広い草原に佇んでいるのは深紅の衣装に身を包み、自分の身長より大きい三又槍を持った少女と、ダチョウのような丸い胴体に禍々しい表情を浮かべた五つ首の怪鳥。
本格的な実戦経験を積ませてから三カ月の時が流れた。
ココは最終試験である『怪鳥ゲロルド』との戦いがこんなにも早く訪れたことに、平静を装いながらも驚きを隠せないでいた。
実戦経験を積ませるために現場での狩りを解禁してからと言う物、杏子はまるでゲームでも楽しむかのように最低でも一日に一個は課題を消化していき、近くに依頼の品がある場合は一日で二つ、三つの課題をこなすことも少なくはなかった。
これがトリコのグルメ細胞が杏子に完全な適合を見せた結果か、杏子の元々の才能が爆発した結果かは分からない。だが驚くべき成長を見せている杏子を見て、自分が師事できることも残り少ないと判断したココは恐らく自分が最後に見守るであろう戦いを見続けていた。
ゲロルドも杏子も互いに間合いを取って、相手の隙を窺う姿勢を取っていたが、長い沈黙に耐えきれなくなったのか、先に行動を起こしたのはゲロルド。
奇声を立てながら一気に突っ込んで間合いを詰めて、五つの首を伸ばして各々のくちばしでついばもうとしていく。
初めて出会った時にはこの時死を覚悟して、頭の中が真っ白になっていた杏子だが、今は不気味なぐらいに落ち着いていて、チャンスを待っていた。
そしてその瞬間は訪れる。
五つの首全てが自分の間合いに入った瞬間、杏子は勢いを付けて右から三又槍を振り上げると同時にギミックを起動させる。
右端の刃だけを残した状態で残りの刃を柄の中に隠し、残った刃の峰で一番右端の首を叩きつけると、ドミノ倒しの要領で残り四本の首も右からの衝撃を受け、その衝撃が左端の首にまで伝わると同時にゲロルドの体は地面へと倒れ込む。
それと同時に杏子はギミックを起動させて、刃を柄から出すと首を刃の中に一つにまとめ上げてゲロルドの移動を封じた。
(なるほど……分かってきたぜ、防御の要領って奴が)
魔法少女時代も自分には弱点があり、それが克服できつつあることに杏子は達成感のような物を感じながらも、トドメを刺すため勢いよく飛び上がって背中からもう一本の槍を取り出す。
三又槍を要求したのはドリルクラッシュのギミックのためというのもあるが、自分の弱点である防御に回った瞬間に一斉に攻めたてられてしまうと言う致命的な弱点を解消するためでもあった。
当初は理屈では分かっていたが、慣れない三又槍に最初は思うように使えずに苦戦を強いられていたが、ココの丁寧な指導と元々の要領の良さも手伝って、防御を主体とまではいかないが、弱点と呼ばれる穴を塞いだ程度には防御が出来るようになり、耐えてチャンスを待つと言うことが出来るようになった。
これで一気に波に乗ることが出来た杏子はトントン拍子で依頼をこなしていき、そして今最後のココからの依頼であるゲロルドを撃破しようと上空で倒す算段を考えていた。
だがゲロルドもただ倒されるためだけに居る訳ではなく、意地を見せて反撃に転じようとする。
首の力だけで強引に三又槍を動かすと、血だらけになりながらも首から槍を引き抜いて、飛び上がっている杏子に向かって咆哮を繰り返す。
それはゲロルドが自分をただの餌ではなく、倒さなければ生き残れない敵として見た証。
ならば自分もそれに全力で応えようと、右手に力を込めると前方に突き出して、先端にナイフの付いたワイヤーを発射する。
「ナイフワイヤー!」
恥ずかしかった必殺技を叫ぶ行為ではあるが、効果がハッキリ出ている物だと分かると、今では格好いいとは思わないが、狩りにおいて必要な行為だと割り切って叫ぶことが出来た。
ナイフワイヤーがゲロルドの胴体に食い込むと、杏子は利き腕で思い切り引っ張って自分の元へと持って行く。
突如自分の体が空中に浮き上がり、獲物が眼前に居ることにゲロルドは戸惑っていて、相手が戦う準備が出来上がっていないのを見極めると、杏子は持っていた槍の背で真ん中のリーダー格のゲロルドの頭部を思い切り殴り飛ばし、今度は一気に地面へと落下させる。
ゲロルドが地面へと激突する前に、今度は左腕を突き出すと先端にフォークの付いたワイヤーを発射させる。
「フォークワイヤー!」
フォークワイヤーが先程、胴体に開けた穴に刺さると杏子は袖のスイッチを押して、掃除機のコードが本体に戻るかのようなスピードでゲロルドよりも早く地面へと到着し、未だに空中を浮いて防御も攻撃の体勢も取れない無防備なゲロルドに対して、杏子は刺さったままの三又槍の柄を両腕で押すとしなりが付いた状態で槍を五つの首に向かって振り上げる。
「でやあああああああああああああ!」
最後に気合の入った叫び声が木霊すると同時に、勢いの付いた刃は一気にゲロルドの首を切り裂いていく。
半端な実力は逆にゲロルドを苦しめるだけと分かっている杏子の気合は刃にも伝わり、ゲロルドの五つの首は一気に切り裂かれて胴体と永遠の別れを告げた。
噴水のように吹き出す血液が大地を濡らし、地面から轟音が響き渡ると、自分のために命を分けてくれたゲロルドに対して感謝の念を込め、トリコがずっと行い、ココからもやることを共生されている儀式のような締めの挨拶を行う。
「ごちそうさまでした」
杏子と同じようにココも手を合わせて真摯な表情を浮かべて、ゲロルドに感謝の念を送る。
命に対する礼儀が終わると、杏子は懐から解体用の鉈に近いサイズの大型ナイフを取り出し、早速解体作業に入る。
食材に対しての知識がまだまだ少ない杏子だけに、解体方法その物はグルメディクショナリーを見ながらではあったが、その手際の良さは今までに培ってきた経験の賜物であり、食べられる部位と、食用では無くても他の用途がある部位、全く必要のない部位と分けると、最後に杏子は全く必要のない部位を地面へと埋めて栄養に変えると、部位を亜空間モグラの胃袋が装着されたスポーツバッグに詰めて、ココの元へ手渡す。
「これで全ての依頼は完了したぜ。教えてくれココ、最後の修業ってのは何だ?」
「その表現は間違っているよアンコちゃん。人生は常に勉強であり修業だ。ボクから教えられることはここまでって意味だよ、後は自分なりに修業を積んで自分の持ち味や色ってのを出していきなさいって話さ」
理屈っぽいココの言い回しに杏子は面倒くさそうな表情を浮かべながらも対応に回り、何とか最後の修業が何なのかを聞こうとする。
別にココのことが嫌いなわけではないのだが、今までの経験からある程度の基礎が出来上がれば、後は自分なりに戦ってマイペースでやっていく方が早く技術や能力の向上が見込めると踏んだからだ。
それにいつまでもじぶんにかまけてばかりではココもなまった体を元の調子に戻すのと、更なる能力の向上に時間を割く暇が無い。
自分のためにもココのためにも早く自立したいと思っている杏子は、最後の修業を行うように促すと、彼はため息交じりに杏子を宥めながら最後の修業が行う場所が書かれた地図を手渡し、この日は帰ろうとする。
「今までの中で一番ハードな物になるから、今日は帰って大人しく体を休めるんだ。ハッキリと言っておくが、これまでの中で一番厳しい修業になる覚悟をするんだ……」
そう言って真剣な顔を浮かべながら話すココだが、逆に睨み返すぐらいの気概が今はあった。
自信があったからだ。今までの経験が自分を支えてくれている。
どんな屈強な猛獣にも特殊な環境にも耐えてみせると心の中で気合を入れると、杏子は黙ってココの後を付いて行った。
***
翌日、最後の修業としてココが連れてきたのは薄暗い洞窟だった。
ココはライトを使わなくても楽々と歩くことが出来、杏子もトリコほどではないが嗅覚と薄暗くぼんやりとした調子ではあるが、前方を確認しながらココの後を付いていき、最後の修業場所へと向かう。
肌で感じて、多少は肌寒いがそこまで厳しい環境でない以上、屈強な猛獣が相手だろうと思い、頭の中で何度もシミュレーションを重ねる。
群れで単体を追いつめるタイプなのか、この薄暗いフィールドを十二分に利用できるタイプなのかは分からないが、自分を信じて精一杯やるだけだと杏子は決めていたが、小さな洞窟の前に立つとココは手を差し出して、杏子から武器を差し出すように要求する。
「最後の修業は武器無しで戦えって言うのか?」
「そうじゃない。辛さのあまり自殺されたら元も子も無いからな」
言っている意味が良く分からないが、杏子は渋々背中にしまっていた二本の槍と袖に仕込んでおいた二本のワイヤー、更には解体用の大型ナイフを全て差し出すと、ココに促されて洞窟の中へと入る。
中は薄暗くジメっと湿った嫌な空気に満ちていて、先程まではどことなく肌寒ささえ感じていたが、密室空間のためか今は逆に蒸し暑いぐらいの居心地の悪さを覚え、ここで何をするのか杏子はココに尋ねようとする。
「で、何なんだ最後の修業ってのは? だんまり決め込んでないで、そろそろ答えろよ」
この洞窟に入ってからココの口数は全くなく、今日初めて喋ったのも先程のやりとりのみ。
その態度が今一つ気に入らない杏子は多少いら立った調子で話すが、ココは全ての武器がちゃんと自分の元にあるのを確認すると杏子をまっすぐ見つめて話し出す。
「美食屋になれば人間の嫌な部分や汚い部分も見えてしまう。それはアンコちゃんも数える程度の任務しかこなしていなくても分かるね?」
ココに言われてしまい、杏子は過去の嫌な思い出を思い返しながらも小さく頷く。
清廉潔白な人間などこの世に存在しない、それは魔法少女時代に嫌というほど思い知らされたのだが、この優しすぎる世界でも、腹の中でドロドロとした邪悪な感情を蘇らせるような最低な人間は何人も見てきた。
土地転がしのため、ただそこで暮らしているだけの猛獣を殺してほしい。
自社の儲けのため、薬草の調達をお願いしたい。それだけなら問題ないのだが、近くにはそれしか食べることのできない捕獲レベルの低い猛獣もいたが、それらは邪魔なのでついでに駆除も要求してきた。
もちろん、そんな胸糞の悪い依頼を完全に受けるわけもなく、猛獣は近隣住民にも被害が及んでいる状態なのでノッキングの後にIGOに保護させ、薬草も平原一面に生えているのを要求してきたが、一人前だけ取ると後はIGOの研究班に託した。
当然その後は自分の琴線に触れた依頼主たちを殴り飛ばして、その件に関しての決着はつけたが、これからもこんな依頼を受けなければと思うと杏子は胃が痛くなる感覚を覚えた。
「痛みや悲しみを感じるのは素晴らしいことだ。だが痛みや悲しみに負けて自分を見失っては何の意味も無い」
「ウルセェ! そんなことお前に言われなくても分かってる!」
それはココなりのフォローの言葉だったが、その言葉にさやかの顛末を思い出した杏子は乱暴に返してしまう。
怒りはそれだけでは収まらず、胸糞の悪い話を切り出したココの真意を知ろうと彼を睨んだ。
「だから最後の修業は君がそんな悲しみや痛みに負けない。強い心を生み出す精神面での修業を行ってもらう。ここで考えるんだ」
言っている意味が分からず、杏子は頭の上にクエッションマークを浮かべた状態でココを見ていると、ココは恐怖さえ感じるレベルの真剣な表情を浮かべたまま叫ぶように言う。
「そう言う憎しみや怒りに負けない心の中のしんがり棒と言うのは一つしかない。最後の修業はここからの脱出だ! それが出来た時、君は何にも負けない強さを手に入れられる」
それだけを言うとココは近くにあった大きな岩で唯一ある出入り口を塞ぎ、外界と完全に遮断をした。
静寂だけが辺りを包む。だが杏子は最後の修業がこんな物なのかと拍子抜けしてしまう部分が強く、ようはここから出られればそれで完了なのだろうと思い、力任せに出入り口を塞いでいる岩を殴り飛ばすが、全く手応えと言うのを感じられず、逆に手に痛みが走るだけ。
これは何度殴っても結果は同じだろうと判断した杏子は、次は上からの脱出を試みようと飛び上がってみるが、どこにも上へと通じる穴のような物は存在せず、僅かな空気穴が空いている程度のそれに自力での脱出は不可能と判断する。
なので大人しく立ち止まって考えようと観念し、20畳ほどの大きさの洞窟をジックリ見つめ、落ち着いて物が考えられる場所を探すと、ちょど中央に座るのに適した平たい岩が置かれていた。
その上にあぐらをかいて座ると杏子は頬杖をついた状態で脱出方法を考えているが、静寂な空間が自然と心を落ち着かせたのか。杏子はあぐらをかきながらも目を閉じて精神を落ち着かせようとする。
(まさか教会の娘が座禅を組むことになるとはな……)
違和感しか感じられない行動に杏子は苦笑いを浮かべるが、同時に腹も鳴る。
朝食は一杯食べたはずなのだが、燃費の悪いトリコのグルメ細胞の影響か、今は空腹が一番の敵となっていた。
とにかく最後の修業を終わらせて、美味しい食事を取ろうと杏子は考え続けた。
自分もココも納得する答えと言う物を。
***
もうどれだけの時が経ったのか分からない。
太陽の光を浴びれず、腕時計も無いため、体内時計も狂っている状態で、杏子は一人孤独と戦っていた。
敵は孤独だけではない、飢えと言う最大の敵は今までの中で一番辛い経験と言えた。
水分に関しては微量の湧水を即席で作った岩のコップに貯め、一日経過してようやく唇を湿らせる程度のそれしか集まらなかったが、何もないこの状況ではそれだけでも貴重な栄養源であった。
しかし当然それだけではトリコのグルメ細胞は満足するはずもなく、基礎代謝分のエネルギーも補給できない状態が何日も続いたため、目は霞み、肌は水分を失い老化が進んだ建造物のようにボロボロにくすみ、足腰に関してもまともに自分の体重すら支えられない状態になっていた。
だがそれでも杏子はココに助けを求めると言う真似をしなかった。
無様だから、格好悪いとか言う体裁の問題ではない。まだ自分が納得できる答えと言う物が見つかっていないからだ。
(アタシはさやかに教えてもらったんだ……自分が自分じゃなくなる悲しみって奴を……)
最早声を出すのも厳しい状況でありながらも、杏子は最後さやかが人間だった瞬間のその悲しげな顔が忘れられず、自分に出来ることはただ悦楽のみに逃げて魔女化を回避できるような弱い人間ではなく、彼女がなれなかった本当の意味での正義の味方になること。
それにトリコが果たせなかったフルコースのメインディッシュ『GOD』の件もある。
自分に足りない物は何なのかを本当の意味で見つけるためにも、この修業で挫折する訳にはいかない。それまでの人生を振り返っても、挫折した結果、誰も守れず、何も救えず、傷つけるだけの日々を過ごしてきたのだから。
音の無い状況は聴覚を鋭敏にさせ、水が溜まった音を聞くと、杏子は這ってその場へ向かおうとする。
岩の地面を這っているにもかかわらず、素足に痛みは感じられなかった。
両の足さえも感覚が無くなり、これまでで一番辛い修業と言うココの言葉をマジマジと思い知らされ、焦点の定まらない目で岩のコップに向かって手を伸ばすが、距離感が掴められず、コップを取ろうとした瞬間手が滑ってしまい、少しだけ溜まった湧き水はあっという間に地面へと吸い寄せられてしまう。
唯一の栄養源であった湧き水さえ失ってしまい、杏子の心の中のしんがり棒が折れる音が響く。
出入り口を塞いでいる穴に向かって手を伸ばす。そして声にならない声で叫ぼうとした。
「たす……け……」
「随分と無様なそれだなオイ!」
そこには自分以外の声が聞こえた。ありえない状況に杏子が顔を上げて見たのは、そこには絶対に居ない存在。
パーカーとハーフパンツ姿のいつもの格好の自分に対して、そこに居たのは深紅の魔法少女のコスチュームに身を包んで槍を持った自分だった。
明らかに自分に対して見下した笑みを浮かべている魔法少女の自分は空になったコップをブーツで蹴り飛ばすと、屈んでボロボロの杏子に目線を合わせて話しかける。
「アタシが誰だかは分かるな? ん?」
「もしかしてアタシの魔法少女だった頃の力の一部かお前は?」
「当たり前だろ。こんな最高のオーラを放つ魔法少女が他に居るか」
自分と対話することにも信じられなかった杏子だが、まだ魔法少女だったころの力が残っていることにも驚きを隠せず、不思議と軽くなった体を起き上がらせてもう一人の自分と向かい合うと魔法少女の杏子が話し出す。
「単刀直入に言うぜ。こんな下らない修業はやめて、アタシに身を委ねろ。そうすりゃずっと楽に面白おかしく生きられるぞ」
「ダメだ。ダメだ。こいつを乗り越えなければココの奴に愛想を尽かされちまう。それにアタシ自身さやかみたいな末路を辿ったんじゃアイツに顔向けが出来ない」
「下らねぇこと抜かしてんじゃねーよ!」
自分の決意を話す杏子だがそれは魔法少女の杏子に取っては下らない話のようであり、柄の部分で思い切り後頭部を殴られてしまう。
食べていないので軽い攻撃でもよろめいてしまう杏子を魔法少女の杏子が支えると、首に腕を回した状態で邪悪な笑みを浮かべながら話し出す。
「ここからの脱出なら任せろ。アタシならそれが簡単にできるし、お前自身ある意味は魔法少女時代よりも強力な力を手に入れたじゃないか。グルメ細胞は少しばかし燃費が悪いが、グリーフシードを求めて駆けずり回る生活よりはマシだろ? 所詮この世は弱肉強食、アタシなら食物連鎖の中でも生き残れることは可能だ。何か間違ったこと言ってるか?」
「それとこれとは……」
確かに魔法少女の自分が言っていることは、間違いなくかつての自分が正しいと信じてきた言い分だった。
今でもその全てが間違いだったとは思っていないが、ここでの幸せな生活が再び自分に人間としての良心を復活させた。
その良心が本当にそれでいいのかと問いかけているような気がして、歯切れの悪い返事をしてしまう。
煮え切らない態度が気に入らないのか、魔法少女の杏子は腕に力を込めて更に締め上げるとまくしたてるように喋り続ける。
「確かにこの世界は甘ちゃんの集まりだ。お前がそれに気を良くするのも分かる。だがもう充分だろ。この世界だって所詮は弱肉強食で構成されているんだ。シンプルなのが一番だぜ、GODも美食會もどうだっていいだろ。アタシはアタシだ、風の吹くまま気の向くままに生きればいいんだ」
自由と言うのは自分が一番の心情としている言葉だった。
その言葉に杏子の心が揺らぐ。
別にココと袂を分かった後でも、自分のやっていることは犯罪行為ではない。
この世界でのシンプルな戦いはある意味では元居た世界よりも自分の性にあっている。
変に使命に囚われるよりも、毎日を気楽に生きていた方が楽に決まっている。もう一度戻りさえすれば、もうトリコを失ったような悲しみにくれる必要もない。今のように飢えに苦しむこともなく、毎日面白おかしくグルメ食材を食べる喜びに興じられる。
飢えも手伝ってか、杏子は魔法少女の自分の胸の中に身を委ね、そのまま彼女の中に取り込まれようとしていた。
「そうだ、それでいいんだ……あのボンクラがいなければ、お前は最強の魔法少女で居続けられたんだ。もう傷つく必要はない、何もかも全てアタシに任せるんだ杏子……」
体が魔法少女の自分の中に取り込まれる瞬間に、走馬灯のように一気に思い出が蘇る。
それはこの世界での優しい人たちとの記憶、そしてトリコの笑顔だった。
また昔のような生き方を選べば、間違いなくその人たちと関わり合いになることは出来ない。
その想いだけが死に体だった自分の体に活力を与え、腕に力を込めて突き飛ばすと、憎しみが籠った目で魔法少女の自分を睨みつけた。
「何の真似だ? お前は最強の魔法少女に戻りたくないって言うのか?」
「最強の魔法少女? 違うな。アタシがなりたいのは最高の美食屋だ!」
「それだったら別にアタシに身を委ねてもなれるものだろ!」
「よく覚えておけ……アタシは見たんだ。さやかがトリコと一緒に次のステージへ旅立った時、アイツが見せてくれた優しい笑顔ってのが今でも目に焼き付いている。そこからアタシはさやかに教えてもらったんだよ……」
そう言って拳を振り上げて、力の限り魔法少女の自分を殴り飛ばす。
自分の頬が歪んで後方に吹っ飛んで行く感覚は決して気分がいい物ではないが、感情のままに杏子は叫ぶ。
「一人じゃねぇ奴は強ええんだよ! 魔法少女だった頃は誰も教えてくれなかったが、それをアタシはトリコに教えてもらったんだ!」
この世界に着たきっかけもさやかを救いたいとう純粋な想いから。
それさえ失くして、また本能の赴くままに生きていたのでは、その頃の自分さえ否定することになる。
それだけは絶対に避けたいと言う想いから、杏子は魔法少女時代との自分との決別を宣言した。
それに対して地面に吹っ飛ばされた魔法少女の杏子は露骨に不快な表情を浮かべながら立ち上がると、口の中に溜まった血反吐を吐き出し、杏子を睨みつけると同時にその体を紅蓮の炎に包む。
「どうやらテメェはボンクラどもに感化されすぎたようだな……大人しく取り込んでやろうと思ったがやめだ。バカは死ななきゃ治らねぇんだよ!」
炎が止んだ時に現れたのは魔法少女佐倉杏子では無かった。
中華風の着物に身を包み、馬に乗って槍を持ち、頭部が蝋燭状になった魔女『Ophelia』がそこに居た。
この姿を見て、直観的に杏子は理解した。これは自分が魔女になった姿なのだと。
「見れば見るほど禍々しくて、腹立たしい姿だなオイ! テメェをぶっ潰せば、完全にアタシは魔法少女なんてクソみたいな存在と決別出来るわけだな。脱出の前に軽くこなしてやるぜ!」
本来の目的とは違うが、いずれはやらなくてはいけないと思っていたことなので、杏子は飛び上がってオフィーリアの顔面に向かってコークスクリューブローを放つ。
だがオフィーリアは邪悪な笑みを浮かべると同時に頭部の炎を消して、パンチが空を切ったのを見ると槍での攻撃に転じる。
勢いよく放たれた槍の連撃は、杏子の両肩と両膝を貫いて最後に柄でみぞおちを思い切り殴り飛ばすと、勢い良く壁に向かって激突する。
岩が頭に振りかかり、攻撃した部分から鮮血が吹き出すのを見るとオフィーリアは豪快に笑い飛ばす。
「ハハハハハハ! ざまぁねえな! もうお前は魔法少女じゃないから自然回復もしない、それにこんな食いものも無い状況じゃグルメ細胞の治癒能力も発揮しないからな。この勝負アタシの勝ちだ!」
勝利を完全に確信したオフィーリアはゆっくりと蹄の音を鳴らして、穂先を突き付けながら杏子へと向かっていく。
悔しいがオフィーリアの言うことは正論だ。
なぜこうなったのかは全く分からないが、分が悪すぎる戦いにどうすることもできず、歯がゆさに苦しむばかり。
駆動部分を貫かれた痛みだけが自分が生きていることを実感させられるが、その時不思議なことが自分の中に起こったのを感じる。
貫かれた傷口が少しずつ塞がっているのを感じていた。
服の上からは未だに血が滴っている状態なので、オフィーリアは気付いてないようだが、杏子は感じていた自分の中にあるグルメ細胞が活動しているのを。
何も食べていないはずなのになぜこうなったのかは分からない。体が起き上がれるぐらい体力が回復したのを感じると、手の中に熱いエネルギーを感じ取った。
何事かと思い、自分の手を眼前に向けるとそこにあったのは銀色に光り輝くナイフとフォークが握られていた。
このありえない状況を普通ならば理解できないだろうが、杏子には心当たりがあった。
トリコがナイフやフォークを放つ時、手刀や突きでの攻撃以外にもバックに手と同じ大きさぐらいのナイフやフォークが見えていたことを。
初めは目の錯覚かと思っていたが、何度やっても必ず出てくるそれを見て憶測は確信に変わった。
これもまたグルメ細胞の力なのだろうと。
トリコのそれには及ばないが、素手よりはマシだろうと判断した杏子はナイフとフォークを手にオフィーリアに立ち向かおうとする。
その姿を見たオフィーリアはナイフとフォークを手にした杏子を下品に大笑いする。
「ハハハハハハ! 何だその姿は? そんなもんでアタシを殺そうってのか!? お前笑いの天才か? アタシを笑い死にさせるつもりか!?」
杏子の姿が完全に壺に入ったらしく、腹を抱えてゲラゲラと笑うオフィーリアを見て、チャンスだと踏んだ杏子はフォークを地面に突き刺すとその上に飛び乗って、てこの原理で一気に飛び上がろうとする。
「バカが! そんな小さなフォークでテメェの体重が支え切れるとでも思っているのか!?」
「デカくなれ!」
杏子の指示を受けるとフォークはシーソー大の大きさに変わり、杏子の体重を受けるとしなって、その体を宙に放り出す。
自分の元に杏子が近づいてくる恐怖と言うのもあったが、それ以前に謎の力を軽々と使いこなせることに困惑してしまい、対処が遅れてしまっていた。
その隙を杏子は見逃さず、手の中に可能な限りイメージを作り上げて大量のフォークを作り上げると一気に眼下に居るオフィーリアに向かって投げ飛ばす。
呆気に取られていたオフィーリアだが、目の前にフォークの雨が降り注ぐのを見ると、対処に回るため槍で振り払って顔面に向かうフォークを全て地面へと叩き落とす。
「ナイフよ……伸びろ!」
杏子は攻撃がかわされたことにショックを抱くことも無く、次の攻撃に転じる。
右手に持たれたナイフは杏子の命令と共に両手で持てるぐらいの大きさに変わり、杏子が勢いよく振り下ろしてオフィーリアの頭部を狙うが、オフィーリアは柄で刃を受け止めると、そのまま前方に押し倒して杏子の体を地面へと突き飛ばす。
「腐ってもさすがはアタシってところだな。だがこれで終わりだ!」
杏子の攻撃手段が全て失われたと判断したオフィーリアは槍を振り上げて一気にトドメをさそうとするが、その瞬間に後方から引っ張られる感覚を覚え、穂先は杏子の眼前で止まった。
何事かと思い、オフィーリアが後ろを振り返ると、ここで杏子の本当の狙いが分かり、驚愕の表情を浮かべる。
先程地面へと払いのけたフォークは全て自分の着物の裾を貫いていて、それは地面に突き刺さって動きを封じていた。
イメージなので抜くことも出来ず、最後のナイフの攻撃は注意を地面から自分に向けるための物。
必死になってフォークから着物を引き抜こうとするが、裾の長い着物はフォークを完全に噛んでしまって中々引き抜けないでいた。
一見すれば勝負は決したように見えたが、杏子は呼吸を整えて最後の一撃を叩きこむために体力を回復させようとする。
一撃で決めなければ負けると踏んだからであり、今の自分で繰り出すことが出来るナイフやフォークの攻撃では致命傷にはならないと判断したからだ。
本能的に杏子は手をかざし、どうすればオフィーリアに勝てるのかを考える。
(アタシはアイツが憎いから殺したいのか?)
今までのマイナスなエネルギーを使って戦いたくない杏子は考えた。
その結果が自分に取っても相手に取っても悲劇しか残らないのは今までの経験から分かる物。
なら今までの美食屋としての依頼をこなしてきた時の達成感はどうだろうか。
やっていることは魔女との戦いと変わらない血生臭い物と変わらないのに、戦いを終えた後はどこかで達成感のような物を感じていた。
それは生きている喜びを感じられると言う物、美味しい食事を食べられる喜びを感じられると言う物、それに何より恨みっこなしの勝負と言うのは今まで経験がなかった。
怒りや憎しみの無い純粋な野生の勝負。その勝負に生き残れる要因はたった一つ、どちらが捕食者になれるかということだ。
捕食者になれる要因は様々、力、スピード、テクニックと様々あるが、決め手となる要因はたった一つ。
どちらが生に対して執着が強いかどうかだ。
それさえあればネズミでも猫を食い殺すことが出来る。
まだまだ半人前以下の自分だが、美食屋として生きると決めた以上それだけは絶対に譲れない真実。
そして考えがまとまると答えが自然と頭に思い浮かぶ。
(アタシは生きたい……)
単純な答えではあったが、効果はあった。
かざした手の中に熱エネルギーを感じ取った。それは小さなピンポン玉大の大きさの太陽のようなエネルギー。
金色の球体はまるで自分が生きていたいという想いと連動するかのように熱量を増し、手の中に収まりきらない程のエネルギーを発し続けていた。
感じたことの無いエネルギーに杏子が戸惑っていると、オフィーリアはようやくフォークから着物を引き抜くことが出来、怒りと憎しみに満ちた表情を浮かべながら槍を振り下ろして杏子を貫こうとする。
「死ね――!」
槍が振り下ろされても杏子に焦りはなかった。
穂先が顔面を貫く直前に飛び上がってオフィーリアを飛び越えると、唯一の出入り口である大きな岩に塞がれたそこを背にして、オフィーリアと向かい合うと機は熟したと見定めたのか、自分が出した答えを解き放つ。
「聞け! アタシは絶対に魔女になんてならない! アタシはアタシのまま生きる。さやかには悪いけどな……アタシは、アタシは……」
熱エネルギーは手の中に収まりきらず、思いの丈を叫びながら熱エネルギーを解き放つ。
「生きてたいんだ――!」
放たれた金色の球体は中央部分に裂け目が出来上がると、まるでオフィーリアを食らうように噛み砕きながらオフィーリアの中を突き進んでいた。
「ぎゃああああああああああああああ!」
腹に巨大な空洞が出来上がるとオフィーリアの悲痛な叫びが木霊する。
そして咀嚼を繰り返す球体と目が合うとその中にはオフィーリアに取っての宿敵が映った。
「我と共に宿主の元に帰る時が来たぞ。オフィーリアよ……」
「テメェ夜叉!」
球体の中に浮かび上がっていたのはトリコのグルメ細胞の化身の夜叉。
オフィーリアに取っては自分を押さえつける天敵であり、腹に風穴を開けられた状態ながらもオフィーリアは最後の抵抗と槍を突き出すが、その槍さえ腕ごと食われてしまい、自分が食べられていくのを感じると、抵抗するのをやめオフィーリアは最後に杏子に告げる。
「せいぜい虚勢を張ってほざいてるんだな。人間なんてどこまでも弱い生き物だ。その内絶対アタシが捕食者になってやる!」
最後の負け惜しみを言い放つと同時にオフィーリアは球体に食われてしまい、その姿を消した。
一応勝負の終結は付いたようだが、ここで杏子の中に冷静な感情が取り戻される。
まだ根本的な問題は何も解決していないからだ。
答えは見つかったとしてもどうやってここから脱出すればいいか分からず、取りあえずは最初やったようにココに助けを求めようとしたが、球体は自分の元へと向かい、オフィーリアと同じように食らおうとしていた。
「バカ! アタシまで食べる奴が……」
杏子が抗議の声を上げようとしたが、そんな彼女を無視して球体は塞がれた岩を全て食べきると、続いて洞窟内にある岩壁も食べだす。
岩を食べるその姿から何となくではあるが、脱出方法が分かり杏子が呆れた顔を浮かべていると、球体の後ろから夜叉がほほ笑む姿が映った。
「見事試練を突破した佐倉杏子よ。これからも我は貴様の力になろうぞ。覚えておけ、生きると言うことは食することだ」
それだけ言うと球体から夜叉のイメージは消えてなくなり、再び洞窟の岩壁を食らい続けていた。
もう大丈夫だと判断した時、杏子は安堵感から眠りに落ち、目が覚めた時にココへ高らかと宣言する言葉を考えていた。
生きると言うことは食することだと言うのを。
***
目が覚めた時、そこにあった風景は一変していた。
20畳ほどの広さだったそこは広々としたホールへと変貌し、日の光が天から差し込んで、少しジャンプして衝撃を加えればそこから脱出できそうになっていた。
辺りを見回しても先程まで戦ったオフィーリアは見当たらなかった。
一瞬なの攻防は意識が混濁しての夢だとも思ったが、先程の戦いが現実のそれだと思い知らされる確固たる証拠があった。
自分が放った金色の球体は岩壁を全て食べ終えると、満足したかのように丸々と膨らんでいて、柔らかな光を放っていた。
この姿に答えと言うのが何となく分かった杏子だが、今はココへの報告が先だと思い、よろめきながらも立ち上がって出入り口から出てココの姿を探す。
「ココ居るか? アタシは見つけ……ココ!?」
ココの姿を見ると杏子は驚きの声を上げて彼の元へと向かう。
彼は確かにそこに居た。だが自分が予想していた元気な姿では無かったからだ。
やせ細って、傍には水と塩だけが置かれている状態であり、自分と同じように断食の修業を試みていたのが分かった。
慌ててココの元へ駆け寄り、その体を揺さぶるとココはゆっくりと目を覚まし、杏子の生還を喜んでいた。
「やぁアンコちゃん。一週間ぶりだね。どうやら答えは見つかったようだね」
「紳士ぶってんじゃねーよ! 誰がいつ、お前にアタシと同じように断食を強要させた! そんなもんテメェの自己満足だろうが!」
胸倉を掴んで怒りをぶつけていたが、自分の言葉にハッと我に返る自分が居た。
結果論としてさやかはトリコと共にいることで救われるだろうが、結局は自分の行動は自己満足の領域を出ていないと言うことを。
他人の姿を見て初めて自分の幼さと言うのを理解してしまい、杏子は力なく地面に膝を付くと胸倉を掴んでいた手を離し、ココに向かって手を差し出す。
「もういい……それよりも飯だ。何でもいいから食べさせてくれ……」
丸一週間何も食べていない杏子は食事を要求すると、ココは洞窟の方向を指さす。
そこにあったのは金色の球体であり、金色の球体は食欲が満たされパンパンに膨れ上がると同時に勢いよく爆発し、中から現れたのは灰色のほろ苦そうな大量のクッキーだった。
何となくではあるがココの魂胆が分かった杏子ではあるが、念のために答えを聞こうとする。
「初めから飯はあったんだな? あの洞窟にある岩壁その物があのクッキーであり、お前が閉じた岩もクッキーで出来てたんだろ?」
「その通り、あの洞窟は全てが『ストーンクッキー』で構成された洞窟でね。それに気づけば君は脱出することが出来た」
分かってはいたが、予想通りの気の抜ける展開に杏子は力なくため息をついてその場に突っ伏す。
今回の修業の目的は分かった。美食屋と言う仕事で金はあくまで副産物に過ぎない。
本当に大事なのは命に感謝をして、その喜びをどれだけ多くの人に分け与えられるか、つまりは食することにどこまでも感謝の念を持ち続けるための修業だと言うことを。
その旨を杏子はココに伝えると、ココは柔らかく笑って、岩壁だった頃とは違い砕かれて食べやすくなったストーンクッキーの元へ向かう。
「そう生きていたいと言う強い想い、それさえあれば自分の信念も貫き通せられる。もし君が暴走しそうになったら、ボクやサニーが全力で君を止める。覚えておくんだ君は一人じゃないボクらが付いている」
「暴走って言うならゼブラの奴に言うんだな。アタシはあそこまでアホじゃねーよ」
その後ゼブラがなぜ種を絶滅させるかについてココから聞いた杏子だが、それでもゼブラに対して許せない部分はあり、皮肉を言いながら意地の悪い笑みを浮かべる。
いつもの調子が戻ったのを見るとココは食事を取るために、ストーンクッキーの元へと向かうが、杏子が袖を引っ張ってそれを止める。
「どうしたんだい?」
「悪いけど、先に水を用意してくれ。飲まず食わずの状態でクッキーを食べるのは地獄だ……」
もっともな要求だったが、感動の空気を台無しにされた部分もあり、ココは歯がゆい表情を浮かべながら、ストーンクッキーを回収し、杏子と一緒に洞窟を後にした。
最後がどこか締まらないのもトリコから受け継いだダメなところなのだろうかと思いながら。
***
翌日、ココから与えられた全ての修業を終えた杏子は帰り支度を進めていた。
元々着替え程度しか自分の荷物は用意していなかったので、帰りも同じように着替えをスポーツバッグに詰めて、最後に防護服と武器を入れるために特性の亜空間モグラの胃袋を用意したそれに詰め終えると、チャックを閉めてスイーツハウスに帰ろうとする。
「本当にいいんだね? これから先君さえよければ、ここにこのまま住んでくれても構わない。もし男女が一つ屋根の下に住むことに抵抗があるなら、君のために別宅を作っても構わないが……」
「気持ちだけ貰っておくよ。お前の料理は美味いし、キッスと遊ぶのも楽しい。だけどな、あのスイーツハウスはトリコがアタシのために用意してくれた家なんだ。帰る宿主がいなければ家がかわいそうだろ」
思い返すのはかつて自分が廃墟と化してしまった教会のこと。
大事な場所を同じような目に合わせたくないと言う想いから、杏子は再びスイーツハウスに戻ることを決め、最後にキッスに抱きついて別れの挨拶を済ませると、バックを抱えたまま「じゃあな」と軽い調子で手を振るココの見送りを受けながら、帰ろうとするが最後に思い出し、振り返って一言言う。
「まぁ時々は面見せるよ。一人ぼっちはさびしいもんな」
それだけ言うと今度こそ杏子は去って行った。
半年の間に鍛え上げられた脚力であっという間に杏子の姿は見えなくなり、彼女の姿が見えなくなるとココの中で虚無感のような物が生まれ、一人寂しげな笑みを浮かべていた。
「泣かせるなよ……手のかかる、じゃじゃ馬娘のくせに……」
この半年の間に疲れさせられることも多い杏子との共同生活だったが、ココに取って久しぶりのにぎやかな毎日はとても新鮮で、心のどこかで感じていた寂しさを完全に埋めることが出来た。
故に杏子が居なくなってしまい、目からは一筋の涙がこぼれ落ちていたが、今の自分にこんなところで立ち止まっている暇はない。
自分の修業もまたしなければGODの取得だけでなく、自分がフルコースのドリンクに狙っているアカシアのフルコースのドリンク『アトム』も手に入れることは出来ない。
トリコのため、グルメ戦争を回避するため、そして何より自分自身のためにも、自分はもっと強くならなければいけない。
両頬を平手で叩いて気合を入れ直すと、ココはキッスと共に家から飛び降りて、修業へと向かう。
師匠として杏子が恥ずかしくないように自分を鍛えると言う見栄もあって。
本日の食材
ストーンクッキー 捕獲レベル30
パッと見では岩と見分けが付かないクッキーだが、食べればほろ苦さの中にもかすかな甘みが広がるビターな大人好みの味のクッキー。
そのままでは硬すぎて食べられないので、食べられるようになるには高度な調理テクニックが必要。
発見の難しさと調理テクニックの難易度から、この捕獲レベルが付いた。
と言う訳で今回でココの元での修業編は完結しました。
生きる=食べると言うのがトリコと言う漫画のテーマでもあるので、生欲と食欲も一つにまとめてもと思い、今回そうしました。
次回はスイーツハウスへの帰還をやります。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。