星々に見守られる砂漠の上に、それこそ人面獣身の石像のようにその身体を横たえているのはアーク・エンジェル。白亜の戦艦である。エジプトの大地を幾星霜の時を越えて見守り続けた彫像をよじ登る粗忽者の姿があった。ジンオーカーがアーク・エンジェルの足に当たる構造に備えられたハッチをこじ開け、カタパルトを備えるその内部に強引に侵入を果たした。
発進灯の灯されていないカタパルト・デッキは暗く、無理矢理開けられたハッチの隙間から差し込む月明かりだけが照らすその景観はまさに遺跡の内部を彷彿とさせる。
盗掘者たるジンオーカーは宝を目指して歩き出す。
ゲリラはブリッジへの攻撃を早い段階で諦め、戦力を格納庫へと集中させていた。ガンダムを渡す訳にはいかない。クルーたちも自然と格納庫に集まり、さながら戦場になっていることだろう。
これではパイロットがガンダムに乗り込むことができない。それは侵入したジンオーカーに対処する術がないことを意味していた。
「まさかゲリラがモビル・スーツまで持っているなんて……」
最新鋭の兵器であるモビル・スーツは決して安価なものではない。そもそもバッテリーを充電するには大電力の発電施設を必要とする。ゲリラごときに扱いうるはずのない兵器なのだが。
だが、目の前の現実から目をそらすこともできない。
マリュー・ラミアスは艦長席の手すりを強く掴むと、自分を奮い立たせた。
「バジルール少尉。アイリス・インディア2等兵は?」
「わかるわけがないでしょう!」
ずいぶんと不機嫌な様子で言い返されてしまった。思い出す。アイリス2等兵のことを、ナタル少尉は日頃から気にかけていた。
まったく、この艦には滅私奉公という言葉は概念から存在していないのだろうか。
銃声が反響し残響し、何も聞こえなくなってしまうほどの轟音を響かせてた。人の悲鳴も聞こえない。人の声も聞こえない。人として当然の声を奪われた人たちはまるで人でないようにさえ思えて、ただ血を吹き出して倒れた時ようやく思い出す。この人も人だったんだと。
敵が人だと思っていたら殺せない。でも殺せば確実に手に血がこびりついて、自分が殺したのはやっぱり人だったんだと思い出す。眺めた自分の手には、まだ血はついていない。まだ誰も殺していない。
座り込んだまま、アイリスは呆然と自分の手を眺めていた。
「あの日と同じです。人が傷ついて、人が死んで……」
アイリス・インディアが眺める光景は、かつてのあの日を思わせた。
狭いアーク・エンジェルの格納庫に即席のバリケードを挟んで人と人が撃ち合いを続けている。背景にはモビル・スーツがたたずんでいる。そして戦っているのは侵入した者とされた側。
何もかもがあの日と、あの場所と酷似していた。
「血のバレンタインが起きた……」
CE61.2.14と。ユニウス・セブンの光景と。
アイリスはちょうど、逃げてしまった蝶を追いかけるような心地で立ち上がった。蝶が逃げてしまう。後少しで触れることのできそうな記憶が自分の脳裏から消えてしまう前につなぎ止めようとした バリケードから顔を出し、風景を確認する。自分を狙うゲリラの銃口を眺めながら、青い薔薇の記憶が鮮明に思い起こされた。
ブルー・コスモス。
この言葉が閃いた時、アイリスは強い衝撃に襲われそのままバリケードの中に引き戻される。銃撃は確かにされたが、弾はアイリスの髪をかすめた程度で命中していない。誰かが横から体当たりをしてくれて、だからアイリスは助かった。
「こんなところに突っ立って! 死にたいのか!」
お礼を言うことはできなかった。頭が記憶と虚偽との狭間でどこまでが現実なのかいまだに朧気であった。そもそもここにいるはずのない少年の姿は余計にアイリスを混乱させた。
少年はバリケードに体を残しながら手首を返してサブ・マシンガンだけを上に出して攻撃している。この少年は捕虜として監禁されているはずの人物であったから。
「ディアッカさん……?」
見間違いではない。捕虜に着せる質素な衣服を身につけたままで、懲罰房から抜け出してきた姿そのままのようだった。そうわかったところで、何があったのかまでは知りようがない。
次にバリケードに滑り込んできたのはキラだった。見たこともないようなリボルバーに手慣れた様子で弾を込めている。
(キラさんなら当然ですよね)
何故そう考えたのかはわからない。ただ、当たり前のようにキラが戦う光景を受け入れることができた。
「アイリス、今の状況だと君の方がデュエルに近い。出撃を頼めるかい」
そうは言いながら、キラはGAT-X102デュエルガンダムの方を見てはいない。GAT-X105ストライクガンダム--位置が悪く、ゲリラの攻撃をかわしていくには難しい場所にある--を見ていた。デュエルなら走り出せば決して遠い位置ではない。援護さえしてもらえるなら乗り込むことも不可能ではない。
「こいつパイロットなのか、おい!」
「わかりました。私が出ます」
「援護する。僕が合図したら走って」
「はい!」
ディアッカの言葉をほぼ無視する形で、アイリスは急いでバリケードの端に移動する。デュエルまでは決して遠い距離ではない。銃に身をさらすことが怖くないとは思わない。それは勇敢だからではなくて、怖いという感覚が沸いてこないから。
「走って!」
キラの合図で走り出す。同時に味方の人たちがゲリラ側のバリケードに一斉に攻撃を仕掛けた。映画なんかでよく見る光景だと思う。ゲリラは銃撃されることを恐れて迂闊にバリケードから顔を出せない。狙いも満足につけられない銃撃は命中するはずもなくアイリスのそばの床に火花を散らすだけだった。
デュエルまでたどり着く。まず足に設置されているスイッチを押すとコクピット・ハッチが開き、乗降用のロープが勢いよく降りてくる。ロープの先端に取り付けられた鐙に足をかけることでデュエルが反応。ロープは急速に巻き上げられ、デュエルの腹部、高さ10mを越すコクピットを目指す。
つり上げられている最中、格納庫の様子がよく見えた。バリケードが綺麗に二つに分けられて、ゲリラ側からアイリスを狙って銃を構える人の姿があった。まだコクピットにはつかない。
(こんなこと、前にもありました……)
アイリスを狙っていたはずのゲリラが額から血を吹き出して倒れた。数は3人。キラが狙撃したのだろう。
アイリスは無事、デュエルのコクピットにたどり着いた。
アフリカの大地では血が乾かぬことがどれほど多いことか。植民地にされ、入植者が勝手に引いた国境線は民族紛争を激化させた。豊かな天然資源はアフリカの呪いと称されるほどこの大地を潤してなどくれなかった。
それは年号が西暦からコズミック・イラに改められたことでも何ら変わりない。
ザフトは地球降下の最大目標地点としてジブラルタルとビクトリアを設定。まず北アフリカの大地に降下を開始した。大戦力を保有する大洋州連合を避け、マスドライバーを保有する2大基地を同時に睨むことができるアフリカ共同体が狙われたのだ。
大西洋連邦とは何ら関係のない。ただ戦略的に有利であるというだけで北アフリカの小国は主権を侵害された。地球軍もまた宇宙からの侵略者に容赦はしなかった。アフリカ共同体はザフト軍に対抗する南アフリカ統一機構、大洋州連合、大西洋連邦からなる地球軍の戦場として生贄に捧げられたのである。
軍事的に対抗する力を持たないアフリカ共同体政府は現状を事実上黙認している。アフリカ共同体系のゲリラが活発に活動しているのはそのことに起因していた。
ゲリラにとってザフト軍も地球軍も侵略者であることには変わりなく、その両方を標的として活動している。しかしそれは建前にすぎない。プラント、あるいは地球側から資金援助を受けることで敵対勢力に攻撃を仕掛けることを求められるゲリラ勢力は確実に存在していた。大国の利益を代弁させられる代理戦争とも言うべき内紛は、それこそ西暦の時代から何も変わってはいないのである。
ジンオーカー。闇に流されたものをゲリラが手に入れたという形でプラント側から供給された機体はアーク・エンジェルのカタパルト内を歩く。
人の庭に土足で上がり込んだ連中に一泡吹かせてやれればそれでいい。それが、たとえ利用されたものであっても、明けの砂漠が私兵として扱われていようと。
ジンオーカーのパイロットはカタパルトと加圧室をつなぐハッチを強引に押し開くと、モニター一面に広がる巨大な手を目にした。
GAT-X102デュエルガンダムの手が格納庫へと侵入しようとしたジンオーカーの頭を鷲掴みにし、そのまま奥の壁へと叩きつける。後頭部から叩きつけられた衝撃でジンオーカーのモノアイを覆うカバーは砕けて割れる。
まだ奇襲のアドバンテージは残されている。
アイリスは敵の頭を掴んだまま、その身体を大きく横へと振った。カタパルトの方向へとジンオーカーはなすがまま流されていく。デュエルにはカタパルトに足を乗せさせた。
「ナタルさん!」
意図をわざわざ説明するまでもない。管制であるナタルは半壊させられたカタパルト・ハッチを開き、リニア・カタパルトの展開も不十分なままカタパルトを発進させる。デュエルに抱き抱えられる形でジンオーカーはカタパルトの上を滑っていく。合計で100tを優に越える2機のモビル・スーツは簡単に夜の砂漠へと投げ出された。
ジンオーカーは背中から叩きつけられまいと必死にスラスターを噴かしていた。デュエルは反対方向にスラスター出力を上げ、結果としてジンオーカーが背中から墜落。砂をひっかきながら滑っていく。デュエルはその上にまたがる形で墜落の衝撃から免れた。
もはや動きが鈍いジンオーカー。アイリスはかまわない。バック・パックからビーム・サーベルを抜き放ち、逆手で首と肩の間に突き刺す。ここがモビル・スーツの急所なのだ 胸部ジェネレーターを守る装甲は頭部と肩にしかない。心臓を直に攻撃する感覚で、デュエルはサーベルにえぐりを加えた。
「私はヴァーリです! ヴァーリは、こんなことのために作られた存在なんです!」
アイリスの中で、ヴァーリとしての意識が徐々にかつ確実に息を吹き返そうとしていた。
背中から地面に叩きつけられ、ジェネレーターは深刻な破壊にさらされている。もはやこのジンオーカーは死んだも同然だ。
モニターに大きな亀裂が走る。破断した壁の一部からは鉄筋が突き出て、パイロットの頭のすぐそこに突き刺さっている。そして、パイロットであるサイーブ・アシュマンはその豊かな髭を大量の血で染めていた。まだ意識はかろうじて保っているが、時間の問題であろう。そのことはサイーブ自身がよく理解している。
このような状態でさえ、通信機を起動しようと手が動く。それはこのゲリラ部隊を率いる者としての意地がそうさせている。
パイロット・シートが大きく変形していたため、かつてと同じようにうな位置には見つけ出せない。恐らくこれだろうと目星をつけたボタンを、サイーブは押す。
「撤退だ……、撤退命令を出せ……」
言葉を発する度、喉から吹き出た血が膝を汚す。黒ずんだ血は消化器系由来のものだ。こんな知識を披露したところで、この状況で命を長らえる術までは思い至らない。
もはや通信が届いたかどうかも確認している余裕はない。
デンドロビウム・デルタに武器を与えられて戦った結果がこの様だ。連中に一泡吹かせてやれるなら悪魔にでも魂を売り渡すつもりでいた。コートニー・ヒエロニムスとか言う側近のアドバイスは悪くはなかったが、新型にパイロットが乗り込む前に破壊するということは、裏を返せば紙一重の優位であることに他ならない。
どうやら悪魔とは法や倫理を軽んずる割に、取り立てだけは律儀な連中であるらしい。
「所詮、俺たちは捨て駒だ……」
父と母はコーディネーターに殺された。サイ・アーガイルはコーディネーターの身代わりになって死んだ。カズイ・バスカークを殺したのも、見捨てたのもコーディネーターだった。この戦争を起こしたのもコーディネーター。
それなのに、あの男は、捕虜だったあの男は何も悪びれてなんていなかった。怒りと恐怖。それがあの時に、いや、あの時ばかりでなくて、この戦争でコーディネーターに感じた感情のすべてである。
フレイ・アルスターは逃げ出した。
怖くて、許すことができない。そうこの戦争に、コーディネーターに覚えた感情のすべてを感じさせたあの男から逃げ出した。
現在アーク・エンジェルは敵の攻撃にさらされている。こんな時に1人でさまようことがどれほど危険かは理解してはいても、あの捕虜に感じた嫌悪と憎悪はそれに勝った。
ともかく、必死に逃げて、自分でもどこかもわからない部屋に逃げ込んだ。薄暗い部屋小さな音も怖くて、なかなか様子を確認できない。扉の前に座り込んで、肩を抱いているしかない。
すると、手に固いものが触れた感触があった。上着の下から取り出して見ると、それは拳銃。フレイの手には余るような拳銃が、その手には握られていた。
この拳銃をくれた人は言っていた。コーディネーターがいなくとも、戦争は起きる。だが、コーディネーターがこの世界をさらに歪ませていないという根拠なんてないと、フレイは信じようとしている。
拳銃の重さは絶対ではなくとも、今のフレイに唯一頼ることのできる存在であった。グリップを握りしめるとせめて立ち上がるくらいの勇気はわいてくる。
そして、フレイは安全装置に指をかける。まだ、解除することはできない。
「コーディネーターなんか……、コーディネーターなんか……」
コーディネーター。この言葉を繰り返す度、自分にすべきことは何か、それが見えてきそうな気がした。涙が銃に落ちる。装置にかかる指に力がこもる。
その時、声がフレイの耳に届く。
「誰か、いるの……?」
ずいぶんとか細い。そんな弱々しい声にさえ、フレイは過敏に反応する。安全装置をはずすことさえ忘れ、とにかく銃を向ける。銃口が部屋の中へ向かうと、目線もまた、それを追った。
ここは医務室であった。今まで気づかなかったことが不思議で、同時に納得もできた。フレイは逃げている際、自然と立ち寄ったことのある部屋を選んで逃げ込んだのだと。どこでもいいのにこの部屋を選んだことへの一応の説明はつく。
この部屋が医務室であるのなら声の主は想像がつく。銃を構えたまま、ベッドを取り巻くカーテンを開いて中に入る。ベッドには褐色の肌をしたアイリス、名前はカルミア・キロと聞いている少女が寝ていた。いや、倒れているとした方が正解かもしれない。その体には力がなく、ベッドが上体を支える形で傾いている構造に体を預けているだけである。
しかし、こちらを見る視線はしっかりとしている。
「訳くらい、教えてもらえる……?」
カルミアは顎でフレイの手元、銃を指し示す。アイリスならあわてるなり怯えるなりしそうなのに、カルミアは随分と落ち着いているように見える。
この女もコーディネーターであることに変わりない。
「あんたたちがいなければ、戦争なんて起きなかった! これで十分でしょ!」
カルミアはやはり、アイリスが決して見せない顔をする。静かで落ち着いていて、まるで子どもをあやす母親のような。
「大切な人を亡くしたのね……」
妙に言葉の間に間が空くのは、カルミアの様態が思わしくないことを示しているのだろう。よく見ると、汗が浮かんでいる。
「私もそう……」
短い言葉。そんな言葉さえ、カルミアはもったいぶったように話す。それとも、それだけ言葉を大切に紡いでいるのだろうか。
「とても強くて……、頼れる人を亡くしてしまった……」
小さくて、短くて、間が不自然にあいた言葉は、それでも妙に耳の奥にまで届く。
「でも別に仇討ちしたいなんて思わない……。死んでしまった人のために何かをしてあげたい……、そんな気持ちはあるけど……」
それは蚊の羽音を連想させる。大した音でもない癖に、耳障りで、まとわりついて、苛立たせる。フレイは銃を突き出した。
「同情なんて! 説教なんていらない!」
カルミアはこうまでしても表情を荒立てようとしない。それだけ、体が弱っているのだろうか。それでも、何があっても、カルミアは母親を強く意識させる。
「ごめんなさい……。でも、あなたはとてもいい人ね……」
本当にこの人はアイリスとは違う笑い方をする。目元と口元をかすかに動かすだけで、微笑みを演出しようとする。
「死んでしまった人のために……、ここまでしてあげようとするなんて……」
カルミアは目を閉じた。それは何かを演出するための手段ではないだろう。微笑みをはっきりと表現しない人は苦悶の表情さえ、小さく抑えようとする。
「私を殺すのにそんな物騒なものなんて必要ないわ……。その装置の電源コードを抜くだけでいいの……」
指が小さく、震えて、ベッドの脇におかえた医療器具を指し示す。その装置から、幾本ものケーブルがカルミアへと伸びている。
苦しそうで、それなのに自分と話をしている。語りかけている。
「でも約束して……」
言葉が続く度、苦しげな息づかいが聞こえてくる。
「あなたも軍人である以上……」
どうしてこの人はこんなことを言うのか、フレイには理解することができない。
どうしてフレイのことをこうまで気遣うのか理解することができない。
「必要から人を殺すこともあるでしょう……」
どうせこの人も、コーディネーターでしかないのに。
「でもせめて……、憎しみで人を殺すのは……、私を最後にして欲しいの」
突然のことだった。頼りなげな照明の明かりが、完全に途絶えた。重く冷たい闇が、フレイの姿を隠した。
「作戦は失敗だな」
ガンダムの戦いを見守っていたデンドロビウム・デルタは瞬きを繰り返した。アーク・エンジェルを見渡せる小高い砂丘の上、ただのジープに乗っているだけでは風に流された砂が目に入って仕方がない。冷える砂漠の夜を上着を羽織ることでしのいでいた。
明けの砂漠にはオーブから手に入れたアーク・エンジェルの構造からモビル・スーツまで提供してやったがこの様だ。特に期待していなかったと言い訳して、デンドロビウムは運転席に座るコートニー・ヒエロニムスに出発を合図した。
ジープが走り出す。
意識はすでに別のことに移っていた。思いもかけない人物がこの砂の大地を訪れていたのだ。
「しかし、ラクスは一体なにを嗅ぎ回ってるんだろうな?」
「存じません」
いつもスーツに口元を固く結ぶこの男はいつも曖昧なことは言わない。知らないものは知らない。そう、運転を続けていた。
砂漠を走るジープに揺らされる中、仕方なくデンドロビウムはほんの数日前の出来事を思い出していた。バナディーヤでの話だ。何でもない応接間に、2つの対面したソファー。片側にはデンドロビウムが座り、向かい側にはカガリ・ユラ・アスハ、オーブの暴れ馬が座っていた。カガリもデンドロビウムも側近の男を席の後ろに立たせていた。上座に立つのはラクス・クライン こんな砂漠にまで足を延ばす物好きな歌姫だ。
カガリはそれこそ露骨にラクスを睨んでいた。
「ラクス、まさかお前まで私に説教するつもりじゃないだろうな?」
「いいえ。レドニル様、簡単なものでかまいません。カガリのイージスに関わってからの行動を示すものはございませんか?」
カガリのすぐ後ろに立っていた男、レドニル・キサカは躊躇なく記憶媒体をラクスに手渡した。カガリが出国する時にはいつも影のようにつきそうこの屈強な男は目立たないが、それが自主性の無いことにはならない。
「何故渡す?」
カガリが眉をつり上げている様子を、デンドロビウムはおもしろおかしく眺めていた。こちらの言うことを聞かず好き勝手に動くカガリが他の人の行動を制御できないのはいい気味だと言えた。
するとラクスは今度、デンドロビウムの方、正確にはその後ろを見た。
「コートニー様、デンドロビウムの方もお願いします」
コートニーはいつものような静かな調子で記憶媒体を手渡した。
「なんで渡すんだよ!?」
コートニーは答えない。いつもの調子でデンドロビウムの後ろに戻った
カガリがこちらを見て嘲笑を浮かべている。睨み返してやると、カガリもカガリで目つきを鋭くした。ラクスはそんな2人の様子をかまうことなんてなかった。
「このデータは有効に使用させていただきます。イージスガンダムを奪取された。その犯人がザフトではないことは大西洋連邦は掴んでいることでしょう。ですが、イージスを奪還する動きどころか、その事情を探ろうとする動きさえ見られません。それは何故でしょう。ここでカガリが関わっていることが判明すれば、オーブを糾弾するためのいい材料になったことでしょう」
思えばおかしな話だ。大西洋連邦軍は、どこかガンダムというものに熱意が感じられない。奪取されたガンダムは奪還、あるいは破壊しなければならないはずだが、データの流出には無頓着と言ってもよい。ストライクやデュエルなどの機体に関してもアーク・エンジェルを援護したのはデュエイン・ハルバートン提督くらいなものだ。いくら大西洋連邦軍内に内紛劇があるにしても停滞した戦況を打開する新型にしては扱いがあまりにぞんざいではないだろうか。
地球軍がそれだけ無能だと言ってしまえるのなら、それが一番楽なのだが。
「地球軍が量産型モビル・スーツを実戦で使ったな。いくら何でもタイミングが早すぎる。お父様は何も言ってないのか?」
ラクスは何も答えない。すなわち、計画に変更は必要ない。予定通りゲリラを使ってアーク・エンジェルに攻撃を仕掛けてもよいということだ。
カガリが小さく手を上げた。
「ラクス、アーク・エンジェルにアイリスが乗っていたぞ」
「お父様は何も仰られてはいません」
「いいのか 同じ第3研の妹だろ?」
「お父様は何も仰られてはいません」
息を吹いて、カガリは上げた手をおろした。 ラクスはいつも微笑みを絶やさない。
「ブラルタル基地で慰問コンサートを開きます。 よろしければどうぞ」
そんな営業スマイルを残して、ラクスは部屋を出ていく。コンサートに詰めかけてもラクスは断らないだろうが、きっと来ることも期待していないだろう。それはカガリにしても同じであるようで、端っから鑑賞のつもりはないらしい。
カガリは席を立った。
「私は一度オーブに戻る」
「あんまりわがまま言うなよ。エピメディウムに迷惑だからな」
「お前みたいな姉がいるんだ。今更だろ」
デンドロビウムとカガリは再び睨み合う。その様子を、コートニー、レドニル、2人の側近は構うことなく平然と眺めていた。
ゲリラの襲撃。それがアーク・エンジェルに与えた損害はこれまでザフト軍が与えたどの被害よりも大きなものであった。ブリッジ。主要なクルーが艦長席を囲む中で、クリップボード片手に報告するダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世の口調は重い。
マリュー・ラミアスは艦長席の背もたれに体重を完全に預ける。
「死者6名。負傷者14名。それに、捕虜が1名死亡しました」
人的資源に乏しいアーク・エンジェルにとって、その被害は決して軽視できるものではない。マリューは姿のないアイリス二等兵の姿を思い浮かべる。ダリダに聞きたいことが、まさにこの二等兵に関することであるからだ。
「捕虜……。カルミア・キロ。アイリス2等兵とよく似た子ね」
前回の戦闘でキラ・ヤマト軍曹によって運び込まれたザフト兵で、アイリスやゼフィランサス・ズールとも不自然なくらいよく似ている。2人なら生き別れの姉妹だと言われれば納得の仕様もある。だが、3姉妹にしてはいささか偶然がすぎるのではないか。
もっとも、今問題にすべきことはこんなことではない。マリューが考えている内にもダリダは報告を続けている。
「はい。直接の死因は2度の停電による医療器具の不具合なのですが……」
一度言葉を止めて、ダリダは立ち並ぶクルーの様子を、特にアーノルド・ノイマン、キラ・ヤマトの盗み見る。
「2つほど気がかりな点がございます。1つはアーノルド・ノイマン曹長が医務室近辺でフレイ・アルスター2等兵の姿を見失ったこと。加えまして、死亡した捕虜は新たに肋骨の骨折が見られました」
ノイマン曹長は否定しない。ただ、口元の筋肉に緊張が見られた。
さて、ダリダの示した2つの問題点。それを結びつけるなら、余りに安易な解答が浮かぶ。それは誰にとっても同じことなのだろう。クルーたちは努めて平静を装っているが、目線が落ち着いていない。
志願兵とは言え軍属である以上、捕虜の虐待は軍法会議ものの重罪である。ただし、まだそうと決まったわけではない。証拠も見いだせていない。マリューも努めて、冷静な艦長を演じることにする。
「確かなことがわからない以上、このことは口外を許可しません。いらぬ憶測をしないよう、各員心がけなさい」
声を合わせて、動きを合わせて、クルーたちは敬礼する。調査は続けるべきだろう。ただ、今この問題は慎重にならざるを得ない。
ゲリラ襲撃の時協力してやったというのに、薄情な地球連合の奴らは独房にディアッカ・エルスマンを押し込めた。別にこの処置に不満があるわけではないが、退屈な時間が戻ったことだけは間違いない。
ディアッカはいつもの通り、ベッドの上に寝そべって天井を眺めていた。思い出すのは、あのナチュラル至上主義の女のこと。名前はフレイ・アルスターと聞いた。こいつは、まだ向かいの部屋にいる。
声をかけるつもりにもなれなかった。声がかかることももちろんない。自分だけが被害者だと思いこんでいる奴は独善的で独断に走るようになる。そんな奴には何を言っても無駄だ。思い出しても胸が焼け付くだけなので、ディアッカは何も考えないようにして、時間を潰そうとする。
そうしているうちに、足音が聞こえてきた。もう飯の時間は終わったはずだ。足音は独房の前で止まると、ロックを外す際に聞こえる電子音が聞こえた。もっとも、ディアッカの房に変化はない。となると、鍵が開けられたのはお向かいさんということになる。
「フレイ、もう出ていいって」
キラの声がした。この声も、ディアッカの予想を補足強化してくれる。
扉がスライドする音。するとすぐに誰かが走り去る軽い音がした。音の質から、体重の軽い方、フレイが逃げ去ったのだと判断しておく。ディアッカは、ベッドから体を起こす。こうすることで、覗き窓が見えるようになる。
「おい、キラ」
覗き窓から顔を見せたのは、やはりキラだった。銃を持つ相手を軽く殺すほどのこの男は、まるで虫も殺したことがないような平気な顔をしている。だがこいつなら、いや、こいつしか考えられない。
「お前も新型のパイロットか?」
おそらく、ディアッカはキラのことを睨んでいるのだろう。別に憎悪を向けるつもりはないが、そんなに自制がきくことを自負してはいない。
睨んでも、キラは表情を変えようとはしない。少なくとも、ディアッカにどうこうして変えられるものでもないらしい。ただ、わずかにキラが眉をひそめたように見えたのは、表情を変えたとするよりも、単にディアッカの言葉をすぐに飲み込めたかったからにすぎない。
「新型? ああ、ガンダムのことなら、そう、僕がパイロットを務めてる」
ガンダム。ディアッカがブリッツに乗っていた頃は単に新型と呼んでいたが、ずいぶんと取り残されてしまっている。もっとも、あれがどう呼ばれようと変わらないものがある。キラがパイロットであるということ。そして、ヘリオポリスで2機のジンを撃墜したという事実だ。
1機は後ろからすれ違いざまにコクピットにナイフを突き立てられた。もう1機は至近距離でミサイルの爆発に巻き込まれた。
どちらも、ガンダムと呼ばれる新型がしたことだ。
「ミゲル、それにマシューだ」
指を1本、2本とたてながら呼んだのは、かつての戦友の名前である。何を言っているのかわからない。キラはそんな顔をしていた。では教えてやろう。
「ヘリオポリスだ。お前が撃墜したジンのパイロットだ。てめえが殺した相手の名前くらい知っといても、罰は当たらないだろ」
反応を待つつもりはない。ディアッカはすぐさまベッドへ倒れ込む。天井が視界を覆う。
「あの女にも言っておけ。いつまでも被害者面するなってな」
さて、キラはどう答えるだろう。期待はしない。予想もしない。ただ、待つことにする。あの女のような独りよがりな恨み言か、それとも涙の謝罪か。結局予想してしまった。
すると、キラはそのどちらでもない返事をした。
「カズイ・バスカーク」
意味がわからない。ただ、人名だろうと判断できたくらいだ。
「誰だ?」
首だけ持ち上げると、覗き窓にキラの顔が見える。目がやや細く、視線が下向き。ここに何らかの感情を見いだすとすれば悲しみや寂しさ。少なくとも、楽しげな顔には見えない。
「僕が見捨てた、フレイの友達の名前だよ。彼はアルテミスでブリッツの攻撃に巻き込まれて死んだんだ」
首を元の角度に戻す。寝そべる時はいつも両手を頭の下に敷いているが、今回はどうにも具合が悪い。何度か手の位置を変える必要がある。
「ユニウス・セブンまで、ブリッツのパイロットは君だったみたいだね」
狭い部屋だ。静かな時間だ。キラの声は染み込むように消えていく。
「フレイだって後少しで命を落とすところだった。その時からだ。フレイが自分の気持ちをコントロールできなくなり始めたのは」
足音。キラが覗き窓を離れたらしい。それでも、声は届く。
「きっと、これが戦争ってものなんだろうね、ディアッカ」
来たときと同じ、規則正しい足音を響かせながらキラの気配が遠くなる。自分だけが悲しんでる訳じゃない。悲劇のヒロインぶるな。独りよがりもいい加減にしろ。さて、これは誰が誰に言い放った言葉だったか。
「被害者面するな、か……」
誰かに聞かせるためではない。誰も聞いている奴なんていやしない。だから、これは独り言だった。自分以外の誰に聞かせる訳でもない言葉だった。
この近傍でも1番の街であるバナディーヤに、砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルドはねぐらを構えていた。最大の屋敷を徴用し、子飼いのモビル・スーツを並べては悦に入っていたと聞いている。
長方形の中庭に、まるで館の廊下を飾る甲冑の真似事をしたジンオーカーが並べられていたのだそうだ。それも昔の話になる。
ムウ・ラ・フラガは窓辺に肘をついて中庭を眺めた。ジンオーカーはすでにない。代わりにGAT-X103バスターガンダムが、いや、バスターガンダムであったものが寝かされている。
左腕は肘から先が欠損している。頭部は完全に破壊され、体中に被弾箇所が見られる。この損傷具合は、この機体のパイロットをどう評価すべきか悩ませる。ここまで機体を破壊された無能か、それともここまでの傷を負いながらも機体を持ち帰ったことを誉めるべきか。
もっとも、ムウはザフト軍の人事査定に関わる立場にない。結論は、どうでもいい。
「ずいぶんとやられたな。バスターはどうするんだ?」
振り向きながらムウは問いかける。
広くも狭くもない、なんとも形容するに迷う部屋の中には仮面の男が1人。ザフト軍の指揮官クラスのみが着用を許される白い軍服を見せ付けるように、ムウの方へと歩いてくる。
男が、ラウ・ル・クルーゼが歩いてくる間、ムウは視線を下に落とした。ムウが着ている軍服は緑色をしている。ザフトの占領地で大西洋連邦の軍服を着てもらっては困ると押し付けられたものだ。別にザフトの軍服はかまわないが、一般兵のものだというのがどうにも気にかかる。
この話は終わったことだ。そんな話を蒸し返してもラウは相手にしてくれないだろう。ムウの隣りの窓辺に、ラウは立った。
「ジブラルタル経由でプラント本国に送る。サイサリス・パパ技術主任がご所望らしいのでね」
ジブラルタル基地。地球でも有数のマスドライバーを有する基地である。そして、ザフト軍が占有する地上最重要拠点でもある。ここでならバスターも確実に宇宙へと送り返すことができるだろう。
そう、バスターは確実にサイサリス・パパの手に届く。
「サイサリスか。ゼフィランサスと同じくらい優れた技術者だと聞いてるが」
ラウもまた、バスターに視線を送っている。
「ゼフィランサス以上だ。ラタトスク社にいるのがゼフィランサスでなくサイサリスであったなら、この戦争はとうに終わっている」
ドライだな。こうからかってやると、ラウは鼻で笑った。
戦争は数。この理屈を突き詰めるなら、ゼフィランサスほど無能な技術者はいない。途方もない性能の機体を途方もない額の金をかけて造る。しかし、ガンダムがいくら高性能であろうと、それは点でしかない。点はいくら結んでも線にしかならず、量産機による面の防衛線を排除もできなければ、侵攻を押しとどめることもできない。
どれだけガンダムが華々しい活躍をしようと、あくまで戦場の主役はジン、GAT-01デュエルダガーに代表される量産機に他ならない。
クールな友はもうバスターを見ることに飽きてしまったのか、窓辺を離れ部屋に戻ろうとする。
「悪いが薬の時間だ」
テーブルにおかれた水差しとグラス。ラウは普段持ち歩いている薬入れからカプセルを取り出した。山のように大量というわけではない。しかしその数は10錠を超え、異常な数の薬を頼りに生きている事実だけは明らかであった。
「まだだ、まだ死ぬな、ラウ。俺たちの戦いは、まだ始まってさえいないんだからな」
「言われるまでもないことだ」
20年も前に誓い合った約束は、これから動きだそうとしているのだから。
暗い部屋。明るくする必要などない。ここには見るべきものなど何もないのだから。正方形の部屋である。中央には椅子が置かれている。説明すべきことはこれしかない。他には何もない。その椅子さえ、座るという機能のみが求められた無骨なデザインをしている。
これは、人1人を座らせておく、ただそのためだけの部屋である。こんな非生産的で非合理な機能を有する部屋は限られる。
牢獄。留置所。監獄。懲罰房。どう呼んだところでその機能に大差ない。人を閉じ込めておくための牢である。
付け加えよう。椅子だけではない。椅子には、すでに1人の少女が座っている。
弱い光にさえ光沢を返す白い髪。その瞳は赤という存在感を何にも譲ることはない。纏うドレスは黒くとも、付近にたむろする闇とは異彩を放つ。ゼフィランサス・ズールは座っていた。牢獄に、その主として。
この部屋へと通じる唯一の扉が重々しい音をたてながら開く。宇宙にまで進出した時代でありながら、扉は鉄板が張られた古風な造りをしていた。唯一人類の進歩が見られるのはそれがスライド式の自動ドアであることくらいではないだろうか。
扉が開き、光が差し込む。色素を持たない瞳にはそれは極めてまぶしく、ゼフィランサスは目を固く閉じるとともに開けることができない。
誰かの影。それが瞳を閉じる前に見えたものである。声が聞こえてくる。
「ゼフィランサス・ズール主任。釈放だ」
若い男性のもの。ただ、どこか形式的で、堅苦しい印象が年齢を声質から想定よりも高いのではないかとも思わせた。
続いて、聞こえた声は若い女性。
「はいはい、どいてください」
どこか間延びした声音はゼフィランサスに1人の姉を想像させた。
サイサリス・パパ。ゼフィランサスを兵器開発局へと導き、自身もまたモビル・スーツ開発において多大な功績を上げている、ゼフィランサスにとって尊敬すべき姉である。
まぶたを通してもなお刺々しい光が、急に和らぐ。それは、サイサリスが光をその背で受け止める形でゼフィランサスのすぐ目の前に立っていてくれているからであるらしい。その証拠にその声は、すぐ傍から聞こえてきた。
「大丈夫ですか、ゼフィランサス?」
瞳にゆっくりと光を取り込むと、目の前には長く豊かな青い髪をしたサイサリスの顔があった。服は相変わらず、ワンピースに白衣とアンバランスな格好をしている。
「サイサリスお姉さま……」
予想通りサイサリスが、ゼフィランサスとは異なる微笑み方をしていた。ヴァーリは皆同じ顔をしている。すると人が与える印象というものは顔ではなく表情に寄るのだと教えてくれる。
「あなたの無罪は証明されました。真犯人は別にいますし、この件とあなたは関係ありません」
それはわかりきったこと。わざわざ告げてもらうほどのことでもないためか、ゼフィランサスは自然と疑問を口にした。
「じゃあ、犯人は誰……?」
目をそらす。これは後ろ暗いところや、隠し事がある人に共通する行動である。今のサイサリスの顔はまさにそれである。
「それは……」
サイサリスは答えない。代わりに答えを発した人がいるため、もう2度と、サイサリスの口から答えを聞くことはできない。
扉を開いた男性がまぶしい光の中から歩み出て、サイサリスの脇に立った。ここでなら、ゼフィランサスにも見ることができる。凛々しい顔をしていると言えなくもない。口を真一文字に結び、まじめを通り越して融通のきかない頑固な様子を演出している。来ているのは黒いザフトの軍服。それは艦船に関わるクルーが着ているものと同じ色であるが、細部の違いから、この男性の職種は知れた。
国内テロの防止から、組織犯罪の調査、時には思想犯の抹殺を担当する公安組織の捜査員である。もう1つ種を明かすのなら、ゼフィランサスをこの施設に勾留したのが他の誰でもない、この男、レイ・ユウキであったのだ。
ゼフィランサスも人のことは言えないが、レイもまた表情を作るということに頓着していない。堅苦しい表情で、堅苦しいことを話し出す。
「国家反逆罪、機密漏洩罪、及び国外逃亡を企てた犯人は、プレア・レヴェリー技術補佐と判明している」