マイルームの床に鎮座する『それ』を眺める。
長大にして無骨。重厚にして剛健。
飾り気一つなく、ただ敵を屠るために存在するのだと言わんばかりの装い。
圧倒的存在感を醸し出す『それ』――ヴォーパルの剣。
ありす達の使役する悪魔を倒すため、必要不可欠にして唯一無二の武器。
しばし、その存在を己の心に焼き付けるように眺め、意を決する。
巨大な刃を支えるための、太く長い柄に手を伸ばす。
ゆっくりと添えるように柄へ触れ、両手で持ちやすいように掴む。
手に返ってきた感触は、剣の無骨さを表すかのように冷たく、味気ない。
息を、深く吐き、深く吸う。
自身の肉体、その頂点から底辺まで、それこそ髪の毛一本から毛細血管に至るまで魔力を充足させる。
全身の機能を限界まで底上げし、意識を鋭く冷たく研ぎ澄ます。
無駄な動きも感情も、一切を廃し、己を剣と一体化させるほどに集中する。
深く腰を落とし、重心を安定させ、己の力を溜めに溜める。
そして、体と心と意思を統一し――
溜めた力を爆発させ巨剣を一気に持ち上げる――――!!!
――1ミリも床から持ち上がらない。
「ぷにゃー!」
指を指して笑うなバカネコ。
さすがにでかすぎる。
魔術で身体能力を全力強化しても持てないのはしょうがない。
「その全力強化でのアイアンクローはらめぇ!頭パーンしちゃう!パーン!」
そもそもこんな巨大になったのはお前のせいだということを忘れないように。
さて、どうしよう。マジで。
何も考え付かないんだが。
「もう一回造り直してもらうとか」
マカライトがもうない。
そもそもラニも遠坂も次の決戦で忙しいからな。
ここまで手伝ってもらったうえに、さらに時間を貰うことなどできんよ。
「妙なところで律儀だにゃ、少年」
本来手伝ってもらえるだけでもありがたいものだ。
自分のサーヴァントのやらかした不始末に巻き込むわけにはいかないだろう。
「そうだにゃ。自分のケツは自分で拭くもんだぜ!」
そのケツを汚したのはお前だよバカネコ。
さて、本気でどうしよう。
礼装は持ち運ぶだけなら電子化すれば重さはない。
他の礼装も普段は電子化――ただのデータとして端末に収まっているので場所もとらないし重さも感じない。
だからこの剣も、ラニにもらってからマイルームに持ってくるまでは簡単だった。
だが具現化してみれば、床に沈むこの現状。
俺の持てる全ての力を総動員しても一ミリも動かせない。
この現状から考えつく作戦としては――
無手の状態のままネコのワープで接近し、至近距離で剣を具現化するとか……
「でも結局、剣を刺す必要があるにゃ。刺せるの?」
――無理。
具現化した瞬間地面に落とす光景が目に浮かぶ。
ならば……ワープ先を空中にして、剣先を下に向け、自由落下で刺すか――?
「ん~……それは賛成できにゃい。少年もわかってるはずにゃ」
……時間と距離、か。
礼装の具現化には端末を操作する必要がある。
端末の操作時間を考えると、かなり上空にワープしなければならない。
その分自由落下には時間がかかり、奇襲にはならない。
その上、距離があるせいで敵は回避にしろ迎撃にしろ選択肢は多くあるだろう。
重さのせいで空中では身動きが取れないだろうし、こちらの攻撃は一直線になってしまう。
そんな単純な攻撃が通用する、なんて楽観的に考えることなどできない。
……だめだ、まったく有効な作戦が頭に浮かんでこない。
この剣をこのまま利用できる作戦なんてあるのか?
そもそも、なんでこんな大きさにしたんだ。
命に関わることでのおふざけは流石に笑えんぞ。
「……ぶっちゃけ、少年が剣を持つこと自体、あたしは反対にゃ」
……だから、持てないほどに大きくしたのか。
「ん。あの使い魔に近づく行為は自殺となんら変わらんにゃ。それに……1回戦も2回戦も、少年は自分を前面に押し出した。それは、サーヴァントからするとやめて欲しいのよ」
心配されるのは嬉しいが……俺にも言いたいことがある。
俺はもう――お前と共に死地へ行くと決めたんだ。
隣を歩くぐらいさせろバカネコ。
「………………にゃっふっふ。戦闘後にうじうじしてた坊やが良く言ったもんだにゃ。反抗期?」
成長期だよ。言わせんな恥ずかしい。
まぁ、サーヴァントが心配してくれたんだ。
この剣を使って無傷で完勝してやろうじゃないか。
そのために……この剣をどう使うか考えなければな。
「少年がそこまで覚悟してるにゃら、一つ、裏道を教えよう。道具を改竄して、造型を弄ってしまえばいいにゃ。ムーンセルの用意した礼装とかオブジェクトは完璧すぎて少年の技量じゃどうにもできにゃいけど、その剣は穿いてない錬金術師が作ったもんにゃ。付け入る隙はあるはずにゃ」
――それだ。
思うが侭に、望む形に変えればいい。
俺の、自分自身の力で切り札を創ればいい。
遠坂のおかげで基を得て、ラニのおかげで型を成し、俺の力で形を創る。
あの2人の力に縋るだけじゃない。
自身の力を加えて、必殺の切り札をこの手にするんだ。
そのために、『ヴォーパルの剣』に触れる。
この礼装を書き換えるため、存在を解析する。
構成を読み解き、情報を理解し、状態を見極め、隙を見出し、改竄を施す――!
――あ、無理だこれ。構成ガッチガチすぎて手の施しようが無い。
「穿いてない錬金術師は格が違った」
改竄は無理だ。ラニの術式が完璧すぎて上書きはできない。
弄れそうな部分といえば――剣の形ぐらいか。
「にゃ?形を弄れるなら十分じゃにゃいの?この長さを短くすればいいにゃ」
形は弄れても、存在の基礎……簡単に言うと、体積と重量は変わらないんだよ。
つまり、刃を短くするなら、短くした分だけ刃の厚みを増すか幅を広くしてしなければならない。
それに、どんな形にしようが、結局重さは変わらないから持てない。
「……やばい?」
やばい。
どうしようもなく詰んだ。
――最後にもう一度だけマーボーが食べたかった。
「諦め早いにゃ少年!?頑張れよ!できるできるきっとやれるって!」
無理だよダメだよできっこないよ。
「一回戦のうじうじボーイよりダメダメににゃってる――!?成長期どころか退行してやがるにゃー!」
上がった株はいつか下がるもんだよ。その前が売り時。
「今の少年は下がりっぱなしでデフレスパイラルにゃ」
だから――脱却するために一石投じなければならないな。
「むむ?にゃんか思いついた?」
ああ。いつもの如く、お前に無茶してもらうことになるが――頼むぞ。
「にゃっふっふ。いつもみたいに自信なさげに聞いてこないあたり成長したかにゃ」
信頼してるってことさ。
さて、お前にやってもらうことは――――――
三回戦の決戦場に立つ。
今回の戦場は、アリーナと同じく極寒の大地。
大地は雪で白く染まり、風は吹雪となって身を引き裂くような冷たさを帯びている。
立っているだけで体力を奪われ、深く積った雪は歩くことを阻害する。
この環境も敵と言えるだろう。
時間はかけられない。速攻で動かなければ、いずれこの冷気に殺される。
今回は、対戦者に先駆け戦場へ来たので、この決闘場は静かさに埋もれている。
彼女達が来るまで少しばかりあるこの猶予に、戦いの準備をしておこう。
礼装『ヴォーパルの剣』を具現化する。
音も無く俺の手元に現れた巨剣は、その重さに従い大地へと文字通り沈んだ。
過大な重さが雪を押し潰して沈み、舞い荒れる吹雪によって沈んだ部分が埋もれていく。
少し待てば、大地へ垂直に突き立つような格好になった。
刃のほとんどは雪に埋もれ、柄が俺の腰ぐらいの位置にある。
剣は雪に埋もれほとんど隠れているが、見えている部分の刃の分厚さと広さは剣が巨大であることを隠さない。
この剣の埋もれ具合から、積った雪は俺の身長を遥か凌駕する量であると推測できる。
アリーナの様子から、決闘場も雪原だろうと予想していたが、まさに『想定通り』であった。
試しに柄を持って引き抜こうとしてみるが、やはり動かない。
剣自体の重さと、埋もれたことによる雪の重みが加味され、もはや俺の力では毛先ほども動かないだろう。
まぁ、ここまでは想定どおりだ。
わかりきっていたことだ。
俺にはこの剣を持つ資格なんてないってことは、わかってたんだ――
「涙拭けよボーイ。凍ってツララみたいににゃってるぜ」
鼻水拭けよバカネコ。鼻水ツララが牙みたいになってるぞ。
涙がでるのもしょうがない。剣を持って戦うことは全ての男の子の憧れなのだから。
「だとしても『そんな剣』持って戦う奴いたら指差して笑ってやるにゃ」
それは言わぬが華ってやつだ。
『こんな剣』があったら確かに爆笑ものだが。
――と、雑談は終わりだ。来たぞ。
「■■■■■■!!!」
何時かと同じように、頭上から獣声が聞こえる。
遠くから響くように広がった咆哮が、段々と大きくなり、こちらを押し潰すような圧力になる。
遥か彼方から、尋常じゃない質量と速度を伴う『ソレ』は、何時かと同じように空から落ちて大地を砕く。
前回と違い、舞い上がったのは土埃ではなく雪。
舞い上がった雪は、光を反射し輝く。
輝きに照らされる赤銅色の悪魔の威圧感は、いっそ神々しさすら感じさせた。
「■■■■■■!!!」
再度の咆哮。
ビリビリと空気が振るえ、悪魔を中心に波紋が白銀の大地に広がった。
「相変わらずぶっとんでるにゃー」
ネコの軽口に頷く。
何度見てもあのバケモノに慣れることは無いだろう。
俺達からおよそ300mほどの距離に落ちたというのに、その衝撃は俺達を貫いた。
あの悪魔は近接攻撃しか持たないが、この距離であっても生きた心地がしない。
『『こんにちわ、おにいちゃん』』
声が、頭に響いた。
空気を介した言葉ではなく、直接精神に呼びかける幼い声。
伝わってきた、波動のようなものを辿って視線を動かす。
声の主達は、落ちてきたバケモノのさらに後方、雪原の向こうにある巨大な城にいるようだ。
氷によって構成された白亜の城。
その城の上部、この雪原を全て見通せるような高さにあるテラスに少女達の姿が小さく見える。
『わぁ、大きな剣。ヴォーパルの剣、見つけたんだね』
『フフ……でも重過ぎて、おにいちゃんたら持てないのね』
『『意外と貧弱?』』
はっはっは。
――待ってろ小娘共。全力強化した力でお尻ペンペンしてやる。
「にゃっふっふ。その光景はバッチリ録画してやるぜ!」
やめてお願い。PTAに殺される。
雑談はここまでとして――ありす達、俺は正直に言うと、君達と戦いたくない。
この戦いを止めることはできないか。
『……おにいちゃん、わたしは――』
『フフ、戦いを止めたとしてどうするの?ここのルールはソレを許さないわ。ずっと此処であたし達と居るつもりかしら。それはそれで大歓迎だよおにいちゃん』
まぁ――そうだよ、な。
『それは夢想にすらなれないわ。おにいちゃんの言葉に可能性は無い。とても矮小な――自己満足の願望よ』
手厳しいなアリス。
確かに有得ないことを言った。
だが、言ってみるだけならタダだ。
それに、無駄であろうと……手を伸ばすか伸ばさないかは大きな違いだ。
例えそれが矮小な願いであっても、俺は最初から諦めたくない。
『……生意気。でも、いいわ。許してあげる。ありすがおにいちゃんを欲しがっているから。ふふ、あたしもね、おにいちゃんともっと遊びたいのよ。可愛がってあげる』
『あ――まって、アリス。わたしは――』
『行きなさい、ジャバウォック!四肢をもぎとって動けなくするのよ!』
「■■■■■■!!!」
アリスの命令にバケモノが吼える。
深く積った雪を跳ね飛ばし、まるで雪など障害にならないのだと言わんばかりに愚直にこちらへ突進してくる。
――ネコ、頼んだ。
「任されたにゃ」
短いやり取りで、ネコはバケモノへとジェット噴射で飛び向う。
ありす達と話すにはあのバケモノを越えなければならない。
この戦いの結末がどうなるか、どうしたいのか――それは未だにわからない。
だが、例え結末が望まないモノであったとしても……それを求めないまま終わることなんかできない。
何もしないまま、諦めたまま立ち止まるなんてできるはずがない。
だから――!
コードキャスト・空気撃ち【三の太刀】!
圧縮した空気の塊をバケモノの進路上に叩きつける。
一の太刀と比べ射程の増した三の太刀による魔術は、狙い通り遠方のバケモノが踏み出した足の前の雪を押し潰す。
そして、そこにあるべき雪の抵抗がないバケモノの足はバランスを崩しよろめく。
今だ、ネコ――!
「にゃふー!どう?あたしと一緒にワニ園へランデブーしにゃい?」
ネコがジェット噴射の勢いのままバケモノへと突撃する。
バケモノの胸へとぶつかり、回転をしながらその胸を穿つ。
『■■■■■■!!!』
「恥ずかしがるにゃよモンスター。大丈夫。お前にゃらワニにも負けないマスコットにだってにゃれるさ」
胸を削るネコを捕まえようと、両腕で抱き込むようにバケモノが動く。
だが、ネコは捉えようとする腕をヌルリとすり抜け上昇。
その勢いのままバケモノの顎を打ち抜く――!
「キャットアパカーッ!あたしだって波動昇竜竜巻キャラになれる、そう思った時期がありました」
顎を打ち抜かれたバケモノが大きく仰け反る。ぐらりと後ろへ傾くが倒れることは無い。
『■■■■■■!!!』
バケモノが腹筋で無理やり上体を戻し体勢を立て直す。
そして、空中にジェット噴射で浮かぶネコを睨みつけ大きく吼えた。
「今のでノーダメとかヘコむわーマジヘコむわー。スーパーアーマー付きで自動回復とかどこの12Pカラーにゃてめー!」
空中を旋回するネコをバケモノは一心不乱に追う。
怒りのままに届かない空へと手を伸ばすその愚直さはまさに獣だった。
少し離れた場所で棒立ちする俺のことはもはや眼中になく、攻撃をしたネコを第一の目標としたようだ。
俺は傍に在るヴォーパルの剣の柄を握り、『その時』を待つ。
策を練った、そのための準備をした、あとは相棒がやってくれることを待つだけだ。
「ねぇどんにゃ気持ち?必死に手を伸ばしても届かにゃいってどんな気持ちにゃの?」
空中をあっちこっちへと飛び回るネコ。
その姿は正に蝿に勝るとも劣らない。
「にゃー!それ褒めてるの?あたしの華麗な空中演舞を称えてるの?」
輝いてるよ。まるで火に誘われた虫みたい。
「その輝き燃えてるからじゃねーか少年。つまり命を燃やして飛ぶあたしは儚い生命に輝く蝶ということにゃのね。実にバタフライ」
前向きだねお前。
そうだな、本当に昆虫のような不規則な飛行だよ。実にドラゴンフライ。
「トンボじゃにゃいか!?」
不規則に飛ぶお前を両手を上げて追う赤黒いバケモノを見てると、夕日に赤く染まった子供が不規則に飛ぶ赤とんぼを必死で追いかけてる様子が目に浮かぶよ。
「にゃにそれ牧歌的。無垢な子供をあざ笑うように飛ぶとか――ちょっと興奮」
捕まったトンボは無垢な子供の手の中で――グシャリ。
「にゃにそれ無常。あながち間違ってにゃいところが現実のつらいところ。二次元にいきたいあたし」
お前の理不尽さは多次元すら凌駕してるがな。
UFOもびっくりの直角軌道で飛行するとは、慣性とか加速度とか物理法則どこいった。
「にゃっふっふ。謎多きあたしに興味津々にゃのね。その秘密は――WEBで!」
ここ電脳だから。
「つまり真実はいつも傍にあるってことにゃ」
犯人はこの中にいると同じぐらいうさんくさいな。
――っと、馬鹿話はここまでだ。
あちらさん、相当頭にきてるみたいだぞ。
『くっ――馬鹿にしてっ!なにやってるのジャバウォック!』
アリスの叱責に、悪魔の瞳が爛々と光る。
右足を前に出し、思い切り踏ん張りをつけ、跳躍の構えをとる。
張り詰めた筋肉がその溜めた力を爆発させれば、容易にネコのいる空中へと届くだろう。
そして、空中へ届くということはネコの敗北を意味し――その構えに俺達は勝利を確信した。
『跳びなさいっ!あのうっとおしいのを捕まえ――えっ?』
アリスの檄が――悪魔が消え去ることで止まる。
『え……きえ、た……?』
つい先ほど。
跳躍の体勢をとった悪魔が――消えた。
悪魔がいたそこには、いままでその存在があったことを主張するように、淡い光が漂っている。
この結果に、俺の考えた剣の造型が間違っていなかったことに安堵する。
「にゃふー!やったかっ!?」
やったさ。
ヴォーパルの剣は、あの悪魔に届いた。
「いやー。『あの剣』がうまく刺さってよかったにゃ」
まったくだ。
『あの形』で、正解だった。
最初はあんな『ぶっとんだ形』にするつもりはなかった。
装飾の追加などで体積を調整し、普通のサイズの剣にしようと思った。
重さはどうしようもないが、せめて持ちやすい形にしようと。
だが、普通の剣にしたところで、あのバケモノに突き刺す行為は変わらない。
そもそもあのバケモノに近づく時点で自殺行為だ。
ネコのワープを使えば相手の意表をつけるし、距離も一瞬でなくせるだろう。
しかし、相手の意表をつくとは、理性あるモノにしか通じない。
獣の如きあの悪魔では、意表をつく行動であろうがおかまいなしに暴れるだろう。
そして、一撃でも貰えばそれが死に繋がる。
ワープによる奇襲は成功率も失敗率も読めない博打になってしまう。
死中に活ありとも言うが、あのバケモノは所詮前座にすぎないのだ。
その程度の存在に毎度命を賭けていていては、この先の死闘で生き残れるはずが無いだろう。
だから、前座如き、笑って退けるぐらいやらなければならない。
あの程度の敵に命を賭けずとも勝たなければならない。
そう、ここは命の賭け時ではないのだ。
それは、弱腰に見えるかもしれない。
それは、臆病に見えるかもしれない。
だが、それは俺の覚悟だ。
何もしないまま格好良く立ち止まるのではなく……無様であろうと、格好悪かろうと、這いずってでも次に進むという意思だ。
故に俺は、考えた。
あの敵を完膚なきまでに無傷で倒す方法を。
あの程度、障害にすらならないと笑い飛ばす方法を。
そして閃いたのだ。
――長くしちゃえばいいじゃない。
『なんでジャバウォックが――!?』
ネコ、ワープでありす達の傍へ。
「にゃ。真祖ワープ!」
雪原の景色が揺らぎ、一瞬で氷の城のテラスへ切り替わる。
そこには、こちらを驚いた表情でみる白い服の少女と、ひどく狼狽している黒い服の少女がいる。
「なんで、どうしてっ!?あの子は無敵なのよ!?」
黒い服の少女――アリスは悪魔が急に消えたことにあまりに狼狽しているのか、俺達が近くへ来たことよりも先ほどの光景の理由を問いただしてきた。
――気づかないか、アリス。
あのバケモノが消えた場所を見てみるがいい。
「あれは……雪の中から剣先が――!?」
はっはっは。
刃の部分をカーブさせ、柄と剣先が平行になるようなU字型にしたんだ。
つまり、俺の横にまるで突き立つように見えている刃の先は、あの剣先まで繋がっているのさ。
刃を可能な限り薄く細く長くし曲線をつけるとなると強度が落ちるが、別に剣を叩きつけるわけではなく尖った先を踏ませるだけなら問題ない。
後は簡単だ。
ジャバウォックを誘導し、ほんの少し雪から出た剣の先っちょを踏ませればいい。
そう、先っちょだけ。先っちょだけでいいんだよ――!
「決闘場が雪原でよかったにゃ。じゃにゃいと、あの『すさまじい形』を隠せなかったし」
まったくだ。
「そんな……剣が、そんな変な形だなんて――!?」
そこは気づかれないように工夫した。
雪に隠れていない部分、俺の傍に突き立っている部分は、無骨で分厚い真っ直ぐな刃だ。
その見えている部分から、君達は巨大な剣が垂直に突き刺さっていると錯覚した。
そして、俺が巨大すぎる剣を扱えないから棒立ちで『何もできていない』と錯覚した。
実際は俺は剣を握り、罠にかかるのを待っていたんだがな。
「ちにゃみにあの剣。根元は見ての通りぶっといけど、雪に隠れてる部分は薄く細いにゃ。マジメルヘンにゃ形。ぷすー!」
こら、せっかく見えてないんだから黙ってなさい。
しょうがないだろ。
体積は変えられないんだから、刃を長くするならどっかを削らなければならない。
……俺もあの形が見えてたら笑いを我慢できる自信はないが。
「ところで少年――あれを錬金術師が見たらどう思うだろうにゃ?」
脅しかこの野郎。
決戦は秘匿されている。
ラニが見る事はできない。
「こんにゃところに高性能キャメラが――」
――ネコ缶2個で。
「――3個にゃ」
足元見やがって――いいだろう。
「にゃふー!」
――結局金を稼ぐために戦うのはお前だ。
「あるぇ?いつもと労力変わってにゃくね?」
そのかわりオシオキが増えたよやったねバカネコ。
「にゃん……だと……?」
「――ふざけないでっ!」
おい、怒られちゃったじゃないかバカネコ。
「え。あたしのせい?割と少年のせいじゃね?」
「決戦場がたまたま雪原だったから、こんなふざけた作戦に負けるなんて――」
一応、そのことも想定して決闘場に先入りしたけどな。
もし雪原じゃなければ穴を掘って埋めるつもりだった。
いままでの戦いで戦場が『傷つく』ことはわかっていたからな。
学園の強固なオブジェクトと違い、戦場のオブジェクトは簡単に破壊……いや、『干渉』できる。
ならハッキングで穴を掘るぐらいは造作もないさ。
まぁ、予想ドンピシャリで穴掘りの手間が省けたのはいいことだ。
とはいえ、あの悪魔が剣先を中々踏んでくれないから焦ったよ。
不規則な飛行のおかげでネコが同じ場所をぐるぐると回っていたのには気づかなかったようだな。
「いやー、地雷原の上を両手を上げて走りまわるモンスターにちょっぴり愉悦」
はっはっは。
顔のにやにやを馬鹿話で隠すのに必死だった。
「そんな――」
アリスは力が抜けたように項垂れる。
悪魔は倒した。
この少女達に直接戦う力はもうないだろう。
だから……
――ありす、もう戦いはやめよう。
「……」
白い服の少女――ありすはぼぅっとこちらを見ているだけで、反応がない。
どこか、遠くを見ているようで、吹けば飛ぶような、そんな淡い表情でこちらを見ている。
ありす、君を倒して終わり、なんてしたくない。
「……少年、それはだめにゃ。こいつらを倒さないと――」
すまん。少し、黙っていてくれ。
なぁ、ありす。
もう、戦いは――
「おにいちゃん。ありすは戦いなんてしてないよ?ありすは遊んでただけ」
その答えに、言葉を失う。
彼女は、戦いという意識すら持っていない。
誰かを倒す覚悟も、倒される覚悟も、何も……持っていない。
「わたしは遊んでいたい。それだけなの」
そういって微笑むありす。
その言葉に偽りなどなく、心の底からそう思っているのだろう。
「少年、こういうことにゃ。こいつにはそれしかにゃい。諭すことにゃんかできるはずがにゃい。『コレ』はその思いだけで動いている――」
――黙ってろ!コレなんて言うな!
ありす、君は遊んでいるだけかもしれない。だが、この世界は――
「うん。おにいちゃんがやめてっていうなら、そうする」
――ありす?
「……ほんとは、ね。わかってた。ありすには何にもない。もうすぐ、ぜんぶなくなるって」
なくなる、って、どういう……
「おにいちゃんの夢をみたあの日。思い出したんだ。ありすはもう、うごいてないって。あの白いへやで――しんじゃったって」
――っ。ありす、君は――!
「あのへやでずっとありすはモノだったの。しずかなモノ。だれもありすを人間としてみてくれなかった」
……夢にみた、あの白い部屋で。ありすは一人だった。周りにあったのは心音を計測する機械だけ。
彼女を心配する者など居らず、あったのは観測する物だけだった。
「でも、いいの。おにいちゃんに会えたから。おにいちゃんといっしょに遊べたから。すごく――すごく楽しかったよ。ねぇ、おにいちゃんは……楽しかった?」
――ああ、もちろん。
すごく、楽しかったよ。
だから……また遊ぼう。
「ありがとう。おにいちゃんは、やさしいね。でも……もういいの。もう止まったありすがうごきつづけることは、きっとわるいことだって……わかってたから。もう、きえるから――」
……
…………
………………ダメだ。
ありすが消える?
彼女が消えることは、聖杯戦争のルール?
――知ったことじゃない。
彼女が何をした。
誰かが何かが決めたルール如きで何故この子が消えなければならない。
それが当然だというのなら……そのシステムそのものが歪んで――!
「――少年!そこから先は、言っちゃだめにゃ!」
……どうすればいいかなんてわからない。
何が最善で、どれが最高なんてわかりやしない。
でもな、ネコ。
俺は言ったぞ。
俺は――何もしないまま、後悔だけは、したくないと。
「…………ありがとう。でも――」
「……そうよ。ありすが消えるなんて、だめ」
その声は、まるで感情の全てを削ぎ落としたように、静かで冷たかった。
「アリス……?」
ありすが声をかけるが、アリスの冷たい瞳は俺だけを貫いている。
「そうよ、消させない。ありすの物語は終わらせない。ずっとここで。くるくるくるくる廻り続けるの」
ぶつぶつと、小さな声で何事かを繰り返す。
俺を見つめる瞳は、俺のナニかを見つめ続けている。
その視線に、ごくりと唾を飲み込んだ。
まるで極寒の海に裸で飛び込んだような悪寒が――!?
「おにいちゃんの魂を捕える!そうすればこの戦いはありすの勝ちよ!ずっとずっと一緒にいるの!喜んでありす!おにいちゃんもずっと一緒だからあぁぁぁぁぁぁぁ!」
「アリス!?やめ――!」
宝具【クイーンズ・グラスゲーム】
「――っ!真祖ワー――!」
ありすの制止よりも、ネコの動きよりも先にそれが発動される。
空間が閉じる。
いつかの閉鎖空間よりも遥かに強固で重苦しい。
何もかもを拒絶し、何もかもを逃がさない。
聖杯の用意した氷の決闘場は塗りつぶされ、俺を逃がさないための牢獄へと変わる。
「なんつー性質の悪い固有結界にゃ!?いつもより増し増しでどす黒いとかー!?」
――ネコ、脱出は!?
「無理!解析に時間が――少年、逃げっ――!」
「剥き出しのその魂――――見つけたあぁぁぁぁぁぁぁ!」
アリスの瞳が俺という存在を捕え――!?
「つ・か・ま・え――――――――――あ、れ?」
今まで感じた最大級の恐怖は、アリスの呆けた声で消える。
彼女に浮かんでいた喜悦の表情はない。
瞳を大きく見開き、自分の腕を見て驚いている。
肘先から、消え去った腕を――
「な、に、これ――?」
「アリス!?手がきえて――」
「いや!?腕――ああっ!?足が!」
消えた腕に驚く間もない足の消失。
失った支えに、アリスが床へ倒れる。
彼女の右腕と右足が綺麗になくなっている。
何時も、どうやっても、わからない。
アリス自身もありすも俺も、何が起きているのかわからない。
一瞬の消失に思考が追いつかない。
――ネコ!?
「違う!あたしじゃない!何が――!?」
可能性の一つに声をかけるが即座の否定。
あの狼狽からアリスもありすも想定していない。
俺とて何が起きているのかわからない。
困惑している内に、残った手足が消え、遂には胴体の一部も欠損する。
だが、傷ではない。
傷ならば血が流れるはずだ。
今までの戦いでも、ネコは傷を負えば血を流したし、敵のサーヴァントもそうだった。
アリスの消失は、血も流れず、まるで最初から何も無かったように消え去っている。
だが、消え去った箇所の断面はまるで綺麗ではない。
無理やり千切ったように荒い断面で、消えた箇所からデータが消えるときの光が漏れている。
まるで、決戦の勝敗が決まり、敗者が消えるように。
だが、まだ今回の勝負はついていない。
なによりもあの消え方は――敗者のそれよりも『酷い』。
敗者のソレは、データが分解され淡く溶けていくようなもの。
アリスのコレは……データが破壊され消えていくように見える。
なんだ、いったい何が起きている――!?
「ああ!?嫌!嫌ぁ!食べないで!!やめ――!」
「いや!アリス!」
「ぁ――――ありす、ごめん――…………」
「ア、リス……?」
遂に、黒い服の少女は消えた。
残照もない。
そこにあったはずの存在は、微塵も残らず消え去った。
そして、次に待っていたのは――
「ぁ……わたしも、きえるんだね」
――ありす!?
勝者と敗者を隔てる半透明の壁が展開され、敗者が光になる。
サーヴァントが消えたのだ。
つまり、戦いは終わった。
当然といえば当然の結末。
だが、先ほどの異常事態は到底納得できるものではない。
――ネコ!
「無理にゃ。こうなってしまうと今のあたしじゃ干渉できにゃい」
――っ。
あまりに簡潔な返答に言葉がつまる。
聖杯戦争の結末としては当然のこと。
だが、それを平然と飲み込むことなどできるはずがない。
怒りのままに、いつかのように壁を殴るが、いつかと同じように微塵も揺るがない。
「ありがとう、おにいちゃん。わたし、いかなきゃ」
ありすの言葉に、否定を返そうとして――できなかった。
「あの子が泣いているわ。アリス、さびしがりやだから」
泣いていた。ぼろぼろと大粒の涙を流して――微笑んでいた。
「すごく、楽しかったよ。おにいちゃん」
何もかもを受け入れるような淡い笑みで。
「ばいばい」
光に消えた彼女に俺は――――――何も、言えなかった。
戦いは終わった。
最善も最高もなにもわからなくても。
何かができるはずだと信じて、絶対に諦めないと決意して。
過程と結末を受け入れると、覚悟した。
だけど。
俺は今、自分の足で立てているのかわからない。
その覚悟を全うできているのかわからない。
今、確かなのは。
消え去った彼女は、二度と還らない。
――その重い事実だけが、胸に圧し掛かる――
【 三回戦終了 32人⇒16人 】