ギャラルホルンの出現により戦況は悪化の一途をたどっていた。移動要塞内部から多数のカオスが出撃し、すでに2発の核ミサイルがプラントへと撃ち込まれている。そして小型のジェネシスは地球全土を焼き払うほどの火力はなくとも立ちふさがる艦隊をなぎ払うには十分な火力があった。
そして、ギャラルホルンは地球を目指していた。
もしも、地球軍が核ミサイルを使用できたなら。条約によって厳重に封印され、即座に使用可能な状況ではない。その力は、ただ人が人を焼くためだけに使われた。
もしも、ザフト軍にジェネシスが残存していたとしたら。ギャラルホルンに大打撃を与えることもできたことだろう。しかし、その功績は人類を滅亡一歩手前まで邁進させた、それだけのことだった。
人はその種としての力を、同種を焼くためだけに用いてきたのだ。
そして、人類滅亡はすぐそこにまで迫っていた。
ギャラルホルンはその巨体でまっすぐに地球を目指していた。この小惑星基地に大気圏突入能力などない。ハイムダルの目的は支配などではないのだ。わずか直径数kmとはいえ、その内部には多数の核物質が搭載されている。落下すれば放射線を帯びた塵が空を覆い尽くし核の冬が訪れる。
ギャラルホルンとはまさに、人々に滅びの襲来を告げる角笛だった。
では、もはや人が救われる手だては残されていないのだろうか。それはわからない。ただわかっていることは、人は、まだ諦めてはいないということだった。
長引く戦争によって多くの手札は失われた。しかし、誰もが知る切り札は、いつだとて人々の目の前にあった。
人に手を差し伸べるのは、いつだとて人なのだから。
オーストラリア大陸沖の海中に、ザフト軍ボズゴロフ級潜水艦の姿があった。セイバーガンダムのパイロットであるハイネ・ヴェステンフルスの母艦である。
ブリーフィング・ルームにて、ハイネは奇術師のように派手な艦長殿より何もないところから鳩が飛び出す以上に驚くべきことを聞かされていた。
「弾道ミサイルが頭上を通り過ぎるっていうのか?」
「その通りだ。ディーヴィエイトのパイロットが追跡、位置情報を四方八方に垂れ流している」
モニターには速度では劣りながらもうまくコースを選択し食らいついているディーヴィエイトの軌道が、核ミサイルの軌道を追う形で表示されている。ミサイルが通らない近道ということは、AIが安定した飛行が難しいと判断した空域と角度で飛行するということだ。同じ、戦闘機への可変機構を備えるガンダムのパイロットであるハイネだからこそ、それが簡単なことでないと理解していた。
「ミサイルは音速を超える。いくら可変機とは言え、無茶をする」
「我々としてもこのクラスの核が落とされるのは好ましくない。よって、迎撃をすることにした。作戦内容はこうだ。君のセイバーガンダムでミサイルを追う。接触の一瞬で弾頭を切り離す。そうすればミサイルは無力化される」
「だが、そこまでの加速となると可変機構が機能しなくなる恐れがある。まさかウイングを剣の代わりすることもできないだろ?」
「そうだな。そこで私はこう考えた。セイバーの上に別のモビル・スーツを乗せ、そちらに弾頭の切断を任せればいいとな。私はこれをオペレーション・ウラシマと名付けた」
どこから引っ張り出してきたのか、モニターには亀に乗った漁師の姿が表示される。
「ギナ艦長、ウラシマ効果と関係があるのか?」
「いや、単に亀の上に人が乗っているところに着想を得ただけだ」
「隼に乗った奴の話は見つからなかったのか?」
甲羅を背負わされる役を、ハイネはためらったらしかった。
こんな時、ある意味でロンド・ギナ・サハク艦長は最強と言えた。自分の言いたいことだけを言って、周囲の意見など耳に入らないからだ。
「なお、本艦の計算では最適なモビル・スーツはインテンセティガンダムと出た」
甲殻類を思わせるバック・パックを背負った、どちらかと言えばこちらが亀を思わせるガンダムが表示される。問題は、これが大西洋連邦軍によって開発された機体であるということだ。
「今からろ獲するつもりか?」
すると、ブリーフィング・ルームのスライド・ドアが開くとともに女性の声がした。
「その必要はない。すでに話はついている」
ギナ艦長の双子の妹、ロンド・ミナ・サハク船医だった。容姿についてはほぼ同じなので割愛してよいだろう。問題は、そんな船医の後ろにいる、地球軍のノーマル・スーツを来た女性の存在だった。
「紹介しよう。ジェーン・ヒューストン。私の友人で……」
「白鯨がなぜここにいる!?」
「私の友人だと言っただろう?」
白鯨と呼ばれたファントム・ペインとはこれまでも何度か剣戟を交えた。カーペンタリア基地を巡って、そもそも、ハイネがこの潜水艦に配属されるきっかけを作ったのがこのエース・パイロットなのだ。
敵の船に乗り込んでいるというのに白鯨はまったく慌てた様子を見せない。はたからみればハイネの方がよほど慌てているように見えたことだろう。
ハイネは努めて息を整える必要があった。
「初耳だ。それに、白鯨が手心を加えてたようには見えなかったぞ」
間違いなく本気でこのボズゴロフ級を撃沈するつもりで攻撃を仕掛けてきたのだから。
「当然だ。我々は友人だが、戦場では躊躇なく殺し合うことができる。だからこそ、私たちは友人になったんだ」
「あんたもあんただ。敵艦に乗船など、反逆行為を疑われるだけだぞ」
「ラリー・ウィリアムズ首相から作戦実行の許可は得ている」
ラリー・ウィリアムズ東アジア共和国首相の軍部における評判は最悪だった。軍備拡張に消極的であり、カーペンタリア基地奪還のための具申をことごとく退けていたからだ。世界安全保証機構でもこの禿頭の男性がプラントとの早期和平交渉を主張したことは記憶に新しい。
現場のことを知らない臆病者、それがウィリアムズという男に軍が下した評価だった。そのような男が突然、奇抜な軍事作戦の許可を出したのか、それは本人自身、誰かに尋ねたいことなのかもしれない。
執務室で腰掛けながら、首相は窓の外に移る空を見上げていた。
しかし、執務室にはもう1人、ブルカを身につけた女性がいた。
「よろしかったのですか?」
「これ以上、戦争が長引くのはごめん被りたいのは本音です。ただ、腕だけ出して溺れている人を敵か味方かなど判断するのは後からでいい」
しかし、激変した状況に戸惑っているのだろう。これまでの判断が通用しない状況に、ウィリアムズ首相はいつまでも落ち着きを取り戻せない。
「リンデマン殿、あなたは何者なのですか? ユニウス・セブン条約締結に尽力されたことで名をあげたあなただが、その行動は一貫性を欠く。プラントよりの発言が少なくない一方、ロビー活動では地球側を支援するものが少なくない。今、こうしてあなたがここにいるのもその一端でしょう」
そそのかされたとは言わない。しかし、ザフトとの連携を軍に許可できたのは、スカンジナビア王国を代表する、マリア・リンデマンの助言があったからこそなのだ。
「私には妹がいるのです」
「初耳ですな」
「私が妹にしてあげられることは多くありません。また、妹はプラントにも、地球にもいるのです」
「ほう、お二人おられると?」
「いいえ、あなたがお考えになるよりは多いのです」
カオスの部隊がオーストラリア大陸を目指して飛行していた。迎え撃つのは東アジア共和国の艦隊だった。そう判断したとすればそれは誤りだと言えた。海中から複数のボズゴロフ級が浮上、垂直カタパルトからヅダが射出される。
ハイネはモビル・アーマー形態に変形したセイバーのコクピットにすでに入っていた。すぐ上にインテンセティガンダムが乗せられる。垂直カタパルトは使用できないため、通常カタパルトに乗せられた。天井に触れないようインテンセティガンダムが窮屈そうにかがむ様は、どこか人間じみている。
やがて、作戦は開始された。
ボズゴロフ級は船尾側を沈めたまま、船首を洋上へとつきだした。いわゆるウィリー走行を行うことで、本来は水中射出しかできないはずの通常カタパルトでセイバーたちを空へと打ち上げようというのだ。
格納庫では整備員たちが必死に思い思いのものにしがみついている。
ハイネ自身、背中を背もたれに吸い寄せられる力を感じながら、それは押しつけられる力に変わった。セイバーがその背中のインテンセティごと打ち出されたのだ。
一気に広がる視界。眼下では数日前まで殺し合っていた地球軍とザフト軍が肩を並べて戦っている。
上昇中のセイバーを狙ってきたビームをストライクダガーがシールドで受け止め、その隙にヅダが大柄の戦斧でカオスを叩き斬る様を目にした。
「映画でよく見たな。人類の危機にこれまで争ってた人類が一致団結するって話だ。俺はこの手の話があまり好きじゃない。ご都合主義すぎてな」
この場限りの相棒は、あまりおしゃべりが好きではないのだろうか。加速の勢いはいまだにハイネの体に重くのしかかっている。
「そうだろ? この戦いが終わればどうなる? これで戦争が根絶されるとは到底、思えないだろ?」
加速に体が慣れたところでようやく、ジェーンから、白鯨から返事があった。
「私は反対に、世界を一つにしたいという発想を好まない」
「バラバラでいいのか? 戦争が起こるぞ」
「では聞こう。一つの世界とは、どんな世界になると思う?」
特に具体的な姿を、ハイネが想像できた訳ではなかった。敢えて言うとすれば故郷であるプラントの街並みが世界中で見られる、そんな光景だろうか。
「人がその世界を想像する時、自らが所属するコミュニティの延長線上にある世界を想定する。自分とまったく異なる価値観、文化が世界を平らにすることを人は無意識に望まないのだ。キリスト教原理主義の支配する進化論さえ認めない世界か、女性の就業さえ認めないイスラム教原理主義の世界を、君は想像したか?」
本来は敵であるはずのミナ船医と友人関係を築いていたことを、ハイネは思い出すまでもなかった。
「違うから人は争い、傷つけあってしまう。しかし、違いをなくせばいいという発想は支配と直結する。自身の価値観への統合をその本質とするからだ。だが、人は、お互いが人であるということを心のどこかで忘れないでいてくれた。私はそれを、ただ嬉しく思う」
このままでは格好がつかないのはハイネの方であるらしかった。
「掴まっていろ、お前を必ず冥王のお膝元に連れて行ってやる」
「プルトニウム型とわかったのか?」
「細かいこと気にすると舌を噛むぞ」
ガンダム・タイプがそのすべての性能を開放する時、それは光を纏うときだ。装甲に搭載されたミノフスキー・クラフト・システムが推進力を生み出す際に生じる余剰エネルギーが光となって放出されるため、出力を最大にすることで光もまた頂点へと上り詰める。
セイバーガンダムが光を放ち加速する。大気を切り分け、轟音を轟かせながら光の矢となって。
レーダーに反応があった。核ミサイル、そして、それを追うディーヴィエイトのものだ。
「こちら、セイバーのハイネ・ヴェステンフルスだ。ディーヴィエイトのパイロット。聞こえているか?」
「スウェン・カル・バヤンだ。助力に感謝する。だが、その速度は明らかに限界を超過している」
けたたましい警告音は通信を通して聞こえていることだろう。
「警報機の故障か、でなければお前さんのところのが混線してるんだろ」
実際、通信機越しに聞こえる警報音のせいでアラームが二重に聞こえていた。
「無茶はお互い様だ」
「……幸運を祈っている」
ディーヴィエイトを追い抜き、セイバーはさらに加速した。機体各所の破損を伝える警報が鳴り響き、振動のあまり外れたコンソール・パネルが宙を舞った。乗り慣れた愛機だ。ハイネはその限界が近いことを理解していた。
「いいか、白鯨、チャンスは一度きりだ」
「十分だ」
そして、ハイネは叫んだ。
「飛べ! モビーディック!」
その瞬間、まばゆい光とともにインテンセティはセイバーの背中からまさに発射された。その手にしたトライデントを核ミサイルへと突き立て、一気呵成に両断する。
ウイングはもがれ、装甲は剥がれていく。崩壊しながら落ちていくセイバーの中で、ハイネは人の勝利の瞬間を見届けた。
ユグドラシル。ハイムダルと同じ神話で語られる巨大樹の名である。その葉は天にまで届き、その根は九つの世界に広がるとされる巨木の名だ。
はるか宇宙にまで巨大なビーム砲を届かせるその巨大兵器は、一つは月面に、もう一つは南米ジャブローに置かれていた。ボパールにはダニーが設置されている。では、残る六つの根はどこにあるのか。
一つは大西洋連邦、タスキーギ基地に置かれていた。退役軍人の保養地が置かれているこの基地は旧式の戦車まで持ち出しての総力戦に臨んでいた。戦車の主砲でカオスのフェイズシフト・アーマーを貫くことはできない。しかし、こんなことで狼狽える者はいない。
この戦争は、ユニウス・セブン休戦条約を挟んで14年目に突入した。若い兵士は初期の戦争の姿を知らないことだろう。いち早くモビル・スーツを完成させたザフト相手に、性能では遙かに劣る戦車で前線を維持し続けてきた戦いの歴史を。
戦車が軽々と走行する。カオスの攻撃は旧型をとらえることができない。対モビル・スーツを想定した装備は、データは戦車戦では十分に効果を発揮しなかったのだ。走り回りながら放たれた主砲は、次々カオスを捉えた。装甲が破壊されることはない。しかし、質量弾はカオスの内部機構に確実にダメージを与え、それを嫌ったカオスが地上へと降り立った。これで四方から狙い撃ちにされることはない。
それこそ、戦車乗りたちのもくろみ通りだった。
茂みに隠れていた戦車が一台、慎重な狙いのもと放った主砲は、カオスの膝を真後ろから捉えた。フレームが破断し、思わず膝をつくカオス。すると、次々に集結した戦車が集中砲火を浴びせ始めた。首に、腰に、肘に、装甲で覆うことのできないフレームめがけて鋼鉄の塊が次へ次へと撃ち込まれるのだ。頑強なフェイズシフト・アーマーは破壊されることはない。しかし、フレームはその限りではない。
やがてカオスは無傷の装甲を備えたまま、完全にその機能を停止した。
そして、タスキーギ基地から光の柱が立ち上った。
それは宇宙へと到達すると、屈折コロニーによって導かれ、ギャラルホルンへと命中する。しかし、相手は移動要塞。すぐに回避運動をとったことで十分な破壊には至らなかった。だが、その光はジェネシスを破壊した。
もう一つはユーラシア連邦黒竜江基地。
足を破壊され立つこともできないストライクダガーを、武器を失ったヅダが肩を貸す形で支えていた。身動きのとれない固定砲台であってもいい。ただ、世界樹の光を、宇宙で戦う戦士に届けるために。
そんな2機のモビル・スーツの背後で、ユグドラシルの光が天へと登っていった。
その頃、ストライクダガーとヅダの混成部隊ではこのようなやりとりが行われていた。通信は繋がっていない。だからこそ、ストライクダガーは外部照明を点滅させてのモールス信号を用いた。
ここにまもなくユグドラシルの炎が到達する。
ストライクダガーが離脱を開始すると、ヅダたちもまたそれに引き続いた。しかし、カオスだけは離れようとしなかった。モールス信号を盗み見ることができなかったのだろうか。敵対勢力が互いをフォローするような信号を送るはずがないと判断したのか。
巨大なビームの柱はカオスの編隊をまとめて焼き払った。
屈折コロニーの操作はステラ・ルーシェが担っていた。ユグドラシル・システムに製造の段階から関わっていたガーティ・ルー、その一室に神殿のような一室があった。ステラの座る、制御室だ。
ステラは目を閉じながら、しかし何かに気づいたように目を開く。また地球上から送られたユグドラシルのビームを感知、屈折コロニーの角度調整を完了させたのだ。それは再びギャラルホルンをかすめそのスラスターの一部を損傷させた。
無論、ハイムダルとて無策ではない。ユグドラシルの発射基地へと地上に送り込まれたカオスを集中させはじめていた。ガーティ・ルーの位置も露見しつつあった。
戦いはまさにこれからが正念場であった。ゆえに、人は戦い続けていた。
アウル・ニーダのインテンセティガンダムはガーティ・ルーを、ステラを守り戦っていた。頭部に甲殻類を思わせる被り物をした姿は、ひどくカオスを連想させる。それこそ、カオスがカオスたる所以なのだろう。どちらも似た位置にビーム砲を備え、互いに撃ち合った。カオスは直撃を免れず胴体を撃ち抜かれたがアウルはそれを回避、返す刀で別のカオスへ三叉戟を突き立てて見せた。
「スティング、どうもお前の仇、討ってやれないみたいなんだ。だから代わりに守ってやる。お前が守りたかった地球を。だから、それで勘弁してくれよな」
ザフト地上軍が地球軍と同調したことで、宇宙軍からも離反者が現れ始めた。明らかにプラントを攻撃する勢力を、地球も攻撃しているからと野放しにできる部隊は決して多くなかったのである。
仮にハイムダルの排除に成功すれば、また地球軍が巨大な敵となる。逆転の芽はハイムダルに便乗することしかない。そう、上層部が繰り返したところで、すでに後先考えていられる状況ではなくなっていたのだ。
結果として、ザフト宇宙軍でさえヨートゥンヘイムを中心とした一部近衛隊だけが地球軍への攻撃に参加しているだけだった。それゆえ、部隊の士気は高かった。
カオスに背中を刺されながらもただ、地球軍へと射撃を続けたヅダがいた。大破しながらも撤退しないゼーゴックはカオスの攻撃にひるんだ後、地球軍によって撃墜された。
破壊されたストライクダガーの残骸を霧のように纏う、悪意の星があった。立ち向かうのはガンダムラインルビーン。キラ・ヤマトのガンダムだ。
「ラクス、もうやめるんだ。この戦いは、人と人が争っている場合じゃない!」
モビル・スーツの優に3倍はある巨体だ。搭載されたビーム砲台は次々にラインルビーンを襲い、キラを翻弄する。
「これはお父様のお言葉なのですよ、キラ」
敬虔なカルトのような言葉だが、今のラクスの瞳に狂信の輝きが宿っているようには誰の目にも見えないことだろう。ひどく空虚で、眠ったようにコクピットに座っているだけでさえあった。
明滅する光。飛び交う光線。破裂する光の中、命が一つずつ消えていく光景が、夢心地に思えているのだろうか。
キラもまた、ここでフレイ・アルスターの声が聞こえてくるとは夢にも考えていなかった。
「ラクス、もういいでしょ。ムスペルヘイムが危ない感じなんだけど」
「フレイ、君がどうしてザフトの旗艦にいるんだい?」
キラにも聞こえているように、専用回線を用いたものではない。つまり、正規の通信手順を踏んだものには思えなかった。
「別に親友のお姉さんに会うくらい、不思議でもないでしょ?」
「そうじゃない、危険だって言ってるんだ」
ムスペルヘイムはすでに中破と言っていい有様だった。カオスを無視する形で戦闘を続けている以上、損害は飛躍的に拡大を続けている。
接近するカオスに対して攻撃をためらった機銃手がビームの直撃を受けた。炎は人の通り道を伝い装甲の隙間を通り抜ける形で通路にまで達した。ムスペルヘイムの格納庫から発進しようとしていたナスカ級高速戦艦がカオスによる攻撃を受けたのはそのときだ。
カオスは学習しつつあった。ムスペルヘイムはこちらに攻撃を仕掛けてこないと。より攻撃が大胆に苛烈になりつつあった。
しかし、人は学習しない。ムスペルヘイムはカオスにされるがまま、その損害を拡大させていた。通信では、フレイの短い悲鳴も混じっていた。ブリッジにまで損害が及ぼうとしている。
「アーノルド、ここは僕が引き受ける。行ってあげて欲しい」
「ですが……」
「とにかく動くんだ。議論している時間はない」
まじめな副隊長がシャムス、スウェンに続き離脱したことで、キラの部隊は残るはシン・アスカとアイリス・インディアのみとなってしまった。
「私も行きます」
「ああ、アイリスも、ってどうして君が!?」
あまりに自然になじんでいたことで失念していた。キラはアイリスを部下にしたことはない。妊娠中の女性を戦場に駆り出すなんてできるはずがないからだ。
「艦長さんが理解ある人だったんです」
「マリューさんだな……?」
出会ったときは、任務の重責に押しつぶされまいと虚勢を張って周囲の反発を招いている、そんな女性であったはずなのだが。
「アーノルド、アイリスのことも頼みたい」
「了解です」
ムスペルヘイムへと向かっていく2機を見送ってから、キラのラインルビーンは改めてエルグランテへと向き直った。
もはやラクスにとって戦場の空気など退屈しのぎにすぎないのだろうか。
「興がそがれてしまいましたね。ですがご安心を。場を暖め直す方法なんていくらでもありますもの」
ペルグランテから複数のドラグーンが放たれたと同時に、キラはラインルビーンを加速させた。しかし、ドラグーンのビームはキラの行く手を遮り、次々と繰り出される攻撃は編み込まれた刺繍のように点が線へ、線が面へと変化していく。
「この動きは!?」
「懐かしいのでは? あなたが幾度となく味わった死の香りです」
ゲルテンリッターほどの特機でも防戦一方。無理はない。最強と歌われたフォイエリヒガンダムの力、ペルグランテはエインセル・ハンターのすべてを受け継いだのだから。
「血液サンプルからつくられた即席の脳クローンを生体CPUとして組み込みました。エインセル・ハンターの戦闘データを反映したこのペルグランテはエインセル・ハンターそのものなのです」
フォイエリヒガンダムは8刀でしていたことを、ペルグランテはドラグーンによって再現することに成功した。キラが、アスランが事実上、一度たりとも破ることのできなかった光の瀑布が今まさにキラを追っている。
ラクスは何ら価値を見いだしていない勝利を、ただ待っていればよかった。
「ラクス、それは違うよ」
ドラグーンが1機、ラインルビーンに切断された。
ラクスが驚いたのもつかの間、光の交差をくぐり抜けたラインルビーンが1機、また1機とドラグーンを破壊する。動きが完全に読まれていた。
「エインセル・ハンターを真似てもエインセル・ハンターにはなれない」
敵として幾度となくエインセル・ハンターに対峙してきた。だからその太刀筋は目に焼き付いている。それをただ機械的に模倣しただけの攻撃がキラを捉えられるはずがないのだ。
「真紅、ラクスを止めよう」
「ええ、お父様」
「キラ・ヤマトと名乗ろう。赤い薔薇の送り主として」
ラインルビーンが、赤い光に包まれるとペルグランテのドラグーンの攻撃はすべて意味をなさなくなった。ビームは弾かれ、ラインルビーンの繰り出した蹴りはドラグーンを叩き割るのではなく溶断する。その手のひらが触れただけでドラグーンは爆発した。
ミノフスキー粒子で構成されたフェイズシフト・アーマーの組成比を変更し、メガ粒子とIフィールドの多層構造とする。そうすることで今のラインルビーンは全身がビーム・サーベルと化していた。
そして、ミノフスキー粒子に干渉する能力は何もラインルビーンに限定されなかった。
突如、動きを止めたプルグランテの中で、ラクスは取り繕う余裕をなくしつつあった。
「なぜ、なぜ動きませんの!?」
システムはミノフスキー・クラフトの不調を伝えていた。本来、同一方向に発生していなければならない斥力のベクトルがばらばらになることで機能を停止。それどころか四方から押さえつける形でペルグランテの動きを封じていた。この不調の原因を、システムは外部からの干渉だと結論づけた。
もしもペルグランテがミノフスキー・クラフトを搭載していなければ身動きまでは封じられなかったことだろう。
やがて、ラインルビーンを包む赤い皮膜が剥がれていく。しかしそれは拡散ではなく集中だった。光がラインルビーンの右腕に集中し、それが柱となって飛び出すことで巨大なビーム・サーベルとなった。振り下ろされたそれは、ペルグランテを斜めに切り裂き、星のように突き出た突起構造をいくつもまとめて切り裂いた。
戦火はついにムスペルヘイムの至近にまで迫っていた。接近したカオスによって防衛網が破られ、そうすることで地球軍の接近もまた容易となる。そうして集まったカオスと地球軍が戦闘を始めることで、地球軍が事実上のムスペルヘイムの防衛戦力として機能した。皮肉にも敵であるはずの地球軍に助けられる形で、ムスペルヘイムは小康状態を保っていた。
カオスの頭部にビーム・サーベルを突き立てたウィンダムがあった。しかし、パイロットであるヒメノカリス・ホテルに喜びの表情はない。こんな雑魚をどれだけしとめても仕方がないことだからだ。
「ウィンダムじゃ、追いつくこともできない!」
苦々しく見つめる先、そこには灼熱の国と名付けられた戦艦の上空で戦う、天使たちの姿があった。
1人は、光の翼の天使だった。両刃の西洋刀を手に、その鎧は漆黒。地獄の中、戦い続けた天使がその鎧に汚れをため込みすぎてしまった、ゆえに、それはやはり天使を彷彿とさせた。
1人は、鋼の翼の天使だった。かつて、堕天使は人に武器の作り方を伝えたとされる。人が想像する悪魔とは、人の悪しき側面の似姿だ。だとすれば、これは悪魔のイコン。
黒い天使と白い悪魔とが終末を告げる笛音の中、戦っていた。
「ザラ大佐!」
「シン・アスカ!」
両機がともにまばゆい光を放つ。ミノフスキー・クラフトの出力を最大にした、ガンダム・タイプにのみ許された光の衣の輝きだ。
もはやビーム・ライフルのよう等速で直進するでしかない玩具では役立たない。西洋剣を手にしたガンダムメルクールランペはもとよりガンダムヤーデシュテルンもまた、両手にビーム・サーベルを手にしていた。
2機は高速で激突と離脱を繰り返しヴィーグリーズを作り出していた。資格なき者には踏み入ることさえ許されない決戦の地だ。ヒメノカリスの嘆きもここにある。量産機では追いつくことさえできない高速で衝突場所を変えながらガンダム同士が戦っているのだ。
そして、剣とサーベルとが激突する。
「ザラ大佐、もうやめるんだ、こんなこと!」
「お前にわかるのか? 100を救おうとして1000に死なれたことが! 愛を持たず創られた絶望が!」
このわずかな一瞬でまた両機は離れた。次は鍔迫り合いのような悠長な真似はしない。すれ違いざまの一瞬で切り結び、また離れては急接近、再び剣をぶつけ合う。
「だからって次の1000人を見殺しにしていい理由にはならない! 過去に囚われ未来まで殺すつもりなのか、あんたは! あんたが本当にしたかったことは、本当にこんなことなのか!」
「これこそ、偶像の王として創られた俺のすべきことだろう! プラントの、コーディネーターどもの理念を信じると口走る連中を導いてやることがなぁ!」
「それがルナマリアを巻き込んだ理由なのか!?」
「彼女を見たときすぐにわかったよ。絵空事の理想に拘泥して空回りしているとな。俺もそうだった。人を救えると思ってた、戦争を変えられると信じた、あの父にさえいつかは愛してもらえるとなぁ!」
ヤーデシュテルンの蹴りがメルクールランペを捉え弾き飛ばす。
「だから見せてやった。理想も、未来も、希望もな! 現実だけは見せなかったがな!」
「志を踏みにじられる辛さを知ってるあんたがどうしてこんなことできるんだ!」
メルクールランペが体勢を崩した隙をヤーテシュテルンは見逃さなかった。ビーム・サーベルをたたきつけるも、そんな簡単な相手であるはずもない。剣で受け止められ、両機は再び、鍔迫り合いの至近距離で互いの視線をぶつけ合う。
「殉じさせてやっただけだ! コーディネーターも、プラントも、この世界も、奴らの望み通りにこのアスラン・ザラが粛正してやろうと言っているんだ、シン!」
「無理心中だ! それは!」
この2人の戦いを見守るのはヒメノカリスに限った話ではなかった。それぞれのコクピットの中に浮かぶ電子の妖精たちもいる。黒いドレスの水銀燈と、緑の翠星石だ。
「翠星石、あなたも大きくなったものね。パイロットをこうも好き勝手させるなんて」
「アスランは、アスランは……!」
今にも泣き出しそうな翠星石を、アスランは認めはしなかった。
「敵と戯れるな!」
離脱する両機はそれから幾度となく衝突し、すれ違い、戦いを激化させていく。
メルクールランペの一撃がヤーデシュテルンの左足を切断する。ヤーデシュテルンの反撃は黒い天使の左肩を捉え、突き刺し、抉り斬ることで切断する。同時にメルクールランペの脚は鋼の翼の天使の顔面を蹴り飛ばしていた。
コクピットを揺さぶる衝撃。カメラの損傷に伴うモニターの画質低下が、アスランをさらに苛立たせた。
「お前は存在自体、目障りなんだ! 絶望を知りもしないで希望を語りたがる貴様が! 人はいつまでも争いをやめられない。コーディネーターもただ戦いを激化させる駒でしかなかっただろう!」
2機は光の塊となって高速で移動し続けていた。もはやいちいち距離をとったお上品な戦い方をしている暇を惜しみ近距離での殴り合いへと移行していた。
「いますぐ愚民どもに叡智を授けられないというなら、俺は殺されるために生まれてくる1000の子のために、100の親を殺してみせる!」
「戦争をすぐに克服なんてできるはずがないんだ! そんな夢みたいな理想掲げたりなんてするから、こんな過激なことしかできないんだ!」
「ならわかっていることだろう! これからも人は人を殺し続けると!」
互いの一撃は、決定的となった。鋼の剣はヤーデシュテルンの前腕を左右まとめて切り裂き、しかし、ヤーデシュテルンはメルクールランペの手から西洋剣を蹴り飛ばす。
そして、アスランは、ヤーデシュテルンは距離をあけた。
両腕と片足を失い、何度もの衝突で装甲には細かな傷がつけれていた。満身創痍でありながら戦意を衰えさせないその様は、重傷を負いながらも笑う、不死身の悪魔だろうか。
「翠星石、よこせ! このアスラン・ザラの手に、鋼の翼を!」
鋼の翼から放たれるドラグーン。羽根と表現するには鋭く大きなそれは、もはや剣と形容するほかない。
シンはアスランへと向かって機体を突進させた。その動きを、アスランは読めていた。四方八方をドラグーンに囲まれている状況であればどちらに逃げても同じことだ。ならば、武器を失ったメルクールランペのできることなどあまりに限られている。
飛び込んでくるメルクールランペを追尾して、ドラグーンが一斉に攻撃を開始した。
ビームが右足を撃ち抜き破壊する。しかし、直撃とは言い難い。翼に命中したビームは、本来、胴体を狙ったものだった。頭部をかすめたビームは、本当にかすめた程度でしかない。
「なぜだ?」
動きは読めているはずだった。真っ正面から飛び込んでくるシンのメルクールランペは、必ず躊躇うはずだった。事実、シンはアスランの問いかけに結論を示すことができないでいる。アスランと同様、人を救う方法など知らないのだ。
ならば、一瞬の迷いが必ず生じるはずだった。迷っているのだから。
「なぜだ……?」
しかし、攻撃が直撃しない。アスランの想定よりもほんのわずかにシンの動きは速かった。
「どうしてお前は迷うことに迷わずにいられるんだ!」
ミノフスキー・クラフトが限界を超えた。まばゆい光が黒い鎧を白く染め上げ、天使の拳が悪魔の顔面を捉えた。それは天の御使いにしては少々無骨で、強烈な一撃だった。
ヤーデシュテルンの体はムスペルヘイムの上甲板へと墜ちていく。背中から叩きつけられたことで翼は根本部分から破断。フェイズシフト・アーマーが機能停止したことで甲板上を転がるヤーデシュテルンはその装甲をまき散らした。そして、アスランは仰向けに停止した。
翼はすべて引きちぎられ甲板に剣のように突き刺さっていた。上空で機能停止したドラグーンもまた、落下し、突き刺さる。ヤーデシュテルンを中心としていくつもの剣が突き立てられていた。剣など2本もあれば人の手に余る。では、総数で8にもなる剣の林はもはや剣ではない。そう、まるで物言わぬ墓標のように、ガンダムヤーデシュテルンを取り囲んでいた。
翼を失い人の形を取り戻したガンダムを。