この戦争をたどろう。
始まりはC.E.67年のことである。それまでにも小規模の小競り合いは散見されているため、この年度を戦争開始の日とすることには異論も少なくない。少なくとも公式記録としてこの年は記録されている。
当初ザフト軍は開戦から一月ともたず地球軍の圧倒的戦力の前に屈服するものと考えれられていた。ところがザフト軍はモビル・スーツをいち早く投入。その技術力でして数的不利を覆し地球降下を果たした。
ここまではプラント首脳陣が思い描いた通りに進んでいた。しかし地球軍は忍耐強く、堅実であり、何より狡猾であった。
地球軍は戦争の早期終結を望むプラントをあざ笑うかのように頑なに和平交渉を拒絶。戦線を維持しながら、戦争状態を保ちながら軍備の拡充に努めた。
その最たる例が、かのガンダムであった。
モビル・スーツという兵器を鑑みた場合、それは一つの起源と2種類のルーツを持つ。どちらもユニウス・セブンにおいて、ヴァーリによって開発が進められていた。そして2人の母を持つ。
サイサリス・パパ。ゼフィランサス・ズール。
サイサリスは既存の技術を組み合わせる、あるいは発展させることを得意とした。際だった性質はなくとも安価で量産に適した機体を生み出すことに長けていた。ザフト軍の量産型モビル・スーツはその大半の基礎設計にサイサリスは関わっている。
ゼフィランサスはアイデアの人であった。極めて奇抜にして高価。しかし極めて有効な機構を感覚として選び出すことができるある種の天才であった。その特徴的すぎる技術は必ずしも理解されることはなくとも、一部からは熱烈な支持を受けた。
サイサリスはザフトで開発を続け、当初予定されていた額に比べれば安価で量産できる機体、ZGMF-1017ジンを開発。ザフト軍当初の快進撃を支えた。しかしジンは量産機のための量産機でしかなかった。拡張性に必ずしも優れている訳ではなく、何よりザフト軍には大気圏内における戦闘データ及びノウハウが致命的に不足していた。そのためザフト軍の新型機開発は遅れ、マイナー・チェンジ機に頼った戦いを続けることとなった。量産機として優れていながら、しかしそれは既存の技術をうまく利用しただけであり、新機軸の技術開発が遅れてしまったのである。
ジンは確かに戦争開始に間に合うことができた。しかし技術的革新を後回しにしたにも等しい現実はその後3年にも及ぶ開発停滞を招き、新型機を生み出す技術が揃った時にはすでに技術革新に呑み込まれてしまうこととなった。ザフト軍の輝かしい勝利を約束するはずであった新型機の多くが生まれながらの旧型機として使い捨てられた事実は象徴的である。
ゼフィランサスのガンダムは、子どものおもちゃであった。高すぎる開発予算。実用性の確約されていない新技術。開発成功さえ危ぶまれる、まさに夢の技術。そんなアイデアをゼフィランサスは次々と発案する。それらすべてを組み合わせたガンダムは、まさに夢を固めたおもちゃ以外の何者でもないはずであった。
事実、ゼフィランサスは認められなかった。
もしもユニウス・セブン時代の指導役にあたるジャン・カローロ・マニアーニが推挙しなければダムゼルに選出されることはなかった。心臓に欠陥を持つ失敗作として処分されていたことだろう。
もしも3大財団のアズラエル財団、ピスティス財団がこんな小娘に莫大な開発費の使用、あらゆる論文へのアクセス、その技術の権威に指導を仰ぐことを許さなかったとしたなら、ガンダムは生み出されることはないだろう。
ゼフィランサスは天才的ではあったが、わかりやすい天才ではなかった。覚えがよく、あらゆる概念をすぐに理解するような天才ではなかった。ただし、特定の分野への関心は極めて強く、同時に世界を見る瞳を持っていた。有能な技術者なら誰もがやがては思いついたであろうこと、それを誰よりも早く、最適な形で思いついたにすぎない。そしてそれを実現するために必要なすべて--とても10代の小娘に用意できるものではない--がムルタ・アズラエルによって与えられた。
設立直後のラタトスク社にて、ゼフィランサスはまず機動兵器という概念を生み出した。メビウス・ゼロ。ガンバレルと呼ばれる独立機動型ユニットを開発することで独立機動する兵器の可能性を世に知らしめたのである。後にメビウス・ゼロはラタトスク社の技術者が操縦性、量産性に改良を加えることでメビウスへと発展する。メビウスはモビル・スーツ登場以後も活躍を続けている。
そして、ゼフィランサスは地球軍における初めてのモビル・スーツであり、はじめてのガンダムの開発に成功した。ゼフィランサス・ナンバーズと呼ばれる3機の機体群である。
ZZ-X100GAガンダムシュテュルメント。
ZZ-X200DAガンダムトロイメント。
ZZ-X300AAフォイエリイヒガンダム。
ZZ-X100GAガンダムシュテュルメント。開発者の間では100系フレームと呼ばれている基本的な機構を備えた機体、その初号機とも言える機体である。その特徴は構造の単純さゆえの頑強さ、及び換装機構はすでにこの機体に採用されていた。
このガンダムによって得られた技術、及びノウハウはGAT-X102デュエルガンダムにまず活かされた。単純ながらもモビル・スーツに必要なすべての機構を備えた試作機であった。GAT-X103バスターガンダムはモビル・スーツのおける大出力ビーム、及びレールガンの運用試験のために開発された。GAT-X105ストライクガンダムは換装機構をより汎用性の拡張に寄与させることを期待して試作された。
ZZ-200DAガンダムトロイメント。膜構造を形成するミノフスキー粒子の性質を利用し、ビームを弾く特殊な機構を採用した。ミノフスキー粒子の性質の応用範囲を確認するための実験機としての性質が大きく、この機構はGAT-X207ブリッツガンダムへとステルス機構として受け継がれている。しかしビームを弾くほどのミノフスキー粒子の膜構造--Iフィールド--は多大なエネルギーを必要とする。その扱いにくさからも量産機への採用はよりロー・コストのステルス機構さえ見送られた。
ZZ-X300AAフォイエリヒガンダム。300系フレームの最大の特徴は可変機構である。機体の性質を一変させるという100系フレームとは正反対の汎用性を追求した。この機構はムーバブル・フレームと呼ばれる骨格と駆動系の機能を併せ持つフレームによってより拡張性の高い柔軟な設計によって可能となった。GAT-X303イージスガンダムに試験的に採用されたこの機構は200系フレームと同様、高コスト、操縦の複雑さから量産は見送られている。
ゼフィランサスが生み出したゼフィランサス・ナンバーズ。ヘリオポリスで開発が進められていたGATシリーズにはゼフィランサスを中心としながらもラタトスク社の技術者が多く参与している。ゼフィランサスがガンダムを開発し、そのノウハウを受け継ぐことで量産機開発の弾みとしたのである。
ジンは当初から量産化を前提に開発され、結果新たな機体へと発展することが拒まれてしまった。
ガンダムは量産化を前提とせず、新技術の試作、開発に重きが置かれた試作機であった。
姿形こそ同じながら、しかしプラントと大西洋連邦軍とでは正反対の設計思想が採用されていたのである。
サイサリスはバランス調整の達人であった。
モビル・スーツとは壮大なパズルに他ならない。より高性能のバッテリーを搭載しよう。するとそれは重く機動力を低減させてしまう。ならばスラスター出力を上げる。すると推進剤が余計に必要になりタンクの増設が必要になる。タンクの増設はやはり機動力を低下させる原因となる。重いから出力を上げ、出力を上げると重くなる。そんな鼬ごっこの調整を終えた頃には、高性能バッテリーの出力では物足りなくなってしまうかもしれない。
形状はどうする。製造されている機器では、装甲というケースの中に収まりきらないかもしれない。特注するか。しかしそんなことを繰り返していればコストがかさみ、量産体制を築き上げるまでに時間とコストを必要としてしまう。
必要なのは最適解。機動力を高めるためには装甲を削る必要があるのなら、装甲をぶ厚くすることで機動力が損なわれてしまうのなら、必要なのは十分な機動力と装甲を確保できる最大公約数。
それを探そう。巨費を投じて試作機を造っては潰し、造っては潰す。開発とはその繰り返し。その果てに手に入れたノウハウを重ねることでようやく一つの答えにたどり着く。
だがサイサリスは違っていた。サイサリスには見えていた。どのような配置が許されるのか三次元で脳裏に描き、量産体制が整ったパーツをパズルのように組み合わせて巨人の人形を作り上げる。それは予定していたよりも遙かに安価で量産に適したものとして出来上がる。
装甲というガラス・ケースに仕舞われた工芸品が出来上がる。
ゼフィランサスは何も考えていなかった。ただ思いつく。この現象とこの構造を組み合わせれば優秀な兵器が生み出せる。それを実現できる機械はありません。では造りなさい。予算がかさみます。かまいません。理論構築が未完成です。数学と物理学の権威を連れて来なさい。生産性が皆無です。そんなことを気にしていたなら思い描いたものを実現できません。
いいから造りなさい。バランス、コスト、生産性に操縦性、兵器として本来想定していなければならないすべてが邪魔です。ゼフィランサスが描いた、誰も思いつくことさえできなかった、兵器ではなく武器を生み出すためには。
そうして、無茶と無謀、浪費と散財を繰り返した末にそれは生み出された。
世界に新たな革新をもたらす兵器の名は、ガンダム。
サイサリスは枠の中にすべてを納めることを得意とした。故に、枠を踏み越えることを苦手とした。ゼフィランサスは枠など一切考えていなかった。自由奔放に生み出された機体は、そのため自由にその可能性を広げた。
ザフトは新型機の開発が遅れ、地球軍は素早く新技術に対応した。その違いはそれぞれの技術者の設計思想にまで遡ることができるのである。
C.E.61.2.14。この日を始まりの日とみなす者は多い。血のバレンタイン事件によって確実に戦争へと両勢力は舵を切った。ナチュラルとコーディネーターの決別が決定的になった日であるとすることもできる。
また、モビル・スーツ開発史に確実に名を残すであろう2人の技術者がその参加する勢力を決めた日でもあった。
すでに10年も前にすべてが始まっていたのである。
ザフト軍のモビル・スーツ開発の遅れも、約束された技術の革新がザフト軍を震え上がらせ地球軍の反撃を許すことさえ、10年も前から定められていた。
プラント型コロニーはその形状から砂時計と呼ばれている。二つの三角錐を上下逆さまに繋ぎ合わせた外観。砂の底に居住区が広がり、外周部分は採光のため硬質ガラスで覆われているその様はまさに宇宙に浮かぶ巨大な砂時計であった。
宇宙の漆黒に漂う砂時計の群。本来核など大げさであり、重火器程度で破壊することが可能な仮初めの大地。これこそが国土を持たない国家、プラントの姿そのものなのである。
ここで人は生まれ、あるいは作られ、建国わずか40年に満たない国家を形作る。
総人口約2500万。地球と比べたなら実に240分の1。国力に関して言えば大西洋連邦軍一国と比べてさえ10倍もの開きを有する。このような国家が地球降下を成し遂げるなど一体誰が想像したことだろう。
わずか4年前、プラントの民兵組織から発展をみた国軍ザフトはモビル・スーツを実戦に投入。宇宙において大規模戦闘の経験に乏しい各国宇宙軍を圧倒する形で快進撃を続けた。エイプリルフール・クライシス、ニュートロン・ジャマーによる災禍に見回れた地球にさらなる損害を与え続けた。
その後プラントは和睦を申し出る。それは身勝手で虫の良い話であったのかもしれない。10億もの人的被害を地球に与え、資源確保のために地上に拠点を持った。欲しいものはすべて奪った。よって戦いはもうやめよう。そんな理屈は認められるはずもなかった。
ブルー・コスモス。この反コーディネーターを謳う思想団体の影がなかった訳ではない。しかしブルー・コスモスが世界的に政治的影響力をふるうことができる理由は、すなわち世界的に支持されているからに他ならない。
コーディネーターは危険である。この言葉は皮肉なことにコーディネーターの国家によって証明されてしまったのである。
そしてC.E.71年。プラントは地球軍の侵攻を最悪に最悪を重ね最悪を上塗りした形で迎え撃とうとしていた。
地球軍の侵攻を予測していくつもの過程を立てた。艦隊の規模は、攻撃の規模は、そしていつ来るのか。少なく見積もる、多く見積もる。あるいは長く、短く。地球軍はすべてにおいて最悪であった。
ザフトが予想した最大規模の艦隊による最大規模の攻撃を、もっとも短い時間しか与えることなく向かわせたのである。
プラントを滅ぼす。その意志を悪意的と呼べるほど明確に示しながら。
アーク・エンジェル。ブリッジ。艦長席。
これまでに幾度となく腰掛け、戦闘を繰り返してきた。しかしいつでもまるで初めて座ったかのような感覚に襲われることがある。同じ戦場などありえない。これが戦争なのかと、ナタル・バジルールは自身のたどった奇妙な経験を思い起こしていた。
技術士官としてガンダムの開発に携わった。モルゲンレーテ社から機密事項に触れるからと開発終盤にチームから追い出されるまで有意義な時間をすごした。アイリス・インディアの護衛を任されたのはちょうどそんな時だったか。中立国のコロニーを歩き回るには硝煙の臭い漂わせる兵科士官よりも技術屋の方がいいだろう。上官にそんなことを言われた時、軍規には人一倍厳しいつもりでいた自分は苦笑したことを覚えている。
そんな自分が軍規どころか国さえ裏切り、何故か艦長席に座っている。こんなことを誰が予想したことだろう。
「私とゼフィランサス主任との出会いは、ヘリオポリス、工場に偽装した工廠でのことだった」
思わず口からこぼれた言葉に、すでに持ち場についていたクルーたちがそろって反応を見せた。椅子ごと振り向きナタルの方を見たのである。
クルーの顔ぶれはずいぶんと変わってしまった。1人は戦死し、1人は艦を降りた。1人は戦闘機のパイロットに転向し、艦長の交代さえあった。
「最初はとてもではないが技術者には見えなかった。それもいざ仕事に取りかかる前のことだ。ゼフィランサス主任の技術は素晴らしいものだった」
発想がユニークで何より斬新であった。技術者としてもしかしたら自分にも思いつけたかもしれない。しかし思いつくことは決してできなかった。同時に新しい技術が生み出される様を目撃するという高揚感があった。なんとも心地よい悔しさであったと記憶している。
思い出は人それぞれにあるようだ。事実上の副艦長であるダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世は後からの合流組としての体験を口にする。
「新造艦であるアーク・エンジェルの行く先が中立地帯で、しかもそこで兵器開発をしていると聞かされた時は驚いたものです」
「そうだな。フレイには悪いが、オーブとしても旨味があった。裏でプラントと繋がっていた。ガンダムの開発に協力するふりをしながらいずれは盗用した技術を流すつもりでいたのだろう。だが、それさえもブルー・コスモスの思うつぼだったとは笑えない話のように思える」
こんなことはこのブリッジでは常識かと考えていたが、少なくとも1人は違うらしい。レーダー管制を担当するマユラ・ラバッツは大げさなほど首を傾げて見せた。隣のアサギ・コードウェルはやはり大きくため息をついて話し出し、さらに隣のジュリ・ウー・ニェンが引き継いだ。
「元々オーブに攻撃する切っ掛けが欲しかったのよ、ブルー・コスモスは」
「そうそう。だからザフトにわざと盗ませるはずだった技術をオーブにも盗ませて、その上で技術を奪った、だから攻めますなんて話にしたの」
「ガンダムの情報は意図的にリークもされていた。はじめから敵に渡すつもりだった技術でオーブ侵攻の口実も作り出す。ムルタ・アズラエルは本当にしたたかだ」
ヘリオポリス襲撃の陣頭指揮をとったラウ・ル・クルーゼがムルタ・アズラエルであったと知った時には背筋が凍る思いであった。
「これまでに様々なことがあったが、そのすべてムルタ・アズラエルの手のひらの上だったとは、いい気持ちはしないな」
「すべてではありません、艦長。少なくとも私たちがこうして戦っているのは自分の意志であるはずです」
副艦長とはこんな人のことを言うのだろうか。ダリダがもしかしたら意図せずにかけてくれた言葉は、思いの外ナタルの気分を押し留まらせた。意外だと考えたのはナタルだけではないようで、3人娘も何か珍しいものでも見ているような眼差しでダリダのことを見ていた。とうのダリダに気づいた様子はないが。
ナタルが戦う理由。それは、決してご大層なものではなかった。
「ゼフィランサス主任のことは尊敬していた。アイリスのことは大切に思っている。さすがに国を捨てたことに後悔はないかと聞かれればためらうことだろうが、それでも後悔はないと結論づけることが出来る自信がある。ヴァーリの少女たちの戦いを、私は見届けたい」
ダリダは愛用のサングラスを磨き始めた。
「私は元々事務職の人間です。そんな私がアーク・エンジェルに乗っているのは目立たないから引き抜いても急進派に気づかれにくいという打算があったのでしょう。そんな私が何を間違ったか歴史の転換点のただ中にいる。本音を言うなら、年甲斐もなく胸が高ぶっています」
アサギは大きく手を伸ばして伸びをする。
「私たち、別にそんな大層なこと考えてるんじゃないんですよね。ただ、アラスカじゃ、たくさんの仲間がいなくなっちゃって……」
ジュリは眼鏡の位置を直していた。
「艦長さんイケメンだったのにね」
マユラは何やら照れくさそうに頬をかいていた。
「仲間の死が犬死にでなかったことの証明のために、なんて言ったら格好つけすぎだと思いますけど……。それでも見てみたいんですよ。この戦いがどんな終わり方を迎えるのかって」
そんな部下たちの何でもない、些細な動きについ気をとられた。神経が過敏になっているのか、あるいは緊張ゆえか。これほどの大規模戦闘はすでに260年も前になる第二次世界大戦以来行われてはこなかった。今生きている人の中でこれ以上の戦闘を体験した者などいないのだ。
警報音が鳴り響く。突然にして些細なことがブリッジの空気を一変させた。クルーたちが一斉に椅子を回し仕事に戻る。ナタルが立ち上げた手元のモニターには三次元投影図に敵の侵攻ルートが表示されていた。ボアズ戦以上の数と規模だ。
「艦長、予想通りですね。ザフトの想定した最大規模の戦力を最悪のタイミングで最悪の針路で向かってきます」
「それは喜ばしいことだな。いつも予想の一つ上をいかれてばかりだったからな」
「確かに」
ナタルがつい笑みをこぼすと、ダリダもつられて笑う。付き合いの悪い3人娘がようやく笑ってくれたのは、フレイ・アルスターが慌てた様子でブリッジに駆け込んだ時であった。
「すいません、遅れました!」
はてさて、この若者は戦闘が近いにも関わらず何をしていたのか。操舵手からパイロットに転向した青年はこの娘の師匠にあたる。戦闘が始まる直前、よくブリッジでフレイにアドバイスする彼の姿が見受けられたが、今はない。にもかかわらずフレイは不安げな様子を見せることなく舵の前に立つ。
さて、それはなぜだろうか。理由を思いついたクルーたちな苦笑混じりに微笑みながら少女の後ろ姿を眺めた。アーク・エンジェルが動きだしエンジンの振動が体をふるわす間際まで。
敵艦隊を確認。その一報がザフト全軍に伝えられた途端、宙域は戦いの空気に包まれた。
格納庫の奥にこもっていたモビル・スーツたちが一斉に出撃し、燐光を空に瞬かせた。前哨戦として先発隊同士の戦闘はすでに開始していると聞かされている。
地球軍は総掛かり。大部分の戦力をこの攻撃に集中している。まるで何かに急かされているかのようにプラントを攻め滅ぼそうとしている。
ディアッカ・エルスマンは苛立ち混じりに吐き捨てた。
「いきなり総力戦かよ。普通要塞一つ攻め落とすのにもっと時間かけるもんじゃないのか?」
敵が全力を傾けてくる以上、戦力を温存するだとか悠長なことは言ってられない。ヘルメットを抱え、ディアッカは格納庫へと飛び出す。元々アーク・エンジェルは積載量の割に積まれたモビル・スーツの数は多くはない。ガンダムという整備性の悪い機体ばかりで運用を考えた場合、数を稼ぐことができないのだ。そのため、愛機--GAT-X207SRネロブリッツ--は格納庫出入り口のすぐ脇に置かれていた。無重力ではあまり意味のないことだがキャット・ウォークがコクピット前まで伸びていて乗降も簡単だ。
ネロブリッツの隣にはGAT-X303AAロッソイージスガンダムが置かれている。パイロットであるアイリス・インディアはザフト軍一般兵のノーマル・スーツ姿でディアッカのすぐ脇に立った。キャット・ウォークから突き出た通路の上、どちらのガンダムに乗るかは右に行くか左に行くかの違いくらいしかない。
「アイリス、敵は力任せだ。おまけに核がいつ飛んでくるかわからない。警戒は怠るなよ」
「エインセルさんたち、ここまでしてもプラントを滅ぼしたいんですね」
「まあ、わからないでもないけどな」
「ジャスミン姉さんのこと、あまり引きずらない方がいいですよ、ディアッカさん」
思わずアイリスの顔を見てしまう。この時ディアッカはきっと驚いたような顔をしていのだろう。瞼の筋肉から目を見開いたことだけはわかる。アイリスは優しい奴なんだと思う。それなのに、人の生き死に対して鈍感になりがちだ。人の痛みをわかってあげられる人が人の命を軽く捉えている。そんな落差はついディアッカにアイリスのことを見つめさせた。
「ディアッカさん?」
「いや……」
見過ぎてしまっていた。目をそらそうとしてもどうしても視線はアイリスに戻った。
「なあ、アイリス……」
桃色の綺麗な髪だ。三つ編みもとてもよく似合っていて、やはりラクス・クラインとは雰囲気が違う。温室に飾られた花もいいだろうが、野に咲く花にも良さはある。ディアッカの手は吸い寄せられたようにアイリスの髪に触れていた。
「どうしたんですか?」
「……いや、髪にゴミがついてた」
慌てて手を引き戻す。もちろん、ゴミなんてついてなかった。それでもさもゴミを掴んだように手を握って振って見せた。こんなことでも誤魔化せたようだ。アイリスは特に気にしたそぶりもなくロッソイージスの上に飛び上がった。ディアッカもまたネロブリッツのハッチへと飛び移る。
出撃を前に何か気の利いた台詞の一つでも言えればといろいろと考えてはいたが、どの候補も結局言えず終いだ。
「ディアッカさん」
ロッソイージスのコクピットは胸部にある。そのため斜め上から見下ろされる形でディアッカはアイリスを見上げた。
「気をつけてくださいね」
「ああ……」
激戦を前に不安になっているわけではないのだろう。その証拠にアイリスは微笑んでいた。ただちょっとした気遣いを見せただけなのだ。死や戦うことへの恐怖心がなくて、戦うことそのものにさえ慣れが出てきてしまっている。今のアイリスは歴戦の勇士と何も変わらない。激しい戦いさえ意気揚々と挑んでしまう。問題は、それだけの実力は決して伴っていないこと。
(後は……)
最悪の可能性を、ディアッカは意識して頭から追い出した。
手を振って何事もなかったように返事をしておく。
「アイリスも無茶するなよ。どうせスコアじゃキラの一人勝ちだろうからな」
地球軍、ザフト軍両軍の戦艦からモビル・スーツが出撃する。後にヤキン・ドゥーエ攻略戦--あるいは防衛戦--と呼ばれることになる戦闘が始まったのである。4年前、開戦当初行われたルウム宙域における会戦--通称ルウム戦役--以来の大規模戦闘が始まったのである。
この戦いの光景は、この足かけ5年にも渡る戦争を象徴していた。
ザフトによって初めて実戦に投入されたという人型という奇妙な兵器が両軍から押し寄せる。その手には大西洋連邦によって実用化されたビーム・ライフルが両軍揃いで握られていた。
モビル・スーツのための戦争。この光景こそがこの戦争を象徴していた。
ミノフスキー粒子によってレーダーの信頼性が著しく低減した現在、戦艦の攻撃は的を捉えることができない。正確な距離を計ることが難しく、その針路を計測することも不可能に近い。誘導兵器にしてもミノフスキー粒子の影響から安定とはほど遠い運用を余儀なくされている。
そのため、会敵距離は従来想定されているものに比べたなら異常と言えるほど近くなった。戦艦でさえ前線に立たなければならない。しかしモビル・スーツの装備するビームは戦艦の分厚い装甲さえ貫通する。戦艦は前に出ることさえ危険すぎる。
すると、戦いは自然と戦艦を後方に、モビル・スーツを主力として展開するという図式がとられた。戦いの始まりを告げる砲声は聞こえない。ただモビル・スーツたちのスラスターの輝きが光の帯を描き出し、それが2列平行に走っていた。それは面を向けて接近し、やがて、戦闘が始まった。
帯の間に突如あまたの光が交差して、それは宇宙を埋め尽くさんほどの輝きを放つ。現在の戦いにおいて一方的な戦闘というものは起こりえない。すべての者がビームの射程内で殺し合いを演じている。
ミノフスキー粒子の影響をうけにくいほどの距離。ビームの有効射程。その両者は不気味な共鳴を見せて一致していた。まるで、その箱庭の世界の中で人に傷つけ合うことを強要するかのように。
モビル・スーツの戦争であった。
GAT-01デュエルダガーの放ったビームがZGMF-1017ジンの胸部装甲をたやすく貫通する。ZGMF-600ゲイツの左腕のシールド先端に輝く2本のビーム・クローはデュエルダガーの胴を刺し貫く。あるいは、エール・ストライカーを装備したGAT-01A1ストライクダガーのビーム・ライフルがゲイツを撃墜する。そしてソード・ストライカー、ランチャー・ストライカーを装備したストライクダガーが押し寄せる。
ザフト軍にとってこの戦いは勝利を約束されない。戦力が違いすぎる。できることと言えば時間を稼ぐこと。迫り来る敵を押し返し指導部が外交のカードを掴むまで戦い続けること。分の悪い賭けだが、負ければすべてを奪われる。
逃げるべきところなどない。帰る場所を守るために。
地球軍もまた帰る場所を守るために戦っていた。この戦争はかつて宗主国と植民地との利権争いでしかなかった。それが大きく様変わりしたのは他ならぬエイプリルフール・クライシスの日をその境とする。プラントと関わりを持たぬ国も、コーディネーターを容認する国でさえかまうことなく標的としたのである。
地球は学んだ。宇宙のコーディネーターは故なく地球のすべてを標的とすると。その大多数がナチュラルであるというだけで。コーディネーターにとって差別的選民思想は地球を攻撃するに十分な理由であるのだと。
地球軍は大西洋連邦を中心としてユーラシア連邦、赤道同盟が軍を派遣している。門戸を開き軍内の国籍条項を緩和。他国からの志願兵を柔軟に受け入れていた。アーク・エンジェルでオーブ籍の若者の志願が容易に受け入れられたのはそれ故である。
隊列には東アジア共和国、大洋州連合、南アフリカ統一機構、南アメリカ合衆国からの志願兵が加わり、オーブから徴用されたモビル・スーツ、ORB-M1アストレイさえ少数ながら見られた。
すでに地球対プラントの構図は完成しているのである。それはすなわち、地球の人々のプラントを憎む心が個人の域にまで浸透していることを意味していた。
戦争は国家と国家の争いである。しかし、戦場を拡大して眺めた場合、そこには個人の戦いがちりばめられている。
GAT-X105ストライクガンダム。地球製モビル・スーツの事実上の先駆けとして記憶されているこの機体を改修したカガリ・ユラ・アスハの機体は、その鮮やかな赤色からストライクルージュと呼称されている。バック・パックにはI.W.S.P、重火器を搭載した重武装エール・ストライカーとも言うべきストライカーを装備。左腕に装備されたガトリング・ガンが膨大な数の弾丸を吐き出していた。
標的とされたストライクダガーに弾丸が次々と突き刺さる。火花を散らしながら弾が装甲の内側へと入り込み、駆動系を直撃したのかストライクダガーは痙攣を起こしたように体を震わせた末爆発する。
敵機を撃墜。しかしカガリに喜びの色はない。これですでに5機目。しかし敵は次から次へと押し寄せる。
接近する敵小隊にビーム・ライフルで牽制する。ところが、こちらが1発撃ち込む間に敵は合計で5発は撃ち返してくる。ガンダムとは言えビームの直撃に耐えることはできない。カガリは舌打ちしながら機体を逃がす必要があった。
一息つく暇もない。すぐさまストライクダガーがビーム・サーベルを振り下ろす。ガトリング装備型のシールドで受け止めようと、シールド表面はすぐに溶解--ビームの高熱に耐える素材は存在しない--を始める。ストライクダガーの腹を蹴り飛ばし強引に距離を開ける。即座にビームを撃ち込んだ。
撃墜を確認している余裕さえない。
ランチャー・ストライカーを装備した敵機が2機、こちらを狙っている。まずは1機。ビームの狙撃は敵の胸部を確実に捉えた。銃身の冷却とエネルギー充填のため連続して撃つことができない間、I.W.S.Pに装備されたキャノン砲を放つ。コンマ1秒の差で敵を撃墜できる、そのはずだった。しかし、狙いはわずかにそれた。右腕を撃ち抜くことはできても、ランチャー・ストライカーはその銃身を主に左腕で扱う。十分な攻撃力を残した敵は手酷い反撃を食らわせてきた。
何も考えずにバック・ブーストを噴かせた。体が無理に押し上げられる感覚も、ビームの直撃に比べればましなものだ。しかし敵はすででソード・ストライカーを装備した別の機体が大剣を振りかざしていた。
ソードを防げばランチャーが狙い、ランチャーを撃ち抜けば斬り伏せられる。
ロックオン・サイトが捉えているのは先から対戦していたランチャーの方である。ビーム・ライフルの引き金を引く。大砲に比べたならライフルの方が手早く冷却できるに決まっている。ランチャーは次弾を放つことなく胸部を撃ち抜かれた。
そして、斬りかかるソードには、横から割り込んできたミサイルが直撃した。小型ミサイルは小さな爆発を引き起こす。それは片足をもぎ取り、確実にストライクダガーの体勢を崩した。
ガトリング・ガンを文字通り突き出す。それは太い槍のようにストライクダガーの腹へと激突し、回転する銃身が腹部装甲との間に摩擦による火花を散らしながら弾丸を貫通させていく。爆発に巻き込まれるのはごめんと、蹴り飛ばし、ストライクルージュは爆発するソード・ストライクダガーを離れた。
援護の正体はすでにモニターに映し出されている。同じ戦艦に所属しているコスモグラスパーであった。
「恩に着るぞ、アーノルド・ノイマン」
戦闘中であるため音声のみ。それでも堅物--面識に乏しく、あくまでイメージだが--の少尉殿の瞬きさえ惜しんだ真剣な顔は想像できた。
「これから訪れるであろう危機のたった一つをかわす手助けをしただけのこと。次が来ます」
まだ戦闘は始まったばかり。敵は次から次へと湧き出て、カガリはつい仲間のことを思い浮かべた。
「イザーク、貴様はどこにいる……?」
ボアズ戦において撃墜は確認されなかった未帰還のパイロットがいた。
仲間を求めたことはは弱気ではなく、戦力を厳然と分析した上での必要戦力であるからにすぎない。少なくともカガリは後者と判断し、自らを奮い立たせる意味でもアクセルを力強く踏み込んだ。
この戦いは誰にとっても勝ち戦にはなり得ない。
ザフトは戦力面で圧倒的に劣っている。勝利を掴むことは難しい。
地球はすでに10億、この戦争での戦死者数以上の民をエイプリルフール・クライシスで失っている。
この戦争は誰もが望まず、そして誰に対しても勝利をもたらすことはない。
ラウ・ル・クルーゼ率いる1個連隊の戦いは、まさに敗北を前提とした戦いであった。ボアズに至る宙域にて敵特攻隊の奇襲に遭遇。艦隊の再編を余儀なくされた。結果、全軍が足並みをそろえる形で当初計画よりも進行を遅らせざるを得なかったのである。
すでに敗北し、故に勝利はなく、汚名を返上する機会のみが与えられている。
ZZ-X200DAガンダムトロイメントを筆頭に、2機のガンダム、多数のストライクダガーがその後ろに続く。ラウ・ル・クルーゼ大佐陣頭指揮の下、この部隊は敵を蹴散らし、その勢いを一切殺すことなく進軍を続けていた。
トロイメントの放つビーム。それは屈折し、湾曲し、あらぬ方向からザフトの機体を撃ち抜いていく。
「我々が敵に手こずったため、進軍は遅れた。足手まといの汚名を返上したくば、覚悟と力を示せ!」
GAT-X1022ブルデュエルガンダム、カズイは率先して前へと出ようとする。増設されたスラスターの勢いに頼った突進で瞬く間に距離を詰め、ビーム・サーベルでゲイツの胴を裂く。続けざまにジンの胸部へと突き立てたサーベルを引き倒し、ビームは胴を縦に引き裂きながら足さえも両断する。
GAT-X103APヴェルデバスターガンダム、ロベリア・リマはトロイメントから離れようとはしなかった。肩越しに担ぐ2門のレールガン。両腕のビーム・ライフル。絶大な火力を頼りにトロイメントの補佐に務めていた。
そして、ブーステッドマンたちが思い思いのストライカーによってザフト軍を駆逐していく。
遙か前方にヤキン・ドゥーエ、ザフト軍最終要塞の姿があった。ボアズ同様資源衛星を改造したそのたたずまいは宇宙の岩石という出で立ちである。しかし多数の開口部からは光が漏れ、周囲には多数の戦艦が展開している。その姿は神々しくもあり、ザフト軍には堅牢なる砦としての威光を、地球軍には打ち倒すべき巨石としてたたずんでいる。
「ロベリア、君とカズイはヤキン・ドゥーエを目指すことはない。後方の部隊と連携し、周辺宙域で敵の動きを抑えろ」
通信を繋いだラウの言葉に、ロベリアは口を尖らせた。モニターは表示されていない。ラウからでは確認はできないが、年頃の娘というものは得てしてそういうものだ。ラウはトロイメントの特殊な銃口をしたライフルから多数の方向へとビームを発射しながら、冷静に言葉を続けた。
「次にまた意識障害が起これば助けられん。母艦からはできる限り離れるな。生き残ることも兵の仕事の内だ」
なかなか返事がない。ロベリアは兵士としてはまだまだ未熟な点が多いが、命令違反をするような娘ではない。この反応の鈍さは違和感を禁じ得ない。
ブルデュエルがゲイツを切り裂きながら、そんな戦果とはあまりに不釣り合いな抑揚でカズイの声が聞こえた。
「ロベリアはラウさんのことが心配なんだよ」
一瞬、攻撃の手を休めてしまったほどだ。まさか機体性能、実戦経験、実力に劣るロベリアに気遣われていたとは、ラウはつい口元を歪めた。
「自分を出来損ないだと卑下していたヴァーリが、ずいぶんたくましくなったものだな」
ラウには伴侶さえいないが、娘を持つとはこんな気分なのだろうか。エインセル・ハンターがヒメノカリス・ホテルを娘として引き取った当時は理解できなかった。今度娘を持つ父の気分というものを聞かせてもらうこととしよう。
「まずは自分の心配をしろ。この戦い、厳しいものになるだろう」
「無事に帰ってきてくれますよね……?」
まるで捨てられた子犬のように不安げな声を出す。友であるエインセル、ムウの2人からでさえこれほど心配されたことなどなかった。何とも面はゆい限りだ。
ゲイツの2個小隊相当戦力--6機--がこちらへと向かっていた。程良い数とタイミングである。
トロイメントに与えられた力。ナイトゴーントを12機すべて解放する。ナイトゴーントは光り輝きながら飛び回り、トロイメントのビーム、ゲイツの放ったビームさえすべて受け止め、折り曲げながら屈折を続ける。まさに結界だろう。ナイトゴーントによって取り囲まれる空間内でビームは幾たびも屈折を繰り返し、あらゆる方向からゲイツの一団を貫いてく。
6機ものゲイツは瞬く間に全身を焼き尽くされ爆発した。
十分な示威にはなったことだろう。
「約束しよう。だからロベリア、君には帰るべき場所を守っていてもらいたい。頼めるかね?」
「は、はい!」
お世辞にも格式高いとは言えないが、悪くはない返事だ。
「部隊を二つに分ける。ダンタリオン隊からシャックス隊は私に続け! 残りは戦線の維持に務めよ!」
「了解!」
部隊長からの返事が重なり聞こえる。
トロイメントは敵の群へと加速を続け、機動力に優れるエール・ストライカーを装備したストライクダガーがその後に続く。
「ラミアス艦長、ザフト軍の不自然な挙動は逐一報告しろ。エインセル麾下の部隊からの連絡も密にとり続けろ」
「了解しました」
通信の間にも壁となったザフトがビームを次々と放つ。その合間をくぐり抜け、トロイメントはさらに加速する。
「君には複雑なことだろうが、この戦い、間違いなく地球のためのものとなる。そのため、ムルタ・アズラエルは10年をかけた!」
トロイメントの放つビームが、ゲイツの一団を吹き飛ばす。
戦いは各所で行われていた。それはヤキン・ドゥーエの司令室からでもうかがうことはたやすい。
「N-35、及びW-27より敵大隊接近! Eより未確認情報あり!」
「第1連隊損害拡大。応援要請!」
すでに報告は意味をなくしている。想定されていたあらゆ方向から敵は攻めてきている。どこに敵がいないのかを口にする方がたやすいほどだ。被害の出ていない部隊、応援を必要としていない部隊などあるものか。
最高指揮官であるパトリック・ザラ議長は憮然とした表情のまま、司令室の最後列、最も高いフロアに用意された椅子に腰掛けたまま、戦略図を眺めていた。どこまかしくも損害を示して赤く、敵の侵攻を示す矢印がいくつも描かれている。
しかし、パトリック議長は顔色一つ変えることなく戦場を眺め続けていた。
「指揮はとられずともよろしいのですか?」
「レイ・ユウキか」
パトリックの後ろに立ったのはスーツ姿の男、公安を職務とするレイ・ユウキであった。機密に関わる捜査--プレア・ニコル流出事件など--を担当させるために公安部署内に飼っていたこの男は確かに機密漏洩防止には役だった。しかし、裏切り者であるゼフィランサス・ズールの確保には失敗するなどその能力を疑い始めている。
「私は軍人ではない。もっとも、ザフトには職業軍人と呼べる者などそもそもいないのだがな。まだ若い国なのだ、プラントはな」
「確かに報告の大半は意味を持ちません。あらゆる方向から敵が攻めてくる。それだけのこと」
くだらない時間を過ごす話し相手としてもこの男は不足であるようだ。パトリックは喉を震わせた。
「プレア・ニコル漏洩の直接の責任はないとは言え、ズールを取り逃がしたのは貴様の責であろう」
「返す言葉もございません」
「心にもないことを抜かすな」
少しは恫喝にでもなるかと考えたが、このレイ・ユウキという男は動じることはなかった。しかし不機嫌は伝わったのだろう。これ以上話しかけてくることもなく、パトリックは再び大型モニターに映し出される戦略図、及び無意味な報告をただ口やかましく言い続けるオペレーターたちを眺めることに戻る。
(無駄なのだ、この戦いはすべてがな……)
神は、まずすべてを無に帰した上で新たな世界を創造する。創世の時、従来の世界はそのすべてが意味をなくすのだ。
人は1人じゃない。この言葉が何を意味しているのかによって解釈は異なるが、少なくともアスラン・ザラは1人であった。ノーマル・スーツを着込み、コクピットに座る時、必ず1人になる。もしかしたらこの世界はこのコクピットの中しか存在しなくて、映像も通信もすべて偽物。この世界にはアスランしか存在していないのではないか。そんな馬鹿げた空想に襲われることもあった。
モニターにはラクス・クラインの笑顔が映っている。これは紛れもなく本物だ。
「ラクス……」
話すべきか、それともよした方がいいのか。アスランは悩みながら、しかしラクスの微笑みはすべてを受け入れてくれる気がした。
「俺は地球で兵士に出会った。彼はエイプリルフール・クライシスで家族を失い、復讐のために戦っている人だった。俺たちプラントのために大切な人を失った人だった」
乾いた大地で敵と味方として出会い、やはり敵と味方として別れた。そう、彼は敵だった。同じ人でありながら殺し合わなければならない敵だった。
「正しいことのために戦っているつもりだった。正しいことのために戦ってるんだって思いこもうとした。犠牲をなくすために戦えないかって足掻いてもみた……。俺が敵を殺さなければその敵が仲間を殺す。俺が敵を殺したならそれがそのまま犠牲者に数えられる。結局誰かが傷ついて死んでいく……」
アスランが出撃しなかったなら敵が味方を殺す。出撃したならアスランが敵を殺す。結局何も変わっていない。モーガン・シュバリエと、あの人と出会う以前としていることは何も変わらない。敵のことを知っただけ胸が苦しくなった。
「アスラン」
ラクスの凛々しくも優しい微笑みに、何を期待しているのだろう。それはきっと、ラクスならすべてを知っているような、すべてを受け入れてくれるような強さ故だろう。何かを期待せざるにはいられない。
「私はあなたに正しい道を示して上げることなんてできません。それでも、あなたの決意を後押しすることならできます」
「それでもラクス、きっと君は俺の光なんだと思う。だから、俺を導いて欲しい」
「アスランが望まれるのでしたら」
アスラン・ザラとラクス・クラインに選ばれた。2人が一緒にいることは当然のことでして、それにどれほど支えられたことか。モニターに映し出されているラクスへと、アスランは自然な様子で微笑みかけた。
「行ってくるよ、ラクス。俺は1人の人として、この戦いを見届けてくる」
「お早いお帰りを、アスラン」
ラクスに微笑んでもらうことで、アスランは再び戦士としての顔を取り戻す。その真剣な眼差しは前方、カタパルトから除く戦いの空を映していた。
「アスラン・ザラ、フリーダム、出撃する!」
激戦が繰り広げられていようと、それはここには無縁の話であった。主戦場から離れた地点。ここにダムゼルの1人であるデンドロビウム・デルタの艦は停泊している。
その艦は特殊な形状をしていた。長大なコンテナを思わせる貨物ブロックを左右に一対。その下に申し訳程度にブリッジが取り付けられていた。飛行船とその形状は似ている。ただしこちらは気嚢の内部にモビル・スーツを詰め込んだ鋼鉄の気球を持つ宇宙輸送船である。
名をケトビーム。この船へと、ZGMF-600ゲイツが1機着陸を試みようとしていた。周囲に展開している他のゲイツの間をすり抜けながら満足な減速もなく拓かれた貨物室へと飛び込んでいく。本来輸送船にすぎないケトビームにはカタパルトのような上品な装備はない。
とは言え、乱暴な着地にこの船の主であるデンドロビウムは口元を歪めた。デンドロビウムのいるブリッジにさえ、着地の衝撃が微弱ながら伝わってきたのだ。
デンドロビウムは格納庫へと向かうための扉を睨みつけ、不格好な着地の原因が入ってくるなり皮肉を飛ばすことを忘れなかった。
「今のは不時着か?」
「私の着地は癖が強いようだ」
長い黒髪を無重力の中漂わせたヴァーリ、ミルラ・マイクは脇にヘリメットを抱え悪びれた様子なく笑っている。不機嫌を顔に張り付けたまま中央の艦長席に座るデンドロビウムに歩み寄る様子からは反省の色はうかがえない。
「悪かった。だが言われたゲイツは十分な数集めただろう」
ミルラが顎で示したのは上。2つの貨物室--コンテナ船3隻分の容積を持つ--にはザフトの最新鋭機であるゲイツが満載されている。
「それでどこに運ぶ?」
「ゲイツはこのままこの艦で運用する」
「しかし君のネビイームは輸送船だろう。ゲイツはただ積んでいるだけなんだぞ」
「別に長期運用をしようって訳じゃない。整備には支障が出るだろうが一定時間守り切れればこちらの勝ちだ。十分だろ」
万全の整備の下運用しようというわけではないのだ。時間を稼げればそれでいいなら積載量の関係から輸送船の方が数を得られる。瞬間的な防衛には十分だろう。何もお父様はヤキン・ドゥーエを守ることを目的とされていないのだから。
ミルラは何が楽しいのかよく笑う。いつも笑う。それが本来笑うべき時でない場合でさえ笑うのだ。そのことはデンドロビウムをよく不快にさせた。
「そして地球は焼き尽くされるということか、確かに悪くない。これでお父様の願いはかなう。いや、ロゴスのか?」
デンドロビウムはついクルーたちの反応をうかがった。首を素早く回したのだ。幸いクルーに目立った動きはない。戦艦ほど広くはないブリッジだ。聞こえていない訳ではないのだろうが、クルーが例の組織のことを知っているはずもない。唯一勘ぐられる恐れのある側近、コートニー・ヒエロニムスは努めて作業に従事している様子を見せていた。
当面、取り立てて慌てることではないらしい。それでもデンドロビウムは自然と声を潜めた。
「どこでその名前を聞いた……?」
「私たちフリークも君たちダムゼルも同じことだ。お父様のために生き、お父様のために死ぬ。そうだろう。それでいいはずだ」
ミルラが相変わらず微笑みを絶やさず、デンドロビウムを苛立たせた。
ガンダムの名を冠する機体はエースの機体である。このことは徐々に常識として浸透しつつあるようだった。キラ・ヤマトの機体は姿こそ異なれ、ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレ、間違いなくガンダムであった。ザフト軍にとって貴重な戦力になるはずのこの機体は、遠くに戦いの光を臨む宙域を漂うように進んでいた。
ここには何もない。守るべき要塞もなければ旗艦を守り円陣を組む艦隊もない。ただ一隻の大型戦艦があった。
宇宙戦艦らしい左右上下対称。突き出るように長い船首を取り囲むようにカタパルトが4基見られた。モビル・スーツの運用に特化したこの戦艦の周囲にはすでに多数のゲイツが浮遊している。何も守るべきもののない空間にザフト軍最新鋭機が並べられている。
オーベルテューレはゲイツたちの隙間を抜けて指定されたカタパルトから着艦する。
キラ・ヤマトはこの艦の艦長から招かれていた。格納庫からブリッジまで特に目に付くようなものはなかった。内装は平凡。機器はザフト軍で通常使用されているもの、換えのきく安物や汎用品ばかりで構成されていた。とにかく兵器としての安定性を優先する。艦長の設計思想が随所にちりばめられた艦ではあったが、その分何か関心を引かれることもない。
キラは思いの外あっさりとブリッジへと足を踏み入れた。
アーク・エンジェルのように風防から直接宇宙が覗けるようなことはない。完全閉鎖式で外の様子はすべてモニターで観察するようになっている。クルーたちの座るデスクの配置にしてもどこか面白味がなく整然と並べられているだけだ。すぐそこでは激戦が繰り広げられているというのにここはひどく静かだ。
艦長はキラのことを待っていたかのように目の前に立っていた。
青い髪に白衣を着た、P、サイサリス・パパである。
「すごい艦だね、サイサリス」
嘘を言ったつもりはない。実際、モビル・スーツの運用という観点からならこの戦艦は間違いなくトップ・クラスの性能を有することだろう。
「名前はトーラー。通常の空母に比べて通常運行でも3倍から4倍のモビル・スーツを搭載できるよ」
ユニウス・セブンの頃と変わらない屈託のない笑顔。それでもどこか無理をしているようにも見えた。元々研究者であるサイサリスだ。戦場に出たことで過度のストレスを感じているのかもしれない。こんな心配と一つの疑問からつきキラはわかりやすく眉を歪めた。
「それならますますわからないな。僕を呼んだ理由がない。ここに並ぶゲイツだけで十分じゃないかな?」
サイサリスは答えながら歩き出す。階段状になったクルーたちの机の間を抜けて--まるで映画館のようだ--モニターが次第に大きく見えてくる。
「準備してもしすぎることはない。それがお父様のお考えだから」
「僕はシーゲル・クラインのために戦うつもりはない」
「そうも言ってられなくなるよ。お父様は仰られた。もしもあなたがロゴスのために戦い目的の物を守り切れたらゼフィランサスをあなたにあげてもいいと」
モニターを遮るものがない位置にまで出るとサイサリスは振り返る。その顔にはやはり微笑みが張り付いている。いつものサイサリスだ。どこか脳天気でおっとりとしていて、怒るのはいつも妹のローズマリー・ロメオの仕事だった。
ただ、天真爛漫と無神経は意味が違う。
「ヴァーリは、シーゲル・クラインの所有物じゃない」
「お父様のご機嫌を損ねない方がいいよ、キラ。お父様が命じればゼフィランサスは自ら進んで命だって絶つから」
「サイサリス、君も変わったね」
「あれから10年も経つんだよ」
ただそれだけとは思えない。サイサリスの顔を見る度、どこか違和感を覚えてしまう。
「聞いたよ、ローズマリーのこと、残念だった。君とローズマリーは仲のいい姉妹だったから」
ユニウス・セブンで死に別れる前まで、サイサリスとローズマリーの姉妹は共同でモビル・スーツの開発に従事していた。ゼフィランサスとは正反対の開発思想の持ち主で、総合的な評価はともかく単純な性能ではゼフィランサスの機体の方が圧倒的に高性能でよくサイサリスの機体を壊しては怒られた。なぜかローズマリーの方に。
懐かしい話のはずだった。それなのにサイサリスは明らかに顔をしかめた。
「ローズマリーのことはいいよ」
何かがおかしい。思わずサイサリスの顔へと手を伸ばしたのは、もっと近くで確認したいと気が急いたから。手は手痛く払いのけられた。その時見せたローズマリーの顔に、違和感は一つの形となって口からこぼれた。
「君は……、ローズマリー……!」
間違いなんてない。2人の姉妹はよく似ていて、それでも表情で見分けることができた。サイサリスが見せた表情の中にローズマリーしか見せないものがあった。
キラは伸ばした手でサイサリス--ローズマリーなのだろう--の腕を掴んだ。サイサリスは振り払おうとするがつい握る手に力がこもった。
「どうして君がサイサリスを名乗ってる!?」
「私はサイサリス! サイサリス・パパ。Pのヴァーリにしてダムゼル!」
「ローズマリー……!」
無重力の中、サイサリスの体が浮かび上がる。それほど暴れられたら掴み続けることはできない。サイサリスは乱れた白衣をなおしながらキラを睨んだ。こんな顔も、ローズマリーだけが見せたものだ。
「そんなこと聞いてない! どうするの? お父様に従う? それともゼフィランサスを諦める!?」
脅しやはったりではない。ヴァーリ、その中でもダムゼルはシーゲル・クラインへの忠誠は飛び抜けている。死を命じられれば実行することだろう。シーゲル・クラインがゼフィランサスを放任している理由も首輪に繋いだ鎖を引けばいつでも引き戻せると高を括っているからだ。
歯に自然と力が籠もる。
「それで、僕は何を守ればいい?」
サイサリスは答えなかった。代わりに指を鳴らすと、モニターの画面が移り変わる。表示された内容から、まず我が目を疑った。
「こんなものを……?」
それもすぐに確信へと取って代わられ、代わりに台頭したのは怒りや憤慨、天上の神を気取る者たちへの憤りに他ならなかった。
「だから嫌いなんだよ、プラントも、シーゲル・クラインも!」