ジェフ・リブルは慣れた手つきでカメラを操作し、しかし、仕事初日の新米のような表情で不安を口にした。
「これ、映すんですか?」
「当然だ。世界は知らなければならない。今、何が起きているのかを」
スーツ姿のナタル・ガジルールの後ろでは漆黒の宇宙が広がっている。もっとも、このガラス越しに見える光景は、静寂とはほど遠い。ビームの光が万華鏡のように移り変わり、戦いの激しさを表現していた。
「ナタル・バジルールです。私の本職はジャーナリスト。キャスターではないため拙い様子を放送することをお許しください。現在、世界は危機的な状況にあります。木星圏に存在するハイムダルより送り込まれた軍事要塞ギャラルホルンが地球降下を開始したからです」
その映像は世界各地で見られていた。
「その内部にはまだ多数の核弾頭が搭載され落下すればその衝撃はもとより拡散する放射性物質によって核の冬が到来することは確実とされています」
ある者は街頭モニターで、ある者は荒野の難民テントの中で携帯モニターを囲んでいる。
「ですがまだ多くの兵士が落下阻止のために戦っています。みなさまの中には必死に不安と戦っておられる方もいることでしょう。ただ、私の心は穏やかです。私が元軍人だからでしょう。この戦場にはかつての戦友たちがいるからです」
はるか上空に、戦場に瞬くビームの輝きが見える地域もあった。
「人を信頼するとはどのようなことでしょうか? 誰にだって確実なことなんて言えません。だから私はこう考えます。その人に任せたならどのような結果が出ようと受け入れることができると考えた時、それを信頼と呼ぶのではないでしょうか。私は戦う彼らを信頼しています。多くの方にとって、戦士の知り合いなどおられないことでしょう。それでも、彼らは人々のために戦っているのです。どうか信頼してください。たとえ、この世界が終わるのだとしても」
ギャラルホルンを迎え撃つため、地球、ザフトその垣根を超えた迎撃戦が繰り広げられていた。
宇宙に散らばるカオスの残骸。しかし、そこに混ざるストライクダガー、ヅダの残骸もまた決して少なくはない数だった。ゲルテンリッターに数えられるラインルビーンでさえ損傷を積み重ねていた。
ユグドラシルによる攻撃によってギャラルホルンのジェネシスは破壊され、スラスターも機能を停止している。それでも、すべてが遅すぎた。
すでにギャラルホルンは地球への降下軌道に入っていた。あとは何もしなくても慣性と地球の重力とに引かれて地球に落ちる。
ラインルビーンのコクピットの中、真紅は絵でも見せるかのように図面を広げてみせる。ギャラルホルンが地球へと落ちていく軌道予想が描かれていた。
「お父様、計算しました。ギャラルホルンの落下予測地点は北米大陸です」
そこにはゼフィランサスと我が子がいることを、キラ・ヤマトは当然、思い浮かべた。ギャラルホルンが落ちれば地球全土が破壊される。爆心地がことさら危険とも言い難い。
だとしても、このまま妻子の頭上に破滅の笛が落ちていく様を見過ごすことなどできるはずもなかった。
キラは武器を投げ捨てるなり、ラインルビーンをギャラルホルンへと突撃させた。体当たり同然にぶつかり、そのまま押し返そうとしたのだ。無論、いくらゲルテンリッターと言えども巨大な岩石を押し返すほどの余剰推力は保有していない。そんなことは誰にも明らかなことだった。
「すまない、真紅。こんなことに巻き込んでしまって」
「私はお父様のお人形だもの」
ギャラルホルンはそんなものでびくともしなかった。ただ、ゼフィランサスたちを見殺しにすることができなかった、それだけのことだ。
ラインルビーンのモニターには無骨な岩肌が目前に映し出されている。これが、キラの目にする最後の光景になるはずだった。モビル・スーツの接近反応を聞くまでは。
モビル・スーツたちが次々とギャラルホルンへととりつき始めた。キラ同様、押し返そうとしているかのように。
「こんな馬鹿げたことに付き合う必要なんてないんだ!」
たとえこの宙域に展開するモビル・スーツすべての力を持ってしても落下阻止に成功するかどうかわからない。しかし、モビル・スーツたちは次々と加わっていく。そこに地球もザフトもない。カガリ・ユラ・アスハのカナリーエンフォーゲルの姿もあった。
「地球がどうなるかわからない瀬戸際なんだ。やってみる価値はある」
「カッちゃんやっちゃえ、かしら!」
地球軍にとって、守るべき地球のために戦うという動機があった。ザフト軍にしてももはや上層部への不信感は確信に変わっていた。地球を滅亡させることまで容認はしていなかったのだ。
ヴィーノ・デュプレもまた、インパルスガンダムのコクピットでスラスター出力を全開にまで高めていた。
「シン、これでいいんだよな!」
モビル・スーツたちの捨て身の行動は、新たなスラスターが生まれたかのように束となってギャラルホルンに制動をかけていた。しかし、まだ不十分だった。ギャラルホルンは慣性のまま突き進み、やがて地球の重力の井戸へと落ちていくことだろう。
多くのパイロットたちが自機の演算システムによって推移の計算をしていたが、誰も、地球滅亡を阻止できた者はいなかった。それはゲルテンリッターであっても変わらない。
黒い大型ガンダムであるガンダムクライネベーレのコクピットの中で、Lのヴァーリであるロベリア・リマが同様に悲嘆にくれていた。
「みんなここまでやったのに、これで本当に終わりなの?」
いくらクライネベーレが大型とは言えギャラルホルンの前では誤差にすぎない。ビームを弾いたり、触れずにミサイルを破壊するようにはいかないのだ。
「もう、ブルーノさんもいないのに」
ギャラルホルンを必死に押し返そうとするスラスターの光へ次々モビル・スーツたちが加勢しようと向かっている。しかし、ロベリアの震える手は動くことはない。
白いガンダムが飛来したのはそんな時のことだった。
「何とか見つかったな、ロベリアだな?」
「この声って、もしかしてセプテム君?」
「今はレイ・ザ・バレルだ。俺たちドミナントは数字で呼ばれることを好まない」
すると、この白いガンダムはガンダムローゼンクリスタルだった。サイサリス・パパがゲルテンリッターを参考に開発した機体だ。コクピットにはレイの他、ローズマリー・ロメオへと戻ったサイサリスも搭乗していた。
「それよりロベリア、協力して! ギャラルホルンを押し返すから」
「そんなのどうやって?」
「この機体にも、その黒い方にもミノフスキー粒子に干渉する力がある。それでミノフスキー・クラフトを発動させてギャラクホルンの軌道を変える」
ローゼンクリスタルがクライネベーレの前に陣取ると、両機の大きさの違いがよくわかる。
「あんなに大きいの無理だよ」
「何も投げ返す必要なんてない。地球に直撃しない程度まで角度を変えられればそれでいいんだから」
「雛苺、やれそう? 成功確率は?」
クライネベーレのコクピット内を漂う桃色の少女は、戦場にいるとはとても思えない様子で答えた。
「理論上は可能なの。成功確率は、うにゅ~」
「高くはないけどなんとかなるかも、ってこと?」
「システムをシンクロさせて。これが最後の賭になるから」
コンソールを一心不乱に叩くローズマリーの姿に、レイはいつも通りの皮肉めいた口調で話しかけた。
「ローズマリー、今さら地球を救う気になったのか?」
「他にすることもないでしょ?」
システム連動は順調であるようだ。しかし、まだしばらく時間を要するのだろう。それこそ、レイの方が暇を持て余すほどには。
「なぜサイサリスを名乗った?」
「話さないとだめ?」
「どうせ暇なんだろう?」
「血のバレンタインの時、サイサリス姉さんに落ちてきた瓦礫に当たったの。その少し前にさ、もしもサイサリス姉さんがいなくなれば私がサイサリスになれるかもって考えた。そして、現実、その通りになった。与えられる研究費や設備だって姉さんとは違ってた。ゼフィランサスとだって。だから私、周りに認めてもらいたくてがむしゃらだった。でも、何したって評価なんてされない。私は、フリークだったから」
6人のダムゼルと20人のフリーク。腐った種に水を注ぐ者などいない。
「ずるいよね。自分じゃどうにもできない部分で評価されてさ、それがお前の限界だって押しつけてくるの」
「どうしてレーベンズボルン・プランを支持した? お前が唾棄する世界そのものだろう」
「私に政治的信念なんてあるわけないでしょ。プラントが研究開発に都合よかったってだけ。レーベンズボルン・プランのことだって聞かされたの、つい最近だし」
システムの同調が終わったのだろう。ひときわ強くコンソールを押したところで、コクピット内に2機のガンダムの模式図が表示される。
そして、ローズマリーはひどく不機嫌な顔をした。
「でも、やっぱり気にくわない。遺伝子がそんなに大切ならATGCって刻んだ鉄板を宇宙に放り投げればいい。それで、人類の恒久存続は約束されるってことでしょ?」
プラントは、ザフトはすでに限界を迎えつつあった。ゴンドワナ級ムスペルヘイムがすでに轟沈寸前であった。第3エンジンが破壊され、地球の重力に囚われたことで艦体全体にひずみが生じていた。安全であるはずのブリッジにまで床に亀裂が生じ、照明が一部機能していない有様だった。
そして、外には地球へと降下を続けるギャラルホルンの姿が見えた。
半壊した玉座の上で、ギルバート・デュランダル議長はただ滅び行く光景を眺めているだけだった。
「行けるところまで行き着いてしまったね」
すでにこのブリッジは機能を停止。クルーたちは待避していた。残っているのはデュランダル議長のように勧告を無視した者か、あるいはリリーやフレイのような変わり者だけだ。
そしてもう1人、杖をついた若者が現れた。
「おや、今日は来客が多くてね。お茶を切らしてしまった。それでもよければゆっくりしていってくれないか、ディアッカ君」
もはやクルーたちは議長のことを気にかけている余裕もないらしい。もっとも、フレイ・アルスターが出歩いている時点でおかしいのだが。それとも、すでにお飾りの議長は役目を終えたのだろうか。
「それで、君の用件はなんだね? フレイ君と同じく、ラクス議員を助けに来たのかな?」
「特に用事なんてありませんよ。ただ、家出娘を探してただけです。リリー、アイリスが心配する。早く帰るぞ」
リリーはディアッカに駆け寄るどころか、デュランダルの側を離れようとしない。
「でも、アイリスに赤ちゃんが出来たんでしょ! もう、私なんていらないじゃん!」
「どうしてそうなる? 血の繋がりどうこうなら、俺とアイリスだってそんなものないぞ」
そういえば、リリーには護身用の拳銃の位置を教えていただろうか。議長の椅子、そのちょうど肘掛けの下に、隠しスペースがある。リリーはそこから銃を取り出したのだ。
「おい、そんな物騒なもの持ち出すな」
「もう帰ってよ!」
さすがに銃を向けることはないものの、リリーは議長とディアッカの間に割ってはいる形で興奮していた。
「ディアッカ君、あまりリリーを困らせないであげてくれないか? 君も薄々わかっていると思うが、リリーは、ヴァーリ、正確にはその技術を再現するために創られた存在だ。もっともリリーただ1人が完成した時点でプロジェクトは凍結。リリーは用済みになってしまった。家族のように接してくれていた研究員たちはそんなリリーを処分することに躊躇いはなかった。偶然、私が引き取ることにならなかったらどうなっていたか、想像したくもない」
さらに珍しい客がこの部屋へと現れた。白い軍服姿が、デュランダルにはまだ見慣れない。特務艦ミネルヴァが戦闘で大破、ムスペルヘイムに格納されたとまでは聞いていたのだが。
「タリア。これも運命というものなのかな?」
「ギル……」
リリーにタリア。この2人がそろうと昔のことを思い出さずにはいられない。ただの地方議員でしかなかったギルバート・デュランダルであった時代のことを。
「私はデュランダル家の中では格下でね。レーベンズボルン・プランの話はなかなか聞かせてもらえなかった。だからようやく閲覧が許された時、私は体に電撃が走る思いがしたよ。これこそが、世界が必要としているものだと考えたからね」
果たして誰に対して語っているのだろう。ここに集った人たちにだろうか、あるいは、自分自身に対してだろうか。
「人は先のことなんてわからない方がいい。果たして、本当にそうだろうか? たとえば、ある男女が愛を育んでいたとする。しかし、2人の間には子どもが生まれないことがわかった。ふたりは別れを選んだ。でも、最初から遺伝子の相性が悪いとわかっていたなら最初から出会うこともなかった。辛い別れを経験する必要なんてなかったんだ」
最初から出会わなければ別れることもなかった。遺伝子は変えられない。だとすれば、それは運命そのものだ。叶わぬ願いを求めてあがくことほど惨めなものはない。そう、ギルバートは知っている。
かつて、議長などではなかったギルバートはそれを体験したのだから。
「人は生まれながらにして手に出来るものは決まっている」
どうしても無理だった。あの頃を思い出してしまう。議長なんて呼ばれていなかった時のことを、議長を演じる前の自分を。かつて別れを切り出すタリアにも激昂した時のように。
「届きもしない葡萄に手を伸ばすくらいなら、地べたに落ちた実で満足すべきなんだ!
それが!」
銃声がした。胸に火の塊を投げ込まれたかのような焼け付く痛みの中、ギルバート・デュランダルの体は玉座から崩れ落ちた。その目には、呆然とした表情で自分に銃を向けるリリーの姿を映しながら。
「え? 違う! 撃つつもりなんて……」
自分が何をしたのか、どうしてしてしまったのか、そんなこともわからないまま、リリーは手にした銃を投げ落とし混乱していた。傷つき倒れるギルバートの元へ駆けつけることを忘れるほどに。
代わりに顔をのぞき込んだのはタリアだった。
「タリア……」
「やはりあなたは私とのことを……」
「……すまない、君のことは今でも愛している。恨み言を、ぶつけるつもりなんてなかった。何度も考えたよ。もしも、君との間に子どもをもうけることができたなら、そういう体だったら、とね。でも、それはかなわなかった……」
痛みのせいで体を満足に動かせない。それでも、ギルバートは不思議なほど穏やかな口調であった。
「私は、リリーが羨ましかったのかもしれない。実験動物として生まれながらも……、家族を得ようと、自分の運命を乗り越えようとしているリリーが。だから叱られてしまったよ……」
「あなたは理想家でありすぎたの。未来がわかれば人はよりよく生きられるとしても、人は神様ではないの」
「買いかぶりすぎだよ、タリア。僕はただ、自分の置かれた境遇を世界にも見せつけてやりたかっただけなんだ……、きっとね」
床には、地球の重力を感じさせて血が広がっていた。思わず苦しみにうめいて見せたのは、最愛の女性に心配してもらうためでは、残念ながらなかった。
「ギル!」
「タリア、よく、聞いてほしい。夢破れた私は自害して果てる。間違ってもリリーに撃たれたからではないよ」
そう、懐から取り出した拳銃を自らのこめかみに当て、ギルバートは引き金を引いた。
リリーが泣きじゃくりながら駆け寄るも、すでにギルバートは愛する女性の腕の中で息絶えていた。最後のヴァーリがどれほど涙を流しても帰ってくることはなかった。
しかし死神は涙が枯れるのを待つことはない。
部屋全体が大きく揺れた。ムスペルヘイムが限界を迎えつつあるのだ。
手すりにしがみつきながら耐えるフレイ。
「本格的にまずいかも……」
脱出方法を思案しているうちに、アイリスたちが到着することができた。
「フレイさん!」
「妊婦さんが何こんなところ来てるのよ!」
心なしか、アイリスのノーマル・スーツはおなか周りに余裕のあるものであるらしかった。
「助けに来たんです! リリー、ディアッカさん!」
亡くなったプラント最高責任者の前で泣きじゃくるリリーと、それを後ろから抱きしめるディアッカの姿に、アイリスもここで何が起きたのか、だいたいを察したようだった。
そして、フレイはアイリスの後に続いてアーノルド・ノイマンが入室していたことにも気づいていた。
「フレイ、よかった、無事みたいだ」
「アーノルドさん、もう迎えにくるなら言ってください」
「たまにはサプライズもいいかと思ってね」
堅物で知られるアーノルドらしくない振る舞いは、彼なりにこの状況を理解してのことなのだろう。あまりに重苦しい別れの場面なのだから。
しかし、残された人はこれからも生きていかなければならない。どこかでお別れをしなければならなかった。そう、タリアはギルバートへと語りかけた。
「さよなら、ギル」
ローゼンクリスタルとクライネベーレ。2機のガンダムの周囲には粒子が光の帯となって漂っていた。それは四方に触手を伸ばし、迫り来るギャラルホルン表面で光の膜となって合流していた。
見る分には美しくとも強力な力の奔流である。その中心に位置する2機は小刻みな振動にさらされていた。
「ロベリア、機体を維持しろ。ここで弾き出されてしまえば終わりだ!」
「やってるって!」
ギャラルホルンを押しとどめるモビル・スーツたちも限界を迎えつつあった。
両腕で押し返そうとスラスターを全開にしている。その状態で腕部が破損すれば機体を支えられず落下し続けるギャラルホルンへと自身のスラスターの勢いのまま叩きつけられることになる。
1機のヅダが体勢を崩した。隣のウィンダムがとっさに手を伸ばすも間に合わず、堅い岩肌に叩きつけられたヅダが転がりながら砕かれ爆発する。
ローズマリーがコンソールを叩いた。
「だめ! どうしたって計算があわない! ミノフスキー粒子の濃度が規定値に達しない!」
ギャラルホルン落下まで、あと30分を切っていた。
その夜空には、落下してくるギャラルホルンの姿が、ミノフスキー・クラフトの輝きの中、浮かび上がっていた。もっとも、それを見上げるマルキオ導師に見えていないが。
「子どもたちはどうしました?」
隣にいるのはかつてアーク・エンジェルにも乗艦したミリアリア・ハウだった。
「みんな怖がってました。でも、泣き疲れて寝ちゃって」
「ありがとう、ミリアリア」
「マルキオさん、世界は、どうなってしまうんでしょう? ナタルさんのお話じゃ、あの小惑星、プラントが造ったものだって。人を滅ぼすのは、やっぱり人なんですね」
「私は、人の本質とは秩序と善意なのだと考えます。そうでなければ国家なんてものは誕生しなかったでしょうから。ただ一握りの悪意がそれを歪めてしまうのです。水にひとつまみの泥を混ぜただけで泥水になるように」
「だとしても、水自体がなくなってなんかいない、ですよね?」
「信じましょう。この泥にまみれた世界であっても残る、人の心の光を」
カオスの部隊は世界各地に展開していた。ギャラルホルンを破壊する可能性のある兵器、ユグドラシルの危険性に早くから気づき、その破壊工作を行っていたのだ。
しかし、ハイムダルにも誤算があった。それは、人の激しい抵抗、そのものである。
破壊されたカオスの残骸の前で地球とザフトの軍人とが肩を抱き合い喜びを分かち合う光景があった。
旧式の戦車に腰掛けた古参兵たちは思い思いの酒瓶を傾けていた。
都市で、森で、山で、砂漠で、人々は戦い、諦めず、そして今なお戦い続けていた。
空から、破滅の星が落ちてくると知りながらも。
そして、アフリカ大陸ビクトリア基地でも人類の最後の戦いが続けられていた。すでに多くのユグドラシルが沈黙、機能を停止する中、この基地に最後の1基が残されているのだ。カオスもまた残存勢力のすべてをここに集中していた。
炎によって大地は見えず、煙は空を覆う。そのような激戦を、赤い切り裂き魔と砂漠に住まう狐とが肩を並べていた。
切り裂きエドの通り名を持つエドワード・ハレルソンはそのイクシードガンダムの大剣を力任せに振り下ろした。両手それぞれの剣がカオスを切り裂き、オイルが返り血のようにイクシードに張り付いた。
砂漠の狐はマーチン・ダコスタ司令代行の二つ名だ。猟犬を思わせるモビル・アーマー形態へと変形したヒルドルブがカオスの作り出す弾幕の中を疾走する。その勢いのままカオスへと飛びかかると、ビームでできた牙を深々と突き立てた。
そして、両機は背中合わせとなって次々飛来するカオスを待ちかまえる。
「切り裂き魔、一つ聞きたい。ここのユグドラシルは本物なんだな?」
「ああ、シャトー・ムートン・ロートシルトの73年ものだ。とっておきだぜ」
「その年は歴史的不作と聞いたが?」
ユグドラシルの発射が近い。天蓋が開かれ、発射口が露出する。カオスにとって、これは最後の好機であった。カオスたちが一斉にユグドラシルへと向かっていく。戦術も何もない。ただ最短距離を飛行しているだけの挙動では、次々と撃ち落とされていく。
それでも、カオスはひるむことはない。まさに世界樹へと群がる虫の群だ。防衛網を突破したカオスたちが発射口へと飛び込んでいく。
人は追撃の手をゆるめてしまった。すでに発射が近い。追いかけること自体、地獄の釜に自ら飛び込むことに等しいからだ。
しかし、地獄の釜の中、カオスが次々切り刻まれていく。
すでにチャージによる発熱と発光が始まっている巨大な縦穴の中、切り裂きエドだけは喜々として飛び込んでいたのだ。
「チャージ完了まで3分を切りました! 隊長、待避を! 間に合わなくなります!」
「そんなタイミングだからこそだろうが!」
そして、カオスは上空からの攻撃にもさらされていた。ヒルドルブがビームを放ちながら地獄へと舞い降りていたからだ。無論、砂漠の狐の機体である。
「砂漠の狐、そんなに付き合いのいい奴とは知らなかったな。飲み会には一度も顔出さなかったろ?」
「家庭持ちから家族との時間を奪うような真似はしないことだ」
「ちゃんと生きて帰ってやれよ、パパさん」
残り数分、わずか数分。人類の存亡を賭けた戦いが、まるでポケットの中ほどにも思える戦場で繰り広げられた。
あふれ出した光が、柱となって天へと昇っていった。
そんな光の柱を背に、砂地を歩く2人のパイロットの姿があった。
ヘルメットを無造作に投げ捨てたエドワードはそのまま寝転がり、その隣にマーチンが腰掛けた。
「あ~、冷えビールを頭から浴びたいぜ」
「これで地球は救われるのか?」
「さあな、後はお願いするだけさ。神様、俺たちは人としてできることは全部やりました。粋に感じてくれるならほんの少しでいいので、お助けくださいってな」
そう、胸元から取り出した十字架を、光の柱に透かしてみせた。
空を駆ける光。それを世界中の人々が目撃した。奇妙な話だ。ユグドラシル自体、これまでに何度かの発射を終えている。それでも、人々は空を見上げたのは、戦いが終わり、ようやくそれだけの余裕ができたからだろう。
まもなく世界の終わりが近づいている。にも関わらず、人々は不思議と束の間の勝利を喜び、仲間とその心地よい疲れを味わっているようだった。
世界の滅びなんて想像もできないのだろうか。それとも、どこかで確信しているのかもしれない。誰かが戦って、諦めず、勝利を掴んでくれることを。自分たちがそうしたように。
ある離れ小島の海岸に、ディーヴィエイトガンダムに背負われた大破したセイバーガンダムの姿があった。そのすぐ脇にはインテンセティガンダムが鎮座している。ハイネ、ジェーン、そしてスウェン。3人が焚き火を囲みながら空を横切る光を見上げていた。
彼らもまた、そんな、人を守るために戦った戦士たちだった。
戦士たちによって灯された希望の火は、戦士たちに見送られ、そして、今なお戦う戦士たちのもとへと届けられた。
ギャラルホルンの落下を阻止しようとする最後の戦士たちへと。
ユグドラシルの光はギャラルホルンの遙か前方を通り過ぎていった。
指令塔であるガーティ・ツーを守るアウル・ニーダは愕然とした顔をしたが、コントロールを担当するステラ・ルーシェは信じていた
「外れた、のか?」
「大丈夫、きっと、大丈夫」
ユグドラシルの通り抜けた軌跡、そこにはいつまでも光が残り、消えることはなかった。それどころか、集まり、集い、高めあっていくように光が粒子となって、粒子が群となって輝きを増していく。
ギャラルホルンを包む光と結びつくと、それは一斉に流れへと変わっていく。
光の道ができあがっていた。
レイ・ザ・バレルには何が起きたのかわからなかった。
「何が起きた!?」
「巨大ビームの軌跡がそのままミノフスキー・クラフトの、力場の道になってる」
ローズマリーはすぐ再計算にとりかかった。
「レイ、ロベリア、このまま続けて! もしかすると、いけるかもしれない!」
最後の力を振り絞る、そんな慣用表現を使うとすれば、まさにこの機会に他ならない。レイも、ロベリアもまた、機体を揺り動かす奔流に耐えていた。
この流れが、人々に最後の希望を与えたことは間違いなかった。
ギャラルホルンを押すモビル・スーツたち、その全パイロットが自分たちを包む光が流れとなって導いてくれていると感じていた。誰もがその流れへと向けて自機に残された最後の推進剤に火をつけた。
まばゆい輝きは、地上からでも確認できるほど明るく、力強い。ギャラルホルンが大きく軌道を曲げ、最後の一押しを地球が添えた。分厚い大気を突き破るには、変更されたギャラルホルンの入射角では浅すぎた。ギャラルホルンは地球の大気の上を横滑りしながら光に導かれ続けていた。
朧気な意識の中、アスラン・ザラは焚き火を囲んでいた。向かい側には髭を生やした軍人の姿がある。その人は、何も話してはくれない。
「……モーガンさん、俺は、天使になりたかったんです。戦争で死ななくてもいい人を助けて、人殺しの理屈を理念とか理想って美化する人たちを諭せるような」
そんな希望に疲れてしまったのはいつからだっただろうか。何もできないまま目の前で死んでいく人たちを見送るうち、誰1人諭せないまま耳元で人類の未来を聞かされる度に。
いつの間にか、自分こそが奪う側に変わっていた。理想をあざ笑う側になっていた。
「俺は、悪魔になりたくなんてなかった。なのに……」
天使のように生きることなんてできなかった。
アスランの瞳からは涙が止めどなく流れた。
これは夢だ。かつて、アスランが悪魔のようになることはないと言ってくれた戦士は何も語ってはくれない。ただ話を聞くだけの都合のいい存在と化していた。それでも、モーガン・シュバリエは笑顔を見せてくれた。かつてアスランの腕の中で息を引き取った時と同じように。
目覚めた時、モニターさえ剥がれ落ちたコクピットの中にいた。翠星石が心配そうにアスランの顔をのぞき込んでいた。
「俺は、負けたんだな。ドミナントとして生まれた俺が、ただのコーディネーターに勝てなかった……」
レーベンズボルン・プランは、どうやら破綻した計画であったようだ。
「翠星石、地球はどうなった?」
翠星石の操作で、全天周囲モニターがギャラルホルンの今の様子を映し出す。それは、美しい光景だった。光の粒子に導かれ、巨大な要塞が徐々に地球から離れていく。それを見送るのは、地球軍でもザフト軍でもない、ともに戦った人々だった。
「奇跡が起きたのか?」
「人が、みんなが戦って、願って、守ろうとしたんだ。それを奇跡とか、神秘だとか、安っぽい言葉で片づけちゃいけないんだ」
「だがな、シン、こんな光を見せる人が、それでも人を殺すんだ」
しかし、殺し合うはずの人が互いを助け世界まで救ってしまった。
夢の中に置いてきたはずの涙が、ヘルメットの中でアスランの頬を伝った。
「どうして今さら、こんなものを見せるんだ」
人に対するあらゆる希望は捨てたはずだった。なのに、この光には、人にはまだ可能性が残されているのではないかと感じずにはいられなかった。あらゆるものを踏みにじって行き着くところにまで行き着いたつもりが、ただ同じ場所を堂々巡りしていただけだというのはあまりに残酷だ。
大破したガンダムヤーデシュテルンのすぐそばに、突き刺さるようにペルグランテが墜落した。こちらも星の突起を破壊され傷だらけの有様だ。
コクピット・ハッチが開かれると、ノーマル・スーツ姿のラクス・クラインがシートに腰掛けたままのアスランの胸へとそっと顔を埋めた。
「ラクス。迎えに来てくれたのかい?」
「ええ、アスラン。私たちは、歴史の過ちとして消えていくべきなのです」
外へと導こうとするラクスに手を引かれ、アスランはコクピットの外へと出る。地球の重力を感じながら、ラクスがここへ降りるために用いた乗降用ロープに足をかけ、ラクスを抱きしめながらペルグランテのコクピット・ハッチまでたどり着いた。
ムスペルヘイムの上甲板に座るガンダムメルクールランペへと、正確には通信を用いて声を張った。
「シン。未来は任せた。どんなものでもいい、どんな形でもいい。明日を繋いでくれ!」
そうして、2人は抱き合いながらペルグランテのコクピットへと入った。
「だめですよぉ、アスラン。こんなのだめだめでうぅ」
翠星石の泣き声が聞こえる。直接、ヤーデシュテルンを操作しているのだろう。切断され、すでに存在しない手を、それでも必死にのばして離脱しつつあるペルグランテを止めようとしていた。
もう、今のペルグランテにムスペルヘイムから離陸する力はあっても、地球の重力を振り切る力はない。
アスランの腕の中で、ラクスはふとこんなことを問いかけた。
「ねえ、アスラン、生まれ変わりを信じますか?」
「君は信じたくないんだろ?」
「はい、創られた体に刻まれた使命なしに私と言う人間は存在を許されません。道具である私しかいないのです。何度生きても、生まれ変わっても。こんなのは、魂の牢獄です。だから、シン君とヒメノカリスが、私は羨ましかった。シーゲル・クラインに運命さえ与えられてしまった私と、エインセル・ハンターに何も与えられなかったシン君たちが」
アスランを抱きしめる手に、ラクスは力を込めた。
「私は時々考えました。もしもユニウス・セブンでエインセル・ハンターが私とあなたも連れ出していたならどうなっていたかと」
「君がエインセルの娘になって、俺は弟になるのかい? 悪くないな。それならプラント相手に、レーベンズボルン・プランなんて間違ってると怒鳴り込んでやれた」
キラのようにエインセル・ハンターの弟としてファントム・ペインを率い、人を救うために戦えただろうか。それとも、ラクスがヒメノカリスとアイリスの2人とようやく、本当の姉妹になれたのだろうか。
すでにペルグランテの周辺では赤熱が始まり、モニターには限界温度に接近しているとアラームが表示されている。
「そろそろ、眠りましょうか、アスラン?」
そんな寝ぼけ眼を揺さぶって、衝撃がペルグランテを揺らした。
「だめだ、こんな終わり方!」
メルクールランペがとりつき、ペルグランテを押し上げようとしていた。
「シン、もういいんだ。いくらゲルテンリッターでもその状態で持ち上げることなんてできない。それに俺たちは、もういいんだ」
シンも限界と思えば離脱してくれることだろう。アスランとラクス、2人はアラームを子守歌に長い眠りにつけばいい。それだけのこと、そのはずだった。異質なアラームが入り込むまでは。
モニターの表示はシステムの再起動と再構築が同時に進行中であることを示していた。深刻なエラーが生じことでシステムが自働でアップデートを開始していた。その際、非攻撃設定が初期化されてしまう。
「離れなさい、シン・アスカ! システムが再起動しました。ペルグランテは、より完璧にエインセル・ハンターを演じようとします!」
ラクスはアスランの膝の上からコンソールを操作しようとする。しかし、進行度を示すバーの勢いはまるで減少する気配がない。
「システムが操作をうけつけない……」
ペルグランテはエインセル・ハンターとなった。
スラスターが始動。急制動をかけながら回転することでメルクールランペを意図もたやすく弾き飛ばした。もはや光の翼も機能していない。ヒメノカリスのウィンダムに受け止められるまで体勢を取り戻すことさえできなかったほどだ。
そして、ペルグランテは体勢を立て直し、コクピットを上空へと向けて射出した。
フレイを乗せたアーノルド・ノイマンのディーヴィエイトがペルグランテを追跡中、モビル・スーツの手のひらに収まるほどのコクピット・ブロックを捉えた。
「緊急脱出装置? ラクスよね! アーノルドさん!」
「わかっている!」
コクピットを優しく包み込むように確保するディーヴィエイト。
ペルグランテは動かなかった。アスランとラクス、2人が助けられたことを見届けるようたかのようにスラスターを静止、そのまま、地球へと再び落ちていた。
「シン、一体何があったの?」
「エインセルさんが、2人を助けてくれたんだよ」
燃えていくペルグランテを眺めながら、シンは戦いの終わりを予感していた。
水銀燈はあくまでも冷静だったが。
「そんなのシステムの誤作動にすぎないわ。より完璧なエインセル・ハンターの戦い方を再構築する際、誤って行動さえトレースしてしまっただけよ」
「システムの誤作動だったとしても、エインセルさんがここにいたならふたりを助けてくれたことに変わりはないだろ?」
水銀燈もその点を否定することはなかった。
不完全な機械の気まぐれか、死しても残る人の思いか。どちらにしろ、この世界は、まだ人を必要としているらしかった。
「エインセルさん、世界は、あともう少しくらいは頑張れそうです」
足かけ15年にも及ぶコーディネーターとの国家、プラントとの戦争は、プラントの解体という形で幕を閉じた。ハイムダルとの戦いで国土を大きく疲弊させ、レーベンズボルン・プランにまつわる顛末はコーディネーターのアイデンティティを大きく傷つけてしまったことが大きな理由である。
もはやコーディネーターは自ら国を維持する力も思いも、もう残してはいなかった。
果たして人類にとってこの戦争はどのような意味があったのか、歴史にゆだねるまではなくとも、一朝一夕で決められることでもなかった。トーク番組にある2人が呼ばれたのも、その流れであった。
司会者の男性アナウンサーの向かいに2人の男女が座っている。
「この度はこのお二方にスタジオに来てもらいました。ご紹介しましょう、ナタル・バジルールさん、ケナフ・ルキーニさんです」
2人は思い思いのやり方で頭を下げた。
「ナタルさんはジャーナリストとしてプラントの国内情報などを主に発信されていました。また、かの伝説的な軍艦であるアーク・エンジェルの2代目艦長を努めておられました。しかし戦争のさなか、その船ごと……」
思わずアナウンサーが言いよどんでしまう。しかし、ナタルは堂々とした姿勢を崩さなかった。
「私は2度にわたって軍属を変えました。いえ、寝返った、と言った方が状況としては適切でしょう」
「どのような理由があったのですか?」
「ただ、目の前の出来事に必死であっただけです。サイクロプス、ジェネシス、両国が製造した大量破壊兵器を前にどう行動すべきか、その場で悩み選択した結果でした」
「後悔はありませんでしたか?」
「山ほども。思い返せば失敗だらけです。それでも当時の私にはそれが限界でした。限られた情報の中、よりよいと考えたものを選ばざるを得なかったからです」
「それが、ジャーナリストを第二の道に選んだ理由ということですね。では、ギャラルホルンの地球降下を放送したこともその信念故でしょうか? 賛否両論、激しかったと思いますが?」
「その通りです。たしかにパニックを招いてしまったことはあるかと思います。だとしても、正しい情報こそが選択の大前提なのです。自身が大病を患っていると知らない人は、病と闘うことなんてできません。ギャラルホルンは単なる自然災害ではありません。これまでの人類の歴史の中でたまりにたまった宿痾、それがひとまとまりに噴出したものではないでしょうか? ただ落下してくる小惑星は破壊され、人類は救われた、それで終わっていい話ではないのだと、私は考えます」
アナウンサーは次の人物へと紹介を移した。
「では、ケナフ・ルキーニさん、この方、プラントのジャーナリストで失礼ながらご存じの方はあまり多くないかもしれません。しかし、この本をごらんになった方は多いのではないでしょうか?」
そう言って取り出されたのは1冊の本だった。表紙には同じ顔をして、それでも色とりどりの髪をした少女たちが並んでいる。
「ブルーメン・ガルテン。一躍時の人となったヴァーリと呼ばれる少女たちをテーマとした、ベスト・セラーです。この作者が、何を隠そう、このルキーニさんなのです」
「入魂の一冊だよ。今ならジャングルでセール中だ。ぜひ、お買い求めを」
「しかし、ただの写真集ではないかとの批判もあるようですが……」
アナウンサーが開いたページには写真が大きく紙面をさき、解説が最低限にとどまっている様がよくわかった。
「当然じゃないか。これは彼女たちの美しさを後世に残すためのものなのだからね。特に見て欲しいのは45ページの見開きだ。ヒメノカリス・ホテルとゼフィランサス・ズールのツー・ショットはこのままサン・ピエトロ大聖堂に飾られてもおかしくない。エインセル・ハンターは本当にいい趣味をしている。ぜひとも夜通し酌み交わしたかった」
45ページをカメラに映る形で開いた後、さすがのアナウンサーは釘をさすことも忘れなかった。
「ルキーニさん、カメラの前なので」
「じゃあ、話を進めよう。君は優れたジャーナリストとはどんな人だと思うかい?」
「そうですね」
アナウンサーが口にする前に、ルキーニは手で制止する。
「おっと、そこまでだ。聞いておいて悪いが、君の意見など何の価値もない。それを決めるのは権力者だからね。でもただこれじゃあ、つまらない。権力者の気持ちになってくれ。どのような圧力にも屈せず民が本当に必要としている情報を提供ジャーナリスト。それと、ジャーナリズムを単なる商売としか考えていないジャーナリストでは、どちらが優れた、いいや、権力者に都合のいいジャーナリストだと思うかい?」
「レーベンズボルン・プランならば遺伝子の名の下、権力に不都合な人間を排除できた、ということですか?」
「何、デュランダル政権に潰されたちっぽけな新聞社の恨み節だ」
カメラの画像は、会場のモニターにも映し出されていた。そこには、ゼフィランサスとサイサリスの姿がある。まるで、姫君か妖精が戯れているかのようでもある。
「ヴァーリは美しいよ。だが、いつまでも少女ではいられない。レーベンズボルン・プランのことを聞くと、僕はいつも疑問に思う。スポーツ選手に適性があると判断された人物は、40歳、50歳となった時、どうするんだろうね。肉体は衰える。怪我だってする。でも、遺伝子は変わらない。じゃあ、スポーツに適性を持つ人はプロ契約ができなくなった時に死を義務づけるかい?」
所詮は、レーベンズボルン・プランも社会も国も、人がより生きやすくするための仕組みであったはずではないか、そうルキーニは述べた後、たとえ話で締めくくった。
「絵を飾るための額を手にした。ところが、額が小さすぎた。じゃあ、額にあわせて絵のほうを切ってしまおうか? レーベンズボルン・プランは完璧な計画だった。人が老いも怪我もしないのであればね」
アナウンサーはもう1人の意見も聞くこととした。
「ナタルさんはどうお考えですか?」
「私が軍人として感じたことは、絵に描いたような悪人などいない、ということでした。誰もが国を守る、仲間を守ると拳を振り上げているだけでした」
「それは両軍とも、ということですか?」
「はい。ザフトは地球軍を、ユニウス・セブンを焼いた悪魔と表現します。地球はザフト軍をエイプリルフール・クライシスを引き起こした悪魔としました。結局、相手を同じ人間として見ていないことは変わりありません。戦争は悲惨です。だからこそ、戦争は起こるのです。このような悲惨な目に遭いたくなければ戦うしかないと思いこむからです。ただ、仮にどこかで、地球やプラントのどちらかが思いとどまることができていたなら、戦争はここまで激化しなかったとも思えるのです」
「私事で恐縮ですが、私もエイプリルフール・クライシスで友人を亡くしました」
アナウンサーは努めて平静を装っていたが、不快感がにじんでいた。明らかに目元から表情が失われたからだ。
コーディネーター20万人の命のあがないに、ナチュラルが10億人必要だと言われて気をよくする地球人はいないことだろうから。
「プラントが不幸であったのは、コーディネーターという概念そのものが優生思想の産物であり、選民思想と結びつくことはもはや論理必然といえることです」
「もしもプラントがコーディネーターの国でなかったとしたなら、エイプリルフール・クライシスは起こらなかったと思いますか?」
「わかりません。ただ、もしもプラントに、核攻撃が地球の総意ではないと信じる勇気があったなら、ここまで被害は出なかったと考えてしまいます」
歴史家の誰かが言い出せば、この戦争こそが第三次世界大戦に位置づけられることだろう。250年ぶりの大戦は、コーディネーターの誕生によってもたらされたことになる。
果たしてコーディネーターとは、人類の未来の担い手といえるのだろうか。
少なくとも、ナタルの結論はそれとは別の場所にあった。
「もしも戦争を根絶できる新しい人類が生まれたとしたなら、それは人より優れた力を持つ者たちでもなければ、超能力を使うことのできる人のことでもありません。人の愛を信じる勇気を持つ人々のことだと私は思えてなりません」
プラントの解体は、想像されていた以上にスムーズに行われる運びとなった。建国から半世紀にもならないプラントには地球出身者も少なくなく、また、各地から移民を受け入れていたことも幸いした。内在する4割を超えるナチュラルの存在が公然となったことで、プラントの特殊性も独自性も失われた。皮肉にも、そのことがプラント市民の地球帰還を容易にしたのである。
しかし、誰もがプラントの消滅を納得した訳ではなかった。
オーブが所有する人工衛星基地アメノミハシラの宇宙港には出発を待つシャトルが並んでいた。数年がかりで木星へと向かい、ハイムダルを解体することを目的とした船団だ。そのメンバーには、少なくないプラント出身のコーディネーターが含まれていた。
キラがゼフィランサスを伴って訪れたのは見送りのためだった。
「長い旅になりそうだね」
アスランとラクスの2人は、船団への参加を決めていた。
「ああ。ハイムダルは戦力の大半を喪失したはずだが、まだ機能は健在なはずだ。何かおかしな行動を起こされる前に解体しておく必要がある」
待合い室の窓の外には、シャトルがすでに出発準備を終えていた。
「また今度、アスラン兄さん」
「ああ、そういえば2人は末子同士のカップリングだったな。なら俺は地球に帰ってきたらアリュームでも口説いて……」
アスランが思わず言葉に詰まったのは、背中にラクスの冷たい視線を感じたからに他ならなかった。しかし、すぐに聞こえてきた怒鳴り声にそうした感傷もかき消されてしまう。
離れた搭乗口で、ルナマリア・ホークが人目のはばからず怒鳴り声をあげていた。
「私たちは間違ってたから負けたんじゃない! ただ弱かっただけ! だってそうでしょ。一人一人が自分の役割を自覚して自分の使命を全うすれば社会は確実にいいものになるはずよ! 障がい者に年間どれだけお金がかかってるか知ってる!? そのお金で社会はもっと発展できる! よりより社会になれる! 老人だってそう! いなくなれば社会補償費を節約できるか!」
見送りに来ていたのはシンとその横に立つヒメノカリスの2人だった。妹であるメイリン・ホークの姿はない。フレイでさえラクスの見送りに来ていたにも関わらずだ。
「ルナマリア、君や君の大切な誰かが切り捨てられるかもしれないんだよ?」
「仮定の話はしたくない!」
「君が求めているのはいい社会なのかい? それとも、自分に都合のいい社会なのかい?」
ルナマリアは不機嫌な様子を変えることなく歩き出した。こんな地球からは一刻も早く離れたいのだろう。事実、プラント国内の急進派の多くは船団に参加していた。一部には島流しと揶揄する向きもあるほどに。
そんな様子を眺めていたのはアスランたちだけではなかった。
車椅子姿の男性、サトーもその1人だった。一度はルナマリアの姿を見かけたものの、その声が聞こえてきた時に隠れるように方向を変え、その声に背中を押されるように離れていったのだ。その両足は、膝から下がなくなっていた。
それはアスランとラクス、2人の罪の証であったのかもしれない。2人の旅路は平坦に終わることはないことを、ラクスもまた自覚していた。
「キラ、ゼフィランサス。ハイムダルを解体したら帰ってきます。その時は、迎えてあげてください」
シャトルが木星へと旅立ち、待合室にはシンとキラ、ヒメノカリスとゼフィランサスが残される。
「シン、あのルナマリアって子は?」
「外人部隊の時の同僚だよ。でも、それ以上の存在には、なってやれなかった」
戦争はたしかに終わった。しかし、その匂いはすぐには剥がれてはくれないのかもしれない。
アメノミハシラには宇宙を見渡す展望ブリッジがあった。その場所の中心には、この戦争で命を落とした13億の人々のための慰霊碑が置かれ、献花台に花が絶えなかった。
地球に残ったヴァーリやドミナントに見守られる中、シンとキラの2人が花を供えた。
「この戦争って、いったい何だったんでしょう? ただコーディネーターなんて創らなくてもいいもの創って、そのために争うなんて空しいだけですよ」
「そうだね。人は変わらない。でも、それは悪いことだけじゃない。エインセル・ハンターの夢は何だったと思う?」
「ヴァーリ全員にドレスを着せること、とか?」
シン自身は真面目なつもりだっただろうが、キラは思わず笑みをこぼした。
「あり得ない話じゃなさそうだけど、僕に語ってくれたことは驚くほどありふれたものだったよ。子どもが、欲しかったんだ」
つまり、家庭を望んだ。
「それは考えれば矛盾だ。エインセル・ハンターはドミナントだ。いわば究極の遺伝子を持つ彼が子どもをもうけたとしても半分の遺伝子しか引き継がない劣化コピーになるはずだ。せっかく完成した遺伝子をみすみす手放すことになるんだ」
「それって、性というシステムそのものの問題じゃないですか?」
「でも、エインセル兄さんはそんな不完全な方法を捨てられなかった。レーベンズボルン・プランの完成形とも言うべき男だって、人であることを捨てなかった。それでレーベンズボルン・プランがうまく行くはずがないと思うんだ」
「今回の戦いも、ちょうどそんな感じでしたよね? 人に問題があるなら人を滅ぼせばいいって考えて、それでも、人は生きようとして……」
「だからこれからも、人を人としないような何かが登場したとしても、人は立ち上がれると思う」
「エインセルさんは、もういないのに、ですか?」
「エインセル兄さんなんていつの時代にだっていなかったよ。以前、2度の世界大戦が起きて、原子力爆弾が開発された。キューバ危機もあったし、スリーマイル、チョルノービリ、フクシマ、2137年の香港島原発事故はいまだに核爆弾が使用された疑惑が拭い切れてない。それでも、人はいくつもの危機を乗り越えてきたんだ」
核兵器が戦争で使用されて今年でちょうど270年になる。ではその間、一度も世界は危機に陥らなかったのだろうか。そんなことはなかった。それでも、人はまだ滅びてはいない。
「エインセル・ハンターなんて世界は必要としてない。エインセル兄さんじゃなくてもいいんだ。僕や君にだってできるはずなんだ。君にもそんな気持ちを忘れないでいてもらいたいんだ」
握手を求めるキラの手を、シンもまた握り返した。
今後、世界がまた誤った道を選択しないとは誰も保証できない。そんな時、誰かが立ち上ることは約束しよう。人はそうして、必死に歴史をつないできたのだから。