格納庫はいつも暗い。外人部隊として危険な単独行動を行うことが多いザフト軍ローラシア級MS搭載艦バーナードは隠密性を優先するため、外に光を漏らさない。
コクピットにはモニターの発するわずかな光の他、何もない。それなのに、シン・アスカの耳にはおかしな曲が届いていた。通信から漏れ聞こえていた。綺麗な歌声だが、コーディネーター賛美の歌詞が鼻につく歌である。
「何だよ、この歌?」
シンはヘルメットの上から耳を塞ぐようにして手を当てる。独り言ではない。こんな曲を好き好んで聞いている同僚へと尋ねたのだ。シンの搭乗するZGMF-56Sインパルスガンダムのすぐ横にはルナマリア・ホークの機体がある。
「知らないの? 『正義と自由の名の下に』のテーマ・ソングよ」
鼻歌交じりの返事が聞こえた。
プラントで2年前に封切られ、社会現象にまでなった映画のタイトルだ。以前の大戦で如何にザフトが勇敢に戦い、どれほど地球軍が愚かであったかという内容の作品で、地球出身者には付き合いきれない内容も少なくなかったことを思い出しながら、シンはため息をついた。
「ああ、あのプロパガンダ映画か」
「シン、私がこの映画の大ファンだってこと、知ってる?」
ミーハーな同僚は、この映画のモデルとなった軍人の信者であることを公言してはばからない。
「アスラン・ザラのファンなんだろ。ザフトの騎士。ラクス・クライン議員の婚約者で、ヤキン・ドゥーエの戦いを勝ち抜いた英雄で、気高い戦士。対艦戦からの白兵戦まで何でもこなすエース・パイロット、だろ」
「わかってるじゃない」
シンの口からそれだけすらすらと出てくるほど、ルナマリアに聞かせられた話だった。戦死したマッド・エイブス隊長と一緒に延々と話を聞かされた時、幼い娘のいる隊長に同情してしまったほどだ。将来、あなたの娘もこんなのになるかもしれませんと。
そんなシンの気持ちも知らず、ルナマリアは上機嫌で鼻歌を歌っている。
「あれだけ何度も聞かされればな……」
「ああ、アスラン様。1度でいいからお会いしてみたい」
要するに、1度も会ったことがないのだ。そんな相手によくそこまで好意を寄せられるものだと、シンは浅くため息をついた。
シンも写真でしか見たことのないザフトの英雄、アスラン・ザラ。休戦条約以前の激戦を戦い抜いたザフトでも指折りの戦士。インパルスガンダムのような乱造品ではなくて、正規のガンダムに乗っていると、聞いている。
最高の環境に最高の装備。シンがどれほど羨んでも手に入れることのできないものを生まれながらに持っているような人だ。
シンがこの映画が嫌いな理由の1つに、絶大な貧富の格差を人類の可能性というあやふやな憧憬に置き換えて強要するプラントの現状が見えて仕方がないことが挙げられる。君たちも努力すればアスラン・ザラのようになることができると人々を必死に説得していても、移民やナチュラルに対する差別をプラントは放置し続けている。
英雄が華々しい活躍をする画面の隅で戦死する名もなき兵士。それがシンの現実であった。
やがて、格納庫に弱い明かりが灯される。それは四隅を切り取り宇宙へと一直線にカタパルトの道筋を示す。作戦開始時刻になった。そのことはオペレーターであるアビー・ウィンザーの声でも告げられる。
「アスカ軍曹、ルナマリア軍曹、出撃準備、お願いします」
シンはインパルスの足を1歩前進させる。ルナマリアの様子をうかがうと、僚機に動き出す気配はない。
「お先にどうぞ」
これから戦いに行くというのに、ずいぶんと軽い調子である。もっとも、そうでもしなければやっていられないのが本音だろう。比我戦力差は3倍を優に超える。援軍要請は行っているが、本当に期待しているのなら、援軍を待たずに作戦を開始する理由はない。
インパルスはシンの操縦の下、普段と変わらない足取りでカタパルトに足を乗せ、腰を屈める。
「シン・アスカ、インパルス2、行きます!」
70tもの機体が加速し、シンにのしかかる加重。インパルスは戦場へと放り出される。
わずか1隻、わずか2機のモビル・スーツによる艦隊攻撃が始まった。
作戦はこうだ。不意をつきバーナードの砲撃でまず1隻を撃沈する。その後、混乱に乗じてインパルスが追撃。一気に形勢をこちら有利に傾ける。
そんな成功することが前提の都合のいい作戦は、初手からつまづきを見せた。
相手も馬鹿ではない。攻撃が当たるまで待ってはいない。ミノフスキー粒子の電波障害が周知されている現在、ただでさえ、艦砲による遠距離射撃の命中精度の低下は著しい。当たるはずのない攻撃は、敵艦の脇を通り抜けていった。
作戦は、こうして早くも瓦解した。
ソード・シルエットを装備したシン機のすぐ後ろにブラスト・シルエットを背負ったルナマリア機が続く。その前方にはダーレス級MS運用母艦からモビル・スーツが次々と出撃する様子があった。
「ルナはバーナードを離れるな。俺が敵艦を叩く」
「了解」
ミノフスキー・クラフトによる加速を続けるシンと、加速をやめたルナマリア。2人は急速に離れていった。
インパルスのモニターには次々と敵機を認識するカーソルが表示される。数は概算で10程度。大半はデュエルダガーのようだが、シンの意識はすぐに1機の敵へと集束された。
蟹の甲羅を背負った緑のガンダムである。GAT-252インテンセティガンダムの特殊型。ビームを弾くシールドを持つ難敵である。
互いにミノフスキー・クラフトを持つ。振り切ろうとして振り切れるものではない。敵艦に近寄ろうとすると、その前に周り込む形で、インテンセティはシンの前に立ちふさがる。
こいつを倒さなければ旗艦を撃沈するどころか近づくことさえできない。シンは覚悟を決める必要があった。
ソード・シルエットから肩越しに大剣を1対、両手に握りしめる。現存するすべての物質を破壊するはずのビームの輝きが刃を構成し、加速するインパルス。
敵はバック・パックにアームで繋がれたシールドを前面に2枚展開すると、余裕な様子で待ちかまえる。ビームの光を発しながら叩きつけられた対艦刀は、しかし強烈な輝きを放つばかりでシールドを破壊することはない。
「何のための対艦刀だよ!」
会敵の一瞬で敵を確実に破壊する。その攻撃力のために、対艦刀は大型化し取り回しが悪くなった。この重さと引き替えにした存在意義をまるで果たせない現実に、シンは苛立ちを隠すことができなかった。
ブラスト・シルエットの2丁の大型ライフルから太いビームがまっすぐに伸びる。直撃すればシールドを一撃で破壊することができるこの大火力も当たらなければ意味がない。ルナマリアを取り囲む敵は、明らかに防御に専念していた。決して無理な攻撃はせず、盾にうまく胴体を隠しながらこちらの動きを注視している。
敵は4年前にもすでに性能不足が指摘されていたGAT-01デュエルダガー。ビーム・ライフルとシールド。そんな最低限の装備しかないような機体に、ルナマリアは翻弄されていた。
こちらは1機。敵機は6機。こちらが1撃放つと2機が避ける。すると4機が撃ち返してくる。直撃をくらえばフェイズシフト・アーマーとて破壊されてしまう。
ルナマリアは防戦に専念せざるを得なかった。シルエットのミノフスキー・クラフトを輝かせ、機体を絶えず動かし続ける。
こんな時、アスラン・ザラならどうするだろうか。きっと颯爽と敵の攻撃をかわして、敵がまるで止まっているように撃ち抜くのだろう。
敵の連携は単純なものだった。攻撃された者は回避に専念し、攻撃されなかった者が反撃に転じる。この単純で、しかし効果的な連携を前に、ルナマリアは自由に動き回ることさえできないでいた。徐々にバーナードから引き離されつつある。
無理に戻ろうとすればビームの直撃を浴びるかもしれない。
モビル・スーツを母艦から引き離し、まず艦を落とす。シンたちが実践しようとしていたセオリーを、まずは敵が実践しようとしていた。
「このままじゃバーナードが……」
すでにバーナードには大西洋連邦軍がとりついていた。
対空砲火が甚大な損害を受けている。高射砲が破壊された分だけ、曳光弾の輝きは疎らとなり、戦艦はモビル・スーツのように向きを変えて死角を補うには巨大すぎた。徐々に攻撃の隙間ができあがりつつあった。
その隙間に入り込むように、2機のガンダムが易々とローラシア級バーナードの懐へと入り込む。
先を行くのはGAT-X133イクシードガンダム・バスターカスタム。体中の至るところに重火器を担いだこのガンダムがバズーカを発射する度、バーナードから曳光弾の光が消えていく。
イクシードガンダムのコクピットにて、スティング・オークレーはモニターの映し出された僚機を確認する。
「ステラ、道は開けてやった。例の場所に穴を開けろ」
「うん!」
ステラ・ルーシェのGAT-X270ディーヴィエイトガンダム特装型がモビル・アーマー形態でイクシードを頭上を通り抜ける。いくらフェイズシフト・アーマーが強固とは言え、艦砲の直撃は避けるに越したことはない。高速で飛行するディーヴィエイトを捉えるにはすでに砲塔は十分に数を減らしている。
ディーヴィエイトはあっさりとバーナードの頭上をとる。ローラシア級はその構造上、上部装甲を厚くすることができない。10年近くも前に1番艦の進水式を終えたような型落ち戦艦がそんな弱点を知られてないはずがなかった。
ステラは雄叫びをあげながら急降下を仕掛ける。変形し、ディーヴィエイトが人の姿をするとともに、左腕に装備された鉄球が撃ち出される。鉄球はローラシア級の装甲へと深々と食い込み、甲板がひしゃげた装甲が隆起する。続けざまに放たれたバルカン砲の弾丸が隙間に吸い込まれると、内部から噴き出した爆発が装甲をはね飛ばした。
「スティング、開いた!」
「上出来だ!」
離脱するステラのディーヴィエイトと入れ替わるようにしてイクシードガンダムが風穴めがけて接近する。
右腕にはバズーカ。左腕には2連ビーム・ライフル。両肩に加え、胸部にもビーム砲が装備されている。まさに火力の怪物と言えるイクシードガンダム・バスターカスタムはそのすべての火器のロックオンを終えた。
モニターには煙で覆われ下を見透かすことのできない穴。そのすぐ下にはすでに最低限の防備しか残されていないメイン・エンジンがある。
「くたばれよ、旧式!」
イクシードの火力のすべてがローラシア級へと巨大な火の柱を打ち立てた。
ローラシア級バーナードのブリッジに報告とは思えない悲痛な叫び声が響きわたる。
「機関部に、火災発生!」
「消火作業急げ!」
「駄目です! 間に合いま……!」
指示を飛ばすアーサー・トライン艦長の声も、涙するアビー・ウィンザーの姿も、ブリッジ後方の壁から吹き出た炎がすべて包み込み、焼き尽くす。
機関部から発生した火災が艦全体に類焼する形でローラシア級が焼け落ちていく。その様はダーレス級MS運用母艦のブリッジに克明に映し出されている。敵の母艦を撃沈するという戦果にも、イアン・リー艦長は眉1つ動かすことはない。いつも通りに唇を固く結んでいた。
「まるで問題にならんな」
わずか1隻。護衛となるモビル・スーツも満足に持たぬ戦艦など現在の戦術では戦力に数えられない。残りのストライクもどきもすぐに刈り取ることができるだろう。
しかし、イアンの顔に油断の色はない。それは普段からの心がけばかりではなく、レーダーがこちらに接近中である艦隊を捉えていたからだ。信号はない。味方以外の何か。敵の援軍と考えた方が妥当というものであろうか。
クルーから報告があった。
「ミノフスキー粒子濃度上昇中です。索敵、行えません!」
ミノフスキー粒子は乱暴な言い方をするならビームの原料である。ビームが飛び交う戦場ではミノフスキー濃度が上昇することが知られている。あるいは、レーダーを攪乱するために散布されることもある。兵器開発史を塗り替えた粒子は、戦場あるところどこにでも現れる。
新たな戦いの予感に、イアンは艦長として指示を出す。
「2番、3番小隊を防御に当たらせろ。今のうちに艦の向きを合わせておく!」
イアンの指示に、クルーたちは即座に反応する。体に横からのしかかる重みは艦が方向転換を始めたことの証である。
何とも不気味な気配を、イアンは感じていた。常識で考えるなら、接近中の敵は敵の援軍だと考えてよいだろう。では、なぜザフト軍は戦力の合流を待たずに行動を開始したのだろうか。
不気味さがないわけではない。イアンは、しかしすべて予定調和の範疇であるかのように振る舞う術を知っている。艦長席に座った軍人は、決して顔色を変えることはなかった。
バーナードが爆沈され、炎に飲み込まれていく様を、シンはモニター越しに眺め続けていた。
仲間を失ったのはこれが初めてではなかった。胸を圧迫する不快さも初めてのことではない。そして、悲しみに浸る時間さえないこともいつもと変わらない。
コクピットに警告音。レールガンの弾頭がインパルスのそばを通り抜けた。まともに視認できる速度ではないが、軌跡を示す曳光弾を確認した。仕方なく操縦桿を握る腕に力を込めると、モニターには接近するフォービドゥンの姿が見えた。母艦を撃沈した2機のガンダムもシンを次の標的に定めたらしい。
もう帰るところもない。実力は相手の方が上だ。
「結局これかよ……」
母を殺され、母を見殺しにした国から逃げ出した。その行き着いた果ても戦場でしかなかった。
戦いにすべてを奪われる。一体、何のために生まれたのかさえわからなくなる。それでも仕方のないことかもしれない。何か目標があった訳でもない。目的のために生きてきた訳でもない。軍に入ったことだって、単に死ぬまでの時間稼ぎみたいなものだった。
シンの腕から力が抜ける。目の前のフォービドゥンはもはや脅威でも何手もない。どこか他人事のように迫り来る死を見つめ続けていた。
それでも、近づいていたフォービドゥンが驚いたように飛び退いた時には、ついシンは何事かと意識を覚醒させた。この鎌持つ死神ばかりではない。他のガンダムも、他の敵もすべてが何かに反応している。
レーダーに表示される新しい光点。インパルスのアリスが気を利かせてモニターにそれを投影する。
「光る、ガンダム……?」
この戦場にいる者はみなすべて、それに意識を奪われていた。
それはガンダムである。純白の装甲表面に黄金のラインを走らせている。両手にはライフルとシールドという平凡な武装ながら、その背中には正面から見えるほどの大きさのリングを背負っていた。
純白の姿に時折覗かせる黄金の帯。後光を背負うようなその姿はミノフスキー・クラフトの発する淡い輝きに包まれ神々しくさえあった。
そしてガンダムだった。
アウル・ニーダの関心先程まで戦っていたインパルスガンダムからすでに純白の機体へと移っていた。まだあどけなささえ残すアウルの悪い癖で、つい乗機であるインテンセティの腕を無意味に動かした。モビル・スーツがまるで手持ちぶさたの人がするのと同じように、鎌を小さく振り回す。
「スティング、あんなモビル・スーツ、見たことあるか?」
重火器を満載したイクシードガンダム・バスターカスタムが、インテンセティのすぐ脇につける。アウルはモニターにスティング・オークレーの姿を目にする。その反対側には、人型に変形したステラ・ルーシェのディーヴィエイトガンダム。
「少なくともザフトが量産しているガンダム・タイプじゃないな。ゲルテンリッターか?」
「ゲルテンリッターにあんな機体、ない」
「7機全部見たことあるわけじゃないだろ」
スティングとステラは相手の正体を把握できていない。アウルはすでに戦いの準備を始めていた。
インテンセティが重厚なバックパックで頭部を覆い隠す。甲殻類を思わせる大仰なかぶりものが、白いガンダムに対抗するかのように淡い輝きを放つ。多くの場合、エネルギー消費が甚大なミノフスキー・クラフトは機体の一部にしか採用できない。それを全身に搭載しているということは、それだけでジェネレーター出力の高さを証明している。
それでも、アウルはいつものように子ども特有の不敵な笑みを浮かべていた。
「味方じゃないなら……、敵だろ!」
蟹の口から大出力ビームが放たれる。
純白のガンダムが動く。全身を包む輝きを強め、滑るように滑らかな動きで射線上からあっさりと機体を逃がした。
全身をミノフスキー・クラフトで包み込む。それが意味することを誰もが知っている。装甲のある方向、すなわち、すべての方向へ機動できるということ。
スティングのカラミティがその火力を遠慮なく発揮する。バズーカ、ビーム、その区別はあまり意味がない。どうせどちらも危なげなくかわされる。
「これがフル・ミノフスキー・クラフトの動きなのかよ……」
ステラはディーヴィエイトの機動力を活かし回りこもうと加速する。後ろをとった。そう、ステラが確信した次の瞬間、光の残滓だけをおいて、白いガンダムはディーヴィエイトの後ろにいた。
おびえた表情を見えるステラへと、白いガンダムは蹴りを放つ。悲鳴を上げながら弾き飛ばされるステラ。アウルが急いで駆け寄ろうとする。
「よくもステラを!」
純白のガンダムが動いた。何かをしているわけではない。ただ背部のリングを動かして、それは頭上に飾られた。装甲を展開したリングは強烈な光を放ち、その荘厳な雰囲気に拍車をかかる。
攻撃には見えない動き。それでもアウルは極度の緊張を強いられた。何かが来る。いやな予感にシールドを前面に展開し守りで固める。
そして、それは起きた。
シールドの内側。シールドと機体を繋ぐアームを光が包み込んだ。それは明らかにビームの輝きを放ち、フェイズシフト・アーマーが悲鳴をあげて強烈に輝いた。
破壊されるアーム。爆発の衝撃が機体を叩き、アウルはうめいて後ろへと弾きとばされる。2個あるシールドの片方がもぎ取られた。
一体何が起きたのか。
白いガンダムは何もしなかった。ただリングを輝かせただけだ。それだけでアウルは軽くあしらわれた。
損傷したインテンセティをかばうように、イクシードが間に割り込む。
「てめえは! 魔術師かなんかか!」
声に明らかな焦りの色を含ませて、スティングがバズーカを発射する。
弾速が決して誉められたものではないバズーカの弾頭が、突然現れた光に絡めとられて爆散してしまう。
明らかにビームの光だ。しかし、白いガンダムはライフルを構えてさえいない。虚空からビームが突然発生したかとしか思えない。
白いガンダムは、次にステラに狙いを定めた。銃を向けるのではない。ただ体を正面にむけ、ディーヴィエイトを捉えた。そして、再びリングが輝き出す。
機動力に秀でるディーヴィエイトとて、見えない攻撃はかわしようがない。3人の中でも幼いステラの心は、すでに怯えていた。
「お姉ちゃん……」
瞳に涙さえ溜めて、操縦桿から手は放れている。愛しい姉の顔を思い浮かべながら、震えて膝を抱いていた。
ディーヴィエイトのコクピットに、光が射し込んだ。
眩しくはあっても熱はない。ステラが思わず閉じた瞼をゆっくりと持ち上げた時、そこには黄金がまばゆい光を放っていた。
通常のモビル・スーツの1.5倍にも及ぶ巨体を黄金の装甲が包む。バック・パックに開いた花のように配置されるユニットもまた黄金。黄金のガンダムがステラを守るように目の前にいた。
「ヒメノカリスお姉ちゃん!」
モニターに投影されたドレス姿の姉に、ステラは破顔する。ヒメノカリス・ホテルは応えるように口元を緩ませると、すぐに唇を引き締め白いガンダムへとその意識を移した。
純白と黄金。2機のガンダムが対峙する。
ZZ-X300AAフォイエリヒガンダム。この機体は、ムルタ・アズラエルを名乗ったブルー・コスモスの3人の幹部の1人であるエインセル・ハンターが搭乗したことから反コーディネーターの象徴として認識されている。
全身を黄金の装甲で包み、25m級と規格外の大きさを持つ。その装甲はビームを弾き、接近戦では8本ものビーム・サーベルで敵を蹂躙した。
ブルー・コスモスではその存在は半ば伝説化している。
プラントにとってその存在は憎悪と恐怖で語られる。
そして、モビル・スーツ開発者は勢力を問わず口をそろえる。奇才ゼフィランサス・ズールがブルー・コスモス3幹部のために手がけた3機のモビル・スーツこそ最強のモビル・スーツだと。
戦いは次元が違っていた。フル・ミノフスキー・クラフト機の推進力、機動力は量産機の比ではない。速く、かつしなやかに飛び回る。ガンダム・タイプとは言え、所詮量産品でしかない機体では追いつくことさえままならない。
フォイエリヒがユニットを展開する。アームで連結された4機のユニットが背から離れると、そこには銃口がそれぞれに並んでいた。ビームの連装砲から撃ち出される横列のビーム。それを白いガンダムはかわしながら、そしてライフルからビームを撃ち返す。ビームは、フォイエリヒに命中すると装甲表面を滑るように後ろへとそれていく。
再び輝くリング。発生したビームの光の中にフォイエリヒはそのまま飛び込んだ。視界を奪われるほどの光。再び見えるようになると、無傷のままのフォイエリヒがその姿を見せつける。
そして、また始まるビームの応酬。一撃がモビル・スーツを軽く破壊してしまうビームが何十と撃ち合われている中、並のモビル・スーツでは瞬く間に撃沈されてしまうだろう。
それはガンダム・タイプでも例外ではない。
スティング、アウル、ステラ。3人は姉のことを心配しながらも、現実離れした光景に思わず、放心していた。何もできず見守っていることしかできない。
フォイエリヒがついにサーベルを抜く。両手足、そして4機のユニットから発生する計8本もの高出力ビーム・サーベル。対して、白いガンダムもまた左手に盾を、右手にビーム・サーベルを握る。
黄金のガンダムの振り下ろす一撃は剣と呼ぶよりは鉈。切れ味と呼ぶより破壊力と称するにふさわしい一撃を、白いガンダムはいなす。次々繰り出される光の瀑布を、やはり白いガンダムはいなし、かわし、受け止めながら捌いていく。
その様は、白い騎士と怪物、天使と悪魔の戦いを思わせた。どちらにせよ、人が立ち入ってよい領域ではない。
それでも声が響いた。
「あんたが……」
暗い声。陰惨な抑揚が聞き取れる。
「あんたが!」
それは少年の声だ。左頬に痣を持つ、母を奪われ、国を捨てた少年の怨嗟の声だ。
「あんたが母さんを殺したー!」
強引な接近を果たしたインパルスがフォイエリヒへと切りかかる。2本の対艦刀を、フレームの損傷など一切気にかけず荒々しく振り回す。ソード・シルエットはこれまでにない強度の輝きを放っていた。
機体の寿命を削る戦い方は、それこそ今のシンを象徴していると言えた。これでなければ戦いに割り込むことさえできない。
振り下ろした対艦刀はフォイエリヒのサーベルに防がれる。それでも、シンは攻撃をやめようとしない。叫び続けていた。
「あんたが殺したんだ。あの日、あの場所で!」
シンは声がかすれるほど大きな声を上げていた。ヘルメットの中で反響し、自らの耳を痛めても構わず。
こいつが、この機体があの日、空にいた。母が死んだその日、その場所で。そのことだけがシンの頭を支配し、だからこそ、シンは食らいつくことができた。
ただ、それも浅はかな抵抗でしかなかった。巨人に挑む蟻は、どれほど勇猛でも無謀でしかなく、また遊びにさえ見えてしまう。フォイエリヒという巨体を前に、届くはずもない刃を振るい続けるインパルスの姿は、ただをこねる子どものようでさえあった。巨人がほんの少し怒り出すまでのつかの間の獅子奮迅。
インパルスの全力の一撃は、あっけないほど簡単に受け止められた。サーベルにではない。ただ、黄金に光り輝く装甲が直接2本のサーベルを受け止めた。
防がれたとさえ言えない。最初から効果がまるでない。そんな実力の違いを見せつける事実に、シンは思わず息を飲み絶句する。
そして、何が起きたのかさえわからなかった。モニターに次々機体が破損したことが表示されアラームが鳴り響く。サーベルごと切断された腕、ちぎれた足。シンが辛うじて目にすることができたのは、振り下ろされたビーム・サーベルの一撃だけだった。それは左の肩口に吸い込まれ、そのまま機体を撫でるように左腕を切りとばす。
装甲を通じて飛び込んでくる熱がシンを苛む。かつて身を焼かれた痛みを思い出しながら、シンの意識は沈んでいった。
C.E.71年に行われた大西洋連邦軍によるオーブ侵攻は、現在においても謎の多い開戦とされている。
当時大西洋連邦はパナマ基地を保有し、オーブ侵攻と同時期に行われたジブラルタル攻略作戦においてジブラルタル基地を奪還。軍事目的に耐えうるマスドライバーを2基確保していた。オーブの所有するマスドライバーの必要性は必ずしも高くはなかったと分析されている。
オーブが大西洋連邦の軍事機密を盗用していたことは事実としても、プラントとの決戦を控えた時期にわざわざ敵を増やすほどの理由はないとの考える軍事アナリストもいる。
戦略的、政治的必要性がなかった。では何故、国際的信用を失う危険性を犯してまで中立国オーブへと侵攻したのか、それは諸説分かれている。
反コーディネーター思想結社であるブルー・コスモスの意向を強く受けた大西洋連邦が、遺伝子操作に寛容であったオーブを目障りと考えた。しかし、占領後、コーディネーターに対する迫害は迫害は確認されていない。
ブルー・コスモス代表ムルタ・アズラエルが代表を務める軍需産業ラタトスク社の新兵器の実験に使われたのではないかとする説。当時最新機であったGAT-01A1ストライクダガーが大体的に投入された事実はそれを裏付けるが、それが国際世論を敵にする危険を冒すほどの価値があるものかとの主張には、有効な反論は主張されていない。
マスドライバーの確保がやはり目的であったのではないかとする説は諸手を上げて肯定するほどでもないが、否定することもできない。当時ジブラルタル基地はザフト地上部隊の最重要拠点であり、マスドライバー奪還は難しいとされていた。保険をかけたのではないかとする説だ。しかし、軍が重要機密を公開するはずもなく、根拠のない説にとどまっている。
一番荒唐無稽とされる説で、しかし根強くささやかれている説が存在する。オーブとプラントの間で密約が存在し、大西洋連邦軍が反撃に出た際には背後からオーブが奇襲をかけると手はずだったとされる説だ。この説は明確な証拠はなく、またザフト軍が行ったニュートロン・ジャマー降下によって多大な犠牲を生じた地球の国家がその首謀者に肩入れすることはありえないという国際世論の流れと逆行している。
ただし、中立を謳うはずのオーブが大西洋連邦の技術を盗用してまでモビル・スーツの独自開発を急いだことは事実である。マスドライバー及び技術力に優れたモルゲンレーテ社本社を自爆させたことはオーブの産業に大打撃を与えたが、得をしたのはプラントだけだったとも言える。この説はいまだに根強い。
そして、たとえ政治学者が何を言おうとも変わらない事実がある。
多数のオーブの市民が犠牲になった。この事実だけは何も変わらない。
あの日、今から4年前のあの日、シンは走っていた。爆音の中を、撃墜された戦闘機が頭上をかすめるような低空で煙をまき散らしながら通り過ぎて行った。
シンは走っていた。戦場のただ中を、母に手を引かれて。不規則に巻き起こる爆発の度、体を震わせながら。
母は仕事一筋の人だった。優秀で、熱心で、オーブの中でも指折りの大企業モルゲンレーテ社に務めるほどの人。家にいる時でも厳しい表情で携帯電話にまくし立てている姿しか見たことがない。
そんな母がシンの腕を引いて必死に走っていた。
政府が突然避難命令を出した。理由なんてわからない。戦場を突っ切って逃げ出せと命令してきた。子ども心に民間人に戦場を走らせることのおかしさはわかっていた。
周りにはシンの他にも大勢の人が着の身着のままで走っていた。道路は壊れ車は使えない。陥没し、破壊され、瓦礫の山ができた道路をただ走っていた。
大きな音がする度、避難民が一斉に横を向く。遠くの森ではモビル・スーツが戦闘をしていた。
20mほどもある巨人が冗談みたいに大きな銃を向けあって戦っている。流れ弾のビームがシンのすぐ脇の道路へと着弾した。熱風に背中を押され、シンの小さな体は前のめりに転がった。
シンを気遣う母の声。母に支えられながら擦りむいた膝を庇うように体を起こす。
当たりは焦げ臭さが充満していた。シンのすぐ横には横転した車が腹を見せている。その上に、運転席から放り出された人、すでに死体となっている人が引っかかっていた。高熱に炙られたのだろう。髪がちりちりに焦げて、目はタンパク質が変質して白濁している。まるで半熟の目玉焼きのように。
狂乱して、シンは母親にしがみついた。マユ母さん、マユ母さんと母の名を呼び続けながら。周囲では、泣き叫ぶ人たちの声が消えることがない。
それも長いことではなかった。撃墜されたモビル・スーツがすぐ近くに落ちた。胸から火を吹き出して爆発寸前だったそれは、地面に落下したとたん、大爆発を起こした。炎が地表を舐めるように避難民に襲いかかった。
その時、何が起きたのかわからない。熱いとか、痛いとか、そんな曖昧な記憶の中で、強烈な恐怖だけが鮮明に刻まれている。
次にシンが起きあがった時、光景は一変していた。横にあった車はどこかに吹き飛ばされて、人の悲鳴も聞こえなくなっていた。溶けたアスファルトの臭い、焦げた肉の臭い、焦げた臭いが混ざり合った陰鬱な空気に満ちていた。
太陽が、夜にその座を明け渡そうとした頃、シンはゆっくりと立ち上がった。
無傷ではない。全身に軽い火傷を負っていた。左頬は特にひどく、痣が残ることだろう。この痣に、頬を伝う涙が染みた。こぼれ落ちる涙は、母を覆う灰を湿らせる。
真のすぐそばで、母は全身を焼かれた死体と化していた。
「母、さん……」
まるで頬の涙を拭うような風が上空から落ちた。思わず見上げると、そこには太陽があった。人の形をした太陽があった。
全身を輝かせる黄金の巨人。沈む太陽に代わって空を支配とするように、偽りの太陽がオーブの空を蝕んでいた。
熱に喉を焼かれ声が声にならない。血を吐くような思いが、声にならない叫びが、黄金のガンダムへとシンの慟哭と憎悪の限りをぶつけていた。