バルーンピッグの修行はココの占い通り、宣言した内に終了した。
そして終わるや否や速攻でトリコと杏子は家に戻っていき、相変わらずトリコに振り回されっぱなしの杏子はベッドへと潜るとすぐに深い眠りへと落ちて行った。
杏子が寝息を立てたのを確認すると、トリコは携帯のアドレスから『セツ婆』と書かれた番号に電話をかけると、コール音が三回もしない内に電話は繋がる。
「何じゃいトリコ?」
「セツ婆、ちょっと頼みたいことがあってな」
「言っとくがセンチュリースープの催促なら無駄じゃぞい。食材がお客を選んどるんじゃからな」
セツ婆こと『節乃』が言う通り、トリコは100年に一度だけ飲めると言われている伝説のスープ『センチュリースープ』の予約を節乃の店『節乃食堂』にしている。
その昔まだ冷凍保存や品種改良などの技術が無かった大昔のグルメ家達が、己のフルコースの食材を保存するために持ちよった大陸『アイスヘル』は年間マイナス50度の極寒の地であり、そのフルコース食材を保管した場所はきらびやかさから通称『グルメショーウインドー』と呼ばれていて、そこから100年に一度だけ発生する海洋エネルギー鉱物資源、メタンハイドレードが発生し、ショーウインドーの氷が解けて流れ出た出汁がセンチュリースープ。
多くの料理人たちが先達の知識と意見を参考に再現しようとはしているが、誰も本物のセンチュリースープを再現できた者は居ない。
だが『美食人間国宝』とまで呼ばれ、多くの食の功績を残した節乃ならとトリコは思い、ちょうど再現しようとしていると言う情報も聞いたので一年前から予約を入れているのだが、今節乃が話したように食材の気分で客に最高の状態で出すのをモットーとしている節乃に催促は無駄なことだった。
「そうじゃねーよ。実はだな……」
トリコは節乃にお願いしたいことを一語一句丁寧に伝える。
自分がとある事情から杏子を拾うことになり、現在一緒に暮らして美食屋の教育を施していることや、がんばっている杏子に対してご褒美と勉強を兼ねて『グルメタウン』に連れていきたいことをトリコは節乃に伝えた。
トリコの真意を知ると、節乃もまた彼の心に応えようと答えを出す。
「なるほどの……そういうことじゃったらええぞい、明日そのお嬢さんと一緒に来るのを待っとるぞえ」
「サンキュー! セツ婆!」
節乃の了承を得るとトリコは電源を切って、自分もまた来るべき時に備えておこうとクローゼットを開いて正装用の白いスーツを取り出す。
行くべき場所へと合わせるために。
***
朝強引にトリコに叩き起こされると同時に杏子は目的地も教えられずにグルメ列車へと乗せられ、ほとんど着のみ着のままの状態で目的地も教えられずに列車の中に居た。
この手のことで抗議をしてもトリコはヘラヘラと笑うだけであり、まともに取り合ってはくれない。
半ば諦めかけながら列車に揺られて着いた先にあったのは『グルメタウン中央ステーション』だった。
そこは一日の駅の平均利用者数が2500万人以上の巨大ステーションであり、人の大群に杏子の目は点になっていた。
またどこか猛獣が出るような危険地区に連れていかれるとばかり思っていたのもあるが、この世界にも発展した都会があると言うことに驚かされていた。
だがそれでも相変わらずの規格外の人の量に圧倒されてしまい、杏子は呆けるばかりであって列車から中々下りられないでいたが、トリコに手を取られると同時に強引に列車から下ろされていく。
「今回の修行だが、ずばり食に対しての礼儀だ!」
「テーブルマナーに関してのってことか……」
体を動かす方が得意な杏子に取って、テーブルマナーと言った類の物は彼女がもっとも苦手とするジャンルの一つであり、杏子は苦い顔を浮かべていた。
中央にそびえ立つ天にまで届きそうな塔『グルメタワー』を見る限り、相当に厳しいことを要求されるだろうと思い、杏子は胃が痛くなる感覚を覚えた。
だがこれは修行に対して心構えが出来ていない自分のミスだ。
普段はラフな格好のトリコが珍しくスーツ姿の正装でいる辺りで、大体のことは予想してなくてはないけない。
教えてもらうばかりでは成長できない、マミの元から離れていっても、自分はガムシャラに魔女たちを狩り続けることで成長して行ったはずなのに、いつの間にかトリコに甘えている自分が居た。
これは明らかに怠慢だと感じ、杏子は覚悟を決めトリコに手を引かれながら入場口へと到着した。
受付では係員がグルメIDの提示、もしくは入場料一万円を求めていた。
トリコは自分のグルメIDと杏子の分の入場料一万円を黒いクレジットカードで支払うと、そそくさと入場していく。
ここでようやくトリコは杏子の手を離し、並んでいる多くの屋台に目をハート型に輝かせながら、ゲロルドのケバブを見つけると一串丸々貰い、焼き鳥でも食べるような感じでかぶりついた。
(あんな姿になっちまって……)
かつて自分に死の恐怖を与えたゲロルドが串に刺されて食べられていく様子を見て、杏子は感慨深い物を覚えて目に軽く涙を浮かべてしまう。
以前だったら思いもしなかった感情だが、この世界に来てからますます食に対して真摯に向き合うようになった。
食べると言うことはとても大事なことであり、生きるために命を分けてくれたゲロルドに対して感謝の念を忘れてはいけない。
改めてそう思うように心に決めると喉が渇いた感覚を覚える。自分の分の小遣いをポケットから取り出すと杏子は目の前にある自動販売機の前に立つ。
「やめておけ、お前じゃ買えないぞ」
トリコに言われると杏子は自動販売機の値段に目をやる。
一つ一つが10万円の高級ワイン並みのジュースが並ぶことに杏子は愕然となったが、この世界に来てからトリコが持っていた書物を読み漁り、自分なりに得た知識で物を見るとその値段も納得の結果だった。
『水晶コーラ』『レモモン絞り100%』とどれも高級ドリンクであり、自分の小遣いで買えないのは当たり前。
こんな物が普通に置いてあることに驚く杏子だったが、ゲロルドのケバブを食べ終えたトリコが自動販売機に付いている星の数を指さすと説明に入る。
星の数が多ければ多いほど、より貴重なドリンクが売られる。
今目の前にある自動販売機は星三つなのでこの値段となる。
自動販売機ですらこれだけの大金が動くことに杏子は驚きを隠せないでいたが、トリコは更に詳しい説明をしだす。
そもそも自動販売機は治安の良い場所にしか置かれない、道端に金が落ちているのと同じだからだ。
特にグルメタウンでは高級食材の盗みを働く輩も多く、町が警備システムを引いている。
無銭飲食だけでも数秒で警備が飛んできて、刑務所行きになることを告げるとトリコは星が一つの自動販売機の前に杏子を案内する。
星一つの自動販売機の中にあるのは杏子の世界でも馴染みの深い普通のコーラやオレンジジュース。
だが驚かされるのはその驚異的な値段の格差。
10万円と言う缶ジュースにしては非現実的な先程のそれに対して、こちらのジュースの値段は一つ10円。しかも一缶がドラム缶並みの大きさであった。
圧倒される部分もあったが、どんな物だろうと言う興味もあり、気が付けば杏子はフラフラとポケットから10円玉を取り出してコーラのボタンを押す。
すると取り出し口から襲ってきたのは見本通りのドラム缶並みの大きさのアルミ缶。
勢いよく噴出されたそれに押しつぶされてしまい、杏子は苦しそうにうめき声を上げるが命に別状はないと判断したトリコは笑いながらその様子を見ていて、自分は『ホネナシサンマ』の炭火焼きの屋台へと向かい、屋台のホネナシサンマを全て買い占めていた。
薄情なトリコに怒りもしたが、これぐらいのことを一人でできなければ笑い物だと思い、根性を見せて自分の身長と同じぐらいの大きさのコーラを起き上がらせると、プルタブを開けようと爪を立てるが大きすぎて思うようにいかず、フラストレーションだけが溜まる一方であり、飲もうとしても抱きつくような感じになってしまい、缶ごと倒れ込んでしまい何度も何度もコーラ缶と杏子の格闘は続けられていた。
額に血管を浮かび上がらせながらプルタブを開けようとするが、プルタブはビクとも動かずに逆に反動でプルタブに顔面を勢いよく叩かれてしまい、これに完全に激怒した杏子はコーラの缶を蹴り飛ばすと、そのままトリコと合流しようとするが中身の入ったコーラをそのままにしておくことを持論の否定だと感じ、改めてジッと見つめる。
恐らくは自分にピッタリと付いているさやかがこのままの光景を見れば、何を言われるか分からない。
また喧嘩になってしまうと自分の中でシュミレーションを重ね、取りあえずは一旦起き上がらせるが、とてもではないが飲む気になることはできず、こんなことでトリコを呼ぶのも馬鹿馬鹿しいと思って途方に暮れていたが、杏子の視界に三人の男性が目に飛び込む。
まるで縄文時代の原人が着るような毛皮を着た三人の男性はグルメIDを持ってないらしく、1万円の高い入場料を取られたことにげんなりとした顔を浮かべていた。
見るからに金とは無縁そうな男たちを見かけると、杏子の中で名案が閃いて男たちに声をかける。
「オイ、そこの縄文人ども」
「オレたちのことか?」
杏子に声をかけられると三人の中でリーダー格と思われる肩まで伸びた長髪に口髭を蓄え、背中に大き目の斧を持った男が答える。
男の問いかけに対して杏子は小さく頷くと、コーラの缶を倒して転がすようにしてリーダー格の男に手渡す。
「何があったか知らないけど、あんまりシケた面浮かべんな。そんなんじゃボンクラに思われるぞ。これやるから景気の悪い顔を浮かべるな」
「おおこれはかたじけない、感謝するでござる」
突然武士語になったリーダー格の男に、恐らく舎弟と思われる二人の青年は呆れた顔を浮かべていたが、無事にコーラを粗末にすることなくちゃんと受け渡したことを確認すると杏子は小さく「じゃあな」とだけ言って、トリコの後を追う。
男はドラム缶並みのコーラを楽々と起き上がらせると、プルタブに爪を立てて勢いよく開ける。
すると襲ってきたのはコーラの洪水。
何度も杏子とコーラの格闘が行われていたため、激しいシェイクが缶の中で繰り返されていた。
そんなことをやり続けていれば当然中の炭酸は缶から勢いよく放出される。
コーラに下から殴られたリーダー格の男はコーラ塗れのまま、後方へ勢いよく倒れ込む。
「ゾンゲ様!」
舎弟二人は自分たちが慕う男『ゾンゲ』が顔面コーラ塗れで倒れ込んでいるのを見て駆け寄るが、ゾンゲは懐から携帯電話を取り出して救急車を呼ぶと自分の現状を伝える。
「スイマセン……コーラにアッパーカット食らわされました。救急車を一台……」
簡潔に分かりやすく現状を伝えたゾンゲだが、職員はイタズラだと思って相手にもせず無言で電話は切られた。
苦しそうに嗚咽を繰り返すゾンゲに舎弟二人はオロオロするばかりであり、この騒動は警備員が到着するまで止むことはなかった。
だが全員が気付かないでいた。ゾンゲの胸元に偶然送られた黒いクレジットカードが付いていることに。
***
本来の目的を果たす前にとトリコは杏子を引きつれて、食事を楽しもうと『シャクレノドン』で出汁を取った『しゃくれラーメン』へと向かい、二人で濃厚なしゃくれラーメンを楽しんだ。
初めの一口でしょう油ラーメンのようなあっさりとした感覚だったが、次に襲ってくるのは豚骨ラーメンのような濃厚さを感じ、杏子は初めて食べる感覚に感動さえ覚え、その感動をトリコと分け合いたいと思ってトリコの方を向く。
すると広がっていたのは予想通りの光景だった。
わんこそばを食べるが如く、ガツガツと食べ続けるトリコに対して店員たちはてんやわんやの状態になっていて、対応に追われていた。
相変わらずのトリコに杏子は呆れていたが、他に行列を作って待っている客のため、キリのいい100杯目でしゃくれラーメンを食べ終えると、会計へと向かおうとする。
会計の段階で200万円と言われ、杏子は何も言えなくなってしまい、その場で真っ白になってしまうがトリコは気にすることなく、いつも自分が使っている限度額無制限のグルメクレジットで支払おうとするが、いつも胸ポケットに入れているはずのそれが無いことをおかしいと思い、記憶を呼び起こそうとする。
受付で入場料を支払ったと同時に繋いだままの手にクレジットカードをしまい、そのまま屋台へと走ったのを思い出すと、持っているのは杏子ではないかと思い、彼女に尋ねる。
「アンコお前持ってない?」
トリコに言われると杏子もまた記憶を呼び起こそうとする。
あれからズボンのポケットに一緒にカードをしまい、自動販売機の値段に圧倒されつつもポケットの中から10円玉を取り出して投入。
多分ポケットの中の小銭と一緒にあるだろうと思い、杏子はポケットの中をまさぐるがどこにもカードの感覚は無かった。
恐らくはどこかで無くしてしまったのだと思い、激しい罪悪感が杏子を襲い、レジの前に立つと素直に事情を話そうとする。
「あの皿洗いでもゴミ出しでもやりますんで、勘弁しては貰えないでしょうか……」
「いいよ、いいよ付けで、カードが再発行されたら今度払うからさ」
「200万円も付けでやってくれるわけねーだろ!」
杏子の突っ込みはもっともだったが、店主は構わずに「構いませんよ」とだけ言って事を終わらせようとする。
相変わらずのちゃらんぽらんぶりに杏子は驚愕するばかりであったが、それだけトリコが信用されているのだろうとも同時に思った。
だが次の瞬間感じたのは鋭い殺気。
これにはトリコも気付いたらしく、素早く振り返った先にあったのは自分に向かって襲ってくる使いこまれたステッキ。
顔面に向かって襲ってくるそれをトリコは当たる寸前にキャッチすると、物が投げ飛ばされて来た方向を見る。
「そのお嬢さんの言う通りじゃぞえトリコ! 食べておいて金を支払わんとは、食に対しての礼儀がなっとらんぞえ!」
怒鳴り声の先にあったのは玉ねぎのようにピンク色の髪の毛をまとめ上げた老婆。
一目見て杏子は確信した。今目の前に居る老婆の驚異的な戦闘力を。
魔法少女として戦ってきた戦闘経験、加えてこの世界での修業の日々は杏子に目利きの能力を持たせた。
相手の実力を正確に見抜くのは生き抜く上での重要な能力。
目の前に居る老婆がただ者ではないと判断した杏子はトリコの回答を待つため、トリコの方を向くと予想外の光景が広がっていた。
トリコは老婆を見た途端、バツの悪そうな表情を浮かべてわざとらしく口笛を吹いて誤魔化そうとしていたからだ。
それはまるでイタズラがバレたイタズラっ子が父親からのゲンコツを回避するための幼い行動にも見えた。
このトリコの行動から老婆がトリコ以上の実力を持っていることは明白であり、トリコは張り付けたような笑みを浮かべながら何とか話題を変えようと老婆に話しかける。
「あれ? セツ婆、もう約束の時間だっけ?」
「ごまかすでないわい! それにそのお嬢さん何も分かってないみたいではないか!」
何とか誤魔化そうとしているトリコに対して、節乃は正論で一喝してトリコを黙らせる。
節乃が言う通り、節乃のことを何も知らない、分からないと言った調子で相変わらず杏子は憶測で相当な実力差だと判断したまま、警戒心を解かずに厳しい表情で節乃を見るだけであった。
そんな杏子の緊張を解こうと節乃はフレンドリーな感じで話しかける。
「あたしゃ節乃……セツのんでいいよ」
いきなりあだ名で呼んでくれという気さくすぎる節乃に多少困惑する杏子だったが、悪い人ではないと言うことが分かると、こちらもまた節乃に返す。
「分かったよ、アタシはアンコだ。ただセツのんはちょっとあれだから、アタシもセツ婆でいいかい?」
「構わんぞえ」
初めて自分から『アンコ』と言ったことにも驚いたが、この世界ではこっちの方が自分の名前になっている部分もあり、杏子は半ば諦めた調子で言う。
双方の自己紹介が終わると、節乃は自分が食べた分とトリコたちが食べた分のラーメンの支払いをカードで済ませると、店を後にして適当なベンチを見つけると並んで腰かける。
まさか節乃が来ているとは思わず、トリコは相変わらず苦笑いばかりを浮かべるだけだったが、それでも節乃はトリコに対して説教を始めた。
反射的にトリコはベンチから降りて正座して節乃の説教を地面の上から聞いていた。
普段はなかなか見ることが出来ないトリコの姿に杏子は笑いを堪えるので必死だったが、説教とは別にトリコが鼻をつまみながら苦しそうにしている様子を見ると何事かと思い辺りを見回す。
「さすがゾンゲ様ですね! 初めて来たグルメタウンでも顔が聞くんですから!」
けたたましく響く声の方向を見ると、先程杏子がコーラを恵んだ縄文人の一行が目に映った。
ゾンゲはスポーツ刈りの舎弟の褒め言葉に対して、下品な高笑いを上げながら陶酔していて、胸元に下げているのは紐でくくりつけただけの黒いカードをペンダントのように付けていた。
「あれは……トリコのグルメクレジット!」
その瞬間杏子の中で全ての記憶が覚醒する。
コーラとの格闘のさいポケットからカードは落ちて、コーラの缶に付着。
その事に気づかずコーラをゾンゲに送ったため、いつの間にかゾンゲの元にカードは渡ってしまった。
恐らくはその様子からクレジットカードだとは分かっておらず、ゾンゲ自身もなぜタダで食事が出来るのか分かってないのだろう。
舎弟たちの褒め言葉に対しても作り笑いを浮かべながらもタダ飯が食べられ続けることに喜びを感じていた。
(多分、日頃から美食屋としてがんばっているオレ様に対して、神様からのプレゼントだろう、このカードは)
なぜカードを見せただけで食事代がタダになるのかは分からないが、ゾンゲは自分の都合がいいように解釈して豪快に笑い飛ばすと、次に何を食べようかマップを見ながら試行錯誤していた。
「あの野郎! 人の金で何を堂々とタダ飯食べてやがんだ!」
これに完全に激怒した杏子はベンチから飛び降りて、ゾンゲ達に立ち向かおうとしていったが、節乃に手を掴まれるとその体は空中で止まったままの状態になってしまう。
「よせ。変に騒ぎを起こせば警備がすっ飛んでくるぞえ」
「何でだよ!? 元々トリコのもんなんだから返してもらうのは当たり前だろうが!」
興奮しきっている杏子は節乃に対しても乱暴な言葉遣いになってしまう。
だがそんな杏子に対しても節乃は大人の対応で返し「そうじゃのう」と言いながら、宥めつつも杏子を座らせるとジックリとゾンゲ達を見つめて戦力の分析を終える。
「そうじゃのう……あのリーダー格のゾンゲと言うのが捕獲レベル2、その舎弟たちが1以下ってところかの」
「まぁそんなところだろうな」
節乃は一目見ただけで戦闘力の計算に成功し、トリコもそれに同意する。
実力は大したことないと判断すると節乃は懐から白紙の巻物を取り出すと、万年筆をポケットから取り出して勢いよく巻き物に文章を書いていく。
まるで機械で書かれているように物凄いスピードで文章が書かれていく。
だが文章はとても読みやすく流れるように読めるものであり、瞬く間に文章が絵付きで書かれていく様子に杏子は夢中になっていて、ある程度の文章が仕上がると杏子に手渡して読むように促す。
「とにかく暴力はいかんよ。相手は大した実力じゃないし、平和的に解決できるのならそれに越したことはないよ。暴力と言うのは一種の麻薬じゃ、使い過ぎればそれに溺れちまうぞえ」
何気なく言った節乃の一言が杏子にはとても重くのしかかった。
魔法少女だった頃、力に溺れていく自分を嫌悪しながらも力に依存することしかできず。
そしてさやかは力に振り回され、最後は自らの魂さえ人間としての形状を保てないまでになってしまった。
それに捕獲レベル2とは言え、グルメ細胞の移植も行われてない自分に取ってゾンゲは真正面から戦いあって勝てる相手とは思えない。
大人しく節乃の提案に乗っかろうと彼女が用意してくれたプランに目を通すと、見る見る杏子の表情は険しい物になっていく。
「何じゃこりゃ――!」
その悲痛な叫びは同じ物を読んでいたトリコも発し、二人はほぼ同時に節乃へと詰め寄る。
確かに暴力は一切振るっていないが、あまりにも非現実的なプランに実行するのを二人はためらってしまう。
だが節乃は気にすることなく、必要なアイテムを懐からポンポン取り出していくと二人にプランを否定する資格が無いことを無言で告げた。
「仕方ねーな……オレはやるぜ、お前はどうする? どうしても嫌ならオレ一人で済ませるけどさ」
「冗談じゃねーぞ、テメェのミスぐらいテメェでカバーしてやるよ!」
あまりに無茶苦茶な内容のプランなので、トリコは一人でゾンゲからカードを取り返そうとも提案を出したが、杏子は人任せにするのが嫌なのか自分のミスを他人にカバーしてもらうのが嫌なのかは分からないが、その怒気が含まれた口調から自分もプランに参加することは分かり、巻物を読みながらトリコと打ち合わせをする。
その様子を節乃は何も言わずに見守っていた。
トリコが話した杏子がどれほどの逸材かを見ていたかったから。
***
ゾンゲ達はパフェを食べ終えると、次に何を食べようかマップを見ながら考え込む。
まだまだ入りそうなゾンゲに対して、舎弟たちはいい加減胃袋の限界を迎えそうな状態であったが、上機嫌のゾンゲにそんなことは言えず、ただ黙って従うだけであった。
「そうだな。次は……」
「キャ――! 助けて――!」
試行錯誤している所に響き渡ったのは絹をも引き裂く少女の悲鳴。
ゾンゲが声の方向に目をやると着物姿で髪を御団子状態に丸くまとめ上げた杏子がゾンゲ達の元に走って向かい、それを追いかけていたのは模造刀を持って同じように着物姿のトリコだった。
まるで時代劇の中から飛び出して来たような二人に舎弟たちは呆れた顔を浮かべていたが、杏子に詰め寄られたゾンゲは何事かと思い杏子を見つめる。
「お助けください!」
「どうなされた娘御?」
ゾンゲは助けを求めてくる杏子に対して、自分が一番自信のある整った顔を浮かべて対応する。
相手にしない方がいいのではとアドバイスを送る舎弟二人を無視して、ゾンゲは真剣な顔を浮かべたまま杏子の話に耳を傾ける。
「悪い侍に追いかけられているのです!」
「何~悪い侍だと!? 拙者にお任せあれ! どこからでもかかって来んかい!」
完全に役に入りきったゾンゲを見てチャンスだと思った杏子は胸元のカードに手を伸ばすが、殺気に気付いたゾンゲはその手を取って勢いよく前方に向かって投げ飛ばそうとする。
「何してくれてんじゃ! この泥棒が!」
ゾンゲの力は凄まじく杏子の体はいとも簡単に投げ飛ばされてしまう。
トリコは慌てて彼女の体を抱きとめて地面に下ろすが、ここでトリコの中でも怒りが生まれる。
元々は自分のカードなのに勝手に自分の所有物のように扱うゾンゲに対して制裁を加えようと、模造刀で切る振りをする。
「あ――! や・ら・れ・た――!」
痛みが全く無いにも関わらず、刀で切りつけられたと言うだけでゾンゲはやられた振りをして倒れ込むが、倒れた後に全く痛みが無いことに気付くと、自分がおちょくられたことに初めて気づく。
逃げていく二人を見ると、沸々と怒りがこみ上げ、舎弟二人を引きつれて、その後を追った。
「待てやコラ!」
だがすでに二人の姿は見当たらず、ゾンゲは趣味であるRPGゲームの勘を頼りに二人を探す。
すると目に止まったのはどういうわけか道路のど真ん中で行われている工事。
警備員姿の杏子は笛を吹きながら蛍光棒を片手に誘導を行っていて、トリコはジーンズにタンクトップ姿で黄色いヘルメットを被ったガテン系の労働者の格好でユンボを鳴らして、地面を整えていた。
「何だお前は!? 今工事中なんだから入って来るな!」
瞳孔が開いた目で怒られると反射的にゾンゲは小さくなって「どうもスイマセン……」と言いながら平謝りしてしまう。
完全に油断したのを見ると杏子は蛍光棒の先端を突き出し、持ち手の部分に付着していた紐を勢いよく引っ張る。
その瞬間トリコはユンボを止め、耳を塞いで地面に伏せる。
クラッカーのように花吹雪と火花が飛び散ると、その轟音に舎弟二人は耳を閉じて苦しそうにしていたが、ゾンゲは何が何だか分かっておらず呆けた顔を浮かべていた。
人間も含め、全ての動物は音に畏怖する。音とは生き物が原始的に恐怖する最も原始的な現象。
この隙にグルメクレジットを取り返そうと杏子は耳栓を抜いて、カードに手を伸ばそうとするが、ゾンゲは突然照れ笑いを浮かべて、そのまま豪快に笑い飛ばす。
「ちょっと止めてくれよ! 今日はオレ様の誕生日じゃないぜ! いや、こういうサプライズ嫌いじゃないけどさ!」
クラッカーから誕生日のお祝いを連想してしまったゾンゲは顔を真っ赤にさせながら照れ笑いを浮かべていた。
警備が来るギリギリのレベルの音量にしたため、実戦では使えないのは分かるが、それでもゾンゲのレベルを考えれば威嚇程度には使える。
それなのに意に介さないゾンゲに圧倒されはしたが、ここで杏子は空になった蛍光棒でペンダントの紐の部分に引っ掛け、そのまま持ち上げると強引にゾンゲからカードを奪い取る。
「撤収!」
杏子の叫びと共にトリコもそのままそそくさと立ち去って行く。
一方のゾンゲは神様からの贈り物だと思いこんでいるカードを奪い取られ、怒りが最高潮に達して考えるよりも先に足が二人を追っていた。
「待てやコラ! ガチコン食らわしたるぞ! おんどりゃー!」
下品な口上を発しながらゾンゲは追いかけるが、ここで杏子は走りながら警備員の服を脱いで、下に着ていたいつもの服装に戻すと隣で走っていたトリコからスポーツバッグを一個貰い、手で追いやるように指示を出す。
「そうかい。後はお手並み拝見と行くぜ」
そう言うとトリコは勢いよく飛び上がって、三角飛びの要領でビルの壁を駆け上がって消えた。
杏子は節乃が用意してくれた道具を取り出す。
一つは幻覚を見せる赤いシール。もう一つは離れた場所から自分の声を一方的に相手へと送る青いシール。これらがそれぞれ3枚ずつ。
これをゾンゲ達に貼ろうと、曲がり角を曲がるとゴミ箱の影に隠れる。
そしてゾンゲ達が先に行ったのを見ると三人の背中にシールを投げつける。
各々に赤いシールと青いシールが貼られるのを見ると、杏子はバッグからリモコンと通信機のような物を取り出し、リモコンからは見せたいと思う映像を選び、通信機を通して何を話そうかと頭の中で考えをまとめ上げると行動に移す。
勝負はほぼ決着が付いたにも関わらず、目標を見失いながらもゾンゲは走り続け、舎弟2人はこれでいいのかと思いつつも付いて行った。
だがここでスキンヘッドの舎弟が目の前に起こった変化に気付くとゾンゲに助けを求める。
「ゾンゲ様、前!」
何が起こったのかと思いゾンゲが前を見ると、真っ黒なローブに血塗られた大きな鎌を持った髑髏が居た。
「死神だ――!」
見てすぐに思いついたことをゾンゲは叫ぶ。
狙い通りに事が運んだのを見ると、その様子を一歩離れたところで見ていた杏子は口元を邪悪に歪ませながら、通信機で今度は通告代わりの脅しを発する。
『貴様ら寿命を失う覚悟はあるのか!?』
舎弟二人は何のことを言っているのか分からなかったが、ゾンゲには思い当たる節があり、昔読んだ漫画が脳内で再生される。
自在に金を生み出せる黒いカードを使い続けた男の代償。
それは自らの寿命を金に変え続けた死神のカードを使い続けたため、寿命を迎えて購入してしまった冷蔵庫に潰されて死んでしまった。
まさか自分がその運命を迎えるとは思わず、ゾンゲの顔は瞬く間に青ざめていくが、舎弟たちの手前情けないところを見せるわけにもいかず、二人を後ろに持っていくと幻覚の死神の相手をしだす。
「やっぱりそういうことだったのか? おかしいとは思ってたんだが……」
『理解が早くて助かる。まぁ知らずに使っていたみたいだし、これ以上深入りしないと約束すれば寿命に関しても関わらないようにしておく、どうする?』
「分かった!」
提案にあっさりとゾンゲが乗っかったのを見ると、杏子は自爆スイッチのボタンを押す。
するとシールは蒸発するように消えてなくなり、同時に見ていた死神の幻覚も消えた。
再び平穏が戻ったのを体で確認すると、ゾンゲは深呼吸を何度も繰り返して落ち着きを取り戻させると、舎弟2人を起き上がらせて一言つぶやく。
「帰るぞ」
いい加減お腹も膨れていたので解放されたことが嬉しく、舎弟たちはゾンゲの後を追ってグルメタウンを後にした。
無事に暴力を使わずにグルメクレジットを取り返したのを見ると、杏子は力なくため息をつく。
これも修行の一つなのだとは思うが、あまりに情けなく感じていたのでどうしようもない虚無感が襲い、膝から崩れ落ちて呆けた顔を浮かべてしまっていた。
あんな馬鹿なことを堂々とやり続けていたことに今更になって羞恥心が襲ってきたからだ。
だがこれも自分がカードを不用意に渡してしまった結果。
普段から気を抜いていては野生の世界では通用しない。
この世界では一回も実戦での経験こそないが、改めて思い知らされた事実であり、いつの間にか忘れてしまったことを杏子は情けなく思っていた。
「よく頑張った。次は飯だ」
隣からトリコの声が聞こえると同時に自分の肩に大きな手がかけられる。
労いの言葉は杏子に取っては嬉しく、グルメクレジットをトリコに返すと差し出された彼の手を取って立ち上がる。
魔法少女として戦っていた頃はマミがそれをやってくれたが、そんな優しい彼女に対しても自分は怒りをぶつけて喧嘩別れをしてしまった。
改めて経験してみると、この手の言葉がどれだけ大事な物であったのかと言うのが杏子の身に染みた。
何にせよこんな高級店で食べるのだから、どんな物でも美味しそうだろうと思い、杏子は笑顔を浮かべたままトリコの後に続こうとするが、そこに節乃が合流するとその足は飲食店ではなく『グルメデパート』へと向かおうとしていた。
「まずは正装しないとなアンコ」
「ドレスを買うのか?」
杏子が恐る恐る節乃に聞くと、トリコは何も言わずに無言で頷く。
トリコの格好から思っていた事ではあったが、いざ現実を目の当たりにすると杏子は固まってしまう。
正装及び女らしい格好は一番自分に似合わないと思っているので、こう言う時にはさやか達のように学校に通っておけばよかったと心底後悔している。
学校の制服ならばどこに行っても決して恥ずかしくはないからだ。
だが高級レストランへ向かうのに正装をしなくてはいけないのは当たり前のこと。
観念したように杏子は二人の後に付いていく。
これまでの修行よりもどんな魔女との戦いよりもその足取りは重い物だった。
***
何度かの試着の後、節乃のアドバイスを参考にして杏子の正装は決まった。
着ている服装が恥ずかしく、杏子は試着室に引きこもったまま出ようとしなかったが、トリコが何度も呼びかけるのを聞くと、観念したように恐る恐る出ていく。
杏子が着ているのは服と同じ真っ赤なワンピースタイプのドレス。
まるでお城の舞踏会にでも行くような格好に杏子はまともに二人と目を合わせることが出来ず、一緒に買ってもらった黒いハンドバッグを片手にオロオロとしていた。
「よし準備は整った。膳は急げだ!」
全ての準備が終わったのを見ると未だにハイヒールを履きなれていない杏子に構わず、トリコは予約していた四つ星のレストランへと向かう。
本人いわくあまり敷居が高くない店だからリラックスすればいいと言われたが、こんな恰好をしなくては入れない店と言う段階で杏子は緊張して足が震えてしまった。
その手を取ってくれたのは自分よりもはるかに使いこまれた優しい手。
節乃は杏子をエスコートして、ゆっくりとトリコの後を追って、これからに付いて話し出す。
「大変じゃろトリコはあんな性格じゃからな」
「本当にそうだよ……」
愚痴を聞いてくれる相手が居ることから、杏子はトリコに対しての不満点を口に出していく。
口では悪く言っているが決して嫌っているわけではないのは表情と口調を聞けば分かることであり、節乃は適度に相槌を打ちながら答えていき、ゆっくりと手を離して杏子を先導するように歩きだす。
「まぁギャーギャー言いながらも、お主はトリコと一緒に飯を食べられるのじゃろ?」
「それはまぁな……」
「それなら大丈夫じゃよ、アンコお前さんは幸せもんじゃぞえ」
断言するように節乃に言われると一瞬杏子は困惑するが、続けざまに節乃は語り出す。
「一緒に食事を出来る仲間が居るっていうのは物凄い幸せなことなんじゃぞえ。できれば、あたしもアンコとそう言う仲間になれればと思っておるぞえ」
それは分かっていたはずなのだがいつの間にか諦めてしまっていた事実だった。
戦いの中で摩耗していく精神はそんな現実は自分には手に入らないと思っていたからだ。
何もかもがデタラメなこの世界で自分が何とかやっていけてるのも、一緒に食事を食べてくれるトリコを始めとし、自分を受け入れてくれた人たちのおかげなのかもしれない。
まだそれが確証にはなっていない、だがそれを確証にするためにもこれからもがんばっていこうと心に決めて、いつの間にか杏子は節乃を追い抜いてトリコの後に続いた。
(本当に楽しみなお嬢さんじゃ。あっという間にヒールでの移動を会得したんじゃから)
その成長速度を見ると節乃は含み笑いを浮かべながら、杏子のこれからを楽しみにしていた。
彼女もまた若い芽として順調に育ってくれることを祈りながら、節乃も二人の後に続いた。
楽しい食事会をするために。
***
帰りの電車の中で杏子はすっかり疲れこんでしまい、トリコの腕の中に抱かれながら小さく寝息を立てていた。
トリコに取っては学校で教えてもらった最低限のテーブルマナーも、杏子に取っては全てが初体験であり、歯を鳴らしながら何度も不安そうに節乃を見る辺り、相当緊張していたのだろうと思った。
だがこれはこれで楽しい思い出になったとトリコは確信していた。
それは杏子に穏やかな寝顔を見ていれば分かることだ。
そんな杏子の頭をトリコは優しく撫で上げると、年相応の無邪気な笑みを杏子は浮かべていた。
そして杏子は穏やかな夢を見ていた。
一つの可能性、あったかもしれない世界の夢を。
マミのマンションにまどか、ほむら、さやか、マミと集まり、全員でマミが用意してくれた紅茶とケーキを食べる穏やかなお茶会が開かれている様子。
儚い願望かも知れないが今だけは、この優しく穏やかな世界に浸っていたかった。
節乃の言葉で思い出したからだ。
誰かと一緒に食事が食べられると本当に幸せなことだと言うことを。
本日の食材
シャクレノドン 捕獲レベル4
その名の通り顎が突き出た翼竜。
シャクレノドンの骨から出汁を取った『しゃくれラーメン』はラーメンマニアの間でも人気を博している。
ホネナシサンマ 捕獲レベル2
軟体動物のように体全体に骨が無いサンマ。
普通のサンマよりも脂のりが良く、炭火焼で頭から丸かじりで食べるとビールが欲しくてたまらないと言う。
水晶コーラ 捕獲レベル19
煌びやかに輝く炭酸の泡が水晶のように見えることから、その名前が付けられた。
自動販売機のジュースといえども高級ワインに引けを取らない価格で、庶民には中々手が出ない商品である。
レモモン 捕獲レベル17
桃とレモンがくっついた果物、外はレモンだが中身は桃。
甘みの中にも微かに酸味のある味わいで、アルコールのリキュールとしても人気が高い。
今回はグルメタウン編の話になりましたが、杏子が活躍できてないとの指摘を受けましたので今回やってみました。
と言ってもまだグルメ細胞の移植を行ってない以上、これしか方法が無いと判断してゾンゲ様に登場していただくことになりました。
この人出ただけで作品のノリってのが変わりますね。徹底してギャグやるしか方法が無いと思ったのでこうなりましたが、マジでドラマCDみたいなノリになっちゃいましたw
次回ですがオリジナルの日常回エピソードをやろうと思っています。
次も頑張りますのでよろしくお願いします。