スイーツハウスへ向かうのは半年振りだった。
長いこと住んでいた家ではあり、最早この世界においての我が家と言っても過言ではない場所へと向かうのだが、杏子には一つ気がかりなことがあった。
それは食べられる家ゆえに戻ってきた時、家その物が無くなっているのではないかと言う不安。
一応は賞味期限として一年は持つのだが、トリコが居た頃は一日で家その物が無くなってしまうのではないかと言うことも少なくはなかった。
普段も動物や虫が食べていたので、半年も放っておいていたので家その物が無くなっているのではないかと言う不安を持ちながら、小高い丘を歩いていると見慣れない光景が広がっていた。
(何だありゃ?)
丘の頂点にあるスイーツハウスがある場所は白い防塵シートで覆われていた。
その中にスイーツハウスがあるのは分かるのだが、問題はそれを取り囲む人たち。
目の下に三本の筋のような模様を入れた二人の大柄な青年を見て、穏やかじゃない感情を覚えた杏子は二人の戦力分析に入るとスポーツバッグを下ろして中から槍を取り出す。
一人は白いおかっぱ頭の青年、もう一人は浅黒く筋肉質な体つきの青年と、二人ともかなりの実力者であることは佇まいだけでも分かること。
今の自分の実力でどこまで通用するのかと言う不安もあったが、スイーツハウスはトリコが自分に与えてくれた唯一の財産。
大切な人が与えてくれたそれを守るため、杏子は自分の実力を信じて、脚力で一気に間合いを詰めて二人の元へと向かおうとしたが、それよりも早く杏子の存在に気付いた二人は杏子の元へと詰め寄ると同時に、跪いて戦闘の意思がないことを伝える。
「な! 何の真似だ!?」
色々と聞きたいたことは多々あるが、大の大人が子供の自分に向かって跪く真似が信じられず、杏子は戦う意思すら失って真意を二人に問う。
杏子の許しを貰うと、二人は立ち上がって自己紹介を始める。
「早速のお控感謝いたします。私はグルメ騎士、蒼天組所属の『雪丸』と申します」
「同じくグルメ騎士、葉隠れ組所属の『影丸』です」
雪丸と影丸の自己紹介を受けると、グルメ騎士と言うワードが杏子の中で引っかかる。
グルメ騎士に関してはそこのリーダーである『愛丸』がトリコと古い知り合いであるとしか知らされていなかったが、ふとしたことから食の幸福『グルメ教』の教えを守る美食屋の集団であることを知った。
宗教に関しては一生物のトラウマを持っている杏子からすれば、出来る限り関わり合いにはなりたくない集団だったが、その集団が今目の前に居る。
杏子は言葉を選んで、雪丸と影丸に接する。
「アンタらがグルメ騎士ってのは分かった。じゃあ今度はこっちの質問に答えろ。人の家で何をやってるんだ!?」
疑問を叫ぶと同時に杏子は二人に立ち上がるようにジェスチャーで命じる。
杏子の意思をくみ取ると二人は立ち上がって、自分たちがスイーツハウスに何を施したかの説明をしだす。
「失礼いたしましたアンコさん。私たちはあなたが出ていかれてから、このスイーツハウスの保護に回っていました」
「ここは一年で賞味期限が切れるからな。それに普段も虫や動物が食べることも多いからな。それにアタシのことも知っているみたいだな」
「あなたのことはリーダーから聞かされています。僭越ながらやらせていただきました」
スイーツハウスの保護は善意からの行為と言うことは分かったのだが、グルメ騎士の全容が未だに分かっていない杏子からすればまだまだ警戒心は取れない。
杏子は二人に対しての警戒心を解かないまま、スイーツハウスへ向かおうとすると二人も後を付いていこうとするが、杏子は手で二人を止めて制する。
「悪いがアンタらじゃ話にならない! 直接リーダーに話を聞く!」
恐らくは中に居るであろう愛丸に話を聞くことにして、杏子は中へと入る。
場合によっては戦うことも辞さないと言う覚悟を持ちながら。
***
久しぶりにスイーツハウスへのドアを開け中へと入る。
だが安堵感と言う物は全くなく、まるで他人の家にでも上がっているような違和感が杏子を包み込み居心地の悪さを覚える。
中も白の防塵シートで包まれていて、それが虫や動物からスイーツハウスを守る保護のための物とは分かるのだが、嫌な感覚ばかりが杏子の心を襲い、動悸が激しくなる感覚を覚える。
落ち着かない白い防塵シートだらけのそこを突き進んでいくと、壁や床の様子を見ながらメモを取っている一人の青年が目に飛び込む。
バンダナを額に巻き、前髪をセンターで分け、後ろの髪の毛を三つ編みにして、両方の眼の下に三本線の模様を入れた青年が目に飛び込むと、恐らくは彼が愛丸なのだろうと思い、杏子はコンタクトを取る。
「アンタがグルメ騎士のリーダー愛丸か?」
杏子の質問を受けると青年は立ち上がって、杏子と向き合って話をする。
「ああ。オレがグルメ騎士のリーダー愛丸だ。君がトリコの言っていたアンコちゃんだね?」
愛丸の質問に対して、杏子は静かに首を縦に振るだけで答える。
自分が行った行為とは違い、愛丸は純粋に宗教としてグルメ教の教えを守っているのは分かるが、それでも宗教に関しては不信感が先に出てしまう杏子は、警戒心を崩さないまま愛丸と向きあう。
「アンタが善意からスイーツハウスの保護をやってくれたのは分かった。宿主が帰ったんだから、もう十分だろ。アンタはアンタの仕事に戻ってくれ」
そう言うと手で追い払う仕草をして、愛丸をそこから追い出す意思を見せると、乱暴に防塵シートを捲る。
自分でもぶっきらぼうで大人に対して酷い態度だと言うのは分かっている。
だがそれでも宗教と言う物に対して、向きあうことが出来ない杏子は、まともに愛丸と顔を合わせないまま防塵シートを捲る作業を繰り返すが、愛丸はその場に立ち尽くしたまま杏子と向きあい続けていた。
「まだオレの仕事は終わっていないよ……」
そう言うと愛丸はその場で直に正座して、手のひらを地面に付けて頭を下げる。
その姿が謝罪の最高位である土下座であることはすぐに分かり、杏子は呆気に取られながらも愛丸の表情を見る。
真剣その物であり、地面を眺めながらも決して眼前の杏子から目を背けないと言うのは姿勢で感じられ、土下座の行為が茶化してやっている物でないことは分かった。
とは言え、大の大人にこんなことをさせている意味が分からず、杏子は苛立った調子で愛丸と接する。
「何の真似だ!?」
「トリコは君に取って大切な人だ。奴を救えなかったのはオレの責任でもある。こうするのは当然のことだ」
行為その物は愛丸が真剣に謝罪をしているのは分かる。
だが自分一人でどうにかすると言う考え方が魔法少女を連想させるそれに繋がってしまい、杏子は憎しみと怒りが入り混じった表情を浮かべながら、まくしたてるように叫ぶ。
「うぬぼれるな! トリコは最後まで戦い抜いて、天命を全うしたんだ! アンタが入り込む余地なんて初めからどこにもなかったんだよ!」
「そうだな、君の言う通りだ。だから……」
それでも愛丸は土下座の姿勢を崩さないまま、話を続ける。
「この体を君の気が済むようにしてもらって結構だ。それはオレがせめて君に対して出来る償いだ」
言葉に虚勢が無いのは分かる。
だが無償の愛を行ったつもりが、結果として自分を他人をも傷付ける悲劇が起こってしまったのを嫌というほど杏子は見てきた。
ここで完全に怒りに火が付いたのか来ていたツナギを勢いよく脱ぎ捨てると、着替えが面倒と言う理由から下に着ていた魔法少女の深紅のコスチュームに変わると、背中から槍を取り出して穂先を愛丸に向かって突き出す。
「アンタさ……そう言う台詞はむやみやたらに言わない方が身のためだぜ。世の中にはな、言葉一つで命を失うって状況だってあるんだぜ。特にアタシみたいな感情でしか物考えられないクソガキにその手の台詞は自殺行為ってもんだぜ」
「それで君の気が済むのなら、この目を鼻を耳を、はらわたを抉ってくれて結構だ」
愛丸の発言から杏子の中で理性が完全に崩壊する音が響いた。
怒りと憎しみに任せて槍を放つ。
クッキーの床に穂先が刺さる炸裂音が何度も響き渡るのを聞くと、雪丸と影丸が慌ててリビングへと乱入するが、愛丸は目で二人を制するとそのまま土下座の姿勢を取り続ける。
その間もクッキーの破片は勢いよく飛び続け、穂先は床を貫き続けていた。
だがここである違和感に二人は気付く。
土下座の体勢を保ち続けている愛丸には全く攻撃が当たっておらず、その周りだけを正確に杏子は射抜いていることを。
少しでも体勢を崩せばその時点で致命傷になっているところの危うい攻撃を放ち続けていたが、双方共に止まる様子はなく。杏子は最後の攻撃を放とうとする。
「顔上げてこっち見ろコラ!」
愛丸が顔を上げた瞬間に穂先が愛丸の眼の横を通り過ぎる。
柄の冷たい感覚が愛丸の頬をなぞったが、それでも彼は表情を崩すことなくジッと真剣な顔で杏子を見続けていた。
「どうぞ」
その表情を見て、杏子は直感で感じていた。
自分はどうあっても彼にはかなわないと。
それが分かった以上、これは無駄なあがきだと思い、杏子は槍を背中に収めて愛丸とちゃんとした話し合いを行おうとする。
「まずは立ち上がってくれ。愛丸……さん。そして、こんなことをした真意ってのを聞かせてく……ださい」
マミと袂を分かってからと言うもの、敬語と言う物は杏子からは縁遠い物であった。
こっちに来てからも特に何も言われず、トリコと同じように豪放磊落な人間が多いことから、杏子は大人に囲まれた状況の中でも自分を貫いてきた。
ココからも特に何も言われなかったのでそのままでいたが、愛丸を前にして本当に久しぶりの敬語で話すと困惑だけが襲ってきて、戸惑いながらも投げ捨てたツナギを着なおす。
愛丸は杏子から許可を貰うとゆっくりと立ち上がって、自分の気持ちを話し出す。
「言葉の通りさ。オレ自身、トリコを助けられなかったことに責任を感じていたからな。家族である君に殴られるのは当然のことだと思ってやったまでだよ」
グルメ教の教えと言うのは何となくではあるが聞いたことがある。
自らを犠牲にする施しの精神と言うのは、普通の人間では守ることが不可能な理想論しか感じられない物。
それに何より、そう言った施しの精神から崩壊していったさやかを見ていたら、グルメ教の教えは杏子に取って嫌悪する物でしかなかった。
だが今目の前に居る愛丸は教えに対してぶれることの無い姿勢を持っていて、崇高な精神を持っていると言うことも分かる。
グルメ教の教えを忠実に守るグルメ騎士が決して口先だけの存在ではないと分かると、杏子は椅子に腰かけ、愛丸にも座るように手で呼び掛ける。
愛丸が座ったのを見届けると、杏子は次の話題を出そうとしたが、あまりに疑問点が多すぎて何から聞いていいか分からない状態になっていた。
「アン……じゃなかった。あなたがここに来た目的はそれだけじゃないでしょうよ。それを聞かせてくださいよ……」
スイーツハウスの保護と自分に殴られるためだけの理由で、恐らくは自分が出ていってから毎日保護しただけとは到底思えない杏子は、たどたどしい敬語で愛丸の真意を引き出そうとする。
結果として半年で終わったココの下での修業だが、普通ならば年単位でここには帰って来ることが出来ず、徒労に終わってしまうのではと感じていた。
だが軽く様子を見ただけでも毎日丁寧に保護を続け、出ていくと前と何一つ変わっていない状況となっているので、愛丸がスイーツハウスの保護に全力を注いでいたことが分かる。
言葉には出していないが、キョロキョロと辺りを見回す杏子を見て、真意を汲み取ったのか愛丸はゆっくりと話し出す。
「アンコちゃんが思っているようにここは君が出ていってから半年間一日も休むことなく、オレは保護を続けていた」
「何でそんなことを? アタシは結果として半年で帰ってこれましたけど、場合によっては戻ってこれないことだって……」
美食屋と言う仕事は厳しい。
死んでも労災が下りないことがほとんどであり、致死率も高い。
そんな状態で徒労に終わるかもしれない、行為を毎日繰り返していた真意を知りたく杏子が問い詰めると愛丸は景色を見ながら、ゆっくりと語り出す。
「それは信じていたからさ。トリコの命、そしてアンコちゃん、君のことをね」
その一言から杏子は感じ取った愛丸とトリコの信頼関係を。
例えグルメ細胞のみになったとしても、トリコは決して自分の夢をあきらめない存在。
そして夢を託せられる存在と言うのも作ってきた。
トリコが信じる自分を愛丸もまた信じていた。一つ疑問は解決したが、まだ疑問点は消えない、一つずつ解決する方法を杏子は選んだ。
「スイーツハウスの保護、アタシに殴られるため、それだけがここに居座り続けた目的じゃないですよね?」
「ああ目的は残り二つだ」
そう言うと愛丸は懐から一枚の通帳を取り出して、杏子の手に握らせた。
名義が自分の名前になっている通帳を開いて見ると、毎月100万円ずつ入金されているそれを見て、杏子の表情は固まってしまう。
日付を見るとトリコが自分がグルメ癌だと分かった日から入金はされていたが、一つ気になることがあり、その旨を愛丸に聞こうとする。
「何でトリコが死んでからも100万円の入金が続いているんです?」
トリコが死んでからも半年間、100万円の入金は続けられていて、出どころの分からない謎の金に杏子は不安がる。
「それはオレが引き継いだ。600万円じゃ、これから先やっていくのに厳しいと思ってね」
「でも……」
杏子が言い淀んだのはグルメ騎士が粗食をモットーにしているのを知っていたからだ。
当然金に対しても無縁の存在であろう。愛丸がなぜこれだけの金額を用意できたのか気になって聞こうとする。
「そこがここを拠点に選んだ理由さ。オレが普段ホームにしている『粗食の丘』では高価な食材と言えば『エコのり』ぐらいしかないからな。ここなら食材に困ることはないから、毎日狩りに勤しんでいたよ……」
「何でそこまで!?」
相続税がかかるので普通に財産を工面できないから、こういう方法を選んだにしろ、600万円は一般人の観点から見れば十分な大金である。
そこまでの大金を用意する理由が分からない杏子はその旨を聞こうとすると、続いて愛丸が懐から取り出したのは何枚もの封書の数々。
遺言書や遺書じゃないことは分かるが、字を見れば全部トリコが書いたものだと言うことは分かる。
一枚を手に取って中身を開いてみると、グルメタワー内にある最上層階312Fに店を構える七つ星の料亭『ガッツ』への紹介状であり、雲の上の存在である料亭に自分が出入り出来ることを知ると、杏子は目まいを起こしそうな感覚に陥るが、他の紹介状も開いて見る。
グルメタワー内にある一見さんお断りの高級料亭がほとんどであり、その全てに出入り出来るようトリコが紹介状を書いてくれ、後は自分がサインをすれば自分はこれらの店に自由に出入りできる状況が分かった。
「これらの店での支払いは四桁行くのがほとんどだからね。アンコちゃんが美食屋として独り立ちするまでは、これでもはした金程度の金額だよ」
「だったら! 紹介状だけで十分ですよ! いずれ自分で稼いでこれらの店にも行きます!」
世話になりっぱなしなのが情けないと思ったのか、ここで杏子は反論をする。
そんなすぐにこれらの店へ行くほど、自分は天狗にはなってないつもりであり、なぜそこまで事を急かすのかと思い、杏子は真意を愛丸に聞こうとする。
「『GOD』をメインディッシュに選ぶんだからね。色んな物を食べるのも経験だと思ったんだろう。いい美食屋の条件として、よく働き、よく食べるって言う言葉もあるからね。それに伝えられる物は全て伝えたかったんだろうよ。トリコはあんな性格だからね」
決して食べ物を差別する性格ではなく、自然の恵み全てに感謝するトリコだが、自分のためにも見聞は広めた方がいいと思っての行動だと言うのは分かる。
ココの修業を終える頃にはこれらの店に行けるだけの実力も付くだろうと思っての行動だとは分かったが、普通ならばこれだけでも十分なのだが、まだ何か伝えたいことがあるのではと思い、杏子は愛丸に聞く。
「まだ、その……」
「ああ、これが一番重要な報告だよ」
そう言って愛丸が手渡したのは一冊の本だった。
トリコが日記として使用していたそれと同じ本を捲っていくと、トリコの字で自分に向けて書かれたメッセージが書かれていた。
『アンコへ これをお前が読んでるってことは、オレはもう死んでるってことだな。その事自体に悔いはない。やるだけのことはやったんだからな。GODの取得は必ず、オレの友達が達成してくれる。オレはそう信じている』
別れの挨拶は済ませたはずなのだが、こうして改めて読んでみるとやはり感慨深い物があり、杏子はページを読み進める。
トリコの性格を考えればただ挨拶をするだけで、こんなに分厚い本に遺書を残すはずがない、この本じゃなくては伝えられないメッセージがあるからこそ、この本を選んだのだと思い読み進めていく。
『だが本音を言うなら、もっと美味いもんを食べたかったってのはある。そこでだ! グルメ天国へは供物として食材の幽霊ってのを送ることが出来るんだ』
「食材の幽霊?」
聞いたことも無い言葉に困惑する杏子だが、読み進めていくと食材の幽霊と言う物が事細かに説明されていた。
グルメ時代に置いて死者にもグルメ食材を与えることが死者における最大の供養とされている。
食材の幽霊の作り方とは簡単である。手に入れた食材を与えたい人の墓前に置き、一気に高温で焼いて消し炭にすれば食材は幽霊となって、食べてもらうためその人の元へと向かう。
だが一気に高温で消し炭にするとなれば、相当な高温で焼かなければ、下手したら食材を無下に扱ってしまうこともある。
詳しく知ろうとページを読み進めていくと、詳しい方法が図解付きで事細かに書かれていた。
食材の周りに特性の油紙を巻き、愛丸が作った特製のライターで一気に燃やせば、食材の幽霊を作り出すことは可能。
杏子が愛丸の方を見ると彼は重厚そうな銀色のオイルライターを手渡す。
改造品であると言うことは目に見えて分かり、猛獣撃退用のクラッカーを作ることが出来るトリコならば十分作れるレベルの代物。
失敗しないようにおかしいと思った時の対処法が事細かに書かれていて、自分に対しての期待と言うのがよく分かった。
これで全て伝えたいことが終わったと思ったが、最後のページを読むとその手は自然と震えだす。
『それとさやかのことに関してはオレに任せろ。酷なことを言うようだが、アイツは死者であり、お前には何もしてやれない。さやかに囚われていてもお前には痛みしか与えてくれない。残念だが死者が生者に与えるのは痛みだけなんだ。だがお前がさやかを救ってあげたいって気持ちは分かる。だから、それはもうすぐ死者になるオレに任せてくれ』
トリコの言っていることは正論だけに、何も言い返すことが出来ず、悔しさや怒り、儚さと言った感情が入り混じり、手が震えるだけとなっていた。
そのことを思い出にしなければ、自分自身更に前へ進むことも出来ない。だがやはり、さやかに関して人に任せることが情けなくなっていたが、その事を誤魔化すためにもページを読み進めていくと、実にトリコらしい台詞が書かれていた。
『その為にもお前には食材の幽霊の調達を頼むぜ。まずは食べてからじゃないと信頼関係結べないからな。じゃあ最後に一言言うぜ、アンコお前は生きろ。じゃあな』
生きている自分に向けてのトリコらしいシンプルなメッセージだったが、その温かさは十分に伝わった。
感情を抑えきれなくなった杏子は静かに涙を流し、その場に崩れ落ちた。
そのまま顔を覆って泣き続ける杏子の肩を愛丸は優しく抱き、彼女が落ち着くまで待ち続けていた。
手に触れる人の温かさが嬉しく、杏子は泣きながらも愛丸に問う。
「教えてくれ愛丸さん……アタシはトリコやさやかのためにも、そして自分自身のためにも食材を調達しないといけない。だがどうすりゃ依頼ってのは貰えるんだ? 新人のアタシにはそんな物どうしていいか分からないぞ」
「話は既にヘビーロッジの方に通してあるから、そこのマスター『モリ爺』は実力に見合った依頼を用意してくれるから大丈夫だよ」
「だがアタシにはバックボーンと呼ばれる物が……」
杏子が言うようにいきなりとっぽ出の新人の美食屋に依頼を任せようと言うほど、愚かな依頼人が居るとは思えない、自分自身ほむらに共闘を持ちかけられた時もすぐには賛同せず様子見をしてきたのだから。
もっともな疑問をぶつけられると、愛丸は手を数回鳴らして人を呼び寄せる。
合図を受けると、雪丸と影丸の二人はいくつものスポーツバッグを持って中へと入り、二人の元にスポーツバッグを置くと足早に去っていく。
「これは?」
杏子が不思議がっていると、愛丸は手でチャックを開けるように促す。
言われてみてチャックを開けると、そこにはココでの修業時代に狩った食材の数々があった。
「あの時狩った食材は全てモリ爺の元へ送られて、その実力はモリ爺の口から多くの依頼人に告げられていて、アンコちゃんに仕事を任せてもいいという依頼人も既にいるぐらいだ。後は君がヘビーロッジに行って、仕事をする意思を見せればいいだけさ」
「だがこれは武器代と防護服の代金に充てられたんじゃ……」
「そうでも言わないと君が委縮すると思ったんだろうね。どうしても払いたいと言うなら、これから仕事を進めて払えばいいさ」
周りの大人たちの優しさに包まれていると言う事実。
これに暖かさと同時に自分の小ささも思い知らされ、情けなさも感じてしまい、更に涙を流しそうになってしまったが、それでは今までと何も変わらない。
自分の中で出した現時点での最上の答えを杏子は愛丸に言おうとする。
「愛丸さん……まだまだどうしようもないボンクラだけど、アタシ自身前に進むために出した答えってのが出たんだ聞いてくれますか?」
杏子の問いに対して愛丸は静かに頷いて了承の意を示す。
「まずはアタシ自身前に進むためにも、まずはアタシが変わらないと人を返るなんて出来ませんよ。そんな状態で人を救おうって手を差し伸べてる振りして一人自己満足に浸っているアタシはとんでもないクソガキだったってことですよね」
そう言うと涙を強引に拭き取って、スポーツバッグを持って杏子はスイーツハウスを後にしようとする。
行き先は分かっているので、愛丸も黙って彼女の後を付いていく。
少しだけ大きくなったと思われる背中を見つめながら。
***
杏子がやってきたのは海の見える小高い丘だった。
癌が進行して、まともに歩けなくなってからもここで海を見るのが好きだったトリコのために、ここへ墓を作ることにした。
目立って見世物となるのを回避するため、あえて一目見ただけでは墓と分からない簡素な造りにしていて、小さな墓石の前に今まで自分が狩ってきた食材の数々を並べると、愛丸から特性の油紙を貰い、食材の周りに巻いていく。
巻き終わると愛丸から油紙の巻物を貰う。
「これから先必要になっていくだろうから持って行った方がいい。無くなったらここに連絡をすれば用意してくれるから」
そう言って愛丸は仕入れ先の住所が書かれたメモ用紙を手渡す。
杏子は物を受け取ると自分の携帯電話にメモリー登録を行う。
戸籍がないことを不安に思っていた杏子だが、この世界では戸籍よりも『グルメID』の方を重視するため、携帯を買うためにココに役所へ連れてこられて簡単な審査の後、頭に妙な機械を被せられ、脳にあった記憶をグルメIDカードに登録されて全ては終わった。
本格的にこの世界で生きていこうと言う決意を胸に秘め、杏子は続いて改造ライターを受け取ると食材に向けて垂直に向けてボタンを押す。
その瞬間小型ライターとは思えないほどの轟炎が一気に噴き出す。
まるで大型の火炎放射機から放たれたかのような炎に呆気に取られながらも、油紙に巻かれた油も手伝ってあっという間に炎は食材を包み込んで昇華していった。
煙が天に昇っていくと墓前に供えられた食材はあとかたもなく無くなっていて、トリコの言葉の意味と言うのがよく分かった。
二人は手を合わせて祈りを捧げると、後は自分たちがやるべきことをやろうと防塵シートが巻かれたままのスイーツハウスへと向かう。
「これからどうするんだい?」
「取りあえず、前にトリコから聞いたグルメ建築家の『スマイル』に頼んで、見た目だけで食べられないようにしてもらいますよ。帰ってきた時家が無いってのはかなりへこみますからね」
「それがいいね。彼はトリコが家の改築を要求するたびに不機嫌になってたからね」
「あとは連絡が終わったら、帰る前に聞かせてもらえませんか? 愛丸さんが今までやってきたことって奴を?」
杏子は知りたかった。自分が叶えられなかった宗教による幸福と言うのをやってのけている愛丸がどのようにしてこの世界に貢献してきたかを。
愛丸は杏子の要求に対して「もちろん」と言ってニッコリ笑ないがら、二人はスイーツハウスを目指した。
トリコとの楽しい思い出を語り合いながら。
***
地面が全て雲だけで構成されている世界。
頭の上には天使の輪っかがあり、まるで漫画のような世界に困惑しながらも、美樹さやかはかれこれこの『グルメ天国』で半年間トリコと共に寝食を共にしていた。
だが一緒に住んではいるものの、寝食を共にすると言う表現が正しいのか、さやかは悩んでいた。
物を食べることは出来るのだが、それは生者が墓前に食材の幽霊を送ってくれこそ。
時折志半ばで倒れた猛獣が暴れたりもするのだが、それは食材としてではなく戦い抜けなかった無念から来る物なのでトリコが倒せば成仏していった。
食べなくても生きてはいけるのだが、やることが何もなく、ただただ退屈な時間を過ごすばかりの状況でさやかが陥るのは自己嫌悪の繰り返しだけ。
トリコの手前露骨に落ち込むような真似はしないが、何度思い返しても自分の情けなさに嫌になるばかりであり、それに本来自分たちの居る世界で恭介はちゃんと自分のなすべきことをやっているのだろうかと。
もしかしたら、それさえも自分のわがままをただ押し付けているだけではないかと悪い方向にばかり思考が行ってしまい、さやかは散歩中でトリコが居ないのをいいことにただ膝を抱えてうずくまるだけとなっていた。
(私は……痛みしか杏子に与えられなかった……)
自己嫌悪に陥っている最中、後ろから火柱が上り、何事かと思って振り返る。
火柱は勢いよく燃え続け、さやかは近付くことも出来ずに茫然とした顔を浮かべていたが、炎が止むとそこにはあらんばかりの食材の数々が置かれていた。
「何よこれ!?」
さやかは思わず美味しそうな食材の数々に引かれて、近付いて物を見てみる。
トリコから教育を受けてきたので物がどういう物なのかは分かっていた。罪悪感からかろくに下界の様子も見れなかったさやかだが、これを用意してくれた人物が誰なのかは分かる。
「杏子……」
「オーーイ! さやか――!」
感慨に耽っていると、後ろからテンションの高い声が響く。
猛スピードで散歩から戻ってきたトリコは杏子が用意してくれた食材の幽霊の数々を見ると、目を輝かせながら物をジックリと眺め、価値が今一つ分かっていないさやかのために説明に入る。
「すげぇぞさやか! これは捕獲レベル15の『怪鳥ゲロルド』だし、これは『クッキーアルパカ』のクッキーだ! これなんか凄いぞ! 中々見つからない『4つ足ウナギ』だ! どれから食おうかな本当に……」
「ちょっと落ち着いてよ! トリコだったらずっと杏子のこと見守っていたんでしょ。これが来るのは分かっていたんじゃ……」
さやかに言われると、トリコもまだまだ勉強中のグルメ天国の身の振り方に付いて話し出す。
「そうか、まだ言ってなかったな。この世界と下界じゃ時間の進む感覚がずれているんだ。だから常時見守っているつもりでも、ちょっと目を離したすきに向こうじゃ結構な時間が経過していたってこともあるんだよ。お前ここへ来てどれぐらい経ったって思ってる?」
「大体1、2か月ぐらいかと……」
「やっぱりズレてるな。さっきアンコの様子を見たら、オレらがここに来てから半年は経っているんだってよ」
そう言うとトリコは食べる食材の選別を始めていたが、ここでもさやかは自分がやるべきことが何もなく、不毛な時間を過ごすばかりであった。
さやかのことを気にかけながらも、トリコは用意した食材に火を通し、全てが食べる準備が出来たのを見るとさやかを呼び寄せて一緒に食べようとする。
「私もいいの?」
「当たり前だろ。食べなきゃアンコにも食材にも失礼ってもんだ。じゃあ行くぞ、この世の全ての食材に感謝を込めていただきます」
久しぶりに言う挨拶をかわし、食材に対して感謝の念を込めるとトリコは勢いよく食材にかぶりつく。
本当に久しぶりの食べると言う行為に感激し、トリコは感動の涙を流しながら何度も「美味い!」と叫んで、グルメ細胞が活性化したのか体を金色に輝かせながら食材たちにかぶりつく。
そんなトリコに圧倒されながらもさやかもまた自分のために杏子が用意してくれた食材を恐る恐る口に運ぶと、それまですっかり忘れていた感覚を思い出す。
「美味しい……」
ゲロルドの肉を食べて、口の中で線香花火のように迸る肉汁の数々に自然と頬は緩み、飲み込んだ後も幸福感が続く感覚に先程までのいじけた気持ちは吹き飛ぶ感覚を覚え、次々と食べだしていく。
さやかに元気が戻ったのを見届けると、トリコは食べながらこれからの身の振り方に付いて話し出す。
「お前も話せる状況になったみたいだし、これからのことを話そうか?」
「これからの事って?」
「言葉通りの意味だよ。暇でやることないから、いじけて暗い気持ちになっちまうんだろうがよ」
もっともな意見を言われ、さやかは何も言い返すことが出来なかったが、そんなさやかに構わずトリコはさやかに関してのこれからを話し出す。
「お前は癒しの魔法って奴が使えるんだろ? だったらそれを有効活用しない手はない」
「でも、このグルメ天国で狩りは出来ないでしょ?」
「いつかは来るさ。食べられずに無念だけ残した猛獣って奴が、それは相当にレベルの高い猛獣になるだろうからな。来るべき時のためにこれから先オレもお前もレベルアップしなくちゃいけないからな。アンコには負けてられないぜ!」
そう言って豪快に笑い飛ばすトリコは、死んだことを全く後悔せず、グルメ天国でこれから先どうやって生きていくかを真剣に考えていた。
来るべき時のために自分を鍛え続けると言うアグレッシブなトリコに、さやかは自然と自分の小ささを思い知らされ、ポロポロと涙がこぼれ落ちていた。
だが杏子を前に人間として最後に見せた涙とは違う。今までの情けない自分と決別し、これから先新たに生きていくための涙を流すと、泣きながらもゲロルドの肉を食べ、明日を信じて頑張ろうとさやかは誓った。
その顔を見たトリコは笑いながら、さやかが次のステージに進むことが出来たことを喜び、下を見て杏子に向かって呼びかける。
(アンコ、こっちのことはオレに任せろ。約束したからな。嘘を付くなんてふざけた真似はしないよ。何かゼブラみたいになっちまったな)
自分で自分に突っ込みを入れながら、トリコはその後もさやかと共に食事を続けながら、さやかのレベルアップのためのプランを考えていた。
自分もまた杏子に負けないよう、美食屋として恥ずかしくない身の振り方をグルメ天国で行うために。
***
急ピッチで進められた食べられないようにするための作業はスマイルの指示であっという間に行われ、全てが終わるとスマイルは泣きながら杏子に感謝していた。
この姿からトリコはスマイルにも相当な無茶をさせていたことが分かり、杏子と愛丸は苦笑いを浮かべながら対応すると、スマイルはとてもいい笑顔を浮かべながらその場を去っていった。
その後は二人で色々な話をした。
トリコのこと。
各々過ごしてきた人生のこと。
さすがに杏子は魔法少女時代のそれを話すわけにはいかず、その辺りは上手に隠して話していたが、愛丸は杏子が何かを隠していると言うところまでは見抜いたが、それ以上は聞かないようにしていた。
杏子はそれを誤魔化すため、一番聞きたかったグルメ教の施しの精神から、愛丸が何をやってきたのかを聞こうとする。
「大したことはしていないよ。トリコは救えなかったが、ただ体質的にあったから病気の元を食べて、病気を治すってだけさ」
しれっと語ったが、とんでもない施しの精神に杏子は絶句し、自分がどうあっても彼にはかなわないと思った理由が分かった。
家族は心中に追い込み、マミは一人ぼっちにさせてしまい、さやかは魔女になるのを食い止めることは出来なかった。
そんな自分とは違い、自分自身の体が病に侵されながらも多くの人間を不治の病から救い、少ないながらもそんな彼の精神に賛同し、その領域に少しでも近づこうと研鑽を続けているグルメ騎士の数々を見れば愛丸の偉大さが嫌でも杏子は理解出来てしまう。
呆気に取られている杏子の気を引こうと、愛丸は自嘲気味に話す。
「だが全てを救えたわけじゃないさ。最近家に入ったメンバーの一人も元々はグルメ界の病気でオレが治療を施したが、完全には治らずウィルスの一部は左目に残ったからね。とんだボンクラだよ、オレは本当に……」
「何を言ってるんですか。愛丸さんは凄いですよ!」
自分を卑下する愛丸を否定するように杏子は目を輝かせながら叫ぶ。
かつて自分が諦めた夢を愛丸は全て叶えている。本気で尊敬できる人間に出会い、杏子は久しぶりに感じる胸の高鳴りを感じながら、更に深い話を愛丸から聞き出そうとする。
その後も愛丸は杏子にせがまれ話を続けていたが、それが止まったのは朝日が窓を差し込む感覚を覚えた時。
最後に立ち去ろうとする愛丸に向かって、杏子は年頃の少女らしい穏やかな笑みを浮かべながら話す。
「また会えますか? それまでにアタシも頑張りますんで……」
その柔らかな表情を見て、トリコが杏子に期待した理由が分かった。
それはポテンシャルの高さだけではなく、心の優しさと言うのも持っているからだ。
直に杏子と接して、それを理解した愛丸は同じように柔らかな笑みを浮かべながら答える。
「それまでオレも頑張って生きるよ」
長年ウィルスや毒が体の中に蓄積されているため、自分自身も病気になる可能性が高い愛丸だからハッキリと約束は出来なかった。
だがその真摯な態度が大人の対応だと言うことを知っている杏子は静かに頷いて、愛丸が出ていくのを見送った。
足音が消えて無くなるまで見送ると、杏子は誓った。
これから先現実に負けず、自分を貫いて生きていこうと。
本日の食材
今日はお休み
と言う訳で今回は愛丸と杏子を絡めました。
彼は杏子が諦めた、叶えられなかった夢を全て叶えたと思う人物だったのでこうしました。
初めの内はマミに対しても敬語だったので、こう言う杏子があってもおかしくないとは思います。それに目標となる人間の一つぐらい欲しいとも思いますし。
次回は一人での本格的な狩りに行こうと思います。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。