誰も居ないリビングで杏子は久しぶりに一人きりの朝食を取っていた。
常闇の森での任務を終えてからトリコは体調に違和感を覚え、精密検査のために有名なグルメ内科医の元で検査入院をすることとなっていた。
普段が普段なだけに、もう2、3日もすればケロッとした顔で帰ってくると思いたかったが、杏子を楽観的な思想に染めなかったのは過去の悲しい出来事の数々。
それらを言い訳にまた足踏みを繰り返すのかと思うと、自己嫌悪ばかりが杏子を襲うがテーブルの上に並べられた料理を片付けると、外へ出て見渡す限りの大草原を見つめる。
心地よい風と満腹状態の胃袋と、昼寝をするには絶好の状態ではあるが、杏子の脳内は相変わらずマイナスな思想にばかり支配されている状態。
それは目の前で見た衝撃的な光景が頭から離れないからだ。
狩りをしている最中も何度も何度も咳き込み苦しそうにしていたトリコ、普段なら難なく倒せるはずの猛獣を相手にも、妙に時間がかかってしまい、仕留め終えた頃には口から勢いよく吐血をしていた。
どこかでトリコに絶対的なヒーロー像を抱いていた杏子に取って、これはあまりに衝撃的な光景だった。
猛獣が相手ならばそいつを相手に怒りを持てばいいだけの話だが、病気となれば誰を相手に怒りをぶつければいいか分からない。
この世界のことはまだまだ何も分かっていない状態であり、杏子は一人無力感に苛まれていた。
(食べすぎてはいるだろうが、栄養失調って訳じゃないしな……)
ここで杏子は心に平穏を取り戻させようと、自分なりに仮説を立てることにする。
お菓子のような物ばかりしか食べてこなかった自分と違い、トリコが食べているのは全て栄養満点の食材ばかり、しかもトリコには食べ物の好き嫌いは全くない。
その食べる量が異常に多いと言うのもあるが、それは人間としての常識で考えた場合のことであり、トリコのようにグルメ細胞を移植されていて、技の一つ一つを繰り出すのに膨大な量のカロリーを消費するトリコに取っては、あの食事量でも足りない場合もある。
やはりどう考えても健康優良を絵に描いたようなトリコが病気にかかる理由が全く分からずに、頭を乱暴に掻き毟ることでイライラを抑えようとしていた。
「チクショー……さっさと帰って来い、バカヤローが!」
苛立ちは怒鳴り声となって、誰も居ない草原に響き渡った。
いつの間にかトリコの存在が自分の中でこんなにも大きくなっていることに驚きはしたが、考えたくないのか杏子はノッキングに関しての知識を更に深めようと自室にこもって勉強を始めた。
トリコが戻ってきた時、自分が少しでも成長していることが彼にとっての幸福につながるだろうと信じていたから。
***
グルメフォーチュンの街並みを歩く一つの影。
トリコは目の下に隈を作った状態で疲れた様子を見せながら、グルメ内科医から貰った診断書を片手にトリコはココが居る占いの店へと向かっていた。
ココの店に到着すると相変わらずの繁盛ぶりであり、ココの占いに多くの人々が絶対的な信頼を寄せているのが分かる。
何も言わずにトリコは最後尾に並ぼうとすると、自分の元に駆け寄るターバンの青年が一人目に飛び込む。
トリコが来ると分かるとココは何も言わずにトリコの手を引き、半ば強引に店内へと引きずりこむ。
「悪いが今日は店じまいだ!」
乱暴な調子で店じまいを宣言するとココはドアに鍵をかけて、これ以上の来客を許さない完全に閉店の状態に持って行った。
占いで非常事態を見た場合ココは営業時間中でも、その日の営業を中止して悪い未来を変えるため、自ら現地へ向かうと言うことは多々あった。
住民たちもその事は知っていたため、文句一つ言わずに行列は無くなっていった。
辺りを静寂が包み込むとココは力なくため息を一つつく。
そんな様子をどこか冷めた目でトリコは見ていて、ココが用意してくれた紅茶を飲みながら一言つぶやくように言う。
「客商売なんだから、もうちょっとお客を大事にしてやれよ」
「からかうんじゃない! そんなことよりもここに来たの理由は分かっているんだ!」
自らの電磁波を見て未来が分かっているココは乱暴な口調でトリコに向かって手を差し出す。
それが何かを要求している物かと言うのはトリコには分かっていて、相変わらず無気力な調子でトリコはココにグルメ内科医から貰った診断書が入った封筒を手渡す。
封筒を開き診断書を見るとココの悪い予感は的中し、苦痛に顔を歪ませながら、信じたくない事実に思わず診断書から目を背けてしまう。
「やはり『グルメ癌』か……」
未来が変わらなかったことにココは絶望に屈しそうになるが、それはトリコが最も嫌うことだと分かっている。
その事をよく知っているココは必死になって歯を食いしばると椅子に力なくもたれかかるように腰かける。
普段から冷静沈着をモットーにしているココがここまで取り乱すのは珍しいことだが、トリコは気にせずに紅茶を飲みながら自分がここに来た目的を話し出す。
「知っているとは思うが、グルメ癌は外科治療が一切出来ない。グルメ細胞が突然変異を起こして悪性腫瘍に変わるから、変にメスを入れれば一気に浸食が加速する恐れがあるからな」
「分かっている。現在分かっている唯一の治療手段は、その人に適合した食材を食べて、残っているまともなグルメ細胞ががん細胞を異常な物だと判断して排除するしか方法が無い……」
この絶望的に治療が困難な病気グルメ癌はグルメ細胞を移植された人間を相手に主に発症する病気であり、原因が一切分からず治療も運任せと言う厄介な物であった。
それは病気と言うよりは呪いと呼ぶにふさわしい存在であり、一説ではグルメ界からやってきたウィルスに浸食されたのではと言う説もある。
だがトリコもココも希望を捨てるつもりはなかった。
本当に人が死ぬ時と言うのは希望が心から消え去った時だと二人とも信じていたからだ。
早速ココはトリコの顔をジッと見つめ、電磁波からトリコの治療に適した食材を占おうとする。
ココはいくつか具体的なイメージを見つけていくと、パソコンを取り出して検索を始める。
治療に必要なのは一汁一菜に加えてのメインの食材3っつだと判断したココは集めた情報をプリントアウトして、これから先トリコが狩る食材を見せる。
「この中なら、菜であるこれが一番楽でいいだろう」
スープもメインもかなり難易度の高い食材となった二つを後回しにし、ココは一般人にも開放されている食材の狩り場をトリコに勧める。
物を見るとトリコは懐かしそうな顔を浮かべた。
『セブンスターリーフ』は漢方薬の材料としても使われながらも、普通にサラダとして食べても美味しい野菜であり、広い地域に生えていることから捕獲レベル1以下ながらも、どんな食材にも合うアクセントには持ってこいの野菜。
よく幼少時代は4人で狩るのを競い合った物だと思いながらも、残り二つの食材も見定めて自分の中でプランを立てていく。
「ここならアンコちゃんに美食屋の仕事を教えるのにも適しているだろう。今のお前でも指導はできるだろう」
「まぁな。常闇の森の時はオレも自分のことだけで手一杯だったからな」
トリコが不用意に口を滑らした瞬間、ココの顔から爽やかな笑みが消え失せる。
今のトリコの実力でも手に負えるかどうか分からない微妙な難易度の地区に、素人以下の杏子を連れて行くと言う無神経さに怒りを覚えたからだ。
詳しいことを問いただそうと、ココは厳しい表情のままトリコに問いかける。
「正気か? あんな場所に駆け出しですらない、グルメ細胞の移植も施されていない、それも女の子を連れて行くなんて?」
「いや行くって本人言ったからさ……」
「それを止めるのが大人の役目だろ!」
考えなしのトリコに激怒したココはテーブルを乱暴に叩いて、お茶菓子と紅茶を楽しんでいたトリコの注意を強引に自分へと向ける。
トリコは嫌な予感を覚えながらも、ココの方を恐る恐る振り向くと、思っていた通りに冷淡に自分を見下ろすココの姿があった。
長い説教が始まる前とは大体こんな物だとトリコは分かっていたため、資料を持ってその場から逃げだそうとするが、ココに首根っこを掴まれるとそのまま強引に椅子へと座らされる。
「少しお話しような……」
そこからココの長い説教が始まり、トリコはげんなりとした顔を浮かべながらも大人しくココの説教を受けることになった。
説教を受けながらもトリコは一人考えていた。そのまま食べても十分に美味しいセブンスターリーフだが、杏子と一緒に狩りへ行くそれはより一層美味しく食べられるのではと。
自分の直感を信じながら、トリコは希望を抱いていた。
美味しいセブンスターリーフが食べられることに。
***
杏子は自分以外誰も居ない静かな家の中で一人半分呆けた状態でココからの電話を聞いていた。
トリコが治療に困難なグルメ癌にかかっていること、その病気は治るかどうか自分でも分からないこと、事実を包み隠さずにココは一語一句丁寧に杏子へと伝える。
この優しすぎる世界に来てから、初めてといってもいい試練に杏子の心は流されそうになったが、そんなことは自分自身でも許すことができない弱く情けない感情であるし、トリコだってそんなのを望んでいないのは分かる。
目から涙がこぼれそうになる状態をこらえながら、杏子はココの話を聞く。
「これからは治療のための狩りだ。アンコちゃんも同行してほしい、それがトリコの励みにもなるからな」
「分かっている……」
意識を強く持とうとはしているのだが、やはり杏子の中でショックは拭いきれない物であった。
魔女の口付けや魔女に襲われた人を助けるのとは違う。病気と言うジャンルは自分ではどうすることもできない分野だから、ジレンマばかりが杏子を襲っていた。
そう言ったショックを少しでも和らげるために、ココはトリコが帰る前に事前に杏子へ全てを伝えたのだが、電話口からでも杏子が強いショックを受けているのを感じ取ったココは最後に一言告げて電話を切ろうとする。
「とにかく、奇跡を信じる心までは捨てないでほしい……」
ココの精一杯の励ましに対しても杏子は空返事な感じで一言「分かった」とだけ言って電話を切る。
だが強いショックから杏子は放心状態でソファーに腰かけると、目の前に置かれた広げたままの新聞を読む。
相変わらず料理や食材のことばかりが中心であり、どのニュースも杏子の興味を持つ物ではなかった。
それでなくても精神が錯乱している状態なので、目に映る物全てにいら立ってしまい新聞を乱暴に投げ捨てると、ふてくされた顔を浮かべながらドアを睨みつけた。
「ただいま~! そして行くぞ~!」
いつも通りの豪快な笑顔を浮かべながら、トリコはソファーに座っていた杏子の首根っこを掴むと、そのまま強引に外へと連れ出そうとする。
とてもではないが癌で生命の危機に脅かされている病人とは思えない状態であり、あまりにいつも通りなトリコに安心もしたが、杏子の中で強まっていくのは怒りの感情。
首根っこを掴まれて宙に浮いた状態のままながらも、杏子はトリコに抗議の声を上げる。
「ココから病気のことは聞かされたけどな……お前本人の口からちゃんと話せよ! これはお前一人の問題じゃないんだぞ!」
「着いてからゆっくり話すよ。セブンスターリーフ食べるのは久しぶりだからテンション上がりっぱなしだぜ!」
相変わらず食欲ばかりが優先されているトリコは杏子の心配を気にすることなく、セブンスターリーフの養殖場である。『七つ星農場』へと向かって、杏子を引き連れたまま走っていた。
振り回されている杏子は怒りもしたが、同時に安堵感も覚えた。
もしトリコが精神を病んでいる状態になっていれば、自分に渇を入れることはできるのかと心配もしていたが、そんな物はいらない世話だった。
トリコはどんな時でもトリコのままだったと言うことは杏子に取っては嬉しい事実であり、しばらくはトリコの好きにさせようと黙って掴まれるままの状態を選んだ。
まるで嵐が過ぎ去ったかのように家の中は荒れていて、床の上には先程杏子が乱雑に投げ捨てた新聞が散らばっていた。
新聞の中には様々な記事が書かれていて、その中に小さく載っていた記事があった。
23歳と言う最年少の若さで5つ星ホテル『ホテルグルメ』の料理長に就任した『小松』シェフのことが書かれていた。
***
グルメ列車とバスを乗り継いで2時間、目的地である七つ星牧場に到着すると、杏子は凝り固まった体を解しながらバスから降りて行き、トリコはあくび交じりに久しぶりに訪れた七つ星牧場を見ると懐かしそうに笑う。
よく子供の頃はここで他の三人と一緒に、父親代わりの一龍と一緒になって山菜狩りに勤しんだ物だと当時のことを懐かしく思っていた。
一人思い出に浸っていると脛を蹴られる感覚を覚える。
「お前は必要以上にデカイんだから、入口に立たれると他の客に迷惑だろうが!」
七つ星牧場は一般にも開放されている牧場のため、多くの観光客がセブンスターリーフを求めて訪れている。
バスの出入り口の前で突っ立っているトリコを邪魔そうに横切っていた。
その存在に気付くとトリコは慌てて道を開けてまっすぐ受付へと向かうと、自分と杏子の入場料を支払うと、そそくさとトリコはセブンスターリーフが実る『七つ星草原』へと向かう。
「待てよ! 着いたら病気に関して話すって約束だろ!」
自分を無視したことにも腹が立つが、それよりもグルメ癌のことに関してトリコ本人から何も聞かされていない状態の杏子は真実が知りたく、走り去ろうとしているトリコの後を追いかける。
あまりにいつも通りなトリコを見て、もしかしたらグルメ癌のこと自体も嘘なのではないかと思われてしまい、本当でも嘘でも真実が知りたいと思っていた杏子は何とかトリコに追いつくと、膝の裏に思い切り蹴りを放って自分に注意を向けさせた。
トリコは多少うっとおしそうにしながらも、杏子と向かい合って話をしようと場所を選ぼうとするが、ちょうど誰も居ない綺麗な草原に着いたのを見るとトリコは話を始めようとする。
「言いたいことは分かるよ。オレの病気のことだろ?」
「当たり前だ! ドッキリとか抜かしたらマジで殺すぞ!」
興奮しきっている杏子を宥めつつもトリコは真剣な顔を浮かべながらも屈んで、右手をナイフの状態にしながら草原一帯に群生しているセブンスターリーフを刈りながら話し出す。
「本当だ。このまま行けば、オレの命は半年が限界だ」
もしかしたらと思っていた淡い期待はもろくも崩れ去った。
今行っている行為が治療のための行為だとは分かっていても、杏子の中でショックは拭えず、何かをやって気を紛らわそうと辺りを見回していると、トリコの手から手渡されたのは鋭く光る鎌。
杏子は奪うようにトリコから鎌を受け取ると、同じようにセブンスターリーフを刈っていく。
一応の平静を杏子が取り戻したのを見ると、トリコは杏子の言葉を待つ。
「ココ以外の連中には話したのかよ?」
何かを話していなければ気が動転しそうな想いから、杏子は自分の想いよりも周りの心配をする。
特に気になったのはトリコに強い好意を抱いているリンの存在。
さやかの例を間近で見続けてきた自分にとっては、リンの精神が壊れるのではないかと強い心配を抱いていて、その旨をトリコに尋ねる。
「サニーとリンにも話したよ。リンの奴はワンワン大泣きしてたけどさ、サニーの奴が叱ったぜ『お前はトリコを信じてやることが出来ないのか!』ってね」
「へぇ、あのナルシストがね……」
全く期待していなかったサニーがリンの精神にまともさを保させる存在になるとは思っておらず、杏子は感心しながらもどこかとぼけた声をあげていた。
人間と言うのは様々な側面を持って人格が形成される物。
男気溢れるサニーの意外な一面を知った杏子は少しだけサニーを見直しながら話を進めていく。
「お前自身体の具合はどうなんだ?」
「飲んでいるのは鎮痛剤だけだよ。グルメ癌には外科治療が効かないからな。方法はただ一つ、その人に合った食材を食べて、本人の回復力を信じるだけだ」
普段通りに話すトリコではあるが、鎮痛剤を飲んでいると言う事態がやはり今トリコが病気にかかっていると言う事実であると思い知らされ、杏子はうなだれそうになるが、一番辛いのはトリコであることは分かっているため、気を紛らそうと粘着質で新品の鎌でも中々狩り取ることができないセブンスターリーフを刈ることに専念する。
その後は二人の間に不気味な空気が流れていた。
どうしてもセブンスターリーフを刈ることだけに集中してしまい、杏子も何を話していいか分からずに無言の状態が続いていた。
「このセブンスターリーフだがな……」
沈黙を破ったのはトリコ。
手に持ったセブンスターリーフをグルメケースに入れていくと、トリコはため息を一つつきながらおもむろに話し出す。
「ココの占いではプレーン状態でサラダにするのが一番効果的らしいんだ。けどな……」
トリコは残念そうにため息をつきながら懐から『ココアマヨネーズ』のパックを取り出すと、げんなりとした顔を浮かべた。
「オレはココアマヨネーズをたっぷりかけて、蟹ブタの肉と一緒にパンで挟んだバーガー状態にするのが一番好きなのによ! まずは規定量を毎日決まった分だけ食べないといけないってんだから殺生な話だぜ! 蟹ブタ狩っておけばよかった!」
「治療中の人間が言うような台詞か!」
心底悔しそうに地団駄を踏むトリコに対して、杏子の鋭い突っ込みが炸裂する。
だが同時におかしいと思ったこともあった。
一定の規定量を毎日食べなければいけない、それは大食漢のトリコに取って一般人と同じような狩りで物が足りるのかと思って、詳しいことをトリコに聞こうとする。
「物自体はもう家に取り寄せてあるぜ、今回ここにお前を連れてきたのは一番簡単に出来るハントだからやらせただけだ」
「それだったら常闇の森で……」
「食材自体のハントは一回も出来なかったろ? 次はスープの『ソルト平原』へ連れてってやるから、そこでも捕獲レベル1以下の食材はあるからな」
そこからトリコはいきなり高難易度の常闇の森へ杏子を連れて行ったことに対して、物凄くココから怒られたことをげんなりとした顔を浮かべながら話していく。
トリコは自分を見失わないでしっかりと自分を保っていたことも嬉しかったが、そんな中でも今まで通りに自分のことを気にかけたことが嬉しく、杏子の中でウジウジした暗い気持ちは消えてなくなった。
不安に思う部分もあったが、それは今度こそ最後まで諦めることなくトリコと乗り越えて行こうと思いながらも、杏子はトリコをからかって楽しんでいた。
今はこの穏やかで優しい時間を大切にしようと思いながら。
***
草原一杯に広がるセブンスターリーフを眺めていて、目を輝かせながら鼻の穴を膨らませる青年が一人。
ホテルグルメ最年少シェフ小松は、近々行われるIGOの役員も参加するグルメパーティーで出すメニューのヒントになればと思い、現場の食材を見ようとまずは一般人でも参加できる七つ星農場へと足を運んでいた。
調理場では何度も見てきたセブンスターリーフだが、現地で物を見るのはまずは自分の中で一つの目標をクリアしてからにしようと思っていた小松なだけに、初めて見る自然のままのセブンスターリーフを見て感動を隠しきれず、何度も何度も奇声をあげていた。
「凄い、生で見たの初めてだ……テンションギガギガだ!」
自分の中でテンションが最高潮に達したのを自分なりの言葉で表現する小松。
一人悶絶していると後方から鎌で何度も何度も草を刈る音が聞こえる。
頬を両側から押えて完全にブタ顔になっている小松に一般客たちは関わらないようにしていて、その様子を見た小松は本来の目的を思い出し、自分もセブンスターリーフの狩りに赴く。
粘着質で中々切りづらいセブンスターリーフを相手に苦戦して、額に汗を流しながら一つ刈るのにも苦労していたが、心地よい疲労感が小松を襲い、ある種の充実感を感じていた。
生の現場で生の食材と触れ合う喜びと言うのは初めての体験であり、それはこれから料理人として自分を更なる高みに連れて行ってくれると小松は信じていたからだ。
自分で刈った山盛りのセブンスターリーフを手に取ると、小松は目を輝かせながらどう調理しようかと頭の中で試行錯誤を繰り返していた。
普通ならばサラダにしたり、メインディッシュのアクセントに使われるのが、セブンスターリーフの一般的な使われ方だが、小松は手に取ったセブンスターリーフの瑞々しい輝きを見て、直感的に感じていたことがあった。
(この食材は更なる高みへと行けるはずだ……)
小松はセブンスターリーフの新たなる可能性を信じようと、今まで誰もやったことがない調理法でセブンスターリーフの料理を作り上げようと早速予約していたロッジへと戻ると、自分の戦闘服であるコック服へと着替えて外に設置された共同キッチンへと向かう。
その場に居た誰もがその時は思わなかった。
新しい美味なる料理が誕生する瞬間を。
***
トリコと杏子は自室のロッジへと戻ると、早速治療のためにトリコは自分で刈ったセブンスターリーフをボウルに山盛りの状態で入れて、この日は適切なデータを取りたいと言うのもありサラダのみの食事となった。
明らかに物足りない夕食にトリコは物足りなさそうな顔を浮かべていて、杏子も一応はサラダを食べて付き合ってはいるが、トリコに見えないところでしっかりとセブンスターリーフを挟んだハンバーガーを用意していた。
恐らくトリコの嗅覚では自分がハンバーガーを隠し持っていることは分かっているだろうが、そこはお互いに大人の対応で行こうと二人は思っていて、トリコは気付かないふりをして、杏子は隠している振りをして食事を進めようとする。
「この世の全ての食材に感謝を込めていただきます」
二人がいつも通りの挨拶を終えると、トリコは自分が刈ったサラダにフォークを突き刺して勢いよく食べていく。
初めの内は物足りないとも思っていたトリコだが食べ始めて見ると、やはりセブンスターリーフは美味しく自然とフォークは進んでいった。
噛めば噛むほど野菜本来の甘みが広がっていき、シャキシャキとした食感が面白く、口の中が瑞々しさで一杯になる感覚が面白かった。
(美味いじゃないか……)
一人になってからと言う物野菜の類はほとんど食べてこなかった杏子、病人の治療のための食事と言う先入観からか、どんな青臭い野菜を食べさせられるんだとも思っていたが、プレーンの状態でも十分に食べられるセブンスターリーフを前に、それまでどこかで気負っていた感情も吹き飛んで、トリコと同じように次々とボウルの中のサラダをフォークで突き刺して口の中へと運んで行く。
あっという間にトリコはボウル一杯のセブンスターリーフを食べ終えると、どこか物足りなさそうな顔を浮かべつつも手を合わせ「ごちそうさま」と言い、自分のために命を分けてくれたセブンスターリーフに感謝の気持ちを送った。
そこからすぐに針を腕に差して専用の機械にジャックを繋げる。
それは設置されているパソコンと連結されていて、これにより遠く離れた場所でもトリコのグルメ細胞がどう活動しているのかが担当医師にスキャンとして送られて、日々トリコの体調がリアルタイムで分かると言う仕組みになっている。
相変わらずのハイテクぶりに杏子は驚かされるばかりであったが、自分もまた同じようにサラダを食べ終えるとテレビ電話の状態で担当医と自分の状態を話すトリコを見て、邪魔をしてはいけないと思い、杏子はハンバーガーを片手にロッジから出た。
ドアを閉めると同時に目に飛び込んだのは共同キッチンから見える一つの灯り。
ほとんどの客は簡単な調理を終えて、今頃はロッジで各々団らんのひと時を楽しんでいるのに、一人だけ明らかに熱意が違う状態なのは遠く離れた場所からでも感じ取れること。
この位置からでは何を作っているのかまでは分からないが、コック服に身を包んだ青年の姿を見ると並々ならぬ気迫を感じ取り、杏子はハンバーガーを完食した後も、その姿をジッと見つめていた。
(何だアイツ?)
「オーイ、アンコー」
トリコに呼ばれると杏子は短い返事の後にロッジへと戻る。
杏子の視線にも気付かずに小松は何度も何度も油の中に天ぷら粉を付けたセブンスターリーフを入れて、最高に美味しくなるベストの状態を模索していた。
自分の中でこの食材は必ず世の皆を楽しませられる料理になってくれると信じて調理を続け、その熱意は小松に睡眠の時間も忘れさせるほど集中させていた。
***
そして夜が明けて朝焼けが農場を包む頃、小松はようやく自分が納得できる料理が仕上がったことが嬉しく歓喜に震えながら、丼を高々と掲げていた。
作ったのはセブンスターリーフをかき揚げにしたかき揚げ丼。
今までは中々にかき揚げがまとまらずに歯がゆい思いをしてきたが、一回完成系が出来上がれば、後はそれを自分の料理として物にできる。
小松は作り上げたセブンスターリーフのかき揚げ丼を自分の物にしようと、何度も何度も同じ物を作り上げていく。
2時間もすると朝を知らせるサイレンが鳴り、共同キッチンが丼で一杯になっていく。
まだホテルグルメに戻るまでには時間がある。時間一杯まで料理を作っていたいと言う想いが小松は強く、かき揚げ丼を作る手は止まらなかったが、その手を止めたのは携帯の着信音だった。
相手はホテルグルメの総支配人『スミス』からだった。時計を見てもまだ戻るまでには時間があると思っていたが、一社会人として小松は上司からの電話に出る。
「もしもし?」
「小松シェフ! すまないが今すぐ戻ってきてくれ! 急遽大型の団体客が入ったんだ!」
スミスの慌てぶりから異常な事態だと判断した小松は小さく「分かりました」とだけ言うと、七つ星農場の管理人を呼んで自分が作ったセブンスターリーフのかき揚げ丼に付いて話し出す。
「どうぞ一杯作ったんで皆さんで召し上がってください」
初めから来ていた客たちをもてなす的な意味で完成品を作り上げた小松。
管理人は大量に作られたかき揚げ丼が全てタダなのに圧倒される部分もあったが、ニコニコと笑う小松を見ると何も言うことが出来ず、小さく「分かりました」とだけ言うが、後々にトラブルが起こらないようにと証明書だけ残してほしいと紙を手渡す。
小松は時計を気にしながらもかき揚げ丼がサービス品であることを証明する証明書を書くが、最後に自分の名前を書こうとした瞬間にバスが到着したエンジン音を聞くと、慌ててバスへと飛び乗って行く。
嵐のように過ぎ去った小松に管理人は呆けもしたが、サイレンと共にロッジから出てくる客たちを見ると、自分がやるべきことをやろうと管理人は山盛りに積まれたかき揚げ丼の説明に入る。
「えーと……ある料理人さんが試作品として作ったセブンスターリーフのかき揚げ丼です。無料ですので皆様ご自由に食べてくださいとのことです」
嬉しいサプライズに喜びもしたが客たちは同時に困惑もした。
何しろセブンスターリーフをメインに置いた料理が本当に美味しいのかと困惑していたからだ。
だがそんな中で一人大きな影はゆっくりと丼に近づいていき、ふたを開くと目を輝かせていた。
金色に輝くように見えたかき揚げを見てトリコは思ったことを率直に語る。
「宝石箱だ……」
そして周りを見て誰も食べないならと言うならば、自分がまず食べようとトリコは小さく「いただきます」とだけ言うと勢いよくかき揚げ丼を一口でかきこむ。
「うめ――!」
かき揚げ丼を食べ終えた瞬間、トリコの雄たけびが農場にこだまする。
昨日のサラダにどこか物足りなさを感じていただけに、このボリュームのあるかき揚げ丼はトリコには嬉しい物であった。
単純にセブンスターリーフのうまみが存分に出ているのもあるが、隠し味に使われた『七味ハーブ』がセブンスターリーフのうまみをより一層際立て、ご飯との相性を強めて一つの料理として調和させた。
「皆も食え、食え! 美味い料理は皆で食べた方がもっと美味いんだぜ!」
美食四天王のトリコがお勧めすると言うのだから、味は太鼓判物だと判断した客たちは一斉にかき揚げ丼を手に取っていく。
全員が食べながら「美味しい」と喜びを分かち合っている姿を見て、杏子は食べることも忘れて呆けていたが、トリコに自分の分の丼を手渡されると、杏子も同じように丼を手に取ってかき揚げ丼を食べる。
トリコが言ったように隠し味に使われた七味ハーブがいいアクセントになっていて、野菜の甘みの中にもほのかな辛みが白米を進ませて、かき揚げ丼としての完成系となっていた。
だが美味しいと感じたのはかき揚げ丼その物だけではない。
周りの皆が騒ぎながら笑顔を浮かべて一つの料理を食べ合う。それは自分がもう二度と体験できないであろうと思っていた楽しい食事だからだ。それは多ければ多いほど嬉しい物であり、持論は間違っていなかったと分かると一つ自分のしてきたことは間違いじゃなかったと分かり、杏子の目頭に熱い物がこみ上げてくる。
涙を流したくないと言う想いから皆の姿をジッと見つめるが、ふとここで昨日の事を思い出す。
(多分あのコックだろうな。これ作ったの……)
遠目からなので白い服を来ていた程度しか分からなかったが、これだけの料理を全て無償で提供することに懐が大きいのかと杏子は思っていたが、わんこそばを食べる要領でかき揚げ丼をかきこむトリコを見て、その想いは一瞬で消された。
(まぁ深く考えてないだけだろ、あれと同じで……)
今は食べることだけに集中しようと、杏子は二杯目を取るとかき揚げ丼をかきこんでいった。
因みに後日、この小松が考案したセブンスターリーフのかき揚げ丼は庶民の強い味方となって、多くのグルメ定食屋が真似をするメニューとなった。
本日の食材
セブンスターリーフ 捕獲レベル1以下
噛めば七種類の味が楽しめると言われている野草、正月が終わり7日目にはこのセブンスターリーフを煮込んだ粥を食べるのが風習となっている。
これまでは料理のアクセントとして使われていたり、サラダとして食べるのが一般的だったが、小松の調理からかき揚げ丼としても美味しいことが判明し、まだまだ多くの可能性を秘めている食材であることが分かった。
と言う訳でここから私の中で物語を一気に加速させて行く予定です。
あと今回初めて小松を登場させてみましたが、二人との直接的な絡みはありませんでしたね。
次回は再生屋に関しての話を持って行こうと思っています。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。