「仕方のないやつだ、お前は」
そんな声が聞こえた。それは錯覚であったのかもしれない。アスラン・ザラの認識し得る現実のすべては、GAT-X207ブリッツガンダムに、ニコル・アマルフィにライフルを突きつけられ、間違いなくビームにさらされたということ。状況の把握とニコルに攻撃されるという現実を受け止めるために思考のすべてをとられて、まるで夢でも見ているかのように現実に時間が進んでいく。
放たれるビーム。横から感じた衝撃。モニターの片隅に拾ったのは、GAT-X103バスターガンダムをかばうように突き飛ばす青いジンオーカーの姿。
目の前の事実を意識が急速に追いかけていく。投げ出されたバスターの中。声は男性のもの。モーガン・シュバリエ中佐のものだ。そして、アスランをかばい、ビームの光の中に消えていくモビル・スーツは、月下の狂犬と呼ばれる男の機体そのものである。モーガン中佐が、光に消えようとしていた。
「モーガン中佐ー!」
ザフト軍に完全に包囲され、GAT-X303イージスガンダムの攻撃にまでさらされている。ナタル・バジルールが管制として把握した状況は、アイリス・インティア、たった1人の少女が遭遇するにはあまりに過酷なものであった。
「艦長、デュエルの援護を!」
返事はない。だがそれは無視されたというより、マリュー・ラミアス艦長自身も対応に苦慮しているらしかった。ナタルが振り向き眺めた先で、艦長は深く考え込むように口元を右手で抑えていた。
「不可能です。この艦は下方へ攻撃は想定されていません」
空を飛ぶ戦艦が地表を攻撃できない。冗談じみた話だが、戦艦というものはえてしてそういうものだ。旧世紀、どれほどの戦艦が潜水艦からの攻撃で撃沈されたことか。また、アーク・エンジェルの飛行性能はあくまでも航空のためのものであり、空戦は想定されていないのだ。艦長が悪いと考えたわけではない。それでもつい席を立ってまで声を荒げることを、ナタルは自身を止めることができなかった。
「ではどうしろと!?」
答えは、意外なところから返ってきた。ブリッジ前方の半円状に設置された全面ガラス張りの壁。風防に最も近く肉眼で直接外の様子を見眺めることのできる位置に舵は設置されている。ブリッジの中でもっとも戦場に近い位置に立つ少女、フレイ・アルスター二等兵はまっすぐ前を向いたまま、ナタルに届く声を出した。
「ナタルさん座って!」
「君は一体何を……?」
「いいから座って!」
決意を感じさせる言葉に反論することもなく席に座ることにする。
「ラミアス艦長。今からバレル・ロールします。みんなに何かに掴まるよう言ってください、今すぐに!」
ブリッジが騒然とした。慌ててベルトを締めなおす者もいれば、そのベルトが緩んでいないかを確認する者もいる。あるいは、艦長のように悲鳴にも似た声を出した者もいる。
「アルスター2等兵!?」
「早く!」
「艦内各員へ。これほり本艦は背面飛行を行います。何か近くのものに掴まり衝撃に備えなさい! とにかく急いで!」
艦長の言葉を言い終えるよりも先に舵が勢いよく回され始めた。アーク・エンジェルが大きく傾いていく。ナタルは心の中でもう二度とジェット・コースターは乗るまいと固く誓っていた。
空の上で世界がゆっくりとひっくり返った。アイリスは、いや、アイリスのみならず戦場の多くの場所で、モビル・スーツも人も、同じように首を上に向けていた。アーク・エンジェルの白い艦体が大きく傾いたかと思うと、もうこれ以上は回らないだろうと予測される角度を超えてもさらに回転し、艦体が逆さまになる一歩手前でようやく落ち着いた。
「フレイさん、無茶苦茶ですよ……」
アイリスはこんなことをしでかした人物の顔を思い浮かべながら、アーク・エンジェルの各砲門が地上へと向く様子を眺めていた。途端に、砂漠に火柱が立ち上り、砂が弾け飛ぶ。どれだけモビル・スーツが高火力の道をたどっても、総合火力はどうしたって戦艦を上回ることはできない。ザフト軍は突然の砲撃にさらされ、散り散りとなった。デュエルに殺到していたザフト軍のモビル・スーツは、その勢いを完全に削がれていた。
ただ1機。降り注ぐ弾薬の中をかまいもせずに突進してくるのはGAT-X303イージスガンダム。GAT-X102デュエルガンダムのそばにアーク・エンジェルは攻撃を仕掛けない。かえって安全だと踏まれているのだろう。実際、アーク・エンジェルの降らせる爆発はデュエルを包囲するザフト軍を中心に生じており、イージスはまったく危なげなくデュエルへと接近してくる。
武器はすでにない。左手の指は破壊され、装甲そのものは無事であってもパイロットであるアイリス自身が負傷している。
イージスはビーム・ライフルを使わずビーム・サーベルで決着をつけたいらしい。アーク・エンジェルの攻撃をかわす関係上、デュエルと距離を開けることができないのだろう。両足のつま先に発生させたビーム・サーベルを振り回し、アイリスは回避のために大きく動かざるを得なかった。バック・ブーストで飛びのく。砲撃に巻き込まれてしまわないよう後ろを気にしすぎてしまった。イージスは足を器用に動かしてサーベルを伸ばした。フェイズシフト・アーマーの強烈な閃光に装甲が破損したことがわかる。
肩の装甲に一筋の溶けた筋が走っていた。アイリスがこのことを確認した直後に、胸部にもサーベルがなぞった後がついていた。
敵の攻撃はアイリスの考えるものよりもひとつ分早い。
(あの時も、こうでしたね……)
もう10年も前。あの時と同じだ。アイリスよりも強くなるよう生み出された人たちと戦ったことがあった。炎と煙。人の死がちっぽけに見える惨状の中、アイリスは戦っていた。覚えていないのに確信があった。だから知っている。あの時も、アイリスはこうした。
デュエルの右腕が一直線にイージスの顔面へと突き刺さった。フェイズシフト・アーマーはマニピュレーターにも一部採用されている。それでもフレームそのものは単なる細い金属板をつなぎ合わせたものでしかない。ガンダム2機分のフェイズシフト・アーマーの輝きの中、右手の指が残骸となって散っている。イージスは完全に虚をつかれたのだろう。顔面を強打されたことでたじろいだようにのけぞる。指は砕けても、その方がかえって都合がいいこともある。左腕、イージスによって指を撃ち抜かれたことで袖口から先は欠損してしまっている。袖の装甲そのものを鈍器として使えるということ。
アイリスは何かを振り切るように強く息を吸い、突きとともに吐き出した。デュエルの突きがイージスの腹部へと突き立てられる。正確なコクピットの位置なんて知らない。それでも強引な一撃は甲高い金属音を響かせて、光を輝かせて重たいはずのモビル・スーツをわずかに浮き上がらせてそのままイージスを仰向けに倒す。モニターには左腕のフレームに損傷が発生したことを示す警報が流れていた。
これ以上の戦闘継続は不可能としか思えなかった。次第にアーク・エンジェルからの砲撃の音と煙とが少なくなっていく。上空では戦艦が元の位置に戻ろうとしていた。
ザフト軍は追い払われたように遠くに離れている。イージスはすぐに動くことはできないだろう。今しかない。デュエルが走り出す。少しでも助走が欲しい。足をとってくる砂にわずらわしさを覚えながら、その腹立たしさを解消するように強く大地を蹴りつける。浮き上がったデュエルの体をスラスターが一気に押し上げていく。モビル・スーツに飛行能力はないと聞いている。それでもガンダムほどの余剰推進力を持つ機体なら飛んでいると思えるほど高く浮上することもできなくはないそうだ。
デュエルはスラスターの推進力に無理やり機体を押し上げているため、振動が思いのほかコクピットを揺らしている。モニターにはアーク・エンジェルの白い装甲が次第に大きく見えてきた。こうして外から見ると、アーク・エンジェルはとても大きい。速度をあわせてくれているのだろう。アーク・エンジェルの横を通り抜けて、足のように突き出した構造の間の甲板へと目標を定めた。ブリッジのふもとにいるする甲板へ、デュエルをゆっくりと着陸させていく。見上げればブリッジの様子が見えるかもしれない。
一息つく時とはきっとこんな時。デュエルは傷だらけで、アイリスも口の中を切ってしまった。
「見事だったぞ、アイリス。だが、君はそれほどの操縦を一体どこで?」
「私もよくわかりません。でも、モビル・スーツに乗ったの、デュエルがはじめてじゃない気が……!」
モニターの隅に何かが映った。アイリスが気づいた時、それはモニター一杯に拡大されていた。デュエルの顔面に迫るイージスの足。衝撃にさらされたフェイズシフト・アーマーが放つ輝きはメイン・カメラを通してコクピット中を埋め尽くす。弾き飛ばされたデュエルはブリッジを持つブロックの壁に叩きつけられて、早く起き上がらなければならない、そんな意識は目の前に突きつけられたビーム・サーベルによって萎んでしまう。
「アイリス!」
ナタルの声がした。アイリスは目を閉じてそっと訪れる死の瞬間を待っていた。それでも、それはなかなか訪れない。恐る恐る目を開けてみると、イージスはビーム・サーベルを消して、額の一部を点滅させていた。規則正しいようでどこかばらばらで、何かを伝えているようにも見えた。
(モールス信号……なのかな?)
そうだとすればきっとイージスのパイロットはわかっていて当然として送ってくれているのだろう。ただ、アイリスには何がなんだかまるでわかっていない。どうしたらいいのか、何をすればいいのか。そんな頭を徹底して混乱させている内に、イージスはこともあろうにコクピット・ハッチを展開し、パイロットがその姿をさらした。何となく、コクピットを開けないといけないことはわかる。アイリスはハッチを開く。強風がとたんにコクピットの中に吹き込んでくる。無理もない。ここは飛行を続けるアーク・エンジェルの上なのだから。ただ、デュエルの前に立っているイージスのおかげでだいぶ風は柔らいでいるようだった。風に逆らいながらコクピットから身を乗り出すと、イージスのパイロットはヘルメットを外し、アイリスのことを見下ろしていた。
くすんだ金髪はあまり手入れが施されているようには見えなくてどこか少年を思わせる少女だった。アイリスはこの人を知っている、そんな気がする。不機嫌そうにも見える厳しいまなざしでアイリスのことを見ていた。
「その髪に瞳。ヒメノカリスじゃないからアイリスか?」
「ギーメルさん……?」
「その名前で呼ぶな。私はカガリ・ユラ・アスハだ。その様子だと記憶を取り戻したわけじゃなさそうだな」
記憶の引き出しがどこかに引っかかって開けることができない。後少しで思い出せそうで、それでも思い出すきっかけがなくて思い出せない。そんな煩わしさが胸に芽生えた。この人のことを知っている気がする。しかし確信が持てなくて、それでも相手はアイリスのことを知っていて、アイリスはこの人知っているような気がして仕方がない。
「時間はない。端的に答えろ。アイリス、記憶を消され市井に放たれたはずのお前が何故ここにいる?」
「え? その、成り行きで……」
しどろもどろになりながらこうとしか答えようがなかった。ヘリオポリスで学校に通っていて、アーク・エンジェルに救助されて軍人になったところデュエルガンダムへの搭乗を求められた。それこそ成り行き任せにこうなったとしか説明のしようがないのだから。そんなアイリスの態度に、カガリは目に見えて表情を険しくする。
「バスターのパイロットはアスラン、お前にもわかるだろうが、かつてのアルファ・ワンが務めているそうだ。そもそもガンダムを開発したのはゼフィランサスだ。ドミナントとヴァーリがこれでもかというほどそろっている。これを偶然で片付けるほど私は夢見がちじゃない。そしてお前までもがここにいる。アイリス、正直お前に答えられるものなのかはわからない。だが私は聞かざるを得ない。今、一体何が起きている?」
上空を吹きすさぶ風の音ばかりが響いていた。カガリの待機とアイリスの沈黙の間を、風がただただ吹いている。
砕けた大剣を投げ捨てて、GAT-X105ストライクガンダムは両手にダガー・ナイフを抜き放つ。まだ戦うらしい。ラゴゥにはビーム・サーベルが装備されている。すでにガンダムの絶対性は神話と化している。ビーム・サーベルを振り回せたことに比べればストライクは、少年は不利な状況におかれていることは明白だった。それでも、少年はまだ戦うつもりでいるらしい。
「まだだ!」
くじけぬ心を持つとたたえるべきか、現状を認識できない諦めの悪さをなじるべきか、アンドリュー・バルトフェルドはどちらでもいいと息を吹く。ラゴゥのモニターには迫るストライクの姿があった。カルミア・キロが放つビームをストライクはかわした。それは強引なもので、腰の辺りをかすめたビームはフェイズシフト・アーマーを輝かせる。
(ハウンズ・オブ・ティンダロスにこだわりすぎているようだね、君は)
振り回されるナイフを恐れる必要などない。四足を動かしながらラゴゥは軽い身のこなしでナイフをかわし、後ろへと飛びのくことであっさりとナイフの間合いから離れた。
「何度やっても結果は変わらんよ。電卓をどれほど叩こうが、1+1は2だろう」
「お話にならないわね。手段と目的を完全に取り違えてる。キラ君、戦場では冷静さを欠いた人から死んでいくものよ」
「カルミアに何が……!?」
言葉の勢いとともに突進してきたストライクへと、カウンターのタイミングで飛び出したラゴゥの前足が直撃したのだ。顔面を強打されたストライクはデュアル・センサーのカバーが砕けた。ガラス片を撒き散らしながらのけぞるストライクへと牙--ビーム・サーベル--で撫でてやる。額のブレード・アンテナが膨大な光の中で斬れて落ちた。
あまりに動きがよみやすい。目的は砂漠の虎をしとめること。手段はハウンズ・オブ・ティンダロス。この2つの枠にはまったまま自ら進んで身動きを封じているようだ、この少年は。
「ハウンズ・オブ・ティンダロス。クトゥルフ神話に登場する異形の猟犬ね。この技はね、回避の極限的技巧を語ったものにすぎないわ。技ではなくて、単にこんなこともできますよ、そう言っているだけなのよ」
射撃を担当しているはずのカルミアはビーム・ライフルの発射を忘れて話に集中しているようだ。後部座席から少女の声ばかりが聞こえていた。
「キラ君はどうしたいの? もしもハウンズ・オブ・ティンダロスを完成させたとしてもそれでどうするの? ただかわせた、それだけのことでしょう。あなたはいつもそう。なまじっかすべてを手に入れることができる力を持ってデザインされてしまったからすぐに力に頼ろうとしてしまう。苦しくはない? 力だけに頼る人は、もっと大きな力にいつも屈することになる」
今度切り取られたのは腰を守るサイド・スカートの装甲。なるほど、致命傷を避けるだけの技術は持っているようだが、その動きは無駄がないだけに無駄だらけだ。今の回避にしてもハウンズ・オブ・ティンダロスを使おうとしなければ、もっと余裕をもってかわそうとすれば機体が損傷することはなかったことだろう。そして、わざわざ最低限の動きでかわそうとしたにしては少年は反撃はできないでいる。結局ラゴゥが攻撃直後に大きく距離をとったからだ。ヒット・アンド・ウェイ。もともとラゴゥのような機体にはこんな攻撃法がよく馴染む。
アンドリューが戦っている間もカルミアの言葉は途絶えない。
「それとも、そんなことはありえない? あなたがドミナントだから」
「僕は僕だ!」
「また意味のない技を使おうとした。今の攻撃はわざわざハウンズ・オブ・ティンダロスでかわす必要なんてなかったでしょ。それなのにあなたは無理にかわそうとして機体を危険にさらした」
呆れたようなカルミアの声。少年はまたハウンズ・オブ・ティンダロスを実践しようとして、ビーム・サーベルをすれすれでかわそうとして失敗する。右腕がビームに深くえぐられ、内部構造が露出するほどだ。これでマニピュレーターを司るコードが断絶したのだろう。右指が不自然に開いて、握っていたはずのナイフを取り落とした。指は不自然な形で固まり、これでストライクの武器は左腕のナイフだけとなったわけだ。そして、仮にこのサーベルを絶妙な回避でかわすことができたとしてもそれで反撃ができたわけではない。ラゴゥはすでに離れた場所にまで走り抜けているのだから。
先程からこれの繰り返しだ。ラゴゥが駆け抜け、すれ違いざまにサーベルを振るう。それを無理にかわそうとしてストライクが装甲を欠損していく。
「あなたがそこまでがんばるのはゼフィランサスのため? ユッカのこと、まだ気にしてるの?」
ユッカという名前は初耳だ。しかし、花の名前だ。要するに、そういうことであるのだろう。
そろそろ会話に参加させてもらってもいいだろうか。カルミアはすべてをアンドリューに話してくれているわけではない。ヴァーリという存在は聞かされてもその存在理由のすべては明かされていない。10年前に起きたヴァーリが離散する事件の詳細についても聞いても答えてもらってはいない。そして、ドミナントと呼ばれる存在についても同様だ。このままでは話についていけなくされてしまいかねない。
「少年。結局、カルミアが言っていることなんだがね、君の動きは目的と手段を完全に取り違えているようだ。君の目的は何だね? 僕を倒すことかい? それとも華麗に敵の攻撃をかわしてみせることかい? 君はひとつの手段に囚われすぎだ。目的を達成するためには何でもしてみせようっていう強欲さが感じられんね」
この少年は強くなりたいのだろう。そのための手段としてハウンズ・オブ・ティンダロスの力を必要としている。それがそもそも誤りだとはカルミアが言っていた。この技術はあくまでも回避手段の一つを体系化--あまりに単純な理論をこう呼ぶこともおこがましいが--したものにすぎない。回避手段の一つにすぎないのだ。その場に応じた最適な回避というものが存在してしかるべきだが、少年はあまりにハウンズ・オブ・ティンダロスを使うことに気をとられすぎている。その度に失敗し、機体を傷つけている有様だ。
たたずむストライクは全身に傷を持つ。決して完璧ではない技術という点では大差ないアンドリューのラゴゥは無傷だというのに。少年とアンドリューの間にはせいぜい壁なんて1枚しかない。その1枚の壁を、少年は一つのやり方にこだわりすぎて乗り越えられないでいる。
「しっかりとなさい、キラ・ヤマト!」
自分がしかられたわけではないというのに、カルミアの叱咤の声は何とも心に響く。
「あなたが強くなりたいのはゼフィランサスを救うためでしょ! 自分を見失わないで!」
さて、そろそろいいだろう。少年の成長を見てみたい気もしないではないのだが、ガンダムという存在はザフトにとって危険すぎる。破壊すべき対象であることに変わりはない。たとえ、カルミアにとって弟とも言える少年を失うことになったとしても。
ラゴゥを突進させる。すでに伏線は張り巡らせている。いたるところが傷ついたストライクの装甲ならば、胸部ジェネレーターを一突きにしてしまえる。少年がハウンズ・オブ・ティンダロスにこだわる限りその動きはアンドリュー・バルトフェルドの手の内にあるのだから。1+1は何度計算しようが2になる。だが、2が打ち込まれたとすれば話は別だ。
ストライクは大きく距離をとってラゴゥの進路上からその身をどけた。当然、ビーム・サーベルは大きく空振ることとなる。偶然か、それとも故意か。砂をえぐりながらラゴゥの勢いをとめる。ストライクの方へと振り向く頃には完全に勢いをとめ、ラゴゥは停止していた。突進の勢いに任せた戦い方をするラゴゥにとってそれは隙だらけであったとしてもよい。ストライクがすでにこちらへと飛び掛っていた。
「少年、君は……!」
悠長に言い終える時間なぞ与えてもらえるはずがない。やむなくラゴゥの首を振り回し、ビーム・サーベルを薙ぎ払う。するとストライクは機体をわずかに後ろへとそらした。ビームの曖昧な先端が装甲の表面を撫でる。触れていると確信させられる触れていない距離。ハウンズ・オブ・ティンダロスの見せる見切りの極致。そして、ストライクは攻撃を回避したにもかかわらず、まるでかわした事実などなかったように攻撃を続行した。左腕のナイフがラゴゥの肩口に突き立てられる。鋼鉄の塊が突き立てられる鈍い音がコクピットの中にまで響いていた。損傷を伝えるアラームが煩わしい。
追い払うためにサーベルを振るう。するとストライクは大きくバック・ブーストを吹かせ、あっさりと距離をとった。ナイフはラゴゥに突き立てられたままである。追撃は不可能と判断し、ハウンズ・オブ・ティンダロスを使うことはなかったのだ。
一体何が起きた。ストライクの様子に何か変化が見られるというわけではない。すべての武器を失ったというのに、ストライクは何も変わってなどいなかった。静か、そうと思えるほど自然にたたずみ、月光がその白い装甲を青く染めていた。全身を鳥肌が駆け巡る。これは武者震いというものだ。ストライクはもはや数瞬前とはまるで違う敵に成り代わっている。武器もなく、しかしその闘志は徒手であろうとまったく目減りを見せない。
「カルミア、君はいつから魔術を始めたんだ? 言葉一つでこうも男を変えるものかね?」
「私はちょっと背中を押しただけよ。キラ君は、やっぱりいい子なんだから」
「やはり君は惜しいね。どうかね? 今からでもザフトに来ないか?」
我ながら無駄なことを聞いたものだ。ストライクの、ラゴゥの装甲を通してさえ伝わる戦意に、投降だの懐柔だの無粋なものは不要なのだ。
「それは僕にとってもあなたにとっても本意じゃないはずだ」
「やれやれ、僕は指揮官失格だね。君と僕はよく似ている。自分の力を試したくて仕方がないのだろう!」
「僕はあなたという存在を超えたい!」
目の前の強大な敵。打ち破れるか否かという瀬戸際が面白い。勝つことができたならそれは誉れとなる。敗北を喫したとしても、敵はさらなる高みを見せてくれる。どちらに転んでも楽しくて仕方がない。少年も同じようなことを考えているのではないだろうか。
少年は無能でもなければ弱くもなかった。その力の使い方がわからなかっただけの話だ。本人も気づいていたのではないか。自身の方法では駄目だということが。だから必要としていた。道を変えるためのきっかけと、心を押してくれる存在を。
「さて、勝つのはどちらかしら?」
「おいおい、君はどちらの味方だい?」
「私はいい男が好きなのよ」
まったく、カルミアは本当に楽しそうだ。
アリスはいつのまにか機能を停止させていたようだった。いや、機能はしている。それでも、キラは冷静に戦いが見えるようになっていた。特に何かが劇的に変わったことなどないつもりだ。ただ、ハウンズ・オブ・ティンダロスがより体に馴染んだような実感はあった。所詮未完成の技術。そう受け入れるだけの下地があったからこそ、月下の狂犬も砂漠の虎もエース・パイロットとして知られているのだろう。彼らの戦いにあるのは妥協ではなく、自分にできることすべてを使った強引、強欲なまでの目的達成のための志なのだから。
ハウンズ・オブ・ティンダロスは手段にすぎない。使う必要がないなら使わない方がいい。
キラとアンドリュー・バルトフェルドの間にあった壁とはそんなことだ。目的達成の貪欲さ。自己を見つめる冷徹なまでの観察眼。わかっていたはずのことだった。たとえラウ・ル・クルーゼを倒すことができたとしてもゼフィランサスを救うことはできない。力は手段の一つでしかないのだろ。
(自分を見失うな、キラ・ヤマト!)
最強の力が欲しいと考えた。それはゼフィランサスを救うために必要なことだから。それを取り違えていた。最強の力があればそれでいいと考えていた。だが力を持つということとと強さを兼ね備えるということは意味がまるで違う。それを教えてくれたのが、カルミアであり、そして砂漠の虎である。砂漠の虎は圧倒的な実力を持っているわけではない。それでもキラを圧倒し、その強さを示した。
ただ考えるだけでいい。目的は何か。そのためにすべきことは何か。カルミアが言ってくれたように、砂漠の虎が見せてくれたように。目的と手段を。
「決着の時だ、少年!」
ラゴゥが走り出す。ストライクもまた走り出した。武器はない。必要ない。武器は手段。目的ではない。目的を達成するための手段が他にそろえられているのなら、武器なんて、力なんて必要ない。ハウンズ・オブ・ティンダロスを飼いならすとはそんなこと。拘泥してしまってはならない。アリスさえもその手段にすぎない。
これまでのように飛び上がるラゴゥの動きは、目に見えて遅いものだった。突き刺さったままのナイフが前足の出力を低下させているのだ。そのために肩にナイフを突き立てた。敵を倒すという目的がキラの中で結実する。
迫るビーム・サーベル。その下をくぐるように身をかがめ、前足の一撃はストライクの装甲を頼りに受け止める。そして、ストライクの両腕をラゴゥの首に回し、そのまま抱きしめる。突進の勢いを受け止めて足が砂を滑って跡を残す。それでも腕はしっかりと虎の首にかかっている。ビーム・サーベル発生装置から伸びるケーブルはその胴へと吸い込まれていた。膨大なエネルギーの奔流が首と胴との間を駆け巡っている。
「誇り高き砂漠の虎よ! 僕はあなたと戦えたことを絶対に忘れない!」
「光栄だよ、少年」
腕にこめられた力が首をへし折り、虎の胴をひずませていく。膨れだした炎が爆発となって戦士2人の体を包み込んだ。
C.E.65.04.01はよく晴れた日だった。星空は満天、とはいかないが、地上の光にもめげない数少ない星々は夜空に瞬いていた。カオシュン国際空港は快晴。朝の天気予報はものの見事に的中した。だが、正直な話、欠航便が出るほどの土砂降りでも、モーガン・シュバリエはかまわないとさえ考えていた。
この空港に滑走路はない。正確には存在するが、それは多くの人が思い描く滑走路とは趣きが異なるものだ。空港の待合室には滑走路に面したガラス張りの壁がある。このガラスの前に立つと滑走路の様子が一望できるのだ。それは長いレールのようにも見える。地べたに這う形でレールが伸び、それがあるところから急激に反り返り空へと突き出されている。
マスドライバーと呼ばれる打ち上げ装置である。
独力で大気圏を離脱できない航空機などを全長1800mにも及ぶレールが電磁誘導によって加速する。これによって航空機は第1宇宙速度にまで到達し、宇宙へと旅立つのである。宇宙にしか国土を持たない国も存在する現在、カオシュン国際空港は真の意味での国際空港であると言えた。
ライトにその輪郭を映し出されるマスドライバーから、少々焦点を引きつけると、ガラスには似合いもしないコートを身につけた中年の髭おやじが映し出されている。
他ならぬモーガン・シュバリエ本人である。
その隣りには大きな旅行鞄を持つ女性が立っている。同じ方向を見ているので、その顔は鏡の役割をするガラス越しに見ることができる。どうということのない女だ。髪が長いでも短いでもない。化粧が濃いということもない。どこにでもいるような女でしかない。ただ、平凡ながらもその素朴さに惚れたと言ってしまえば、それはのろけ話になってしまう。
「どうしても行くのか?」
別に別れ話をしているわけではない。声は普段通りのしわがれ声である。女房にしても、世間話でもしているかのような気軽さである。
「何度も話し合ったことでしょ。血のバレンタイン以来、地球連合とプラントとの対立は強くなる一方。ブルー・コスモスなんて人たちがコーディネーター研究施設を襲撃したなんて話を聞かされて怖くならない方が変よ」
過激な環境保護団体という奴はいつの時代もいるものだ。モーガンは特に気にしていないが、妻は神経を尖らせていた。無理もない。妻も子もコーディネーターであるのだから。
地球で反コーディネーター思想が高まることを恐れてプラントへ疎開を始めるコーディネーターはこの頃多いのだと聞く。この待合室にはプラント行きの便に乗り込む人が集まっているはずだ。その多くはコーディネーターであるのだろう。
モーガンは別段それが特異なこととは考えていない。
「地球にだってコーディネーターを理解している奴はいる」
ガラスに映る妻の顔ははっきりこそしないが微笑したように見えた。
「あなたみたいにね」
だが、それが地球に残る理由にはなってくれないらしい。大変、残念なことだが。
妻はこちらを向いた。モーガンに比べ目線が少々低いため首を横へ向けるとともに下に曲げてようやく視線が合う。
「少し落ち着いたら、プラントにも顔を見せて。あの子もお父さんがいないと寂しがるでしょうから」
首を少々上げる。するとモニカの頭上を通り越してシャトルの搭乗口が見えた。そこではこれから自分が乗るシャトルを目を大きくして眺める子どもが1人。モーガンの息子である。今年で10になる。そろそろ生意気になり始める年頃だ。ただ、シャトルを嬉々として見つめるその姿はまだまだ子どもだ。
息子の様子を眺めたまま、モニカには返事をしておく。
「ああ。行くさ、必ずな」
妻は手を小さく振ってから搭乗口へと歩き出す。そのすぐ後ろについて搭乗口にまで歩いた。息子は妻からチケットを渡されると、とっとと改札を抜け、シャトルへ繋がる通路に入ろうとする。
「じゃあね、父さん」
通路に消えてしまう直前になってようやく振り向いて手を振ってくれた。もっとも、それはおまけのようなものであったらしく、すぐに通路へと入ってしまう。次は妻の番だ。息子とは違い落ち着いた様子だが、手を振ってくれたのは通路に入る直前だけというところは共通している。
こちらも軽く手を振って、2人を見送った。
今日は4月1日。エイプリルフールだ。だが、最後までプラントへ行くなんて嘘だとは、これからも側にいてくれるとは言ってもらえなかった。
仕方がない。モーガンは元のガラスの前に戻ることにした。ガラスを通して見える光景の中に、家族が乗り込んだシャトルの姿がある。旧世代のスペース・シャトルとその形状はあまり変化していない。しかし安全性と燃費破格段に向上しているのだそうだ。
マスドライバーなら、より安全に2人をプラントへと届けてくれるだろう。今時、宇宙に行くのはガガーリンのような熱意を持った一部の人間ばかりではない。
ただ、出発までまだ時間がある。それがどれくらいか確認しようとして、腕時計を顔の前に持ってこようとした。
そして、照明が落ちた。
思わず顔を上げる。すると、この停電は空港中で起きていることがわかった。見える明かりは独立電源を有するシャトルの灯火と、空の星々しかない。代わりに、声は空港に満々ちていた。混乱して悲鳴を上げる人もいれば、見失った身内を呼ぶ声がする。
モーガンは記憶だけを頼りに搭乗口を目指して走り出した。まもなく、改札の役割をかねるゲートらしきものに体を打ちつけた。出てきたのは苦悶の声ではなく、疑問のそれである。
「何があった!?」
空港関係者の姿など見えてやしない。見当のみで怒鳴ったのだ。幸い返事は闇の中からあった。
「わからん! 急に送電がストップしたんだ!」
慌てているのはあちらも同じであるらしい。コンソールを荒々しく叩く音こそ聞こえるが、それが成果を上げている様子はない。電力なしで動く機器などあるものか。
「補助電力があるだろう!」
相手の姿を確認できないままの怒鳴り合いが続く。
「空港中の電力を賄えるものか! 誰も想定していなかったんだ! まさか、ツィマッド社とジオニック社からの送電が同時に、しかも完全に絶たれるなんてことはな!」
どちらも子どもでも知っているような電力会社である。それがどれだけの電力を配給しているかは想像に難くない。しかし、それが同時に配給を停止した理由はどうしても思い浮かばない。まさかすべての原発が同時にテロにでも見舞われたのか。
あり得ない。それほどの組織力を有するには国家規模の資金力を必要とする。そして国家はこのような大それたことは行わないものだ。考えごとをしている最中にも事態は刻々と深刻の度合いを増していた。
轟音が響きわたる。人々が一斉に振り向いたような風を切るような音がした。ガラスに隔てられた外で火柱が黒煙を立ち上らせていた。暗闇に揺らめく炎が、傷ついたマスドライバーとその周囲に散乱するシャトルらしき残骸を照らしていた。
この状態では管制塔も満足に機能していないはずだ。誘導灯も照らされているはずがない。目はやがて暗さに慣れてきた。目の前にあったものは、やはりゲートである。これを跳び越えたところで、誰も咎める者などいなかった。
シャトルへと通じる通路の扉を開けようとするが、自動開閉式の扉は電源を絶たれた今、こじ開けようとしても開くものではなかった。
再びゲートを乗り越える。続いて向かったのは窓の前だ。窓の外に灯火に縁取られたシャトルが見える。妻子が乗っている便だ。
もう一度、耳を覆いたくなるような音が響いた。巨大な火花が、音の正体をまざまざと見せつけてくる。マスドライバーの大きく反り返った部位に着陸を失敗したシャトルが片翼を衝突させたのだ。
マスドライバーには翼が深く食い込んでいる。シャトルの方は翼をもがれ、その姿勢を大きく崩した。そうしてシャトルが墜落する先は、こともあろうに妻子が乗り込むシャトルがある。
モーガンは我を忘れて窓を殴りつけた。何度も幾度も。固いガラスの代わりに手の甲が裂けた。流れた血が窓を汚して、ここには不可侵の壁があるのだと見せつけようとする。
夫の目の前で妻が、父の眼前で息子が、その命を落とした。
エイプリルフール・クライシス。
モーガン・シュバリエがこの名を、プラントによってなされた暴挙の名を知ることになるのは後の話である。
肌寒い。しかし暖かい。月は夜風をしんと冷やしているのに、燃え残る戦火はアスランに温もりを伝えていた。焼け落ちた格納庫は天井の一角が崩れ、周囲で燃え盛る炎の光にも負けない星空が広がっていた。ここキンバライド基地は完全に沈黙していた。
そして、アスランに支えられた男性が静かにその目を閉じていた。右半身の火傷がひどい。ノーマル・スーツは黒こげで、手には水泡が浮いていた。重度の火傷を負った証である。かすかに聞こえる呼気に空気が漏れるような音が混じることからは気管、あるいは肺に重篤な傷害が生じたことを意味している。もう長くはない。果たして意識がもどるかどうか。だが、月下の狂犬はそんなに柔な男ではなかった。うめき声とともに覚醒しておきながら、アスランの姿を目にするなり豪気にも笑って見せた。
「アスラン、お前か……」
苦しいどころではないはずだ。この人と初めて出会った時のことを思い出す。焦げてしまったあごひげを揺らしてモーガン中佐は苦しげな咳をする。
「中佐!」
モーガン中佐は左手が遅々とした動きで、痛みに耐えながら、苦しみにうめきながらそれでも胸ポケットから何かを取り出した。それは、ずいぶんと色あせ、端々が擦り切れた写真だった。中佐がどれほど大切に、肩身はなさず持ち歩いていたかがわかる。写真には中佐と、その隣りに女性が写っている。2人の間には男の子が楽しそうに飛び跳ねていた。男の子は心なしか中佐に似ている。
「息子さんがいらしたんですね……」
こともあろうに、中佐は笑った。それでも中佐は笑う。笑う度に吐き出された血が唇に乗る。
「冗談だとは言ったが、嘘だとは言っていない……」
たしかに、写真の少年はアスランとはまるで似ていない。死んだ息子に似ていたから助けた。中佐のこの言葉は嘘ではなくて、ほんの少し本当を歪めたお遊び。無理に笑ったことで、さしもの狂犬も一際多量の血を吐き出した。それでも写真が血に濡れないよう左手を動かしたのはさすがだというべきだろうか。支える手を通して、徐々にモーガン中佐の動きが小さく、死が忍び寄っていることがわかってしまう。
「C.E.65年、4月1日に死んでしまったよ。生きていれば、ちょうどお前くらいだった……」
ニュートロン・ジャマーによってすべての核分裂は抑制され、我々はもはや核の脅威に怯える必要はありません。戦争の世紀と呼ばれた時代に生み出された悪しき負の遺産はもはや永遠に犠牲者を生み出すことはありません。ニュートロン・ジャマーの設計開発者であるオーソン・ホワイト議員の言葉である。この言葉はプラント中に流された。少々無骨な顔かたちをしたホワイト議員が誇らしげに演説台から身を乗り出している姿がとても印象的だった。これでもう「血のバレンタイン」のような悲劇は繰り返されることはない。子ども心にそう考えて、それは喜ばしいことだと考えていた。
プラントでは情報に規制がしかれ、ニュートロン・ジャマーの投下によって結果として10億もの人的被害が生じたことを知ったのはそれから3年も後のことだった。その頃には地球での情勢も落ち着き、まるで過去の出来事でしかないというように単なる数字として受け止めた。プラントではすでにエイプリルフール・クライシスへの関心は薄れてしまっていたのだ。血のバレンタインを引き合いに出さない日など一日たりともないとして。もう6年になる。それでも、アスランが抱えている男性はいまだなおその苦しみから解放されていない。
「……俺は敵を殺してきました。敵以外の非戦闘員だってきっと。それは、そうしなければプラントが祖国が焼かれると考えたからです」
搾り出すような始まりながら、話していく内に落ち着いたのか、徐々に言葉がはっきりとしてくる。なんとも簡単なことなのだ。モビル・スーツに乗るということは、モビル・スーツで人を殺すということは。コクピットの中に戦場の匂いは届かない。トリガーを引くだけで肉眼に触れないところで敵が死んでいく。敵のことなんて考えてこなかった。血のバレンタインを引き起こした、同胞の命を奪い去った敵が、実は敵もまた同じように奪われた者だとは考えもしなかった。
「間違ってはいないな。この戦争、どちらかが滅びるまで終わらんさ……」
モーガン中佐はすでに写真を保持するだけの力も残されていない。左手は地べたを這い、指先が辛うじて写真を掴んでいるだけである。これ以上、声を出すことも辛いはずだ。それでも、アスランは問いかけをやめることができなかった。
「相手に焼かれることは許せない。でも、自分たちが焼くならかまわない……。そんな理屈がどこにありますか……?」
モーガン中佐は小さく呼気を繰り返し、呼吸を整えようとしている。その間にも、アスランは言葉を繋いでおいた。
「血のバレンタインを引き起こしたナチュラルが許せない。そう考えて敵を討つことが当たり前だと思っていました……」
それは小さな声で、それでもアスランに聞かせようとする強い意思を感じさせる声だった。
「お前は妖精のような奴だな、……アスラン」
もちろん、言っていることの意味はわからない。するとモーガン中佐はまるで物語でも話すかのように滔々と言葉を繋いでいく。このことは初めてモーガン中佐と出会った時のことを思い出させる。
「天国と地獄の門が閉じられる時、地上に残っていた霊的な存在はそのどちらかに加わることになったそうだ……」
言葉がとまる度、モーガン中佐は苦しげに小さな呼吸を繰り返した。それでも、物語は終わらない。
「そのどちらにも加わることができなかった奴らもいた。地獄に行くにはあまりに清浄で、天国に入るにはあまりに汚れている。そんな存在は地上に残り、妖精になった……」
天国は天に在る国、プラントを。地獄は地球上の各国を示しているのだろう。ただ、それは単に地理上の比喩に過ぎないはずだ。アスランはプラントのためと割り切ることができないでいる。しかし、地球の国々のために戦うこともできるはずがない。
「俺が妖精なら……、俺はどうすればいいんですか……?」
「アスラン……。お前は逆立ちしたって、悪魔になんてなれやしない……」
微笑んだまま目を閉じて、写真が指先からそっと離れた。息が不正な場所から漏れ出る息苦しい音が聞こえなくなるとモーガン中佐はまるで眠ったように穏やかになった。支える手からモーガン中佐の体温が急激に失われていってしまうような焦燥感に突き動かされ、アスランは叫んだ。
「モーガンさん!」
10年前の2月14日、アスランは母になるはずの人を失った。大勢の仲間をうしなった。これからアスランは一体どれほど生きることになるかなんてわからない。後どれほどの別れを繰り返さなければならないのか。何にも手に入れてなんていないと思っていた。それなのにこの両手から大切なものが零れ落ち続けていく。それはどうしてもとめようなんてなかった。
突然音がした。裂けた天井から吹き込む風とともに轟音が空から吹き降ろしていた。なんとも不吉に、黒い風が吹いていた。
TMF/S-803ラゴゥの残骸は腹部から2つに裂け離れたところに落下していた。腹部ジェネレーターを砕かれたからだ。GAT-X105ストライクガンダムは残骸のそばでひざをついて座っていた。パイロットであるキラは乗降用のロープに足をかけ、砂地に足をつけた。ヘルメットはコクピットにおいてきた。夜風が火照った体を冷たく冷やし、熱を持った残骸からの放射熱がキラを苛むように熱している。
キラの目の前には引き裂かれたラゴゥの前半分が見上げるほど大きな残骸と化して転がっている。ところどころ装甲が剥げ、裂かれ、それは腹部に近い場所ほど程度がひどいものとなっている。頭部は比較的原型を保っているとはいえ、トサカが半分に折れている有様だった。まるで喰い荒らされた巨大な骸のような有様だった。コクピットがあったと思しき胸部に近寄る。すると、キラの目線と同じ高さの場所に半壊したハッチがあった。損壊がひどく裂けた隙間に手を差し込んで引くと人の力でハッチは砂地へと落ちた。
中は薄暗い。ハッチでさえこのような有様ではパイロットが生存している見込みはまずない。キラは自身を非情と感じたことがないではなかったが同時に冷静な分析ができる人間であると考えていた。パイロットの生存を期待していたわけではない。しかし、砂漠の虎を殺すことに、キラ自身は後悔なんてしないはずで、してはならないのだから。偉大な戦いをともにした先達の死を悲しみで汚してはならない。
コクピット、いや、コクピットであった隙間から大きな塊が転がり落ちた。煤けて裂けたノーマル・スーツを着た大柄の遺体。砂に落ちたそれがキラに向けているのは背中だろう。虎と思しきエンブレムに大きな鉄片が突き刺さっている。首から先は爆発に飛ばされた破片に切断されていた。こんな時、信じる神を持たない者は無力だ。弔う術もしらなければ、死後の安寧を約束してあげることもできない。せめて敬礼でもしようと手を上げたとき、死せる虎が動いた。生きているわけではない。不躾と思わないわけではなかったが、亡骸を急いでどかした。
「カルミア!?」
無傷とは到底言えない。ノーマル・スーツはところどころ裂け、細かい破片が飛び込んでいる可能性がある。それでも胸が定まったリズムで動いて確かに呼吸をしている。ヘルメットを脱がせると赤い髪があふれ出て、カルミア・キロが瞳を閉じていた。手を膝と背中の下に敷いて抱き上げる。ゼフィランサス・ズールよりも少し重い。それにしても特に歩くことが苦になるほどではない。助けられるかもしれない。
ストライクの方へと歩き出すと、突然空が泣き始めた。轟音を涙として、その身を切り刻まれることを嘆いているかのように。
月明かりに照らされた空を何機もの黒塗りの航空機が飛行していた。渡り鳥のように編隊を組み、総数は目算で7機。地球軍が一般的に用いる大型のVTOL輸送機で箱に無理やり翼を乗せたような不恰好な形は特徴的だ。しかし何故この場所にこの時に輸送機の編隊がザフトの勢力圏を飛行しているのかの説明は、今のキラにはできない。
遥か頭上で、大型VTOL輸送機は後部ハッチを開いた。大きく、広く、口が開く。開かれた口の奥は深く暗い闇。そこから、月明かりに姿をさらした人の姿。右腕にはライフル。左腕にシールド。ゴーグル・タイプのデュアル・センサーを備えた巨人が輸送機から次々と飛び降り始めた。ザフトの機体ではない。その意匠はガンダムと似通った雰囲気をしている。しかし地球軍にとってガンダムは初めての試作モビル・スーツであるはずなのだ。量産機にしては開発が早すぎる。
ありえないはずの機体が、空から降りてくる。