地球軍によるプラントへの直接攻撃。この事実はザフトの戦略に大幅な変更を強いた。
小惑星フィンブル落着と同時にザフト軍は地球侵攻を再開、そのために多数の人員、物資をオーストラリア大陸カーペンタリア基地へと送り込んだ。その戦力の大半をエインセル・ハンター追撃にあて、3度にわたる戦いはすべて失敗に終わっていた。
しかし、月面基地がザフト軍にとって最重要拠点となったことで戦いの様相は様変わりする。
エインセル・ハンターを追い、地球こそが最前線であった。しかし、月面へとひとっ飛びに30万kmも前線が動いたのである。地球に送り込んだ主力の大半を無力化され、五つある要塞はそのすべてが危機にさらされている。
プラント本国を守る宇宙軍にさえ動員をかけなければ攻略に必要な戦力を集めることは難しい。だが、それはすなわち本国の守りを捨てることを意味する。失敗すればプラントの滅亡を意味する以上、出し惜しみができる状況ではない。
勝利しようと敗北しようと、プラントの宇宙戦力は大打撃を受けることは必定と言えた。
ことは宇宙に限られない。カーペンタリア基地ではシャトルの打ち上げが続いていた。コンテナに詰め込まれたモビル・スーツがシャトルへと格納される。積み込み作業にあたるザフト兵の中には歯を食いしばり悔しさを隠すことのできない者も少なくない。無理もない話である。プラント本国から命がけで送り届けられたモビル・スーツが、まだ一度も使用されることなく宇宙へと送り返すことになるのだから。
本来であればパナマ基地、ビクトリア基地攻略のために用いられるはずであった戦力からも月面へと送られる。地球侵攻作戦に支障が生じることは火を見るまでもなく明らかであった。
国家滅亡の危機に地球に残した戦力は何ら貢献しない。どれほどの数の戦力があったところで、どれほどのエース・パイロットだとしても存在しないも同然なのである。
各地でザフト軍による打ち上げが実行されていることは当然のことと言えよう。
そして大西洋においても2隻の軍艦が打ち上げ準備に入っていた。パラスアテネ、ミネルヴァ、ラヴクラフト級の2隻である。
軍艦ほどの大質量では独力で重力を振り切ることはできない。そのため、ラヴクラフト級の2隻は追加ブースターを装着、推進力を増進することで地球からの脱出を目論んでいた。2隻の周辺には作業船が複数展開し、槍の穂先を思わせるブースターの取り付け作業に入っていた。
作業が完了次第、この2隻は宇宙へと昇り月面基地の攻略に参加することになる。
しかし、これは同時に別のことを意味する。ここで地球脱出に失敗した場合、アスラン・ザラ、レイ・ザ・バレル、この両名は母国の存亡を賭けた戦いに参加することができないことになる。加えて、妨害はただ一撃、ブースターを破損させるだけで事足りるのである。
言い加えるならミネルヴァ、パラスアテネはどちらも作業が完了するまで動くことができない。
地球軍にとってこれほど有利な状況はないだろう。たった一発でゲルテンリッターを含む特務機型のガンダムを事実上、撃墜できるのである。このような好機が見逃されるはずがなかった。
モビル・スーツ部隊を擁する6隻のフリゲート艦が強襲してきたのである。ジェット・ストライカーを装備したストライクダガーのみであり、ガンダム・タイプは存在しない。対し、ザフト軍は4機のみとは言えそのすべてがガンダム・タイプである。しかし、ザフトは圧倒的な不利を強いられていた。
フリゲート艦は決して無理をしなかった。その射程ぎりぎりの距離から遠距離砲撃を繰り返すだけなのである。命中率は高くなく、そのためバイタル・ポイントへの命中も期待できないという点において威力も低い。しかし、それで十分だった。
砲撃が水しぶきを上げ、雨となってミネルヴァへと降り注いだ。これで何度目の至近弾であるのか、艦長であるタリア・グラディスは数えていない。命中する確率は低い。しかし、ブースターに命中すればミネルヴァは地球を離れる術を失う。新たなブースターを用意している時間はすでにないのだ。
「取り付け作業はまだ終わりませんか?」
グラディス艦長の通信相手はブースターの取り付け作業をしている責任者である。彼ら作業員は艦の外で命がけで作業をしていることは艦長とて理解している。それでもつい、その言葉には苛立ちが溶け込んでいた。
もっとも、それは相手も同じことだったが。
「いつでも出られます。バラバラになってもよろしいのでしたらね」
つまり、取り付け作業はまだ完了していないということだ。また、ミネルヴァの近くに水柱が立った。これでは命中弾を受けるのも時間の問題である。
すでにミネルヴァ、パラスアテネのモビル・スーツは出撃しているが、相手は無理に戦闘を行うことはないのである。フリゲート艦は命中率が低かろうと数を稼げばいいだけであり、その護衛を行っているストライクダガーはザフトの牽制さえできればそれで十分だからである。
アスラン・ザラの乗機であるヤーデシュテルンはストライクダガーを追っていたが、戦果は決して芳しくはなかった。ヤーデシュテルンが攻勢に出ればストライクダガーは逃げに徹した。ヤーデシュテルンに背中を見せ、露骨に逃げるのである。ゲルテンリッターの推進力ならば追いつくことはできる。しかし、そうした場合、アスランは母艦から引き離される形となる。その隙に他のストライクダガーのパラスアテネへの接近を許せばブースターどころでなく撃沈されてしまう危険性さえあった。
「ナチュラルどもの戦争慣れだけはさすがだな!」
毒づくアスランだが、打つ手はなかった。水平線の向こう側のフリゲート艦を沈黙させなければならないが、そのために割くことのできる戦力がないのだ。
それはミネルヴァについても同じであった。ヴィーノ・デュプレのインパルスガンダム、レイ・ザ・バレルのガンダムローゼンクリスタルの2機はよく言えば敵のストライクダガーの接近を防いでいるが、言ってしまうならばミネルヴァ周辺の押しとどめられていることになる。
両軍のモビル・スーツの間では命中することが期待されていないビームの線条が幾度となく無為に交錯し続けている。
「レイ隊長、このままじゃやばいですよ。いつミネルヴァに当てられるか……」
「それもそうだが問題は無事しのぎきった後だ」
「ど、どういうことですか……?」
ヴィーノ機がビームを放つも、敵ストライクダガーとの距離が離れすぎている。とてもではないが命中弾を期待できる状況ではない。それはレイのローゼンクリスタルでも同じことである。同じビーム・ライフルである以上、弾速は大差ない。逃げに徹したミノフスキー・クラフト搭載機を撃墜することは容易ではなかった。
「いざ出発する時、俺たちは格納庫に戻らなければならない。だが、その間、モビル・スーツ戦力が喪失することになる」
「じゃあ、敵を排除しなきゃならないってことですか?」
「いや、軌道の関係上、今のタイミングを逃せば作戦開始時刻に間に合わん」
地球も月も動いている。この機会を逃せば遅れは致命的なほど拡大してしまう。
決断が求められていた。機会を改める、あるいはモビル・スーツ隊を置き戦艦のみで宇宙に帰るか。しかし、どちらにしろ結果は変わらない。ザフトの騎士が、ガンダム・タイプが4機、祖国の存亡をかけた戦いに参列しないのだから。
グラディス艦長はすでにブースターの装備を完了したという報告を受けていた。クルーからは離陸限界時間が迫っていることも何度も告げられていた。
フリゲート艦からの攻撃は続いている。水柱がいくつも立ち、それは徐々にミネルヴァとの距離を詰めているかのようにも思えた。悩む、そんなタリア・グラディスに許された最後の抵抗さえ、砲撃が直撃すれば奪われることになる。
もはや時間はなかった。
タリアの口が動き、しかし、声が発せられる前に少年の声がブリッジに響いた。
「ミネルヴァ、聞こえますか? こちらシン・アスカ。これより貴艦を援護します!」
聞き覚えのある声、しかし聞こえるはずのない声にタリアは状況をすぐに把握することができなかった。
「アスカ軍曹……?」
飛来する物体があった。小型の輸送機であり、地球軍で用いられているものだったが、地球軍にとってもイレギュラーだったのだろう。フリゲート艦から対空砲火の曳光弾が立ち上る。
回避行動さえとることなく輸送機は穴だらけとなり火が噴き出したかと思うと一瞬にして爆発する。黒煙が空に塊となって漂い、しかし、そこから飛び出すものがあった。
それは羽ばたきだった。何かが風を起こし煙を振り払う。覆いとなっていた煙を引き離し飛び出したそれは黒く、そして優雅だった。
背部の一対のフィン・スタビライザーはまさに翼である。それほど大きく、機体の挙動に合わせて動く様は翼の羽ばたきそのものと言えた。その手には両刃の実体剣、大型のスカートを備えたその姿は漆黒、黒い天使あるいは漆黒の騎士と呼ぶに相応しい、ガンダムであった。
その姿はヤーデシュテルンにも捉えられていた。アスランには見覚えのないガンダムではあったが、巨大な西洋剣を手にした異質な姿は並の設計思想ではないことは理解できたのだろう。
「ゲルテンリッターなのか……?」
ライフルやシールドは持たず、剣だけを武器とするガンダムを造るのはゼフィランサス以外には考えられない。このアスランの考えは正しかった。
ゲルテンリッター初号機、ガンダムメルクールランペはフィン・スタビライザーを羽ばたかせると、その漆黒の体をミノフスキー・クラフトの輝きに身を包みながらフリゲート艦へと急降下する。
フリゲート艦は機銃による対空放火に加え主砲を降下するガンダムへと向けようとするも間に合わない。
メルクールランペはその剣を主砲の砲塔へ突き立てるとそのまま切り開く。爆発するよりも早く飛び立ち、次のフリゲート艦へと向かう。その様は羽のように軽々と、しかし、どこか頼りなげであった。動きに鋭さがなく、飛び上がったあと、すぐに力尽きて落下、その先に偶然、フリゲート艦があったにすぎないかのように。
剣が主砲を切り裂くとともにまた空へ。やはりその動きは安定を欠いている。
「インパルスが軽い。暴れ馬かよ……」
量産機でしかなかったインパルスガンダムとはまるで出力が違っていた。同じ感覚で操縦しようとするとメルクールランペは軽々と飛び上がり、慌てて出力を抑えると降下はどこか不格好となった。
そして次のフリゲート艦へ、そのまた次のフリゲート艦へと向かう。船から船へと颯爽と飛び移っているその様をどう見るかは人によるだろう。次々に船を渡ってはその主砲を破壊していく様子に英雄の姿を思い浮かべる者もいるだろう。あるいは、巣立ちしたばかりの雛鳥が飛んでは落ちて、飛んでは落ちてを繰り返しているようにも見ることができる。
しかし、雛はひとたび飛び立てば人の手の届かない空へと舞い上がる。
最後のフリゲート艦の主砲を潰すと同時に飛び上がった時、メルクールランペはそのフィン・スタビライザーを大きく広げた。機体の安定を図るための機構だが、それはまさしく翼を思わせた。
空を掴んだ黒い鳥、その前にストライクダガーが割って入ろうとする。だが鳥は既に飛んだ。 人の手では届かない。
ストライクダガーがメルクールランペに斬りかかろうと、したところで腕を切り落とされそのことをパイロットが認識した瞬間には頭部を捉えた強烈な蹴りによって上空からたたき落とされている最中であった。
仲間が撃墜された。残りのストライクダガーの動きは速かった。すぐにビーム・サーベルを抜き、メルクールランペに波状攻撃を仕掛けたのだから。
彼らは優れたパイロットであった。相手の呼吸を読み、その感覚を共有できるほどに研ぎ澄ませていた。彼らの考えはこうだ。最初の1人が敵の攻撃を受け止め、その隙に残りが攻撃を仕掛ける。
事実、彼らの予想通りにメルクールランペは両刃の西洋剣を振り下ろし、しかし彼らの予想に反してその太刀筋は速かった。受け止めるタイミングですでにストライクダガーは右腕を足ごと切り裂かれ、一呼吸置いてから攻撃が来ると予測し彼らが身構えた時には、すでにさらに1機が両足を鋭利に切断されていた。
メルクールランペには溜めがなかった。そして速い。彼らが戦場で培った経験から立てた予想をことごとく突き放しさらに加速していく。本来であれば彼らがメルクールランペに一斉攻撃を仕掛けているはずの時間帯、その時にはすでに勝敗は決していた。
6機ものストライクダガーがことごとく戦力を奪われバランスを崩したことで空から落下している。その時に、モニターには黒い天使の姿が映り込んでいた。
見上げる太陽を背景として黒い翼を広げた天使、その手には武器にしてはあまりに流麗な剣がある。
彼らは自分たちがどのようにして敗北したのか、ようやく認識を追いつかせていた。落下防止対策を講じる必要があった。それでも彼らは天使の姿から目を離すことができないでいた。
フリゲート艦の主砲が沈黙し、ストライクダガーがその戦力を喪失したことでミネルヴァ、パラスアテネの両艦はただちに離陸準備に入った。これが許容される最後の機会である。
グラディス艦長からは帰還命令が発せられた。
「ローゼンクリスタル、インパルスの両機はただちにミネルヴァに戻りなさい。その……、シン・アスカ軍曹もです」
すでに動き始めているミネルヴァへと向けてレイ、ヴィーノが移動を開始する。その頃にはアスランたちにも動きがあった。
「ルナ、俺たちもパラスアテネに戻るぞ」
「はい!」
護衛のために母艦に張り付いていた4機のガンダムが格納庫へと戻ることは容易なことだった。しかし、離れているメルクールランペがたどり着くまでにはまだ時間を必要とする。そして、時間が経過するごとにミネルヴァは加速し始めていた。
格納庫に艦体が振動する音が響き、すでに整備員の姿はない。あらゆる物が固定された格納庫はいつもよりも広く思えた。
レイは武装をラックに預けると、そのままローゼンクリスタルをハッチへと歩かせる。すでにGによって機体は重さを増していた。格納庫内でスラスターを使用する訳にもいかず、ローゼンクリスタルは壁を頼りに進む他なかった。
そうしてハッチから身を乗りだした時には、すでにミネルヴァは水面を離れ床を斜めに傾かせていた。引き裂かされる大気が暴風となってミネルヴァを吹き抜ける中、メルクールランペが全身を輝かせながらミネルヴァに接近している様子がハッチからは辛うじて確認できた。
「シン、追いついてみせろ!」
ローゼンクリスタルがハッチから大きく身を乗り出し手を伸ばした。突風の中、ここまでするのは危険が伴う。思わず動く羽目になったのはヴィーノの方だ。
「た、隊長、落ちますって!」
ヴィーノのインパルスがローゼンクリスタルを後ろから支える。ムーバブル・フレームが採用されたことでより人間らしい動きが可能となったとされるモビル・スーツだが、このガンダムたちの動きには人間くさささえ感じられた。
ミネルヴァは加速を続けている。やがては地球の重力を振り切るまで速度を上げることになる。そうなれば合流はできない。
それを理解するレイは腕を伸ばし、シンもまたその手を伸ばした。モビル・スーツの大きな手が小刻みに振動するほどの突風吹きすさぶ中、ローゼンクリスタル、メルクールランペ、2体のガンダムの手がしっかりと繋がった。
レイのローゼンクリスタルは腕を引き、ヴィーノもまた後ろに倒れ込まんばかりの勢いでレイとシンの2人を一気に格納庫へと引きずり込んだ。同時にハッチが閉じられ、先ほどまでの風が嘘であったかのように揺れる世界が静寂を取り戻す。
3機のガンダム・タイプはそれぞれ格納庫内の思い思いの突起物に手を伸ばす。加速に耐えるためになりふり構わぬ姿はどこか微笑ましくさえある。
レイは、コクピットのモニターの中の片手に西洋剣を持つ黒いガンダムの姿、そしてそれに並ぶシンの顔を見ていた。
「外人部隊出身者がこれほどしぶといとは知らなかったな」
「修羅場の数なら正規軍の非じゃありませんからね」
「よく戻ったな、シン」
「はい」
そう小さく微笑みあうレイとシン。ただ、新たにモニターに顔を映したヴィーノの顔は明らかに慌てていた。目が見開かれ、口など開きっぱなしである。
「そのガンダム何なんだよ、見たことないぞ!」
「あまり驚くなよ。ゲルテンリッターの初号機で名前はガンダムメルクールランペ。あ~、それでどうやって手に入れたかというと……、もらったんだ……、エインセル・ハンターから」
ミネルヴァは現在、大気を突き破りながら宇宙へと向かっている。その振動はいまだに続いていたが、3人のパイロットたちは表情を微妙な状態に固めたまま、ただミネルヴァのゆくまま運ばれていった。
宇宙は広大である。地球から最も近い月でさえ約30万km、人が歩いて行くとすれば11年の距離にある。最新鋭の戦艦であるミネルヴァとて順調にいったとしても数日の時間を必要とする。
ただ幸い、宇宙は広大なのだ。敵と遭遇することになる確率は極めて低く、月には予定通りに到着するはずだった。
そしてそれまでの間、ミネルヴァにできることはなくただ焦りを募らせているべきなのだろう。しかし歩みを速めることはできずとも戦いの準備を整えることはできるはずと、パイロットたちはブリーフィング・ルームに集まっていた。
盤上モニターには月とその周囲の様子が描かれた模式図が表示されている。レイ・ザ・バレルは隊長として2人の部下に説明していた。
「すでに判明したところによれば、兵器の名はユグドラシル。スカンジナビア王国の神話に語られる巨大なトネリコの木の名前だそうだ。その葉は天を覆い、その根は九つの世界にまで伸びるほどの巨木だ」
由来はさておき、レイはモニターを指で操作し始める。
「このシステムは驚くほど単純だ。超巨大なビーム・ライフル、この一言で説明できるからだ。それを、屈折コロニーを経由させることでどのような位置であれ攻撃できる。ジャブローにて降下部隊を焼き払ったものと原理的には同一のものだと確認されている」
レイが指でなぞると、月面から一筋の線が伸びた。月上空のコロニーを通ったところでレイが大きく弧を描くように指を動かすと、その線もまた大きく曲がり次のコロニーに到達したところでさらに曲がり、最終的には元の照射角ではあり得ない目標地点へと到達した。
「このシステムの恐ろしさは屈折コロニーを利用することでどのような角度、位置をも攻撃できることだ」
続いてレイは別のコロニーを使いまったく別の角度から線を描いて見せた。
ここで疑問を示したのはシン・アスカだ。
「レイ隊長、でもビームは長距離狙撃には向かないはずでは?」
「その通りだ。ビームとは荷電粒子の塊であり、距離が離れるほど粒子が急速に拡散してしまうはずだ。これはあくまでも推測だが、コロニーが屈折だけでなく収束も兼ねているのだろう。これによって威力の減衰を抑えたまま長距離の攻撃が可能となる」
そして、ビームの攻撃力は織り込み済みであり、荷電粒子である以上、その軌道を曲げる技術はすでに確立されている。
「この兵器が厄介なのはその威力、射程は当然のこととして、その阻止の困難さにある。複数の屈折コロニーが必要となるが、経由するコロニーはおそらく変更可能と考えられる。さらにザフトは屈折コロニーの数を把握していない。無理もない。建造途中のコロニーと屈折コロニーは区別できない上、ザフトが軍として地球側の都市計画など調査していなかったのだからな」
次に疑問を呈したのはヴィーノ・デュプレだったが、本人は何が疑問に感じたのか自分でわかっていないようだった。
「え~と、つまり……?」
「確実に阻止するためには月面の発射施設を直接叩くしかない、と言うことだ。だがそれ自体、大変な困難が伴う。これまでザフトはカーペンタリアを中心に地球への再侵攻を行っていた。主力は30万km彼方にある。各要塞からは戦力の移動が行われているが、プラントの防空網はずたずたにされたと言っていいだろう。また、すでに2度、作戦が実行されたがどちらも失敗に終わっている。無理もない。万全の体制で待ち構える相手に突貫で攻撃を仕掛けるも同然ではな」
これではザフトはまともに組織だった行動をとることができない。戦線が強制的に30万kmも移動させられれば、当然のことと言える。最初の照射からすでに5日が経過している。ザフトの2度にわたる大規模作戦は奏功せず、すでに4度の照射を許し要塞の大半を失っている。
レイの声は自然と重苦しいものとなっていた。
「すでに四つの要塞が破壊され、五つ目が破壊されるのは第三次作戦開始の直前のことになるだろう」
シンたちは辛うじて、この第三次作戦に参加することができる。
「俺たちは立ち上る光とともに戦いのに臨むことになるんですね」
「そうだ。塩の柱にならんといいのだがな」
ヴィーノの甘い考えは、即座にレイによって否定される。
「じゃあ、プラントが攻撃されるまでまだ時間はあるってことですよね?」
「計算によれば、作戦開始後、数時間だとされている」
「え……? なんだってそんなに短いんですか!?」
「岩石を砕くのとガラスの砂時計を割るのでは必要なエネルギー量の桁が違うということだな。俺たちがしくじればプラントは終わることになる。ユグドラシルであればプラントを数基なで切りにすることも容易だろう。どれほどの市民が犠牲になるか想像もできん」
大げさに頭を抱えるヴィーノだったが、それも無理もないことだと言えた。
「……何か俺たちに有利なことってないんですか……?」
「これは諜報部からの情報なのだそうだが、プラント攻撃の直接指揮はエインセル・ハンター自らが執るそうだ。どうやら、フォイエリヒガンダムに制御装置を組み込んでいるようだな」
ここで、シンは前の部隊で襲撃したコロニーが屈折コロニーの一つだったと聞かされたことを思い出した。そこに、ヒメノカリスが、フォイエリヒガンダムがエインセル・ハンターの手を離れて存在した理由が推測できた。
「だからあのコロニーにフォイエリヒが……」
このシンの独り言を、他の2人は聞いていないようだった。
レイは、プラントの勝利条件があまりに容易なものに設定されていることをこともなげに示した。
「つまりだ、プラントが勝利するためにはただモビル・スーツを1機、フォイエリヒガンダムを撃墜するだけでいいのだ」
モビル・スーツをたった1機撃墜するだけでいい。このあまりに簡単な勝利条件を与えられたヴィーノは思わずレイの胸ぐらに掴みかかっていた。
「ヴィーノ、上官不敬に問われるぞ」
不思議と掴みかかっている方が泣き出しそうな顔をしている。
もっとも、それがただじゃれ合っているだけだとシンは当然に理解していた。軍人とは不思議なもので緊張感の切り替えができるようになる。今ここで張り詰めていても何の意味もなく、ただいたずらに疲労感を蓄積させてしまうだけだとわかっているからだ。
しかし、それでもシンはどうしても先のことを考えずにはいられなかった。2人を残し、格納庫へと移ることにした。
すでに地球を離れ数日が経過し、モビル・スーツの整備もあらかた終わっているらしかった。格納庫は静かなもので、シンが自分を見つめ直すにはちょうどよい。
シンが格納庫4階部分の通路に出ると、そこはちょうどモビル・スーツの腹部から胸部にかけての高さであり、モビル・スーツを眺めるのに格好の位置にあった。シンはそこで、自分の新しい乗機となったガンダムの前に出た。
黒い装甲に、一対の大型背部フィン・スタビライザーを備える姿は、やはり鳥や、言ってしまうなら天使を彷彿とさせる。武装は大型の西洋剣に、補助用と思われるビーム・サーベルしかない。本来はエインセル・ハンターに与えられた、ゲルテンリッターの初号機だ。
手すりにもたれかかりこの機体を眺めていると、シンはどうしても自分の中を様々な疑問が通り抜けていくことを感じずにはいられなかった。
なぜエインセル・ハンターはこの機体を自分に託したのか、なぜエインセル・ハンターは自分に興味を持ったのか、あるいは自分と母の関係はなんなのだろうか、そして、自分にエインセル・ハンターを止めることができるのだろうか。
そんなことをとりとめもなく考えていると、女性の声がシンに呼びかけた。
「シン・アスカ軍曹」
「グラディス艦長」
見ると、タリア・グラディス艦長がいつも通りにきっちりとした軍服姿で現れた。シンの横に立つと、その視線はやはりメルクールランペへと吸い寄せられた。
「改めて聞きます。あなたはどうして、ここにいるのですか?」
単純にどうやって捕虜から逃げ出してこられたのか聞いているだけだ。シンは、この手の質問を艦長から何度も受けていた。そのため、すでに説明そのものは手慣れたものである。
「エインセル・ハンターがプラントを狙っていることを知って、それをやめるよう説得しました。しかし、聞き入れてもらえず、それでも自分はエインセル・ハンターを止めることを表明したところ、しかし自分にはその力がありません」
「そこでエインセル・ハンターがそのための力をあなたに与えたと?」
「ご理解が早く、助かります」
理解はしていても納得はしていない、艦長は明らかにそんな様子だった。メルクールランペを見ていた視線が、まるでいかがわしいものでも見るかのようにシンへと移った時、それがより鮮明となった。
「嘘でした、そう修正するのであれば今のうちですよ」
「艦長は俺1人でガンダム、それもゲルテンリッターを強奪できるとお考えですか?」
それこそシンがどうやって監禁場所から逃げ出し、厳重なセキュリティーを突破した上、強奪したガンダムで追っ手を振り切り場所を知らないはずのミネルヴァに合流したのか、そんなもっと多くの嘘が必要になってしまう。
シンの話が真実であるとしたら意味がわからない。しかし、嘘だとするのならより真実味のないことが起きたとする他ない。だが、グラディス艦長はまだ自分を納得させられていないのだろう。
だからこうして時折シンを尋ねては確認をとろうとしていた。
「あなたはオーブ出身の戦争孤児と聞きましたが、エインセル・ハンターとどのような関係が?」
「まったくありません。そもそもエインセル・ハンターのこともザフトに入ってから知ったくらいですから」
「共通の話題で意気投合した、とか?」
「俺とエインセル・ハンター、どんな共通の趣味があると思います?」
そもそも同好の士と言うだけでガンダムを渡す理由になるのだろうか。グラディス艦長自身、無理があると考えてはいたのだろう。すぐに話の方向性を変えた。
「わかりました。あなたがスパイというのはどうでしょう?」
「だったら逃がすにしてももっと自然なやり方、しませんか?」
こんなあからさまに上官から疑いの目を向けられるようなやり方ではなく。そもそも、スパイだと違われている時点で失敗だろう。
グラディス艦長は口元に手をあてしばらく考え込んでいたらしかった。口に手を当てたまま、目線だけがシンの方を向く。
「つまり、あなたは私に、捕虜になったパイロットがエインセル・ハンターからガンダム・タイプを与えられ帰された、そう、上に報告しろというのですか?」
「でも、グラディス艦長ならデュランダル議長に……」
さすがのシンであっても、グラディス艦長の視線が突如、突き刺さるかのように鋭さを増したことはわかった。これくらいは許されると考えていたのだろうが、それは甘い考えでしかなかった。
しばらくシンを睨んだ後、艦長は溜息をつく。
「私とギルが別れたのはもう1年も前のことです」
デュランダル議長のファースト・ネームがギルバートであったことをシンが思い出している内に、グラディス艦長は改めてシンへと向き直った。
「なぜ逃がされたのか、本当に何もわからないのですか……?」
シンにしてもまったく心当たりがないとまでは言えなかった。しかし、確信もなく話すことには抵抗があった。それが今までは言えなかった理由であって、今になってようやく話すつもりになれた理由なのだろう。
「エインセル・ハンターとは、話したことがもう一つあります。その、母のことです。さすがに艦長もそこまではご存じないと思いますが、自分は精子バンクで買われた精子の体外受精で生まれました」
「お母様は不妊治療を?」
「いえ、ただ、男の人が苦手だったらしくて結婚は無理で……。でも、どうしてか子どもが欲しかったみたいなんです。女の人って、そんなに子どもが欲しいものなんでしょうか?」
この何の気なしに口にした言葉は、グラディス艦長の意外な一面を垣間見る切っ掛けとなった。
「あなたはまだ若いので理解できないかもしれませんね。女にとって子を産み、育てるということは人生において重要なことの一つです」
「し、失礼ですが、艦長もそうお考えなんですか……?」
「遺伝子検査の結果、私とギルの相性は大変悪く、子どもができる確率は極めて低い。そう診断されたことが、私たちが別れた直接の理由でした」
こんなことまで聞いても良いのだろうかと体を固くするシンであったが、同時に艦長からは子を思う母の姿を感じとてもいた。自身の出生のことまで話したシンに対して礼儀を見せただけなのかもしれないが。
「あなたのお母様があなたという子どもを欲した気持ち、私には理解できます」
やはりこのタリア・グラディス艦長は、シンに母を連想させる女性だった。
「しかし、エインセル・ハンターはどうしてあなたとお母様に興味を?」
「これは他の人から聞いたんですが……」
「他の人とは……、いえ、やめましょう。これ以上、厄介ごとを増やすのは」
「エインセル・ハンターも父親との関係に悩んでたみたいです。その、ありきたりですけど、俺に対してどっか親近感みたいなの、あったのかもしれません」
ここでシンはつい笑みをこぼしてしまう。同病類哀れむとは言うが、それがガンダム、それもゲルテンリッターを譲渡する理由になんてなるはずがないと自分で言っておきながら気付いたからだ。
「正直、俺にもわかりません。ただなんとなく、エインセル・ハンターが俺に、何かを感じたんだろうってことくらいしか」
「理解できないから敵なのかもしれませんね」
そろそろ時間切れなのだろう。今この場でも、そして、戦いが近いという意味に置いても。
グラディス艦長は軍帽をかぶり直した。
「シン・アスカ軍曹、この戦いがエインセル・ハンターとの最後の戦いになることでしょう。どのような結果になるにしろ、エインセル・ハンターとプラントの因縁は終わりを迎える、そんな気がしています。彼があなたを逃がした、いえ、あなたにこの機体を託した理由を知ることはできないのかもしれません」
最後にもう一度、ガンダムメルクールランペを見上げた後、グラディス艦長はシンのもとを後にした。
数日後には、シンは月に出向きエインセル・ハンターとの決戦に臨むことになる。母のシンへの思いを知ること、エインセル・ハンターがシンに託した思いを理解すること、そのどちらにも残された時間ではまるで足りてはいなかった。
ゲルテンリッターはアリスと呼ばれる少女の姿をした心を持っている。しかし、アリスは姿を見せることなく、メルクールランペは何も答えてはくれなかった。