崖の上には一本レールが敷かれていて、その不安定なレールの上を走る列車が一台。
占いの町『グルメフォーチュン』へ向かうため、トリコと杏子は列車に揺られながら目的地を目指していた。
列車内で売られている酒を全て買占め、ほろ酔い気分で気持ちよさそうにしているトリコとは対称的に杏子は露骨に不機嫌な表情を浮かべていた。
悪意のこもった目で睨みつけているにも関わらず、意に介さずと言った調子で一人酒盛りを続けているトリコに、杏子の怒りは爆発し、勢いよく立ち上がると思いの丈を叫ぶ。
「助けてもらい、さやかの捜索の手伝いまでしてもらってこんなこと言うのも何だって思うけどな……お前はアホか! ちょっと散歩に出るぐらいのノリで片道5時間はかかる町まで向かおうなんてな……」
「だから思い立ったが吉日だろ?」
杏子の抗議はトリコの信念のある一言で却下され、トリコはテキーラをボトル一本分口の中に含むと、口の中で『白金レモン』を絞り、口の中で起こる味の化学変化を楽しみながら、喉にアルコールを流し込むと心地よい焼けつく感覚に酔いしれていた。
そしてつまみに先程捕獲したゲロルドを生姜醤油で味付けしたから揚げにした物を麻袋から取り出して食べだすと、今度はバーボンに手を伸ばす。
「うめぇ――! やっぱり酒のつまみにはから揚げが王道だぜ!」
濃いめの味付けに施されたから揚げは、元々旺盛だったトリコの食欲を更に刺激して、ジュースでも飲むような感覚でアルコール度数の高いバーボンをがぶ飲みして、空になったボトルを指に入れながら遊んでいると、相変わらず自分を睨みつけている杏子と目が合い、少しからかってやろうとイタズラをトリコは思いつく。
「そう睨みつけるなって、まだまだ旅は長いんだ。気楽にやっていこうぜ」
そう言うとトリコは空になったボトルを力の限り握りしめる。
これを見て杏子が思ったのはガラス製のボトルを割って自分の力を誇示させようというアピール。
そんな陳腐なパフォーマンスに乗っかるかと冷めた目で見つめていたが、実際にトリコが行ったパフォーマンスは全くの別物であった。
手の中ですっぽりと収まったボトルから発せられたのは熱気。
ガラスからこんな高熱を発せられるだけの力は業務用の機械で無くては不可能なレベル、それは知識の無い杏子にも分かることだった。
そこからトリコのパワーが人間離れした物であることが分かり、杏子は怒ることも忘れて驚愕の表情を浮かべていた。
上手く黙らせることが出来たのを見ると、トリコは握り拳を開いてボトルだった物をテーブルの上に置く。
そこに置かれたのは大き目のボトルでは無く、おちょこ大の大きさにまで縮みあがったガラス細工のオブジェ。
物を見ると杏子の中で昔テレビで見た情報が思い起こされる。
深海の世界は宇宙空間と同等と言われていて、海底での圧力によりサッカーボールはピンポン玉サイズに、カップラーメンはおちょこ大のサイズにまで圧縮されてしまうと聞く。
その圧力を自分の腕力だけでやってのけたトリコ。
ここから彼の握力が異常な物であると実感し、魔法少女として人間の常識など全て捨て去ったはずの杏子でも驚きの色が隠せなかった。
(コイツが特別なのか? それともこの世界に居る奴はこれが常識なのか?)
再び混乱しだした思考をまとめるため、杏子は一旦ソファーに腰かけ、情報をまとめようとする。
訳の分からない怪鳥を国でレベルを定めて、食べるようなデタラメな世界だ。
トリコぐらいの身体能力は自分たちの世界で言うところのガテン系の住人と変わらないかもしれない。
細かいことを気にしない自分ならともかく、もしかしたら同じようにこの世界にやってきているさやかがこの世界でやっていけるのかと不安が募る一方だった。
彼女は自分と違って決してメンタルが強い方では無い。
ただでさえ苦悩や悲しみがダース単位で襲ってきて、情緒不安定な状態のさやかがこんな無茶苦茶な世界で一人放り出されてやっていけるとはとても思えない。
考えれば考えるほど、頭の中は混乱する一方であり、酷い頭痛に杏子は襲われる。
元々考えるのは苦手で行動派の自分があれこれ仮説を立てるのには頭脳が拒否反応を示す。
頭を乱暴にかきむしるとトリコが用意してくれたボトルに手を伸ばし、乱暴にラッパ飲みをする。
「いーね、お前。いくつかは聞いてなかったが、恐らくは初体験でいきなりジンをストレートで一気飲みなんて根性のある真似してくれんだからな。ところでいくつだ? 俺は22歳だ」
喉が焼けつくような痛みを覚える。それに加えて頭がふらつくような感覚も襲ってきた。
だがそれでも意識だけは強く保たれていて、杏子はトリコの質問に答えようとするが返答に困ってしまう。
魔法少女として戦ってきた自分には年齢と言う概念があやふやになっていたからだ。
魔法少女は年を取らない。だから年齢と言われても困る部分があり、その上自分は元の世界では死んだ存在。
どう答えていいか分からなかったが、酒の力を借りて頭がハッキリと機能してないのか杏子は自重気味に答える。
「14だ……」
「まだ中坊だったとはな!」
年齢を聞いて衝撃的な事実にトリコは一瞬驚いた顔を見せるが、すぐに杏子の勝負度胸が気に入り、今度は先程のジンよりもアルコール度数の高いウオッカを杏子の前に置くと飲むように促す。
「だがその飲みっぷりは気に入ったぜ! 俺と対等に酒を交わせる奴は誰も居なくてな。ココは飲めないし、サニーはたしなむ程度だし、ゼブラは好きだけどすぐに酔うからな……」
「上等だ!」
半分挑発された感じで言われると、負けん気の強い杏子の心に火が点く。
ウオッカのボトルを手に持つと先程のジンと同じように一気に胃袋へと流し込んでいく。
喉が焼けるような感覚を覚える。
そして高すぎるアルコール度数が瞬間的に口の中をアルコール消毒してくれるので、喉や胃袋が焼けるように熱くなるのとは対称的に口の中は凍えるほど冷たくなる感覚を覚えた。
だがそれでも杏子は飲み切ると空になったボトルを押し出し、おかわりを要求するよう無言のアピールをした。
飲み比べが出来ることをトリコは喜びながら、麻袋の中に入った食料を差し出す。
そこには見たことも無い食材が山ほど詰まっていて、見慣れたはずの魚や肉でさえ、自分が居た世界とは別物のそれに見えてしまう。
その中で杏子の目に止まったのは茶色いキャベツ。
一瞬腐っているのではとも杏子は思ったが、アーモンドの匂いがして食欲をそそられる物だった。
「おおアンコは『アーモンドキャベツ』が気に入ったのか? これはうめぇぞ――!」
「アンコって言うな……」
ジンとウオッカを胃の中でミックスしてちゃんぽんの状態にしてしまう。
それは飲酒が初体験の少女にとっては厳しい物であり、反論にも力が出ない。
少しでも酔いを覚まそうと目の前にあるアーモンドキャベツを乱暴にむしり取ると、口の中に放り込む。
その瞬間今まで食べたことの無い新食感に杏子の頭は覚醒した。
コンビニなどでも新商品のお菓子の窃盗は欠かさないでいた杏子だが、今食べているアーモンドキャベツはそのどれにも属さない味だからだ。
噛めば噛むほどポリポリとアーモンドの食感が楽しく、そして味の方もアーモンドのように甘みとほのかな苦みが食欲をそそり、一枚を食べきるとすぐに二枚目に手を伸ばしていく。
食欲によって杏子の意識が覚醒したのを見ると、トリコは更に酒を用意しようと今度はバーボンを用意しようとするが、ここで思い出すのはこれから向かおうとしている場所。
子供からの仲間たちの中でココは一番良識的な性格であり、14歳の少女に酒を進め続けたとしれれば、何を言われるか分からないと判断したトリコは麻袋の中から真っ白なリンゴを取り出すと2、3個手の中に収めると絞って、果汁をジュースのようにしてジョッキの中に入れると、そこにバーボンを入れて割った状態にして杏子の前に差し出す。
「『ホワイトアップル』で割れば問題無いだろ。これならジュースみたいなもんだし……」
まるでココに対して言い訳をするようにつぶやきながら、トリコは杏子にホワイトアップルで割ったバーボンを差し出す。
アーモンドばかりを食べていたので、喉がカラカラに乾いていたので杏子は奪うようにジョッキを取ると、一気に胃袋へと流し込んでいく。
先程までは舌に感じていたのは激しい痛みと苦みだけだった酒だが、ここで初めて杏子の舌にうまみと言うのが広がる。
元々リンゴは好きだったが、魔法少女として盗んだお金で山ほど買ったリンゴは罪悪感から時折砂を噛んだような食感が広がることもあった。
だが今飲んだホワイトアップルの果汁は純粋に甘みだけが広がるだけで、リンゴ本来の甘みだけが口の中に広がっていき、バーボンの苦みなど微塵にも感じないまま飲み干すと今度はリンゴ自体を食べたいと思い、杏子はテーブルの上に置きっぱなしになっていたホワイトアップルの実を直に取ってかぶりつく。
「いい食べっぷりだぜ! ホワイトアップルは捕獲レベルこそ1以下だが、普通のリンゴよりも何倍も甘いし、パイにすれば最高に美味いからな!」
トリコは豪快に笑い飛ばしながら果汁が無くなって絞りかすになったホワイトアップルを口の中に投げ込むと、2、3回咀嚼した後に飲みこむと自分も食べようと麻袋の中からホワイトアップルを取り出す。
ここで杏子はトリコが用意した麻袋の中身が目に入る。
肉、魚、野菜、フルーツとどれも見たことが無い食材ばかりではあるが、全てが食べ物であることに杏子は呆れた顔を浮かべていて、一言嫌味のようにつぶやく。
「アタシが言うのも何だが……食べることしか頭に無いのか? お前は……」
人一倍食い意地が張っている自分がまさかこんな突っ込みを入れるとは思っていなかったが、トリコはピンク色の鮭『ストライプサーモン』を手に取ると骨ごと貪り食いながら答える。
「それはしょうがないだろ。基礎代謝って言葉知らないのかお前?」
『基礎代謝』と言われて杏子の脳内で自分が知っている情報が交錯する。
人間何もしなくても生命活動を維持するために自動でカロリーが消費される。
それは成人女性で1200カロリー、成人男性で1500カロリーが妥当なところと言われているが、トリコの摂取カロリーは明らかにそれをオーバーしている物だった。
「因みに俺の場合は約10万キロカロリーを1日で必要としている」
「何だその燃費の悪い体は!?」
自信満々に笑いながら言うトリコとは対称的に、杏子は非常識なトリコの肉体に激しい突っ込みを入れる。
「これがグルメ細胞の力さ、まぁ今度ゆっくり話してやるよ」
『グルメ細胞』と言う聞きなれない単語に杏子は再び困惑の表情を浮かべたが、非常識な異世界であれこれと不用意に詮索するのは自分の精神衛生上良くないとも判断した杏子は何も言わずホワイトアップルの果汁で割った酒を浴びるように飲み続け、トリコもまたグルメフォーチュンの到着が近いと知るとラストスパートとばかりに飲み続けた。
到着するまでの間酒盛りは続き、二人とも無言ではあったがトリコは嬉しく思っていた。
自分と一緒に酒を飲んでくれる相手が居ることに。
***
グルメフォーチュンに到着するとトリコはほろ酔い気分でゆっくりと電車から降り、杏子は酩酊状態でフラフラになりながらもトリコに続いていく。
グルメフォーチュンは古くから易学で栄えた町であり、近年はグルメ産業の発展に伴い、グルメ関連の企業や投資家、さらには一般のデイトレーダーが客のほとんどとなっている。
適当に相場を占うインチキグルメ易者も多いが、それでも、この町の占いの信用率は高い。
その事を適当にトリコはろくに聞いていない杏子に説明すると、胸ポケットから『葉巻樹』を取り出して指を勢いよく鳴らすと、そこから発生した火花で火を点け、口の中で香りと煙を楽しむ。
二人はゆっくりと歩いていくが、その道中杏子は禍々しいデザインの家が並ぶ町を奇妙に思う。
紫色の毒々しい色が家全体に施されたデザインは見ていて気持ちの安らぐ物ではない。
杏子が物珍しそうに家を見ているとトリコが説明に入る。
この町の占い師が危険な猛獣が近付く時間帯を占い、それに合わせて住民たちは壁一面に毒を施した家に身を隠す。
そうすることで自らの身を守り、その時間帯が正確だからこそ、この町の占いは信用されることをトリコは杏子に教えた。
「空襲警報みたいなもんか」
「まだ爆弾の方が可愛かったりしてな」
意地の悪い感じでトリコが指さした先に居たのは、先程戦ったゲロルドよりも更に大きな猛獣だった。
20メートル近い大きさの恐竜にも似た猛獣は最早怪獣と呼ぶレベルであり、まるで見定めをするように餌を求めている姿に杏子はハッキリしていない脳内が冷める感覚を覚えたが、トリコはニヤニヤと笑いながら猛獣を見定めする。
「捕獲レベル9の『クエンドン』かよ、煮ても焼いてもクエンドンってね……」
心底興味が無いと言った感じで吐き捨てるように言うと、葉巻樹を楽しむ。
そこへ黒の全身タイツに使いこまれたローブを身にまとった青年が自分たちの元に近づいてくるのが見えた。
トリコは手を振ってアピールするが、クエンドンは青年の存在に気付くとよだれを垂らしながら、ゆっくりと近づいていく。
「オイ! 目の前に猛獣が居るんだぞ。あの兄ちゃんにも逃げるように……」
未だにアルコールが残っているのか覚束ない口調で杏子は青年の身を心配するが、次の瞬間広がったのは予想外の光景。
クエンドンが青年を食べようとした瞬間、直前でクエンドンはその身を引き腹の虫を鳴らしながら、空腹に耐えてその場を後にして行った。
何がどうなったのか全く理解できない杏子とは対称的に相変わらずの青年にトリコは豪快に笑い飛ばす。
そして青年が目の前に現れると、ほろ酔いで出来上がっているトリコと酩酊状態の杏子を交互に見るとため息を一つつき、青年はトリコの頭をゲンコツで軽く小突く。
「痛ぇな! テメェ何しやがんだ! いきなり!?」
「それはこっちの台詞だ! 僕は僕で占い師として仕事があるって言うのに、こっちの都合も聞かないで一方的な会話をして! それにな……」
青年は激昂したまま酩酊状態の杏子を指さすとトリコの非常識さを責め出す。
「こんな小さな子供相手にお前と同じペースで酒盛りをさせる奴が居るか! 大体同行者が居るってことぐらい伝えてもらわないとだな……」
「そこまでにしてもらおうか!」
青年のトリコに対しての説教が長引きそうになったのを感じた杏子は怒鳴り散らして黙らせる。
ただでさえ長い時間列車に揺られて機嫌が悪い状態なのに、こんなところまで来て足踏み状態になるのは自分の性格上我慢がならないからだ。
「アタシだったら平気だ。それより探し物が得意な占い師ってのを捜してんだが、アンタ知らないか?」
「それだったら僕のことさ」
威風堂々とした態度で話す杏子に対して、青年はクールな態度で返すと杏子に向かって自己紹介をする。
「僕はこのグルメフォーチュンで占い師をやっているココだ。以後お見知りおきを」
そう言ってココは杏子を相手に中世の騎士のような感じで手を差し出し深々と頭を下げる。
トリコとは違い随分と礼儀正しい性格のココに杏子は軽く呆けはしたが、自分も自己紹介をしようとする。
「オウ、アタシはな……」
「こいつはアンコだ。早速お前の店へ行くぞ」
トリコが強引に話を終わらせるとココの店へと向かおうとするが、またアンコ呼ばわりされたことに怒った杏子は拳に力を込めてトリコを殴り飛ばそうとする。
「誰がアンコだ! オラ!」
だが拳が届くよりも先にホワイトアップルで割られたテキーラが入ったボトルを突っ込まれ、杏子は反射的にボトルの中身を飲み干してしまう。
相変わらず強引すぎるトリコにココは完全に呆れ果ててしまい、杏子はボトルの中身を全部飲み切ると目が据わった状態で一言つぶやく。
「いいよアンコで。それよか早くさやかを探せ……」
「よろしくねアンコちゃん。それよりも『さやか』って言うのは君の何なんだい?」
柔らかな笑みを浮かべながら話すココに対し、酒が入って感情的になったのか杏子は目に涙を溜めながらも語り出す。
「大切な友達だよ……」
その様子を見てココは確信した。
杏子に取ってさやかは本当に大切な存在だと言うことを。
その様子を見たココは彼女を救わなければいけないと言う使命感に駆られ、トリコへの説教もそこそこに自分の店に来るよう手で二人を呼び寄せる。
「ココの占いは天下一品だからな。きっとお前の探し人も見つかるはずだぜ!」
トリコなりの激励を受けながら、杏子は歩を進めていた。
これから先のことは二人で考えればいい。
今度こそ自分とさやかは友人としての関係を築いてみせると、杏子は心に強く誓っていた。
***
薄暗く狭い店内に到着するとトリコと杏子はココが用意してくれた席に座り、ココも自分の席に座ると対面する形を取る。
相変わらずさやかのことで頭が一杯になっている杏子はココを睨みつけて、無言の威圧をしていた。
「そんな怖い顔をされても困る。僕はそのさやかって子のことを何も知らないんだから、アンコちゃんが知っている限り情報を与えてほしい」
もっともな意見を言われると、ここで一旦杏子の心に落ち着きが取り戻され、杏子は知っている限りのさやかに対しての情報をココへ伝える。
容姿、性格、ここへ来る前までの悲惨な経歴などを異世界から来たと言うこと以外は上手く隠して伝え、最後につたないながらに彼女の似顔絵を描くとココへ手渡す。
絵は下手なりに一生懸命描かれていたのが分かり、そこから杏子がさやかに対して真剣な気持ちを持っていることが分かった。
彼女の気持ちに応えるべく、ここは目の前にある水晶玉に手をかざすと力を込めてそこから発生する電磁波を見ようとして未来を見据えようとしていた。
(これは?)
その瞬間ココは今までに見たことが無い強い違和感を感じ取った。
水晶玉には何も映らず、まるで深い霧がかかったかのようにぼんやりした映像しか見えていないからだ。
原因を探ろうと今度は杏子の方を見つめる。
彼女から感じた電磁波は常人のそれとは全くの別物であり、真っ赤で闘気に満ちたそれとは別に海のように青く癒しの力に満ちた電磁波を感じ取っていたからだ。
一つの体から二つの電磁波を感じ取るのは極めて異例なことではあるが、ココの中で一つの仮説が生まれる。
仮説を定説に変えるためにもココは目に力を込め、杏子を食い入るように睨みつけた。
人間の体から発せられる微弱な電磁波も捕えられる自分がここまで真剣に物を見るのは初めてであり、ぼんやりとした青い電磁波はもやのような状態から一人の少女の姿に変わる。
(これは……)
自分には人には見えない物が見える。
だが今目の前で見えてしまっているそれに対して、百戦錬磨のココでも驚きの顔を浮かべてしまう。
青い電磁波は一つの人間の魂であり、それは杏子が描き上げた似顔絵の少女『さやか』と瓜二つのそれだったからだ。
青を基調としたコスチュームにマント姿のそれに多少は困惑したが、コンタクトを取ってみようとココは二人にも聞こえないよう、ささやくようにさやかと思われる魂に話をしようとする。
(君がアンコちゃんの探し人のさやかちゃんかい?)
ココの問いかけに対して、さやかは小さく首を縦に振ると一言だけつぶやく。
(ありのままを伝えてあげて……)
それだけを言うとさやかの姿は再び青い電磁波へと変わり、杏子にまとわりつく形に戻った。
事実はあまりにも残酷であり、目の前で期待を持った少女に告げようか悩みはしたが、ココは決断を下す。
「正直に言う。そのさやかって子だが、既に死んでいる可能性が高い……」
その瞬間杏子の中で自我がガラスのように崩壊していくイメージが広がっていく。
自分と同じようにさやかもこの世界で新しい生を与えている物とばかり思っていただけに、仮説とは言えあまりに残酷な現実に杏子は酷いショックを受けた表情のまま、立ち上がって二人に何も言わずに出て行こうとする。
「待つんだ! 魂は君の体に宿っている可能性が高いんだ!」
「アタシの中に?」
異常な状態の杏子の心に平穏を戻そうと、ココは仮説の段階でしかないが現時点で分かっていることを全て杏子に告げる。
「君からは二つの電磁波を感じ取った。一つは元々の君のそれ、もう一つはそのさやかって子の電磁波だと思うんだ。僕はこの目で君の似顔絵にそっくりな少女を見た。何にせよ君に関してはまだまだ知らないことが多すぎる。アンコちゃん、もしよかったら僕に君のことをもっと教えてくれないかな?」
ココは杏子に心を開いてもらうように、穏やかな口調で話しかけるが、杏子は口を閉じて何も話そうとはしなかった。
さやかが肉体を持たずに転生したこともそうだが、異世界で自爆して死んだなんて話、まともに取り合ってもらえるわけがない。
とにかくさやかが自分と同じように新たな生を受けなかったことは、杏子に取って重すぎる現実であり、その場から逃げるように去っていく。
「オイ、アンコ!」
それを追うようにすぐにトリコも店を出て彼女の後を追う。
一人取り残されたココは嵐のように過ぎ去った二人にため息をつきながらも、水晶玉に手をかざすと力を込めて彼女の未来を占おうとした。
そこには真っ赤なコスチュームに身を包んで、槍をかざして『ガララワニ』に立ち向かおうとしている杏子の姿が映し出されていて、美食屋として歩こうとしている姿があった。
新しい強力な商売敵ができたことに気苦労も増えたが、同時に安堵感も感じた。
彼女は辛すぎる現実に負けるほど弱い存在じゃない、二言、三言程度しか話していないがそれはよく分かった。
後のことはトリコに任せようと判断し、ココはそのまま目を閉じ眠りに付こうとした。
トリコに振り回されて疲れた体を癒すために。
***
何も考えずに体力の続く限り走り続ける。
そうすることで自分の中にあるモヤモヤとした感情を払拭したいと杏子は思っていたからだ。
肉体が無い状態でこれから先どうやってさやかに幸福感を与えることが出来るんだ。
いくら考えても答えは見つからず、道端に落ちていた小石に足を取られて勢いよく転ぶと目の前にあったのは何も無い草原だった。
この世界は多くの自然が残されていて、それは見ているだけでも心が穏やかになる物だった。
だが肉体の無いさやかはこれを感じることも出来ない。
美味しい食事を食べた喜びも、花の美しさ、太陽の温かさ、柔らかなシーツに包まれての穏やかな眠り、どれもさやかは感じることが出来ない。
無茶苦茶ではあるが、自分たちが居た世界よりはある意味で穏やかな世界に飛ばされただけに杏子のジレンマは募る一方であった。
「畜生……チクショウ……」
何の力も無い少女はこんなことをしたって何も変わらないのは分かっていても、泣くことしかできなかった。
流すまいと目に涙を溜めて我慢はしていたが堤防の崩壊は早く、杏子の両目からは涙が零れおち、土の地面に涙の痕がポツリポツリと落ちていく。
「どんなに泣いても目からオレンジジュースは出ないぞ」
声と共に目の前に差し出されたのは大き目のハンカチ、杏子が見上げた先に居たのは息を切らせながら立っているトリコの姿だった。
杏子は何も言わずにハンカチを奪い取るように受け取ると、泣き顔を見られたくないのかハンカチで顔全体を覆うように包みこんで涙を拭きとる。
「まさかこんなことになるとはな。お前これからどうするんだ?」
「知るか!」
トリコの質問に対しても自棄気味に返すことしか今の杏子にはできなかった。
その様子を見てトリコは困った顔を浮かべながらも、彼女の心を救うために自分が考えたこれからのプランを話し出す。
「もしココの占い通り、そのさやかって子がお前の中にいるならだ。お前の幸せをさやかって子に分け与えることもできるんじゃないのか?」
『分け与える』と言う言葉に杏子はハッとした顔を浮かべた。
以前盗品のリンゴをさやかに分け与えようとした時、手に入れた用途を巡って喧嘩になり、自分もまた持論を曲げることが出来ずに喧嘩になってしまったことを思い出す。
もしココの言うように自分の中にさやかの魂があるのなら、これからの自分を見せることで友人関係と言うのは築けるのではないかと言う思いが出来上がっていく。
それは自分の心を守るための醜い自己満足の部類かもしれない、だがそれでも行動に起こさなければいけないと判断し、涙を全て拭き取ったハンカチをトリコに返すと、トリコに向かってこれからのことを話し合おうとする。
「もしお前にその気があるんなら、しばらく家で過ごして、美食屋の勉強するか?」
『美食屋』と言う聞きなれない単語に杏子は多少の困惑こそしたが、先程のトリコの激闘を見れば何となくやろうとしていることは分かった。
ようは猛獣相手に戦って生計を立てるハンターのような物だと。
これならばちゃんとした方法で手に入れた食糧だし、胸を張って堂々と話すこともできる。
魔法少女としての力こそ失ったが、キャリアは残っている。
この世界で食べた食材は三つだけだが、その美味しさは一生物のレベル。
例え危険であっても、その美味しさを自分の中に居るかもしれないさやかに伝えることこそが自分のなすべきことなのではないかと思い、二つ返事でトリコに返す。
「分かった。これからよろしく頼むぜトリコ……」
友達を作るためには一方的に思いをぶつけるだけではいけない、自分の方からも歩み寄ろうとしなくてはいけない。
それを自分たちの世界で学んだ杏子はトリコに向かって手を差し出す。
「ああコンビ結成だアンコ!」
大きな手が杏子の小さな手を包みこむ。
大人と子供並みの大きさがある手は温かさが伝わり、これから先の辛い戦いも安心してやっていけるような無意味な安堵感を感じた。
(何にせよ戸籍も無いアタシが生きていくにはこれしかないか……)
頭の中に冷静さが取り戻すと、自分に残された選択肢はこれぐらいしかないと分かる。
この世界でも魔法少女と似たようなことをしなくてはいけないことに苦笑いを浮かべながらも杏子はやる気を見せていた。
(これからを見ていくからね……)
その時後ろから声が聞こえたような気がして、杏子は振り返るがそこには何も無かった。
だが杏子は信じていた。この世界で堂々と頑張っていけることを、それが自分もさやかも救われる道だと言うことを。
本日の食材
アーモンドキャベツ 捕獲レベル1以下
味・食感ともにアーモンドに近いキャベツ。
酒のつまみやサラダのアクセントとしては最適だが、アーモンド並みの高カロリーのためキャベツダイエットを行うのは不向き。
ホワイトアップル 捕獲レベル1以下
その名の通り白いリンゴで、通常のリンゴより糖度が高い。
ジュースやカクテル、スイーツを作るのに最適だという。中でも「ホワイトアップルパイ」は女性に人気が高いとか。
と言う訳で一気に二話目を投稿しました。
クエンドン 捕獲レベル9
煮ても焼いても食べられた物ではない味から、この名が付けられた猛獣。
他の用途を探そうとしても、体毛や爪にも利用価値が見つけられず、クエンドンの利用価値を見つけることはIGOの課題の一つにもなっている。
この物語は本編よりも三年前の物語になるのでトリコの年齢は22歳になっています。
次回は美食屋として歩み出した杏子の話になります。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。