20メートル大の毒々しい紫色の体をした雌狼『オメガフェンリル』は左頬が裂けた大男を相手に咆哮を放つ。
それが精一杯の強がりだと大男は分かっていた。それは無残な姿で倒れこんでいる同胞を見ていれば分かること。
仲間の敵討ちにとボスである雌狼は牙を突き立て、爪を突き出し同胞たちを殺した大男に敵意を向けるが、そんな雌狼に対しても大男は相手を見下した不敵な笑みを崩すことなく、フォームを崩すことなく、自分がオメガフェンリルに対して最も気に入らない部分を語りだす。
「捕獲レベル46の『オメガフェンリル』オメガとはギリシャ語で最大だから究極と言う意味で使われたりもするが、いけねぇな……」
大男は腕に力を込めると全身の筋肉をバンプアップさせ、戦闘態勢を取る。
威嚇を繰り返していた雌狼も完全に戦闘態勢が出来上がっている大男を前に覚悟が決まったのか、突進して一気に勝負を決めようとする。
「その程度の実力で究極を名乗るなんて、チョーシにのってるな……」
振り下ろされた巨大な爪に対しても大男は余裕めいた笑みを崩すことなく、バックステップで攻撃をかわす。
砂埃が勢いよく舞って大男の姿が消えて無くなるが、彼の姿はすぐに前方から起こされる突風で現れた。
その大男は数十キロメートル先に落ちたコインの音をも聞き分ける聴力と、声を自在に操り、その振動で全てを破壊する力を持つ。
今の攻撃も声から軽く発した程度の物であり、一気に勝負を付けようと大男は喉に力を込めて兵器と化した声を発する。
「ボイスミサイル!」
放たれた声は衝撃波として形に変わって喉から発射される。
眉間に直接攻撃を食らい、雌狼の体は勢いよく後方にのけ反り、体のバランスを完全に崩してしまう。
大男は一気に勝負を付けようと先程よりも大きく息を吸って、今放ったボイスミサイルよりも更に攻撃力が高く、攻撃範囲の広い必殺技を放つ。
「サウンドバズーカ!」
叫んだ瞬間に雌狼の全身に広がるイメージは複数の拳。
まるで巨大な拳骨で何度も何度も全身を叩かれているイメージが広がっていき、攻撃のラッシュに雌狼は意識を保つことが出来ずに、白目を向いてそのまま後方へと倒れていく。
群れのボスと思われる雌狼を殺し、完全にオメガフェンリルを絶滅させたのを確認すると、大男は邪悪な笑みを浮かべながら一言つぶやく。
「チョーシにのった罰だ……」
全身の細胞が内部から破壊された状態の雌狼に対して大男は一言つぶやくと、その場を後にしようとするが、自分の元に近づいてくる足音を二つ聞きとると足を止め、音の方向に体を向ける。
「また無能なグルメ警察か?」
「グルメ警察だと思った? 残念! 再生屋ちゃんでした!」
緑色の髪の毛をリーゼントでまとめ上げた軽薄そうな青年は精一杯の笑顔を浮かべて、横向きのピースサインを決めて語るが、大男は何が何だか分かっておらず、不機嫌そうな無表情を浮かべたまま、黙って再生屋の青年を見つめるだけ。
完全に掴みのギャグが滑ったのを肌で感じると、青年はふてくされた顔を浮かべながらピースサインを解き、少し遅れて現れる師匠の到着を待つ。
「ししょ~! だからオレ言ったんですよスベるの嫌だって!」
「それはワシの責任じゃない。スベると言うルールを破れなかったお前の責任じゃ鉄平」
鉄平はブツブツと文句を言いながらも胸ポケットから櫛を取り出すと自慢のリーゼントをセットし直し、バンダナを頭に巻き葉巻樹を加えた大男は豪快に煙を発しながら、先程ゼブラが殺したオメガフェンリルの躯を見つめる。
「また派手にやらかしてくれたな。ゼブラよ、これで26種目か絶滅させた種は?」
「い~や。これで27種目だ」
ふてぶてしくゼブラは言い放つがその耳はしっかりと捉えていた。
オメガフェンリルが我が身を挺して守っている存在の小さな鳴き声を。
「数10キロメートル先に落ちたコインの音をも聞き分ける聴覚のお前だ。オメガフェンリルと言う種の絶滅が失敗したことは知っているだろう?」
鉄平がオメガフェンリルの躯の間に入り、中から取り出したのは三匹の可愛らしいオメガフェンリルの赤子だった。
乳を求めて泣く赤子たちに鉄平は人差し指の爪を伸ばして『ネイル注射』の状態にすると先端から栄養剤を出して、ミルクを飲ます要領で赤子たちに飲ませていく。
嬉しそうに栄養剤に吸いつく赤子立ちを見ると、鉄平は柔らかな表情を見せて「よしよし」とあやしながら、赤子たちが落ち着くまで対応にあたっていた。
「赤子だから殺さなかったのか? 優しいところもあるんだな」
聞いているイメージとは違い、優しい部分を見せたゼブラに対して与作は葉巻樹の煙を豪快に口から噴き出しながらからかうように言うが、ゼブラは小さく鼻を「フン」と鳴らすと持論を語りだす。
「勘違いするな。でかくなってチョーシ乗った真似をするようなら、改めて絶滅させるつもりだったんだよ」
「まぁ何にせよ命は善だ。これはオレの方で保護しておく」
ゼブラの真意は分からないが、与作は鉄平から三匹の赤子を預かると、ゼブラの確保を弟子に任せ、IGOの職員たちに赤子を引き渡すためにその場を後にした。
これに対してゼブラは気を悪くして額に血管を浮かび上がらせながら、血走った目で残った鉄平を睨みつけた。
「気に入らねぇな。オレの相手なんざ、テメェ一人で十分だって態度だぞ今のは」
「ウチの師匠はスパルタでね。お前の確保もオレ一人で出来ないようじゃ、またどやされちまうからな……」
そう言うと鉄平は爪を元の状態に戻し、ゼブラと向き合う。
鼻息荒く興奮しきったゼブラに対して、鉄平は顔色一つ変えずに怒り狂っているゼブラを冷ややかな眼差しで見つめる。
「激しい怒りの感情が手に取って分かるな。喧嘩友達を失って誰かに怒りをぶつけなければ気が済まないと言った感じか?」
「ほざくな!」
鉄平の言葉がゼブラの琴線に触れたのか、感情に任せてゼブラは叫ぶ。
声を自在に操り、その振動で全てを破壊する能力を持った彼だけに軽く叫んだだけでも、大地は震えあがり、その場を激しい衝撃波が襲うが、鉄平はその中でも冷静さを保ったまま、一歩も動かずにゼブラを変わらず冷ややかに見続けていた。
「勝手に病気でくたばった奴のことなんか知らねぇな。オレはいつだってオレのやりたいようにやるだけだ」
威嚇するように額が当たる距離でゼブラは鉄平を睨みつけるが、そんな彼に対して鉄平は一歩引いて距離を保つと、先程の大声で乱れた髪形を整えるために胸ポケットから櫛を取り出し、リーゼントのセットにあたる。
「何をチンケな髪いじってるんだ! 何とか言えよ!」
自分の祖先の代から続くリーゼントをけなされても、特に鉄平は動揺する素振りを見せることなく、ようやく自分が納得できるセットが仕上がると櫛を胸ポケットに戻し、ゼブラと接そうとする。
「それでキレるのは違うキャラクターだ。あんな能力があればオレたち再生屋は飯の食い上げになっちまうわ」
「何をわけわかんねぇことを!」
「それと一つ忠告をしておいてやるよ」
鉄平の言っている言葉の意味が分からず、ゼブラは激昂する一方だが、鉄平は気にすることなく、自分の信念を語りだす。
「あまり感情に任せて言葉を発さない方がいいぞ。喋れば喋るほど言葉の体重は減り、やがて空気のようにフワフワと重みの無い物になってしまうからな」
ゼブラ本人は否定しているが、第三者の目から見れば今のゼブラがトリコを失って悲しんでいるのは目に見えて明らか。
だがそれをゼブラに言える人間なんて誰も居なかった。ゼブラは正直に自分の意見を言う鉄平に対して好感を持つ部分もあったが、それよりも怒りの感情が色濃く出て、鉄平の頭を鷲掴みにして、自分の元に寄せると戦いのゴングを自分から鳴らそうとする。
「テメェマジで殺されてえぇみたいだな……」
そんな状態でも鉄平はふてぶてしいぐらいに冷静で眉一つ動かさずにジッとゼブラを見つめるだけだった。
拳を振り上げて眼下の鉄平を殴り飛ばそうとした瞬間、ゼブラの耳に聞いたことの無い叫び声が届く。
明らかに怒気を含んで、自分に対して激しい憎しみの感情を持った叫び声の持ち主が分からず、ゼブラの拳は鉄平の顔面に当たる直前で止まり、音の方をゼブラが見やると鉄平も同じ方向を向く。
目に飛び込んできたのはショートパンツにパーカー姿の赤毛の髪をポニーテールにした少女。
腕には槍が握られていて、それを担ぐように持ちながら不機嫌そうに歩いているが、ゼブラの姿が視界に入った瞬間、少女は距離を一気に距離を詰めよって、ゼブラに対して怒りの感情をぶつける。
「やっと会えたな。このクズヤローが、トリコの代わりに殴りに来てやったぜ!」
少女は地面を蹴飛ばし、砂埃をゼブラに向かって開戦の合図代わりにして槍を振りかざそうとするが、後ろに激しい力が加わって止められてしまう。
不機嫌そうに少女が後ろを振り向くと、鉄平がため息交じりに穂先を掴んでいて、いきなり現れた少女が何者なのかを知るためコンタクトを取ろうとする。
「何だチミは?」
「何だチミはってか!?」
どこかで聞いたようなやり取りを鉄平と少女は行っていたが、邪魔をされた少女はいら立ちつつも鉄平を相手に啖呵を切る。
「アタシはトリコのグルメ細胞を引き継いだ者だ。だからトリコの代わりに葬式にも来なかった、この薄情者を代わりにぶん殴りに来たんだよ!」
『トリコ』と言う言葉がゼブラの琴線に触れる。
それまで何の関心も持っていなかった少女の襟首に向かって手を伸ばすと、強引に引き上げてゼブラは自分と少女が顔を合わせられる状態になると話を進める。
「脈拍、呼吸音からウソをついてないのは分かる。詳しく説明しな、テメェ何もんだ?」
返答の代わりに少女が放ったのは槍で横っ面を殴る暴力的な行為。
柄の部分がしなって鋭い打撃音が辺りに響くが、ゼブラは襟首を掴んだ手を放そうとはせず、出会った時と変わらない自分に対して憎悪を向けて睨みつける少女と睨み合う。
「アタシはアンコ。トリコの家族だ!」
そう言うと今度は杏子はゼブラの胸を思い切り蹴り上げて勢いを付けると同時に距離を取って、弱点と思われるむき出しになっている左頬の歯に向かって穂先を突き刺そうとするが、逆にゼブラは大きく口を開けて穂先を噛んで受け止める。
辺りに金属音が響くと同時にゼブラは歯ぎしりをしながら、吐き捨てるように槍を杏子ごと吹き飛ばすと杏子の体は槍もろとも後方へと吹っ飛ばされていく。
第三者として見ていた鉄平は双方のやり取りを見て確信した。お互いがお互いに取って倒さなければ気が済まない相手になっていることを。
プライドを汚すような真似は無粋に当たると踏んだ鉄平は手ごろな大きさの岩に腰かけると、二人の戦いを見守ろうとする。
「家族? ああ、そういや風の噂で聞いたな。トリコの奴がガキを拾って世話してるってな。たかが一年かそこら一緒に住んでるだけで家族か? 随分とチョーシに乗ったこと言ってんじゃねぇか」
「時間は関係ない。大切なのは濃度だろう……テメェこそ何だ? 友達が死んだってのに葬式にも出ねぇで喧嘩三昧なんて、それでもトリコの友達って言えんのか!?」
「知るかよ。死んだ奴のことなんて」
冷淡に耳をほじりながら言い放つゼブラを前にして杏子の中で思い出したくもない思い出が一気に蘇る。
さやかが死んだ時に自分よりもショックの大きいまどかに対して、ほむらが放った言葉の数々。
ましてや今目の前に居るゼブラは子供のころからトリコと寝食を共にしている存在のはずなのに、その態度はあまりにも傍若無人であり、自分のことしか考えていないゼブラに対して血液が沸騰する感覚を杏子は覚えた。
ユラユラとよろけるように左右に揺らめくと同時に攻撃を開始する。
足の親指に力を込めて大地を蹴り飛ばすイメージで駆け抜けると右往左往に飛び回って、円を描いた状態で少しずつゼブラとの距離を縮めていく。
駆け抜けるたびに思い出すのは魔法少女時代の実戦の感覚。
大地を蹴り上げるたびに失われていた鋭利な感覚が少しずつ戻っていくのを感じ、攻撃のチャンスをうかがっていたが、ゼブラとの距離が縮まるたびにその圧倒的な戦闘力を肌で感じる。
身長255センチ、体重310キログラムとトリコ以上に恵まれた体格を持ち、その上声と言う特殊能力まで備わっている。
トリコのグルメ細胞の移植により、自分の身体能力は魔法少女時代のそれと変わらないと言ってもいいぐらい驚異的な向上を見せた。
幻惑の魔法が使えないと言うのが唯一のデメリットではあるが、家族に心中されてからは自分自身の手で封印して、それからは魔法による身体能力の向上のみで戦っていたので、この辺りのデメリットはあってないような物。
いつだってガムシャラにやってきた負けん気と怒りだけを武器に戦ってきた。
そしてこの世界での本格的な自分一人での初陣もまた怒りを最大のモチベーションとして戦う相手。
ゼブラを中央に置いて完全に円を描いた状態で囲むと、杏子の姿は幾多もの残像となって槍を突き出して、少しずつ円を狭めていきゼブラを追い込む。
普通ならば圧倒的に絶望的な状況ではあるが、ゼブラは相変わらず退屈そうにあくびを繰り返しながら小指で耳をほじり、耳に付いた垢を息で吹き飛ばす。
――舐めやがって……
この挑発的な態度に杏子の脳内から冷静な思考を失わせた。
それまでのペースを無視して一気に円を詰めると、槍を突き出せば相手を貫ける距離にまで体を持って行き、一気に勝負を付けようとする。
「動きからして、まだ体が経験に追いついてないとみたな……」
それまでまともに存在さえも知らなかった杏子のことをゼブラは一瞬で見抜き、戦闘力の算段が終わると一言つぶやくように言う。
「アンコとか言ったな。テメェに一つ自然界の定説って奴を教えてやるよ」
言った瞬間にゼブラの脳内に思い浮かべるのはかつて絶滅させた種族の一つ。
自分を中心に置いて、全方向を囲んで数で攻める戦法を取っていたが、その害虫たちもゼブラは特に苦戦することなく絶滅に追い込み、何度も経験してきたことから彼の中で一つ定説が出来上がった。
「強い奴を中心に弱い奴が回るように出来てんのさ」
吐き捨てるように言うゼブラに対して、杏子の中に残っていた最後の理性が消えて無くなる。
額に血管を浮かべ、憎しみの視線をゼブラにぶつけると幾多の残像をまとったまま、飛び上がってゼブラに対して槍を突き出す。
「ほざいてんじゃねえ!」
狙うのは筋骨隆々のゼブラでも唯一筋肉で覆われてない部分の顔面。
その中でもむき出しになっている臓器である眼球を狙って、槍が突き出されていく。
穂先が眼球に近づき、視界が穂先だけに覆われてもゼブラは動じることなく、その場から一歩も動かないでいた。
ここから杏子は次の瞬間には獲物を刺す手応えを感じるだろうと思っていたが、次の瞬間手を襲った衝撃は槍で眼球を貫く柔らかな感触ではなかった。
まるで壁に向かって攻撃を放ったような感覚に戸惑っていたが、目の前に現れた巨大な拳に戸惑いは消えてなくなる。
杏子は瞬時に両手を交差して顔面を守る形態を取るが、それは空しい抵抗策であり、ゼブラの右ストレートによって杏子は体ごと後方へと持っていかれて吹っ飛んで行く。
ゼブラの攻撃によって足場が平原は足場が悪くなっていて、泥のように柔らかくなった地面の上を杏子は転がっていき、その体はあっという間に泥だらけになった。
「かっかっか、いい化粧が仕上がったじゃねぇか」
笑いながら皮肉を言うゼブラを杏子はすぐに立ち上がって睨みつけるが、ゼブラの前方に現れた変化に気付くとその姿をじっくりと見つめる。
泥は前方にも勢いよく放たれたため、ゼブラの体も泥塗れになっていると思ったが、その体には一滴も泥はかかっていなかった。
ゼブラの前方には長方形の壁が出来上がっていて、ゼブラの代わりに謎の壁が泥まみれになっていたが、壁は時間と共に消えてなくなり、泥は力なく地面へと落ちる。
(あれが『音壁』か……)
事前にゼブラの情報に関して予習はしていた鉄平だが、間近で見るその高度な能力に関心の色を隠せないでいた。
声を自在に操れる能力は攻撃だけではなく、防御にも使用することが出来て、その防御の声の能力の一つが今杏子に対して放った『音壁』
自分の好きなタイミングで自在に音で構成された壁を作り上げて相手の攻撃を遮断する。言うならば自由自在に出したい時に出せる盾のような物。
やはり一筋縄ではいかない相手だと分かると、鉄平は自分で自分の頬を叩いて気合を入れ直し、来るべき戦いに向けてモチベーションを高めた。
杏子は自分が完全に負けると踏んでいる鉄平に腹が立つ部分もあったが、今戦っている相手はゼブラ。
立ち上がって足で軽く地面を蹴り上げると、まだ自分に戦う力が残っていることが分かり、改めて槍をゼブラに向かって突き出す。
「ほう、まだ闘志は失われてなかったか……」
ゼブラの脳内であったのは手加減したパンチに対して、圧倒的な戦力差を思い知らされた杏子が逃げるさまであったが、相変わらず自分に対して憎しみの目線をぶつける杏子に感心する部分を持ったゼブラはコンタクトを取ろうとする。
「てっきり自分のデカさも弁えないで、イキがってるだけの雑魚だと思っていたが、その分じゃ勝てないと分かっていても、オレに勝負を挑んだとみたな。一つ聞かせろ、何でそんな真似をした?」
顔に拭った泥を袖で拭きながら杏子は槍を突き出して、少しずつ前へと歩んでいき、ポツポツと語り出す。
「さっきも言った通りだ。友達が死んでも葬式にも来ない薄情者に一発制裁の一撃を食らわさなきゃ気が済まないだけだ!」
「詭弁だな。お前はトリコを死んだ事実を盾にして、新しく手に入れた力をオレを相手にして試したいだけだろ?」
ゼブラの発言はどこかで杏子自身も感じていた事実なのかもしれない。
だがそれを敵に言われても火に油を注ぐような物。
足の親指に力を込めて泥の地面を蹴り上げると、後方に勢いよく泥を撒き散らせながら前方に槍を突き立ててゼブラに目がけて突っ込んでいく。
感情的になっているため、先程よりも攻撃が直線的になってしまい、狙う箇所も先程と同じ眼球になってしまって、一流の実力を持ったゼブラからすればこの攻撃は既に見切っていて、手のひらを顔面に差し出すと軽く払って穂先を地面に突き刺す。
無防備になった杏子の腹部に襲いかかったのは巨大な拳でのボディブロー。
ゼブラの拳は腹部だけに収まる物ではなく、胸全体でパンチを食らってしまうと杏子の体はくの字に折れ曲がって、口から血を噴き出すと重力に負けて、その場に落下する。
「雑魚がチョーシに乗ってんじゃねーぞ!」
自惚れている杏子が気に入らなかったのか、ゼブラはゴミでも払いのけるかのように足で軽く杏子の体を蹴飛ばすと後方へと追いやる。
顔から泥を全身にかぶったのを見届けると、杏子との戦いはこれで終わったと思い、鉄平の方を向いて次の喧嘩へと赴こうとするが、その耳は捉えていた。
自分に対しての憎しみの息づかい、一流の水準を持った殺気と言う物を。
振り返って見るとそこには全身が泥だらけになりながらも、未だに自分に対して強い怒りの感情を持った杏子が血を吐き出しながらも槍を構え直して戦いを挑もうとしていた。
先程放ったボディブローで臓器にまでダメージが及ぶレベルの致命傷を負ったはずなのに、その目は闘志を失っておらず、槍を持つ手に力を込めて、くの字に折れ曲がりそうになっている足に力を込めて、しっかりと大地を踏みしめていた。
そしてその後方には普段自分が何気なく発するグルメ細胞の実体化した姿の化身が見えた。
白銀の体に陣羽織を着込み、巨大な槍を持った夜叉は自分に対して同じく敵意を向けていて、その姿はトリコと杏子の力が入り混じったようにも見えた。
見たところ、まだグルメ細胞を移植して間もないにも関わらず、ここまで力を引き出せることに興味を持ったゼブラは振り返って再び杏子の相手をしだす。
その口元には軽やかな笑みが浮かびあがっていた。
「何がおかしい!?」
ゼブラの態度が気に入らず、杏子は満身創痍の状態ながらも叫んで威嚇をするが、ゼブラは構わずに歪んだ笑みを浮かべながら、肺に空気を貯め込みだす。
「いや何オレは膨大な戦闘経験から、呼吸音や細かな動きで大体の戦闘能力は察せられると思っていたんだがな。まさか細胞を移植したてのひよっ子がそこまでやれるとは思わなかったんでね……」
その人を見下すような尊大な態度が気に入らない杏子は言葉を無視して、一気に距離を詰めよって槍を突き出していく。
だが穂先が届く頃にはゼブラの充電は完了していて、肺一杯に溜まった空気を強靭な喉から放たれる声と共に発そうとしていた。
「雑魚と言った侘びだ。少しだけオレの実力の一片を見せてやる」
そして放たれたのは声の弾丸の数々だった。
ゼブラの叫びと共に大気中の空気が震えあがり、それまで穏やかに杏子を包んでいた空気は一つ一つが巨大な拳に変わって、全包囲から殴られている感覚に変わる。
無茶苦茶な鈍い打撃の連打に杏子の脳内で思考がストップし、体全体が赤黒く腫れあがっていくが、それがどす黒い細胞の死滅にまで行くのに数秒とかからなかった。
音による無数の打撃が止むと、空中で止まっていた杏子の体が重力に負けて地面へと落下する。白目を向いてトリコに買ってもらった槍もただの鉄塊となっていて、もはや武器としての用途が無い鉄塊が手から離れるのを見ると、ゼブラも鉄平も勝負がついたと判断をする。
「これが『サウンドバズーカ』だ。少しは勉強になっただろ? このじゃじゃ馬が!」
「オイ! 死んだ人間に対しての侮辱は許さないぞ、ゼブラ!」
力なくその場に突っ伏している杏子に対して言い放つゼブラの態度に対して、鉄平はその顔に初めて怒りの表情を浮かべて、彼の元へと向かおうとするが、その場での違和感に気付くと、その足は止まる。
杏子の指が動き、震えながらも槍を探してまだ戦う意思を見せていたからだ。
ゼブラの性格から戦いを挑んだ相手に対して手加減をするとは思えない、今放ったサウンドバズーカも先程オメガフェンリルを滅ぼしたのと同威力のそれだと言うのも分かっている。
だがそれでも新人以下の杏子が生きていることが信じられず、鉄平は歩みを止めると改めて二人の戦いの顛末を見届けようとする。
ゼブラはポニーテールの根元を掴んで、杏子の体を持ち上げると自分と目線を合わせてコンタクトを取ろうとする。
頭部の痛みと新鮮な空気に杏子は意識を取り戻し、変わらずゼブラに対して憎しみの目線をぶつけながら手を伸ばして戦闘意欲を見せようとする。
「フン、気持ちだけはお前一流の水準だよ。だが技術や体力が全く伴ってない。今は餌として小粒すぎるから見逃しておいてやる。だから……」
ポニーテールから手を離すと同時に振りかぶったゼブラの右ストレートが杏子の顔面を射抜く。
その衝撃は並の相手ならばパンチだけで顔面が消えて無くなるほどのレベルだが、杏子の顔面はその姿を保ったまま、はるか後方へと水切りの石のように吹っ飛んで行く。
「飯食って出直してこい!」
その叫びはメッセージとなってはるか遠くの相手にも伝わる。『音弾』として、杏子に届けられた。
鉄平は、はるか後方に大の字になって全身血だらけになって倒れている杏子が気がかりではあったが、今の自分の仕事はゼブラの確保。
プロとして仕事に徹しようと心を鬼にしてゼブラと向かい合うが、冷静沈着をモットーとしている鉄平にしては珍しくその表情には怒りの色が見られ、胸ポケットに収められた様々な武器に手を伸ばし、準備万端の状態で一気に勝負を付けようとする。
「ほう。さっきまで、やたらクールを気取っていたくせに、急に熱くなったじゃねぇか」
「悪いが、目の前で女殴られて、冷静でいられるほど人間が出来てなくてな……」
その啖呵と同時にゼブラは振り下ろしの右フックを鉄平に食らわし、鉄平はカウンターで左のアッパーカットをゼブラに食らわせようとする。
だがその瞬間に鉄平の首元に凄まじい力がかかり、その体は後方へと追いやられ地面に落下した。
何事かと思い鉄平が見上げた先には、オメガフェンリルの赤子を無事引き渡した与作がそこに居て、葉巻樹の煙を吐くと最後まで吸いきった葉巻樹は灰となって消え、一服を終えると与作はゼブラと向かい合う。
「師匠? 一体これは……」
「気が変わった。ゼブラの相手はワシがやろう、お前はあの元気なお嬢さんの治療に向かいな」
相変わらずの気まぐれな与作に鉄平は呆然とするばかりであったが、与作は指の関節を鳴らし、肩の関節を回すと準備が万全なことをゼブラにアピールして、ゼブラもまた対戦相手が与作に変わったことを不満には思っておらず、戦いの合図を待っていた。
「ししょ~! ここはあれだけの啖呵を切ったオレの意思ってのも尊重してくださいよ~!」
「ならばそのルールを破ろう。ほれ結構危険な状態じゃぞ。あのお嬢さん」
与作の信念である『ルールを破る』と言う言葉を聞いて、こうなった与作はもう止めることが出来ないと判断した鉄平は杏子の治療にあたろうと彼女の元へと向かった。
ゼブラは新しい対戦相手である与作に対して不敵な笑みを浮かべる。
その戦闘能力が高い物は分かっていて、久しぶりにまともな喧嘩が出来ることに喜びの笑みを隠せないでいた。
「さぁて四天王ゼブラ、どこまでのそれか見極めさせてもらうぞ」
与作の言う『四天王』と言う言葉にゼブラは先程までの笑みが消え失せ、額に血管を浮かべながら一気に拳を振り下ろして強引に決戦のゴングを鳴らす。
「もう四人じゃねーんだよ!」
その憎しみと怒りに満ちた目と共に振り下ろされる拳がどこまで自分に通用するのか、与作は不敵な笑みを崩さないまま組んでいた腕を解いて、ゼブラの相手をしだす。
喧嘩の相手に飢えているのはゼブラだけではない、自分もまた再生ばかりで溜まったフラストレーションを発散させようと拳を振り上げて相手をする。
喧嘩に飢えた者同士の決戦が今ここに始まった。
***
一般人から見れば死体とも思われる杏子の姿だったが、ボロボロの状態になっていながらも息だけはしっかりとしていて、体も小刻みに震えていることから、簡単な治療と栄養剤の投与で十分な回復は出来るだろうと鉄平は踏んでいた。
胸ポケットの中の栄養剤を調合して、杏子の口を開けて飲ませる。
思った通り喉を通って胃に到達して、栄養剤が杏子の中で栄養に変わった瞬間にどす黒く変色した肌は元の瑞々しさを取り戻していき、血も止まって傷口も閉じていく。
完全な回復とまではいかないが、十分に回復が見込まれたと判断すると鉄平は杏子の頬を軽く叩いて、彼女を起こそうとする。
頬に走る痛みから杏子は意識を取り戻すと、目の前に居た相手をゼブラとだぶらせてしまい、顔面に向かって右ストレートを放とうとするが、鉄平は特に慌てることなく鉄と同じ硬さの石『鉄鉱石』を突き出して、顔面を守る。
右手の中に収められた鉄鉱石は杏子のパンチで粉々に砕かれ、砂となって消えていく。
その様子を見た鉄平はヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべながら対応をする。
「ハハ、凄いパンチだね。お嬢さん」
その声で杏子は冷静になって辺りを見回す。
自分たちのはるか前方ではゼブラと与作が戦っていたが、与作のバンダナの下からは真新しい鮮血が流れていて、一見与作が不利なようにも見えたが、それで火が点いたのか一気にゼブラを追い込もうと攻撃の連打を繰り返していて、勝負は決そうとしていた。
その様子を見て、もう自分が入り込む余地などないと踏んだ杏子は歯がゆそうな顔を浮かべていたが、自分の耳元に音弾が届き、何度もエコーがかかったかのような叫びが耳元で連呼させられることが我慢できず、杏子は耳を塞ぎうずくまって少しでもゼブラの音弾を聞かないようにしていた。
「気持ちは分からないでもないがな。お嬢さん、この忠告は素直に耳を傾けた方がいいぜ。君はビギナーなんだから、まずは自分に見合った食材を食べて少しずつ細胞のレベルアップをだな……」
「黙れ!」
鉄平の意見はもっともな正論ではあるのだが、ゼブラとの喧嘩に負けて頭に血が上りきっている杏子に対しては火に油を注ぐような物であり、再び鉄平に対して右ストレートを放つ。
だが鉄平は冷静に手の中に何かを持った状態でパンチを受けとめようとしていた。
どうせ先程と同じ鉄鉱石だと思った杏子は、また砂に変えてやろうと構うことなく、そのまま手の中にパンチを放つ。
(何だこのヌメっとした嫌な感覚は……)
パンチを放ち右手に伝わる鉄鉱石とは違った感覚に杏子は本能的に恐怖を感じる。
恐る恐る右手をどけると、そこにあったのは鉄鉱石ではなくどす黒い何かだった。
知りたくないと言う想いもあったが、知らずに終えると言う恐怖の方が強く、杏子は鉄平に物の正体を聞く。
「何だこりゃ?」
「オメガフェンリルのう○こだ」
「ぎゃああああああああああああああああああ!」
まるで腹を槍で貫いた時に発せられる悲痛な叫びが杏子の口から出される。
慌てて杏子は尻ポケットに入れていたハンカチを取り出して、拳を拭うがそれだけでは覆いきれずに鉄平の服で付着した物体を除こうと彼の元へと向かう。
杏子に対して鉄平は自分のハンカチを恵んであげると、杏子は無我夢中になって自分の拳を拭くことに集中していた。
一応付着物が取り除かれたのを見ると、杏子はショックで涙目になりながらも鉄平に抗議をしだす。
「アホかテメェは!? そんなもん触って汚いと思わねぇのか!?」
「オレは再生屋だから別にう○こは平気だ。こう言うのを見て猛獣の健康状態を把握しなければいけないからな。と言うより、う○こを汚いと思うその心が汚いって話だろうが!」
大人として説教しようとしている鉄平だったが、その姿は今の杏子には神経を逆なでするだけであり、また殴りかかったら同じ目に合うと踏んだ杏子は言葉で論破しようと、舌戦に持ち込もうとする。
「それにしたって手掴みするのはどう考えてもおかしいだろ! 大人なら常識って物を持てよ!」
「ルールを破らなければ、凝り固まった常識を打ち崩さなければ見えない世界がある!」
「そう言う意味じゃねぇ……」
自分の師匠の名言を完全に履き違えた使い方をしている鉄平に反論しようとした瞬間、杏子の首元に刺さるような痛みが襲う。
痛みは首元から全身に行き渡ると、まるで体の全てが機能を停止するかのような感覚を覚え、抵抗する間もなく杏子の意識はブラックアウトしていき、その場に前のめりに倒れ込んだ。
鉄平が杏子の首元を見ると紫色の注射器が刺さっていた。
と言っても注射器は市販の物ではなく、それ自体が毒で構成された代物であり、時間と共に消えて無くなる。
こんなことを出来るのは一人しかいないと鉄平が見た先には、ターバンに黒タイツ姿の青年が居て、ココは荒い息を整えながら杏子の確保に成功したことに安心し、彼女の首根っこを掴むとその場を後にしようとする。
「やはり四天王ココか……自分たちのお仲間との別れの挨拶しなくていいのかい?」
「君は……ノッキングマスター次郎の血を引き、自身も優秀な再生屋として知られる鉄平か……」
早くその場を去って、勝手な行動を取った杏子に対して説教をしてやりたいココだが、鉄平に呼び止められて、多少うっとおしいと思いながらも、彼の相手をしだす。
「別れの挨拶と言うのはゼブラのことかな?」
「そうだ。奴さんの犯した罪は重い、ハニープリズン行きが妥当だろうよ、もう日の目を見ることは無いから、今の内に別れの挨拶でも……」
「その必要はないぞ」
二人の話の間に割って入ったのはゼブラのノッキングを終えた与作。
額から血を流していて、応急処置でいつも巻いているバンダナをきつ目に巻いて血を止めていて、痛々しいながらもその顔は充実感に満ちていた。
「コイツの場合トリコと違って永遠の別れでもないだろうよ。1、2年したらひょっこり顔を出すだろうよ」
「ししょ~、それは致死率100%のハニープリズンに対して失礼ですよ~」
「ボクもそう思います」
軽率な与作の発言に鉄平は苦言を呈すが、ココも同じようにゼブラがその程度で死ぬはずないと踏んでいて、信頼と受け止めていいのか分からない微妙な発言に鉄平は困った顔を浮かべてしまう。
「ゼブラはハニープリズンぐらいじゃ止められませんよ。それにボクの占いでは……」
言いかけたがココは杏子に対しての説教を優先しようと、彼女を引きずったままその場を後にして二人に対して軽く手を振って爽やかに立ち去って行った。
その優雅な姿に初めて出会う鉄平も彼に対して見習うべき部分が多く感心してしまう。
「クールだな……」
「ああ、初見の女の子に対して、う○こ突き付ける似非クールのお前とは大違いだ」
自分と杏子のやり取りを与作が見ていたかと思うと、鉄平は情けない気持ちになってうなだれてしまうが、そんな彼に与作が突き付けたのはノッキングを済ませたゼブラだった。
久しぶりに満足がいく喧嘩が出来たことに上機嫌な与作は鼻歌交じりでその場を後にするが、310キログラムの肉塊を押しつけられた鉄平は重みに苦しみながらも、その後を付いていく。
こうして幾多の激闘が繰り広げられたキング平原での騒動は幕を下ろし、そこには誰も居なくなった。
ただただ静寂だけが泥の海と化した平原を覆っていた。
***
グルメホスピタルの病室に戻されると、目を覚ました杏子はココから地べたに正座をさせられて説教を受けていた。
勝手な行動を取り、いきなりゼブラに挑んだ無茶をしかり、杏子が無事だと分かって帰って行ったサニーとリンも物凄く心配していたことを伝えられ、杏子は何も言い返すことが出来ず黙って説教を受けていた。
跳ねっ返りで人の言うことをまともに聞かない杏子ではあるが、正論に対して噛みつくほど愚かでは無い。
それに何よりゼブラに手も足も出なかったことから、少なからず自分が思いあがっていたことを思い知らされ、噛みつくだけの元気が持てないでいたからだ。
その様子を見てココも杏子が反省していると踏んだのか、正座を解除させるように命じると自分がトリコから預かった封筒を杏子に向かって見せる。
「何だよこれ?」
「遺言書さ。ボクに対してお願いしてもらいたい事がある。読むんだ」
促されると杏子は遺言書を開いて読む。
そこにはもし杏子がグルメ細胞の移植に成功し、美食屋としての道を歩むのならば、しばらくの間教師役を頼まれたいと言う簡素な内容の文章が書かれていた。
確かにココならばトリコを除けば物を教えると言うのには一番適した存在。
だがここでもまた魔法少女時代のトラウマが足踏みさせてしまう。
優しく穏やかなココはマミを連想させる部分もあり、また自分はワガママで傷つけてしまうのではないのかと思うところがあり、すぐに彼と寝食を共にすることに了承することが出来なかった。
「とにかく君が身の振り方を決めるのは自分の特性と言うのを身に付けてからだ。それが分からない内から勝負を挑むなんて無茶にも……」
黙りこくってしまった杏子を見て、変な間が出来上がってしまったことから、ココはつい口うるさくなってしまう。
自分を心配してくれてのそれだとは分かってはいるが、今の杏子にそれに応えるだけの懐の深さは持ち合わせておらず、軽く地団駄を踏んで怒りを露わにする。
「分かってるよ! そんなこと!」
瞬間、ホスピタル全体が揺れる感覚を覚えた。
地震が起こったのか、それとも大型の猛獣でも現れたのかと二人は思ったが、震源の中心は杏子が地団駄を踏んだ地面であり、コンクリートの地面は勢いよく地割れを起こし、先程まで体を支えていた地面は瓦礫と化して一階へと落下していき、杏子は瓦礫ともども一階のハンバーガーショップへと落下していく。
「い、いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
店員は突然の来客に戸惑いながらも、杏子に注文を聞く。
辺りを見回すと瓦礫の撤去も他の店員が行っていて、その手際の良さに驚かされるが、せっかく来たのだからと杏子は注文をする。
「チーズバーガーセット一つ」
「チーズバーガーは後!」
そこに階段を下りてココが入ってきて、止めるとこの惨状と泥の地面でも普通に駆けあがれる杏子の状態を見て、トリコのグルメ細胞が彼女に与えた特性を理解し、それを杏子に告げようとする。
「分かったぞアンコちゃん。君の特性、それはずばり脚力だ!」
「脚力だ!? また微妙な能力だなオイ!」
ベテランのココが言うことなのだから間違いないとは思うのだが、自分一人ではこの能力をフルに使いきれる自信は無かった。
考えて見ればトリコも四人の中では決して恵まれた能力とは呼べない物。
能力を生かすも殺すも本人次第、これから先美食屋としてやっていくためにも、まずは決意表明をしようと杏子は立ち上がって、ココに向かって自分の内なる想いを語り出す。
「ココ、アタシはな。自分のために美食屋の道を選ぶと言ったが、本当のところは後二つの理由があるんだ」
「話してみて」
言ってから言いよどんだのをココは見逃さず、促すと杏子はおずおずと気持ちを落ち着けながら話し出す。
「一つはさやかのため。アイツは絶望しか知らないまま、この世を去ったんだ。アタシに出来ることと言ったら食い物を用意することぐらいだからな。少しでもアイツには笑ってもらいたい。そしてもう一つは怒られるかもしれないけど聞いてくれるか?」
「大丈夫」
ココの言葉に安心したのか、杏子は最後の理由を語り出す。
「最後の理由はトリコのためだ。アイツのフルコースの話はよく聞かされたよ、この世の食い物の頂点『GOD』の話もな。メインディッシュにそれを入れることをトリコは本当に嬉しそうに話していた。だがアイツは志半ばでこの世を去っちまった」
「ああGODを分け与える者が得ることが、トリコの望みでもあったからな。その辺りはボクも念を押されてお願いされたよ」
「だからなアタシもその争奪戦に参加したいんだ。当然分け与える者としてな!」
美食屋としてスタートラインにも立っていない杏子がそんな発言をするとは思えず、ココは一瞬驚いた顔を見せるが、その目は真剣な物であり、彼女の言葉の続きを待つ。
「飯が原因で戦争なんて起こっちゃ絶対にいけねぇ。そんなのアタシが許さない! だったらアタシがGODを得て、分け与えてやる。その為なら泥だってすすって生き延びてやるよ! だから……」
自分の特性を知り、先程までのウジウジした気分が吹き飛んだのもある。
決めれる内に一気に決めてしまおうと感情に任せた部分もある。
だが何にせよ今の自分に必要なのは優秀な教師だと言うのは頭では理解していること。
杏子はココに向かって頭を下げると同時に、その手を取って勇気を振り絞って叫ぶ。
「頼むココ、アタシを強くしてくれ! もう誰にも負けたくないんだ! ゼブラにも! アタシ自身にもな!」
杏子の性格を考えればこれだけでも相当に勇気が居ることが分かった。
まずは一歩大人に前進した杏子を見届けると、ココは彼女の肩を軽く叩いて顔を上げさせるように無言のアピールをする。
杏子が顔を上げたのを見るとココは軽やかな笑みを浮かべながら語り出す。
「分かった。だが君を強くしてくれと言う願いは叶えられない。なぜならボクも君と一緒に強くならなくてはいけないからな」
「何をひねたことをそこは素直にOKを出せよな」
そう言ってどこか小馬鹿にしたよな顔を浮かべるのはいつもの杏子だった。
ようやくらしさが取り戻されたのを見ると、これからに付いて話し合おうとココは適当に空いている席に腰かけるが、その時杏子が注文していたチーズバーガーセットが届き、杏子は食べだす。
「まぁ泥をすするとは言ったが、まずはチーズバーガー食べるけどね」
そう言って用意されたチーズバーガーをポテトとバニラシェイクと一緒に食べだす杏子を見て、ココはシリアスな空気が台無しになってしまったと顔を覆って嘆く。
「あ、ここの勘定お願い。アタシの小遣い、キング平原までの交通費で全部空になったから」
「その上払わせるの!?」
この辺りの部分は間違いなくトリコの影響なのだろうかと思いつつ、ココは軽くため息をついた。
まずはマナーや礼節に関して教えなくてはいけないと思っていたから。
本日の食材
オメガフェンリル 捕獲レベル46
キング平原の主として君臨していた。凶暴で巨大な狼。
肉は食用に向かず、毛皮も産業品としての価値は無いが、高い繁殖能力を持っていて、その遺伝子は繁殖能力の低い絶滅種と組み合わせることで、絶滅した種が復活する希望となっていて、IGOが研究に力を入れている猛獣
またまた間が空いて申し訳ありません。色々とプライベートでバタバタしていた部分が多くて……
今回はゼブラとの決戦と杏子がグルメ細胞移植によって得た特性の話です。
杏子の特性を脚力にしては出来る限り、魔法少女時代と同じ戦い方をさせたいと言うのがあり、それだったらスピードキャラの印象が杏子は強いので脚力にしました。
次回はココとの共同生活と修業の日々を書きたいと思っています。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。