アーク・エンジェルのブリッジから眺める戦況はマリュー・ラミアスが想定したものと様相を異にしていた。戦力の絶対的な不足を、ゼフィランサス・ズール主任はわり算のような奇策で解決した。
GAT-X105ストライクはマリューが知り得もしなかったユニウス・セブンの地下通路でザフトの侵攻を完全に押しとどめている。
TS-MA2.mod00メビウス・ゼロはメビウスでの戦闘経験のないアーノルド・ノイマン曹長が担当した。ここがこの作戦のもっとも眉をひそめた部分であったのだが、アーク・エンジェルの操舵を担当するアーノルドは戦艦との連携を非常に得意としていた。時間稼ぎに徹することで、4機ものモビル・スーツを足止めしていた。
そして、正規のパイロットであるムウ・ラ・フラガ大尉はミストラルという作業ポッドだけでGAT-X207ブリッツを無力化することに成功した。
「まさかこれほどの戦果が……」
思えば、ゼフィランサスという少女との出会いは疑惑から始まっていた。このような少女がモビル・スーツの開発者であるはずがない。その疑問は、すでに払拭され、この戦果を疑うはめになった。
だがぎりぎりの戦いであることに変わりはない。一つのイレギュラーで何もかもが台無しになってしまう危険性があった。マリューは自らの危惧が決して杞憂であるようには思えずにいた。
それは、投擲されたナイフのようであり、研ぎすまされた槍の穂先のような外観を赤く染めあげていた。
ただ1機の重戦闘機がユニウス・セブンを目指していた。大西洋連邦のものではない。ザフトに所属しているわけでもない。
それは、先端に備えられた4枚の白いプレートをザフト軍ローラシア級へと向けていた。何のことはない。標的にローラシア級が選択された理由はわからない。単にユニウス・セブンに展開する部隊の中で最も外周に配備されていたのがこのローラシア級であるにすぎない。
標的とされたローラシア級が一斉に艦砲を向ける。しかし、それはすばやく大口径の砲塔では標的を捉えることができない。小回りのきくバルカン砲はまるで効果がなかった。
それは、フェイズシフト・アーマーの輝きに装甲を包み、攻撃を無効化していた。
それの機首部分が開いた。4枚のブレートが四角形の頂点を維持するような位置関係でそれを広げていく。その様は、人が指を開くようとも、白い牙を持つ悪魔がそのいびつな口を開くようにもとれる。
掌。それとも喉元だろうか。そこに大型の銃口が開いていた。その口径は大きく、近距離ならば多大な攻撃力を発揮する事が見て取れる。
それは対空砲火をかわしながら器用にローラシア級の正面へと回り込むと、その口からビームを吐き出す。膨大な量の粒子が寄り集まり、光の柱となってローラシア級のブリッジを貫通し、戦艦はあらゆる場所から炎を吹き出しながら沈んでいく。
ザフト軍は一瞬にしてローラシア級を失った。そればかりか、それはラウ・ル・クルーゼが率いる部隊へと襲いかかった。
戦術の常識として、TS-MA2メビウスに代表される重戦闘機がモビル・スーツに勝てるはずがない。高い推進力の対価として旋回軌道が大きくならざるを得ず、高い機動力を有するとモビル・スーツにあっさりと優位な位置を取られてしまうからである。
ジン2機が迎え撃つ。アサルト・ライフルを無意味に乱射する様を、隊長であるはずのラウ・ル・クルーゼはただ眺めていた。
アサルト・ライフルの掃射を受けながら、それは美しく輝いていた。攻撃がまるで効果を上げないことに、ジンのパイロットは今更ながら慌てふためいた。後ろへと下がろうとするジンの姿は怯えているようにさえ見える。
再びそれが口を開く。だがそれは火砲をさらすためではなかった。2枚のプレートはつま先に、2枚が袖口に配される。指とも口とも言えた構造を構成していたのは四肢であった。四肢がまず人型を形作ると、胸部、続いて頭部が縦に回転して定位置に固定される。腰のバインダーにセットされていたライフルとシールドがその腕に掴まれると、GAT-X303イージスがその姿を完成させる。
母に与えられた力は可変機構。ザフト軍でさえいまだ実用化の目処さえたっていない機構を見せながらイージスは体を翻しその赤い機体を加速させる。
イージスはつま先のプレート先端からビーム・サーベルを発生させた。蹴りの動作に合わせて、ビーム・サーベルは逃げるジンの背中を捉えた。ジンに触れた部分からサーベルは形を崩し、ビームを一斉に浴びせかける。
焼き尽くされたのか、切り刻まれたのか。区別を求めることに意味はなく、ジンはその跡形を失った。
露払いのように、イージスのライフルからビームが2度発射された。1発は2機目のジンを撃ち抜く。2発目は、メビウス・ゼロへと向かった。
ビームはガンバレルと呼ばれるタル型のスラスター2基をかすめた。寸前で回避した技能は見事なものだが、ビームの熱量から完全に逃れることはできなかった。2基のガンバレルが爆発し、メビウス・ゼロは流されるままデブリに激突した。
これで、邪魔をする相手はすべて排除したと考えたのだろう。ラウと、部下である最後のジン1機を残して、イージスはユニウス・セブンへと降りていく。
次の標的に選ばれたのは、アーク・エンジェルであった。対空放火を繰り広げるが、それが無駄なあがきであることはローラシア級の末路によって証明されている。ライフルを起源として、ビームがアーク・エンジェル左舷、カタパルト・ハッチが格納されている部位を破壊する。爆発が、アーク・エンジェルを激しく揺らした。
ユニウス・セブンの焼け焦げた大地を突き破り、2機のモビル・スーツが破片をまき散らしながら滑走する。
GAT-X105ストライクガンダムはスラスター強度を高めたその勢いでGAT-X103バスターガンダムへと肉薄していた。ストライクの拳が振るわれる度、フェイズシフト・アーマーの輝きが放たれる。
一見するなら、バスターの重火器を完全に塞いだストライクが優位に戦闘を運んでいるように認められることだろう。しかし攻撃力においてはビーム兵器を有するバスターが依然圧倒的有利である。
ストライクは攻めるほかない。バスターは虎視眈々と一撃必殺の妙手を狙う。2機のガンダムは拮抗していた。
飛び出したストライクの拳をバスターが受け止め、反撃として放ったバスターの拳打はストライクが防ぐ。拳と拳の鍔迫り合いの体勢のまま、両者は引くことはない。スラスターには煌々と火が灯され、踏みしめる大地は砕けた破片を飛び散らせる。
バスターのパイロット、アスラン・ザラには相手の戦い方に覚えがあった。
「この無鉄砲ぶりは、まさかお前なのか!?」
10年も前の2月14日、奇しくもこの大地で命を落としたはずの仲間を思い浮かべる。
ストライクの操縦士、キラ・ヤマトは敵の動きをかつて知る人物と重ねていた。
「この動き、君か! アルファ・ワン!」
拳と拳で接触する2機は装甲の振動そのものを介して通信を行うことができる。接触通信と呼ばれるこの方法をどちらからともなく実践した。
「アスラン・ザラだ。今はそう呼んでもらおうか、テット!」
「僕の名前はキラ・ヤマトだ!」
アスランは改めて周波数をバスターに最初から設定されていたものに変更する。これでストライクと通信が行えるはずだ。通信の声質が変わったのは成功した証だろう。
「ではキラ! まだゼフィランサスのことが忘れられないのか?」
「当然だろ。ゼフィランサスは僕のすべてだ!」
キラが動く。ストライクが拳をずらし、自由になった上体を大きく揺らした蹴りを放つ。バスターは左腕で蹴りを受け止めながら、右からビーム・ライフルを突き出した。
「どうしてお前は今頃現れた!?」
発射されたビームをストライクは大きく体をひねってかわす。ビームが一筋に炸裂する。この爆圧さえ利用してストライクは鋼鉄の拳をバスターの顔面へと叩きつけた。
「あの男はゼフィランサスを、ヴァーリを利用しようとしかしてない! アスラン・ザラに選ばれた君とは違うんだ!」
踏みとどまる足が大地を砕き、バスターが殴り返す。まるで子どもの喧嘩だ。両者殴りあい、互いに拳の応酬が続く。
フェイズシフト・アーマーが輝き続ける淡い光の中、一際大きな光があたりを照らした。イージスガンダム。この赤いガンダムが撃ち抜いたアーク・エンジェルの悲鳴じみた光が届いたのだ。
「新手の新型か!」
「ゼフィランサス!」
ザフト軍であるアスランにさえこの事態は予定されていない。キラにしては目の前に敵がいることも忘れアーク・エンジェルの状況を確かめようとモニターを見つめる。
左舷の足部分が撃ち抜かれているが、本体そのものは無傷であるらしい。
イージスはこれで十分と満足したのか、それともガンダムをより優先しているのか、次にビームの落着点とされたのはストライクとイージスの間であった。引き離される形で2機のガンダムは飛び退く。
ライフルを持つバスターがレールガンをイージスへと発射する。肉眼では見えないほどの速度で発射された弾丸はたやすくかわされ、イージスは上空を旋回する形でビームを降らせてくる。
「アスラン、ここは任せた!」
「何を言っている!」
走り出すストライクの背中へとアスランは怒鳴った。イージスも高い攻撃力を誇るバスターを警戒しているらしい。目標をバスターに限定しているようだった。
だがキラの焦りをアスランは理解していた。アスランの隊長であるラウ・ル・クルーゼがこの好機を逃すはずがないのだ。
敵艦はいまだにイージスからのダメージを立て直せないでいる。対空砲火が弱い。砲火の隙間を駆け抜けて、ラウはバルカン砲の一つに狙いを定めた。引き金を引くなり、左腕のシールド先端のガトリング砲が次々と弾丸を突き立てる。
バルカン砲が引き裂けるように破壊され尽くしたところで、シグーは敵艦の正面にいた。
ずいぶんと楽に接近できたものだ。モニターにはブリッジの様子さえ見えている。ガンダム3機の三つ巴の争いを後目に、漁夫の利とはまさにこのことであろう。
モニター内に映るブリッジの様子を拡大し観察する。クルーたちが一様に、シグーを見たまま動こうとしない。
艦長席に座っている髪の長い女性がおそらく艦長だろう。ひかれたルージュの似合うなかなかの美人だが、怯えた顔では台無しだ。そして艦長殿のすぐそばに目的の少女、ゼフィランサスはいた。こちらは、まるで恐怖などなく、美しい少女のままだ。
通信はオープン・チャンネルで繋ぐ。
「こちら、ザフト軍所属ラウ・ル・クルーゼ。状況はすでにご承知だとは思うが、貴君らの命はすでに我が軍の手中にある。だが、我々とて無益な殺生で手を汚したいわけではない」
名も知らない艦長は、こちらの要求を聞くために身構えた。体から震えは抜けていないようだが、艦長たる資質はあるようだ。
「我々の目的はゼフィランサス・ズール女史の身柄にある。引き渡すのであれば、この艦を無傷で解放すると約束しよう」
要求が全面降伏であれば、ゼフィランサス主任を盾にしてでも賭にでる価値はあったかもしれない。しかし、ゼフィランサス主任の身柄だけとなると、リスクの方が大きいとように考えられてしまう。
相手はザフトきってのエースとして知られるラウ・ル・クルーゼである。
マリューは艦長席にしがみつくように手に力を込めた。渡すしか方法はない。しかし、問題は相手が約束を守る保証がどこにもないことだ。
時間はない。ではどうすればいい。目を堅く閉じ、様々な考えを巡らせるが、思わしいものには巡り会えない。そんなマリューの手を、そっと誰かが触れた。見ると、ゼフィランサス主任である。少女らしい小さな手をマリューの手に添えていた。近くで見ると、その顔はまだあどけなさが残っている。
ゼフィランサスはマリューの心を見透かしているかのようだった。
「私を引き渡して……。ラウ・ル・クルーゼは約束を違えないから……」
その言葉にどんな根拠があるのか、聞く気にはなれない。ただ、この少女を疑うつもりももはやなかった。マリューはその言葉にすがりついた。
一度だけ、目をきつく閉じて、それから敵をに睨みつけてやるつもりで目を開く。
「こちら、アーク・エンジェル艦長マリュー・ラミアス大尉。貴殿の要求通り、ゼフィランサス主任を引き渡します」
ブリッジの空気が一変した。特に大きな反応を見せたのは、ゼフィランサスと一番関係の深いナタル・バジルール小尉だった。
「ゼフィランサス主任……」
言いたいことも聞きたいこともあるのだろう。だが、時間がないことも事実だった。言葉を続けられないナタル小尉へと、ゼフィランサス主任は静かに語りかけた。
「大丈夫……。何も心配いらないから……」
「では格納庫を開放してもらおう。なお、私の部下が手を汚さずにすむかは貴君等の動き次第だ」
アサルト・ライフルを構えたジンがブリッジに正確に狙いを定めている。当然のことだが、猶予を与えてくれるつもりもないらしい。ゼフィランサスとナタル少尉にお別れをさせてあげられる時間などないようだ。
「交渉はやはり紳士的に行いたいものだな、ラミアス大尉」
銃を向けておきながら紳士的も何もないだろう。ずいぶん皮肉を好む男のようだが、その気配にはみじんの隙も見せていない。
シグーが格納庫へと移動を始めたためブリッジの視界から消える。
「ナタル少尉、ハッチの展開を」
命じられたとおり席に戻ろうとするナタル。マリューはゼフィランサスの手をとって艦長席から降りた。ゼフィランサス主任の様子をうかがうと、これから敵に引き渡されるというのに恐怖を感じているようには見えない。
ゼフィランサスを引き連れてブリッジの出口へと進んだ。それからブリッジまでの間に関する記憶は曖昧だった。様々なことを秩序なく考えすぎた。
ゼフィランサス主任を奪われたなら大西洋連邦は、穏健派はどうすればいい。ストライクを持ち帰っただけでは主導権を握ることができないのではないか。何より、軍籍にない少女の身柄と引き替えに生きながらえることが軍人として許されることなのだろうか。
どれも答えを見る前に格納庫へとたどり着いた。格納庫後部のほぼ中央。ここからなら全体がよく見渡せる。
左側奥ではイージスに攻撃された影響で加圧室へと通じるハッチが大きく歪んでいた。幸い、空気漏れはないようだが、こちらの発進口は当分使用できそうにない。片隅では修復中のGAT-X102デュエルが横たわっていた。
そして右奥。ハッチが開かれシグーが姿を見せる。新型、人の顔を思わせる形を見慣れたせいか、こちらを捉えるために動くモノアイは不気味に思えた。
整備士たちは遠巻きにシグーを眺めている。敵の間を、しかしまったく意に介することなくシグーは進む。ご丁寧にマリューたちのすぐ前にまで歩み出た。コクピット・ハッチが開く音さえはっきりと聞こえるほどだ。ちょうど、マリューの視線とコクピットの高さが水平に並ぶ位置にあるのだ。
コクピットから現れたのは、白いノーマル・スーツを身につけた仮面の男である。白は部隊を率いる者のみが着ることを許されると聞いている。ラウ・ル・クルーゼはコクピットから一飛びでマリュー、いや、ゼフィランサスの横へと着地する。ヘルメット越しに見えるその顔は、一瞬ムウ大尉を思わせたが、それは髪の色と質が似ているためであったらしい。
仮面をつけているせいではっきりとはしないが、少なくともムウ大尉ならこんな皮肉じみた笑い方はしないだろう。
ラウはゼフィランサスを一瞥した後、今度はマリューへと向かって、なんと敬礼を行った。
「ラウ・ル・クルーゼだ。貴君の賢明な判断に感謝する」
長年の軍隊生活で染み着いた習性から、つい敬礼をしてしまった。ずいぶん高度な皮肉をするものだ。ついお返しをしたくなる。
「マリュー・ラミアスです。お褒めいただき、至極恐縮です。では、今度聡明なご決断を見せていただくのは我らの番と考えます」
ゼフィランサスは渡した。約束は守らないというのでは承知しない。
いかにも真剣といった表情をつくると、それは自然と睨みつけるような眼差しになった。皮肉屋は口元を歪めながら笑う。
ゼフィランサスという姫君を連れてこれからラウ・ル・クルーゼがシグーへと飛んでいく。
その時だった。
格納庫内に通信が響く。ナタル小尉の声だった。その声音は錯乱しているようにも思える。焦っているとも、恐れているとも感じられるのだ。
「マリュー艦長、ストライクが、ストライクが……!」
一体何が起きているのか。マリューはつい、見えもしないブリッジの方を見上げた。
外では、蹂躙とも殺戮とも暴威とも言える世界が展開していた。
ジンが1機、その無残な姿をさらしている。右手は手首から先がもげていた。左足は膝から先がねじ切れて失われている。首が支えであるフレームを砕かれたことでわずかなコードのみで肩にぶら下っていた。
満身創痍。それでもまだ、死神に手渡されてはいない。傷だらけのジンは文字通り、ストライクの手にあった。
ストライクの左手がジンの大腿部に食い込んでいる。右手は首が置かれていた穴を指がかりに上半身を掴みとっていた。ストライクが、ジンを仰向けの姿勢で頭上にかつぎ上げていた。
音が聞こえてくるはずのない宇宙でも、金属の軋むいやな音が聞こえてきそうだった。
ジンの体が小刻みに震える様から、恐ろしいほどの力が加わっているのだとわかる。その振動が突然やんだとき、ジンの腹が割け、腰が砕けた。あり得ない方向へと、一つ目の巨人の体が折れ曲がる。
ブリッジでは誰もが凄惨な光景に息を呑んでいた。
ラウはシグーのコクピットにゼフィランサスを連れて戻っていた。よって、部下の断末魔はここで聞いた。
「隊長! 隊長ぉー……!」
通信を通してその部下はラウの名を呼んでいる。コクピットに亀裂が入る音が届く。一際大きな破断音がしたかと思うと、それは悲鳴を飲み込んでノイズへと変わった。
ラウは膝の上に小さく座った少女へと、素直な疑問を口にした。
「ストライクのパイロットは何者だ?」
赤い瞳がラウの仮面を眺めてから、小さな唇が動く。
「キラ・ヤマト……。以前はテット・ナインて呼ばれてた……」
聞き覚えのある名に、ラウはヘルメットの上から顔を抑えた。意味のないことだとわかっているが、こうでもしたいほど、おかしくてたまらないのだ。
ラウは声を上げて笑っていた。
これほどの皮肉があるだろうか。まるであの日と同じではないか。10年。決して短くはない時間を経てもなお、同じ光景、同じ場所で繰り返されようとしている。なんたる皮肉か。ラウの笑いは、この侮蔑と嘲笑に満ちた世界への賛歌である。
「すばらしい……、何とも傑作ではないか!」
シグーの手をコクピットの前にまで寄せる。ハッチを開き、ゼフィランサスに移動を促すためだ。
「君は降りていたまえ。男は姫君を抱いたままでは戦えぬものだ」
無言のまま、ゼフィランサスはモビル・スーツの手へと移動する。戦闘に巻き込まれない場所として、格納庫の一際高い通路を選んだ。少女の体をそこへと移した。
コロッセオの主賓席に鎮座する姫君を待たせるほど、キラ・ヤマトという男は無粋ではないらしい。まもなく、宇宙と格納庫をつなぐ加圧室の扉が開き、ガンダムがその白い体をさらす。
ガンダムという機体は何とも美しい。たとえジンの体内を循環する冷却液を返り血のようにまとわせていたとしてもだ。ゼフィランサスの作り上げた彫像のような美しさは微塵も損なわれてなどいない。
キラ・ヤマトはゼフィランサスのことには気づいているのだろう。格納庫上を意識しながら、しかし、シグーから目を離すことはない。ここには空気がある。外部に音声を出力するだけで、ストライクはこちらの声を拾うだろう。
「聞こえるかね、キラ・ヤマト? いや、テット・ナインの方がお好みかね?」
シグーと対峙する。そう表現しやすい位置でストライクの動きがとまった。
「どうしてあなたがザフトにいる!?」
ずいぶんと荒々しい声が返ってきたものだ。10年前のことが昨日のことのように思い出される。あの時も問答があった。
「我々はゼフィランサスを救いたいのだがね」
ストライクは腰から2本のナイフを抜き放つ。シグーもまた重斬刀を腰から抜く。
「あなたもあの男と同じだ。ゼフィランサスを利用することしか考えてやしない! そんな奴にゼフィランサスを渡せない」
すべては10年前と同じ。決して相容れることなく、戦いこそが必然の称号を与えられる。過ちを、それでも行うと決めた我らの道は等しく拒絶と否定にさらされる。だが、それこそが選びとった道なのだ。
「ザフト所属、ラウ・ル・クルーゼ」
「大西洋連合所属、キラ・ヤマト」
互いの名乗りを終え、では決闘を始めよう。愛しき姫君を賭けて。
血の香りに魅せられた。始源の闘争を懐かしむ。知性、理性、文化、芸術、あるいは時計塔を飾る鳩時計の対価として失ったものを見せ物とする施設が、かつての大国には存在した。
そこでは神代の物語を人が演じ、戦いは血を流すことが求められた。殉教者の墓標である。だがそれ以上に、それが劇場であった事実は堅く変わることはない。
ゼフィランサスが2人の男を眺めるように。戦いは、流血は、死は見せ物にされてきた。それが騎士によって演じられようと、剣奴に課せられたものであろうと。ゼフィランサスは通路の手すりに腰掛ける。昼下がりの休日、清流に足を入れて楽しむように、その眼下の流血の死闘を眺めている。
「ねえ、キラ、覚えてる……?」
まるで、その仕草を合図としていたかのように、戦いが始まった。
「あの日、私がいて……、キラがいて……、ユッカお姉様がいて……」
シグーが突きを繰り出すとストライクが重斬刀を手の甲で叩き上げた。光が、刀の刃をこぼした。
「一緒に笑って……」
ストライクのナイフが荒々しい勢いで重斬刀の刀身へと突き立てられる。途方もなく甲高い音がして、折れた剣が壁に突き刺さる。砕けて割れたナイフはいっさいの未練なく投げ捨てられた。
「一緒に話して……」
だが、剣はまだ役目を終えていなかった。シグーは鋭い動きでストライクの左手首を捉えると、その折れた刃を深々とねじ込んだ。
「一緒に約束して……」
シグーの膝蹴りを、ストライクが刀が食い込んだままの左手で受けると、甲高くも鈍い音がして手首が飛んだ。
「とても大切な日々だった……」
いつの間にかストライクのナイフがシグーの足に突き刺さっていた。防御と攻撃を同時に行う。キラが得意とするカウンターである。シグーの蹴りが左手を破壊している間に、右手のナイフを突き立てていたのだろう。ストライクが力任せに足の関節をねじ斬ると、ナイフが突き刺さったままの足が格納庫の備品を薙ぎ払って転がっていく。
「それを奪ったのはあなた……」
シグーの右手がストライクの頭を鷲掴みにする。格納庫の狭さをかまわずにスラスターが火を噴き、ストライクを格納庫の壁へと叩きつける。
「あなたが私の元に戻ってきた時……、きっと私はあなたを許せなかった……」
身動きのできない巨人に、ラウ・ル・クルーゼが向ける慈悲はなかった。シグーのバルカンがその銃口を突きつけるようにしてストライクの顔面へと掃射される。デュアル・センサーを守るカバーが砕け散り、内部構造を引き裂いていく。あれではフェイズシフト・アーマーも役にはたたない。
「あなたは何も変わっていなかったから……。あの時から……、あの日から……」
機体性能はストライクの方が上であることは間違いない。それでもパイロットの腕は、すべてにおいてラウ・ル・クルーゼが一段上にある。
シグーがその全質量をかけてストライクの右肘を踏み撃つ。頭部を大きく変形させたストライクは体勢を崩したまま右腕を壁とシグーの足との間に挟まれた。フレームが破壊されたのだろう。破断音とともに肘から先が鈍い動きでストライクから離れていく。
「あなたは何も変わってない……。だから私は10年前と同じようにあなたに怒るの……」
キラ・ヤマトの反撃があった。スラスターは使わず、機体の出力だけでストライクが勢いよく蹴りあげる。格納庫の床を軸足が陥没させ、鋭い蹴りはシグーの左手を打つ。盾がひしゃげて、バルカン砲がいびつな方向を向いた。
「あなたはいつになったら過ちに気づくの……?」
攻撃を受けたシグーは大きくバランスを崩した。それさえ利用して、シグーはさらにスラスターで加速させる。狭い格納庫をかまうことなく回転したシグーは、その足を戦鎚のようにストライクの軸足を撃つ。
フェイズシフト・アーマーが一際大きく輝いた。
「いつまで罪を重ね続けるの……?」
シグーはすねが完全に破壊される。それほどの衝撃にも装甲こそ突き破られなかったストライクは、床へと背中から激突する。その巨大な運動エネルギーは戦艦をも鳴動させた。
キラではラウには勝てない。この狭い格納庫の中でさえスラスターを利用できるラウとでは速度、勢い、攻撃力、そしてその動きの繊細さにおいてキラは劣っているのだから。
たとえ何度戦っても結果は同じだろう。
ストライクは両腕を破壊され、足は無事な装甲の外見以上に破損がひどいことだろう。勝負はあった。
「今世界はあなたの考えている以上に複雑に動き出そうとしている……」
ゼフィランサスは手すりから落ちるように飛び出した。無重力の中、漂うようにストライクの上に降り立つ。腹部のコクピット・ハッチはすでに開いていた。中からは這い出すようにゆっくりとノーマル・スーツ姿のキラがその体を持ち上げていた。
キラのヘルメットのフェース・ガードがひび割れて、うっすらと血がついている。意識が朦朧としているのだろう。それでもまだ戦うつもりでいるらしい。震える手がシグーへと銃を向けようと動く。
震える少年の手を、少女は優しく包み込むように握りしめた。
「やっぱり、あなたは私の前に現れるべきじゃなかった……」
その手から拳銃を抜き取ると、キラの体はストライクに寄りかかるように倒れかかり、それでも倒れようとはしない。シグーが格納庫の照明を遮り、コクピットに暗い影を落とした。少女の顔は暗く沈み、その表情を誰にも悟らせることはない。
「もう、私の前には現れないで……」
そこは、静かな部屋だった。艦内なのだろう。プレートが並び、壁を構成している。強度と整備性に優れた、有り触れた艤装であった。ただし、そのプレートは縁が装飾されており、場所によっては絵画さえ立てかけられていた。
床には絨毯が敷かれている。天井にはシャンデリアを模した電灯が絨毯の鮮やかな赤を照らしていた。おかれたソファーは天然木を使用した高級品で、背もたれ、手すりの木製部分は木特有の柔らかさを気品あふれる意匠がまとめ上げている。
まさに貴族の邸宅を思わせる部屋だった。
主の名はエインセル・ハンター。爵位は持ち合わせていないが、これまで貴族と呼ばれた誰よりも優雅にソファーで読書に興じていた。その本でさえ、格式だった装丁が施されている。この部屋に存在を許されたすべてのものは、主の思いのそのままになくてはならない。
エインセルは右手で本を開いている。左手には別の任務があった。
豊かな桃色の髪をエインセルの膝へと投げ出して眠る少女がいる。白いドレスで着飾り、父にその身のすべてを委ね深い眠りに落ちていた。アンティーク・ドールを思わせる少女の髪を、エインセルの左手はいとおしげに撫でている。
愛娘であるヒメノカリス・ホテルを撫でる手が、急に止まった。本が音もなく閉じられる。
小気味のよいリズムで足音がする。エインセルの領内に現れたのは、礼装のように黒いスーツを着こなした女性。眼鏡の通した彼女の視線は、エインセルの後姿に向けられ、離れることはない。
本がその任を解かれ、ソファーの上に横たえられる。その頃には、眼鏡の女性、メリオル・ピスティスはエインセルの傍らへと歩み終えていた。
主人の好みを反映した薄い紅色のルージュのひかれた唇が開かれる。
「ゼフィランサス・ズール技術主任がザフトに渡りました」
エインセルはそのまぶたを閉じた。目が閉じられると、その端正な顔立ちは彫像のような印象を与える。目が閉じられていたのはほんの数瞬。再び目が開かれた時、その瞳には波一つない水面のような静けさが内在していた。
「すべてが、10年前と酷似していますね。役者は変われど演目が同じであれば舞台も、その顛末も等しいかのように」
メリオルの瞳は、それとは対照的に静かに揺らめく炎のように妖しい色を含んでいる。
「よろしいのですか? ゼフィランサス主任がザフトに移ることになれば、ガンダムの技術が流出してしまいます」
エインセルの手が、傍らで眠る愛娘を再び撫でだしたことと、メリオルの様子は無関係ではない。同時に、そのことをエインセルが留意することもなかった。
「それでよいのです。力は独占しなければ意味がありません。ですが、情報は独占しては価値を成しません。適度にあまねく、知っていてもらわなくては」
右手が細やかに動く。その手には、見えない指揮棒が握られている。様々に異なった音色を持つ女性たちが、エインセルの望むままに音を奏で、楽曲を作り上げていく。
「ゼフィランサスはその役割を誰より確かに演じてくれるでしょう」
その力と心を、いまだに黒いヴェールで隠している少女を思って。
「ヒメノカリスが、私のためを思って、その身を賭してくれるように」
その愛の証明として、白以外の色をまとう事を拒絶する少女を撫でながら。
指揮棒を取り落としたエインセルは、メリオルの手をそっと包み込むように掴んだ。抵抗の意志が感じられないその手を口元に寄せると、エインセルは優しく口付けをする。
「このあまりに小さい戦争は、自ずと我らの手に転がり込んでくれることでしょう」
主人の寵愛を受けたメリオルは、恋に焦がれる少女のように、その頬を鮮やかに染めた。
どことも知れない場所だった。誰に知られてもならない。
暗く、しかし辛うじて見える壁面は平たく金属質。壁に備えられたハンガーに、GAT-X303イージスの真紅の体が固定されている。すでに整備士がとりつき作業に入っていた。
コクピット・ハッチが開らかれ、橙色のノーマル・スーツを着たパイロットが飛び降りた。無重力のゆっくりとした動きで床に足をつけた。
小柄で、女性特有の丸みを帯びた体つきから、少女であるとわかる。
少女がヘルメットを外すと、まだあどけなささえ感じられる顔が露わとなる。くすんだ金髪は無造作で、長さにしても特筆すべき様子はない。かわいらしさや愛らしさよりも、凛々しさや逞しさをこの少女からは覚える。
カガリ・ユラ・アスハ。それが彼女の名前である。同時にオーブ首長国代表ウズミ・ナラ・アスハの娘の名でもある。
「レドニル。レドニル・キサカ」
オーブ軍の軍服、地球連合軍のものに比べて青みがかった制服を着た男性がカガリに駆け寄る。屈強な体つきに彫りの深い顔は、軍服さえ着ていなければ最前線の兵士と見紛うほどである。オーブの姫君の側近だとするには、あまりに精悍な男性であった。
レドニル・キサカは、普段から固い表情を特に変えることなくカガリの前で敬礼した。
「敬礼などいいと言っているだろ」
そう断りを入れた後で、カガリはヘルメットを脇に抱え、向き直った。
「しかしバスターは思ったよりもいい動きをしていたな。様子見のつもりが、熱くなりすぎたようだ。それでどうした? また本国あたりがせっついてきたか?」
カガリはうんざりしていた。
モルゲンレーテ社はカガリの父であるウズミ代表の承認もとらずに大西洋連邦に協力し、ガンダムを開発した。ウズミ派とは別の一派がオーブでは幅をきかせているのである。モルゲンレーテ社に協力を命じたその一派にあれこれ言われることに、カガリは強い反感を覚えていた。
感情を隠しきれるほど、カガリは器用ではない。つい歯を噛んで、目が細くなる。
レドニルは仏頂面を変えようとしない。
「いえ、直接抗議したいと仰っています」
直接。この言葉の意味をカガリは計りかねていた。すると、格納庫の一角があわただしくなる。その騒がしさが次第に近づいてきた。
少女が先頭を歩き、その後ろに整備の連中を引き連れていた。正確には、少女を止めようとしても止めきれず、あわてる整備士が何かできるわけでもないのに少女の後を追っているだけだ。
先頭の少女は不敵とも、ふてぶてしいとも言える顔でカガリの元に一直線だった。短いズボンに、薄手のシャツ。長袖の上着に袖を通しただけのずいぶんラフな格好をしている。コーディネーター固有の緑色の髪を三つ編みに束ねて、左肩に乗せるようにして前に垂らしていた。
そして何よりこの少女を印象づけるのは、右目が赤く、左目が青いというオッド・アイだろう。異なった色にカガリを映す。
「お前、また好き勝手やったそうだな!」
カガリの前に来たとたんにこれである。腕を組み、高圧的な眼差しを向けていた。もっとも、どんなに口が悪くても、高く澄んだ声にそれほどの凄みはない。だがカガリはたとえ悪魔に睨まれたところで怖じ気付くつもりなどない。
「それは貴様等の方だろ、デンドロビウム。こんなものを造らせて、オーブの立場を危うくするだけだ!」
イージスを顎で示す。少女は、デンドロビウム・デルタはイージスを体を見上げた。その顔はイージスの開発者であるゼフィランサス・ズールと同じもある。
デンドロビウムも同じヴァーリであるからだ。
しかし、ゼフィランサスほど愛着はないらしい。不機嫌な顔のまま機体を見上げ、気分を害したような面もちで視線をカガリに戻した。
またデンドロビウムの怒声が飛ぶ。
「お前は何もわかっちゃいない! ことはもう、オーブ一国の問題じゃないんだ!」
カガリはレドニルにヘルメットを投げ渡した。こうでもしないと口げんかでなくなった時、凶器に使ってしまいかねないからだ。
「私はお前等の都合で動くつもりはない。できることなら、この手でお前たちのお父様を殺してやりたいくらいだ!」
売り言葉に買い言葉とはこのことだろう。デンドロビウムは両手でカガリの胸ぐらを掴んだ。
「ふざけんな!」
身長はほとんど同じであるため、オッド・アイがまっすぐにカガリの顔を睨みつけた。カガリは負けじと視線を外さない。反対に腕を掴み返した。
「計算高い割に向こう見ずなところはユニウス・セブンにいた頃とかわらないな!」
デンドロビウムは力任せができるタイプの人間ではない。カガリは胸元からあっさりと手を引き剥がす。顔を真っ赤にしているデンドロビウムに対して、カガリは涼しい顔で完全に抑え込んでいた。
力ではかなわないとようやく思い至ったのだろう。デンドロビウムがふりほどこうと手を振る。カガリには掴み続けるつもりはなかった。デンドロビウムはあっけなく解放された。
掴まれていた手が赤くなっている。デンドロビウムはその部分をさすりながらも、その視線から敵意は減じていない。
「お前がオーブを守りたいってなら、あたしらと組んだ方が利口なんだぞ。それだけは覚えとけ!」
それが捨て台詞だった。顔をしかめるカガリと終始無言であったレドニルを残して、デンドロビウムは着たときと同じあわただしさで去っていった。
主のいない部屋はずいぶんと広く感じる。ディアッカ・エルスマンはいなくなってしまった。部屋にはもう誰も帰ってこない。消えた明かりが部屋を暗く沈ませる。開かれた扉から差し込む光が、2人分の影を作っていた。ニコル・アマルフィとジャスミン・ジュリエッタである。
ニコルが意を決したように部屋に足を踏み入れると、ジャスミンが続いた。ニコルの手には抱えられる程度の大きさをした空箱があった。ジャスミンが明かりをつけた。
2人がここを訪れたのはディアッカの私物をまとめるためだった。戦艦に私物を多く持ち込むことなんてできるはずもない。手分けして作業を始めると、ものの10分で私物は箱に収まった。
来た時と同じように、ニコルが箱を持って先に部屋を出る。ジャスミンが明かりを消して部屋を無人に戻した。
あっさりと終わった作業だった。しかし、終始話をしないままでいるには、その時間は足りなかった。通路を移動中のことである。ジャスミンが絞り出すように声を発した。
「ディアッカさん、きっと無事ですよね……?」
やや前を歩いていたニコルは、歩く速度を落としてジャスミンの隣に並ぶ。不安に打ち勝つだけの強さのないジャスミンに代わって、努めて明るく振る舞おうとする。
「ディアッカがあんなことで死ぬはずありません。大丈夫、きっと生きてますよ」
この言葉にジャスミンはほんの少し、バイザーに隠された顔を明るくした。
あれはユニウス・セブンでのことだった。2人がブリッツにたどり着いてみると、コクピット・ハッチが解放されディアッカの姿はどこにもなかった。捕虜として連れて行かれたのだろう。そう判断するしかなかった。主をなくしたブリッツだけがヴェサリウスへの帰還を果たした。
ニコル自身、励ましはしたものの、これ以上言葉を続けると不安を口にしそうな気がしていた。それではジャスミンを元気づけることにはならない。自然と2人は沈黙した。
そのせいか、通路正面から言い争う声が聞こえていた。格納庫の方角だ。元々倉庫は格納庫の脇にある。興味の多寡に関わらずニコルとジャスミンは声のする方向へと引き寄せられていった。
格納庫へと出ると途端に視界が開ける。声は下から聞こえていた。ニコルたちが歩く通路の下、格納庫の床で言い争っているらしい。聞こえる声に既視感を覚えてニコルは箱を抱えたまま手すりの下をのぞき込んだ。
アスランとクルーゼ隊長。そして見覚えのない黒いドレスの女性が話しているようだった。主にアスランが一方的に話している状況らしい。
(珍しいな、アスランがまくし立てるなんて……)
いつもは冷静な人だから。
ニコルがのぞき込む横でジャスミンも手すりを掴んで下を望む。重そうなバイザー--無重力だから重さは関係ないとはわかっている--を下に向けて、突然飛び退くように手すりを離れた。
その様子はニコルがつい心配してしまうような動きであった。
「ジャスミン、どうしました?」
「すいません……、後のこと、お願いしてもいいですか?」
「ええ、もちろん……」
保管場所にこの箱をおくだけの仕事である。1人でも大丈夫だとニコルは伝えた。すると、ジャスミンはまるで逃げるように、そうとしか表現しようのない様子で足早にこの場所を離れていった。
何か嫌なものでも見たのだろうか。アスランとクルーゼ隊長の他は、ただ1人少女が加わっているだけなのに。もう一度のぞき込んでみると、少女はアルビノであった。プラントには障害者を差別する人も少なくないが、ジャスミンがそんな人だとは思わない。
少女は白い髪をしていた、見える顔はある女性を連想させた。プラントの歌姫と呼ばれる少女と、どこか雰囲気が似ているように思えたからだ。
アスランは目の前に固定されたZGMF-515シグーを見上げていた。クルーゼ隊長は新型を中破させるなど多大な戦果をあげていた。しかし、その対価として乗機であるシグーは無惨な姿をさらしている。左足がもげ、左手は強い衝撃を受けたらしくひしゃげている。右手もよほどかたいものを無理に掴んだのだろう。指の破損が著しい。
修復するよりも造り直した方が安上がりだろう。クルーゼ隊長は乗機を含めて8機のモビル・スーツをただ一度の戦闘で失っていた。それだけの損害を被って、唯一得られた戦果が人々を格納庫へと導いていた。それは、たった1人の少女だった。
ゼフィランサス・ズール。いつも微笑みを絶やさない子だった。アスランを見つけたならきっと満面の笑みで再会を驚くことだろう。アスランの予言は的中し、予想はものの見事に裏切られた。
クルーゼ隊長に導かれながら、ゼフィランサスはふわりと格納庫に足を踏み入れた。
相変わらず7月の生誕を祝う宝石のように鮮やかな瞳をしている。ただ、それを愛らしく飾っていたはずの微笑みはどこにもなかった。白い頬は固く、人工物さえ思わせた。記憶と現実が一致せず、その混乱を是正するために意識の大半が使用されてしまった。呆然と立ち尽くすアスランのわきをゼフィランサスが通っていった。
すれ違いざま向けられた瞳は、ずいぶんと冷たい。
「お久しぶり……、今はアスランだよね……」
こんなに表情に乏しい娘だっただろうか。
追いかけようとつい手が伸びたが、肩に手をかけるつもりにはどうしてもなれなかった。やがて手が届かない範囲にまで離れていく。そのことへの焦りで、つい大きな声をかけた。
「ゼフィランサス……!」
振り向かれた顔は、記憶にはそぐわない、現実そのものの顔をしていた。笑顔ではなく、凍りついた表情。
「キラは……、アスランほど驚かなかったよ……」
そう言われて、思い当たることは1つだった。やはり10年前のことだ。キラとゼフィアンサスの2人が当事者で、思い出したくないほど忌まわしい出来事だった。
歯を強く噛みしめる。その痛みが記憶を曖昧にしてくれる気がした。しかし、不快感は消えることはない。噛んでいても無駄だと、口を開くことにした。
「あれは、悲しい出来事だった……」
ゼフィランサスの瞳は相変わらず冷めた色をしていた。
同時にアスランはその眼差しを他人事のようにも感じていた。この少女がそんな視線を向けるとしたらそれはアスランが対象ではなく、キラ・ヤマト以外に考えられない。
案の定、ゼフィランサスはあっさりとアスランから目をそらし、歩きだそうとする。それでも、ただ一言だけ、アスランには言っておきたいことがあった。
「ユニウス・セブンでキラと戦ったばかりだ」
足を止めるも、ゼフィランサスは振り向こうとさえしない。かまわず続ける。
「そんな俺が擁護するのもおかしなことかも知れないが、あれはキラのせいじゃないし、あいつを責めるのは酷だ!」
首だけで振り向いて、見せた赤い瞳は感情の機微に静かに揺らめいているかのように映る。そんなかすかな違いが、ゼフィランサス唯一の表情とも言えるものだった。
黒い衣装を白い影が覆った。ラウ隊長がアスランとゼフィランサスの間に立っただけだ。それでもどこか結界のようにゼフィランサスとの接触を禁じられてしまった感がある。
それは、隊長独特の厳しく、他を寄せつけない雰囲気故かもしれない。
「アスラン、旧交を温めたいこともわかるが、そろそろいいのではないか? ゼフィランサス技術主任にご足労願ったのは、君と談話させるためではない。機を改めたまえ」
わずかに見せた変化も、いつの間にやらゼフィランサスの顔から消えていた。隊長命令に逆らうわけにもいかず、敬礼して会話を打ち切った。
GAT-X103バスターガンダム及びGAT-X207ブリッツガンダム。2機を見上げる位置にラウはゼフィランサスと並んで見上げていた。
「どうかね、10年ぶりのアスランは?」
「あまり変わってない……。キラもそうだったけど……、男の子ってそんなもの……?」
「男の大人と子どもの違いは玩具にかける値段だけだと言う話がある」
「それはわかる気がする……。ラウお兄様もムウお兄様も同じだから……。でもわかってるよね……。私たちはお父様には絶対に逆らえない……」
聞き流してもいい内容だ。ラウは顔に手を伸ばし仮面をはめ直すことに意識を傾けた。いい具合に収まったところで、改めてゼフィランサスを見る。
「君は知っているかね? 我らがどれだけ、君らのお父上をこの手で引き裂く日を心待ちにしているかを」
仮面を付けていることの利点に、表情を隠すことができるということが挙げられる。今のラウは、自身が恐ろしい顔をしていることを自覚していた。それは決して、この清らかな少女には見せられないものだった。