アンリエッタ姫殿下が魔法学院にきた、その日の夜……。
ボーっとしているルイズの部屋には頭巾をかぶった女性らしき姿が、ノックをしたあとに入ってきて、魔法の詠唱を行っている。
「ディティクト・マジック?」
ルイズが探知をしていることを訪ねた。
頭巾をかぶった女性がうなずく。
「どこに耳が、目が光っているかわかりませんからね」
女性が頭巾を取ると現れたのは、今日の昼間に見かけたアンリエッタ姫殿下その人であった。
「姫殿下!」
ルイズがあわてて膝をついたので、それにならって、ケヴィンも膝をつき頭を下げる。
アンリエッタ姫殿下は涼しげな、心地よく聞こえる声で言った。
「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ」
この部屋に現れたアンリエッタは、ルイズに対して昔のように接しようとしている。
対してルイズは、臣下のように接しようとしていたが、アンリエッタの言葉巧みな誘導にどんどんとはまっていく。
そこで、さも気が付いたようにアンリエッタが、
「あら、ごめんなさい。もしかして、お邪魔だったかしら」
「お邪魔? どうして?」
素で言っているルイズである。
「だって、そこの彼、あなたの恋人なのでしょう? いやだわ。わたくしったら、つい懐かしさにかまけて、とんだ粗相をいたしてしまったみたいね。そのように、かしこまらないで、お顔をおあげなさい」
ケヴィンは、策略だろうと思いつつも、下げていた頭を素直に上げて、アンリエッタを見る。
ルイズは、どうこたえるべきか悩んでいるようだ。
どうやら、昼間に見かけたワルド子爵のことを気にかけているようである。
それを察したケヴィンは、
「俺は、ルイズの使い魔です」
「使い魔?」
アンリエッタは、きょとんとした顔をした面持ちでケヴィンを見つめた。
「人にしか見えませんが……」
「人です。姫さま」
「そうよね。はぁ、ルイズ・フランソワーズ、あなたって昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」
「いえ、使い魔になったのは……」
ルイズも困惑気味で、どう説明したらいいのか、考えてもいなかったのであろう。
アンリエッタはため息をついた。
「姫さま、どうなさったのですか?」
「いえ、なんでもないわ。ごめんなさね……、いやだわ、自分が恥ずかしいわ。あなたに話せるようなことじゃないのに……、わたくしってば……」
「おっしゃってください。あんなに明るかった姫さまが、そんな風につくってことは、なにかとんでもないお悩みがおありなのでしょう」
ケヴィンから見ると、アンリエッタがわざわざ時間をつくって単純に昔の幼友達にあいにきたこととは思えない。
たとえ宮中に信頼できるものが、居ないとしてでもある。
結論はひとつ。
「横からすみませんが、姫殿下が抜けていられる時間は、限られてはいるのではないのですか? 幼馴染であるルイズに頼みごとがあるのならば、その時間を有効に使われるとよいかと」
ケヴィンとしては、これからくる話は把握しているつもりである。
ルイズからの視線は、貴方知っているのでは? という疑いと、これから何を伝えられるのかという期待感が微妙に入り混じっている。
意を決したようにアンリエッタが話を始める。
同盟のために、アンリエッタがゲルマニア皇室に嫁ぐことになったこと……。
アルビオンの貴族たちは、トリステインとゲルマニアの同盟を望んでいないこと。
同盟さえなければ、1ヶ国ずつなら楽に攻略されること。
アルビオンの貴族たちは、アンリエッタの婚姻のさまたげるための材料を、血眼になって探していること。
その婚姻を妨げる材料は、アンリエッタ姫が以前したためた一通の手紙でありアルビオン王国ウェールズ皇太子がもっていること。
その手紙をゲルマニアの皇室が読めば、婚姻はつぶれトリステインとの同盟は反故で、トリステインは一国でアルビオンに立ち向かわなければいけないだろうとのこと。
「では、姫さま、わたしに頼みたいことというのは……」
「考えてみれば、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険なこと、頼めるわけがありませんわ!」
「何をおっしゃいます! たとえ、地獄の釜の中だろうが、竜のアギトの中だろうが、姫さまの御為(おんため)とあらば、何処なりと向かいますわ! 姫さまとトリステインの危機を、このラ・ヴァリエール公爵家の三女、ルイズ・フランソワーズ、見過ごすわけにはまいりません! 『土くれ』のフーケのゴーレムを退治した、このわたくしめに、その一件、是非ともお任せくださいますよう」
「このわたくしの力になってくれるというの? ルイズ・フランソワーズ! 懐かしいおともだち!」
「もちろんですわ! 姫さま!」
「姫さま! このルイズ、いつまでも姫さまのおともだちであり、まったき理解者でございます! 永久に誓った忠誠を、忘れることなどありましょうか!」
「ああ、忠誠。これが誠の友情と忠誠です! 感激しました。わたくし、あなたの友情と忠誠を一生忘れません! ルイズ・フランソワーズ!」
ケヴィンは途中で、この2人につっこみをいれたくなってみたが、結局はあきらめた。
「アルビオンに赴(おもむ)きウェールズ皇太子を捜して、手紙を取り戻してくれば良いのですね? 姫さま」
「ええ、その通りです。『土くれ』のフーケのゴーレムを退治したあなたたちなら、きっとこの困難な任務をやり遂げてくれると思います」
「一命にかけても。急ぎの任務なのですか?」
「アルビオンの貴族たちは、王党派を国の隅っこまで追い詰めていると聞き及びます。敗北も時間の問題でしょう」
「早速明日の朝にでも、ここを出発いたします」
ちょっと間が空いてから
「頼もしい使い魔さん」
「俺ですか?」
「わたくしの大事なおともだちを、これからもよろしくお願いしますね」
そう言って、すっと、左手を差し出す。
ルイズは何かいいたげだが、だまっているので、その左手の甲に口をつけ忠誠をしめした。
そうするとギーシュが、自分もとばかりに扉を開けて入ってきた。
「きさまーッ! 姫殿下にーッ! うらやましいぞーッ!」
「ギーシュか」
「ギーシュ! 立ち聞きしてたの? 今の話を!」
「薔薇のように見目麗しい姫さまが、女子寮にむかってきたのでさがしてきてみればこんな所へ……、それでドアの鍵穴からまるで盗賊のように様子をうかがえば……」
ギーシュは薔薇の造花を振り回して叫びんでいる。
入ってきたギーシュを、ケヴィンが踏みつけながら、
「女子寮に潜り込めるのは暗黙の了解だが、夜の場合は窓からだろう?」
ケヴィンはギーシュを軽く首を締め上げていただけだったが、そこを抜け出すぐらいの技量はギーシュにあったようで、すばやく抜け出し、
「姫殿下! その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せつけますよう」
ここでも、派手なポーズをいちいちきめながら話している。
これも天性なのだろう。
「グラモン? あの、グラモン元帥の?」
「息子でございます。姫殿下」
「あなたも、わたくしの力になってくれるというの?」
「その困難な任務の一員にくわえてくださるなら、これはもう、望外の幸せにございます」
とギーシュは返答し、その熱っぽい口調にアンリエッタは微笑んだ。
「ありがとう。あなたのお父さまも立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようね。ではお願いしますわ。この不幸な姫をお助けください、ギーシュさん」
「姫殿下がぼくの名前を読んでくださった! 姫殿下が! トリステインの可憐な花、薔薇の微笑みの君がこのぼくに微笑んでくださった!」
ギーシュはそのまま後ろにのけぞって失神した。
ギーシュはおいといて、ルイズが真剣そうな声で、
「では、明日の朝、アルビオンに向かって出発するといたします」
「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及びます」
「了解しました。以前、姉たちとアルビオンを旅したことがございますゆえ、地理には明るいと存じます」
「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族たちは、あなたがたの目的を知ったら、ありとあらゆる手を使って妨害しようとするでしょう」
アンリエッタは机に座ると、ルイズの羽ペンと羊皮紙を使って、さらさらと手紙をしたため、その手紙を見つめているうちに悲しげに首を振った。
「姫さま? どうなさいました?」
怪訝そうな顔でルイズが声をかける。
「な、なんでもありません」
そのあと、手紙に一文を付け加えて、何やら小さくつぶやいていたが、アンリエッタは書いた手紙を巻いて、杖を振る。
すると、どこから現れたものか、巻いた手紙に封蝋(ふうろう)がなされ、花押(かおう)が押されていた。
そうしてアンリエッタが書いた手紙はルイズに渡される。
「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐにくだんの手紙を返してくれるでしょう」
それからアンリエッタ姫は、右手の薬指から指輪を引き抜くと、ルイズに手渡しまた。
「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が必要なら、売り払って旅の資金にあててください」
ルイズが深々と頭を下げた。
「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹くたけき風から、あなたがたを守りますように」
ケヴィンから、出発に際して学院に休暇願と馬の使用届提出が必要なことをアンリエッタ姫殿下に告げると、そこまでは考えていなかったのであろう。
アンリエッタは悩んではいたが、オスマン氏が王宮の要求さえはねのけることができるのを知っているのと、ケヴィンのカイザーを知らないので、馬が必要だろうというのは理解した。
翌朝、朝もやの中、ルイズとギーシュとケヴィンがあった早々の開口一番に、ギーシュが、
「使い魔をつれていきたい」
と言って、ヴェルダンデと名づけられたジャイアントモールを紹介される。
「わたしたち、これからアルビオンに行くのよ。地面を掘って進む生き物なんて連れていくなんて、ダメよ」
ルイズがそう言うのも普通である。
空中に浮くアルビオンへ、地面を進む生き物を連れて行けないのが普通である。
そのうちにヴェルダンデが、ルイズに擦り寄って押し倒していた。
ケヴィンは、水のルビーの匂いを覚えてもらう必要になるかどうかで、どうしたものかと悩んでいたが、ヴェルダンデの下で暴れていたルイズに助けが入る。
ヴェルダンデを吹き飛ばすだけで、それほど強い衝撃も与えていないほどに精密な制御をしている一陣の風。
朝もやの中からは、一人の長身の貴族が現われ挨拶をしてきた。
「僕は敵じゃない。姫殿下より、きみたちに同行することを命じられてね」
そう。ワルド子爵が現れてきた。
続けてワルド子爵は、ルイズをまるで子どものように抱え上げているのだが、ルイズは子ども扱いされていることに気がつかずに、頬を染めている。
ルイズがワルド子爵へ俺たちの紹介をしている。
人間が使い魔というのは、さすがに珍しいのだろうが。
「きみがルイズの使い魔かい? 人とは思わなかったよ」
ワルド子爵は気さくな感じでケヴィンに近寄る。
「僕の婚約者がお世話になっているよ」
「お言葉ですが、ルイズの新しい婚約者になるのは俺ですよ」
ワルド子爵は一瞬絶句したようだったが、すぐに気分を切り替えたのか、
「そのことは、ヴァリエール公爵は知っているのかね?」
ケヴィンがルイズを見ると、首を横にふる。ケヴィンは確認しておけばよかったと思ったが、それではルイズの貴族としての考え方に対して疑問をだしてしまうことになる。
同時に見ていたワルド子爵は、
「それなら、僕にもチャンスは、まだある」
そう言って笑っていた。
ワルド子爵が、口笛を吹いた。
この間にグリフォンがくるのであろう。しかし、その時間を使ってケヴィンがワルド子爵に近寄って、告げた。
ルイズやギーシュにも聞こえるように、
「姫殿下より同行を申し付けられたと言われていたけど、マザリーニ枢機卿に断わらなくていいのですか?」
現状の体制では、マザリーニ枢機卿へ報告しておかないと脱走扱いになり、脱走は死罪だ。
「枢機卿の了承をとってあり、影武者もしっかりいる」
あっさりとワルド子爵は答えた。
影武者と言っているが、風の偏在だ。
ワルド子爵の動向は、ケヴィンにとって完全な予測外。
ワルドを追い返せると油断していたケヴィンは後悔したが、ワルドは純粋に護衛なのか、それともマザリーニ枢機卿の許可を得て何かをするのか、それともレコン・キスタにつくのか。
*****
枢機卿に了承をとってあるのは3巻でアンリエッタが「別行動をとっているのかしら?」というところからの、オリ解釈です。
2012.04.10:初出