エンペラークロウのひな鳥の治療から3日の時が流れた。
通常ならば、まだベッドに横たわって予断を許さない状態であるが、この世界の猛獣は回復速度も凄まじかった。
ひな鳥は猫じゃらしを片手に持ち上げて、からかうココに対してクチバシで猫じゃらしを捕えようとしていて、ココは捕えまいと華麗なステップで寸前のところでかわし、二体はダンスをするようにリハビリをしていた。
「ハハハ、こっちだよひな鳥くん!」
猫じゃらしを振りながらじゃれるココは満面の笑みを浮かべていて、トリコもここまではしゃぐココを見るのが珍しく驚いた顔を浮かべていた。
ひな鳥の治療が順調に進んでいることが杏子は嬉しかった。かつて助けられなかった少女のことがあったから。
どこか申し訳なさそうな顔を浮かべながら、杏子は後ろに居ると思われるさやかの魂を見ようとする。
だが自分の目にはさやかの魂は目に映らないし、その声も耳には届かない。
分かってはいることなのだが、自分の無力さを思い知らされると杏子はため息を一つつくが、頭の中にこびり付いた悪い考えを払拭するため行動に移そうとトリコの肩を平手で叩いて、自分の方に注目させる。
「あれがひな鳥ってことは親が居るってことだろ? 親鳥二羽の所在を見つけないと帰す時大変だろ」
もっともな意見を言われ、トリコは立ち上がってひな鳥が見つかった森へと向かおうとして、ひな鳥のリハビリをココに任せるとトリコは杏子を引きつれてジープに乗りこむ。
「もし傷つけた犯人見つけたら、死なない程度にボコボコにしておくからな~」
ジープを走らせながら去り際にトリコは軽い調子でココに言う。
トーンこそ軽やかな物だがその言葉に真摯な物をココは感じ取っていた。
トリコは食べるため以外の殺しを嫌い、イタズラに命を奪う輩を最も憎む。
トリコの言葉でココの中にも炎が宿る。
もしふざけた理由で目の前に居る幼い命を傷つけたと言うなら、自分も穏やかではいられなくなる。
怒りはココの体に変化をもたらす。
紫色の毒が皮膚の表面に浮かび上がると、顔面の皮膚が毒で覆われていく。
(しまった!)
感情が昂ると体内の毒のコントロールが出来なくなってしまうココは、慌てて気持ちを沈めるとひな鳥の方を見る。
だがひな鳥はココの毒を気にすることなく、遊びの続きをやってもらいたいと一鳴きしておねだりをする。
単純に自分の毒が恐れるに足らない物だと思っているのか、それとも内面を見ているから毒が自分への危害にならないことが分かっているのか。
エンペラークロウは知能が高く人間の言葉も理解できるのは知っているが、ひな鳥の真意が分からずココは不安そうな顔を浮かべてしまう。
毒人間として第一級の危険生物として隔離されそうになってしまったり、新たな血清を精製しようと多くの科学者やIGOの医療班から追いかけ回された過去は自分に隠者のような生活を送ることを選ばせた。
結果としてコミュニティの築き方が下手くそになってしまったココ。
だが目の前に居るひな鳥は人の助けを必要としている存在。
何とか表面上に浮かび上がった毒を体内に押さえこむと、未だにおねだりの鳴き声を繰り返して発しているひな鳥に向かって笑顔を浮かべると、再び猫じゃらしを使った二人のじゃれあいは始まる。
心に穏やかな気持ちが戻ると、早く目の前に居るひな鳥を親元に帰してあげようと言う思いが強まり、ココはトリコ達の吉報を待った。
目の前に居る優しいひな鳥には優しい家族に包まれるべきだと思っていたから。
***
ひな鳥の匂いを完全に覚えたトリコは地面に這いつくばって鼻を鳴らして、同じ匂いを探す。
絶滅したと思われるエンペラークロウが居る訳ないと言う先入観からか、初見は親の存在が全く頭に無かったトリコだったが、順調に回復しているひな鳥を見ると早く親元に帰すべきだと言う思いが生まれ、トリコは何度も地面に向かって鼻を鳴らして匂いを探す。
「トリコよ……森林浴に来た人たちが変な目で見てるぞ」
犬のように地面に這いつくばって鼻を鳴らす2メートル超えの大男。
この異常な光景に森林浴に来た一般人たちは汚い物を見るような目でトリコを見つめていて、中には関わらないようにと目を逸らして逃げ出す者さえ居た。
隣で普通に歩いている杏子はその事をトリコに伝えるが、トリコは意に介さずと言った感じで鼻を鳴らし続ける。
「別にいいよ。こっちには目的があんだ……ん?」
ここでトリコはひな鳥に近い匂いを感じると、勢いよく立ちあがって森全体の匂いを嗅いで詳しい所在を探そうとする。
頭の中で地図が思い浮かぶと匂いの元へまっすぐ突き進もうとするトリコは杏子を背中におぶさると一気に駆け抜ける。
木の幹に蹴りを食らわして、三角飛びの要領で次々と上へ上へと登っていき、一本一本が建造物並みの木の頂点が見え、飛び越えた先にあったのは深い森が全体を見渡せる光景だった。
はるか上空に飛び上がると、そこからトリコは頭の中で思い描いた目的地へ一直線に落ちていく。
落下のGが掛かると杏子は苦しそうな顔を浮かべるが、弱音を吐くのは自分のキャラクターじゃないと分かっているので、回した首に力を込めることでせめて怒りをトリコに伝えようとしていた。
そして着地の際更なる衝撃が杏子を襲い、体全体が痺れる感覚が気持ち悪く、ジェットコースターのように猛スピードであちこちを駆け抜けたため、足が地面に付く感覚すら思い出せない。
背中から降りて自分の足で大地を踏みしめると、自分が生きている実感を思い出す。
それと同時に襲ってきたのは突然の行動に移したトリコに対する激しい怒り。
「お前な! 目的ぐらい話してから行動に……」
文句を言おうとした杏子だがトリコが愕然とした顔を浮かべながら立ち呆けている姿を見ると何も言えなくなり、彼と同じ方向を見る。
そこに居たのは全身が白毛で覆われた老ガラスが二匹。
仲睦まじく二人で巣に倒れ込んでいるのを見ると、つがいだと言うことが分かり、死体のそばにはまだ温かい卵の殻があった。
これらの情報からひな鳥を産んですぐに夫婦は力尽き、生まれたてのエンペラークロウは何者かに襲われ、あれだけの重傷を負ったのだと予測が付く。
あまりに残酷な事実に杏子は目の前の死体から目を背けたが、トリコはその体を持ち上げジックリと観察をする。
そこである違和感に気付く。
確かに残された時間が長いとは思われないが、寿命で死んだとは思えなかったからだ。
今までの経験からお互いに残り一年ぐらいは命の灯があったと思われるが、急激な変化がこの二体の命を奪い去った物だとトリコは推理して原因を探ろうと体を持ち上げる。
(何だこりゃ……)
感じたのはあまりに軽い感触。
まるで綿でも持ち上げているような感覚にトリコは困惑するばかりであった。
20メートル大の怪鳥の大きさとは思えないほど軽々と持ち上げられた死体には中身が全く詰まっていない感覚を覚えたからだ。
更に詳しいことを調べようとトリコは懐からルーペを取り出して見ようとするが、それを制したのは小さな少女の手。
「調べるのは後でいいだろ。長引けばそれだけ醜く腐っちまう、親との別れが腐乱死体ってのは残酷すぎだろ……」
もっともな意見に対してトリコはルーペをしまうと入れ替わりに携帯電話を取り出してココに連絡を入れる。
話を全て聞くとココは電話口でも強いショックを見せているのが杏子にも伝わる。
恐らくは占いによって知っていた事実ではあるのだろうが、それでもひな鳥の立場になって考えれば苦痛が伝わるのだろう。
「すぐに向かう」とだけ言うとココは電話の電源を落とし、ひな鳥と一緒にトリコ達と合流していく。
待ち時間の間改めてトリコは原因を探ろうとルーペでジックリと体を眺めると、一つの事実に気付く。
まるで注射器で開けられたような小さな穴が無数にも付けられていた。
更に鉄分の匂いが全く感じられないことから、全身から血液が一滴も残っていないことが予測できた。
大体の情報がまとまるとトリコは頭の中でそれらをまとめようとするが、太ももに平手で叩かれる衝撃が伝わると後ろを振り向く。
「もういいだろ! ココが到着するまでに二体を地面に下ろして、墓を作る準備ぐらいしてもさ!」
見ると杏子の目には涙が溜まっていた。
二つの死体を見て一家心中のトラウマが蘇ったのだろう。
普段は見られない杏子の姿にトリコはショックを受けているのはココやひな鳥だけではないと実感させられてしまい、軽く杏子の頭を撫でると全身の血液を抜かれたエンペラークロウ二匹を抱え上げて、飛び降りるように地面へと降りる。
(ぜってぇーに……許さねぇ!)
今までの情報から人為的に二匹は殺された物だと仮説を立てたトリコ。
その行動はトリコの琴線に触れる物であり、トリコは激しい怒りを胸に秘めながら下りて行った。
絶対にひな鳥の両親の敵を討つと心に決めながら。
***
無残に変わり果てた両親の姿を見るとココもひな鳥もショックを隠せないでいた。
何度も両親に呼びかけるひな鳥に対してココはその体を抱きしめてあげることしかできず、そこからひな鳥も両親との永遠の別れが訪れたことを理解した。
別れのあいさつが済んだのを見ると、トリコは用意してあった墓穴に二匹をそっと入れると土を被せていく。
トリコがナイフで作り上げた即席の木製スコップを手に取ると、杏子とココも同じように土を被せていき、三人は終始無言のままエンペラークロウ二匹を埋葬するとトリコは適当な大きさの石を上に乗せて、墓前には名も無い花を一輪添えると、三人は並んで手を合わせて冥福を祈った。
ココは一番辛いであろうひな鳥の方を見ると、その体を抱きよせてずっと考えていたプランをひな鳥に告げる。
「大丈夫だ。確かに君は両親を失った。だが一人じゃない、ちょうどボクも一人で寂しかったところだ。だからもし君さえよければ、今日からひな鳥君はボクの家族だ……」
その言葉にひな鳥は小さく一鳴きして同意の意を示す。
ひな鳥が孤立しなかったことに杏子は安堵のため息をつき、トリコはココの孤独も知っていたため、彼に家族が出来たことに対して喜び拍手を送りながら一つの提案を持ちかける。
「家族なら名前ぐらい付けておかないとな。いつまでも『ひな鳥君』じゃ格好が付かないだろ」
もっともな意見に杏子も同意して頷く。
だがココはすっかり忘れていた重要な事項に対し、青ざめた顔を浮かべてしまう。
ここで「何も考えてない」などと答えれば、何を言われるか分からないと思いココは目の前のひな鳥を見ながら、彼に相応しい名前を自分の脳内にある単語をフル動員させて探し出して、一言つぶやくように言う。
「キス……」
「キス?」
初めて自分と同じように孤独を分かち合える家族が出来た喜び。
それはココに取って祝福のキスを受けたような感じであり、そこから反射的に『キス』と答えてしまうが、トリコはどこか納得が行かないと言った感じで困惑したように復唱する。
杏子の方を見ると彼女もトリコと同じような顔を浮かべていて、場の空気からこのワードは失敗だったことが分かり、ココは慌てて首を横に振ると改めて名前を言う。
「キッス……」
先程と大した変化が無いが、パニック状態になっている頭ではこれが限界だった。
苦し紛れに言った一言ではあるが、二人の方を見ると意外な光景が広がっていた。
頭の中でジックリとワードを咀嚼していくと、思っていた以上にしっくりと来る名前に二人とも納得の表情を浮かべて、その羽に手を添えて撫で上げてキッスを可愛がる。
「そう言うことだ。今日からお前はキッスだ」
「よろしくなキッス」
トリコと杏子も『キッス』と言う名前を気に入り、キッスは仲間として受け入れられた。
二人に撫でられているとキッスはむず痒そうな感じで体をよじらせ、包帯の存在をわずわらしく思っていた。
その様子を見るとココは目に力を込めて、キッスの容体を観察する。
異常な状態になっていた電磁波は全く感じられず、全てが正常に戻っているのを見てココは頃合いだと判断すると包帯を解く。
拘束が解かれたと同時にキッスは気持ちよさそうに一鳴きすると、翼を大きく広げて飛び上がり、自分の力だけで大空を飛んでみせた。
その様子にトリコとココは拍手を送ったが、杏子は生後三日で大空に飛び立てる存在のカラスに驚愕するばかりであった。
空を一回りするとキッスはココの元に戻って頬ずりをして愛情表現を行う。
キッスの心をココは笑いながら優しく受け止め、それをトリコも笑いながら見守っていた。
一人疎外感を感じた杏子はどうしていいか分からず、事に一応の決着が付いたのを見届けると自分の修行を再開してほしいとトリコに提案を出す。
「そうだな……犯人探しはグルメ警察に任せるとして、本来の目的を果たすとするか、まだ一回も成功してないからなお前」
トリコのGOサインを貰うと一行はジープに乗って、バルーンピッグの溜まり場である草原へと向かった。
その様子を物陰から見ていた影が一つ。
ラビオリは一向に気づかれないよう意識を消して木陰に潜んでいたが、一同の姿が見えなくなると姿を現して携帯電話で天気予報を見ながら今夜は曇りがちで満月が雲で隠れてしまうことを聞いた。
(今夜決行する……)
闇夜での戦いに絶対の自信を持つラビオリは自分の脳内で勝つイメージをまとめあげる。
トリコとココの生首をセドルの元に差し出す自分の姿を。
***
再開された修行は四日前と同じ光景が繰り返されていた。
相変わらず杏子は膨らんだバルーンピッグに潰されてしまい、そのたびに苦しそうに手足をバタバタと動かして巴投げで投げ飛ばす光景がリプレイされていた。
だが一つだけ変化があった。その様子を見守る視線が一つ増えたのだ。
キッスはココの隣に行儀よく座って杏子の修行を一緒に見守っていた。
一同の間に会話は無かったが、その信頼関係は見ているだけで伝わる。
三つの期待に応えるためにも杏子はノッキングガンを持つ手に力を込めるが、ここで一匹のバルーンピッグが妙な状態になっていることに気づく。
「どうしたんだお前?」
抱え上げたバルーンピッグは明らかに他の皆とは様子がおかしかった。
体は他の個体よりも縮み上がっていて、小刻みに震えていた。
素人目でも衰弱していることが分かっていて、どうしようかと思ってトリコ達の方を見るが、相変わらずキッスのことで盛り上がっている二人の邪魔をするのも忍びないと感じた杏子は最低限息があるのだけを確認すると自分なりの治療を試みる。
「取りあえずここにでも入っておけ」
そう言うと自分のパーカーの前を開き、胸元にバルーンピッグを入れると再びジッパーを閉めて、その体を覆い隠した。
(後は飯でも食わせて様子見ってところだな……)
この世界の動物は自分たちの世界のそれよりもはるかにたくましい。
温かくして栄養のある物を食べさせれば何かしらの変化は生まれるだろう。
もし一晩経っても変化が無ければ、その時はトリコ達に任せればいいと思い、杏子は胸元のバルーンピッグがしっかりと自分にしがみついているのを確認すると再びノッキングを施そうとうする。
だが相変わらず潰されてばかりであり、その様子を見て二人と一羽は面白そうに大笑いしていた。
この悔しさを必ずバネに這い上がってやると心に決めて、杏子はうっとおしそうにバルーンピッグを投げ飛ばすと再びノッキングを施そうとした。
自分の胸の中で自分の体温を吸って覚醒しようとしているバルーンピッグの鼓動を聞きながら。
***
食事の時間になるとこの日から今まで流動食だったキッスもココと同じ物を食べるようになり、全員は用意された食事がテーブルの前に並べられるとトリコの挨拶を皮切りに食事を始めようとする。
だがここで杏子は自分の胸の中に居たもう一匹の客に気付き、胸元からバルーンピッグを取り出すと空いている椅子に座らせた。
なぜここでバルーンピッグが現れたのかとトリコとココは困惑の表情を浮かべるが、杏子が事情を説明するとココは食事の前にと念には念を入れバルーンピッグの様子を見ようとする。
頬に手を触れると感じたのは生命の躍動。
恐らくは元々ひ弱だったのだが、ちゃんとした治療を受ければ元の生活に戻れるだろうと判断したココは食事を与えて、その後は同じように杏子の体温で温めれば問題ないだろうと告げると改めて食事が始まる。
許可が出るや否やトリコは目の前の料理にがっつき、杏子は食べながらも相変わらず小刻みに震えているバルーンピッグを心配し、スープをスプーンに入れて差し出すとゆっくりではあるが飲んでいくのが見え、その様子からココの診断は正しいことが分かり安堵の表情を浮かべた。
「優しいんだな」
その様子をテーブルを挟んで見つめていたココは一言つぶやくように杏子に言う。
突然のことに杏子は困惑した顔を浮かべるが、だがすぐにどこか辛そうな表情に戻って自嘲気味に返す。
「ただ思いついたことを反射的にやっているだけだ。結果も残せていない優しさなんて、自己満足でしかねーよ……」
それは自分への戒めなのか、それともココに対しての反発なのかは分からない。
だが結果として自分の優しさは誰も救えなかった。
家族もさやかも救えず、傷つけることしかできなかった自分はそんなことを言われる資格など無いと思っていたからだ。
妙な空気になってしまったのを払拭しようと、杏子は続けざまに食欲が出て来たバルーンピッグにスープを飲ませていき、体力の回復を図ろうとしていた。
結局杏子は自分の食事もそこそこにバルーンピッグに食事を与えることだけに専念し、満腹状態になったのを先程よりも体温が上昇したのを見て確認すると、再び懐に入れて治療を再開しようとして、この日は早めに休もうと寝室に向かう。
食事を終えたトリコは大きく伸びをする。それと同時に強い敵意を感じ取る。
それはココも同じことであり、二人の視線は窓の方へと向けられ反射的に手刀を突き出す。
放たれた手刀と同時に窓を突き破って突っ込んで来たのは円形状のノコギリのような武器。
二つ同時に放たれたそれをトリコははたき落とすように地面へと叩き落とし、ココは突き出した手のひらから紫色のゼリー状の物体を放出し、ノコギリその物をゼリーで包んで無力化させた。
突然のことに驚かされる杏子とキッスだが、杏子はトリコがはたき落としたノコギリに文章が書かれているのを見ると地面に突き刺さったノコギリを取って読む。
『エンペラークロウの両親が眠る墓の前で待つ。その場に居る全員殺すので遺書を残しておくよう』
明らかな挑発行為であると同時に杏子が思ったのは何かしらの罠が貼られている状態だと言うことに感づく。
こうしてわざと自分の元へ誘導すると言うことは、絶対的に勝つ自信があるということ。
それは今までの修行と魔法少女の戦闘の経験から理解でき、杏子は未だにうつむいているトリコに提案を出す。
「これは罠だ! まずは警察に連絡を取って……」
だがトリコは杏子の正論も聞かずに黙ってドアを開けて出ていく。
いつもはいきり立つ自分を止める役目であるトリコが無鉄砲な行動を取ることに杏子は困惑していた。
猪突猛進型ではあるが考えなしに行動するタイプではない。
どうしていいか分からず今度は冷静なココに意見を求めようとするが、ココも同じようにトリコに続くだけであった。
「オイ待てよ! アンタまで一緒に行ったら、総倒れの可能性だって出るだろ!」
「全員付いて来るんだ。下手にこの場にとどまったら人質になってしまう可能性もある」
ココは感情を殺した抑揚のないトーンで杏子に言う。
言われてみれば犯人が一人ではなく複数犯の可能性だってある。
ココの意見はもっともな物であったが、それでも冷静さを明らかに欠いている二人を何とか沈めようと杏子は説得を繰り返そうとするが、ココは手のひらを突き出して強引に杏子の言葉を止めさせた。
「人間……理性で止められない感情って物がある。ボクはキッスから両親を奪ったソイツを許すわけにはいかない、そしてトリコは生きる目的以外の無益な殺生を何よりも憎んでいる。他人に任せるつもりなど無い!」
想像以上の憤怒を感じ取ると杏子は何も言い返すことが出来ず、黙ってココの後を付いて行った。
こうなったら誰にも止めることは出来ない。それは自分自身もそうだったからだ。
だが感情を力に変えても、感情に流されるのだけは絶対に阻止しなくてはいけない。
もう何も失いたくない杏子は待っていてくれたトリコと合流すると、全員で果たし状を送った相手の元へと向かった。
二人分の怒りを感じ取りながら。
***
墓石を横に倒して椅子代わりにしてラビオリは一行の到着を心待ちにしていた。
何度シュミレーションを行っても勝つのは自分だと疑っていなかったからだ。
そこに明らかに怒りの電磁波をまとった一行の存在に気づく。
トリコを筆頭にココが続き、後ろに杏子とキッスと続く。
そこに居た全員がラビオリに対して怒りの感情を持っていて、墓が無残に荒らされているのを見るとココが駆け寄ろうとするが、トリコが右手を突き出して制止させるとトリコはゆっくりとラビオリの元に歩み寄る。
「よう……テメェだな、老エンペラークロウの夫婦を殺し、キッスを酷い目に合わせた糞ヤローは?」
「だったらどうしたと言うんだ?」
トリコの怒気がこもった質問に対してもラビオリは眉一つ動かさずに返す。
余裕を持った態度が気に入らないのか、トリコは無言でラビオリのローブを掴むと自分の元に持っていき睨みながらつぶやく。
「ぶっ殺す……」
短い言葉と同時にトリコの右フックがラビオリの顔面に放たれる。
だがフックが届く頃にはラビオリの姿は消えうせ、トリコの手に握られていたのは血塗られたローブだけであった。
「上を見ろ!」
杏子の言葉に一行は同時に空を見上げる。
闇夜の中でラビオリは宙に浮かびあがっていて、どんなトリックを使っているのかと一同は目を凝らして見ようとするが暗闇の中ではかろうじて人影を見つけるのがやっとであった。
だがここでココの視力がラビオリの全容を捕える。
「攻撃が来るぞ!」
怒りで頭が回っていないトリコにココの指示が飛ぶ。
言われてトリコが振り返ると同時に闇に紛れての飛び道具がトリコを襲う。
暗闇の中では獲物が見えず、トリコは大体の感覚で左手のフォークを突き出して飛び道具をはたき落そうとする。
だが飛び道具はトリコのフォークをかわして腕にまとわりつく。
「早く振り落とすんだ!」
慌てた調子のココの叫びを聞くと異常事態だと察し、トリコは地面に向かって腕を振り下ろすが地面に直撃すると同時にまとわりついていた何かは自分から離れて行った。
次の瞬間トリコを襲ったのはまるで思いきり走った後のような気だるい感覚。
左腕を見ると老エンペラークロウと同じように注射器で開けられたような細かな穴が開けられていて、そこから血が滴り落ちているのを見るとようやくトリコもからくりが理解できた。
トリコが空のラビオリを見上げると同時に雲が離れていき、満月が夜空を照らしだす。
月がラビオリの姿を鮮明に捕えると人間が空を飛び上がる原因が分かった。
「フン月が出たか、まぁいい。それでもオレの勝利に変わりは無いからな」
相変わらずの自信過剰ぶりであったが、目の前に広がった光景はそこに居た全員が驚愕せざるを得ない内容の物だった。
ラビオリの体を包んでいたのは幾多ものコウモリ。
完全にコウモリ達を手なづけているラビオリは高笑いをしながら、眼下に居る一同を見下していたが、トリコとココはラビオリが引きつれているコウモリの種類に驚いていた。
「あれは……『ダークバット』じゃねーか!」
コウモリに関しての知識は無いが、トリコの驚きようから相当な強敵だと杏子は推測する。
詳しい説明を求めようと、トリコのサポートに徹そうとしているココに杏子はダークバットのことを聞く。
「ダークバット……単体なら捕獲レベルは4。だが群れの場合の捕獲レベルは22。しかし未だに詳しい生態が明らかになってないダークバットを手なづけるなんて……」
捕獲レベルだけを聞けば27の鰐鮫を倒したトリコに取って、22は大したことはないのが分かるが、詳しいことが分かっていない未知の生物を手なづけていることに二人が驚いているのが杏子は理解した。
分からないことが多い敵であっても捕獲レベルが定まっている以上、戦闘力の測定はできているはずだ。
トリコの実力に今はすがるしかない、杏子は黙って彼とラビオリの戦いを見守ることを決め、邪魔だけはしないでおこうと静観を心がけるようにしていた。
「これが美食會の力だ! よく覚えておけ四天王トリコにココよ、いずれ全ての食材は我が美食會が牛耳る物だと言うことをな!」
叫ぶと同時にラビオリは急降下して着ていたシャツの内ポケットに仕込んでおいた先端に円形状のノコギリが付いた短い棒のような獲物を出す。
武器を見て真っ先に杏子が思いついたのはピザを切る時に用いるカッター。
だが今ラビオリが持っている武器はそこまで穏やかな物ではない、ボタンを押すとノコギリの部分が激しく回転を始め、獲物を切り裂こうと轟音を発する。
「食らえ! バズソースラッシュ!」
上空からの攻撃と攻撃対象が良く見えないことから、いつもならかわせられる攻撃も皮一枚のところで食らってしまい、トリコの腕からは勢いよく鮮血が吹き出す。
だが戦意は失っておらず、返しざまに左手を突き出してフォークの一撃をお見舞いしようとするが、攻撃はダークバットの突進によって無力化され、カウンターでの吸血攻撃を食らってしまう。
振り払おうと再び地面へ直撃しようとした瞬間、ダークバットは離れていきラビオリの元に戻っていく。
完全に自分の勝ちパターンになったことにラビオリは邪悪な笑みを浮かべながら、腰のベルトに仕込んでおいたノコギリを取り出すと、勢いよくココに向かって投げ飛ばす。
「お前の視力は警戒しなければいけないからな。バズソーブーメラン!」
この発言から事前に自分たちの情報を全て調査済みだと言うことが分かり、ココは気を引き締め直し杏子とキッスの前に立つと血液を毒に変換し、手から出した毒を血液中の血小板の作用を残して毒を凝固させた。
こうして作り上げたのは猛毒の刀。
「ポイズンソード!」
ポイズンソードの一撃で同時に放たれた二枚のバズソーは力なく地面に落ちていく。
あまりに単調な攻撃にココはため息をつき、挑発代わりとばかりにラビオリへ言い放つ。
「笑わせるな……こんな攻撃でボクの両目を抉れるとでも思っているのか?」
「抉れはしなくても一時的に視力を奪うことはできる」
ラビオリの言っている意味が分からず、一瞬困惑した表情を見せたココだがその意味がすぐに理解できた。
衝撃を受けたバズソーの中央部分から現れたのは噴射口。
真っ白な煙が勢いよく噴射されるとココの体を覆い隠そうとする。
本能的に危険な物質だと察したココは杏子とキッスを突き飛ばして、煙から遠ざけると自分自身が全ての煙を吸い込んで二つの命を守り抜いた。
だが代償はあった。
恐らくは一時的に視覚を奪う類の物なのだろう。ココの瞼は持ちあがろうとせず、目が見えない歯がゆさに苦しめられるばかりであった。
「これでオレの勝利は万全だな。今の内に何か言いたい事は無いか? 何でも聞いてやるぜ」
「テメェに言うことは一つだけだ……」
親友から視力を奪ったことにトリコの怒りは火に油を注ぐが如く燃え上がっていた。
怒りを足に込めて勢いよく飛び上がると、そのまま上空で釘パンチを放とうとする。
「ぶん殴ってやるから動くんじゃねぇ!」
パンチが放たれる前にトリコはダークバットの群れに襲われる。
ここで勝負を決めてしまおうとラビオリは全てのダークバットをトリコに送り込み、自分はそのまま重力に任せて落下していく。
トリコならばダークバットの群れを相手にしても勝利できる実力を持っているのは分かっている。
だがラビオリはトリコの信念を知っていた。
「食べる以外の目的で獲物は殺さないか? 下らない信念だな……」
ダークバットの肉は血生臭く食用には全く適していない。
何度か交わされた攻撃でもトリコは決して殺すだけの威力を持ってダークバットに攻撃を放たなかったことも分かっていた。
その信念を事前の調査でリサーチ済みだったからこそ、今回の勝負をラビオリは挑んだのだ。
信念によって実力を完全に発揮できないトリコ、視力を失ったココ。
武器を全て奪い取ってやったと確信したラビオリは未だに両目を押さえて苦しそうにしているココの元へゆっくりと近づくと、自分のバズソーを懐から取り出してトドメをさそうとする。
「その首……この美食會ラビオリが貰った!」
ノコギリの刃を回転させながらうずくまっているココの首目がけてラビオリは獲物を振りおろす。
だがこの瞬間にココの口元が邪悪に歪む。
攻撃のチャンスだと踏んだココは勢いよく顔を上げると同時に手刀で獲物を叩き落とし、更にはベルトに装着されたバズソーをその勢いのまま叩き落とす。
目も見えてないココがなぜここまでの動きが出来るのか分からず、ラビオリは驚愕の表情を浮かべていたがココは見下した表情を浮かべながら語り出す。
「分からないかな……さっきからジャラジャラとうるさい、その獲物の音で大体の位置と動きは把握できるってことがさ……」
僅かに鳴る自分のバズソーの擦れた動きだけで、あんな精巧な動きができることにラビオリは冷や汗をかく。
それさえもココは気付いているのか立て続けに語り出す。
「ゼブラほどじゃないけど、ボクだって聴力はそれなりの物だ。加えて言うとボクの一番の武器は毒だってことも忘れているのか君は?」
ココの嫌味に完全に委縮して恐怖していると更なる絶望がラビオリを襲う。
信念に飲まれたまま心中するとばかり思っていたトリコの方にも変化が現れたのだからだ。
血を吸おうと一斉に群がっていたダークバットたちが次々と逃げるように離れていく。
その異常な事態の正体を確認しようとラビオリがトリコの方を見上げる。
見上げた先に会ったのは赤黒く輝く太陽があった。
寒さなどで体温が下がった際、熱を発生させて体温を保とうとする現象『シバリング』
トリコの強烈なシバリングは自身の体温をコウモリが最も嫌う太陽の光と同レベルのそれにまで達させて、自らの体を太陽と勘違いさせるほどに高温の熱エネルギーを発させたのだ。
最後に残ったダークバットが離れていくのを見ると、トリコはシバリングを止め重力に任せて落下していき怒りに満ちた目で怯えるラビオリを睨んでいた。
「そう。俺は正当防衛と食う目的以外で獲物を殺すことはしない……だがテメェのようなドクズは話が別だ!」
顔全体を鷲づかみにすると口の部分に激しく力を込めて、トリコはラビオリの顎の骨を外す。
嫌な音が響くと同時にラビオリは喋ることさえままならなくなってしまい、赤ん坊のようによだれをダラダラと垂れ流しながらも逃げようとするが、ココによって逃げ道を閉ざされる。
その目を見ると自分を冷ややかに見下ろしていた。
普通ならば一日は瞼が上がらない強力な毒ガスのはずなのに、物の数分で視力が回復するココにラビオリは驚愕し、なぜそんなことができるんだと話そうとする。
「こんな軽い毒、ボクなら数分で抗体が作れるんだよ。お礼にいい物をプレゼントしよう……」
そう言うとココは指を一本突き出して、開けられたままの口に自分が作り上げた毒をラビオリに飲ませる。
何を飲まされたか分からないラビオリの恐怖を更に強い物にするため、飲ませた毒の説明にココは入る。
「今飲ませたのは神経を過敏にするタイプの毒さ。これにより君は……」
話している途中でココのショートジャブがラビオリの顔面にクリーンヒットする。
当てるだけの攻撃なので通常ならばすぐに相手を見据え返せられるのだろうが、今のラビオリに取ってはそれだけでも激痛が走り、駄々っ子のように地面にジタバタとはいずり回っていた。
「当てるだけの攻撃だけでも激痛が走る。覚悟するんだな……」
そう言うとココはトリコの方にラビオリを突き出す。
完全に怯えきったラビオリは目の前な獰猛な笑みを浮かべているトリコを背を向けて逃げようとするが、そんなラビオリに対してトリコは右腕に力を込めて自分の必殺技を放つ。
「二連釘パンチ!」
胸に目がけて放たれた釘パンチは二発綺麗に決まり、勢いよく後方に吹っ飛んでいく。
もちろん殺すだけの威力を持って放たれた物ではない。
シバリングと連続攻撃で予想以上に疲れているのもあったが、キッスからイタズラに両親を奪ったラビオリに制裁を加えるのはココの役目だとトリコは思っていたから、あえて手加減をしたのだった。
だが飛ばされた方向に気付くと、ココはハッとした顔を浮かべてすぐにラビオリと同じ方向に駆け寄る。
「ヤバいぞ! あの方向に居るのは……」
ココの慌てた叫びを聞くと、トリコもすっかり忘れていた事実を思い出し、一緒になって駆け寄る。
だが既に遅かった。
血反吐を吐きながらもラビオリは杏子の喉元にバズソーを突き付け、憎しみの目線を込めて睨みつける杏子を無視して、トリコとココに要求を叫ぶ。
「て……てめぇらの首さしらせ! でねぇとコイツころしゅじょ……」
顎がはまっていない状態のため舌足らずの状態になりながらも、脅しをかけるラビオリ。
だがこんな状態になれば普通は自分の身の安全を優先する物。
圧倒的な実力差が分かっていても未だに勝利にしがみつくラビオリに二人とも呆れていたが、杏子は憎しみと蔑みがこもった口調で答える。
「テメェ……どこまでクズなんだよ!」
「ウルセェ!」
「一言だけ忠告しておくよ」
興奮しきった杏子とラビオリとは対称的にココは冷淡に一言言い放とうとする。
「君死相が出ているよ」
「そうら……このガキころしゃれたくなければな……」
「アンコちゃんじゃないよ。お前だよ」
この一言で完全にラビオリの脳内から冷静さは無くなった。
自棄気味に振り下ろされた刃に対して杏子は首にかかる力が緩んだのを見ると、胸を突き出してバズソーの刃を胸で受け止めた。
「ブ――!」
だが刃を通じて感じたのはエアバッグのような激しい弾力のある膨らみだった。
懐に忍ばせておいたバルーンピッグは完全に健康を取り戻し、危険を察知すると自らの体を膨らませて自分の体を守った。
予想外の出来事に対応しきれず、ラビオリは勢いよく放り投げられる。
地面に着地して見上げた先に居たのは獰猛な笑みを浮かべたトリコとココ。
自分が助からないと分かると、ラビオリはその姿勢のまま1ミリも動くことなく固まっていた。
「ちゃんとアンコちゃんには後で謝るんだぞ」
「分かってるって……」
ココとトリコは世間話をしながらも双方同時に拳を振りおろしてラビオリに制裁を与える。
あまりに衝撃的な光景が広がっていく中、思わず目を背けてしまうキッスを見た杏子は自分ができることはもう何も無いと悟り、制裁を加え続けている二人に対して「先に帰る」とだけ言って、バルーンピッグとキッスを引き連れて家へと帰って行った。
月は再び雲によって隠れ、闇に包まれた森の中に愚か者の悲痛な叫びはいつまでもこだましていた。
***
翌朝通報を受けてグルメ警察が駆けつけた先にあったのは衝撃的な光景だった。
全身アザだらけのラビオリはかろうじて息をしている状態であり、全裸で逆さづりにされた状態のまま、グルメフォーチュンで一番大きな時計台の頂点に磔にされていたからだ。
胸にはラビオリが行った罪状が書かれていて、本人の同意書もあることから通報通りの犯人だと言うことが分かり、グルメ警察は多少困りながらもラビオリを引きつれて拘置所へと向かっていた。
無事にラビオリが警察に捕まったのを見届けるとココはキッスを引きつれて家へと戻って行こうとした。
その手には杏子の手によって健康を取り戻したバルーンピッグも居て、何度も嬉しそうに鼻を鳴らして杏子に感謝の気持ちを伝えていた。
修行の続きをやろうとトリコと杏子もその後に続くが、ココが一言杏子を見るとつぶやく。
「ボクの占いでは今日でアンコちゃんの修業は終了するよ」
ココの占いが良く当たるのは知っているが、全く出来なかったノッキングが今日すぐに出来るとは思えず、杏子は困惑の表情を浮かべるがそれにトリコも続く。
「ココの言う通りだ。もうお前は大丈夫だよ、食材に対して真摯な気持ちを持つことが出来たんだからな」
「そのつもりではあったんだけどな……」
恐らくはバルーンピッグの変化に気付き、思いやることができたことこそが食材に対しての真摯な気持ちなのだろうと杏子は思っていた。
自分でも普段から食べ物を粗末にするのだけは絶対に行わなかったが、いざ真摯な気持ちと言われるとやはり出来ていなかったのだろうと思い知らされるところがあり、杏子は力なく頭をかく。
「それともう一つ。その点に関して君は更なる高みへと登る。後はお楽しみってことにしておこう」
ココは含み笑いを浮かべながら答えるが、気になるような意地の悪い言い方をされて、杏子は追求するが、ココは笑いながらお茶を濁すだけで詳しく答えようとはしなかった。
二人のやりとりを見ながらトリコは杏子への侘びとご褒美を兼ねて、ある人物と連絡を取ろうと携帯電話をいじっていた。
画面には『セツ婆』と書かれていた。
***
黒一色の薄暗い部屋でろうそくの薄暗い明りだけを頼りに美食會の副料理長三人は同じテーブルで食事をしていた。
全員が自分で作った料理を終始無言のまま食べていたが、鉄仮面を付けた黒一色の衣装に身を包んだ大男は目玉が浮かんだ禍々しいスープを飲みながら語り出す。
「何のつもりでエンペラークロウを襲う指示を出した?」
大男は重厚な声を響かせながらトミーロッドに尋ねる。
骨付き肉をかぶりつきながらトミーロッドは知らぬ存ぜぬと言った感じのとぼけた顔を浮かべて話を終わらせようとするが、大男は上から無言で睨みつけるだけであり、トミーロッドに沈黙を許さなかった。
「ハイハイ分かりましたよ。ユーが調べてくれた獲物だからね、せっかくだから奪っておこうってね」
「お前正気かよ? エンペラークロウなんて大して美味くもねーのにさ、ゲテモノ食い?」
茶々を入れたのは鉄仮面の男よりも更に大きなバンダナの大男。
だが特徴はそれではない。男はまさしく特徴の塊と呼ぶに相応しい異形だった。
肩から腕にかけて禍々しい刺青が施されていて、本来ある腕とは別に浅黒い二本の腕が胴に移植されていて、真っ黒な眼の中には三つの複眼があるとても人間とは思えない姿の存在。
だがトミーロッドは臆することなく、うっとおしそうに異形の相手をしだす。
「失礼な事を言うなグリンパーチ! 食べるわけねーだろ、あんなもん。だがユーの情報収集能力を認めてもらうためには、より珍しい食材をだな……」
「とにかくだ……」
グリンパーチとトミーロッドの言い争いを止めるかのように、鉄仮面の男はゆっくりながらも威圧的な口調で割って入る。
「あまり独断で部下たちを危険な目に合わせるな。牛耳るにしても食材に対しては真摯でなくてはいけない」
「真面目だね本当にお前は……」
「ククク、真面目も真面目大真面目のスタージュン先生にそんな皮肉通用しないぜトミーよ……」
グリンパーチはスタージュンの警告に関しても相変わらず小馬鹿にするようにニヤニヤと笑うだけであり、トミーロッドはスタージュンの相手をするのが疲れる部分もあり適当に受け流していた。
二人分の皮肉も意に介さず、スタージュンは自分の分の食事を終えるとそそくさと席を後にしていく。
食事を終えているのはトミーロッドもグリンパーチも同じだが、グリンパーチは葉巻樹に火を点けて食後の一服を楽しんでいて、トミーは出かける準備をしていた。
行先は大体分かっているので、グリンパーチは葉巻樹の煙をトミーロッドにかけながらからかいだす。
「また第二支部かね? 本当にご熱心だねお前は」
自分が嫌う刺激臭をかけられたことに不快な表情を一瞬見せるトミーロッドがすぐに無表情に戻すと、吐き捨てるように一言つぶやく。
「ボクは才能のある奴、そして実力のある奴が大好きでね。ユーは間違いなく、その素養を持った奴だ。だからこそ身寄りのない、あいつをボクは拾ったんだからな」
トミーロッドの脳内で再生されるのは初めてユーと出会った時のこと。
食材を探しに人の手の届かない島に行ったところ、ボロキレ同然の格好で倒れ込んでいるユーを見つけた。
普通ならば見捨てるところだったが、理由は分からないが直感的にトミーは倒れ込んだその体を抱え上げて、自分の元へと連れて帰っていた。
あの時なぜ自分があんなことをしたのかは分からないが、今にして考えればその時の自分の直感は正しかったんだと実感させられていた。
何かと気に入らないピカタを押しのけて、第二支部の支部長にもなれるだけの実力を持っている。
そんな逸材に出会えたのだから。
***
幸運にもユーにはすぐ出会えた。
だがトミーロッドの表情は不機嫌その物だった。
その顔には細かい擦り傷、打撲痕がいくつもあるからだ。
こう言ったことは決して珍しいことではない、何かと副料理長に目を付けられて可愛がられているユーがやっかみを受けるのは当たり前のこと。
だがトミーロッドがいくら尋ねてもユーは相手を教えてくれようとしなかった。
真意は分からないが、支部長になった時に全員クビにすればいいだろうと思い、トミーロッドはいつも通りユーを自分の眼前に立たせると、口の中で咀嚼を繰り返して胎内に宿している寄生昆虫の卵をすり潰していく。
「インセクトヒール!」
普段は絶対に使わない回復技をトミーロッドはユーに施す。
口の中で漢方となった痰と虫の死骸の合成物をユーの顔に放つと、傷口にすぐしみ込んで瞬く間に顔に残った傷は治癒されていくのが見えた。
トミーロッドのご厚意に対しユーは跪いて忠誠を誓うが、相変わらずトミーロッドは不機嫌なままだった。
「全く……謝るぐらいなら初めから怪我なんかするんじゃない。女が無意味に怪我なんかするもんじゃない」
これもまたユーとトミーロッドだけの秘密だった。
軽視されるからと言う理由からユーは自分が女性であると言うことは隠して働いている。
現在分かっているだけでも女性の美食會幹部はソムリエールのリモンだけ。
グルメ界に行ける数少ない逸材であっても、女性と言うだけでリモンのことを悪く言う構成員たちは少なくないのだ。
それらの現状を考慮し、ユーは普段は男性として働いているのだった。
だがトミーロッドがユーの性別を隠すのには別の理由もあった。
「ボクもなぜここまでお前が女性だと言うのをひた隠しにするのかは分からない。分からないがそうしなければいけない気がしてな……」
理不尽極まりない要求ではあるが、ユーは黙って従う。
その事実を隠さなければいけない訳を自分自身良く理解しているからだ。
「とにかくあまりボクの手をわずわらせるな。それと早くピカタの奴を支部長の椅子から引きずりおろすんだ。奴の顔を見ているだけで血が沸騰する感覚を覚える」
言いたいことだけ言うとトミーロッドはいつも通り、わざとらしく大きな足音を響かせて去っていく。
トミーロッドの姿が見えなくなると、ユーは自分で作り上げたお手製のペンダントをポケットから取り出す。
それはかつて自分の本体だった存在を模った宝石。
思い返すのは以前の世界での記憶。
白いマスコットキャラのような地球外生命体と契約してから、魔女と呼ばれる異形との戦いの日々の連続。
次第に摩耗していく精神の果てに自分が自分では無くなり、壊れていく様子が鮮明に思い返された。
そして何故かは分からないが、この世界に再び人間の肉体を持って転生できた。
そこをトミーロッドに拾われて現在に至るが、まさか前の世界で使っていた力が何のデメリットも無しに使いこなせるとは思えず、ユーは心底感謝していたこの世界にそしてトミーロッドに。
「トミー様……ユーはあなたのためなら、この魂捧げます……」
その忠誠の証として作り上げたソウルジェムの偽物を抱きしめると、ユーは心の中で願った。
トミーロッドと美食會全員の願い、全ての食材の独占とかつて美食神アカシアが残した。この世の食材全ての頂点GODの独占を。
本日の食材
ダークバット 単体なら捕獲レベル4、群れの場合は22
常に集団で行動している吸血コウモリ、群れに襲われたら大型の猛獣でも瞬く間にミイラとなってしまう。
肉は食用に向かないが、血液は塗料剤として人気がある。
と言う訳でラビオリとの決戦になりました。
後はユーに関してはほとんどオリキャラみたいになっちゃいました。ここに来た流れは大体書きましたが、その設定をこれからも追々生かしていこうと思っています。
次回ですがグルメタウンの話になります。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。