白い丸テーブルに白い椅子。フローリングが施された床は清潔感が溢れていて、ここがプラントの公安施設であるとは想像させない。この部屋は全面ガラス張りである。このことだけは、この施設の特殊さを強調する。こんな壁でさえなければ、ただ男女3人がおしゃべりに興じているようにしか見えないのではないか。そんなことをサイサリス・パパは考えた。
テーブルにはサイサリスの他、妹であるゼフィランサス・ズールと公安職員であるレイ・ユウキがついている。レイは口元を堅く結び、努めて厳格な表情を作り出しているようだった。
レイがこの事件の捜査を担当した。
「君の研究成果をプレア・レヴェリーが持ち出したことの確認はとれた」
こう言われたゼフィランサスは表情の大きな変化を見せようとしない。部下が自分を裏切ったことへの憤慨も、無罪が証明された歓喜もない。当事者の動きが鈍い以上、サイサリスが動くほかない。
「でも、プレアにそんなことできるなんて考えにくいです」
幼いあの少年が人を裏切るなんて考えにくい。きっとゼフィランサスも本心では考えているであろうことを、サイサリスは口にする。ところがレイは、それを性質ではなく能力の問題と受け取ったらしい。
テーブルには椅子が4つ備え付けられている。3人で腰掛けているので、当然1つ余っている。そこには黒いアタッシュ・ケースが置かれている。それはレイの隣の席で、無骨な公安職員はおもむろにケースを開いた。取り出したのは1枚の写真。
「手引きした者がいる。この男の力を借りれば可能だ」
写真はレイの手を離れ、テーブルの真ん中に落ちた。写真には穏やかそうな印象を与える男が1人。盲目であるのか両目を閉じ、身につけているのはどこか儀礼的。聖職者を思わせた。続いてケースからテーブルへと置かれた写真には、シャトルに乗り込むプレアと思われる少年と男の後ろ姿。
「国籍不明。本名不詳。マルキオ導師と呼ばれる男だ。この者は地球の第3勢力に属する国々への渡航歴が幾度もある」
サイサリスもゼフィランサスも何も答えようとしない。ただ写真を眺めている間に、レイは捜査報告を続ける。
「きな臭い男だと考えていたが、まだ捉え方が甘かったようだ」
わずか2枚の写真。それでも十分な証拠と言わんばかりに、レイは写真を片づけようとする。レイの手が伸びて1枚目の写真を掴んだところで、突然、ゼフィランサスがその袖を掴んだ。
さすがにレイもゼフィランサスのこの行動に驚きを隠そうとはしない。明らかに狼狽した様子で、写真を取り落とした。ゼフィランサスは表情を変えていない。それでも、その眼差しはしっかりとレイを捉えている。
「プレアはどこ……?」
一呼吸置く。レイはまさにそのことを実践した。ゆっくりと息を吸って吐いて、それで気分を落ち着けたらしい。ゼフィランサスの手をふりほどかないまでも、写真の回収を再開する。
「オーブだ。中立国であるためプラントも手を出しにくいと考えたのだろう。小賢しいことだ」
オーブ。その言葉を聞くなり、ゼフィランサスはレイを解放する。2枚の写真がすんなりとケースへと戻るなり閉じられる。レイはケースを手に立ち上がると、ゼフィランサスへと敬礼する。
「ゼフィランサス・ズール技術主任にはご迷惑をおかけした。公安を代表してお詫び申し上げる」
そう言い残すと、レイはこの部屋をあとにした。
仕事に憑かれた男はどうしてこうも愚直なのだろう。融通がきかなくて扱いにくい。その点、プレアは仕事とプライベートのバランス感覚がよかった気がする。もっとも、今回はそれが裏目にでたのかもしれない。サイサリスはため息をついた。運悪く、そのことをゼフィランサスに見られてしまった。
「サイサリスお姉さま……、マルキオ導師って……」
気恥ずかしさを覚えるサイサリスのことを少しもかまってはくれない。もう一度ため息をついても仕方がないので、話に応じることにする。
「ええ。お父様子飼いの運び屋ね。もしかしたら、今回の一件はお父様のお考えなのかもしれないかな」
「お父様は何も仰ってない……」
そう、ある意味においては表情を変えるほどのことでもない。お父様は必要以外のことは決して口にしようとしない。それは、ダムゼルにとっての共通認識に他ならない。
「だから、この件は私たちが好きに動いていいし、動かないと怒られるよね~」
もし、現時点での技術流出がお父様のお望みなら必ずそう声がかかる。ゼフィランサスはテーブルに手を突いて静かに立ち上がった。もう心はここにないように、視線はサイサリスを写していない。白衣に包まれた手をサイサリスは伸ばした。妹には届かないことはわかっていたが、関心を引くには十分効果的だと理解して。
「ゼフィランサスはどうしますか?」
テーブルに手を置いたまま、ゼフィランサスはサイサリスへと顔を向ける。
「オーブへ行きます……」
立っているゼフィランサスからだと見下ろされているためかその瞳は細く伏せがちに見える。プレアがいなくなったことがゼフィランサスに何の影響も与えていないはずがない。ゼフィランサスは無表情というより、周りからでは判別しにくいだけかもしれない。
歩きだそうと体を傾けたゼフィランサスへと、サイサリスは改めて声をかけた。
「あなたの開発データ、コピーして私に預けてくれませんか?」
サイサリスもまた、立ち上がる。それは、ゼフィランサスの苦境を知りながら、それでも職務は職務と割り切ることへの謝意か、でなければ研究を渡してもらうことへの敬意。それとも罪悪感であろうか。
「パトリック・ザラ国防委員長はこの度の一件で、データが損なわれてしまうことを危惧してるの。一時的にコピーすることが許可されてるから」
研究者として財産とも言える成果を手渡すことに、ゼフィランサスはさしたる感慨もないように落ち着いている。この余裕に嫉妬や苛立ちを覚えないと言ったなら、サイサリスはまた1つ嘘を重ねることになる。
「わかりました……。後で届けます」
そう言い残すと、ゼフィランサスはガラス張りの部屋を後にした。
残されたサイサリスは椅子に座り直す。そして、その口元からはこらえきれず笑みがこぼれた。
「そうだよね~。お父様のためにモビル・スーツを造って上げられるのは、私1人で十分だと思わない?」
多様な調整が施されたヴァーリでありながら、お父様に認められたダムゼルでありながら。サイサリスとゼフィランサスは貢献できる分野があまりにも近すぎる。
「ねえ、ゼフィランサス」
ガンダムを生み出した妹へと、サイサリスは人知れず語りかけた。
アーク・エンジェルは無事、とは言い難くも砂漠を抜けた。現在は洋上を航行している。
現在アフリカ大陸北部はザフトの勢力圏にある。ビクトリア基地は激戦地。奪還と占領がザフト軍と南アフリカ統一機構軍との間で繰り広げられているのだそうだ。そして紅海では紅海の鯱と呼ばれるザフト軍の猛将がユーラシア連邦軍の侵攻を文字通り水際で食い止めているのだそう。
アーク・エンジェルは自然とその間を抜けるようにアフリカ共同体ソマリア地区からインド洋へと抜けることができた。
アイリス・インディアがそんなことを聞かされた。海上は緩衝地帯であり、交戦する危険性はほとんどないそうだ。ザフト軍はコロニーしか国土を持たない国家であるため海を知らない。また、海を制圧してしまうことは現在中立を謳う国家群にまで多大な影響を与えてしまう。
戦略的にも政治的にもザフトは積極的に制海権を得ようとはしなかった。アイリスに政治の話はわからない。わかっていることは、海を船よろしく漂うアーク・エンジェルの甲板に出られることと、海風の心地よさを感じられることだけである。
アイリスは手すりに肘をついて、遙か眼下に見える海を眺めていた。
「ねえ、キラさん。カルミアさんのことですけど……」
話しかけたのは隣に立つキラ・ヤマト。アイリスとは違って手すりに体を預けるようなことはせず、ただ手をおいているだけ。手すりを頼ることはあっても信頼しきることはない。昔から、キラという人間はこうだった。
カルミア・キロの死は、キラに大きな変化を与えているようには見えなかった。アイリス自身、どこか悲しみを置き去りにしてしまっている。
「友達とは違うけど、仲間を失うことはこれが初めてじゃないから」
「カルミアさんから聞きました。私、フリークなんですよね? どうして、教えてくれなかったんですか?」
「どちらかと言えば聞きたいのはこっちかな。ヴァーリになんて戻ってどうするんだい? ゼフィランサスだけじゃない。あの男は至高の娘はいつも手元に置いてるし、ダムゼルはよほどのことがなければ手放そうとしない。それも愛情じゃなくて使い勝手のいい駒への愛着でしかないんだ。ヴァーリをやめたくてもやめられない人だっている。なのに君はヴァーリに戻ろうとする!」
手すりを掴む手には明らかに力が込められていた。アイリスは知らない。それでもどうしてキラが不快感を露わにするのか、特に疑問には思わない。
「僕にはそれが理解できない」
キラは嫌いなのだ。ヴァーリという存在も、そのヴァーリを従えるお父様も。知らない癖に、それでもアイリスの頭は勝手に納得してしまう。それでも、アイリスは何も知らない。
「記憶って、その人がその人であるって言うことなんだって思います。今の私って中途半端なんです。ただの学生のアイリスと、ヴァーリのアイリス。そのどっちでもありませんから。女学生のアイリスならフレイさんに親身になって接してあげることができると思います。ヴァーリとしてのアイリスならフレイさんを守ってあげられます」
戦争を知らない人が戦争の悲惨さを語るよりも戦争にすべてを奪われた人がその凄惨さを主張した方が説得力を持つだろう。反対に戦争を生業にしている人が平和を語ることは間違ってはいないとしてもどこかおかしさを感じてはしまわないだろうか。
アイリスはそのどちらでもない。では吐きだした言葉は一体どの立場からの主張になるのだろう。アイリス自身、そのことはわからないでいる。
手すりから身体を離して首を回す。キラは視線をあわせようとはしなかった。
「僕だってフレイのことは心配してる。でも……、ごめん。僕が君に話してあげられることは、もうないと思うから」
手すりから手が離れた。キラはアイリスのことを見ることもなく歩き始めた。海風をかき分けながら、アーク・エンジェルの白い甲板を去っていくその姿を、アイリスは見送った。
また1人。アイリスは軍服の内ポケットから封筒を取り出した。封筒には、アイリス・インディアへ、カルミア・キロより愛を込めてと書かれている。ほんの少しお話をしただけで言うのはおこがましいことなのかもしれないが、何ともカルミアらしい文面である。
そのことにはつい笑みを誘われる。
それでも、この手紙を開いてみるつもりには、まだなれない。封筒をポケットにしまう。その時、思いもかけず声がかかった。
「アイリス・インディア2等兵」
甲板は複雑な形状をしている関係上、広間というものはなく狭い通路くらいのものが点在しているだけである。そのためか人はまばらで、振り向いただけで声の主は一目瞭然だった。1人しかアイリスの目には映らない。白い軍服をきっちりと着込んだ青年である。
「アーノルドさん」
アーノルド・ノイマン曹長はやはりしっかりとした足取りでアイリスの隣り、手すりのところにまで歩いた。
「できれば、2人きりでお話したい。構いませんか?」
とても大切な話がある。そのことを、アーノルドはアイリスに伝えた。
アイリス2等兵は戸惑ったように顔をした。
「はい。大丈夫ですけど、どんなお話ですか?」
アーノルドは手すりに体を預け、海を見ていた。特に意味のあることではないのだが、あまり話を得意としないアーノルドにとって慎重にならざるを得ない案件を抱えているため、どうしても間を必要とした。
「お話したいことは……」
遠く、海を眺める。海はいい。ふと視線を逸らしたいときのいい口実にもなれば、どこか心を大きくもしてくれる。自分で適度と思える間をおいて、アーノルドはアイリスへと向き直る。
「フレイのことです。あなたも捕虜であったカルミア・キロが亡くなったことを存じていると思います」
返事はない。同時に、必要がないとも言える。アイリスは胸に両手を当てると、その視線がアーノルドから外れた。同じ顔を持つ女性に浅からぬ繋がりがあることくらい、わかっていたはずなのだが。この姿に気が咎めない訳ではない。それでも、予定していた話を変更できるほど対応力はアーノルドにはない。
「これはラミアス艦長から口止めされていることですが、実は、フレイに、捕虜虐待の疑いがかけられています」
アイリスの対応は早かった。この言葉を聞くなり、手を体の横へと大きく振り切り、その瞳は勢いよくアーノルドを捉える。
「フ、フレイさんはそんなことする人じゃありません!」
「私としてもそんなことはないと考えています。しかし私はフレイにとって単なる師事の相手にすぎません。彼女のことをわかっているとするにはあまりにおこがましい」
アーノルドは再び、海へと視線を戻す。
「フレイさんのこと、もっと知りたいってことですか?」
「フレイは、見ていてあまりに危うい。このまま何もしないで手をこまねいているのは無責任のように思えてなりません」
「フレイさんて、本当はすごくいい人なんです。私がコーディネーターだってこと知っていても、それをどう捉えているだとか、そんなこといちいち言わないくらい分け隔てのない人でした。でもお父さん、お母さんを亡くして、それがコーディネーターのせいだって思いこむようになって」
海を見つめるアイリスの束ねられた髪が海風に揺れる。この少女が髪を三つ編みに束ねることになったのは入隊を境にしたことであったように記憶しているが、軍服姿も今では見慣れつつあった。
「私もどうして上げたらいいのかわからないんです……。だから、せめてそばにいてあげたいなって、そんな風に考えてました」
この少女は本当にフレイのことを気にかけている。コーディネーターとナチュラル。その垣根をまたぐことは簡単なことではないだろう。だが、この2人の少女が友人であることだけは間違いのないことのように思われた。
この娘に聞かせることは辛い話だ。しかし、必ず耳に入れておかなければならない話であることも事実だ。
アーノルドはようやく、意を決することができた。
「アイリス2等兵。あなたには聞いておいてもらいたい。もう1人の捕虜についてのことですが……」
ディアッカ・エルスマン。ザフトの兵士はフレイを傷つけた。
キラ・ヤマトは言っていた。あの女、フレイ・アルスターも被害者の1人であり、コーディネーターへの排他的な行動は偏見でなく怒りに起因するのだと。だが、そのコーディネーターとて、この戦争では多くの仲間を失っている。
誰も悪くない。あるいは、誰もが悪い。
フレイのことを横暴だと片づけてしまうこと資格を、ディアッカ・エルスマンは有していない。だが、一方的に怒鳴らせるつもりにもなれない。狭い懲罰房の中で、いつものようにベッドに寝そべって考えることはこんなこと。
「堂々巡りだな、こりゃ……」
復讐は誰もが考える。大切な人を奪われたら復讐してやりたいと考えるだろう。そして復讐をしてしまったら、その相手にも大切な人がいる。そして、もう一度復讐が行われる。そうするとまた次の復讐が行われてしまう。どこかで、誰かがやめなくてはならない。
だが、それが自分の番で、自分だけが泣き寝入りをしたいと考える奴はいないだろう。だから復讐は終わらない。
そう、堂々巡り。ディアッカにしても、自分だけが仲間を奪われたことを許すつもりにはなれないでいる。何度考えても結論は出ない。そろそろ一休みしようかと考えていると、足音が聞こえた。
こんなところに来る人は限られる。キラかと考えたが、それにしては音が軽い。興味があると、ベッドから起きあがる。足音が止まると、それはやはりこの部屋の前であった。
「ディアッカさん、お食事ですよ」
聞こえたのはアイリスの声。のぞき窓から見えたのもやはりアイリスだ。
「アイリスか」
せっかくのご訪問なので、立ち上がってドアの前まで出た。食事が扉の下部に備えられた搬入口から差し入れられる。メニューはスパゲティーのミート・ソース。一風変わったメニューに見えなくもないが、赤い色は何とも食欲をそそってくれる。
配膳係の仕事は食器を片づけることだが、いつもは30分くらい時間をおいてから回収に来ていた。それなのに、今日は足音が遠ざかる様子がない。トレーをとりあえずベッドの上に運んでから、扉を叩いてみた。
「どうした?」
低い位置から返事があった。どうやら扉の脇で座っているらしい。
「あの時はありがとうございます」
「別に大したことじゃない」
ゲリラの襲撃のことだろう。たまたまその場に居合わせただけのことで、このことで恩を売ろうだなどとは考えていない。まさかこんな一言で終わるようなことのために座ったわけではないだろう。長い話になるのか。ディアッカはベッドに腰掛けた。
互いの姿を確認できないまま、声だけの奇妙な会話になりそうだ。
「ねえ、ディアッカさん。こんなことってどう思いますか? あるところにお父さんがいて、お父さんは娘たちに自分を愛するように教育して、娘たちの中から一番自分を愛してくれて一番優れた1人だけを娘と認めて、それでもほかの娘たちが自分を愛してくれていることを利用して道具みたいに扱っているとしたら、どう思いますか?」
「おかしな話だな。結局、その優れた娘含めて娘のことを道具としか考えてないってことだろ」
ずいぶんと奇妙な話だ。昔からたとえばの話や友人の話だと切り出されれば大概自分の身の上相談というのが基本だが、それにしたところで普通の家庭の事情というわけではにようだ。
アイリスがラクス・クラインと同じ顔、同じ瞳に髪の色をしていることが何か関係しているのだろうか。
「ディアッカさんはコーディネーターですよね? やっぱりご両親も?」
「ああ。2人ともコーディネーターだ。だが、悩んでるようだが、どうしてそんなことを俺に話す?」
さすがにプラント最高評議会の議員の1人だとまで話す必要はないだろう。どうせ親父殿のことだ。息子が行方不明になったとしても淡々と議員の職を全うしているに違いない。
「ディアッカさんと私、あまり親密じゃないからです。親しい人には、変な心配かけたくないんです」
壁やお人形、ペットのオウム--こいつは声真似できるため少々まずいが--の代わりに使われているということなのだろう。ただの捕虜なら後腐れない。それならディアッカにしても遠慮はいらないはずだ。
「なあ、アイリス、お前はラクス・クラインと同じ顔なんだがそれと何か関係があるのか?」
「はっきり覚えてませんけど、私のお姉ちゃんです」
アイリスが嘘をついているとは思わないが、ラクス・クラインに妹がいるなんて話は初耳だ。担がれているのか。それにしてはアイリスはラクスと似すぎている。それに、懲罰房壁越しに聞こえるアイリスの声は疑ってかかるにはリスクが大きい。ずいぶんと気分が沈んでいる様子で、これを嘘だと考えるのは気分が悪い。
アイリスの言葉は、脈絡がないようにも思える。
「ねえ、ディアッカさん。プラントって、一体どんな国なんですか?」
「宣伝文句じゃ、人類の楽園だな。政治だとか宗教だとか人種だとか、そんなものに関係なく優れた人が正当に評価される国だ。実際、人種が問題になることもないし、若くても能力さえ認められれば重要な役目を与えられることもざらだしな」
ラウ・ル・クルーゼ隊長や、特に有名どころだと砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルドが30前後の若さで部隊指揮を任せられるほどだ。もっとも、プラント自体若い国で十分な数の重鎮がいないということも原因だが。
「じゃあ、能力のない人はどうするんですか?」
「そりゃ、大した仕事も与えられないことになる。だけどな、力もないのに大きな責任背負わされるよりはましじゃないか?」
「でももらえるご褒美は、やっぱり力のある人の方がいいんですよね?」
「言ったろ。能力のある人が正当に評価されるってな」
「能力のない人って、やっぱりいらない存在なんでしょうか?」
「そうは言わないが、それなら努力した人や有能な人が評価されないのが平等だと思うのか?」
何か反論が感情的になっているように感じる。大西洋連邦の軍艦に乗っている以上、大西洋連邦の軍人なのだから、プラントに否定的になることもわかるが、それだとラクス・クラインの妹ということとうまく繋がらない。
錯乱しているほど不安定には見えないのだが。ただ、不安定ではあるらしい。泣き出すまではないにしても、声が震えているようで痛々しさが感じられた。
「ディアッカさん、私はヴァーリなんです」
「ヴァーリ?」
聞き返すもアイリスの反応は鈍い。それこそ壁にまくし立てているようだ。
「娘たちです。お父様のお人形です。私はお父様に捨てられたんです。もちろん、私よりも優れたヴァーリはたくさんいます。でも、私が捨てられた理由は、お父様を愛さなかったから。それだけで、お父様は私を捨てました 思い通りに動かせないお人形はいらないそうです」
何のことを言っているのか正直見当もつかない。とりあえずたとえばの話は自分のことだという公式は証明されたようだが。
「ディアッカさん、優れてるって何なんでしょう?」
とりあえず話をあわせておくことにする。聞いたところで、ヴァーリだとかアイリスのことを話してもらえるとは思えなければ、変に刺激してしまうこともためらわれた。
「鎌形赤血球の話が有名だな。特殊な形の赤血球は酸素の運搬効率が悪いから劣った形質なんだそうだ。ところが、マラリアには耐性を持つ。マラリアが発生した地域では優れた形質だってことになる。こんなことか?」
「優れてるとか劣ってるとか勝手に決められて、それで勝手に捨てられるんです、私たちって」
やはりわからない。最初に出会った時は凶暴な女だと考えていた。それから配膳を担当してもらっていたが、その時は何かに責め立てられている様子はなかった。
「何があった?」
つい聞いてしまった。アイリスのことはまともに知らないが、どう見ても感情の起伏が不自然だ。
「思い出してるんです。少しずつ。ヴァーリって何だったのかって。私たちって何なのかって」
「俺は、ヴァーリのことなんて何もわからねえぞ」
「聞いてくれただけで十分です」
やはり壁の代わりであるらしい。別に不愉快とは思わないが、何かしてやれることもなさそうだ。そろそろ料理が冷めてしまうだろうか。ベッドにトレーごと置かれているスパゲティーをいただくことにする。特に何か言ってもらうことを期待されていないのなら、相づちを打つくらいにとどめておいた方がいいだろう。
フォークで巻き取り、赤いパスタを口の中に放り込む。何か口の中に違和感がある。何か異物が混入しているわけではないようだが何かがおかしい。トレーを脇に置いて、頬をさすってみる。特に何もないだろうか。そう、違和感を振り払おうとした時のことだ。
ディアッカは床に突っ伏した。辛いというか痛い。口の中を炙られたかのような痛みが喉の奥にまで広がっていた。うめき声さえまともに出すことができない。口を開いて外気で少しでも口の中を冷やそうとするがまるで効き目なんてなかった。
「今日の料理は私が作りました。ハバネロを煮てトマトっぽくして、赤い色はがんばって唐辛子で出しました。私聞いてます。フレイさんにひどいこと言ったって」
(お前の仕業か!?)
怒鳴ってやったつもりが、腫れた喉からはまともに声なんて出ない。扉を叩きつけて痛みを紛らわすともにアイリスに抗議するくらいしかできない。
「これ、お水です」
差し入れ口からグラスに入った水が届けられた。なりふりだとかかまわずグラスをとると、水を一気に流し込む。水はあっさりとなくなった。貪っていた訳ではない。元からグラスの半分も水が入っていなかったのだ。
「これは聞いた話ですけど、お水って中途半端に口に含んだ方がかえって辛さが増すみたいです。それにそれくらいのお水じゃぜんぜん足りませんよね」
そんなことわかるものか。青銅の棒よりも鉄の棒で殴られた方が理屈では痛いだろう。だが、激痛は激痛で一緒くたにされてしかるべきだ。
グラスを扉に投げつけてやっても、捕虜に差し入れられる容器がガラス製であるはずもなくプラスチックのグラスは乾いた音を立てて跳ねた。
痛みの第二波が来た。体中から汗が噴き出し、体温の上昇が著しい。辛さや痒みは弱い痛みだと聞いたことがあったが、こんなところで体感したいと願ったことなんて一度もなかった。
「フレイさんを悲しませた罰です。苦しんでください、ディアッカさん」
艦長室は雑魚寝をさせられるクルーたちに比べれば遙かにましな環境ではある。ただ、あくまでもましと言える程度のレベルであることに変わりはない。備え付けられた机に、壁にはめ込まれたベッドがあるくらいだ。個室であるということ、これくらいしかアーク・エンジェル最高役職の部屋であることを示すものはない。
無理矢理付け加えるなら、壁にソファーが取り付けられ、応接間としても機能することくらいだろうか。もっとも、この椅子を用いたことは主であるマリュー・ラミアスも含めて一度もない。
だとすると、これが最初のこととなる。マリューは机に備えられた椅子に座りながら、来客を迎えていた。相手は女性。技術士官であり、小尉の階級を持つナタル・バジルールである。
初対面の印象は民間人に甘い、しょせんは技術畑の人間だと片づけていた。だが、ナタルはマリューの目の前でそれは綺麗な敬礼をしていた。
「お呼びでしょうか? ラミアス艦長」
手振りでソファーへの着席を促しておく。ナタルが座ろうとする間に、声をかけておいた。
「少し、お話をしましょう」
まさかこれを命令ととったとは思わないが、ソファーに座ったナタルはずいぶん堅苦しい姿勢を崩さない。これには少し、苦笑してしまった。
「あなたとゼフィランサス主任は長いの?」
思い出すのはお人形のような少女のこと。あの黒いドレスを着た姿を思い出す度、あの少女が本当にガンダムを作り出すほどの技術者かと疑ってしまう。どこか心細さに襲われているのは、いまだに少女が技術主任だと信じきれない心の弱さに起因するのかもしれない。
こんなマリューを後目に、ナタルは毅然と答えた。
「いえ、私がガンダム開発に携わるようになって初めて顔を合わせました。噂には聞いていましたが、主任はすばらしいお方です」
軍帽を脱ぎながらも、ナタルの強い眼差しはマリューに向けられたままである。
「ガンダムとは確かに兵器にすぎません。しかし、その造形はまさに芸術、いえ、荘厳とさえ言ってもいい。あれほど美しいプログラムは初めて目にしました」
これから続く話を、マリューはほとんど理解できなかった。専門用語がとにかく多く、しかもナタルはどこか陶酔したように芝居がかって話すのである。それこそおとぎ話でも聞かせられているような心地にさせられる。
何とかわかったことは、モビル・スーツとは膨大な試行錯誤の連続であり生半可な技術ではアンバランスな機体しか造ることができないということ。
たとえばプログラムは巨大な織物を全体像も見えぬまま各所バラバラに編み上げるようなものであるそうだ。無理につなぎ合わせれば全体ではぼやけた作品となってしまう。織り目に誤りがあればそれはバグとしてやはり作品を台無しにしてしまう。しかし、誤りを直そうとして網目をずらすと、今度は別の場所で誤りが発生してしまう。
モビル・スーツ開発とはそんな途方もない作業を繰り返しては修正をし続けるものであるらしい。ところが、ゼフィランサスという少女は感覚的に全体を捉え、まるで完成した設計図を頭の中に持っているかのようにプログラムを組み上げてしまうのだそうだ。
安易に天才という言葉を使用したくはない。そうナタルは前置きしておきながら、ナタルはゼフィランサスのことを、天才以外の言葉では形容できないとした。このナタルという小尉はつかみ所がない。厳格な軍人としての一面を見せたかと思うと、まるで子どものように目を輝かせる。
うまく話が途切れたタイミングを見計らって、マリューは問いかけた。こうでもしなければナタルの話はいつまでも終わりそうにない。
「キンバライド基地で見られた3機の新型ガンダムについてどう思うか聞かせて?」
データは送られているため、型式番号、及び名前は判明している。
まず黒いストライクはGAT-X105Eストライクノワールガンダム。新型ストライカーを装備した機体であり、恐らくはより汎用性を高める強化案が採用されたものであろう。
火器を4門に増設したバスターはGAT-X103APヴェルデバスターガンダム。こちらもやはり、より戦闘に適した武装に変更されている。
最後に装甲を追加したデュエル、GAT-X1022ブルデュエルガンダム。特徴のないデュエルを特徴づけようとする努力のあとが見られる。
それぞれ高性能な機体である。恐らく、アーク・エンジェルが保有するどの機体よりも。マリューは部下の前だと言うのに、眉をつり上げ、不安げな表情を演出してしまった。それに対して、ナタルは鼻息荒く、明らかな嘲笑を演じた。
「あんなものは単なるマイナーチェンジにすぎません。ゼフィランサス主任の生み出したガンダムを凡夫ごときが手を加えられるものではありません!」
そうなると、あの量産型GAT-01デュエルダガーはゼフィランサス主任が関わっていないものである確率が俄然高くなる。
「申し上げるなら、情報が洩れていたとしか考えようがありません。それも、深刻なほど高度に……」
このナタルの言葉は、真実であるだろう。情報を流した者がナタルどころかマリュー以上に階級の高い者の中にいる。本来なら軍規に背く不貞の輩に憤怒を覚えなければならにのだろう。しかし、マリューの心に飛来したのは、寂しさだとか悲しさ、何にしろ内向的な感情だけであった。
「私は武門の家系に生まれたわ。両親はもちろんのこと、親戚縁者の中で軍に関わらない人を数えた方が早いくらいよ。任務は絶対。完遂できなければ友軍の誰かが犠牲になると教え込まれてきたわ」
事実として、もしガンダムをアラスカにまで運ぶことができなければ穏健派はおろか大西洋連邦そのものが窮地に立たされることになるはずであった。
「ところが、大西洋連邦はもうガンダムを必要としていない」
もうどうしようもない。そんなことを仕草で示すとすれば、だらしなく振られる手であろう。今、マリューがしているように。
「目の前に成果はないのに、それでも任務は達成しなければと焦らされるの」
ついこんなことを話してしまったのは、やはりナタル少尉が女性であるということが大きい。軍内で男女差別を感じたことなどなかったが、それでも同性の相談相手というものはありがたいものである。もっとも、相談相手としてしまうのはまだおこがましい。
ナタルの途端に表情を厳しくした。
「それが、フレイ・アルスターを見せしめに使ってまで規律遵守を押しつけようとされた理由ですか?」
キラ・ヤマト、アーノルド・ノイマン、そしてアイリス・インディア。敵に回ったのはパイロットたちばかりではないらしい。
「たしかに、ヤマト軍曹やアイリスが主力を担うようになって、規律がゆるんだと言えばその通りです」
ナタルは軍帽を被りなおしながら啖呵をきった。
「ですが、違反しようとしているわけではありません。私はあのような処置には反対です」
マリューは何も言い返すことができなかった。代わりについたため息が、妙に相手の同情を買ったらしい。ナタルは咳払いを1つつくと、途端に口調を変えた。
「あなたは、こだわらなくていいところにまでこだわって、余計な苦労を負っているようですね」
白状するなら、ナタルにこのような言葉をかけられることは大層堪えた。そんなに疲れたように見えていたのだろうか。つい手で目を覆ってまでうめいてしまう。
「あなたとは違うわ。私はね、ゼフィランサス主任を初めて見た時、フラガ大尉のいたずらだと警戒したものよ」
ナタルならばきっと、そんなこと軽く流してしまったのだろう。少なくとも、今のナタルはしれっとした様子でマリューの言葉を受けながした。
「それは私もそうでした。本当にお人形のようにかわいらしいお方で、とりあえず写真を撮らせていただきました」
見えないカメラでも操作しているような仕草で、ナタルは微笑んでみせた。マリューは手を額に当てたまま椅子により深く腰掛けた。
「本当に、あなたとは違うわ……」
以前懇親会を許可したことがあったが、その時はキラ・ヤマト軍曹と話をすることができた。残念ながら現在軍曹とはフレイ・アルスター2等兵の処遇を巡って対立してしまっている。
ナタルをわざわざ呼びつけたのは、本当に他愛のない話をするためであった。しかし、当のナタルは軍帽を膝に置き、本題が始まるのはいつかと身構えているようであった。今更世間話をしたかっただけとは言いにくい雰囲気である。慣れないことはするものではないと、マリューは何とか話題を探った。
「そ、それともう1つ。アーク・エンジェルはこれよりオーブへ向かいます」
「同盟国である赤道同盟ではなく、ですか?」
思いのほか、ナタル少尉の食いつきがよい。破れかぶれの策ではあったが、上策であったようだ。
「そうなるわ。上層部からの命令なのよ」
「わかりません。確かに赤道同盟はいまだにエイプリルフール・クライシスの被害から立ち直れ切れていないところがあります。しかしあまり東よりの針路をとった場合、カーペンタリアの網にかかる恐れも」
「カーペンタリアは主にアラスカやパナマのための前線基地よ。基地の規模からしても西側に対する警戒は緩いとも考えられるわ」
ザフト軍ではジブラルタル基地を除けば比較的大型基地に属するカーペンタリア基地はオーストラリア大陸カーペンタリア湾の奥に構えられている。軍事的に小国である東アジア共和国は事実上基地の存在を黙認し、大西洋連邦を初めとする各国から非難されている。
マリュー自身、東アジア共和国の弱腰には辟易していたが、ここで非難を繰り広げても仕方がない。
「それに、これはあくまでも理屈付けにしかならないけれど、アルテミスではユーラシア連邦からガンダムのデータの提出を求められたわ。それを警戒してのことかもしれない」
「中立国の方が同盟国よりも信頼できると?」
顔をわかりやすくしかめるナタル少尉。厳格な人柄かと考えていたが、任務には厳しくとも柔軟な考え方の持ち主であることでけは確かなようだ。
「そうね。だとすると、私たちは孤立無援なのかもしれないわね。穏健派としては急進派の影響が強い地域には入れたくないというのが本音なのかもしれないわ」
「覚悟していたことですが、アラスカまでこのままな何事もなくたどり着けるとは思えません」
そのことに関しては、マリューとしても同意見だった。
アーク・エンジェルはオーブへと向かっている。この情報はアスラン・ザラ所属するクルーゼ隊の次の目的地を設定するに十分な情報であった。その情報をもたらした男性は、今目の前にいる。
ザフト軍がモビル・スーツの輸送に利用する大型輸送機に旅客機並みの快適さを求めることには無理がある。狭い客室は絨毯などひかれず、金属質の床がむき出しになっている。こんな場所に取り付けられた椅子が贅沢なすわり心地を与えてくれるはずもない。何よりも、扉1枚隔てた先の格納庫から響く音が会話をしずらしする。よって、アスランは2人がけの椅子が向き合っている、そんな近場にさえ、声を意識して張り上げる必要があった。
「フラガさんはあの白い敵艦でスパイ活動をされていたんですよね?」
ムウ・ラ・フラガ。大西洋連邦軍では大尉の位にあったそうだ。アーク・エンジェルという名前もこの人から聞いた。ザフトの一般兵が着る緑の軍服こそ着ているが、いつ戦闘に巻き込まれるかわからない軍用機の中にいるというのに、落ち着き払った態度で椅子にもたれるように座っている。手にした雑誌は表紙に水着姿の女性が掲載されているもので、無理に褒めるならたくましいと言えなくもない。
ラウ・ル・クルーゼ隊長と同じ金髪、年頃であるせいか、隊長とよく似ている気がする。アスランの言葉に対して、フラガ大尉は軽く手を振りながら肯定した。
このことに反応したのは、アスランの隣りに座っているジャスミン・ジュリエッタである。今、この客室にはアスランを含めた3人しかいない。この内の2人が緑の軍服を着ている。緑色の方が多いため、これはごく自然なことのようで、それでも違和感を覚えた。
この違和感はひどく寂しさが伴う。本来ここにいるはずの赤服のパイロットが2人も欠落していることを意味したからだ。ニコル・アマルフィ。心優しい彼はアスランの目の前で散ってしまった。ディアッカ・エルスマン。悪ぶってるだけの仲間は生死さえ明らかでない。
ジャスミンが騒音の中でもはっきりと聞こえるほど大きな声を出したのも、アスランと同じ人物を思い浮かべたからだった。
「ディアッカ・エルスマンさんて人、知りませんか!?」
今にも椅子から乗り出さんばかりにジャスミンはフラガ大尉へと意識を向けていた。バイザーに覆われ、目などうかがい様もないが、それでもジャスミンの動揺は十分に伝わってくる。ただそれも、アスランだけの話らしい。フラガ大尉は猫に子どもが生まれた、そん話をするくらいの気軽さで答えた。
「ディアッカか。奴なら元気にしてるさ。少々、退屈そうではあったけどな」
そうとだけ言うと、また雑誌に目を落とした。
気弱で繊細で、小動物のようなジャスミンでさえ、どう反応してよいものかと座り込んでしまった。沈黙ではあるが静寂ではない。エンジン音やら作業音の中でも、話題の途切れる気まずさというものは存在するらしい。
もっとも、フラガ大尉にはそんなものを察するだけの感受性がないのか、それとも気にしない図太さがあるのか、どちらにしろ平然と雑誌を読んでいる。この沈黙に真っ先に耐えられなくなったのは、やはりジャスミンであった。
「ム、ムウさんはどうしてプラントに協力しようと考えたんですか?」
フラガ大尉は雑誌を閉じた。それを片手で保持したまま話をしようとする。問題は、雑誌の表紙、早い話が水着姿の女性の写真がジャスミンへと向けられているということだ。フラガ大尉は意識していないのだろうが、これは軽いセクシャル・ハラスメントである。ジャスミンは困ったように顔を背けてしまった。
無論、フラガ大尉に気づいた様子は一切ない。
「勘違いされたら困るんだが、俺はプラントだとかコーディネーターのために戦うつもりはない」
とても大事な話をしているようで、今度は今晩何を食べようか相談されているような、言ってしまうならそれほどの深刻さは感じられない。
「ただ、世界をよりよい方向へ導きたいと考えたら、こうした方がいいと考えただけだ」
ただ何にしろ、その話の内容はアスラン、それにジャスミンに鎮痛な面持ちをさせるに十分なものである。特に、モーガン・シュバリエ中佐との出会いの中で自身の戦う理由が見出せなくなりつつあるアスランには姿勢を正してでも聞く価値があるように思われた。
「別にニヒリストを気取るつもりはないが、この戦争は始まりからして憎悪戦争と言ってもいいひどい有様だ。プラントは独立戦争のように考えているようだが、地球だって侵略者から父祖伝来の土地を守るつもりでいる。少なくとも、現場の連中はな。だが、どちらにしてもそれを利用しようって奴らがいる」
フラガ大尉は2つの害悪を並べた。
大西洋連邦が主導する連合軍は公然の秘密として過激思想団体ブルー・コスモスとその資金源となる軍需産業が動かしている。その軍需産業は独自に兵器開発を行うとともにプラントとの対立を煽り、新兵器の実験場と顧客の確保を同時に行っている。穏健派期待の大天使とて、ラタトスク社のモルモットに他ならない。ラタトスク社は貴重な実戦データを得ることができるし、また、ガンダムがザフト軍モビル・スーツを圧倒するという事実はラタトスク社の評価を持ち上げている。
「アスラン、お前がしてることも、ラタトスク社のお株を上げてることになる。ザフトだろうと大西洋連邦だろうと関係ない。バスターの活躍が活躍すれば、そんな機体を開発したラタトスク社の評価は鰻登りだ。お前が敵を倒す度、ラタトスクは膨大な金を得ることになる」
フラガ大尉の言葉は胸に嫌な塊を作った。アスランは意図せずとも苦いものを噛んだような顔になった。
話を聞いている内に、格納庫へ通じる扉が開いた。現れたのは白い軍服に白い仮面をつけたクルーゼ隊長である。新型機の様子を見に行ったはずだが、普段と何ら変わらぬ様子でアスランたちの横に来た。
そうしている間にもフラガ大尉は続けている。話はいつの間にかプラントの内情批判へと移っていた。
「プラントも理想郷のように嘯いているが、俺にはとてもじゃないが信じられん。コーディネーターは別に人類の新種でもなければ亜種でもない ただ優れているとされる遺伝子を取捨選択しただけの存在だ。だから絶えず子どもたちに遺伝子調整を施さなければならない。だがな、遺伝子調整は決して安価じゃない。結局、金の問題だ」
資金が潤沢なほど子どもに優れた遺伝子調整を施せるため、富裕層ほど優れた子どもに恵まれやすくなる。親の財力の格差が子の能力格差に繋がり、そして能力が高い者ほどまた財力を得やすくなる。するとその子どもにさらに優れた遺伝子調整を行うことができるようになる。
貧富の格差が能力の格差を生み、能力の格差が貧富の格差を肯定する構図ができあがるのである。
「結局そう言うことじゃないか。アスラン、お前のような最高評議会議員の子息がそろって赤服であることとかな」
フラガ大尉は雑誌を椅子に投げ捨てた。こんな何気ない行動は、それこそ何の意味もない。
ザフトの赤服は軍学校を上位10位の成績で卒業した証である。ニコルやディアッカ、それに軍学校でアスランと首席を争ったイザーク・ジュールという友人も、やはり最高評議会議員の息子である。
だが、何故この人はアスラン・ザラがパトリック・ザラ副議長の息子であると知っているのだろう。
「争いが争いを呼ぶいびつな社会構造が地球で、格差を助長するのがプラントだ そしてそんなものに頼ってまで目的を達成しようとする勢力が地球とプラントには存在してるんだ」
まるで銃でも突きつけられているような心境である。相手が子どもであれ味方であれ、凶器を向けられれば一方的に緊張を強いられるのはこちらである。
フラガ大尉は変わらずだらしのない格好で座ったままだ。だが、アスランは身動きをとれずにいた。ジャスミンなど、今にも震えだしそうな有様だ。胃に重くのしかかる空気を裂いたのは、クルーゼ隊長がフラガ大尉の肩に置いた手だった。
「ムウ、おしゃべりがすぎるのではないか」
かもな。そう一言だけ。フラガ大尉は再び、水着姿の女性の写真が表紙に描かれた雑誌を手に取り眺め始めた。