夜の闇を炎が照らしている。基地を、街を焼いた火はいまだ消えていない。
アスラン・ザラはZZ-X3Z10AZガンダムヤーデシュテルンのコクピットでくつろいでいた。敵の援軍が到着するまでには時間がある。今コクピットに翠星石の姿はない。基地からデータを抽出している最中なのだが、まさか立体映像を投影できなくなるほど容量をくうはずがない。潜っているという表現を端的に示そうとしているのだろう。
しばらくして、翠星石の緑を基調とした小さな姿が映し出された。その手には何故か紙の束が抱えられている。
「アスラン、データは無事だったです」
要するに、データを持ち出してきたことを表現しているのだ。
翠星石は全天周囲モニターに資料を1枚張り付ける。赤と黒のグラデーションを描く外外の風景を上書きして張り付けられた資料が広がる。資料にはエインセル・ハンターがこの基地を訪れたこと。そして、目的地が克明に記載されていた。
たかが一つの基地を潰すためにガンダム・タイプを8機も投入した価値はあったようだ。そう、アスランは口の端から息を吹いた。
「どうやら悪魔の尻尾を掴むことができたようだ」
ヤーデシュテルンの、アスランのすぐ隣にはZGMF-56Sインパルスガンダムの搭乗するルナマリア・ホークがいる。
「やりましたね。さすがです、アスランさん!」
「ボーパールに逃げ込んだらしいだ。赤道同盟の工業地帯だが、軍事施設としても機能している場所だ。フォイエリヒガンダムの修復には最適だと考えたんだろう」
「じゃあ、これでエインセルを倒すことができますね。私、エインセルがしたこと、絶対に許せません! 思い知らせてやりましょう、アスランさん!」
アスランはすぐには答えず、翠星石がモニターに張り付けた資料に目をやった。東南アジアから中央アジアにかけての地図だ。ご丁寧にマレー半島北側に現在位置が、赤道同盟旧インド地区のほぼ中央にボーパールと表示されている。
エインセル・ハンターは美しい男だ。磨き上げられた刃のように見事な光沢と人の体に食い込む鋭さが混在している。悪魔の巣くう場所を示す地図に怨敵の顔を思い重ねながら、しかしアスランは曖昧な表情を見せるだけだった。無表情というには口に落ち着きがないが、どのような思いを胸中に描いているのか判然とするほどには表情がない。
「そういえば、君たちもフォイエリヒを見たことがあったんだったな」
「はい。アポロンとか言う未完成のコロニーで見ました」
「新造コロニー自体は珍しいことじゃないが、こんな要塞に流用できるとは思えないコロニーにフォイエリヒを持ち込んで何をしていたんだ?」
ルナマリアとシン・アスカは以前の部隊に所属していた時、モビル・スーツが配備された民間コロニーという不釣り合いな警備体制に出くわした。それだけならまだしも、現在においても最高峰の性能を有するフォイエリヒガンダムまで持ち出していた理由を、アスランにはわからないでいる。
そうしているうちに、ルナマリアの方は考えることを諦めたようだ。
「相手が何を考えていようと、全部叩き潰してやりましょう。自由と正義の名の下にみたいに! 私、オナラブル・コーディネーターで、あまりプラント政府にいい印象ありませんけど、あいつに好き勝手させちゃいけないことくらいわかります!」
単純と言えば単純だがその朗らかな様子に、アスランはつい笑みをこぼした。
「そうだな。だが、追撃はレイに任せようと思う。俺はここで部隊を分けるつもりだ。ヒルダたちはレイの傘下に加わってもらうが、俺がエインセルを追うことはない」
「ど、どうしてですか!?」
「いまだ影響力を残しているとは言え、エインセル・ハンターは所詮、過去の人間だ。その抹殺はあくまでもザフトの軍としてのけじめのようなものだ。俺自身の手で決着をつけることにあまり意味はないんだ」
アスランは努めてアスラン・ザラでいることを心がけている様子だった。つまり、優れたパイロットであり、人々を導く理想の軍人としての映画のイメージそのままのアスランザラでいることに。
「ルナマリア。俺は別任務に当たることになるが、君も来るかい?」
ミネルヴァの開け放たれた小さなハッチから鋭角に朝日が飛び込んでくる。すでに照明を必要としないくらい、格納庫は明るくなっていた。床にいれば照り返しがきついだろうが、キャット・ウォークに乗っているシンには辛いものではなかった。
ミネルヴァはすでに次の目的地に向かって航行していた。格納庫内にはパラスアテネに所属していたはずのインパルスガンダム3機の姿もあった。しかし、ルナマリアの姿はない。代わりと言えば慌ただしい様子で走り込んでくるヴィーノ・デュプレの姿があるだけである。
「シン、アスラン・ザラにかみついたって本当かよ!?」
「ヴィーノだってフィンブルを地球に落とせばいいなんて言ってたろ。ただそれと同じことしただけだ」
「でもよお……、相手はフェイスだぞ。どうすんだよ……?」
シンは手すりに体重を預けてヴィーノの方を見ないようにしている様子だった。
「仕方がない、必要な犠牲だった……。そんな言葉、犠牲にされた人から聞いたことないんだよ。いつだって犠牲を強いてる奴の言い訳でしか聞かない!」
この怒声はヴィーノの方へと吐き捨てられたものではなかった。それでもヴィーノは萎縮した様子で黙り込んでしまう。格納庫の作業の音からは遠い場所である。3人目の足音はシンの耳にも届いた。つい確認すると、レイ・ザ・バレルが近づいていた。
「お前といると退屈とは無縁だな、シン」
どこか皮肉っぽいところは普段通りのレイである。この言葉に焦りを見せたのは、なぜかヴィーノの方だった。
「た、隊長はどっちの味方なんすか?」
「ヴィーノ、いい質問だな。俺はアスランとは旧知の仲であり、俺自身フェイスだ。そして、ザフト軍内で責任ある立場にいる」
さらにヴィーノは慌てた様子を見せる。シンがレイにまで喧嘩をふっかける危険性が高まった、そう考えたのだろう。
しかし、当のレイは構うことなくシンの横へ、同じように手すりに寄りかかった。
「アスランは焦りすぎなんだ。そうなったのはやはり2年前の大戦が切っ掛けだった。あいつは戦友を失い、大勢の人々が自分の目の前で為す術もなく死んでいく様を見てきた。自分が迷えばその間にも人が死んでいくと考えているんだ」
「そんなの……、言い訳ですよ!」
「そうだな。それは理由にはなっても正当性の根拠はならんだろう。だがな、シン。お前には、いや、俺たちにはそれを糾弾できる立場にはない。よく勘違いされることだが、軍の仕事は国民を守ることではなく、その国の現体制の維持に他ならない。所詮は権力者の駒に過ぎない。自国民でさえこれだ。他国民を守る義務などない」
「でも俺は……」
「ギルバート・デュランダルもラクス・クラインもそのつもりでザフトを動かすだろう。そしてお前は、ザフトだ。お前が命令に背けば俺はお前を撃たなければならなくなる」
シンがザフト軍に入った理由は、突き詰めれば母を失ったことにある。しかし、そんな母を奪われた少年は、いつの間にか奪う側へと変わっていた。シンが思わず言葉を失ったのはそんなことに気づかされたからだろう。
「シン。俺はお前の味方ではないのだろうが、お前を斬る口実なんぞ手にしたところで俺には何の得もない。わかるな?」
そうとだけ言い残し、レイはその場を離れた.残されたヴィーノは慌てた様子でシンの横に走りこんだ。
「な、なあ、シン! 俺は、お前のしたこと、俺は間違ってないと思うぞ……。隊長だってさ、立場上ああ言わないといけないってだけでさ……」
「……ヴィーノには意外にかもしれないけどな、俺、レイ隊長のことは信頼できると考えるようになったんだ。外人部隊にいた頃、正規軍はまともに支援要請に応じてなんかくれなかった。でも、隊長だけは、来てくれたから」
巨大な黄金の胸像が2人の男女を見下ろしている。デュアル・センサーはカバー・レンズが割れ、内部のカメラが露出している。満身創痍。このたった一言で今のZZ-X300AAフォイエリヒガンダムの状態を表現することができてしまう。
そのただれた黄金には女性の歪んだ姿が写っていた。厚手のシャツにタイト・スカート。艶めいた長い髪に化粧が上品に施された大人の女性はセレーネ・マクグリフ。すぐ隣は世界安全保障機構では赤道同盟の代表を務めるソル・リューネ・ランジュである。
ソルはスーツ姿であり、この一組の男女は一見するとモビル・スーツとは無縁の2人のように思える。事実、ソルの方はどこか緊張した面持ちをしている。30にはなるというのにどこか子どもっぽさが抜けていないところが、このソルという男の魅力なのかもしれない。もっとも、世界安全保障機構ではそのせいか、十分な存在感を発揮できていない。
「これが世界最強のモビル・スーツなんだね、セレーネさん」
「全高約25m。重さ150t。大きさだけで通常のモビル・スーツの1.5倍、全身をアンチ・ビームコーティングで包んだ怪物ね。とても常人に扱える機体ではないわ」
「セレーネさんでも?」
「まともに動かすだけで一苦労よ。ファントム・ペインでも数えるほどでしょうね」
そう、このセレーネはファントム・ペインの1人である。一見すると朗らかな女性であるが隙なく周囲の様子をうかがっていた。事実、近づく足音に気づいたのはセレーネの方であった。
どこか現実離れした、絵画の中から颯爽と歩み出たような男が歩いてくる。その後ろには少女を2人引き連れている。まずセレーネに目配せすると、セレーネは微笑み返しておく。すると美青年は、エインセル・ハンターはソルの前へと歩み出た。
「ソル・リューネ・ランジュ代表。お目にかかれ光栄です。エインセル・ハンターと申します」
「初めまして。ご高名はかねがね。ジブリール代表とも保障機構の方で何度か会談の機会がありましたが、表舞台から退かれたことを惜しんでいた様子でした」
続いてエインセルはセレーネと握手を交わす。
「エインセル、お久しぶりね。それにヒメノカリスも。少しは親離れできたかしら?」
純白の衣装に身を包んだお人形の少女は、その愛らしい姿にまったくそぐわない険しい眼差しをセレーネへと向けている。
「お父様に近寄らないで」
怖い怖い、セレーネがそういった様子でエインセルとの握手をとりやめてもまだ、ヒメノカリスはにらみ続けていた。そしてもう1人、エインセルのスーツの端を掴んだ少女の姿がある。ヒメノカリスほど攻撃的でないにしても、エインセルを誰かにとられてしまうことを恐れているようにも見える。
「その娘は新しい娘さん?」
「この子はステラ・ルーシェ。残念ですが詳しくは軍事機密に属します」
「あなたらしくないジョークね」
ソルは別の違和感を感じていたらしい。
「セレーネさん、ハンター代表とお知り合いなんですか?」
「これでもファントム・ペインだもの。エインセルとはハワイ基地で会ったわ。それから7年もアタックし続けてるのに、まだいい返事がもらえてないの」
その頃にはすでにエインセルは既婚者であった。セレーネがそれでも構わず口説き落とそうとする度、妻であるメリオル・ピスティスは親の仇でも見るような目でセレーネのことを見ていた。今のヒメノカリスのように。
「ねえ、ヒメノカリス、新しいお母さん、欲しくない?」
当然、ヒメノカリスはその視線に殺気を含ませた。メリオルとヒメノカリス。この血の繋がらない母娘は、当人たちが考えている以上に似ているところがある。それがセレーネの印象である。
「あいかわらずいたいね。それじゃあ、そろそろ本題に入りましょうか?」
エインセルは内ポケットから恭しく紙切れを取り出した。紙は四つ折りで、セレーネが開封すると簡単な説明が書かれ、記憶媒体がしまわれていた。
「フォイエリヒの修復をお願いしたいのです。そして、そのデータを一切残してもらいたくはありません」
「なるほど、軍事機密ね」
説明を流し読みしたセレーネはふと少女、ステラ・ルーシェを見た。この金髪の少女は年の割に幼い印象で、怯えた小動物のようにエインセルの傍を離れようとしない。
「了解ね。もちろん一両日中とはいかないけど、できる限りお望み通りにするわ。それでいいでしょ、ソル?」
「ハンターさんの頼みを断ったなんて知れたらデュクロ将軍に殺されてしまうよ。ああ、エドモンド・デュクロ将軍はご存じですか? 南アメリカ合衆国の代表で、あなたの熱烈なファンですよ」
「面識はございませんが猛将としての名を聞き及んでいます」
ここで、セレーネはふと窓の外を見た。照明の明るい光の中ではつい忘れがちになるが、外はすでに日が落ち暗くなりつつあった。夕日にかすかに見える光景は黒い森だ。複雑に伸びた枝が絡まり合い木々のシルエットを描いている。
ここは赤道同盟、ボパール。魔王に仕える魔女が棲む森である。
ボパール。
そこは赤道同盟に位置し、大きな化学工場事故を引き起こしたことで知られている。工場のずさんな安全対策を原因として気化した化学物質が街に放たれ10000人以上が死亡したとされる事故の現場である。
C.E.75年現在、事故からすでに200年以上が経過しながらも事故による汚染は土壌と、そして人の心を蝕み続けていた。いつしかこの土地は汚染された場所として認識され、それは事故から100年を過ぎた時に人々の感情を鈍化させていった。
すでに不浄な土地である。人々は産業廃棄物をこの場所へ捨て始めた。あらゆる汚染物質が土壌を汚染し、さらに人はこの場所を汚すことに抵抗をなくしていく。
開け放たれたままの容器が無造作に捨てられる。その口からは汚染物質が流れ出す。廃棄する手間を惜しんだ車がそのまま乗り捨てられた。
重度の毒性を扱う化学工場が再び操業され、様々な処理工場が建造された。そこではあらゆる鉄と毒とが捨てられ、それは人々の無責任と強欲のたまり場となった。
化学物質による便利な生活は欲しい。しかし、そのことで必然のように様々な毒物が乱される。どこか捨てる場所が必要になる。だが、それが自分の隣では嫌だ。そうして、人々の利便さと引き替えに打ち捨てられたあってはならない物はうずたかく積もっていく。
この場所の土は黒い。絶えず汚染物質を含んだ水が流れ、無造作に積み上げられた廃棄物から伸びた鉄筋は枝のよう。
ここはまるで森であった。悪魔が気まぐれに木々をもだえさせ、その挙げ句に水に毒を混ぜ木を鉄に変えてしまった。そうして作られた森のようだと。
今、この場所は魔王として恐れられる男がいる。その男の名はエインセル・ハンター。かつてブルー・コスモスの代表としてプラントを恐怖に陥れた男である。プラントではこの男は悪の象徴として語られる。
自分たちはただ平穏に暮らしたかっただけである。しかし、エインセル・ハンターにそそのかされたナチュラルたちが攻め込んでくる。だからこそ、戦うしかなかった。自分達は侵略の被害者である。
フィンブルの落着の責任はプラントにはない。そもそもの責任は地球側にある。彼らが信頼にたる人物たちであったなら我々はこのような行動をとる必要がなかった。すべての責任はナチュラルにある。
ジェネシスが地球を焼き払う直前に至ったことは事実である。だが、そうまでさせたのは誰だ。すべてはエインセル・ハンターに従ったお前たちに追い詰められて仕方なくしたことにすぎない。
我々は平和を愛し、しかしそれを守るためにはあらゆる手段を辞さない。
ここはボパール。人類の生み出したあらゆる毒がここにある。
ザフト軍はピートリー級陸上戦艦まで動員しボパール侵攻を開始した。元々アフリカ戦線に使用されるはずであったキャタピラで移動する巨大戦車とも言うべき戦艦を3隻、モビル・スーツ部隊3個大隊に加え、ミネルヴァを含む大部隊である。軍事施設があるとは言え、一つの基地を襲撃するには大がかりである。
それほど、プラントはエインセル・ハンターという存在を重視していた。いまだにブルー・コスモスを通じて多大な影響力を有すること以上に、多くの同胞をその手にかけた怨敵として。
現在、ボパールでは黒雲が立ちこめ雨が降りしきっている。まるでこの世の終わりさえ想像させるような陰鬱で重たい雨である。それは鉄骨の枝を伝い、廃棄物の山の間をくぐり抜けていく中に毒を後に黒ずんでいく。それが汚染にまみれた土砂の上を這い、やがては支流となって川へと、海へと流れ出していくことになる。
そんな鉄の森をピートリー級が鈍重ながら動きで進んでいく。あらゆる廃棄物が複雑な地形を作り出している場所である。ピートリー級がお上品に道を選んでいる余裕などない。キャタピラと呼ぶにはあまりに巨大な歯車が瓦礫の山を進んでいる。押し潰された残骸の甲高い音は断末魔の悲鳴だろうか。
その周囲にはZGMF-1000ヅダの姿があった。こちらも雨に打たれながらもただ黙々と行軍を続けている。頭部を伝った雨が雫となってモノアイの前を通り過ぎる。土砂を踏みつける音、駆動音が重々しく雨音に混ざる。
その様は聖地巡礼を志す敬虔な信者の行列さえ思わせた。
それは決して間違ったたとえではない。ザフトにとってこの戦いはもはや信仰として相違ない。彼らは信じている。エインセル・ハンターさえ討ち取ることができたならこの戦いは終わるのだと。
根拠はどこにもない。しかし誰かが言ったのだ。この戦いの責任はすべて敵にあると。そして、敵とはナチュラルであり、彼らをそそのかしたのはブルー・コスモス、その代表であったエインセル・ハンターなのだと。ゆえに、エインセル・ハンターさえいなくなればナチュラルは自らの過ちに気づくのだと。
だからこそ、ザフトはエインセル・ハンターを目指すのだ。雨の中、一切の苦悶もなくひたむきに。
ミネルヴァはエインセル・ハンターを追っていた。ブルー・コスモスの代表を務めたこの男はプラントにとって怨敵に他ならない。討ち取ることは悲願であり、ミネルヴァは友軍の陸上戦艦ピートリー級数隻とともにその潜伏先を目指していた。ミネルヴァはボーパール西側のアッパー湖から、ピートリー級は南側からの波状攻撃を仕掛けるのである。
現在、ミネルヴァの格納庫では隊長であるレイ・ザ・バレルを中心に5名のパイロットが集まっていた。しかし、レイは演説の類いを好まない。簡単な最終確認を終えると、すぐにモビル・スーツに乗り込もうとした。
そのことが、アスランの部隊から参加した3名のパイロットには不満に感じられたのだろう。そろってレイに詰め寄っている姿があった。
その光景を、シンはインパルスのコクピットから眺めていた。盗み見しているつもりはないのだろう。単に作戦に備えて機体に乗り込んだところ、たまたま格納庫の一角に視線がよったにすぎないのだから。
アスランの部下である3人を、シンはヒルダ、マーズ、ヘルベルトと聞いた。眼帯をつけた気の強そうな女性に柄の悪い男が2人、それがシンの印象である。レイとは10歳以上年上のはずだが、この隊長は普段と変わらない様子であしらっている様子である。特にリーダー格と思われるヒルダは遠くからでもわかるほど興奮した様子である。おそらく、人類の未来のためにエインセル・ハンターを倒さなければならない、あなたには正義感というものがないのか、そんなことをまくし立てているのだろうとシンは何の気なしに考えた。
それはヴィーノも同じことだったようだ。モニターにヘルメットをかぶった少年の顔が映し出される。
「なあ、シン。レイ隊長のとこ、喧嘩売りに行かなくていいのか?」
「お前って、本当に素直な奴だよな」
シンとしては皮肉まじりのつもりだったのだろうが、ヴィーノは素直に褒め言葉と受け取ったようだ。
「照れるって」
「まあいいけど。放っておけよ。別に隕石を地球に落とそうとしてる訳でもないしな」
「だから悪かったって、あの時は……。なあ、シン、地球ってどんなところなんだ?」
ヴィーノがずいぶん神妙な顔になっている様子に、シンは以前もルナマリアに似たようなことを聞かれたことを思い出していた。プラント生まれの若者は一度も入隊するまで一度も地球に降りたことのないことも珍しくない。
「ああ、地獄のようなところだ。コーディネーターってだけで列車にすし詰めにされて強制収容所に運ばれて、裸にされてガス室に送りこまれるんだ。そして殺された人が身につけた貴金属が没収されるのはもちろんのことだけど、金歯や銀歯を引き抜いて死体の脂肪からは石鹸を作られるんだ」
「ほ、本当かよ!?」
「嘘に決まってるだろ」
すると、ヴィーノはまるで漫画のような前のめりに上半身を倒した。俗に言うずっこけることを現実に表現しようとすればこのような形になるのだろう。
「別にヴィーノが考えてるほどひどいところじゃない。プラントに移住したコーディネーターが多いことも事実だし差別がないとは言わない。けど、意外と地球じゃ遺伝子操作が意識の上ることはないんだ。ほとんどの人にとって遺伝子操作なんて身近な話って訳じゃないからな。そういう意味でじゃプラントにいる時の方が自分がコーディネーターなんだってこと意識させられるな。俺だって、プラントに来たのは個人的な事情の方が大きいからな」
「個人的な事情って?」
「話したくないことだから個人的な話なんだよ」
「そっか」
それだけ言うと、ヴィーノは思いの外あっさりと引き下がった。良くも悪くも深く考えない性格なのだと、シンも最近気づき始めている。
まさか母親とのことを同僚に話す訳にはいかない。なにせ、シンはルナマリアにもまともに話したことはなかった。もっとも、以前の同僚はすでにここにはいない。アスラン・ザラのファンを公言する彼女にとって、憧れのアスランからの誘いに断る理由などなかったのだろう。
しかし、別れの挨拶もなかったことがシンの心に妙なしこりを残していた。
雨は降り続けている。