プラント。ファースト・コーディネーターであるジョージ・グレンによって建国されたこの国は、宇宙にしか国土を持たない初めての国であった。砂時計を思わせる硬質ガラス製のコロニーの両底に擬似重力を発生させ、街並みを築き上げていた。
10基のコロニーをまとめて一つの市とし、12の市、人口約2500万で構成される宇宙国家、それがプラントであった。
現在のプラント最高評議会唯一の非デュランダル派議員として知られるタッド・エルスマン議員のお膝元であるディセンベル市第1コロニー、ディセンベル・ワンの一角に、大学の講義堂はあった。
階段状に、扇状に並ぶ座席の大講堂には、今大勢の学生たちが着席している。立ち見の聴衆さえ確認できる。
今日は退屈な講義ではない。プラント最高評議会議員であり、法務委員を兼任するタッド・エルスマン議員の講演会が予定されていた。
すでにエルスマン議員の姿はあった。白く長い髪は柳を思わせる。力強くはないが、決して折れることはない。エルスマン議員はまさに柳のような雰囲気をまとわせ、語りかけていた。
「君たちの中には勘違いしている人も少なくないかもしれない。憲法とは、通常の法律とは性質が大いに異なっている。通常の法と異なり、憲法は権力者を縛るために開発されたものだからだ」
聴衆の大半は今年法学部に入学したばかりの学生である。エルスマン議員は毎年決まって新入生を相手に簡単な講演会を行っていた。
「人類の歴史は、権力を飼い慣らすための試行錯誤だったとしても過言ではないように思える。西暦1215年マグナカルタに始まり、市民革命を繰り返しながら権力を抑制する機構を生み出した。それが憲法だ。しかし、その道のりは必ずしも一本道だとは言い難い。たとえば、社会主義国家では、労働者こそが権力者であり、権力は資産家と戦うための武器だとされた。すなわち、権力を縛るということは労働者から武器を取り上げることに他ならないことになる。その結果、権力を野放しにせざるを得なくなり、政治腐敗を招くこととなった。反対に、自由との兼ね合いもあった。1919年、ドイツのワイマール憲法は当時としては自由を尊重する画期的な憲法であったが、それは同時に憲法を攻撃する自由さえ認めてしまっていた。アドルフ・ヒトラー率いるナチス党が合法的に独裁を始めた結果を知らない者はいないことだろう」
タッド・エルスマン議員は最高評議会唯一の反デュランダル派として知られている。絶対権力者と真っ向から対峙することを選んだこの議員は、決して大きくはないことではあっても、確かな声で学生たちに語りかけていた。
「人類はそうして、政府を必要としながら、同時に権力をどう飼い慣らすかに思考し続けたと言えるだろう。そのため、憲法に通常の法律とは異なる改正手続を与えたりもした。一部の政治家の手によって変えられてしまわないよう、住民投票の実施など改憲には多数のハードルを設けた。もしも政治家が勝手に憲法やその解釈を変えてしまったなら、それは犯罪者自身に刑法を決めさせるようなものだからだ。このように憲法とは一般の法律とは性質を根底から異にする。このように、人類は様々な失敗を切り返しながらよりよい政治制度を追求し続けてきた」
聴衆は静かに聞き入っていたが、エルスマン議員が次の言葉を続けた時、ざわめきを見せた。
「しかし、残念なことにこのプラントでは憲法を作る際、地球各国の憲法を参考にすることはあっても模範とすることはなかった。中には遺伝子操作を憲法で禁じる国もあれば、人権を重視し倫理規定を規定する憲法も見られたからだ」
遺伝子操作を禁止する憲法をコーディネーターの国が持つことができるはずもない。国によっては受精杯にさえ保護の対象とする法を持つ国もある。こちらも、遺伝子調整を国是とするプラントには都合の悪い法律であった。
ゆえに、プラントは不都合な部分をそぎ落とし、国に認められる範囲で国民の権利を保障せざるを得なかった。
「確かに、この国はコーディネーターの国であり、遺伝子技術の研究ができないというのは大変具合が悪い。しかしながら、結果として憲法そのものは極めてリベラルなものになっている。よく言えば自由だが、悪く解釈すれば政治家、権力者を抑え込む機構に乏しいと言える。憲法学者の中にはナチス・ドイツ下のワイマール憲法との対比を研究する者もいる」
「また、憲法改正の限界論から考えても興味深い。この国はまったく新しい国であって、どの国とも地続きの憲法を持たない。その結果、限界を超えて自由保障の分野を削り取った、最も非民主的な憲法とする見方もある。法律学者の身分として言わせてもらえば、プラントは大西洋連邦の憲法をモデルにしてもよかったのではないかと思える」
プラントは地上のしがらみをすべて捨てた新しい国。そう教え込まれてきた学生たちは動揺を隠すことができなかった。敵対国家である大西洋連邦の憲法の方がより先進的であるという言葉にもざわめきは絶えない。
そんな学生たちの中から1人の若者が立ち上がった。軍服を思わせる格式立った服装に、姿勢は直立。唇を堅く結んだまま、エルスマン議員を見下ろしていた。
「お言葉ですが、エルスマン議員はプラントの国是をご理解されていないのではないでしょうか?」
若者の周囲には似たような雰囲気をした一団が座っていた。みな、どこか異様な雰囲気を醸し、親衛隊がその一角を占拠しているかのようだった。
「プラントは新しき国なのです。大西洋連邦とおっしゃいましたが、奴らに何ができました? 魔王のようなエインセル・ハンターを盲信する狂信者ではありませんか。血のバレンタイン事件を引き起こし、アラスカでは味方を焼き払う愚挙までしでかした。彼らの歴史はただの過ちの積み重ねにすぎません」
学生たちは静まりかえっていた。中には不安そうにことの成り行きを見守っている者もいれば、どこかはやし立てるような挑発的な目を浮かべている者もいる。
「プラントは、政治、民族、宗教の争いのすべてから解放された新天地であり、人類すべての未来を担う国なのです。大空を飛ぶ鳥が、ドブネズミに見習うべきものなどありません」
周囲の親衛隊を中心として拍手がそこかしこで巻き起こる。
ただ、エルスマン議員はあくまでも冷静であった。
「たくましい生命力を持つドブネズミも、わざわざ飛び方など教えてもらいたいとは思わないだろうね。君の理屈は、残念ながら問題が少なくない。ブルー・コスモスの構成員は、国全体で見れば数パーセントに満たない。また、カミカゼ作戦ならプラントも実行している。傷病兵、障がい者を中心とした部隊が捨て身の足止めに使われた。続いて、エイプリルフール・クライシスを引き起こしたのは当時のクライン政権だ。何より、地球の歴史が過ちの繰り返しと言う君の指摘は何一つ証明がなされていない」
若者はあからさまに侮蔑的な笑みを浮かべた。
「失礼。あなたが売国奴と揶揄されるお方だと忘れていました」
「この国は人類すべての未来を担っているのではなかったのかな?」
思わずたじろぐ若者だった。しかし、周囲の仲間の様子を気にした様子を見せると、すぐに持ち直し発言を続けた。
「あなたがどれほど自己弁護が巧みであろうと変えられない事実があります。赤い花は誰がなんと言おうと赤です」
「君の話を聞いていると色盲の話を思い出す。ある人が色盲と診断された。彼はそれを認めようとしなかった。自分が色盲のはずがない。この花だって、赤く見えている。そうして、彼が指さした花は、実は青い色をしていた」
再び言葉を失う若者。しかし、周囲に仲間たちがいることを確認するように見回すと、また歪んだ笑みを浮かべ始めた。
「あなたがどう言われようと、ナチュラルが悪である、このこ事実だけは変わることはありません。以上です」
そう言うと、若者は着席する。仲間たちの1人に戻っていった。
エルスマン議員は壇上から時計へと目を配ると、何事もなかったかのように話を続け出す。
「そろそろ時間とせっつかれているので最後にしよう。この国は、国の原則として、人の体を作り替える様々な自由を認めざるを得なかった。しかしそうして広げてしまった自由の中には、悪意を持ってこの国を動かそうとする者を自由にしてしまうものも含まれている。これから法を学ぶ君たちには是非とも覚えておいてもらいたい。この国は、内部の悪意に大変脆い状況にあるということを」
聴衆である学生たちの反応は、嘲笑的な者と不安げな者とに二分されていた。
「では、私からの話は以上としよう」
大通りに面したオープン・カフェに、一組の男女が座っていた。2人に向けられた周囲の視線は、決して暖かいものではなかった。それは男性の姿に原因があった。左目を眼帯で覆い、左腕がない。明らかな障がい者だったからだ。
ここ、プラントでは障がい者は社会的無能力者も同然の扱いを受ける。
しかし、障がい者の男性は平気な顔でコーヒーを楽しんでいた。彼の名はディアッカ・エルスマン。タッド・エルスマン議員の息子であり、障がい者の権利向上のための活動をしていることでも一部では知られている。こうして義手をつけることもなく街へと繰り出すことも、プラント国民に障がい者の存在を知らしめるための活動の一環であると言えた。
「アイリス、ナタルさんたち、今日は取材に来るんだろ?」
同席する少女、アイリス・インディアは、桃色の髪を首の後ろで束ねているだけの地味な印象だった。そのためか、かのラクス・クライン議員と同じ顔をしていることに気づいた者はいないらしかった。
「う~ん、取材っていうより、ちょっとプラントのことを見ておきたい、くらいの感じみたいですから」
「じゃあ、驚くだろうな。プラントもずいぶん様子がかわったからな」
「そうですよね」
そろそろ待ち合わせの時間が近かった。約束の相手はそれこそ、軍隊並に時間には厳しい。2人はそろって周囲の雑踏の中から目当ての人物を探し始めた。それは、すぐに見つけることができた。
人通りの中から2人に手を振る少女が現れる。
「アイリス!」
「フレイさん!」
アイリスが立ち上がってフレイ・アルスターを出迎えると、2人は女性特有の独特の手つきでお互いの手を握り合う。
「久しぶり、元気してた? ディアッカに飽きてない?」
その頃にはすでに、ディアッカの座るテーブルにはスーツ姿のナタル・バジルールがついていた。
「アイリスが君と暮らすと言い出した時は、私にとって人生最大の驚きだった」
「そんな甘い軍隊生活送ってないだろ、ナタルさんは」
当時の一悶着を思い出しながら苦笑するディアッカ。しかし、すぐにナタルの後ろに立つ見慣れない赤いジャケットの青年が目に付いた。
「ところで、そっちの赤ジャケの人は?」
「ジェス・リブル。私の事務所の記者だ」
戻ってきたアイリスが席につきながら話に加わる。
「フリーのジャーナリスト始めたって聞いてましたけど、プラントには取材で来たんですよね? ジェスさんが取材担当なんでしょうか?」
「まあそんなところかな。俺はナタル所長に連れてこられただけだけど、プラントのことも自分の目で見ておきたいと思って。で、ナタル所長、この人たちとの関係は?」
「以前の職場の部下だ」
「その以前の仕事って奴、俺まだ聞いてないんですけど……」
ナタルが説明するよりも早く、テーブルを叩く手があった。空気が、一瞬で嫌な色を帯び始めた。そこには、テーブルに手を置く軍服じみた格好をした若者と、その後ろには似た格好の集団がいた。
「役立たずは役立たずなりに、隅で目立たなくしているべきとは考えないのか?」
突然の乱入に、フレイは不快感を隠そうとしない。
「何よ、あんたたち……!」
若者集団は明らかにディアッカを、隻眼、隻腕の姿を見ていた。
ディアッカは手慣れた様子で、懐から取り出した1枚の写真をテーブルに放った。それを見た途端、若者たちの表情が明らかに変わった。写真には、ザフトきってのエースとして知られるアスラン・ザラとディアッカが他の仲間たちと並んで写っていた。
「俺は3年前、かのアスラン・ザラとともにヤキン・ドゥーエの戦いに参加した。この傷はその時負った名誉の負傷だ。人類の未来のため、プラント国民2000万のために命をかけた戦士への報いがこれか!?」
妙に芝居がかったディアッカの言葉は、若者たちを見て分かるほど動揺させた。
「し、失礼しました!」
どこの軍隊式でもない形だけの敬礼をすると、若者たちは逃げるようにテーブルを離れた。
残されたのは、不機嫌さを隠そうともせずに若者たちの背中を睨んでいるフレイ。
「ディアッカ、今の何なの?」
「別に見せようとしてた訳じゃないんだけどな。ただ、あれがプラントの現実だ。近くでおやじの講演会があったから、それが原因かもな。おやじ、ナショナリストには人気がないからな」
反デュランダル派として知られるエルスマン議員は、あの手の若者集団に敵視されていることはここでは常識だった。
すっかり悪くなってしまった気分の中、とりあえず飲み物を注文する。5人全員分の飲み物がそろったところで、ディアッカは話を始めた。
「じゃあ、フレイ。ジャスミン・ジュリエッタのこと、覚えてるか?」
「目の見えない人で、アイリスのお姉さんにあたるヴァーリでしょ……。でも、少し顔をあわせたくらいだけど、3年前に戦死したって……」
「プラントが地球軍の侵攻を押しとどめるため、傷病兵や障がい者を捨て駒に使ってな。プラント国内じゃ、特攻は偉大な犠牲だってことになってる。彼らが命をかけて戦ってくれたからこそ今のプラントはあるんだ、ってな。実際、彼らを題材にした小説はプラント国内じゃヒットを飛ばしてる。だがそれは、どこか自己弁護めいてる部分があってな……」
ディアッカがコーヒーを口に含んだ間、アイリスが代わりを買って出た。
「いい作戦だったって思い込もうとしてるところがあるんです。価値のある死で、犠牲は仕方がなかった……。そんな考えが、障がい者を犠牲にしても仕方ない、そこまで行き着いてしまって……。元々、プラントは障がい者差別が激しい国でしたけど」
「それに、彼らはユニウス・セブン世代だ。血のバレンタイン事件が起きたのが今から14年前。その頃に物心ついた世代はずっと地球は悪い奴だ、ナチュラルは悪い奴だって教えられてきた世代だ。おまけに、プラントから一度も出た経験がないのも、この世代には多い。だからいつの間にか、ナチュラルを悪と考えて当然なんて世代ができて、誰かがそれをユニウス・セブン世代って呼び始めた。ちょうど、俺と同じくらいか、下の世代からだな」
さすがに空気が悪いと感じたのか、ディアッカは努めて微笑もうとしていた。
「俺も最初、いやな奴だったろ?」
一時期はフレイとアイリスの不仲を助長するようなことまでしでかしたことがあった。
そんなディアッカに、フレイはどこか呆れたように微笑みを返した。
「今はいい奴って言ってほしいの?」
「ま、そんなこんなで、おまけに今は戦時中だ。物価を見てわかるだろうが、この国の消費税が現在78%。まだ上がり続けてる」
店員が置いていった伝票を見せると、そこには地球の標準からすれば倍近い金額が並んでいる。
「しかもジェネシスで地球を狙ったことで外交的には孤立。そんな中、ギルバート・デュランダル議長はナショナリズムを利用して支持を集めてる。一度演説会場に行ってみればわかるが、熱狂的な支持者はそんなユニウス・セブン世代が中心だ。中にも外に敵を作って仲間意識を高める、それが議長殿の政治戦略ってことだな」
そう、ディアッカはありもしない左腕を撫でるような仕草をしてみせた。義手をつけることもなく失われた左腕をさらしているのは、プラント国内の障がい者の存在感を周囲に示す意図もあった。
アイリスもまた、どこか悲しそうとも寂しそうとも言える顔を見せた。
「さっきの子みたいに親衛隊気取りの若者の、障がい者や潜在ナチュラルの襲撃事件が社会問題化してます」
周囲を見渡すと、何人かの徒党を組んで軍服に似せた格好をしている若者たちの姿が目立った。先程の若者たちが例外ということはなかった。
ナタルは、久しぶりに訪れたプラントの実情をかいま見たことでわかりやすく眉をひそめた。
「3年前は、まだここまで深刻ではなかったが……」
しかし確実に、弱者差別、障がい者差別の意識は根付いていた。優れた人間を望む社会の中で、優れていない人間は望まれない。コーディネーター思想の宿痾とも言うべき現象であった。
ディアッカが続けると、ジェスが問いかけた。
「ナチュラルは不善。コーディネーターは善。そう教え込まれてきた奴らに今更戦争でナチュラルに勝てませんなんて言える政治家なんていやしない。優れてないコーディネーターなんてアイデンティティーの崩壊もいいところだ。だが、国力差を考えればプラントの負けは決まってる。だから真相を隠して勇ましい言葉でごまかし続けるしかないんだ、この国は……」
「それが、どんなに歪んであってもかい……?」
ヤラファス港から、大西洋連邦軍の航空母艦が出航していった。隣に停泊していたザフト軍のミネルヴァはすでに1時間前に出航を終えている。空になった港を、な欄d二つの双眼鏡が見つめていた。カガリ・ユラ・アスハとユウナ・ロマ・セイランの2人が遠くから眺めていたのである。
先に双眼鏡を下ろしたのはユウナの方だった。
「これで、呉越同舟の奇妙な光景も見納めか。どっちつかず。そんな今のオーブを象徴してるみたいだったけどね?」
カガリは双眼鏡を外すとともにそばに置かれた椅子に腰掛けた。
「勘違いしているようだが、少なくともオーブにプラントにつく選択肢はない。ただ、世界安全保証機構に参加するかどうかで揺れているだけだ」
「ところでカガリ、ヴァーリって何だい? いや、聞いてはいるんだけどね、あまり詳しくは知らないんだ」
ユウナは水差しから二つのグラスに水を注ぐ。その間、カガリは悩んだように口元に手をやりながらユウナを見ていた。グラスを差し出されたことで迷いがとけたか、あるいは単にグラスを受け取るためか、カガリは口から手を離した。
「今はまだおおっぴらにする時期じゃないが、お前には知っておいてもらった方がいいだろう。昔、次世代コーディネーターを生み出す実験が行われた。そのために考えられた手段は二つだ。単純に性能を高めるか、より社会に適合する素質を作り出すか、だ。ヴァーリは後者のプロジェクトだった」
その実験はすべて、今はなきユニウス・セブンで行われた。反コーディネーターを叫ぶ思想団体ブルー・コスモスがユニウス・セブンを襲撃し、結果として血のバレンタイン事件を引き起こしたのもそのためだ。
「26のクローン胚にそれぞれ別の遺伝子調整を施し、どの調整がどのような影響を与えたかを調べるとともにそれぞれに別の能力が添付された」
それによってどのような調整がどのような能力を導くのかを解析するとともに、26人のクローンすべてが異なる特性を帯びることとなった。その結果、同じ顔ながら特性も素質も違う26人の姉妹ができあがった。
「また、これはオーディションでもあった。責任者の1人であるシーゲル・クラインは自分の手駒として、全員にある種の洗脳を施し自分への絶対の忠誠を誓わせた。その後、まず26人の娘の中から6人を選び出し、ダムゼルと名前を与えた」
「ダムゼル、古い言葉で乙女、だったかな?」
「そうだ。そして、失敗作としての20体はまとめてフリークとされた。そして、6人のダムゼルの中から、1人だけが娘として選ばれ、クライン姓を名乗ることが許された。それがラクス・クラインだ」
ヴァーリの名前はアルファベットの組み合わせでできている。フォネティック・コードと呼ばれる、誤認防止用のアルファベットの言い換えと、同じ頭文字を持つ花の名前がつけられた。ラクスの場合、ヴァーリとしての名前はガーベラ・ゴルフ。GolfのGと、Gerbera。よって、G・G。それが、このような組み合わせがアルファベットの数だけ、26人姉妹全員に共通する命名法だった。
カガリはグラスの水を口に含みつつ喉を休めると、少しの間を置いて再び話し始める。
「そうして、6人のダムゼルはラクス・クラインを中心にシーゲル・クラインの手足となって働いた。3年前まではな」
「何があったんだい?」
ユウナもまた、水を飲みながら尋ねた。
「一つは、シーゲル・クラインが死んだこと。次に、第6のダムゼルであるゼフィランサス・ズールが男と逃げた」
思わず咳き込むユウナだったが、カガリに吹き付けてしまうような真似だけは回避することができた。許嫁がむせかえっているをかまわず、カガリは神妙な面もちで1人、考えを巡らせていた。
「だが実際、シーゲル・クライン亡き今、ダムゼルがどう動くか正直、予想ができない」
大型のソファーの置かれたリビングに大窓からの光が差し込んでいる。ここには5人の少女がいる。1人だけが窓を前に立ち、残りの4人は全員がソファーに腰掛けていた。
そして、5人はすべて同じ顔をしていた。
桃色の髪をした少女、ただ1人立っている少女が日の光に背を向けてソファーに座る姉妹たちに話しかけた。
「5人ものダムゼルが集まるなんて、3年ぶりでしょうか?」
4人のうち、2人は緑の髪にラフな格好で、三つ編みを左右どちらの肩に垂らしているかくらいしか見分けがつかない。3人目は青い髪に白衣姿。4人目の赤いドレス姿の黒髪の少女がまずは答えた。
「余計な話はいいんじゃないかしら、ラクスお姉さま。お父様亡き今も、私たちがすべきことは何も変わらないもの」
Nのヴァーリにしてダムゼル、ニーレンベルギア・ノベンバーの言葉に、Dのデンドロビウム・デルタがちゃかしたように反応する。
「ニーレンベルギア。珍しく積極的だな」
「デンドロビウスお姉さま、言葉の意味によっては怒るわよ?」
ここにいる5人はその全員がダムゼルだった。そして、立っている唯一の1人が、至高の娘、ラクス・クラインである。
「しかし、すべてその通りです。わたくしたちダムゼルはお父様のために戦い続けてきました。デンドロビウムお姉さまは地球圏を混乱させるために暗躍し、ニーレンベルギアは人の新たな可能性を研究し続け、サイサリスはモビル・スーツ開発を行い、エピメディウムはオーブをつなぎ止めてくれました」
Dのダムゼル、デンドロビウム・デルタは地球圏の反体制派ゲリラに武器を横流しし、地球の屋台骨を揺るがす活動を続けていた。
Nのダムゼル、ニーレンベルギア・ノバンバーは人体強化の実験を続けている。
Pのダムゼル、サイサリス・パパが関わっていないザフト製モビル・スーツの方が珍しいほどだ。
Eのダムゼル、エピメディウム・デルタは時にカガリとぶつかりながらもオーブ首長国のプラントよりの国家観を維持し続けていた。
そして、Gのダムゼル、ラクス・クラインは新たなクライン家当主として、議員の座を手に入れるとともに現在のプラントの形を作り上げた。
すべては、愛しいお父様のために。
「お父様は希求された理想の国は近づいています。わたくしたちはその最後の仕上げをしなければなりません。ここに誓いましょう。この命、新たらしい世界のために捧げると」
ラクスがその左胸に手を置くと、その前に並んで座るダムゼルたちもまた仕草をあわせた。ただ1人、エピメディウムを除いて。
「ねえ、ラクス姉さん。本当に、本当にこれがお父様の望まれた世界なのかな?」
カガリの前ではあくまでもマイペースを崩さないエピメディウムだったが、ここでは表情を曇らせ、煮え切らない顔を作っていた。
「今のプラントを見ていると地球の歴史の繰り返しに見えるよ。ナショナリズムに民族差別、他国を自分よりも下位の存在と位置づける考え方しかできない民衆もそう。僕には、今のこの国がお父様の望まれた姿には思えないんだ」
立ち上がったのはエピメディウムにとって双子の姉とも言うべきデンドロビウムだった。
「お父様のご遺志を疑えばフリージアの死が無駄になる!」
「疑ってるとか、そんなんじゃないよ。ただ、僕はラクスにお父様を独占してもらいたくない。たしかに君はラクス・クラインだ。最高のダムゼルで、最高のヴァーリだよ。でも、お父様が亡くなってしまった今、僕の中でお父様は揺れ動いてる。なのにお父様のお考えはこうだって押しつけられても、うまく頭の中でまとまらないんだ」
怒りの中に不安をにじませた顔をしたデンドロビウムに見守られながら、エピメディウムは立ち上がる。正面のラクス・クラインはただ微笑みながら見ていた。
「僕が悩んでるのはそんなことだよ。これからの世界も、これからのオーブのこともね」
ダムゼルには6人が選ばれた。しかし、Zのダムゼル、ゼフィランサス・ズールが父の下を離れ5人となった。そして、父の名の下に考えを束ねることができなかったことも、初めてのことだった。