愛丸からの紹介状を手に杏子が向かったのは新人の美食屋が重宝している出会い酒場『Bar ヘビーロッジ』西部劇にでも出てきそうなバーの門をくぐると、既に何名かの美食屋でカウンターは埋まっていて、マスターの『モリ爺』は仕事の斡旋に忙しそうにしていた。
さばき終わって自分の番が来たのを見ると、杏子は紹介状をカウンターに突き出して読むように手で命じた。
「ん? お前さん、もしかしてトリコのところのアンコか?」
モリ爺の問いに対して杏子は黙って頷くと、引き続き紹介状を指でトントンと押して読むように命じる。
愛丸からの紹介状を読まなくても、ココからその高い実力は推薦を受けていて、既に杏子に仕事を任せてもいいと言う依頼人も居る。
だが杏子には実戦の経験が全く無い。
訓練で優秀な成績を残したとしても、それはしょせん道場剣法の範囲で強いというレベルであり、実戦の果し合いの経験がほとんどない杏子にすぐに高難度の依頼を紹介する訳にはいかず、初めは簡単な物を与えて美食屋として下積み経験の厳しさを叩きこんでやろうと思っていたモリ爺だが、杏子の目を見ると考え方が揺らいでしまう。
長年旅立つ者を見てきた実力や才能を見抜く、確かな目利きの能力が杏子に実力以上の実戦経験と言う物を感じ取った。
トリコのグルメ細胞を移植されているから、初めはその七光りによる存在感かとも思ったが、そんなちゃちな物ではない。
年齢以上の人生経験を積んでいると言うのが分かると、モリ爺は少し考える素振りを見せて、いくつかの依頼を杏子に見せて選ばせる方式を取った。
普通ならばデビュー戦の美食屋にこんな上等な方法は取らないのだが、杏子の中にトリコ並みの頼りがいを見出したモリ爺は自分の直感を信じ、杏子に仕事を任せることにした。
杏子は初めてなので何を基準にどう選んでいいかは分からなかったが、まだまだ実力に不安もあるので出来る限りグルメ細胞のレベルが早い段階で活性化するような食材を求めようとしていたが、どれもピンと来る物がなかった。
何度も資料を見て迷っている杏子を見ると、モリ爺が今の杏子の実力にあったお勧めの依頼を見せる。
「これなら採取と捕獲の両方の依頼がこなせるぞ」
一つの依頼で多くの経験が積めるのはありがたい限り、杏子はモリ爺から勧められた依頼を見てみる。
それは最近発見された。一口食べるだけで口の中いっぱいに甘みが広がり、即効での栄養補給にも最適なイチゴ『ハニーストロベリー』の採取の依頼。
現在はIGOの研究により人工生産も可能にはなったが、それでも天然物には遠く及ばず、物自体は小高い丘に行けば存在しているため、捕獲だけなら素人でも可能なのだが、問題はそれを主食とする猛獣。
『グールバード』はとても大食いでいくら食べても満足できないとまで言われるほどでありながらも、食べ物の好き嫌いが激しく、消化できる物が少ないため、食べてもすぐに吐き出し、まともな食事が出来ない状態。
そんなグールバードが唯一まともに食べられるのが、ハニーストロベリーだけであり、一粒食べただけでその日一日のカロリーを摂取できるほどであり、それがグールバードの生態の解明にも役立っている食材であることが分かる。
今回の依頼の内容はハニーストロベリーの採取、及びグールバードの捕獲。
通常ならばデビュー戦の美食屋には厳しい二つ同時の依頼だが、杏子ならやってのけるだろうと判断したモリ爺。
杏子は物をジックリと見ながらグルメディクショナリーで各々の情報を集め、詳しいことをモリ爺から聞こうとする。
「ハニーストロベリーの捕獲レベルは7と中々の物だが、採取するのに決まった手順を踏まないと味が落ちるとかそう言うことか?」
「いやグールバードに狙われやすいことに加え、量がそこまで取れないことから、その捕獲レベルに落ち着いた」
ハニーストロベリーの高い捕獲レベルの理由を聞くと、杏子は少し考える素振りを見せてから、場所を確認するとモリ爺に背を向けて現地へと向かおうとしていた。
「ちょっと待て、グールバードの捕獲レベルは11だぞ。そっちに関しての不安はないのか?」
「アタシは討伐なら経験上こなせるが、採取はまだまだ苦手でね。面倒くさい制限が無ければそれに越したことはないよ」
それだけ言うと杏子はヘビーロッジを後にする。
その威風堂々とした態度は既にベテランの美食屋を思わせる雰囲気があり、モリ爺は杏子に感じていた四天王並みの資質と言う物を。
***
翌日、杏子はハニーストロベリーが採取出来る丘の上に到着すると、早速数人の美食屋がハニーストロベリーを捕獲している様子が目に映った。
光景だけを見れば天然のイチゴ農園で大の大人たちがイチゴ狩りに勤しんでいるように見えるが、足元に置いてある物騒な武器の数々と常にグールバードの存在に怯えていることから、全員がその表情は真剣その物であった。
乱獲の防止のため、一人1キログラムまでしか持ち帰ることが許されていないが、この過酷な状況を考えれば採取出来たとしても、その全てを持ちかえることが出来るかどうか微妙なライン。
事実ここに来るまでも幾多の猛獣が襲ってきて、自分は難なくノッキングで撃退してきたが、今ここに居る美食屋たちの中にはここに来るまでだけで満身創痍の状態になっている奴も居る。
目利きの能力を発動させてざっと見回すが、とてもではないがこの中でグールバードの捕獲が出来るような美食屋が居るとは思えない。
ココから美食屋同士助け合うことも重要だと団結の重要性も教えられたが、それは実力がある程度近い物同士での話。
結局は自分一人で全てを行うのだろうと杏子は思い、ため息交じりに天然の農園へと向かうとハニーストロベリーの採取を行う。
まずは適当に自分の目線の高さにあるイチゴを摘まんでヘタごと摘み取る。
そして用意した籠の中にハニーストロベリーを入れていくが、やっている最中でも気になるのはグールバードの存在。
周りの美食屋ほどではないが、捕獲レベル11は馬鹿にしてはいけない存在。
これまで一対一の対決しか経験の無い杏子に取って、採取と捕獲の両方をこなさなければいけないのは難易度の高い依頼であった。
一つ摘んでは後ろを振り返る。この繰り返しを行っていると、耳に獣の咆哮が届き、鼻にはつんざくような獣臭が漂ってくる。
周りの美食屋たちは気づいてないらしく、これはトリコのグルメ細胞を移植された自分の特権だと思い、摘み取ったハニーストロベリーを数個手の中に収めると、前へと出ていく。
崖下から現れたのは羽ばたくと言うよりは飛び上がってこちらにやってきた不格好な鳥であった。
申し訳程度の翼を両手に持ち、幼子の手のひらほどの大きさしか持ち合わせていない翼とは対照的に体は風船のように膨れ上がっていて、顔は醜悪さがにじみ出ている気持ちの悪い顔立ちであった。
見ただけで戦意を喪失するその姿に、他の美食屋たちは各々獲物を構えて撃墜に当たろうとするが杏子は一人手を突き出してそれを制する。
「アンタらさ、今回の依頼忘れたのか? グールバードは討伐じゃない捕獲が目的だろ。出来ないのなら、すっこんでろ!」
杏子に怒鳴られるとその場に居たほとんどの美食屋が尻すぼみ、後ずさりしてしまう。
邪魔が無くなったのを見ると、杏子は持っていたハニーストロベリーを地面へと落とし、グールバードに食べるよう手で促す。
「別にお前らの食い物を根こそぎ奪うつもりはないよ。腹減ってんだろ食えよ」
杏子に促されるとグールバードは地面に転がったハニーストロベリーを貪るように食べ、食べ終えると不気味な笑みを浮かべながら崖の下へと飛び立ち去って行った。
これでしばらくは大丈夫だろうと踏んだ杏子は戻って引き続き、ハニーストロベリーの捕獲を行う。
そこに居たほとんどの美食屋が見たこともない杏子が簡単にグールバードを追っ払ったのと、加えて決して量が多くないハニーストロベリーを簡単にあげた杏子に付いていけない部分が多く、全員が敬遠していた。
杏子としても余計な邪魔が入らないのはありがたい限りであり、黙々とハニーストロベリーの捕獲を行っていたが、ふと隣が気になってチラリと横を見る。
全てを均等に味がいい物から取っているのがほとんどなのだが、隣に居る肥満体の青年はどう言う訳か、まだ身が熟していない物から、熟しすぎて食用には適さない物まで取っていて、いかにも食欲が刺激されそうな物だけは残っていた。
青年の姿を見るとイチゴ狩りは不釣り合いな上から下までガチガチに甲冑で身を覆い、武器は遠方からでも相手を攻撃できるスナイパーズライフルを使用していて、グールバードの捕獲はほとんど頭になく、ハニーストロベリーだけを捕獲することだけを頭にある装備で挑んできた。
にも関わらず食べ頃のハニーストロベリーを残す理由が分からず、好奇心からか杏子は隣で黙々と作業している肥満体の青年に話しかける。
「アンタさ……目的はハニーストロベリーだろ? 何で食べ頃のを残して、まだ熟してない奴や熟しきってる物なんて選んで取るんだ? 制限されてんだから、無駄遣いはやめた方がいいんじゃないのか?」
突然話しかけられて肥満体の青年は一瞬驚いた素振りを見せたが、話しかけられると自分の目的をたどたどしいながらも話し出す。
「スイマセン……もしかしたらこのハニーストロベリーがフルコースのデザートに決まるかもなので……」
「それだったらベストな物を捕獲すればいいだろ。何でわざわざ食べられない物を選ぶんだよ?」
「だからですよ……」
青年の言っている意味が分からず、杏子は困惑した顔を浮かべるが、青年は一つハニーストロベリーを取りながら語り出す。
「例えば、この熟しすぎた奴はジャムにして食べることが出来ますし、まだ熟していないそれは苗として育てることが出来ます。その食材の全てを理解しなくてはフルコースに入れる訳にはいきません」
「自分自身納得できるもんじゃなきゃって奴か……でもそれでフルコースに入らなかった地獄だろ?」
「その時はその時です。また新しい食材を探すだけですよ」
そう語る青年の目は非常に輝いていた。
それに熟したハニーストロベリーを残すのはそれだけが目的ではない。
全てを取ってしまえば、翌年にハニーストロベリーの実りが悪くなり、今は良くても十年先、二十年先は絶滅する可能性だってある。
本当に食材を愛しているからこそ出来る行為であり、その姿を間近で見た杏子は本来ならもっと籠には入れられそうなのだが、それを丁寧に保護した上で用意していた亜空間モグラの付いたスポーツバッグに入れると空になった籠を青年に手渡す。
「熟しすぎた物を同じ籠に入れてたら、他のまで痛んじまうぜ。熟しすぎたのはこっちに移すといい」
「な、何かスイマセン……」
「いいよ。もうこっちはあとグールバードの捕獲だけだからよ。他にはどんな奴を取ればいいんだ?」
青年の食材に対する真摯な態度が気に入ったのか、杏子は穏やかな笑みを浮かべながら青年に接する。
青年は杏子の優しさに委縮しながらも引き続きハニーストロベリーの捕獲を続け、二人は規定量一杯に様々なハニーストロベリーを捕獲すると青年は杏子に頭を下げて帰ろうとする。
「楽しかったよアタシはアンコだ。アンタは?」
最後に名前ぐらいは覚えておこうと思って、青年に対して名前を聞こうとすると青年は照れ臭そうに笑ないながら自己紹介を始める。
「失礼しました。アンコさん、僕はダブルと申しま……」
ダブルが自己紹介を終えると同時に獣の咆哮が双方の耳に届く。
予想通りグールバードがこちらに向かってきて、先程とは違い多くのグールバードの群れにその場に居た美食屋たちは戦意喪失してしまい、ハニーストロベリーを持って逃げだすが、杏子だけはグールバードの様子がおかしいことに気づく。
(あれは餌を求めると言うより、何かから逃げてると言う印象の方が強いぞ……)
杏子が感じた通りその場に立ち尽くす杏子を通り過ぎて、グールバードは追って来る何かから逃げようとしていた。
ハニーストロベリーの農園までグールバードが来た瞬間に、世界は影で覆われる。
何事かと思って杏子が見上げると、そこには巨大なグールバードが居た。
通常のグールバードは5メートル大ほどの大きさだが、今杏子の目の前に居るグールバードはその3倍の大きさはあり、よだれを垂らしながら餌を求めていた。
だが杏子が注目したのは大きさよりも、通常の生命体には無い施しに注目していた。
腹に大きな穴がぽっかりと開けられ、その穴を塞がれないように内部には機械が設置されていた。
生物兵器のように改造されたそれはどんなに食べても満たされることはなく、同族を相手に大きく口を開けて突っ込んでいき、逃げまどうグールバードたちを食い散らかしていく。
だが食べても食べても腹に開けられた大きな穴から食べた物は落ちていき、決して空腹感は治まることなく、悲痛な咆哮を上げながら餌を求める生物兵器。
永遠の空腹地獄に陥った哀れなそれに一瞬目をそらしそうになってしまうが、ここで止めなければまた悲劇が起こるだけ。
心を鬼にすると杏子は着ていたツナギを脱ぎ捨て、深紅のコスチュームに身を包むと背中からナイフ形体の槍を取り出して突き出す。
自分に対して敵意を向ける相手が居ると知ると、巨大グールバードは雄たけびを上げながら、杏子に向かって顔を下ろして少女を噛み砕こうとしていた。
だが当たる直前で少女の姿は消えてなくなる。
一人逃げ時を失ったダブルが見上げてみると、既に巨大グールバードの上を行き、頭部に向かって穂先を突き立てようとしている杏子の姿があった。
「正当防衛だ……悪く思うな!」
長く接していると永遠の空腹と言う恐ろしい呪いをかけられた巨大グールバードに情が移ってしまうと思った杏子は、自棄気味に叫んで頭に穂先を突き立てる。
だが穂先が皮膚に刺さった瞬間に違和感を覚える。
いつもならそこで刃が脳天を貫いて勝負ありなのだが、生物兵器として改良された巨大グールバードは脳にも機械が埋め込まれているらしく、手から感じる金属の感覚に杏子は戸惑っていた。
暴れ回る巨大グールバードの頭にしがみつきながらも仮説を立てる。
恐らくは腹に穴を開けられただけではなく、常に空腹の状態にするために脳にも改造手術を施され、満腹中枢が破壊されているか、常に空腹中枢が作動している状態になっているのかのどちらかなのだろう。
その状態を守るため頭蓋骨もより強固な機械に改造されているのだろうと思うと、ますますこんな理不尽な改造を施した相手に腹が立つ。
十中八九美食會だと言うことは分かるが、暴れ回る巨大グールバードに掴まっているのが困難になったのか、杏子は一旦飛び立って地上に降り立つと倒すための算段を考えようとする。
「ぼ……僕も戦います!」
杏子が地上に降り立つのを見るとダブルが震える手でライフルを持って、共に闘おうとする意思を見せるが、それに対して杏子は嫌悪感を露骨に前面に出した顔を浮かべる。
「ダメだ! 悪いが足手まといだ!」
一喝すると同時に再び巨大グールバードが杏子を食おうとしていた。
直前で杏子は再び上空へと逃げるが、その間考えているのは巨大グールバードの倒し方。
攻撃は空腹から直線的で相手を食べようとしているのがほとんどのため、よけるのは簡単だが問題はその後。
頭部は固い機械で守られていて、腹部もまた巨大な穴がぽっかり開いている状態なので致命傷を与えるのは難しい。
となると残りは全ての生命体の活動拠点である心臓を直接狙うだけなのだが、これだけ激しい攻撃の中を掻い潜ってドリルクラッシュを放つのは今の杏子には難しい話。
ドリルクラッシュは全ての体全体の回転のエネルギーを全て槍に移行して放つ大技のため、後先考えずに攻撃を繰り返す巨大グールバードを相手に放つには時間がかかりすぎる。
ここは少しずつ体力を奪って、仕留める正攻法で行こうと思ったが、巨大グールバードのポテンシャルは杏子の予想以上だった。
口を大きく開けて中から現れたのは巨大なバキューム口。
そこから放たれる豪風は勢いよく杏子を包み込もうとしていて、空中で無防備な状態になっている杏子はバキューム口に吸い取られ、巨大グールバードの口内に収まってしまう。
大きな奥歯が自分を噛み砕こうとした瞬間に杏子は背中からもう一本の三又槍を取り出して、二本の槍をつっかえ棒にすると何とか食べられるのを阻止して、槍がしなったのを見ると、その反動を利用して一気に飛び出す。
――もう考えるのはやめだ! シンプルにぶっつけ本番で行く!
変な手心を加えれば巨大グールバードが苦しむだけだと判断した杏子は、自分が持っている一番の武器で一気に勝負を付けようと二つの槍を一つに合体させ、ドリルの形状の槍を作り上げると頭の中で回転のイメージを作り上げる。
地面に激突した時の衝撃を和らげるのと、イメージの具現化の二つの意味を兼ねて着地したが地面に着くとダブルが未だにライフルを巨大グールバードに向かって構えて狙いを定めているのが見えた。
「まだ居たのかよ!? 邪魔だからさっさと失せろ!」
中々思うようにいかない苛立ちから、杏子はダブルに八つ当たりするが、ダブルはライフルの照準を腹に開けられた大きな穴に向かって放とうとしていたが、動き回る巨大グールバードのせいで中々照準が合わずに苦戦していた。
「何の真似だ? あんなところに弾ぶち込んだ所で何の意味も無いだろ?」
「この銃に込められているのは弾丸ではありません。見たところアンコさんは技を発動するために時間が欲しいみたいですね?」
自分の真意を理解しているダブルに杏子は驚いた顔を見せるが、今は使える物は何でも使おうと言う切羽詰まった状態のため黙って頷く。
ダブルはダブルなりに何か策があって行動しようとしているのだろう。
それを邪魔するようなら、またさやかの時のような悲劇が待っているかもしれない。
本能的に美食屋のプライドと言うのを理解した杏子は、巨大グールバードの注意を自分に引き付けるため、ナイフワイヤーを右手の袖から発射すると一気に距離を詰めよって、ドリル形態の槍で足を思い切り突き刺す。
回転の力が無くても貫くと言うことに特化した形態の武器は爪と肉の間に刺さり、足の爪を引きはがすとそこから鮮血が勢いよく噴き出す。
この耐えがたい痛みを巨大グールバードは顔を近づけて杏子を食らうことで忘れようとしていたが、攻撃方法はこれしかないと分かっているため、今度はバキューム攻撃にやられないよう地面を中心に杏子は逃げ回る。
これで動いているのは首だけの状態になっているため、ダブルが狙っている照準の腹の穴は動かない状態になる。
杏子の真意を理解するとダブルの集中力が自然と高まり、震える手が止まると同時に引き金が引かれる。
言った通りライフルに込められていたのは鉛の弾丸ではなく、ゴム弾のような物が放出され、大きく開けられた腹の穴に着弾すると小さく音を立てた。
ダブル以外何が起こったのか分からなかったが、次の瞬間浮き輪に空気が入っていくような音が響くとダブルの狙いが理解できた。
本来は緊急用の保護クッションとして使うクッションが腹の中で一気に広がっていくと、巨大グールバードは言いようのない圧迫感を覚え、苦しそうに呻くだけとなっていた。
この瞬間杏子はある情報を思い出す。
肥満で苦しむ患者のために医師が行う施術の一つで、胃の中に風船を入れて食べる量を強制的に減らすと言う内容の施術がある。
今回ダブルが行ったのはそれの応用編であり、予想通り体の中が圧迫されたのに加え、呼吸さえままならない状態となった巨大グールバードの動きは完全に止まってしまい、苦しみから逃れようと何度も深呼吸を繰り返すだけ。
この勝機を逃がしては自分に勝ち目はないと踏んだ杏子は体全体に回転のイメージを作り上げると、それら全てを槍に移行させる。
回転の力を受け槍が轟音を上げながら獲物を狙う。
今までの修業でも何度か放ったドリルクラッシュだが、威力が強すぎてコントロールが思うように聞かず、必要以上に獲物を傷つけてしまったこともある。
だが今はそんな反省をする必要はない。変な手心を加えて勝てる相手ではないからだ。
ドリルの轟音を鎮めるように杏子は照準を合わせる。狙いは唯一の弱点と思われる心臓。
雑な改造を施したので防御に関しては皆無だろうと判断した結果だ。例え何かしらの対策を施したとしても、それごと貫けばいいだけの話。
足に力を込めると一気に飛び立ち、一本の矢が放たれた。
「ドリルクラッシュ!」
まだ必殺技の名前を叫ぶのには抵抗があるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
腹の中のクッションが破ければ、もうドリルクラッシュの発動に時間を割くことは出来ない。
照準は左胸の心臓目がけて一直線に放たれる。修業中は照準がぶれて思うように狙った箇所に攻撃できないことも多かったが、今は不思議と落ち着いて手にも力が込められ、そのままのスピードでこなしていける確信があった。
襲ってくる杏子に対して、巨大グールバードはやぶれかぶれに体ごと突っ込んでいこうとしたが、無駄な行為であり、そのまま矢は心臓を射抜き勝負は呆気なく終わる。
高温を発しているドリルは傷口から放たれるはずの血液すら瞬時に蒸発させ、血管は委縮し血液の発生を許さなかった。
杏子が空中で回転し槍を元の二本の状態に戻すと同時に巨大グールバードは勢いよく前方に倒れ、地面に轟音が響き渡るとその生涯が終わる。
全てが終わって杏子もまた地面に着地すると改めて辺りを見回す。
ハニーストロベリーは無事だが、辺りを見ると食い散らかされたグールバードの死体が散乱していて、見るも無残な状態となっていた。この辺りの後始末もまた美食屋の仕事だと言うのはココから厳しくしつけられているので、杏子は槍で穴を掘りながら邪魔にならないところにグールバードたちの墓を作り、ダブルもそれを手伝った。
「悪い……」
「構いません。それよりも……」
ダブルが指さしたのは巨大グールバード。
あれ程の大きさだと墓を作るのは困難であったが、放置しても生ゴミになるだけであり、どうしていいか分からない状態であり対処法に関しての意見を杏子に求める。
「そうだな……あれって食えるのか?」
「え!? 食べる気なんですか!?」
グールバードに関しての情報はまだ少ないが、そのえげつない見た目から食べようとは思わない。
思わず素っ頓狂な声を上げたダブルに対して、杏子は真剣な顔のまま頷く。
「ああ、アタシに美食屋としての基本を教えてくれた人がいつも言っていたことさ、自分で仕留めた獲物はお前が食えと、生きるためでもあるし、獲物の命に対するお前の礼儀でもあるってね」
トリコとの思い出が頭の中で蘇っていくと、自然と優しげな顔を杏子は浮かべていた。
その顔を見てダブルは思った。彼女は教師に恵まれたのだと。
やれるだけのことはやってみようと思い、墓を作り終えると杏子とダブルは巨大グールバードの解体にあたる。
機械と食べられない部分が多々あって解体には苦戦をしたが、どうにか持って帰られる状態にまですると、二人はその場を後にした。
***
近くにあるバンガローを借りて、調理を進めてみる。
と言っても杏子は料理に関しては素人以下だが、この世界の食材は焼けば食べられる簡単な物ばかりなので、そこまで苦労はしない。
焼くだけなら自分でも可能なので、取りあえずトリコから貰った改造ライターを片手に万遍無く焼いていくと、一応は食べられる作りに仕上がったが、食欲をそそる紫色の毒々しい色合いは食べるのに勇気が居る代物だった。
「こ、この世の全ての食材に感謝を込めていただきます……」
今まで食べた物は皆美味しいグルメ食材ばかりだったため、食用に適さない物は初めてであるが、これも美食屋をやっていく以上避けて通れない道なのだろうと思い、ナイフを入れて切ろうとするが、まるでゴムでも切っているような感覚にイライラを覚えながらも、どうにか切ってフォークで刺して震えながらも食べる。
「マズ――!」
口にした瞬間に正直な感想を告げる。
まるで古いタイヤでも口の中に放り込んでいるかのような不快感があり、噛めば噛むほど古びた油が口全体を覆って、喉を通り過ぎても胃の中までベットリとした不快感が残り、食べれば食べるほど不愉快になる食材に杏子はげんなりとした顔を浮かべる。
「どうします? IGOに連絡して処分させますか?」
「もう少し挑戦してみる……」
ダブルは杏子の体を心配して巨大グールバードをIGOに処分させることを提案させるが、今焼いている分だけでも処分しようと、杏子は何度も意識を遠い所に持って行かせながらも食べ続けた。
実際現地でしか食料を調達できない状況と言うのも美食屋をやっていれば多いはず、これも修業なのだと思って、何度も戻しそうになりながらも杏子は食べ続け、取りあえずは一ブロック食べ終えると、急激に目まいと吐き気に襲われ、一旦ソファーで横になって休む。
「まだ処分の連絡は送るなよ……まだ頑張れると思うから……」
横になりながらも、どうすればあの不快な味を感じないで胃に放り込めるかを杏子は考えていたが、後ろで何やら作業をしている音が聞こえ、振り返って見るとダブルが食べて悶絶しながらもリュックから料理器具と調味料を取り出して、調理を試みようとしていた。
「何をやろうとしてんだテメェは!?」
勝手な行動に気を悪くした杏子は詰めよって、ダブルの肩に手を置いて無理矢理行動を制するが、ダブルは怯えながらも反論をする。
「ス、スイマセン……でも食べるなら美味しく食べられる方がいいと思ってですね……」
「アンタだってアタシと同じ美食屋だろ、素人がやったところでどうにも……」
「確かに僕は美食屋ですけど、料理のスキルには自信があります!」
これまで頼りなさを感じていた頃とは違い、高らかと宣言するダブルが気になって詳しいことを杏子は手を離し聞き出そうとする。
杏子の許しを貰うとダブルはこれまでの自分の経緯を語り出す。
元々ダブルは一流のホテルで働くコックであったが、ただホテルが用意してくれるだけの食材をさばくだけでは自分自身料理人としての成長が止まってしまうのではと言う不安感から、自分でも納得できる食材を見つけるため美食屋に転身。
その臆病で慎重な性格が手伝ってか、何度も危険にさらされながらもどうにかフルコースを最後のデザートまで集めることが出来、コツコツ貯めた金で自分の店もオープンできるまでになった。
これまでの経験から不味い食材も何度も経験してきたため、それを食べられる物にまで修復する方法も覚えた。
話を聞くとこれ以上食べるのはつらいと判断した杏子はダブルに調理を任せ、引き続き自分は横になって体力の回復に専念した。
体力を予想以上に消耗したのか、ウトウトと眠って目が覚めた時には2時間近く経過していた。
寝ぼけ眼で巨大グールバードの様子を見ると、大量にあった肉は消えて無くなり、代わりにテーブルに並べられたのは先程よりは毒々しい紫色が薄くなったステーキが置かれていて、隣には大量のゴミ袋にあった油が存在していた。
「それは?」
「このグールバードはとにかく肉の中に油分が大量に入っていましたので、それを除去することに専念しました。これだけでも大分味が違いますよ」
その油も濁ったまるで工場の中の廃油を思わせるような油であり、見ているだけで戻しそうになった杏子は肉を食べることに専念しようと、再びナイフとフォークを持つが、最後にダブルは大量のソースをステーキにかける。
「これをかければ大分味がマイルドになりますよ。僕が美食屋として唯一発見した新食材の『レインボーマヨネーズ』です」
ステーキに七色に輝くマヨネーズと本当に食べ物なのかと、疑いたくなるような代物だが先程に比べればマシだろうと杏子は思いながらナイフを入れて食べだす。
レインボーマヨネーズの効果なのだろうか、ナイフはスッと入り、先程よりもずっと肉が柔らかくなっていた。
フォークを刺して食べると先程とは違い、肉は柔らかく何より先程まで感じていた油の嫌な感じが全くなく食べることが出来た。
だが長いこと口の中に入れていると肉本来のえぐい感覚が出るので、その前に飲み込むと残りのステーキも食べだし、グールバードの命の礼儀と言う物を杏子なりに示した。
「ごちそうさまでした……」
ダブルのおかげでどうにか全ての肉を食べきることは出来たが、初めて食べる不味い食事の感覚は杏子に取ってショックが強く、力なくため息をつくとそのままテーブルの上に突っ伏す。
一応はエネルギーの補給こそできたが、今回の狩りを見れば反省点も多くその辺りも踏まえてヘビーロッジに宅急便で送ったハニーストロベリーも届いている頃だろうと思い、モリ爺と電話で相談しようとしたが、その前に一つのタルトが置かれる。
真っ赤に光り輝く、まるでルビーのようなタルトは見ているだけで食欲が沸き、唾を飲み込む音が辺りに響き渡ると食べていいのかどうかを作ったダブルを見て、無言のアピールを行う。
「どうぞ!」
とてもいい笑顔を浮かべて勧めるダブルに促され、杏子は一口タルトを食べる。
口に入れた瞬間それまであったいじけた気持ちが吹き飛ぶのが分かった。
ハニーストロベリーの本来の甘さもそうだが、上にかけられたはちみつがより甘さを引き立て、それにサクサクのパイ生地が合わさって見事な調和を生み出していた。
「うま……」
「んま――い!」
率直な感想を述べようとした瞬間、突然響いた下品な叫び声に打ち消される。
見るとダブルは自分が作り上げたタルトを口に含みながら満面の笑みを浮かべていて、泣きながら両手を上げて大喜びしている様はまるで子供のようであった。
そして嬉し泣きをしながら懐に忍ばせていた紙を取り出し、自分のフルコースの最後の空白になっていたデザートの欄に書きこむ。
「僕はこのハニーストロベリーをフルコースのデザートに加えます。そして僕のフルコースは完成して、僕は美食屋を引退します!」
自分の納得するフルコースが全て完成するとダブルは泣きながら何度も万歳三唱を繰り返して、喜びを露わにしていた。
その姿を見て本気で美食屋としての仕事に取り組み、本気でこれから料理に対しても向き合おうと言う姿勢がうかがえた。
どんな物なのだろうと思い、杏子はダブルのフルコースを見つめる。
最初から最後まで見事に甘い食材で構成されているそれを見れば、思わず胸やけがしてしまい、それをからかおうと喜び続けるダブルの頭に軽くチョップを放ち、自分の方に注意を向けさせる。
「まぁおめでとさん。しかし、肉料理に『パンジーオックス』メインが『チェリードラゴンのソテー』に、ドリンクが『汁粉熊の血』って、虫歯になりそうなメニューだな」
「ハイ、僕はスイーツ専門店をやりたいと思っているので!」
軽い杏子の皮肉も今のダブルには全く通用せず、テンションが上がりきったダブルは続いて自分の店の構想に取りかかった。
その様子を見て杏子はココから言われた言葉を思い出す。
自分の食材のレベルに見合った料理人を見つけたら、すぐにコンビを組むといいと、どんなに凄いフルコースを調達する美食屋がいても、それを調理できる物がいなければ何の価値もないと教えられた。
その時はまだフリーで料理人とコンビを組んでいないココが何を偉そうなことを言っているんだとからかって終わったが、今日の狩りを振り返ればその意味はよく分かった。
料理だけでなく戦闘面においても今回の戦いはダブルが居なかったら負けていたし、料理だってダブルのおかげで全てを食べきることが出来た。
何となくではあるが、ココの言葉の意味を知り、レベルアップにばかり囚われていたが、これからは自分のフルコース探しについても頑張ろうと思って、この日は眠りに落ちることを選んでベッドに横になった。
「ほどほどにしとけよ……」
未だにテンションが上がりきって喜んでいるダブルに口頭で注意をすると、杏子は眠りに落ちた。
これから自分の美食屋としての身の振り方を考えながら。
***
翌日、杏子はダブルと別れるとモリ爺に携帯で電話をかける。
電話に出たモリ爺は見事にハニーストロベリーの捕獲に成功した杏子を褒めたたえるが、杏子は満足していない様子だった。
「いや全然ダメだよ。結局グールバードの捕獲は失敗だったからな」
「まぁ今回のは非常に運の悪いハプニングと思った方がいいじゃろ。初戦でそれだけやれれば十分じゃろ」
「それで次の依頼なんだがな……」
杏子は次の依頼を経験の積める物ではなく、出来る限り美味しい食材が食べられる物はないかと告げ、色々と聞いてみる。
杏子が一つ美食屋としてステップアップしたのを見届けると、モリ爺は笑いながらリストアップしていく。
これからも杏子は素晴らしい狩りを行い続けるだろうと思いながら。
本日の食材
ハニーストロベリー 捕獲レベル7
小高い丘でのみ栽培が可能な、通常よりも糖度の高いイチゴ。
食べ方は色々あるがスイーツの素材にするのが一般的とされている。
グールバード 捕獲レベル11
とても大食いな鳥であり、通常ならばいくら食べても満足できないと言われるほどの大食感だが、ハニーストロベリーだけは一口食べれば満足できることから、IGOとしては詳しい生態の解明をしたい猛獣。
と言う訳で今回は初めての狩りをやってもらいました。
次回もまた狩りの話になります。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。