かつて自分が生きる意味を知りたいと言って人を捨てた少女が居た。
決して自分に優しくない価値の無い世界でも自分の世界を守ろうと奮起した少女が居た。
だが少女の想いは報われることは無かった。
唯一の友達を失くし、善意からでも奪った命の重さに押しつぶされそうになっていた。
そして死の間際、彼女は一言つぶやいた。
――もう疲れた……
絶望だけが心を覆っていき、美国織莉子の意識はブラックアウトした。
だが奇妙なことに織莉子の意識は元の世界から途絶えても、その肉体と共に激しい波に飲まれていく。
まるで激流にでも飲まれるような感覚に服は破け、意識も保っていることも出来なくなってしまい、そこが死後の世界かどうかも分からないまま織莉子の意識は再び闇に閉ざされた。
***
意識が戻ると朦朧とした視界よりも先に、鼻をつんざく悪臭に織莉子は言葉を失う。
元より言葉が出る状況では無いのは分かっている。魔法少女の礼装はボロボロに破け、危ういところだけを隠している裸同然の状態になっていて、体を動かそうと試みるが指一本動かせない意識だけが覚醒した状態に織莉子は愕然となってしまう。
せめて状況だけでも確認しようと視界をハッキリさせた物に変えようとするが、真っ暗な空間が広がるだけであり、何も見えなかった。
顔を覆う感覚から自分の顔が土の地面にうつ伏せになった状態になっているのは分かるが、理解できないのは鼻をつんざくような悪臭。
一つや二つではなく、幾多もの動物や植物の野生の匂いが混在して仕上がった悪臭だと仮説を立てる。
織莉子の精神を汚染させるのは悪臭だけでは無い、耳からも自分の命が危険な状態にあることが理解できる轟音が響き渡っていた。
獣の咆哮を中心に響き渡る声は自分がサバンナの大平原にでもいるようなイメージが広がって行く。
悪いイメージしか広がらない中、脳内に確立したイメージが広がっていく。
それは自分の肉体が猛獣たちの餌食となっていくさま、それだけならばごく自然なことなのだが、問題は自分の肉体を食べる猛獣。
見たこともない異形の猛獣たちに自分はまだ魔女の生贄になってしまうのかと考えてしまう。
善意からとは言え、自分は無関係の人間を大勢殺してしまった。
その報いがこのような形で訪れるのかと思ったが、同時に激しい怒りにも囚われていく。
だがそんな怒りなど野生の咆哮の前では無意味な物であり、あっという間にかき消されると再び意識を絶望が襲う。
背中に感じる生温かい吐息がこれから自分が食い殺されるんだと思い知らされ、織莉子の体を冷たい物が襲う。
泣き叫びたくても声を上げることも出来ず、状況を確認することも出来ない、絶望だけが覆っていく中、声にならない声で織莉子は自分を唯一個として見てくれた友人の名を呼ぶ。
「キリカ――!」
唯一出た叫びが自分に取って最後の言葉なのだと思った瞬間に、背中に違和感を感じる。
温かい液体が白い背中に降り注ぐとその正体が名前も知らない猛獣の血液だと分かる。
咆哮が悲痛な叫び声に変わっていくと、人の足のような物で自分の体がうつ伏せになると織莉子の視界が開く。
まるで恐竜時代のような巨大な森の中で、同じように恐竜大の大きさの奇妙な猛獣たちは一人の男に向かっていた。
おかっぱ頭の青年の手には恐らく先程まで自分を食べようとしていた猛獣の生首があり、狂気染みた笑みを浮かべながら、青年は生首を投げ飛ばすと勢いの付いた生首は猛獣の頭を抉り、再び首の無い躯が出来上がった。
「ハハハ! 『バーニングティラノ』如きが、このボクに戦いを挑むのか? 恨むなら捕獲レベル38程度でボクに挑んだその愚かさを恨むんだな!」
青年は楽しむように全身が炎で包まれた恐竜、バーニングティラノを惨殺していく。
狂気に満ちた笑い声を上げながら、爪を突き立て何度も何度もバーニングティラノを引き裂く光景は普通ならば恐怖しか感じられないが、その姿に織莉子は唯一の友人の姿をだぶらせる。
「キリカ……」
手を伸ばしたくても体は動かず、おぼろげな視界でキリカとだぶらせたおかっぱ頭の青年の姿を確認しようとする。
水玉模様のシャツに黒いパンツに腕と足には拘束具のような金属の輪っかがはめられていたが、それらは大した特徴とは言えなかった。
一番の特徴は背中に生えた昆虫を連想させる二枚の羽。
それらを激しく動かして空を飛びながら、襲いかかるバーニングティラノ達を薙ぎ払う姿を織莉子は見続けていたが、終焉の時は訪れる。
「きええええええええええ!」
狂気染みた叫び声と共に振り下ろされた爪はリーダー格と思われるバーニングティラノの首を抉り、最後に一体首無しの死体が出来上がると轟音と共に死体は地面へと横たわった。
自分が助かったのかと淡い期待を抱いた織莉子だったが、自分の元に降り立つ青年の凶悪な人相を見てその期待は音を立てて崩れさる。
無表情で自分を見下すように品定めをしながら歩くその姿に善意のかけらも感じられず、再び自分の中で死のイメージが広がりそうになる。
だが次の瞬間に織莉子は違和感を覚えた。
先程の猛獣相手にはリアルな死のイメージが魔法により広がっていたが、今度はそんなマイナスのイメージが全く広がらないからだ。
体が動かないこともあってか困惑するばかりであった織莉子だが、青年は屈んで織莉子の顔をジックリと見つめると不気味な笑みを浮かべながらその体を両手で抱え上げて持ち上げると、そのまま飛び立つ。
空中に飛び立つのは決して初めての経験ではないが、色々なことが起こりすぎて自分のキャパシティを超えた結果織莉子の意識はそこでブラックアウトした。
意識が無くなったのを見るとおかっぱ頭の青年は織莉子の姿を見て、歪んだ笑みを浮かべた。
「フン、新食材の捕獲にと出張ったはいいが結局無駄足で、唯一捕獲出来たのがこのフランス人形のようなお嬢さんだけか……はたしてボクに拾われたことは、幸運かそれとも不運か……」
生かすも殺すも自分次第、生殺与奪の権利は自分にあることは分かっているのでおかっぱ頭の青年は歪んだ笑みを浮かべながら下品な高笑いを上げ続けていた。
***
織莉子が再び意識を取り戻して最初に入ったのは見慣れない天井だった。
ボロキレ同然となっていた衣装も黒いコック服に変わっていてベッドの上に寝かされていた。
まだハッキリとしない意識の中で織莉子は上半身だけを起き上がらせ、部屋の間取りを見つめる。
左程広くない空間に置かれているのはテーブルに使いこまれたノートパソコン。
本棚には虫に関する本が多々存在し、手垢が大量に付いていて背表紙もボロボロなことから部屋の主は相当虫に関しての知識が高いことが分かる。
そして部屋の主は先程自分を助けたおかっぱ頭の青年だと仮説を立てたが、織莉子は自分に取って唯一キリカとの繋がりを持った魔法少女の衣装が無いことに気づくと慌てて探し出す。
ベッドから転がるように降りて、這いずりながらも衣装を探すが掃除が行き届いた部屋の中でボロキレは一つも見つからず、恐らくは廃棄された物だと思って激しい絶望が織莉子を襲いベッドの縁に背を預けて心を絶望に委ねる。
「お探し物はこれかな?」
その時唯一の出入り口のドアが開いていて、光が射す方向を見るとおかっぱ頭の青年が手に持ったデジカメを弄びながら、ボロキレと化した衣装を指で振り回しているのが見えた。
キリカとの繋がりがまだ無事なのを見ると、織莉子は這いながら青年の元へと向かい、足元にまで到達すると青年に向かって手を伸ばして衣装を取り戻そうとする。
「全く助けてもらったのに『ありがとう』の一言も無く、自分の欲求だけは求めるのか……説教の一つでもしてやりたいところだが、その這ってる姿が滑稽だったから許してやるよ」
青年は少し不愉快そうな表情を浮かべながらも、ボロキレを地面に落として織莉子に渡す。
織莉子は衣装を大事そうに抱えると、青年に言われた正論を思い出して深々と頭を下げて感謝の念を示すが、青年は無表情のまま話を進める。
「まぁとは言ったが、ボクがお前を助けたのはほんの気まぐれにすぎない。せっかく遠征したというのに手ぶらで帰るのもムカツクから連れ去ったが、一応の義理は果たした。後は帰るべきところに帰って怯えながらこれから先生きていくんだな」
そう言って青年は口元に歪んだ笑みを浮かべながらクスクスと小さく笑う。
機嫌のいい青年とは対照的に織莉子の表情は完全に曇っていた。
帰るべき場所と言うのが自分には存在しないからだ。
まだ詳しいことは分からないが、恐らく本来自分が居た世界では自分は死に、今自分が居るのは全く別のパラレルワールド。
未来予知の魔法の力は残っているようであったが、これから先自分があんな危険な猛獣が居る世界で生きていける自信が全く無かった。
何一つ後ろ盾が無い状態で生きると言うことが初めての経験だった織莉子は不安しかなく、次々と襲いかかる絶望の前に表情は見る見る内に曇っていき、痙攣を起こし恐怖に意識は支配されていく。
何が起こったかは知らないが、自分が好きな人が絶望していく様の表情を見ると青年は再びデジカメを織莉子に向けてその様子を写真に収める。
「ハハハ! いい絶望だお嬢さん! もっとボクにその絶望を見せてくれよ!」
「オーイ、トミー……」
緊迫感が部屋を包む中、緊張感の無い声が響く。
いい所を邪魔されてトミーロッドは不機嫌そうに声の方向を見つめると、そこには予想通りの人物が居て、織莉子はトミーロッド以上の異形の存在が現れたことに思考が止まってしまった。
三つの三眼に四本の腕と言う、ここがかつて自分が居た世界では無いと言うことを思い知らされてしまう異形と呼ぶに相応しい存在。
四本腕の異形は退屈そうにあくびをしながら、トミーロッドに話しかける。
「暇なんだよ。何か笑える物とか、あっちが元気になる物とかない?」
「知るか! そんなに暇なら仕込みでもやってろグリンパーチ!」
「おやおや?」
トミーロッドの怒鳴り声も聞かず、グリンパーチと呼ばれた異形はニヤニヤと下劣な笑みを浮かべながら品定めするように織莉子を見つめると、歪んだ笑みを浮かべながら織莉子に向かって指をさす。
「ヘイ、ユー! ユーは一体何者だ?」
「あ、いや、その……」
急に話を振られて織莉子はどう返していいか分からず、しどろもどろになっている状態になっていた。
畳みかければ一気に物に出来ると踏んだグリンパーチは手を伸ばすが、それを止めたのはトミーロッドの鋭い手刀。
炸裂音が辺りに響き渡り、その轟音に織莉子は固まってしまうが、ニヤニヤと笑いながら腕をさするグリンパーチを見ると、互いに本気で無いことは分かり、トミーロッドは睨みつけながら、グリンパーチはそんな彼をニヤニヤと笑いながら話を進める。
「これは気まぐれからちょっと拾っただけの存在だ。だがそれでも今所有権はボクにあるんだ。お前が勝手に手を出すことは許さん」
「お前は自分の物に手を出されることが一番ムカツクって人だからね。んで真面目な話ユーはどこのどなた?」
グリンパーチに言われると織莉子はここで元の社交性と言うのを取り戻しつつある。
小さい頃から社交場へ出る機会が多かったので、コミュニケーション能力は高い方であり、いつまでも場の空気に飲まれるままではこの世界で生きるなど不可能だと判断した織莉子は自己紹介を始めようとする。
「失礼しました。私の名前は……」
「そこまでだ! それ以上の発言は許さん!」
話そうとした時、トミーロッドが手を突き出して織莉子の発言を止める。
突然のことに戸惑うばかりであったが、トミーロッドは自論を語り出す。
「ここでお前の存在など羽虫のような物だ。個を語りたいのであれば、まずはそれ相応の実績を残さなければな。美食會とはそういうところだ」
ここで改めて威圧させようと思い、美食會の名前を出してトミーロッドは織莉子が今置かれている状況を思い知らされようとするが、織莉子は美食會と言われても何が何だか分かっておらず、ただただ困惑した表情を浮かべるばかりであった。
「オイオイ、トミーよ。こちらさん美食會がどう言う所なのかは勿論、国際指名手配犯であるオレたちの存在も分からないみたいだぜ。とんだシーラカンスだ!」
見た目から決して善人でないことは分かったが、まさかこの世界における国際指名手配犯の集団だとは思っておらず、織莉子は絶句するばかりとなっていたが、トミーロッドたちからすれば自分たちのことを全く知らない織莉子の存在が珍しく二人はニヤニヤと笑いながら、その場を立ち去ろうとし、最後にトミーロッドは振り返って織莉子に告げる。
「明日までここに居させてやるよ。明日になったらそのボロキレと一緒に出ていくんだな。例え帰る場所が無くてもここに居場所はないと思うんだな」
居場所が無いと言う痛烈なトミーロッドの言葉に織莉子は精神的にまともさを保つことが難しくなり、膝を付いて倒れこんでしまう。
そしてそのまま衣装だった物を抱え込んでうずくまり、孤独で居場所の無い惨めな自分に涙をした。
向こうの世界でも美国久臣の娘としか見られておらず、唯一自分を個として見てくれたキリカもこの世にはいない。
言いようのない孤独感ばかりが支配していたが、その時にも未来予知のビジョンが織莉子の脳内で冴え渡る。
恐らくは美食會の人間と思われる集団が、敵対組織にズタズタに引き裂かれている様子が映し出されていて、スキンヘッドの大男が一人で化け物のような集団を惨殺していて、その中には目玉のアクセサリーを大量に付けたショートヘアーの黒髪の男も居た。
恐怖を感じるようなビジョンを見てしまった織莉子は現状を把握しようと、唯一外界との繋がりがあるトミーロッドのパソコンの前へと向かい、スイッチを押して起動させると情報を得ようとする。
そこにはスケジュール表が事細かに記載されていて、明日には食材調達チームが希少な食材である『松茸ッコリー』を捕獲しようと、目を付けていた山岳へと向かおうとしているのだが、そこへ行けば敵対組織に惨殺されるのは目に見えている。
元の世界では結局この力は何の役にも立たなかったトラウマもあり、助けられる命を助けようと織莉子は必死で検索を繰り返し、他に松茸ッコリーが見つかりそうなところはないかと検索をするが、どこにも情報は無く途方に暮れるばかりであった。
だがここで再び未来予知のビジョンが発動する。
今までに無い経験に戸惑うばかりの織莉子だったが、そこで見たのは氷山の中で氷漬けにされた松茸ッコリーの数々。
そこで未来予知のビジョンは途切れてしまい、そこが何なのかは分からなかったが、今頼れるのはそれだけだと確信した織莉子は氷山に付いての情報を中心に探し出す。
明日には調達チームが向かう場なので急な変更が出来ないと思われるため、もし変更が可能になるのならば近場になる可能性が高い。
スケジュール表を基準として、織莉子は検索をしつづけた。そのついでにこの世界がどう言う物なのかも理解しようとするため、様々な知識を自分の物にしようとした。
全てはキリカのため、自分に生きてもらいたいと願ったキリカのために。
***
翌日、丸一日かけて三虎への食事を作り終えたトミーロッドは疲れ切った様子で自室へと戻っていく。
溜まったストレスをどうやって解消しようかと考えていたが、取りあえずは織莉子を追い出すことで発散しようと自室のドアを開けると、ベッドの縁に背を預けトミーロッドの帰りを待っていた織莉子の姿が目に飛び込んだ。
彼女の姿を見ると、トミーロッドはすぐにその細腕を掴んで強引に立たせると外へ出るように促す。
「約束だ。出て行ってもらおうか」
「その前に今回の食材調達に関してメタボ山脈へ松茸ッコリーを採りに行くのはやめてください……」
初めてまともな会話をしたことにも驚かされたが、いつの間にかメタボ山脈へ松茸ッコリーを採取することまで知っていたことにトミーロッドは驚かされ、織莉子から手を放すと慌ててパソコンを起動させ検索履歴の方を調べる。
(一日でこれだけの量を見たのか……)
個人でのパソコンなので検索量に限界はあるが、それは情報収集の第2支部に匹敵するぐらいの情報量を得ていた。
昨日まで何も知らなかった織莉子が生意気にも自分に意見することが面白く、トミーロッドは続きを聞こうとする。
「それで人の組織のやり方にケチを付けるんだから、代替案があってのことなんだろうな? どこに行けば松茸ッコリーは採れるんだ?」
「メタボ山脈から北に30キロ先にある。ヒエル山脈、そこに凍り漬けになった松茸ッコリーがあります。そこならばIGO開発局のマンサムの襲撃も受けません……」
氷山のヒエル山脈に松茸ッコリーがあるとは信じられない話だが、昨日まで何も知らなかった織莉子がIGOの存在や、最近は返り討ちにあうことも多く、第6支部は慢性的な人員不足に悩まされているのも事実。
仮にデタラメでも懲罰を受けるのはセドル達だけだと思ったトミーロッドは時計を確認すると、もうすぐ出発の時間なのが分かり、携帯を取り出すとセドルと連絡を取る。
「ボクだ。今日の採取だが、メタボ山脈ではなくヒエル山脈へと迎え、異論は一切聞かない、いいな?」
自分の言いたいことだけを言うと早々にセドルは携帯の電源を切る。
予定が変わったのを見るとトミーロッドは小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、織莉子と接する。
「これで運命共同体となったわけだな。お前の言っていることがデタラメならば、責任を取らされることとなり、お前は第6支部と一緒に制裁を受けるわけだ。後悔していないのか? 居場所がなくてもまだ怯えながら暮していれば、ある程度は長生きできたかもしれないのによ……」
「私は私を信じています……」
そう威風堂々と言うさまに年齢以上のオーラをトミーロッドは感じた。
昨日までとは別人のように生き生きとしている織莉子を前にしても、トミーロッドは笑みを崩すことなく、小さく「フン」と鼻を鳴らすとその場を後にして行く。
この織莉子の発言は決して虚勢から来る物では無い、織莉子には次のビジョンが見えていたのだ。
トミーロッドの下で自分が傍らている姿が。
***
日が暮れて夕方になった時、トミーロッドは第6支部の成果に驚かされていた。
氷漬けになって解凍に多少の苦労はしそうであるが、それは仕込みの第5支部の仕事。
全くの未開の地での採取だったので本来の予定していたよりも多くの量が採れたことから、セドルのテンションも上がり嬉しそうにトミーロッドに報告をしていた。
「本当にトミー様のお陰です! あそこであのままメタボ山脈に向かっていれば、待ち構えていたマンサム達に返り討ちにあっていたところでしたから。情けない話ですけど……」
自虐気味に語るセドルに対して「そうか……」と気の無い返事をすると、自室へと戻る。
だが後ろから不愉快な感覚を感じると、徹底して無視を決めこもうとして歩き続けるが、後ろの大男はそんな彼に気を悪くしたのかちょっかいをかけ続ける。
「無視すんなよトミーよ……これからあのユーの元へ向かうんだろ?」
「ボクは自室で休息を取るだけだ。そのついでにあれの今後について話し合うだけだ」
「オレも混ぜろ!」
「断る!」
グリンパーチは女っけの少ない職場に置いて、織莉子の存在が気に入ったのか付いていこうとするが、トミーロッドは何度も断ったが、食い下がろうとしないグリンパーチに相手をするのも面倒くさくなり、そのままの状態にする。
自室のドアを開けると織莉子は相変わらず、パソコンでの作業を繰り返していたが、トミーロッドはその手を取るとキーを叩く手を止めさせる。
「話がある。そのままでいいからこっちを向け」
その言葉に織莉子は黙って従い、椅子から降りて正座をして二人と向き合う。
パソコンの画面を見ると美食會に関しての社訓のページがあり、本格的にここへ身を置こうと言う姿勢が見えた。
グリンパーチは綺麗どころが増えるのに素直に喜んでいたが、トミーロッドは厳しい表情を崩さないまま話を進める。
「まずは結果からの報告だ。お前のおかげで無事にIGOの撃墜からも逃れ、無事に松茸ッコリーの捕獲に成功した。一応は価値を認めたと言うことだな。そこでだ」
そう言うとトミーロッドは懐から一枚の紙を取り出す。
それは契約書であり、美食會第2支部の情報収集チームへの所属が命じられた物があった。
契約書をトミーロッドはテーブルの上に置くと話を進める。
「お前がどうしてもここに身を置きたいと言うのなら、まずは下積みから始めてもらおうか。第2支部は情報収集だから、お前の能力も最大限に活用されるだろう」
早速織莉子はサインをしようとペンを取って契約書に手を伸ばすが、トミーロッドはそれを取り上げて制する。
「ただしだ。お前本当にこの美食會でやっていけるのか? ただ知らなかっただけで後で騒がれても迷惑なだけなんだよ……」
「オレは別にかまわねぇぞ。このユーは綺麗どころだからオレがかわいがってやるよ。高い高いとか、よしよしをしてあげる意味じゃないぞ」
「黙ってろ!」
真面目な話をしている時に茶々を入れるグリンパーチを叱るトミーロッド。
その憎しみを持ったまま織莉子を睨みつけるトミーロッドだが、織莉子は自分の素直な気持ちを語り出す。
「私は今まで私としての個を必要とされたことが今まで一度もありませんでした……」
「ほう」
多少は興味ある話題が出て、その表情が和らいでトミーロッドは織莉子の話に耳を傾ける。
「ですがここなら私でも自分の能力を役立てると思うんです。あなたを見て思いました! あなたならばトミー様なら、私を置いて一人になんてしてくれないと!」
大なり小なりキリカの面影をトミーロッドに求めていたのは分かっている。
それが愚かしい真似だと言うことも分かっている。
だが今の織莉子は理性よりも欲求が勝っている状態。
美食會の取っている行動が悪だと分かっていても、ここから離れて一人で生きていけるだけの勇気が無く、どこか組織に属して自分を見てもらいたいと言う欲求の方が強かった。
涙目で訴えかける織莉子に対して、トミーロッドは無言で爪を突き立てると織莉子に向かって突き出す。
「そこまで言うのなら覚悟を見せてもらおうか、ここに身を置く以上命ぐらいは貰わないとな。その命を捧げてもらおう」
「それがトミー様の命ならば……」
まっすぐトミーロッドの目を見ながら織莉子は答える。
トミーロッドは何も言わずに爪を振り下ろす。
それと同時に織莉子の長い髪の毛が肩までの高さとなって、ロングヘアーがセミロングまでの長さに変わる。
「髪は女の命と言うからな。これで後はサインをすれば、お前は今日から美食會第2支部の支部員となるわけだ」
「なぁその髪捨てるならくれよ……」
髪をまとめて床から拾い上げるトミーロッドに対して、またしてもグリンパーチがちょっかいをかける。
面倒くさそうにしながらもトミーロッドは応対にあたる。
「一応聞くが何に使おうとする気だ?」
「ちょっとした哲学に……」
「死ね!」
グリンパーチの言葉に激怒したトミーロッドはそのまま拳を握りしめて、力の限りグリンパーチの顔面を殴り飛ばす。
これにはグリンパーチも怒り、二人はそのままプロレスでの力比べのように組み合って睨み合うが、サインをしようとしている織莉子を見ると、トミーロッドは組まれた手を解いて、ペンを取って制する。
「忘れていたところだ。もう一つ命を貰おうか」
「もう一つの命?」
「そうだ。ここに身を置く以上、お前はこれまでの個を捨てて美食會に仕えてもらうからな。これまでの名は捨てろ! 新しいお前の名は……」
宣言したはいいが、名前を考えていなかったトミーロッドは言葉に詰まってしまう。
そこにグリンパーチが下衆な笑い声を上げながら、織莉子の顔を見て語り出す。
「ヒヒヒ、トミーなんてオレのところに来いよユー。オレだったら可愛がってやるぜ、毎日違う名前付けて哲学の相手をしてもらうからよ……ぶはぁ!」
毎回邪魔をするグリンパーチに完全にキレたトミーロッドは、一回刺されれば三日間は眠り続ける猛毒を持った蜂『スリープビー』を生み出すと、刺しておいて眠らせる。
グリンパーチが鼻ちょうちんを作りながら寝ているのを見届けると、トミーロッドはスリープビーを平手打ちで潰して話を再開する。
「そうだな。お前は今日からユーだ! たった今を持ってお前は美食會第2支部支部員としてここで働いてもらうぞ」
「ハイ、トミー様、ユーはあなたの御心のままに……」
そして織莉子はこれから先、美食會のユーとして生きようと決意し、契約書にユーの名前でサインをするとトミーロッドに手渡す。
物を受け取ると最後にトミーロッドは手を織莉子の顔の前に突き出す。
「では誓いの口付けを」
手を突き出すトミーロッドに対して、織莉子は触れるだけの口付けをかわす。
今まで人に仕えると言う喜びが無かった織莉子に取って、ここでの体験は新鮮な物ばかりであり、魔法少女と言う異形の自分でも受け入れてくれる自分に取って優しい空間だと思った。
口が放れるとトミーロッドは懐から細かい資料を取り出して、織莉子の前に並べる。
「明日には第2支部に向かってもらうからな。しばらくはこのピカタの言うことを聞くんだ。いけすかない奴だが仕事はまぁまぁ出来るからな」
「ハイ……」
「じゃあ次はオレとも誓いの口付けをしてもらおうか~!」
そこにグリンパーチが眠りから目覚め、織莉子に向かって唇を突き出して口付けをしようとするが、後ろから新たに角がフォークの形状をしたカブトムシの『トライデントビートル』を生み出すと、手に取ってその頭に向かって振り下ろす。
「ボクの物に手を出すな。このド低能が!」
フォークを頭に突き出すとザクと言う効果音が似合いそうなぐらい、深々と刺さり同時に毒も回ったのかグリンパーチは痙攣しながら倒れる。
「グフ! ドム!」
最後に断末魔の叫びをあげると、グリンパーチはうつ伏せで倒れて、そのまま鼻ちょうちんを作って眠り出す。
放っておいてもいいのかと思ったが、トミーロッドが話を進めるので今はそれを聞くことだけに集中した。
いい意味でも悪い意味でも楽しい職場になるだろうと思い、織莉子はこれから先の生活に期待を寄せた。
それが例え悪であっても。
***
美食會でユーとして過ごしてから、一年の時が流れていた。
その一年で織莉子はメキメキと頭角を現し、今では現場でのリーダーとまでなるほどとなっていた。
グルメ細胞の移植も行われていない存在が、たかが一年で多くの賛同者を集め、支部長よりも頼りにされている存在となっている。
織莉子はここで頼られる生活と言うのにある種の充実感を感じていたが、それを面白く思っていない存在が一人居た。
(ここでの主役は貴様ではない、この私だ!)
持っていたステッキをへし折ると、美食會第2支部支部長ピカタは明らかに憎しみが籠った目線で織莉子を見ていた。
長年美食會に仕えていたにも関わらず、未だに上層部にまともに取り合ってもらえない自分と違い、織莉子は一年足らずで早くも副料理長二人に可愛がってもらっている。
その嫉妬は支部員たちを通じての暴力による制裁で何度も追い込もうとしたが、翌日には怪我は全くなく出勤している様子が目に入った。
(何故だ? グルメ細胞の移植も行われていないのに……)
歯ぎしりを繰り返すピカタの前に織莉子が姿を現し、一枚の紙をピカタに手渡す。
それは副料理長三人からの本部に来るようにとの令嬢であり、物を見れば確かに三人の筆跡であることが分かり、ピカタは歯ぎしりをしながらも織莉子を睨みつける。
「美食會第2支部、支部長補佐ユー、これより本部の方へ向かいますがよろしいでしょうかピカタ様?」
「勝手にしろ!」
本部へと向かう織莉子の背中に向かって折れたステッキを投げ飛ばすが、それでピカタのモヤモヤは晴れない。
人生の大半をかけて今の地位を築いたピカタからすれば、一年足らずで自分の補佐にまで及んだ織莉子が気に入らないのは当たり前のこと。
神がかった織莉子の諜報能力に恐ろしい物をピカタは感じていた。
人知を超えた何かを。
***
本部に到着し、指定の場所に付くとそこにあらん限りの豪華な食事が用意されていた。
乱獲の結果、一般では手の届かない超高級食材の数々に、織莉子は言葉を失ったが、その前に緊張感を覚えたのは目の前に居る三人の男性の存在。
トミーロッドとグリンパーチとは何度もあっているが、真ん中で腕を組んで一際異彩なオーラを放っている全身黒づくめの鉄仮面の男を見ると、織莉子の表情は自然と引き締まった。
「そうか、ユーはスタージュンとは初顔合わせだからな」
その場にスタージュンが居ることに対して、グリンパーチはヘラヘラと笑いながら答える。
一応は自分は男して扱われているので、嘘がばれないかと言う不安もあったが、それ以前に圧倒的なオーラの前に織莉子は自然と跪いていた。
名前だけはトミーロッドは聞かされていたが、その圧倒的な威圧感の前に織莉子は汗が止まらなかった。
自然と体が震え、恐怖で体が圧迫されそうになっていたが、それを解除したのは皮の手袋で覆われた大きな手だった。
「大丈夫だ。楽にしてくれていい」
スタージュンは織莉子の肩に手を置くと、跪くのを解除するように無言のアピールを行う。
織莉子は立ち上がって一礼すると、指定された場所に座るが目の前にある料理の意味が分からず困惑するばかりであった。
「それで皆様今日私を呼び出した理由と言うのは……」
「簡単だ。もうお前もここに所属してから一年になるからな。グルメ細胞の覚醒を行う」
トミーロッドが宣言するが、通常グルメ細胞の移植と言うのは半年から一年かけて行う物だと言うことは知っている。
この目の前の料理を食べることでグルメ細胞が移植されるのかと思ったが、疑問に思う織莉子を動かしたのはトミーロッドの言葉だった。
「話を聞いていたのか? 移植ではなく覚醒だ」
「しかし私はグルメ細胞の移植自体も……」
「心配しなくても移植自体はお前の食事に混ぜて行われている。後は一気に覚醒させるだけだ」
トミーロッドに言われるとここ最近の記憶がフラッシュバックする。
以前は未来予知の魔法を使う時にどっと疲れ、体中の筋肉が軋む感覚を覚えたが、最近では食事を取りさえすればそこまで疲れることも無いことを思い出すと、自分の体が人間でも魔法少女でもない別の存在になっていくことが分かった。
「ここにあるのはオレたち三人がユーのグルメ細胞にあったのを計算して作った物だ。遠慮なく貪りくってくれ」
「食べるんだ。不味くはないと思うがな……」
まるで大統領の命令のようなスタージュンの言葉に反応し、織莉子は箸を手に取って目の前にある料理を食べだす。
和、洋、中と様々なジャンルがあり、調和と言う意味では全く成り立っていなかったが、どれも食べれば、この世の物とは思えない程の至福の幸せが訪れていて、織莉子の箸は止まることがなかった。
全ての食事が空になったのを見ると、織莉子は作ってくれた参院に感謝の念を込めて「ごちそうさまでした」と一言言う。
しかしグルメ細胞の覚醒がこんな美味しい食事を取るだけでいいのかと思っていたが、これ以上自分がここに居る理由もないと思って、一礼した後織莉子はその場を後にする。
「ユーよ。一週間後に会おう」
スタージュンは去り際、織莉子の背中に対して語りかける。
この言葉から一週間後にはまた来ることが分かっているので気を引き締め直して織莉子はその場を後にした。
織莉子が居なくなったのを見ると、スタージュンは二人を交えてユーに付いての会話を行う。
「楽しみな逸材だ。近々クロマド様に会わせてもいいかもしれないな」
「その前に第2支部の支部長へのランクアップが先だ。ボクはピカタの顔を見るだけでも虫唾が走るからな!」
「だがひ弱なのは問題だぜ」
スタージュンとトミーロッドは織莉子を評価し、これからのことを話し合うが、グリンパーチだけは弱点を責めて苦言を呈した。
「確かにユーの諜報能力は素晴らしいが、それ以外がてんでダメだからな。ある程度の実戦は出来なければ困るだろうよ」
「そんな必要はない! ユーはボクの物だ。ボクの物を傷つける奴はボクが許さない!」
「まぁ待て、調味料戦術ならば、そこまでの体力を必要としないだろう。私からリモンの方にかけあっておく」
言い争いになりそうなグリンパーチとトミーロッドを宥めるように、スタージュンはこの場を収める正解を語る。
正直な話トミーロッドはリモンに織莉子を会わせることが不安だったが、背に腹は代えられないと思い、渋々首を縦に振る。
「時にトミーよ。嘘は良くないな」
「何の話をしているのか分からないな」
「とぼけるな。もう分かっているのだぞ、ユーが女性だと言うことは」
自分とグリンパーチしか知らない秘密をスタージュンが気づいていることに、トミーロッドの顔は歪む。
グリンパーチの一件から、もしものことを考えてユーには男性として過ごすよう命令をしたが、こんな早くばれるとは思わず、トミーロッドは立ち上がってスタージュンを睨む。
「そう睨みつけるな。私は嘘は良くないと言っただけでそれ以上は別に何もない」
スタージュンの言葉に嘘偽りはないと踏んだトミーロッドは、馬鹿らしくなり乱暴に椅子に座る。
そんな二人のやり取りが面白くグリンパーチは葉巻樹を吸いながら、ヘラヘラと笑っていた。
***
織莉子は自室でパジャマに着替えた状態でベッドの上で一人苦しんでいた。
自分の体が変化していく感覚に苦しむばかりであったからだ。
まるでさなぎから蝶へと変わるような感覚に戸惑うばかりであり、その苦しみが感じられた自分が美国織莉子から美食會のユーへと変わっていく感覚を。
本日の食材
バーニングティラノ 捕獲レベル38
全身が燃え上がっているティラノサウルスであり、内部も燃え上がっているがトミーロッドの手で殺されてしまう。
肉は食用に向かないが、爪や牙は高温で熱せられても変化しない料理器具として重宝されている。
スリープビー 捕獲レベル22
一刺しすれば三日間は眠り続ける猛毒を持った蜂。
睡眠薬や新型の麻酔として重宝されている。
トライデントビートル 捕獲レベル29
角の部分がフォークになったカブトムシ。
天然のフォークは工具にも使われ、様々な用途がある。
と言う訳で美国織莉子がユーに変わるまでの前編部分になりました。
次回は後編の第2支部支部長になるまでを投下したいと思います。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。