情で返事を返すアキト。「おめぇ、まだ納得してねぇだろ?」「――っ!?」そしてその直後、行き成り図星を突かれた再び驚愕で目を見開いた。「ど、どうして……」「わかったのかってか? そりゃあ人間何でもかんでも理屈で直ぐに納得できりゃあ世話無えっての」何を当たり前の事をと言わんばかりに呆れた表情でヘンリーはそういい返す。だが、アキトはその言葉に驚きながらも、共感を覚えた。やはり自分の考えはおかしくないのだ。自分が今からしようとしている事は正しいのだと。「だがな坊主、こう言っちゃなんだが……俺からみてもやっぱりお前にそのおっさんをどうこう言う資格は無えと思うわ」「――え?」一瞬、アキトは耳を疑った。勢いづきかけた心が一気に冷めたような錯覚さえ感じた。資格が無い。聞き間違いなければ彼は確かに今そう言ったのだ。「さっきからお前は知り合いを殺されたことに怒ってるんだよな……ってことはお前はその現場に居たってことなんだよな?」「そ、そうですけど……それがどうかしたんすか」「ってことはお前さんはそんな周りの皆全員死んじまうような状況下で、自分だけが運良く生き残ったってことでいいんだよな?」「当たり前じゃないですか。でなきゃ俺は今ここにはいません」何故そんなわかりきった事を聞くのか?そんな答えの分かった質問をするヘンリーに戸惑いながらもアキトは答えた。だがそんなアキトの答えを聞いた瞬間、ヘンリーの目つきが変わった。「って事はお前はそこから逃げたってことだろ?」「――え?」「お前さんはそいつらを助けずに一人でのうのうと逃げ延びたってことだろうが」「ち、違うっ、俺は逃げたりなんかしてない! 俺は、俺は助けようとしたんだ!」「そうかい? だが、どちらにしろ助けられなかった事に変わりないんじゃねぇか」「――っ!?」確認するかのようなヘンリー言葉がアキトの胸に突き刺さる。アキトは必死に何か言い返そうとするが……その何かは出てこない。「結局お前さんもそのおっさんも守りたいものが守れず、生き残った同じ穴のムジナってこった……」「……」アイツと同じ。その言葉にアキトは完全打ちのめされた。言い返したくても言い返せなかった。今度こそ気づいてしまったのだ……。自分も……アイちゃんを助けられなかったという現実から逃げていただけだったということに。「ま、俺も人の事は言えんがね」「え?」不意に聞こえてきたヘンリーの声にアキトは彼の方を振り返った。「いや、なんでもねぇ……それとそこの真っ黒野郎」「……なんだ?」だが、ヘンリーは振り返ったアキトにはそれ以上何も言おうとはせず、誤魔化すように話の矛先をナナシへと変更した。ナナシもまさか自分に話を振られるとは予想していなかったらしく、返事を返すまでに数瞬を要する。「さっきから聞いてりゃ、何もかも分かったような口ぶりでこの坊主に説教してたが……案外お前もコイツぐらいの年には同じような経験があったんじゃねぇのか?」「……想像に任せる」「……へっ、そうかよ」一瞬交錯する視線。その後に無愛想な顔をしながらどちらとも取れる答えをナナシは返した。「どうやら落ち着いたみたいですね。 それでは皆さん、ナデシコはもう直ぐ北極冠遺跡付近に到着します。 到着しだいまた連絡致しますので、それまで休憩しておいてください」「うむ、その方がよかろう」恐らく今までタイミングを見計らっていたのだろう。絶妙のタイミングでプロスが休憩の合図を出してきた。「あと、テンカワさんは自室で一時謹慎を申し付けます。未遂とはいえ提督に手を上げた人物に何も罰を与えるわけにはいけので」「……わかりました」覇気の感じられない返事。余程、精神的にまいったのだろう。アキトは覚束ない足取りで自室へと向かった。--------------------------------「さて……ナナシさん、ヘンリーさん、お二人ともありがとうございました」アキトがブリッジから出て行った後、プロスは場の空気を落ち着かせた最大の功労者の二人にお礼を言った。「ただ艦内の風紀を守っただけだ」「別に俺もお礼を言われるような事をした覚えはねぇな」だがその言葉に対し、素っ気無い態度で返事を返す二人。あくまで事実を語ったといった風な口調。彼らにしてみれば、特に自分が褒められるような事をしたつもりはないのだろう。「いえいえご謙遜を。あの場が無事治まったのは確かに貴方達のおかげです。 皆さんもそう思いませんか?」だがプロスはそんな二人の態度を気にした様子もみせず、やはり二人を賞賛する。それどころか、あくまで否定する二人を納得させるために他の皆に同意さえ求めた。「は~い、そう思いまーす♪」「ま、確かにその意見には賛成ね」「確かにその通りだな」「そうそう、だから二人とももっとスマイルスマイル♪」「中々やるじゃねぇか、お前ら」「ねぇねぇルリルリ、やっぱり貴女もナナシ君のああいう所の惚れちゃったのかしらん♪」「ミ、ミナトさん!!」ほぼ全員が肯定の意見を出す。そう、幾ら二人が否定したとしても、結果としてあの場を治まったという事実は変わりないのだ。ちなみに一部違う会話をしているようだが恐らくは気のせいである。「というわけですので、お二人ともご謙遜はしなくてもよろしいかと」プロスは普段より二割増にっこりとした笑顔を二人に向ける。明らかに状況を楽しんでいる笑顔である。「へっ、そっちがそう思うなら勝手にそう思っときな」「血圧と体温が若干上昇しています。大丈夫ですか?」「――っ!? お前は黙ってろ!」ヘンリーとしてはこんな風に褒められる事に慣れていないので、どうにか平静を装うとしたのだが、そんなことなど知らないエイダの余計な一言で一瞬にして台無しになってしまった。「あら、見た目は中々渋い男なのに……結構可愛いところがあるじゃない」「う、うるせえ!」「体温がさらに上昇」「照れない、照れない」バレバレなのに、照れているのを必死で隠そうとするヘンリーをからかうブリッジにいるクルー達。つい先ほど出会ったばかりとは思えぬほどだ。「……」そんな光景を何時の間に移動したのかナナシは少し離れた場所からをじっと見つめていた。「ナナシさん、貴方もあそこに加わってはいかがですかな? 皆さんもお喜びになると思いますよ」「……いや、俺はいい」彼に気づいたプロスが声を掛けるが返ってきたのは拒否の言葉。「はて、それはまたどうしてですかな?」「俺にはあそこは――」プロスが理由を問う。だが、答えようとするナナシの声は途中で止まる。「どうしたのですか?」「いや、何でもない。 俺はああいった賑やかな場所は苦手なんでな。今回は遠慮しておくさ」「そうですか、それは残念です」残念そうな顔するプロスは再び視線を目の前の光景に戻す。だが、彼は気づいていなかった。彼のそのバイザーの下に隠された眼差しがどこか眩しいものを見るかのように細められていたことに……。__________________________今回は混合パート。第三者の視点とやらを導入してみました。