すぐ背後には地球が広がる。つい先程までこのあまりに大きく見える星の片隅、ジブラルタルでの死闘が繰り広げられていた。ここからでは見えない。ちょうど地中海西部は厚い雲に覆われ見ることさえできはしなかった。あまりに遠く現実離れさえして見える。本当にあの場所で戦いなどあったのだろうか。
すべてが夢であった気がする。すべてが夢であって欲しかった。
ジブラルタル基地を脱出した5隻のシャトルの周囲を大西洋連邦軍の軍勢が包囲していた。包囲されたまま、シャトルは地球を離れる方へと航行を続けている。大西洋連邦軍は攻撃を仕掛けてくることなくただ包囲を続けている。
ザフト軍としては相手を刺激しないよう最低限のモビル・スーツをシャトルの周囲に展開するにとどめていた。
その中にZGMF-X10Aフリーダムガンダム、アスラン・ザラ、ZGMF-X09Aジャスティスガンダムのイザーク・ジュールも守備隊--すでにZGMF-1017ジンも複数展開している--に含まれている。地球から脱出後、満足な休息もないままシャトルの警護を続けていた。
接近してくる気配のない地球軍の機体を牽制するように動きながら、イザークが苦々しく言い放つ声をアスランは聞いた。
「奴らは何故仕掛けてこない?」
「わからない。何かを待っているのか?」
待っているのはザフトの方だろう。シャトルは地球を脱出後、寄港地であるグラナダからの援軍と合流する手はずになっていた。現在もシャトルは合流予定地点へと向けて航行を続けている。
アスランはグラナダの部隊が異常を少しでも早く察してくれることを祈るような心地で念じていた。
「グラナダが間に合えばいいが……」
こちらは疲弊した部隊。それも、ジンを中心とした旧式しかない。ビームと実弾とでは以前にもアスランがたとえた通り、拳銃と水鉄砲ほどの違いがある。襲いかかられれば一溜まりもない。
イザークのジャスティスがライフルを構えた。周囲のジンたちも一斉に同じ方向へと向けてアサルト・ライフルを構えた。遅れて、アスランのフリーダムも銃を向ける。
銃口の先、漆黒の宇宙を背景に、輝くガンダムの姿があった。地球軍の部隊からただ1機だけ前進し、矢面に立ったその機体は、白銀に輝いている。
見たことのない機体だ。特徴的なのはバック・パック。後光を背負うかのような円盤にいくつもの鋭いユニットが取り付けられている。どのような機能を有するのか皆目見当もつかない。それよりも右腕に握られている大型ライフルがどうしても目を引く。ビームと思われるライフルの威力もさることながら銃口が銃身に比べ極端に大きく、バック・パック同様その機能に疑問符がつく。
白銀のガンダムは、しかし銃口をシャトルに向けることもなくオープン・チャンネルで宙域全体へと話しかけた。
「直ちに武装解除し投降してもらおう。当方には貴君等を捕虜として受け入れる準備がある。しかし逆らうようであれば、残骸の仲間入りを果たしてもらうこととなる」
「この声……」
聞き覚えのある声だった。そんな、まさか、自身を疑い、確信を遠ざけようとする声が身のうちに幾度も現れては消える音を、アスランは何度も耳にした。
そして、それをあざ笑い、白銀のガンダムはアスランにたやすく確信を与えた。
「こちら、大西洋連邦軍大佐、ラウ・ル・クルーゼ」
「クルーゼ隊長……。くっ……!」
同じガンダムならばアリスを通じて通信をつなぐことができるはずだ。わずかな操作で、白銀のガンダムとは簡単に通信をつなぐことができた。
「あなたは本当に、地球側のスパイだったと言うんですか!?」
隊長は何も変わってなどいない。冷静で、慧眼を持ち、そのどこか人を食った様子も何も。
「アスランか。君たちには感謝している。特にニコルはよくしてくれた。彼のおかげでお父上はニュートロン・ジャマーを無効化する装置、プレア・ニコルと命名されたそうだが、この装置を解放してくれた」
アフリカの乾いた大地で、ニコル・アマルフィがしんがりをつとめた際、危険が大きすぎるとしてクルーゼ隊長は援軍を送ることを拒否した。そうだ。冷酷を冷静と、怜悧を姑息と捉え違えていただけなのだとすれば、あの男は、ラウ・ル・クルーゼはもはや隊長と呼ぶに値しない。してはならない。
「あなたは、あなたって人は!?」
ライフルの引き金を引いた。放出されるビームは、やはりたやすくかわされ、白銀のガンダムはさも人のような仕草で左手を動かす。軽く振られた手は前進を指示しているように見え、その通り、地球軍が一斉に動き始めた。
「ZZ-X200DAガンダムトロイメント。ゼフィランサス・ナンバーズの力、お見せしよう」
戦闘が開始された。合計5隻のシャトルは必死にスラスターを吹かせ少しでも距離を開けようとする。多数のジンが防波堤となるべく地球軍んお前に立ちふさがった。
ジャスミン・ジュリエッタもまた、戦列に加わるためにジンを歩かせていた。シャトルの格納庫の中、人々の慌ただしい様子はジンのモニターの中に映し出されている。元々戦闘用のシャトルでなく、乗り込めるだけの人を乗せられるだけ乗せたシャトルは、少し通路の奥をのぞき込んだだけで、体に包帯を巻き付けたまま壁に寄りかかっている人の姿を簡単に目撃することができた。いつ気密区画が破壊されるかわからない中でも、ノーマル・スーツの数がまったく足りていないのだ。
ジャスミンが現在使用しているノーマル・スーツは顔が窮屈に感じられた。視力を与えてくれるバイザーをいつも目にはりつけていなければならない関係上、ジャスミンはいつもヘルメットに関しては一回りサイズの大きなものを使用していた。今回はそんな融通はきかない通常のサイズのものを使用するしかない。こんなところにもこのシャトルの窮状は現れている。
ジンはやがて加圧室のハッチをくぐり抜け、するとカタパルトもなくすぐさま宇宙空間へとつながっている。外ではすでに戦闘が始まっていた。
「アスランさん、それに……、クルーゼ隊長……」
ジャスミン・ジュリエッタ。Jのヴァーリは仲間と、かつての仲間の待つ戦場へと、ジンを漂わせた。
イザークがビームを放てど、白銀のガンダム--トロイメントだとか呼ばれていただろうか--はまるで通り抜けるような見事な回避でこれをかわす。必要最小限度の動きで攻撃をかわす。そんな超絶的な技法を、イザークは都市伝説のたぐいとして聞き流したことがあった。
(まさか実在したとはな……。しかし、何故対立勢力がそろって同じガンダムを持たねばならん!)
特にザフトはわざわざ外装を似せ、同じ名を与えなくともよいようなものだ。大西洋連邦からの技術者が亡命したと聞いたことがあるが、それと何か関係があるのだろうか。
しかし、これ以上考えると永遠に思考中断させられかねない。
トロイメントはその奇妙な形をした銃口をジャスティスへと向けた。まさか直径に比した太さのビームが放たれる訳ではないだろう。放たれたビームは、やはり通常のライフルと大差ないものであった。しかし複数が大型の銃口から次々にバラバラの方向へと放たれた。銃口の向きからではどこが狙われているのか判別できない。同時に2カ所が狙われることもあった。初見で回避できるたぐいの攻撃ではなく、イークはやむなくシールドを前につきだしこれを防ぐ。
一撃一撃は極端な破壊力を持たない。しかしシールドは2、3発防いだだけでたやすく疲弊し、ジャスティスはシールドが破壊されると同時に飛び上がった。とにかく逃げるべく、ミノフスキー・クラフトを輝かせ続ける。
アスランのフリーダムが援護に入ってくれたことでイザークは体勢を取り戻すことができた。
「アスラン、こいつは俺たちで抑える!」
すでに周囲ではジンとデュエルダガーとの撃ち合いが始まっている。アサルト・ライフルではモビル・スーツを破壊するためには一定の弾数を撃ち込まなければならないが、ビームをバイタル・エリアに浴びれば一撃だ。また、モビル・スーツ戦を想定していないジンはシールドを持たない。ガンダム・タイプの相手を量産機にしろというのはあまりに酷だと言えた。
ジャスティスはビームを放ち、トロイメントが回避する。するとフリーダムが苛烈に敵を追い立て、ビームを次々放ってはすべて回避されている。
「頭に血が上っているな……」
元の隊長との戦闘にやりにくさを感じることもわからないではない。戦友の死に関わっていたと聞かされればなおさらだろう。だが、よくない傾向であることに変わりはない。
白銀の装甲を輝かせたまま、トロイメントは不気味な動きを見せた。バック・パックに備えられていたユニットを切り離したのだ。時計のように円盤状のバック・パックの12カ所にユニットは取り付けられている。切り離されたのは、等間隔に4機。それぞれがミノフスキー・クラフトの輝きを放ちながら飛び回り始めた。
敵の意図を読み切れず、攻撃をつい中断させるイザーク。ただし、アスランはかまわずビームを敵めがけて放った。
ビームは直撃の軌道を描いた。敵はかわさない。しかしそれが命中を意味することはなかった。ユニットの1機。それが射線上に割り込み、ビームの軌道を妨げる。その時のことだ。ビームが突如大きく軌道を曲げた。そして曲がった軌道の先、別のユニットがビームを受け取るようにさらに軌道を捻じ曲げ、ビームはフリーダムへと反射した。
フリーダムの足をかすめるビーム。強烈な輝きが放たれ、やがて光はやむ。被弾した箇所の装甲から輝きが剥がれ落ちていた。ミノフスキー・クラフトが失われたのだ。フリーダムの機動力が低下したことは端から見てもわかった。
「ジェネレーター出力ではエインセルのフォイエリヒには負けるが、ビームには絶大な防御力を誇る。ゼフィランサスはナイトゴーントと呼んでいたが、このユニットは何故かビーム兵器が主流になりつつある今、大変ありがたい武器ではないか?」
何かと気に障ることを言ってくる男だ。しかし並の相手ではない。
「アスラン! シャトルの守りに専念しろ!」
「しかしこの男は……!」
「今のお前は冷静さを欠いている。そんな状態で勝てる相手か!?」
牽制の意味で放ったビームは、やはり立ちふさがったユニット--名前を言っていたような気がするが、いちいち覚えてなどいられない--によって軌道を曲げられてしまう。ビームは戻ってくることはなく、しかし付近で戦っていたジンの胴体へと突き刺さった。誤射ではないとは言え、自分の攻撃で仲間が撃墜されては気分が悪い。
これでは攻撃ができない。さすがのアスランも攻撃の勢いを弱めていた。
「来ないのであれば、私から行かせてもらうとしよう」
トロイメントのライフル--銃口が大きい奇妙な銃だ--からビームが放たれる。1発ではない。角度も射撃間隔も不規則に放たれたビームはジャスティスとフリーダムを襲い、あるいは明後日の方向へと飛去っていく。しかしまるで狙いを外したビームさえ軌道を曲げ、あらぬ方向からイザークたちを攻撃する。
正面の敵だけに集中する。倒さなければならないのには間違いなく正面の敵だが、そんなことを実践していてはどこから狙い撃たれるかわからない。トロイメントに気をとられすぎては上から横から後ろからビームが迫る。ユニットの動きに翻弄されていると、銃口からでは狙いがまるで読めないトロイメントのライフルに直接狙われる。
ミノフスキー・クラフトなしではとっくに撃墜されていたことだろう。スラスターの位置に影響されない--装甲がある方ならばどちらにでも移動できる--機動で横から来たビームを後ろにかわした直後、背後から迫るビームを体を縦に大きく傾けて回避する。その直後に大きく飛び上がる。こうでもしなければ回避することができない。
アスランと2人がかりでありながら、相手を囲むどころかたった1機の敵にこちらが包囲されている。
「火力の化け物か!」
声を出したことが原因ではない。わずかな気のゆるみ。まるでイザークが緊張を解く一瞬を知っていたかのようにビームがジャスティスの肩に命中した。直撃ではない。腕こそ無事だが、左肩の装甲は大きく変形し、ミノフスキー・クラフトの輝きが消失する。操縦桿にかかる負荷が増えたことで機動力の低下を実感させられる。
「イザーク!」
「問題ない。だが……」
こんな相手にどう勝てばいい。トロイメントはユニットをバック・パックに戻していた。ミノフスキー・クラフトはエネルギーの消費量が大きいと聞く。充電に時間を必要とするのだろう。しかし今は隙とはならない。まだ使われていないユニットが8機も残されているのだ。4機3セット。そのための12機なんだろう。最悪、相手は半永久的にユニットを展開できることになる。
トロイメントは何かをしているわけではない。新たなユニットを放つでもなく、銃を向けるでもない。それでさえ、イザークもアスランもまた、相手の動きを警戒して動くことができなかった。
たちの悪い夢のようだ。非現実的ながらとにかく恐ろしく、そしてその実在に疑いを挟むことがどうしてもできない。朝方に見る夢の中で怪物に追いかけられる悪夢のようだ。
「もういいのかね? このままではシャトルは破壊されてしまうが?」
そんなことは言われるまでもなくわかっている。ジンは必死に守ってくれているが、デュエルダガーの部隊は徐々に逃げるシャトルに追いつこうとしている。シャトルのような大型の艦船は航続距離はともかく、モビル・スーツから逃げきれるはずもない。
「裏切り者に言われるまでもないことだ!」
「ではどうするのかね、イザーク・ジュール?」
アスランはイザークのことをイザークと呼んでいた。ガンダムをつなぐ通信は相手にも聞かれてはいたはずだ。しかし、フルネームで呼ばれたことはなかった。
「何故俺の名前を知っている?」
「君たちはプラント最高評議会の子息たちだ。考えたことはないのかね? 自分たちがどれほど政治的価値があるのかということを」
舌の乾きとしびれは、連戦の疲れだけでは説明がつかない。
「何が言いたい……?」
「こういうことです、イザーク隊長」
シャトルからの通信である。若い女の声で、イザークはこの声を知っている。シホ・ハーネンフース。部下のパイロットの声だ。
この声が聞こえた途端、シャトル--5隻の中で最も大型であり、シホたちが乗り込んでいるものだ--がメイン・スラスターを止め、逆噴射をかけ始めた。徐々に速度が低下し、このままでは敵軍のただ中に取り残される。
「シホ、お前の仕業か!」
イザークは自身の声に戸惑いを怒りで無理矢理塗りつぶしたようにどことない違和感を覚えていた。
「俺もいる、イザーク隊長。コクピットは制圧した。このシャトルは大西洋連邦がいただく」
今度の声はカナード・パルス。シホと同じくイザークの部下である。
「私がアスラン、君らの隊長になったことは偶然だがね。イザーク君、君の部下は我々の誘いに乗ってくれた」
大型シャトルとほかの4隻のシャトルが離れていくに従って、どちらを守るべきか計りかねたジンが隊列を乱した。防衛線が不自然に伸びていた。これではどちらの守りも手薄となって共倒れになる。しかしシャトルを見捨てるような決断もそうそうとできるものではない。
大型シャトルにも、プラントへ戻ることを願う仲間たちが乗っているのだ。
「クルーゼ、大佐。シャトルの多くは傷病兵とその家族です。非戦闘員を攻撃することは条約の精神に反します!」
「だが、病院船と認定することはできない。これはシホ君から教えてもらったことだが、物資や機材も積み込んだ。違うかね? 武装した船に乗っている以上、そのすべてを戦闘員として扱わざるを得ないことは戦時法規に則って正当な判断と言える」
アスランが説得にあたっている内にも大型シャトルはどんどん引き離されていく。
「だが、私とて無益な殺生は好まない。無駄な抵抗はやめ、降伏してもらえないだろうか?」
シャトルのコクピットは飛行機ほの狭さどではないが決して広くはない。操縦士に副操縦士。後は通信士などのための横長の空間。現在はそれらの役職のもの全員が操縦席とは反対側の壁に手をついて状態で銃を向けられている。
シホもまた監視にあたる1人であり、コクピットにはカナードの他、同じくプラントを裏切ると決めた数名がそれぞれパイロットたちの監視にあたっていた。
風防からはジンがシャトルの目の前を横切る様子が見えた。仕草としてコクピットを狙う気配を見せたが、攻撃できるはずがない。コクピットを失えば、それこそシャトルは動きを止めてしまう。
シホは銃を手にしたまま、その様子を眺め、通信機から飛び込んでくる音の波に耳を傾けていた。
「シホ! 何故だ、何故裏切らなければならなかった!」
イザーク隊長は、クルーゼ大佐のガンダムと戦っている。風防から、時折3つの光の塊が激しい動きを見せて戦っている様子を見ることができた。
「プラントは不善だからです。次は、何故、悪を滅ぼすために戦うのかと聞きますか?」
「シホ!」
「隊長。プラントという国は、誕生してはならなかった。優れた人を優遇する。結構なことです。ただ、そのために劣った人間は当然のように見下す風潮ができあがってしまいました。プラントの何かが間違った訳ではありません。プラントという国は成立するとともに必然的にそう帰着せざるを得ないのです。そしてそれは差別を助長します。人は生まれ持った身分や性質によって差別されてはならない。それがこれまでの考え方でした。ところがプラントでは優れた人は優遇しなければなりません。優れた遺伝子は推奨されなければなりません。当然に生まれによる差別を予定していなければなりません。劣った遺伝子を持っている。その人の努力や成果で変えることのできないことで差別することが許される社会。そして、優れた遺伝子を持たせるため、親は子をどのように作り替えることも許される社会。考えたことはありませんか? 親の都合で勝手に作られ、押しつけられた能力と姿で一生をすごさなければならなくなってしまった子どもたちのことを? 卑怯な口上お許しいただけるなら、私やカナードを裏切らせたのは、プラントの方です」
さて、隊長からの返事はない。あのクルーゼ大佐との戦いの最中よそ見できる者が果たしてこの世界で何人いることか。
「カナード、隊長は私たちのこと、ご理解くださるかしら?」
「無理だと踏んだから俺たちは隊長を切り捨てた。違うか?」
「そうね。本当にそう」
シホは口元を歪ませる。それは嘲笑であることに代わりはないが、しかし、一体誰に向けたものであるのか、シホ自身捉えきれずにいた。
ビームの攻撃を回避する。ジャスミンの操縦するジンは正面から放たれたデュエルダガーの攻撃を大きく迂回して回避して、アサルト・ライフルの連射を敵の胸部めがけて撃ち込み続ける。
「お願いですから壊れて……!」
これまで2度シールドに防がれ、胸部に1度当てることができた。命中しても1撃で破壊するだけの攻撃力なんてアサルト・ライフルにはない。ビームは簡単にジンの装甲を破壊するのに。
アサルト・ライフルの弾丸はうまく装甲を破りジェネレーターに飛び込んでくれたらしい。吹き出した炎が装甲を突き破りデュエルダガーが爆発する。これでジャスミンが破壊した機体はわずか2機。一撃必殺のビームをかわしながらの戦闘は、思いの外ジャスミンの体力を消費させていた。呼吸が乱れている。
すぐに次の戦いに移ることはできず、モニター、バイザー越しでやっと脳に届く映像野中に大型シャトルを認めた。
「シャトルがこんなところまで……」
アスランほどではないにしても、ジャスミンもザフトとして前線に出向いていたつもりである。そんなジャスミン機の近くまでシャトルは後退していた。いつビームがシャトルを貫いてもおかしくはない。それはジャスミンのジンでも同じことだと、目の前をビームの光が通り過ぎたことで痛烈に理解させられる。慌てて機体を動かす。
飛び回る輝きがこちらの方に近づいてくる。ジンでは追いかけることさえできないほどの速度で通り過ぎた塊。ただ、その中に青い翼が見えた。アスランのフリーダムである。フリーダムは見覚えのない白銀の機体と交戦している。光の塊は、シャトルのすぐ上空にまで移動していく。
「アスランさん! そこで撃ったらシャトルに誘爆します!」
動きを止めるフリーダム。白銀の機体も同じように動きを止めた。お互いにライフルを向けた姿勢のまま、張りつめた空気にジャスミンの方が息苦しさを覚えるほどだ。
通信は、両方の機体から聞こえてくる。
「クルーゼ隊長。もう、あなたが裏切った理由なんて聞きません!」
アスランはこれまでに聞いたことのないような怖い声をしていた。クルーゼ隊長は普段と何も変わった様子はなかった。
「賢明だ。私は裏切った訳ではない。最初からブルー・コスモスのメンバーであったにすぎないのだからな」
隊長は裏切り者だ。そのことを、今更疑っていたつもりなんてなかった。本人の口から聞かされると、それでも自分でも驚くほど心臓が跳ねた。
「クルーゼ隊長……。私のこと、施設から連れ出してくれたのに……。どうしてですか?」
裏切ってなんていないとは聞かされても、語ってくれたこと、してくれたことのすべてが嘘だとは思わない。
隊長は、アスランと銃を突きつけあう姿勢を維持している。
「当然だとは思わないか? 私はブルー・コスモスだ。遺伝子、たかが4文字のアルファベットで差別される人々のことを放っておくことなどできない。ジャスミン、君はプラントにいるべきではない。私とともに来い」
「耳を貸すな、ジャスミン!」
そんなこと言われても、クルーゼ隊長の言葉はふさぐことのできない--聴覚は、健常者と同じ--耳を通して脳に浸透してくる。とめることができない。
「プラントは君にとって辛い場所ではないのかね? 君は障がいを持つ。そのことに辛い思いをしたのは一度や二度ではないだろう?」
「血のバレンタイン事件を引き起こしたのはブルー・コスモスだ!」
「それは否定しない。しかし君も知っているだろう。君もあの日、あの場所にいたのだからな。知っているはずだろう。ジョージ・グレンの蛮行を。私も10年前あの場所にいた。ゼフィランサスを連れ出したのは私だ」
「それで素知らぬ顔で俺たちの隊長を務めていたのか!」
「話してもよかったが、一度も聞かれなかったのでね。あなたはブルー・コスモスですか、ユニウス・セブンを襲撃しましたかとはな」
ジャスミンは話に参加することさえできなかった。アスランを肯定してあげることもできなければ、隊長を否定することもできない。
思い出したのは、施設の暗い部屋。視力がなくて、明るさなんてわからなかったはずなのに、記憶の中であの部屋はいつも暗かった。暗くて暗くて、いつも部屋の隅で小さく震えていた。そんな部屋に外の明かりをそそぎ込んでくれたのが、隊長だった。隊長だけがジャスミンに光をくれた。
「クルーゼさん……」
同じ部隊に入れてもらうまで、隊長のことはこう呼んでいた。
「ジャスミン、君は我々とともにいるべきだ。ロベリアも君には会いたがっていた」
ロベリア・リマ。ジャスミンと同じ第4研のヴァーリ。JとL。Kは、アフリカの大地で死んでしまった。
「ジャスミン、耳を貸すな! 血のバレンタイン事件の真相がどうであれブルー・コスモスのテロが原因であることには変わりない!」
「ずいぶんと信用のないものだ。では、こうすればどうかね?」
フリーダムに銃を向けられたまま、それでも白銀のガンダムはライフルを下ろした。降伏ではない。その銃口の先には、シャトルのスラスターがある。あんなところをビームで撃たれたりなんてしたら大爆発を引き起こす。
通信からはアスランが思わず漏らした声を拾うことができた。
「ジャスミン、君さえ我々の元に来てくれるのであればシャトルを逃がしてもいい。即時攻撃停止を約束しよう」
隊長はジャスミンたちに嘘をついていた。それでも隊長は嘘なんて言わない。そんな矛盾する2つの事実が、ジャスミンの中では当然のように併存していた。
そして、隊長の恐ろしいくらいに優れた実力だけは、どんな嘘を並べられても変えることのできないことだから。
「アスランさん、私……」
制圧されたコクピット。アイザック・マウはその他のクルーたちと壁際に並ばせられていた。皆、壁に手を突いた姿勢であるため、アイザックも含めてコクピットの様子を正確に把握するができる人はいない。
決して振り向くな。そう厳命されている。アイザックは敢えてこれを無視した。手を壁から離さないまでも、首だけで視線を向ける。
「シホさん、カナードさん、どうしてこんなことを?」
閑散としたコクピットの中を歩くシホの姿が見えた。拳銃を構えたままである。他にも名前も知らない人が銃を手にしていた。カナードの姿は見えない。このような無理な姿勢ではコクピット全体を見渡すことはできず、何人がこのクーデターに参加したのか把握できずにいる。
死角からの手が視界へと入ったかと思うと、アイザックは肩を掴まれ、無理矢理壁へと押しつけられた。一瞬だけ見えたのは、カナードの顔である。
「こちらを向くなと言っただろ。俺は、お前の聞き分けのいいところが好きだったんだがな」
声は間違いなくカナードだった。
「僕はカナードさんのすべてが好きだなんて言いません。でも、僕たち、仲間じゃありませんか!?」
同じ部隊の仲間であること、それが手の力を緩める動機にはなってくれなかった。カナードは念を押すように1度強く肩を押してから離れていく。
「命を懸けてみんなでジブラルタルまで逃げ延びたことは、ただの演技だったって言うんですか!? カナードさん! シホさん!」
返事はしてもらえない。それでも引くことはできない。
「やめてください、こんなことは!」
重力はすでに完全に消失している。そのため、わざわざ足をつけて歩く必要なんてないはずである。それでも律儀な足音がこちらへ近づいた。
「私たちも悩んだ。でも、それでも裏切ると決めた。だから生半可なことで私たちを説得できるとは思わないで」
普段と変わらないくらい芯の通った、しっかりとした声をしている。本当に、シホに普段と変わった様子は見られない。2人とも、ザフトの優れた兵士であった。強くて勇敢で、プラントを守りたい、そんな思いに満ちあふれている人たちだと信じていた。
「どうして何ですか? どうして祖国を裏切らなくちゃならなかったんですか!?」
目の前には壁しかない。それなら、その壁に向けてでもいい。あらん限りの声を張り上げた。そのせいか、言い終えた後、コクピットが妙に静かに感じられた。
「1つは金だな。大西洋連邦の連中は一生かかっても使い尽くせないほどの額を約束してくれた」
今度は、離れていく足音。シホが遠ざかっているらしい。だが、カナードの声はアイザックのすぐそばから聞こえていた。そうだとすると、側にはカナード1人しかいないことになる。機会は今しかない。
「そんなもののために、本当にそんなものが仲間を! 絆を捨てることの動機になると考えているんですか!?」
さも激情に駆られたように首を振り向かせた。広がった視界。そこにはカナードの姿はあってもシホはいない。しかし、コンソールに取り付けられた警報装置の位置は確認できた。
再び壁に押しつけようとカナードが近寄ってくる。
「アイザック。勘違いしているようだが、俺たちはお前の意見を聞いているわけじゃない」
仲間だと思っていてくれるなら、お願いだから油断していてもらいたい。
肩を押される。そのタイミングに合わせて体を低く、カナードの懐へと潜り込む。力任せの体当たりを食らわせた。アイザックに比べて身長が高いカナードの体は、それでも大きく体勢を崩した。衝撃を受け止めてもらう形で、アイザックはすぐに次の動作に入る。警報装置へと飛び出す。無重力に近いため、1度勢いをつけてしまえば、自分でも止めることなんてできやしない。
そんなことはわかっているはずなのに、カナードはアイザックへと叫んだ。
「アイザック!」
言葉に意味なんてない。そのことは先程から、カナード、シホの2人に嫌と言うほど思い知らされている。誤使用を防止するためのカバーを取り外し、装置のボタンを剥き出しにする。
サイレンのけたたましい音を想像して、耳に届いたのは小さな破裂音。口の中には吐き気を催す鉄の臭い。痛みと認識できないほどの痛みが体を仰け反らせ、指が警報装置から離れた。視界が赤いのは、視力の異常ではなくて血が滴となって漂っているからだ。
その血の赤の先に、それこそ赤い服を着た少女が銃をまっすぐに向けていた。重力がないため、どう漂っていいかわからない硝煙が不規則にくゆっている。
「シホ……、さん……」
その瞳はまっすぐで力強くて、迷いだとかためらいだとか、その一切を感じさせない。かつて魅力を覚えた強い眼差しがそのまま、アイザックの体に空いた風穴へと向けられている。
このクーデターはコクピットを制圧しているにすぎない。だから警報さえ流れれば立場は逆転する。ボタンを押しさえすればいい。別に何でもない動作である。アイザックの指が、警報ボタンを押し込んだ。
大型シャトルのスラスターが息を吹き返す。これまでの沈黙を強引に引き裂くようにスラスターはスラスター・ノズルを焦がさんばかりの勢いで炎を吹き出す。
その衝撃たるや、スラスターの直上にいた2機のガンダムを飛び退かせるほどであった。フリーダム、そして、トロイメントの輝きがシャトルから別々の方向へと大きく離れた。
シャトルからは2機のジンが飛び出す。ハッチを破壊するほど強引な出撃であり、通常の出撃シークエンスを踏んでいない、非正規の機体であることは容易にうかがいしれる。2機のジンはザフト軍ではなく、トロイメントへと近づく。
「申し訳ありません。しくじりました、クルーゼ大佐」
「他の奴らは全滅です」
シホ、及びカナードの機体である。
「そうか。では、船は沈めても何ら問題ではないな」
ラウの言葉の示す通り、地球軍は着実にシャトルを包囲していた。大型シャトルは元より、先を行くはずの4隻のシャトルもまた次第に防衛のジンを失いデュエルダガーに包囲されつつあった。
殺しを嗜む訳ではないが、それと殺さないとは意味が違う。ラウ・ル・クルーゼに、ムルタ・アズラエルに躊躇など不要。すでにすべて決している。倫理、道徳、法、そのすべてを自らの行動指針に決して加えまいと。
そう、誓ったのでから。
「君たちは下がっていたまえ。この混戦具合だ。ジンではいつ誤射に巻き込まれるかわかったものではない」
「了解しました」
「私は、残した未練を拾いに行くことにしよう」
大型シャトルにライフルを向けていたデュエルダガーが横からビームで貫かれ爆発する。大型シャトルは遅れを取り戻すべく加速していたが、すでに拿捕の可能性を失した大西洋連邦軍はなおより積極的な攻撃に打って出るようになっていた。デュエルダガーを撃墜したフリーダム。そのライフルは次のデュエルダガーを撃ち抜く。
いつまでも攻撃を防ぐことができるとは考えていない。しかしグラナダからの援軍は確実に近づいているはずなのだ。たとえ分の悪い賭であったとしても、それまで耐えしのぐしか方法はない。
「逃げろ。少しでも遠くに逃げてくれ……!」
アスランの言葉は、もはや祈りにも近い。
シャトルが徐々に被弾していく。その光景は、見たことなんて一度もなくても200年以上前の鯨漁を思わせた。巨大な体に少しずつ銛が撃ち込まれて次第に弱らせていく。大きさ比べではあまりにちっぽけな人の放った銛が少しずつ、鯨の命を削っていく。
デュエルダガーの攻撃が命中する度、シャトルの装甲が貫通して黒煙が吹き出す。場所によっては吸い出された人の体が一斉に宇宙に広がる光景も目にした。
ジャスミンは動けないでいた。
「クルーゼ隊長……、私、わかりません……」
プラントの正義を信じたことなんてなかった。戦争は正義のためにするものではないと考えていた。だから何のために戦っているのかを考えなければならなくなった時、ジャスミンは誰のために戦えばいいのかわからなくなっていた。
ザフトにいる必然性もなくて、それでもクルーゼ隊長について大西洋連邦に渡る決断もできない。
「私、どうすればいいんですか……?」
誰かに聞いてもらいたい言葉ではなかった。しかし通信を通じて放たれた言葉は、確かに隊長の耳に届いていた。
「残念だがこれ以上君を説得している時間がない。できれば、手荒な真似はしたくなかったのだがね」
どこから。そんなことを考えている内に隊長のガンダムはジャスミン機のすぐ目の前にいた。反応なんてできない速さで飛んできたガンダムの拳--ライフルを持たない左腕--がジンの顔面に突き刺さりメイン・カメラが砕けて顔面がつぶれる。
コクピットにまで伝わった衝撃。不鮮明になるモニター。ジャスミンはかろうじて操縦桿を掴んでいられた。軍人として培った訓練のたまものとして体はすぐに反撃に移ろうとする。ライフルを構えて、その直後に体を強い衝撃が駆け抜けた。
一つの銃口から放たれたビームがジンの両腕を同時にもぎ取っていた。それから何をされたのかわからない。コクピット・ハッチが吹き飛んで、コクピットの中を2つに輝くガンダムの目が覗き込んでいた。
ジャスミン機の信号が途絶えた。そのことはすぐにフリーダムのモニター上に投影された。撃墜されたのだ。モニターには両腕をもぎ取られたジャスミン機から離れようとするトロイメントの姿が拡大されていた。その映像の中には、左手に握られている人らしきものも映し出されている。
「ジャスミン!」
何が何でもクルーゼ大佐はジャスミンを連れていきたいらしい。ゼフィランサス・ズールを利用するだけでは物足りないのだろう。
フリーダムを加速させた。青く輝く10枚の翼が推進力を生み、機体が加速していく。
デュエルダガーが立ちふさがる。ジャスミンをその手に握りしめたままでは大きく機動することができないであろうトロイメントは動きが鈍い。それを補うようにデュエルダガーが護衛に当たっている。
次々と放たれるビームを左右に機体を揺らしながら回避して、隙あらばビームでデュエルダガーの胴を貫く。しかし次のデュエルダガーが戦列の穴を埋め、正面からではなかなか近づくことができない。
無理にトロイメントを追いつめてクルーゼ大佐がジャスミンを見捨てないとも限らない。トロイメントが本来の機動力を発揮すれば人体など瞬く間に引き裂かれる。
「くっ……、ジャスミン……!」
デュエルダガーからの攻撃は続く。機動力に優れるフリーダムとは言え、モビル・スーツの隊列をたやすく突破できるはずもない。制限された時間の中、トロイメントの背が徐々に離れていく。
「アスラン! それ以上は危険すぎる!」
イザークのジャスティスがデュエルダガーたちめがけてビームを放ちながら近づいてくる。2機目のガンダムの登場に狙いを集中できなくなったデュエルダガーの隊列に乱れが生じ始めた。だがまだ足りていない。これでは突破できるほどの網のほつれにはつながらない。
「誰かを犠牲にしないでもすむ方法があるなら、俺はそれを諦めたくない!」
どこか一カ所でもいい。穴が開いてさえくれるならジャスミンを助けでしてみせる。フリーダムは派手な機動を切り返し、左右へ上下へと動き回る。相手の集中を分散すればどこかに穴があくはずだ。
「この馬鹿者が!」
そうは言いながらもジャスティスもまた機動を繰り返しながらビームを放つ。イザークも理解してくれているのだろう。仲間を失うことの辛さを。
デュエルダガーたちは狡猾だ。攻撃は弱く防御に集中する。なかなか隙を見せることなく時間ばかりが浪費されていく。
(ジャスミン……!)
意識ばかりが競ったのだろう。声にしようとした声が声にならない。代わりにコクピットに響いたのは電子音独特の甲高い音だった。モニターには、フリーダム、ジャスティスとはまったく別方向から飛来する機体の存在が示されていた。
「味方の識別信号?」
新たな機体の存在を、ラウもまた気づいていた。味方ではないことだけは明白である。同時に、その姿は登録されているザフト軍機のどれとも違う。
だが、顔の中央に輝くモノアイはそれがザフトの機体であることを示していた。右腕にライフル。左腕にはシールド。その灰色の姿は、ところどころYMF-X000Aドレッドノートガンダムの意匠を残している。ザフト軍が設計していた次世代機、その流れを組む機体であるらしい。
新型はデュエルダガーへとビームを放つ。それは胸部に命中し、装甲を貫通。内部から吹き出した炎は爆発となってデュエルダガーを呑み込む。ガンダムほどの火力はなくとも敵を確実に破壊できるだけの攻撃力を有している。
ザフトもビーム兵器を装備した新型の配備を始めたのだ。
ラウは彼にしては珍しく、口元をゆがめ不快感を露わとした。
「ザフトの新型か。やはりすべてがぎりぎりのタイミングか……」
10年という時間を、まもなく使い切ろうとしているのだから。
新型機による援護は、デュエルダガーの隊列を突き崩す最後の一突きとなった。3方向からの攻撃にデュエルダガーたちは反応することができず、その防衛線を維持できなくなったのである。
新型は急速に接近するなり左腕のシールド、その先端からビーム・クローとも言うべき2本の太く短いビーム・サーベルを発生させる。パイロットの腕も見事なもので、デュエルダガーのシールドをさける形で回り込むとすれ違い様、爪がデュエルダガーの胴を裂いた。
ジャスティスのイザークもまた一気に攻撃の勢いを加速させた。大型バック・パックに装備されているビーム砲を放ち敵の動きを牽制する。少しでも隙を見せた敵機はライフルのビームが貫く。
敵機の狙いが、ジャスティスと新型の2機に絞られた。
機会は今しかない。
ミノフスキー・クラフトは、これまでになかった発想の推進装置であると言えた。装甲そのものを推進器として利用するたため、その推進力は装甲の表面積に比例する。フリーダムの持つ10枚の翼はまさにそのための構造であった。鋭く、長く、そして薄い。体積ごとの表面積は極めて大きくそこから生み出される甚大な推進力はフリーダムを加速させる。この翼こそが、フリーダムの機動力を約束する。
10枚の翼が輝き、膨大な光の粒子が放出される。フリーダムはその翼を大きく広げ光を放ちながら加速する。
「もしも……」
デュエルダガーの部隊を追い抜き、さらに先へ。トロイメントを、ラウ・ル・クルーゼを捉えた。
「もしも……」
ビーム・ライフルを投げ捨てる。右手で抜いたサーベルに左手を添えて、モニターにトロイメントの姿が大きく映し出される。
「もしもあなたがまだ俺たちが敬愛していた隊長だと言うなら!」
ジャスミンを見捨てるような動きはしないはずだ。
フリーダムが迫る中、トロイメントは最後までジャスミンを見捨てようとは、その機動力を発揮しようとはしなかった。
接触する直前、アスランはミノフスキー・クラフトを切る。後は慣性だけを頼りに突き進むフリーダム。サーベルはそのすれ違いざま、トロイメントの肘を切断する。ジャスミンを握りしめたままの左腕が回転しながら宙を舞う様子を確認しながら後ろへと駆け抜けた。
まだ、まだ終わっていない。ミノフスキー・クラフトを再起動。フリーダムは宇宙という大気の助けを得られない空間でさえ何かに支えられたような動きで半回転する。上下逆さま--宇宙ではあまり関係のないことだが--になりながらも振り向き、翼から2門のビーム砲を展開。放たれたビームはトロイメントを大きく飛びのかせた。
これで諦めてくれたのだろうか。トロイメントは飛び去り、デュエルダガーの部隊もこれ以上攻撃を仕掛けてくる気配はない。
アスランは慎重に、トロイメントの左腕へと近づいた。握られたままの指をフリーダムのマニピュレーターでそっと開き、救い出したジャスミンの体をハッチのすぐ前にまで運ぶ。
戦闘中、ハッチを開ける危険性は危ぶまれたが、今はそんなことを言っていられない。ハッチを解放し、急いでジャスミンの体をコクピット内へと引き入れた。
「ジャスミン?」
パイロット・シートの上でジャスミンの体を抱き寄せながら、その体には、確かに鼓動が宿っていた。生きている。
「どうだ? 女は無事か?」
イザークからの声に左手でジャスミンを抱いたまま、右手だけで機体を動かす。
「ああ、気を失っているだけ」
「よし。援軍の到着も近い。だが油断はするな」
なるほど、クルーゼ大佐がジャスミンを諦めた訳はそこにもあるらしい。ジャスミン救出に協力してくれた新型は先駆隊であったのだろう。モニターにはまだ遠くながらザフトの艦隊が接近してくる様子が見られた。戦力は地球軍と同規模。クルーゼ隊長としてもこんなところで総力戦を演じたいとは考えていないはずだ。
後一息。後一息でみんなをプラントに返してあげられる。
「隊長、ご無事ですか……?」
ジャスティスのコクピットの中、イザークは部下の声を聞いた。シホやカナードではない。裏切りの中で唯一名前の挙がらなかったアイザックの声である。聞き違えなどするものか。
「アイザック、無事か? どこからかけている?」
「いえ……、ちょっと無理みたいです……。申し訳ありません。最後まで、足、引っ張……」
通信でさえ息が乱れていることがわかる。傷の具合など知りようもないが、そんな重傷の体を押してまで繋いだ通信が意味するところをイザークは頭から拭いきれずにいる。
「馬鹿なことを言うな!」
「これまで、ありがとうございました、隊長……!」
「アイザック! アイザック!」
被弾したのは胸。ただし、心臓に銃弾を浴びたわけではなく、出血こそ多いが即死するほどではなかった。
アイザックが警報を発したことでコクピットは混乱。反乱を起こしたクルーは多くが射殺された。見えている範囲にも死体となって浮かんでいる人々の姿が何人も見られた。その全員がザフトの軍服を身につけている。
シホとカナードは逃げることに成功したらしい。状況がよく掴めていないのだ。こんな混乱の坩堝の中で誰もアイザックに構っている余裕などない。アイザックは1人、通信機のあるアビオニクスの上に寄りかかるようにして倒れていた。
肺も一緒に傷つけられたのか、呼吸をする度に空気が抜けるような音がして、息苦しさに見舞われる。そして無理に息を深く吸おうとすると、胸に開いた傷が痛む。これまでにも兵士として傷を負ったことはあったが、傷の程度よりも、その状況の方がよほど堪える。
「シホさん……、カナード、さん……」
仲間だと思っていた。信頼のできる人だと信じていた。まだ、それは心の片隅に残る気持ちである。金だとか、そんなもののために気持ちを曲げる人たちでは決してない。
しかし、現実はこれだ。そんなことでも言ってくるように、胸が鋭く痛んだ。思わずうめくと、口に溜まっていた血が吐き出される。無重力の中、血液は水滴となって宙を漂う。
どんどん脳から血液が流れ出ているのだろう。呆然として、考えがまとまらない。残された時間の中でアイザックが考えたのは不謹慎なことに別れを告げたばかりの隊長のことではなく、意中の女性のことだった。
女性は強くて、しっかりとしていて、アイザックのような気弱な態度を見せない。あの人のそんなところに惹かれて、でも、思いを告げることなんてできなかった。そして、あの人はアイザックが好意を寄せたとおりの人で、かつての仲間にもわずかな躊躇も見せずに引き金を引く強さを持っていた。
涙が出てきたのは、痛いのか、悔しいのか、悲しいのか、それとも怖いのか。もはやアイザックにさえわからない。
「シホさん……、僕は……あなたのことが……」
好きでした。
「初めての被弾がまさか私とはな。これは賭けは私の負けのようだ」
トロイメントの左腕は綺麗に切断されている。確かに人質を抱え大きく動くことができない状況ではあったが、アスランの判断、決断は見事なものであった。
問題など何一つない。無理に挙げるとすれば、後でムウたちに一杯奢らされることになる。言い訳の一つくらい手土産に欲しいものだ。たとえば、任務は果たした、など如何だろうか。
「せめて任務だけでも果たさなければムウとエインセルに何を言われるかわかったものではないな」
スラスター出力を全開に、シャトルが離れていく。合計5隻ものシャトルの群を、では一網打尽にしてしまおう。もはや時間は残されていない。しかしプラントに地球からの物資を与えることはできない。
ラウ・ル・クルーゼは指示を出す。
「できることから、拿捕してしまいたかったのだがね。……各機、攻撃を許可する」
デュエルダガーたちの後ろに隠れていた。しかしそれは弱いということを意味はしないGAT-01A1ストライクダガー。主役というものは遅れて登場するものだと言うことだ。ランチャー・ストライカーを装備したストライクダガーの小隊はそれぞれ抱えるほどもある長大なビーム砲を背にシャトルを目指す。
火力ではデュエルダガーの比ではない。その左腰に腕で抱えられるように銃口を正面へと向けられたビーム砲は、まっすぐにシャトルのスラスターを狙っている。
すでに許しはなされた。
ラウ・ル・クルーゼ、ガンダムトロイメントもまた、その銃口に標的を招き入れた。射出される12機、すべてのユニット。大型シャトルへと飛来していく。破滅的な輝きを放ちながら。
攻撃は苛烈に、容赦なく、一斉に行われた。
ストライクダガーの放つビームは正確にスラスターに突き刺さり装甲を溶かし進んでは推進剤に引火する。燃料タンクはもはや巨大な爆弾と言って相違ない。膨れ上がった爆発はシャトル後部を完全に潰し、その圧力は前部を大きく歪ませては艦内で膨れ上がった圧力は装甲の隙間から膨大な勢いで吹き出す。
シャトルはもはや蒸気機関そのものであった。発生した圧力が、それこそ巨大な汽船を動かすほどの圧力と熱とが艦内という容器に閉じこめられ、そして吹き出した。
トロイメントがライフルを放つ。それは一つの銃口から連続して不規則な角度で次々に放たれる。12機ものユニットはビームを次々と拾い上げては、角度を曲げ軌道をねじ曲げビームを次々に大型シャトルに撃ち込んでいく。あらゆる角度からあらゆる場所にビームは撃ち込まれた。
4隻のシャトルが炎に消えた。デュエルダガーの新型にスラスターを撃ち抜かれたからだ。
大型シャトルは全身をビームで貫かれながらも形を維持していた。シャトルほど絶望的な損傷ではない。まだ誰かが生存しているかもしれない。
アスランは全身から下部を覆うほどの黒煙を吹き出し、それでも推進を続けている大型シャトルの姿に一縷の望みを抱いていた。頭では理解している。ビームであれほど攻撃されれば中では狭い空間内に幾度も爆発が発生することになる。気密区画とて破損している危険性があった。
それでも、アスランは自分の中に渦巻く嘘にすがってしまいたくなった。
薔薇の約束を果たしていない。胸にさした薔薇をまだ返していない。地上で約束した。宇宙に帰ったら薔薇を返すと、薔薇で再び籠をいっぱいにすると。
まだ返してない。返してなんていない。
ジャスミンを抱きしめたままの左腕はそのままに、アスランはシャトルへと、その右手を伸ばした。届かない。届いたところで意味などない。
ビームは全身くまなく突き刺さっていた。その火がやがて燃料、推進剤に引火することなどアスランにはわかっていた。アスランの目の前で、内部から膨れ上がった炎はシャトルを呑み込んでさらに大きな火花をあげる。その衝撃はフリーダムさえ揺さぶった。アスランの胸元を離れた薔薇の花が、延ばされたままの右手の前を、決してアスランには届かない位置で漂った。
届かない手は握りしめられる。
「俺は……、どうして誰も救うことができない!?」
コンソールを殴りつけたその腕は、心ほどには痛まなかった。