研究所で起こった爆発はナデシコでも観測されていた。「ルリちゃん、状況を報告して!」「極冠研究所付近でエネルギー反応が増大中。木星トカゲ達が活性化しています」ルリの報告に騒然とするブリッジ。「まさかアキトさん達に何かあったんじゃ……」呆然とそう呟くメグミ。何しろ爆発が起きたのはアキト達が出発しておよそ約一時間弱、そろそろ彼らが研究所に到着する予定時刻付近のことである。タイミングから考えて先ほどの爆発がアキト達に関係している可能性は非常に高い。「ウリバタケさん、至急、相転移エンジンの始動準備してください!」「今漸く応急処置が終わったところなんだ、いくら急いでも動かすまでには10分はかかる」 「アキト達がピンチなんです。5分でやってください!」「5分!? そりゃ無理ってもんだぜ艦長」「ウリバタケさん達ならできると信じてます。なんたってこのナデシコの整備班は世界で一番優秀な整備班ですから」 そう言ってにっこりと笑うユリカ。一瞬呆けた表情をするウリバタケ。「……へ、嬉しい事言ってくれるじゃねぇか、艦長。おい野郎共、聞こえてただろうな!! ナデシコの整備班の名にかけて5分以内に必ず終わらせろ!!」「「「「「了解!!」」」」振り返りながら発せられたウリバタケの怒声に間髪無く答える整備班達。その動きはそれまで溜まっていたはずの疲労をまったく感じさせない。皆一心不乱に作業をし始めている。「というわけだ艦長、必ず5分以内に終わらせるぜ」ユリカに向かって不敵に笑うウリバタケ「それじゃあお願いしますね」既に5分以内というのは確定事項。ユリカはその言葉を嬉しそうに聞き届けると通信画面を閉じた。「というわけで皆さん、今からナデシコは5分以内に行動を開始します。エステバリス隊は皆さんは何時でも出撃できるように格納庫で待機を、他の皆さんは発進まで可能な限り情報を集めてください」現在考えうる最適な方法をてきぱきと指示を飛ばすユリカ。その声に騒然としていたブリッジのメンバーがはっとした表情でユリカの方を振り返る。「アキトとイネスさんにはディンゴさんが付いてます。だからきっと大丈夫です」アキト達の無事を信じて疑わぬ彼女の声。それは願望ではなく確信。理屈ではなく、ただ彼女がそう言っただけで本当にそも思わせてくれる、そんなカリスマが今の彼女にはあった。そう、今の彼女の姿は正に『艦長』そのもの。もしも、この彼女の姿を地球にいる彼女の父が見たらどう思うだろうか。恐らく滝のように涙を流し、亡き妻に娘の成長を語りかけていたことだろう。「艦長、極冠遺跡研究所付近で多数の爆発が確認されました。どうやら木星トカゲの無人機が破壊されているようです」その直後、オモイカネからの情報を処理していたルリから新たな報告が入る。「ということは……」「はい、テンカワさん達はまだ無事です」それは、まさにアキト達の生存を示す情報。「ルリちゃん、その無人機が破壊されてる場所とナデシコの相対位置をモニターに表示できる?」「はい、できます」ルリのIFSが淡く光り、中央モニターに地図が表示される。表示されているのはナデシコを示す青い点と敵を示す赤い点、そして一際赤い点が密集した地域に表示された黄色い点。「この黄色の点がテンカワさん達の予想位置です」緊張感がブリッジに走る。まさに四面楚歌。まるで蟻の巣のど真ん中に落ちたかのように周囲を完全に囲まれている。それが今アキト達の置かれている状況だった。「相対距離はおよそ10キロメートル。正確な状況はわかりませんが、戦闘地域が徐々に移動しています」「馬鹿な……この状況下で生き残っているだと!?」ゴートが唸る。この絶望的な状況下にもかかわらずアキト達が生き残っているという事実。普通に考えれば絶対にありえない事だ。だが、それを見ていたユリカの頭には何故かそのありえない事が起こった原因がすぐに思い浮かんだ。「ほら、やっぱりディンゴ達さんに頼んで正解でした」この状況下でアキト達が生き残っている理由はそれ以外に考えられなかった。あの時、ユリカがディンゴにアキト達の護衛を頼んだのは彼女の直感。理屈ではない、ただ、彼らなら大丈夫だと何故かそう思ったのだ。そしてその直感が正しかったことを目の前の事実が示していた。「聞こえるか艦長! 相転移エンジンの始動準備が整ったぞ!」その時、機関室にいるウリバタケから相転移エンジンの準備が整ったという報が入る。「ナイスタイミングです、ウリバタケさん」「おうよ! ばっちり5分以内に終わらせてやったぜ」荒い息を立てながら、ユリカに向かってサムズアップするウリバタケ。時計を見てみれば確かに先ほどの通信から5分と経っていない。「よし、それじゃあ相転移エンジンを始動してください!」ナデシコの心臓に火が入る。相転移エンジンが唸りを上げ、エネルギーがバイパスを伝い、ナデシコの全身を駆け巡る。「ルリちゃん、放送を艦内全員のコミュニケに繋いで!」即座にルリが反応し、次々と艦内のいたるところに通信画面が展開される。「皆さん、聞いてください。これよりナデシコはアキト達を救出に向かいます。激しい戦闘が予想されま非戦闘員の人達は全員避難区画へ移動してください」ユリカの声が艦内に響きわたる。たった数人のために船そのものを危険に晒すという宣言だというにもかかわらず、その声に不満をあげるものは誰もいない。「渓谷を抜けてアキト達の所に向かいます。ミナトさん、ナデシコの運転をお任せします!」「りょうか~い♪」ゆっくりと浮上するナデシコ。ミナトは艦長の期待に応えるかのように操縦桿を強く握り締め、唇を引き締めた。「ナデシコ、発進!!」細い渓谷を巨大な船体が駆け抜ける。16話:四面楚歌「おい、坊主! まだいけるな!」「ま、まだいけます!」まるで自分を奮い立たせるかのようにディンゴにそう答えるアキト。彼は今、攻撃を防ぎながら背走するジェフティの前を必至に駆けていた。彼がいるのはまさに死地と呼ぶに相応しい戦場だった。あちらこちらから聞こえ止まることのないる爆発音。機体の僅か数十センチ横を通過していく幾百もの銃弾。そんな何時死ぬかも解らない恐怖が常に付き纏う戦場を今彼は必至に駆けていた。「くそっ、一体何匹いやがるんだ!」通信機越しに聞こえてくるディンゴはそう悪態がアキトの耳をうつ。怖い。汗で貼りついた服が、まるで拘束具のように体を縛り付けるような錯覚さえ覚える。克服したと思った奴らに対するトラウマが徐々に蘇ってくるのアキトは感じた。「まだがんばるのね……どうせもう助からないわよ」だが、アキトはその湧き上がってくる恐怖を必至に押さえつけた。そして震えそうになる奥歯を必至に噛締める。「絶対助けてみせます」彼の後ろに座った女性のどこか自棄になったような声。その声に彼は折れそうになる心を必至に持ち直させた。「無理よ、この状況下で生き残るなんて奇跡以外ありえないわ」「絶対諦めません」絶対に諦めてやるものか、彼はそう思った。火星から絶対助け出してみせる。あの時、初めて彼女に会った時、彼はそう言ったのだ。だが、その結果はどうだろうか。あの時……木星トカゲの軍団が襲ってきたとき自分にできたのは、ただ見ていることだけだった。一人の英雄が身を挺して、木星トカゲの軍団に立ち向かったのをただ見ていることしかできなかった。悔しかった……本当に悔しかった。悔しくて悔しくて、何度も何度もそう思って、そして……憧れた。自分にはたった一人の少女の命すら救えなかった。だが、彼はたった一人で何百人もの命を救ったのだ。もちろん今の自分に彼と同じ事ができるわけがないことは解っている。だから今度は……そう今度こそは自分が助けると誓ったこの女性だけは絶対に助けてみせる。そう決めたのだ。「前方後方よりミサイル同時接近」「くっ、処理仕切れねぇ!」ディンゴが処理しきれなかった複数のミサイルがアキトのエステバリスに向かって降り注ぐ。「避けろ、坊主!!」だが、アキトはエステバリスのスピードを緩めるどころか逆に加速し、そのままミサイル群に突っ込んでいった。「なっ!?」驚きの声を挙げるディンゴ。アキトは止まらない。エステバリスはさらに加速し、見る見る両者の距離が縮まっていく。そして両者が激突する寸前――アキトは大きく目を見開いた。アキトの思考が加速する。限界まで研ぎ澄まされていたはず集中力が、反射神経が、動体視力がさらにその限界を突破する。そして次の瞬間、彼のIFSが一際大きく輝いた。「――っ!!」一瞬の交差。時間にしてみれば1秒にも満たない時間。アキトの思考を正確に再現したエステバリスはミサイル同士の僅かな隙間を縫うようにすり抜けていた。直後、センサーが反応して爆発するミサイルの爆音が辺りに響き渡った。「大丈夫か、坊主!!「はい、このままいきます!」スピードを緩めぬまま大地を疾走するエステバリス。己の為ではなく、他の誰かの為にこそ真価を発揮する彼の能力が、その一端を覗かせた瞬間であった。「……ったく、冷やっとさせやがって」アキトの行動を見ていたディンゴが悪態をつきながらも、どこか嬉しそうな表情をする。あの時ディンゴはアキトが助からないと思っていたのだ。だが、その予想を超えてアキトは生き延びた。その事実が嬉しかったのだ。「はい、ですが現状はまだ予断を許されません」だが、喜んでは居られなかった。「確かにな……俺一人ならともかく、坊主がの体力がもたねぇ。早い所で如何にかして突破口を見つけるしかねぇな」ピンチを切り抜けたが、絶対絶命な状況に変わりはない。現状をどうにかしない限り、生き延びる道はないのだ。が――「いえ……どうやらその必要は無さそうです」「なに?」「ナデシコより通信をキャッチ……突破口があちらからやってきてくれたようです」_______あとがき掲示板がリニューアルされていてビックリしました。