1.
「うっし、ウォルター君より先ついたでっ」
周りを見渡し、はやては呟いた。
気持ち急いだためにうっすらと浮いた汗を、ハンカチで拭う。
クラナガンの繁華街の駅前広場。
男女の逢い引きの待ち合わせ場所として有名なその場所に、はやてはウォルターとの待ち合わせ時間よりも1時間以上早く着いていた。
遅れないようにと必要以上に気を張ったためであるが、これだけ早いと、流石に重い感情だと思われてしまうかも知れない。
不安に、はやては手を握りしめた。
「……誘う時も、強引やったしなぁ」
はやては、視線を雑踏へ。
ぼんやりと、1週間ほど前の事を思い出していた。
八神はやては、ウォルター・カウンタックに恋をしていた。
何せウォルターは強くて頭も良くてしかも格好いい。
それだけならただの憧れなのだが、加えてウォルターは、はやてにとって自分だけの英雄だった。
かつて自分を命がけの戦いで救ってくれたばかりか、最近は、7年も前の約束を果たすために、心臓を打ち抜かれる重傷を負ってまで戦い、勝利を届けてくれたのだ。
はやてにとって、ウォルターは自分だけの英雄だった。
他の誰もがウォルターを英雄と認めていて、特別なことじゃあないと知っていたけれど、それでも、自分だけの物だと思いたくて。
独占欲。
それが醜い物と知りつつも、はやてはウォルターへの気持ちを抑えきる事ができなかった。
だが、そこに一つ待ったがかかる。
はやての親友なのはもまた、ウォルターに恋をしていた。
はやての親友フェイトもまた、ウォルターに恋をしていた。
2人は互いの思い人がウォルターだと気付いていないようだったが、はやてはたまたま2人の恋する相手がウォルターだと気付いてしまった。
他の誰かならいざ知らず、親友が先に好きになった人を好きになるのは、はやての中ではルール違反である。
なのはの思い人がウォルターだと知らないフェイトなら兎も角、気付いているはやてが動くのは、駄目だ。
いけない。
やっては、ならない。
そうは思っても、はやては自分の心を押さえきれなかった。
だって、なのはもフェイトも、ウォルターが実験体だった過去を乗り越えてきた事を知らない。
ウォルターがどれほど容易く、心の壊れそうだった人を救う事ができるのか、知らない。
なのに、なのはに、フェイトに、ウォルターを渡す事なんてしたくない。
「だから、たった一度、だけでも……」
呟き、はやては立ったまま下ろした両手を指組みし、指と指の間をすりつけるようにする。
そうすると、人肌の感触が感じられて、それが自分の物だと分かっていても少しだけ安堵する事ができた。
はやては、ウォルターとせめて、一回でいいからデートをしたい、と考えた。
それが最後のデートになるのかもしれないけれど、一度だって一緒に過ごす時間が無いなんて、嫌だ。
耐えきれない。
だからかなり強引に、しかも引かれないようデートとは明言せずにウォルターを誘い、折角の家族で集まれる休日もウォルターの都合に合わせ、ヴォルケンリッターの皆には休日をそれぞれで過ごして貰う事にした。
計画だって、一人でした。
最初で最後かもしれない今回ぐらいは、一人で計画したい、と言うはやての言を聞き入れ、ヴォルケンリッター達は内容を知らぬままである。
手伝ってくれようとした皆には悪い事をしたと思うが、少しでも後悔をしたくなかったのである。
「だって、最後かも知れへんもん……」
「何が?」
「何がって、そりゃ……」
デートが、と言いかけて、辛うじてはやては静止。
ぎぎぎ、と油をさしていないブリキのロボのような動きで振り返り、視線を背後の声の主へ。
黒ずくめの、灼熱の感情を瞳に宿した、次元世界で最も燃えさかる魂を持つ男。
はやての英雄。
ウォルター・カウンタックがそこに立っていた。
「うぉ、ウォルター君っ!?」
「応、すまんな、待ったか?」
「ううん、今来た所……、って、そっちこそ何時から居たんねん!?」
「今正に来た所なんだが……」
ぽりぽりと頭を掻きながら言うウォルターの顔に、嘘の色は無い。
飛び跳ねる心臓を内心押さえつつ、はやては思わずウォルターの顔をのぞき込んだ。
「本当か~? きちんと本当の事を言ってみ?」
「本当だっての」
呆れたように言うウォルターの首筋からは、ほんの少し汗の臭いが感じ取れた。
衣服も注意して見なければ分からない程だが乱れており、走ってきた様子が見て取れる。
ちらりと腕時計の文字盤に視線をやると、時間はまだ約束の30分以上前。
となると、ウォルターはその人外の気配察知ではやてを待たせていた事に気付き、焦り走ってきたのだろう。
――意識、されとんのかな?
とは言え、デートと明言して誘った訳ではないので、ウォルターの認識は女友達と少し遊びに行く程度だろう。
なので単に、ウォルターが相手を待たせるのを嫌っているというだけかもしれないが。
とは言え気遣いはできるが、どちらかと言えば不遜なイメージのある男である、それでも急いできたという事は、そういう事なのかもしれない。
そう思うと少し溜飲が下がるような気がして、はやては薄く微笑んだ。
「ま、ええか、許したる! じゃあ、いこいこ、ウォルター君っ!」
「応、行くかっ」
と、微笑むウォルターの顔に、はやては胸が高鳴るのを感じた。
オフの時のウォルターの笑顔は、何時もの燃えさかる物とは何処か違い、胸の奥が暖かくなるような感覚がある。
日だまりのようなそれに、思わず頬を赤く染めるはやて。
そんな風に真っ赤になっている自分を見せるのが、どうしてかとても恥ずかしい事に思える。
咄嗟にはやては、ウォルターを僅かに先導する形になり、歩き出した。
「おいおい、エスコートは要らないのか?」
「今日は大丈夫、私が街に不慣れなウォルター君をエスコートしたるからっ」
驚くべき事に、フェイトに誘われるまで遊園地に行ったことも無かったというウォルターである、街に不慣れなのは予想できたし、リニスに裏付けは取ってある。
そんなウォルターにボーリングやカラオケなどの街遊びを教えるのも楽しそうだが、今日は女の子らしい自分を見て欲しいので、もう少し女の子らしい場所に行く事を計画している。
「よっしゃ、行くでっ」
と、はやてが繋いだウォルターの手を引くのに、寸時遅れウォルターがついて行く。
巨漢のウォルターの目前を、背の小さなはやてが先導してゆく姿は、見目に何処かちぐはぐで可笑しな組み合わせとなるのであった。
2.
待ち合わせの時間は、昼近くであった。
故に2人は出会ってまずランチをと、はやての先導で歩んで行く。
「えへへ、今日は私の女子力を完全発揮やで~!」
「お、おう、お手柔らかにな」
どんな店を想像したのか、ウォルターの表情は僅かながら引きつっている。
それでも違和感を僅かにしか感じない辺り、やはり彼は気遣いのできる男である。
一人納得する部分と同時、微笑ましくも思え、はやてはくすりと微笑んだ。
「大丈夫、ファンシーショップとかは行かへんよ。もっと大人の女子力というのを見せたるっ」
「そうか、楽しみにしてるぜっ」
告げるウォルターの言葉の内容は、不慣れな街遊び故にか、普段に比して受け身である。
奇妙な感覚を覚えないでも無いが、それ以上にチャンスだ、とはやては捉えた。
いつも皆の先頭を行く英雄であるウォルターの前を歩ける機会など、滅多にあるものではない。
不思議と沸き上がってくる笑みを押さえきれないままに、はやては繋いだ手の先の体温を感じながら、先を行く。
「それにしても、ウォルター君、直接会うのは二ヶ月ぶりぐらいかな?」
「えーと、黒翼の書事件が7月半ばだったから、そんなもんか。久しぶりに会えて嬉しいぜ」
と、世間話を始めようとすれば、気障な台詞である。
思わず頬が赤くなるが、それを素直に見せるのも恥ずかしく、はやては冗談めかして告げた。
「きゃ~、気障な台詞ぅ。ウォルター君、誰にでもそんな事言うとるの?」
「へ? 気障か? まぁ、誰にでもは言わない台詞だが……」
「へ?」
つまり、相手がはやてだから、そう言ったのだろうか?
頭の中が真っ白になるのを感じ、はやては一瞬停止した。
目を瞬き、全身を流れる血が早くなるのを感じつつ、あははと笑いながら続ける。
「またまたぁ、格好言い事言っちゃって!」
「ん? お、応」
告げるウォルターの顔は、冗談として取られたと受け取ったのだろう、複雑な表情であった。
会えて嬉しいと告げて冗談だと思われるのは、不愉快であっても愉快ではあるまい。
どうして、こんな事言っちゃたんだろう。
デートを始めて数分で早速後悔に襲われそうになるはやてだったが、今ならまだ挽回できる、と奮起。
思い浮かんだ台詞に頬が林檎のように赤くなるのを感じつつも、全力を賭して口を開く。
「で、でもな、ウォルター君」
「うん?」
「わ、私も……久しぶりに会えて、嬉しいで……」
「……おう。ありがとなっ!」
上目遣いに見るウォルターの笑顔は、あの英雄染みた心燃える成分が殆どではあったが。
その中にほんの僅かに、何処か胸の奥をつんざくような、切ない部分が含まれているように感じた。
そんな切ない部分が、果たしてウォルターの内部に存在するのだろうか?
否。
恐らくそれは、はやての妄想である可能性が高い。
ウォルターに弱い部分があって、それを自分にだけ垣間見せてくれているなど、ウォルターに恋するはやてにとって都合が良すぎる妄想に過ぎないだろう。
現実は恐らく厳しく、ウォルターは完全無欠の英雄で、はやては実験体関連でウォルターの弱い部分を知っているが、はやてにだけ垣間見せている訳ではないのだろう。
それでも。
はやては、妄想かもしれないと思いつつも、その切ない部分に手を付けずには居られなくて。
口を開こうとした、その瞬間。
「あれ、ここじゃないのか? はやてが予約した店って」
現実に、引き戻された。
慌て視線をやると、確かに自分の予約した店の看板が。
あまり頻繁に行く店ではないが、リンディ経由で知った地球で言うカジュアルなフレンチに近い料理を出す店だ。
都合の良い妄想に引きずられて何を言うつもりだったのか、恥ずかしさを笑みで誤魔化し、ウォルターに言う。
「そ、そーやな、ごめんごめん通り過ぎる所やった」
「あぁ、それはいいんだが、ここの中は……」
「うん、とりあえず中入って席案内してもらおか」
「うん、だが……」
「大丈夫、ドレスコードとかある感じのお店やないから、気軽に入れるでっ」
「いや、まぁ、いいのか?」
謎の疑問詞と共に、はやてと共に店内へ入るウォルター。
その言葉を置いて店員に予約席に案内してもらうはやてだが、すぐにその内容を知ることになる。
というのは。
「……主はやて?」
「あれ、はやてじゃん」
隣の席に、ザフィーラとアルフが座っていたのであった。
思わずウォルターへと振り向くと、だから聞こうとしたんだが、と呟く。
どうやら先ほどの台詞は、その人外の気配察知で2人の気配を察知したためらしく。
「…………」
あかん、と思いつつも。
今更席を離れるというのも気まずすぎるし、後に尾を引いてしまう事に違いは無く。
はやては視線をアルフ達のテーブルの上へ。
写真で見た、はやてが予約注文しておいたのと同じコース料理の1品目が、まだ殆ど手を付けられずに残っている。
つまり、食事を終えるタイミングも同程度。
加えて。
「……まぁ、うん、アルフとザフィーラって、その、付き合ってたのか?」
「……うむ」
「ま、まぁそうなるね」
「そっか、おめでとう!」
と、2人を祝福している様子のウォルターを、蔑ろにもできない訳で。
(申し訳ありません、主……)
(え、ええよ、偶然やもん、ザフィーラに責任は無いもん……)
とまぁ。
はやては何とも言えない食事を続けるほか無いのであった。
3.
「む~」
と漏らしながら、はやては頬を膨らませていた。
隣を歩くウォルターは、困り果てた様子で、はやての機嫌を取ろうと話しかけてくる。
「すまんすまん、2人を見てたら祝福してやりたくってさ」
「別にそれが悪いなんて言っておらんもん」
「そうか? じゃあ機嫌直してくれないか?」
「機嫌悪くなんかないもん」
視線を背けたままのはやての様子に、参ったとばかりにウォルターは頭を掻いた。
それを視界の端に映し、大人げなかったかな、とはやては思う。
ウォルターの性格からして、2人を祝福するのは当然の行為だろう。
なのにそれで機嫌を悪くしてみせるはやては、きっとウォルターにとって面倒くさい女だ。
嫌われたく、ない。
けれど胸の奥にあるもやもやを燻らせたままでこの時間を過ごすのも嫌で、ついついウォルターに甘えてしまう。
二律背反の感情に、はやては胸の奥を切なくさせた。
冷たく滑らかな物に心を擦られるような、独特の感覚がはやてを襲ってくる。
自己の内側に意識が行きそうになると同時、ウォルターの声が、はやての心を奮わせた。
「ほら、そうだ、あそこの店とか雰囲気良さそうだな」
「……うん。ダーツとかあるお店やったよ」
「あ、まだ開いてないけど、ここ外から見た感じ雰囲気いいな」
「……そこはスモークバーやからなぁ、煙草吸わへんから、行かんかな」
「よ、よく知ってるなぁ。あ、あっちは」
「……東洋風のカフェやな。名前なんつったっけ、第9管理世界の首都付近がネタ元らしいで」
はやての機嫌を直そうと、必死に慣れない街の話題を振ってくるウォルター。
常の彼にはない必死さは、それだけはやての機嫌を取りたいという意欲の表れである。
はやてが自分の英雄を独占しているかのような、感覚。
満たされて行く自尊心に機嫌を直したはやては、町並みが目的地に近づいてきたのも相まって、これで許してあげよう、と決めた。
決まれば早速、とばかりにはやてはウォルターと手を繋いだまま躍り出て、向かい合う。
「さて、目的地はここや、私が良く行っているお店。ウォルター君は、さっきの罰として、私に似合う服を一緒に探す事っ!」
「応。まぁ、美人に似合う服ならなんとかなりそうだな」
「び、びじ!?」
思わず叫ぶはやてに、何のことだと言わんばかりに首を傾げるウォルター。
何の気負いも無いその様子が、彼の言葉が本心からだったとはやてに伝えてくる。
頬が林檎のように赤く染まるのを感じながら、はやては慌てウォルターの手を引っ張り、先導する。
ただでさえ恥ずかしくて頭が茹だりそうだと言うのに、加えて赤く染まった頬を見られるのは、いくらなんでも恥ずかしすぎる。
「ほ、ほら、行くでっ」
「って、そんなに急がなくてもいいんじゃないか?」
訝しげなウォルターに、当然はやては振り返る様子を見せず、大股に店へと歩みを進めていった。
リニスを通じ、はやてはウォルターの経済状況は割と裕福であり、金銭的にさほど遠慮は要らないと把握していた。
しかし服飾にさほど強い興味は無いのも確かである。
すると高過ぎる店に行くと引かれてしまいそうなのだが、かといってあんまり安っぽい店に行って、安っぽい女と見られるのも嫌だ。
悩んだ結果、いつもより少し高い店に行く程度に落ち着いた。
と言っても、幼少時より生活費の管理をしてきたはやてである、財布は太っていても、紐は固めだ。
収入に比して控えめな店ではあるのだが。
店員の挨拶を浴びながら、はやてはウォルターの手を引きつつ階段を下り、レディースフロアに着く。
そこでようやく頬の紅潮が落ち着いてきたはやては、視線をウォルターへ。
辺りを見回した後、落ち着かない表情をするのを見つけた。
「お、ウォルター君ってやっぱオシャレ空間とか苦手な感じなん?」
「なんだその、俺がオシャレじゃ無い感じの話は……。別に苦手でも何でも無いが、男だからなぁ、こういうフェミニンな空間はどうも」
「いや、いつも真っ黒やん、ウォルター君……。てか、これで苦手意識あるんか」
と、口では僅かに呆れた様子を見せつつも、胸の内ではやては喉を鳴らした。
完璧に最も近い人間だと思っていたウォルターだが、思っていたよりも弱点は多い。
そういった人間らしい部分を見ると、そういう部分を独占しているかのようにさえ思えてくる。
ぞくっとする程の愉悦に、はやては思わず口元に半月を作った。
これで下着売り場に連れて行けばどうなるものか、と刹那思うも、頭を振り思考を払う。
いくらなんでも、それは流石に引かれるだろう。
「さて、女の子の服のいろはなんざ、何も分からないからな。少しは講釈してくれよ」
「へ? 何が?」
と、一人百面相をしているはやてに、唐突にウォルター。
疑問詞をあげると、呆れ気味にウォルターが言う。
「あのな、お前に似合う服を探す、って話はどうなったんだ?」
「ぁ……」
胸が脈動するかのような、高鳴り。
思わずはやては、ウォルターの手を握る力を強くする。
自然、はやては指を動かし始めていた。
ウォルターの硬く厳つい手に、その細い指を絡めようとして。
「……あ」
と、ウォルター。
疑問詞に彼の視線の先に視線を合わせると、試着室のカーテンが目に入る。
何事かと視線を返すはやてに、困り顔でウォルター。
「なぁ、いきなりだが、他の店にした方がいいかも……」
「え、なんで……」
と言ってから、似たような事が直前にあった事を思い出したはやて。
まさか、と視線をやるのと、試着室のカーテンが開くのとは、ほとんど同時であった。
翻る金糸の髪。
白磁の肌で形作られた肉体は豊満で、緑を基調としたワンピースに身を包んだその姿は、妖精が舞い降りたかのよう。
薄桃色の口唇は、その清純さを思わせるかのようで、彼女の美しさを一層と引き立てている。
その顔の中心を担う瞳が、まっすぐにはやての顔に向けられ、ぱちくりと瞬いた。
「……はやてちゃん?」
「……シャマル?」
勿論、大変気まずい思いであった。
4.
「という訳で、料理やっ!」
半ばやけくそに、はやては叫んだ。
それにウォルターは気付いているのかいないのか、ぱちぱちと拍手を浴びせる。
シャマルと鉢合わせた後は、カフェでギンガと出会うという事件があり、その後にはウィンドウショッピングでクロノとエイミィと遭遇。
あまりにも不運極まりない状況に、それでもはやてはくじけなかった。
一緒に買い物をして帰宅したはやては、自身の料理の腕を振るう事にしたのである。
しかも。
「じゃ、頼むぜ、はやて先生」
というウォルターもまた、サックスブルーのエプロンを身につけている。
そう、秘密兵器リニスを通じて、はやてはウォルターの好物を把握するついでに、彼がある程度自炊ができると言う事を知っていたのだ。
となれば、二人っきりの料理教室である。
むふふ、と影で笑いつつも、それにしてもリニスの優秀さには頭が下がる思いなはやてであった。
何でもリニスははやてとリィンフォース・アインには借りがあったので、幾分返すためだったと言う。
借りの内容もよく分からないし、そもそもそんな物は救われた時点でチャラだと考えているはやてだったが、リニスにとっては違うらしい。
都合は良いので受け取ってはおいたが、後々礼も必要だろう。
そんな事を思いつつ、はやては料理の先生としての第一声を発しようとして。
「ただいまー!」
崩れ落ちそうになるのを、気合いで押さえる。
そんなはやてを尻目に、普通に反応するウォルター。
「お邪魔してるぜー、ヴィータ」
「って、あれ、ウォルター!? あ、はやても!? てっきり今日は外食か何かかと……」
「俺もそう思ったけど、料理教室してくれるんだと」
だからせめて、料理教室の間は帰ってこないと踏んでいたのだが。
項垂れたはやては、気力を振り絞り、どうにか曲がった背筋をぎぎぎと伸ばす。
垂れた髪の毛の合間からの眼光で、ヴィータの瞳に願いを。
二人っきりにして、という念が通じたのか、引きつった笑みを作るヴィータ。
「そ、そーか。邪魔しちゃ悪いし、あたしはリビングでゲームでもやってるよ」
「邪魔? あれ、料理できるんじゃないっけ? お前」
「いや、そういうんじゃなくてさ……」
と、去ろうとするヴィータだが、ウォルターの流れるような言葉がそれを許さない。
「まぁ、とりあえず今日の品目ぐらいは聞いてけよ。今日はシチューハンバーグだってさ」
「え!? ギガうまじゃん!?」
「ハンバーグこねるぐらいならできるだろうし、後で参加するか?」
「あぁ、もちっ!」
と。
言ってからしまったという顔をするヴィータだが、はやての表情は最早諦観のそれとなっていた。
ウォルターの行為は、分からないでもない。
料理という家族のための行為を行うのに、はやてが妹のように想っているヴィータとの共同作業をするというのは、思い出に残る行為だ。
ヴィータは料理は食べるのが専門だ、はやてだってこれが常なら嬉しさで満点だっただろう。
けれど。
「ふ、ふふふ、えぇよ……。後で、な? ヴィータ」
「お、おう、ごめんなはやて」
ウォルターの死角から幽鬼のような気配を覗かせつつ、ヴィータに一言を。
顔を引きつらせたヴィータがムーンウォークで退場をするのを尻目に、ウォルターの視線移動に呼応するかのように幽鬼の気配を引っ込める。
後に残るのは、目を僅かに潤ませる感覚だけである。
「ん? どうした、はやて」
「な、なんでもないで」
内心歯を噛みしめながらの一言に、首を傾げるウォルター。
それを尻目に、はやてはウォルターへの料理指導を開始する。
その過程でウォルターの料理が予想以上に上手く、なのはやフェイトの腕前では危ういレベルだった事に驚いたりとしながら、二人きりの時間は過ぎていくのだった。
5.
八神はやてが知る限り、ウォルター・カウンタックは特別色香に強くはない。
自己制御が超人の域に達しているため他人認定した相手には全くドキドキしている様子は無いのだが、一定以上心を許した相手であれば年相応の男の子のような反応を、時折だが見せる。
無論それはウォルターのほんの一部でしかなく、あの英雄性、非現実的なまでの精神の強靱さを貶める物ではないのだが、事実としてそうなのだと言う。
リニス曰く、豊満な肢体を見てもさほど気にしないが、触れたり見せびらかしたりしてやれば意識する。
エイミィ曰く、フェイトとのデート映像を見る限り、指を絡めたり腕を抱きしめたりすればばっちり意識される。
どちらも信憑性のある発言であり、故にはやては。
「ふふふ……お風呂上がりの色気むんむんで悩殺やっ」
と、風呂場で丁寧に自らの肌を磨いた後、湯の中で体を温めていた。
半ば無理矢理な程にはやてに夜半まで居るよう勧められたウォルターは、困り顔ながらもリニスに連絡し、遅くなる旨を伝えた。
その間にと、はやては何時もより早い時間に風呂に入っている訳である。
時たまこういうとき、はやてはウォルターが案外押しに弱い所があるのでは、と思わないでもない。
信念に絡まない事であれば、あまり人間関係で我を通す事をしないし、男女の関係になれば尚更のようである。
「もしかして、ちょっと繊細な所があったり……?」
とは思うが、正直ウォルターを繊細と言うのには凄まじい抵抗があった。
彼の行動は慎重かつ大胆で、繊細などと言う言葉とは程遠い言動である。
かつて”家”で傷ついた姿を見せたことはあるが、あれは繊細云々以前に人間として傷ついて当然の傷であったし、そも、彼はその傷でさえも独力で乗り越えて見せたのだ。
「くす、まぁ大雑把とはちゃうけどな」
彼の今日の気遣いを思い、それが自分に向けられていた事に嬉しくなり、それからよく考えるとあんまり恋とか愛とかそういう感じの気遣いではなかった事に凹むはやて。
忙しく表情を変えた後、うう、と一つ唸ってから拳を振り上げる。
「よしっ、今日はお風呂の中にみんなのおっぱいは無いけど、昨日揉みまくってパワーもらったからなっ! 行くでみんなっ!」
屋内に居る4人と、まだ帰ってきていないシグナムに向けて叫ぶと、はやてはざばり、と音を立てて風呂桶の中で立ち上がった。
寸前の想像の中では揺れていた胸部装甲がほぼ揺れなかった事に気落ちしつつも、頭を振りはやては脱衣所へと足を進める。
パジャマ姿になったはやては、少し悩んだ末にシャツの一番上のボタンだけ外して僅かに肌を見せ、それからリビングへと向かった。
気配を読めるウォルター相手に心の準備は不審を呼ぶだけである、躊躇無しにはやてはリビングへと入る。
「上がったで-、ウォルター君っ」
「おう、はやて……」
ツヴァイと談笑していた様子のウォルターが、はやての姿に寸時釘付けになる。
思わず、と言った様相ではやてを見つめるウォルターに、はやては内心作戦の成功を確信。
心の中でガッツポーズを取ろうとした、その瞬間である。
「ただいま戻りました」
と。
玄関の方から声。
思わず、と言った様相でウォルターはそちらに視線をやり、当然はやての自称悩殺バディからは視線が逸れた。
遅れシグナムがリビングのドアを開き、姿を見せる。
「主、ただいま戻りました。……お、ウォルターか」
「おう、お邪魔してるぜ」
と片手をあげるウォルターに、シグナムは薄く微笑みながら薄手のコートを脱いだ。
コートの中は、はやての選んだシグナムの豊満な肢体のラインを存分に見せる服である。
開けた首元にはうっすらと汗が滲み、潤んだ肌はぞっとするような妖艶さを孕んでいる。
男なら誰でもむしゃぶりつきたくなるような程蠱惑的でありながら、シグナム自身の凜とした雰囲気がそれを健康的な美にしていた。
はやてですら息をのむそれに、ウォルターでさえ釘付けであった。
「今夜は秋口だというのに少し暖かいですね。汗を掻いてしまいましたよ」
と、苦笑しつつはやてに視線をやるシグナム。
それからその視線を辿った先にウォルターが居り、ウォルターが思わず自身に見とれている事に気付いたのだろう、顔を凍り付かせた。
意思せずとは言え、主の思い人を誘惑するなど彼女にとってはあってはならない事なのだろう。
顔色を悪くする彼女に、遅れウォルターが表情を戻し、からからと笑った。
「やれやれ、風呂上がりのはやてに続いてシグナムの私服か、眼福眼福」
目を瞬き、遅れはやては場を冗談で流そうというウォルターの思考を理解。
恐らくはやての恋心など理解しておらず、単に女性的魅力で主に対抗してしまう形になったシグナムへの助け船程度なのだろうが。
「……っ、てシグナムのおっぱいは私のやーっ! どうしてもと言うのなら、私を倒してからにしてもらおうっ!」
「でこぴん」
「ふごぉっ!?」
「はやてちゃーん!?」
叫ぶリィンを尻目に、はやては軽くでこぴんをされた額を押さえながら、ゆっくりと崩れ落ちる演技。
膝を落としつつ、上目遣いに睨みながら絞り出すような声で続ける。
「ふっ、この私を倒したとしても、すぐに第二第三どころか出血大奉仕、第四第五の私が……」
「よし、準備しとこうか」
言ってウォルターは、親指に残る4本の指を引っかけ、4本でこぴんの準備を。
慌てはやては、額を押さえながら後ずさりつつ叫ぶ。
「のわーっ!? ギブギブっ!」
「……くくっ」
と、その姿がよほどコミカルだったのだろうか、笑いを堪えるウォルター。
応じるように笑いを堪えるようにしているヴォルケンリッターの面々に、どうにか場の雰囲気を和ませる事に成功したはやては、ほっと胸をなで下ろした。
同時、胸を去来する空しさ。
――私、何やっとるんやろ。
磨いた柔肌で悩殺するはずが、何故自分は好きな人の前で道化の真似などしているのだろうか。
思わず崩れ落ちそうになる内心を押さえ、それでもはやては微笑んだ。
6.
「はぁ……」
溜息。
パジャマ姿でベッドの上であぐらをかくはやては、窓へと視線をやった。
夜闇を映す窓にははやての顔が映っており、死んだ目で自身を睨んでいるのが見て取れる。
謝り倒してきたヴォルケンリッターの面々に一人にしてくれと告げ、1時間ほど。
はやてはただただぼんやりと中空を見つめるばかりであった。
「やっぱり、そういう運命じゃないって事なんかなぁ……」
呟き、はやては掌を差し出した。
暗い窓に映る己の掌をぼうっと見つめつつ、鈍くなった思考を働かせる。
今日が最初で最後のデートになるかもしれなかった。
そんな日なのに、まるで運命が悪戯を仕掛けてきているかのように、ウォルターとのデートは上手く行かなかった。
至る所で邪魔ばかりでてきて、ウォルターとの相性が悪いかのような状況ばかりである。
というか、事実、相性が悪いというべきなのか。
「巡り合わせにない、っつーんかなぁ」
呟いた一言が、驚くほど重く胸中に響く。
何気なく呟いただけの一言の筈だったのに、何度もその言葉がはやての胸の中に反響し、ぞっとするほどにはやての内側を抉っていった。
理由無く、涙が出そうだった。
泣いてしまえばもう涙が止まらないと分かっているから、はやてはそれを押さえようと必死になる。
歯を噛みしめ、目を幾度も瞬き、唇を寄せ顔をくしゃくしゃにした。
それでも、防波堤は押し寄せる波に打ち勝てなくて。
「うっ……」
はやての両目から、ぽろり、と涙がこぼれ落ちた。
予期していたとおり、一度涙が出てしまえば止まらなかった。
――私、なんでこんな事で泣いちゃうんだろう。
自分のあまりの弱さが恥ずかしくなり、それが余計に涙の流量を加速させる。
最早止まるところを知らない涙に、ついにはやてが嗚咽を漏らしそうになった、その時である。
ぴりり、と通信音。
「――ぁ」
ストレージデバイスに表示されたのは、ウォルターからの通信を意味する文字であった。
反射的に出ようとするのを自制、はやては手早く涙を拭い、それから軽く手櫛で髪を整え、そこでコールが収まってしまう可能性に気付き、姿勢を正しこほんと一息。
映像通信に出る。
「よ、はやて、一人か? さっきぶりだな……って」
「うん、ウォルターくん、さっきぶり。今は一人やでっ」
流石に相手がウォルターだけあってはやての涙の跡に一瞬で気付かれるも、誤魔化しの笑みで押し通すはやて。
一瞬視線を迷わせたウォルターだが、すぐに笑みを浮かべはやてに真っ直ぐな視線を戻した。
「……そうだな。元気そうな顔で、心配要らないみたいだな」
慈しみの籠もった声に、はやては思わずそれほど元気な顔なのかと首を傾げ、ちらりと視線を部屋の中の鏡へ。
見れば、先ほどまで泣きはらしていた自分の顔は、驚くほどに元気そうになっていた。
明らかに裏が無いと見て取れるほどの笑顔。
ウォルターと顔を合わせただけでこんなに元気になれてしまう自分に、現金な物だと内心はやては苦笑した。
「で、どうしたん、ウォルター君」
「あぁ。何か今日、特に最後の方は、はやてが元気ながらも辛そうな感じだったからな。ヴォルケンリッターの前じゃあ中々そういう面って見せられないだろ? だから、一人の時間を見計らって通信してみたんだが……」
にこり、とウォルターが微笑んだ。
常に見るそれに比し優しげな笑みに、はやての胸が高鳴る。
「何があったのか、元気になったみたいだな」
――ウォルター君のお陰やもん。
そう言いたくて、でも言えなかった。
言える筈が無かった。
はやては今の所、ウォルターとの関係は仲の良い男友達で止めているつもりである。
傍目にはそう見えなくとも、少なくとも自身としてはそうだ。
その自身で定めた境界線が、その言葉を言わせてくれない。
親友達の好きな人を取るのが、怖くて、できなくて。
それでも、天に昇りそうなほどに嬉しかった。
巡り合わせじゃなかったかもしれない、なんて考えていたウォルターが、そんなにもはやての事を考えていてくれたなんて、嬉しくて恥ずかしくって、心が破裂しそうだった。
だから。
はやては、今の自分にできる限りの感謝を伝えたくって。
言葉の上では大した事は言えないけれど。
「えへへ。八神はやては元気の子、ウォルター君程やないけど、凹んでもすぐに元気になれるんやもん」
せめて笑顔だけは、満面の笑みで。
応じてウォルターもまた、非の打ち所が無い、満面の笑みを浮かべる。
完璧な笑みだった。
完全無欠の笑みだった。
なのに何故だろうか、はやてはそこに僅かな不安を感じた。
笑みは完璧で、その場面を切り取れば間違いなく芸術となるだろうぐらいに鮮烈で、それでいて祝福と賞賛に満ちた素晴らしい笑みだ。
けれど、どうしてか、ほんの僅かな不安がそこから滲んでいる。
それはきっと、長年のつきあいのはやてだからこそ感じられたのかもしれない。
「……ウォルター君?」
「うん? どうした?」
思わず疑問詞を吐き出したはやてに、ウォルターは笑みを浮かべたままに問う。
滲んだ不安は、既にウォルターの顔には欠片も無かった。
はやてが見た不安も、ほんの一瞬だったので、勘違いか記憶違いかとしか思えず、だからはやては内心疑問符を浮かべつつも、こう告げるほか無かった。
「ううん、なんでもないっ」
「そっか? ま、いっか」
不思議そうに言うウォルターに、はやては次々と他愛ない話を続ける。
応じるウォルターはどうしようもなく魅力的で、はやての心を掴んで離さない。
――やっぱり、諦めきれない。
八神はやては、横恋慕と知りながらも、ウォルター・カウンタックを諦められなかった。
好きで好きでしょうがなくて、胸の内がいっぱいになって、はち切れそうで。
けれど、まだそれを口に出して言うほど、親友達との絆を割り切れもしなくて。
だから、はやては口に出さずに心の中でだけ告げる。
両手を胸に当て、口を動かし燃せず、視線だけで告げる。
――好きです、ウォルター君。
当然その言葉は、空気を振るわせる事はなく。
代わりにはやての心をだけ振るわせて、その振動は何時までもはやての心の中に残っているのであった。
あとがき
新生活が気の早い始まり方をした感があったりして、遅れました。
が、とりあえず更新です。