「周囲をチューリップが五機か……」「厳しいですね」ナデシコ作戦室の中央に置かれたテーブルを囲む数人の人物。そのテーブルの表示モニターに移されている極冠遺跡研究所を囲む五機のチューリップの配置を見ながらゴートとジュンの二人はそう呟いた。13話:作戦会議「しかしあそこには火星で研究されていた大切なデータが保存されていいます。ですのであそこを取り戻すのがいわば社員の義務でして、皆さんも社員待遇であるということをお忘れなく……」「おいおい、まさかそのデータの回収のためだけにあそこを攻めろってのか?」自分達の手で収集してきたデータを見ながらそんな事を言ってくるプロスを軽く睨みつけるリョウコ。だが、彼女がそう言いたくなるのも無理はない。何しろ相手は五機のチューリップ。普通に考えれば今の自分たちにはかなり厳しい相手といえる。「しかし、あそこを奪還しなければ相転移エンジンの予備パーツを手に入れる可能性がゼロになってしまいます。今のナデシコでは木星トカゲの攻撃を振り切って火星の重力圏から脱出することすらままなりませんので」「確かにそれはそうだけどよ……」プロスの言葉にリョウコの語尾が小さくなる。何しろ彼の言葉もまた事実なのである。実は現在ナデシコの主動力である相転移エンジンは非常に危うい状態にあった。通常運行ぐらいならばどうにか可能なのだが、出力が安定しないため木星トカゲの追撃を振り切って火星の大気圏から脱出できない状況なのだ。もちろんそれはナデシコ相転移エンジンが柔だったいうわけではない。何しろ元々地球から木星トカゲとの戦闘を前提に火星までノンストップで稼動し続けても大丈夫なように設計された代物だ。それに加えて、ウリバタケを筆頭とした整備班によって定期的にメンテナンスまで行われいるのだから、余程無茶な運転さえしなければ、早々易々と壊れる代物ではない。だが、それほどまでに屈強なはずの相転移エンジンも結果として現在壊れてしまっている――いや、壊れかけてしまっている。それは何故か?その答えは、一人の少女に原因がある。そう、たった一人のパイロット救う作戦を行った際に、オペレーターの少女が事を急ぐあまり、相転移エンジンを必要以上に酷使してしまったいうわけである。もちろんその事を責めるような者は誰もいないわけだが。「でもよ、実際の所あれだけの敵を真正面から相手にするってのは、いくらなんでも無茶な話だぜ」研究所にある相転移エンジンがなければ火星からの脱出すらままならないというプロスの主張がもっともなのはリョウコにも解る。だがそれでも実際問題としてこれだけの相手を真正面から相手にするのは不可能だった。「だから、せめてちゃんと納得できる作戦を立ててくれねぇとな」リョーコは真剣な顔でそういい切る彼女の頭からはつい数時間前の出来事が頭から離れなかった。圧倒的な軍勢を前にして成すすべもなかった自分。そしてたった一人を見捨てることでしか生き残る手段が無かった悔しさ。今までナデシコやエステバリスの性能を過信して、ほとんど作戦すら立てなかった自分の甘さを思い知らされた。だからもう二度とあんな思いはしたくなかったのだ。「確かにそれはそうなんですが……」プロスが困ったような表情を浮かべる。彼自身としてはできれば無理強い等したくはない。だが彼のネルガルでの立場上、どうしても研究所のデータは手に入れたいのも事実。その二つの折り合いをどうつけるかが、彼を大いに悩ませていた。「何か良い作戦は無いものでしょうか、艦ちょ……」答えに詰まったプロスは艦長であるユリカに意見を求めようとする。だが、彼女に問いかけようとしたプロスの言葉は途中で途切れ、変わりに彼の目は大きく見開かれていた。いや彼だけではない、彼の視線につられて彼女の方を見た彼以外の者もそれは同様だった……たった二人の例外を除いて。「エステバリスを囮に……だめ、手数が足りない……じゃあ、相転移エンジンを壊れる覚悟でフル稼働させて……これもダメ、リスクが高すぎる……」ぶつぶつと何かを呟きながら、作戦室の中央の情報画面を瞬き一つせず真剣に見つめ続ける女性、ミスマル・ユリカ。彼女もまたリョーコと同じくあの時の自分の行動を深く悔やんでいる人物の一人だった。あの時、確かに結果としては誰一人の命も失われる事無かった。だが、自分の軽率な行動がもう少しで多くの命を消し去ってしまうところだったことに変わりはない。その事実が彼女の心に大きな衝撃を与えていたのだ。彼女の頭の中で何度も繰り返される戦闘シミューレーション。彼女はひたすら考えて続けていた。二度と自分の安易な判断でクルーの命が危険に晒されぬよう自分の持てる全てをつぎ込んで。そう、あの事件は様々な意味で彼女の心を成長させていたのである。「……だったらアレを利用して……こうすれば……って、あれ、どうしたのみんな?」ようやく周りの異様な雰囲気に気づいたのか、思考の海から戻るユリカ。呆けた表情で、周りを見渡している。「気にするな、皆少し驚いているだけだ」そんな彼女の言葉に唯一反応したのは、先ほどの彼女に驚かなかった二人の内の一人、ナナシであった。「へ、どうして?」「普段不真面目な人物が珍しく真剣な表情をしていたせいだな」「そんな、私普段からぜんぜん真面目だもん!」「別に艦長だとは一言も言ってないさ」頬膨らまして抗議してくるユリカを軽くいなすナナシ。ちなみにこの、ナナシが誰かをからかっているという珍しい光景が、真面目な艦長というショックから漸く立ち直りかけた皆が復活するのを若干遅らせる原因となった事に本人は気づいていなかった。「おいおい艦長さん、むくれるのはかまわねぇんだが結局何か良い作戦は思いついたのか?」とそこで、二人のそんなやり取りに痺れを切らしたらしく、ヘンリーが呆れた様子声をかけた。もともと彼はユリカについてはそれほど詳しくがなかったため、何故皆が驚いているのか理解できなかったのである。「え、えっと、それなんですけど……一応生き残れる可能性がある方法を思いついちゃいました」「ほう、艦長それはお聞かせ願いたいな」「私も気になりますね」以前とは違い、若干自信なさ気に答えるユリカに、いつの間にか正気に戻っていた副提督とプロスが興味深そうに問いかける。フクベとしては、元々自分が囮なって彼らを逃がす予定だったのだが、彼女がこの状況からどのような方法で脱出するのか興味があったのだ。ちなみにプロスが一番気にしていたのはナデシコにどれほど損害がでるかどうかであったが。「はい。でも説明する前に一つだけプロスさんに確認したい事があるんですよ」「はて、何でしょうか?」「プロスさんはあの研究所そのものじゃなくて、実際はそこにある研究データがほしいんですよね?」「……ええ、研究データさえ回収できれば問題ありません」ユリカの問いかけに、プロスは一瞬だけ考え込むような仕草を見せそう答える。本音を言えば研究所も取り戻したかったのだが、現状を考えるとそう答えざるを得なかった。「わかりました……それじゃあ早速説明しますね」プロスの返答を聞いて自分の中の作戦に支障が無いことを確認したのかユリカ説明を開始する。「作戦は全部で二つあります。両方を説明した後でみんなに意見を聞こうと思ってます」「なるほど、確かにその方がよさそうだ」「はい、まず一つ目の作戦なんですけど……」彼女が提案した一つ目の作戦。それは至ってシンプルな物だった。そう、相手のチューリップを利用して火星から脱出しようというものだったのだ。「あの時イネスさんが言ってましたよね、チューリップはワープホール、もしくはゲートじゃないかって。だったらこっちもそれを利用すれば火星から一気に脱出できるはずです」「馬鹿な、それはあまりに危険すぎますよ艦長。貴女も知っているでしょう、チューリップに飲み込まれたクロッカスの乗員がどうなったのかを!」ユリカのあまりに突飛な作戦に思わずプロスが激昂する。彼は知っているのだ。チューリップを使っての移動、ボソンジャンプを生身で行うということが如何に危険な行為なのかを。事実、その目で直接は確かめていない、同じくチューリップを使って移動したクロッカスには乗員の姿が一人も居なかった。それが解っている彼にとって、チューリップを使って移動する等自殺行為にも等しかったのだ。「あら、そうでもないわよ。だってナデシコにはクロッカスに無い物があるわ」だが、そんなユリカの作戦に意外にもイネスの助けが入る。彼女が言うには高出力のディストーションフィールドがあれば例え生身でチューリップを通過しても大丈夫な可能性があるらしい。「もっとも成功するかどうかは私もはっきりとわからないけどね」「でも、成功する可能性はあるわけですよね?」「あくまで仮説だけどね、『可能性』なら十分あるわ」あくまで可能性とだけ答えて、具体的な数字は出さないイネス。ボソンジャンプを研究している彼女自身も、こればっかりは未だに未知数なのだ。「しかしですな艦長、やはりその作戦ではあまりに無謀ではないかと……」「まあ落ち着きたまえ。艦長、二つ目の作戦を説明してもらえないかな?」フクベは珍しく焦った様子を見せるプロスを諌めつつ、次の作戦の説明を促す。しかし、フクベ自身もそんな落ち着いた様子を見せながらも実は内心少し驚きを感じていた。つい先ほど彼女が説明した作戦は、自分もまた思いついていた作戦とまったく同じだったのだ「わかりました。実は私も一つ目の作戦は最後の手段にしようと思ってたんです。だから今から説明する二つ目の作戦が本命です」どうやら一つ目の案は二つ目の案が失敗した時の予備の作戦だったらしい。やはり彼女も、チューリップという未知数なものにいきなり乗員の命を預ける気にはならなかったようだ。「そうだったんですか……まったく、艦長も人が悪い」プロスの表情が目に見えて安心したものへと変わる。だが、先ほどの彼女の作戦内容が与えた彼へのストレスは、彼の寿命を数日減らしたのは間違いなかろう。「二つ目の作戦を説明します……っとその前にもう一人、この作戦を聞いてもらいたい人がいるんですけどいいですか?」「艦長が必要と思うのであればかまいませんが」「それじゃあ、アキトを呼んでください」「はて艦長、彼は今自室で謹慎中なのですがよろしいのですかな?」「そ、そうだよユリカ、どうしてこんな時に関係ないテンカワの奴を呼ぶのさ!?」アキトを呼ぶ、その一言にジュンが反論する。しかし、ユリカはそんな反論をするジュンに対して真面目な表情を向けた。「ううん、関係あるよ。だって、この作戦にはアキトにも参加してもらう予定だから」「ユリカ!?」「それとイネスさんと、ヘンリーさんにも参加してもらいます」「「「「「!?!?」」」」」その言葉にはジュンだけでなくその場にいた全員、そうあのナナシですら驚愕した。特にまったく関係がないと思っていたヘンリーは呆気にとられた表情をしている。それもそうだ、何しろ彼女はつい先ほど知り合ったばかりの二人と、まだまだ素人とも言っていいコック兼パイロットを使おうと言っているのだ。「まさか艦長……その三人を囮にして逃げようなんて言うんじゃないだろうな!」作戦の構成メンバーを聞いて、まさかという考えが浮かんだリョーコがユリカに食って掛かる。もちろんユリカの性格を考えれば誰かを犠牲に、ましてやアキトを犠牲にするような作戦を考えるとは思っていないが、万が一という考えがあった。「そんなことするわけ無いじゃないですか! この作戦は皆が生き残るための作戦です!」そんなリョーコにユリカは力強く反論する。今の彼女にとって九を救って一を捨てるという考えなど無い。かといって十か零かというわけでもない。あるのは絶対に十を救うという考えだけだ。「そうか……なら、しっかりと頼むぜ艦長!」「はい、もちろんです! 絶対に皆一緒に火星を脱出しましょう!」ユリカの強い意志はその場に居た全員に伝わった。そして同時に全員がこう思った。ああ、彼女なら大丈夫だと。「それじゃあ、皆さんしっかり聞いてくださいね」その言葉に全員が注目する。彼女はそれを確認すると、作戦内容を説明しはじめた。________________________あとがき今回もナデシコパート。アヌビスパートはもう少しお待ちを。