「――――っ」身体の異様な火照りを感じ、ディンゴは眼を覚ました。まるで身体がフルマラソンを終えた直後のように熱気を放っており、額に触れると吹き出ていた汗がベットリと手についた。「はぁはぁ……一体……何が……起こったんだ?」未だに落ち着かない呼吸を繰り返しながら、思考を巡らせる。ジェフティの末端が目の前の筐体に触れた瞬間までは記憶が残っているのだが、その後何が起きたのかさっぱり分からなかった。「エイダ、何が起きたかわかるか?」答えがでず、結局何時ものようにエイダに声をかけるディンゴ。だが――「…………」――何時もなら即座に返事を返してくるはずのエイダに全く反応がない。「……? おい、エイダ、返事をしろ」不審に思いながら、もう一度問いかけてみるがやはり返事はない。コックピットにはディンゴの声だけが響くだけであった。「まさか……冗談だろ」最悪の考えが脳裏を過ぎる。何しろ今までどんな時でも直ぐに返事を返してきたエイダの反応がないのである。「おいおい……これじゃあレオにあわす顔が無いじゃねぇか……」「レオがどうしたのですか?」「そりゃあ、お前が……ん?」とそこで、聞きなれた声がすることに気づく。「ってエイダ、お前大丈夫だったのか!」「はい、私は正常ですが……それがどうかしたのですか?」「だったら何で直ぐ返事しなかったんだ」「すみません、丁度あの時は大幅に変化したジェフティのプログラムの最適化を行っており、すぐに返事をできるほど処理が追いつかなかったです」「ったく、心配かけさせやがって」すまなさそうに謝るエイダ。ディンゴはその言葉を聞いて少しばかり不機嫌な声でそう返していたが、それとは裏腹にその表情は妙に安堵を浮べていた。「それで、何が起こったかわかるか」「はい、あの時ジェフティの端末が前方の筐体に触れた瞬間、解析不能なプログラムがジェフティにトランスプランテーションされました」「まさか……ウイルスか?」「いえ、違います。この謎のプログラムはジェフティのプログラム着床しただけです。ハッキングのようなものも同時に受けましたが、ジェフティの構造をスキャンされただけで、現在の所当機に物理的な被害は確認されていません」「ウイルスじゃなかったか……で、ジェフティの構造がスキャンされたってのはどういうことだ?」「はい、ジェフティの機構を丸々コピーされたようなものです」「……それってまずくないのか?」確かジェフティは数あるオービタルフレームの中でも最も機密度の高い機体のはずだ。その構造が完全に調べられれば、それはそれで問題あるような気がする。「いえ、確かに当機は特殊な機体であり、その構造は最高機密のでしたが、それはあくまで2年前の話です。既にジェフティとほぼ同じ構造を持つアヌビスの構造はバフラム軍によって解析されていますので、現在ではそれほど重要性はありせん」「そうなのか……それじゃあ、一体何が目的なんだ?」「はいそれなのですが……これを見てください」そう言ってエイダはジェフティの機体コンディションを示すパラメータ画面を表示する。「これがどうかし――なっ!?」画面を見たディンゴが驚愕の表情を浮かべる。「これがそのデータを受け取った後、ジェフティの起きた現象の結果です」「んな馬鹿な!?」 彼の記憶が確かなら、前回それを見た時はほとんどのパラメータが全壊を指す赤い表示がされていたはずだ。だが、現在見ている画面には、赤どころか破損を示す黄色すら無く、その全て表示が正常を示すグリーンに入れ替わっていた。「あの時、謎のプログラムがジェフティのトランスプランテーションされると同時に謎の粒子がジェフティ周囲に観測され、その直後ジェフティの修復が開始されました。 私も信じられないのですが、大半が損失したはずのSSAが完全に復元され、破損していたはずのベクター・トラップの機能が回復しています」「これだけの修復を行うのに必要なメタトロンと設備が一体どこにあったっていうんだ!」ディンゴは辺りを見回しながらそう叫ぶ。周囲にあるのは、目の前にある筐体とそれを囲むように存在する謎の壁画だけで、どうみてもそのような大規模な修復が行えるような設備など存在しているいのだ。「わかりません。ですがジェフティの周囲に謎の粒子が観測された瞬間、大質量物体が現れるのを確認しました」「大質量物体が現れた? まさか何も無い空間から行き成りメタトロンが現れたっていうんじゃないだろうな?」「はい、そのまさかです。その大質量物体からはメタトロン反応が検出されました」「ポーターみたいな機械で隠してたっていう落ちじゃないだろうな……」「いえ、残念ながら空間圧縮からの復元作用は確認されませんでした」「ちっ……もうどうにでもなってくれ!」ディンゴは目の前に押し付けられた現実に頭がどうにかなりそうになるのを感じた。死んだはずなのに生きていた自分。知っているようで知らない火星。見た事もない謎の無人機動兵器。そして極めつけは、半壊していたはずのジェフティが気絶している間に完全に修復されていたという現実。いっそこれが夢であってほしい。そう思わずにはいられないほど、短時間で自分の常識を覆すほど様々な事が起き過ぎたのである。「ですが、そう悪い事ばかりではないようです」「何か良いことでもあるっていうのか?」「はい、あの時、大量に現れたメタトロンを一部、機能が回復したベクター・トラップ内に回収しておきました。これだけの量があればここ十年は無補給でジェフティの行動が可能です。なので安心してください、これで当分の間貴方がエネルギー切れで死んでしまうということはありません」人生に疲れた老人のような目をしているディンゴに、甲斐甲斐しく声をかけるエイダ。だが、何故かいつも聞いているはずのその声に何故か憐憫が感じられるのは気のせいだろうか……。「はは、そりゃあ良かったな……確かに安心だ……」「はい、安心です」一見普通に会話しているように見える二人。だが悲しいことに、その実はディンゴは皮肉を言っているに過ぎず、エイダはエイダで本当に安心しているだけでディンゴが皮肉を言っている事を理解していないのである。最初の就職先では上司に裏切られ、死にかけて。奇跡的に生き延びて2年後に再開したと思ったら、いきなり殺され。どうにか生き返ったと思ったら、今度はいつの間にか心臓と肺は機械化されており、そのまま無理矢理戦場に送られ、太陽系を救った男、ディンゴ・イーグリットは――「はは、は……もうどうにでもしてくれ」――そう呟くと同時に一粒の涙を流し、再び意識を失った。今度起きたら夢であってくれ、という儚い希望を抱きながら……。3話:謎のプログラム人は極現状態に置かれた時、一抹の希望に縋る。たとえ理性では叶わないと解かっていても、心がそう願ってしまうのだ。そしてここにも一人、ある希望に縋る男がいた。その男の名はディンゴ・イーグリット。実は自分はまだカリストにある作業員の休憩室でいびきをかきながら眠っていて、目が覚めたらまたLEVに乗って採氷作業へ行く現実が待っているのだという一抹の希望にすがる男が……。だが、悲しいかな……大抵の場合、それが叶わないというのが現実なのである。「フィジカルコンディション正常。まだ若干脳波に乱れがあるようですがどうやら大丈夫のようですね」ディンゴは、聞こえてきたエイダの声によって自分の希望が打ち砕かれた事を知る。目を擦ってみたが、残念ながら目の前の光景に変化は無かった。「やっぱ……都合よくいかねぇよな」「何がですか?」「なに、目の前の現実ってやつさ」「言葉の意味がわかりませんが」「いや、理解せんでいい」寧ろ理解しないでほしいとディンゴは思った。実際の所、先ほどまでの自分の思考は自分でもはっきりとわかるほど現実逃避していたのである。そんな事をAIであるエイダに理解されようものなら、はっきり言って悲しいものがある。「それより、もう一度今のジェフティの状態を教えてくれ」「わかりました。現在、ジェフティのハード面はほぼ完全に近い状態です。SSAは完全に復元され、ベクター・トラップの機能も回復しています」「そりゃよかった……で、ソフト面はどうなんだ?」「はい、それなのですが、少し問題が発生しています」「どういうことだ?」「それは今から説明します。こちらの画面をご覧ください。」問いかけてくるディンゴにエイダはそう答えてコックピットの画面にジェフティのコンディションデータを表示する。ディンゴもそれに従いそれを見ると、そこにはジェフティのサブウエポンの一覧が表示されていた。「まずこれが一つ目の問題です」エイダがそう言った直後、サブウエポンの一部が赤く表示される。そしてそこにはヴェクター・キャノン、そしてゼロ・シフトの名前が表示されていた。「この二つがどうかしたのか?」「はい。現在この二つのサブウェポンは使用不可能な状態になっています」「なんだって!?」ディンゴが驚くのも無理はなかった。何しろ、赤く表示された二つの兵装は、どちらもジェフティにとって最大の武器となるプログラムデバイスだったのである。「どうしてこの二つだけ使用できないんだ?」「はい、それは先ほど前方の筐体からトランスプランテーションされたプログラムが、ジェフティの中枢システムと複雑に絡み合ってしまい、それが原因で、複雑な制御を必要とするその二つのみが使用不可能な状態になってしまいました。現在もプログラムの最適化を進めていますが、その二つが使用可能になるまではかなりの時間を要すると思われます」「なるほどな……結局ゼロシフトは使用できないわけか」「はい、ベクターキャノンが使用可能になるまでにもかなり時間を要しますが、ゼロシフトの方はそれよりさらに時間が必要です」ジェフティの最大の強みであるウーレンベックカタパルトを利用した超高速移動法。アヌビスが居ない今、それを必要とするような相手はもう居ないのだろうが、使用できないというのは少々不安要素が残るところであった。「まあ、いずれは使用できるっていうんだから今は待つしかないか……で、一つ目ってことはまだあるだろ?「はい、そのとおりです」そう答えると同時にエイダは画面の表示を切り替える。そして、そこにはエイダによって制御されているジェフティの各フレームが表示されていた。「これが二つ目の問題です」「ん、別に問題は無いように見えるが?」ハテナ顔を浮かべるディンゴ。何故なら目の前に表示されているジェフティの各フレームは全て、先ほどの現象によって復元されており一切の破損見当たらないのだ。「いえ、問題はそのフレームの制御系当の修復です。確かに当機の破損したは完全に修復されましたが、それを制御するためのシステムが一部欠損しています。そのため現在の当機は本来のスペック出しきることができません」元々、オービタルフレームは機体の全てをフレーム単位で制御する、高度な演算能力をもっている。そしてその機体の全てが高度なシステムによって制御されることによって、あの高い機動力、戦闘力を有しているのだ。つまり今のジェフティは、装甲は修復されたものの、それを制御するためのシステムの構築がなされていないため、本来の機体の性能がだせないとエイダは言っているのである。「ちなみに聞くがどれぐらいまで性能が落ちてるんだ?」「はい、現在の当機の性能は本来の性能のおよそ50%ほどです。バックアップからの制御システムの復元によってある程度は上がりますが、私の能力では完全には不可能です」そう言い切るエイダ。つまり、ジェフティは機体そのものは完全に修復されたものの、その能力を完全に取り戻すことはできないという結論だった。「まあ、ボロボロの時よりはましってことか……ところでエイダ、現在地はわかるか?」「岩場の裂け目に入る前の座標と移動した方角から考えれば、おおよそ極冠に近しい位置だと思われます」「わかった」ディンゴはエイダからの返答を聞くと、先ほどまで聞いた情報を元に頭の中でこれから何をすべきかを考え始めた。現在、偶然とはいえジェフティの機能がある程度復元されていること。だが、今自分が置かれている状況がまったく把握できて居ないことには変わりはないこと。いや、それどころか、よくよく考えればここが自分の知っている火星であるのかすらも怪しいということ。「赤くなかったしな……」「何がでしょうか?」「いや、こっちの話だ」とにかく何か役に立つ情報がほしいとディンゴは思った。そしてその情報を手に入れるにはどうすればいいのかと考えた。「エイダ、ここから一番街に向かうぞ。場所は……どこが一番近いかわかるか?」「オリンパス山の付近、タルシスです」その結論は直ぐにでた。わからないなら誰かに聞けばいい。それがディンゴが至った結論だった。「わかった、タルシスの場所をマップに表示してくれ」「この周囲にはあの正体不明機が多々存在しているようですが、それはどうしますか?」「何かいい案はあるか?」「サブウェポンのデコイで作り出した映像を囮にして、その間にステルス機能を最大にして周囲にある渓谷を抜けることをお勧めします。貴方ならそのまま突っ切って行くほうがお好みでしょうが、この場合はやめておいたほうがいいと思われます」「お前……まさかとは俺の事馬鹿にしてるのか」「いえ、貴方の性格から行動を予測した結果です」相変らず思った事(?)を率直に話すエイダ。本人としては、意図したようなことはないのだろうが、自覚していない分余計に性質が悪いと思うディンゴであった。「まあいい、とりあえず出発するぞ」「わかりました。外に出たあと座標系から正確な現在地を割り出します。情報が集まるまで方角だけになりますがよろしいですか?」「ああ、かまわねぇよ」バーニアを吹かしながら直上にある出口に向かうジェフティ。そして遺跡から勢い良く飛び出す直前、エイダはサブウェポンのデコイを起動すると空中にジェフティの立体映像を作り出し、自分はボディの表面を周囲の映像と同化させる。白亜に染まったボディを太陽の下に晒す、偽ジェフティ。それと同時に、周囲を探査していたバッタのような無人機動兵器がその立体映像を感知したのか、まるで蟻がエサに群がるように接近してくる様子がレーダーに映された。「敵機は全てデコイの方に誘導されています」「わかった、予定通りこのまま逃げるぞ」偽ジェフティに向かうバッタ共を後目に周囲に存在する深い渓谷に向かうジェフティ。フレームの制御が完全でないため、万が一気づかれるかもしれないという恐れもあったが幸いにも気づかれる様子はなかった。__________あとがき装甲が白くなったは塗装されてなかっただけだったりする。