学園の屋上、誰もいない閑静なそこで電子の空を眺める。
0と1が織り成す幻想的な空は人工物であっても感嘆するほどに綺麗だった。
だがその光景を見ても、今の俺にはなんの感動も与えない。
今も自分の頭には、あることが渦巻き、周りを見渡す余裕など欠片もないのだから。
――聖杯。
願いを叶える嘘のような本当の道具。
数多の人間が命を賭けて望む奇跡。
それを奪い合うのが、聖杯戦争……か。
物語のようなこの現状。
様々な情報を得てもまだ信じられないところがある。
まして自分が聖杯を狙う戦争の参加者であるなどと言われても、まるで実感が無い。
そもそも、俺は聖杯に望む願いなど持ち合わせてはいないし、命を賭けた戦いなど絶対に望んではいない。
だが、戦わなければならない。
そうしなければ――死ぬからだ。
聖杯戦争の勝者は1人。
ただ唯一勝者のみが生還できる。
その事実があるから、戦わなければならない。
そう、過去も記憶も名前すらも失った俺だけど、最後に残った命ぐらいは守りたい。
だから俺は生き残る――
「にゃっふっふ~にゃかにゃかのネコミミパワーを感じるにゃ。この戦い――新たなネコ戦士が生まれる――気がする」
――無理な気がする。
「しっかしいきなり屋上で黄昏れるにゃんて、ナイーブなお年頃かにゃ」
黄昏たくもなる。
いきなり戦えといわれた挙句、そのための武器が先割れスプーンだったんだから。
「あれの先割れってどんな意味があるのかにゃ。あたし的にはモロモロこぼれるのでオススメできねー」
本当にな。
あぁ、俺に渡された先割れスプーンの残念さといったらそれはもう酷いものだ。
「にゃー。先割れディスる少年は先割れに恨みでもあるのかにゃ。フォークでも寝取られた?」
むしろフォークがスプーンを先割れに寝取られた感じ。
もはやフォークの立ち位置なんてないんだよ。
「にゃにゃ!?つまりニャイフの1人勝ちってことかにゃー。あ、今ナイフとワイフかけたから」
気づかねーよそんな微妙なニュアンス。
あぁ、きっとナイフはスプーンを奪い合うフォークと先割れを見て笑っているさ。
「にゃっふっふ。食器の世界も爛れてるにゃー。奪われたスプーン、フォークの涙と先割れの絶望。ナイフは1人高笑い、そのときナプキンは――みたいな」
ここにきてナプキンが来るとは……わかってるなお前。
「にゃにゃにゃ~そりゃ少年の従属だからにゃーエッチ!」
言ってろナマモノ。
お前に欲情する日がきたらその日が黙示録だ。
――はぁ。
「にゃ?ため息なんかついてどうしちまったのトワイライトボーイ」
ため息だって出るさ。
これから戦うってのに、食器の関係について談義している現状にな。
「にゃふー。ためらいはここに捨てていきなボーイ。明日は地獄にランデブーだぜ」
まさにデスオアダイ。
行っても行かなくても地獄とかハードモードすぎる。
「それに飛び込む少年はマゾゲーマーだにゃ。せいぜい縛りプレイに悶えるがいいにゃ!」
お前がサーヴァントの時点でレベル・アイテム・スキルの全縛りだよ。
「つまりあたしは少年を縛り上げた女豹。女王様って呼んでもいいにゃ」
むしろお前はネコ科(笑)だけどな。
そもそもジェット噴射がでる時点で生物としてどうなんだ。
「あたしのスカートのにゃかは青少年の夢とか幻想とか妄想が詰まってるにゃ。ファンタジーアンドエクスタシー。覗いちゃだめにゃー」
ただのクレイジーだろ。
……あぁ、なにやってんだろ、俺。
「にゃー少年が暗黒面に陥ってしまった。このままではフォース的な力が乱れる!」
助けてくれ星の騎士達。
このバケネコから俺を救ってくれ。
「SOSならあたしがすでに聞きうけたにゃー!大船にのって星空へ飛び立つがいいにゃ!」
星の海でタイタニックとか死亡フラグ乱立どころじゃないな。
というか、頭の上でタップダンスをするな。
重いし痛いし揺れて気持ち悪い。
「ここにきてその突っ込みとは。保健室を出た辺りからずっとやってるのにスルーされてたからちょっぴり寂しいあたしのハート。受け止めてこの想い」
この学園、産業廃棄物の回収はやっているのだろうか。
「にゃー!せめて燃えるゴミにだしてー!」
それでいいのかお前の想い。
「燃えたハートは細かい塵とにゃって降り注ぐ。届けマイハート広がれマイラヴ」
なんというバイオハザード。
ショッピングモールに立てこもらなければ。
「にゃ?誰か来るにゃー。一応気をつけておくとそこはかとなく幸運ににゃれる気がする」
星座占い並みの胡散臭さをありがとう。
……屋上の扉を開けて誰かが来たようだ。
「一通り調べてみたけど、予選のときの学校と作りは同じようね」
辺りを見渡しながら少女が屋上へと入ってくる。
キョロキョロと周りを見てはブツブツと何かを言っている。
「あれ?ちょっとそこの貴方……」
こちらを見た少女が近寄ってくる。
急な接近に身構えることもできず、ただ佇むことしかできない。
「ふぅん……NPCはこんなに近くで見る機会もなかったし、ちょうどいいかな」
(少年、少年)
さらに少女が接近してくるが、耳元で囁く頭に引っ付くように乗っているナマモノに意識をやり、少女への意識をずらす。
(コイツ、ネコミミ族だにゃ。あのツインテはツンデレの証!)
ツインテールだからといってツンデレ扱いとは。
残念だナマモノ。お前の選評眼がその程度とは。
(にゃにゃ!?少年の目にはどう映ったのにゃ?)
いいか、よく見ろナマモノ。
彼女の胸部装甲を。
(ば、バカニャ!膨らみが、たしかな膨らみがあるにゃ!)
気づいたか愚か者め。
まな板かつツインテならばツンデレと断定しても良かった。
しかし、あの膨らみ。それだけでは収まらんよ。
(こ、これが少年の実力だと言うのかにゃ……!)
当然だ。
そして、あれがパッドではないこともこの距離ならば見て取れる――!
(そんにゃ、少年が心眼【胸】の使い手だったにゃんて――でも、甘いにゃ!)
――何だって?
(この聖杯戦争――アバターはカスタム自由にゃ!)
なん……だと……!?
(ちょっとした実力があれば、あらゆる箇所をカスタマイズ。そんじょそこらの美容外科だってお呼びじゃにゃい。それが――聖杯戦争)
そんな……神は、いないのか……
(神なんていないにゃ……ここに在るのは作られた世界と偽りのヒトガタ……少年は偽りの中で本物を求めるラヴウォリアー。ただし武器は先割れ、みたいな)
盛大にブーメランしてるぞ俺の武器よ。
「へぇ……NPCもよくできてるわ。温かいし、柔らかい。でも頭の人形はいけてないわねー」
(太陽ごとぶっ飛ばすぞツインテ――ところで少年、おんにゃのこにベタベタ触られてる感想は?)
思い出させるなナマモノ。
なんのためにお前の下らない話に付き合ったと思ってるんだ。
――意識しないためだろう!
(言い切りおったヘタレボーイ。にゃふふ。あたしには少年の暴れる心臓の鼓動が伝わってきてちょっとしたアトラクションみたいににゃってるにゃー!)
黙れナマモノ。
純情な感情が暴れっぱなしになる。
男の子にはそんな時があるんだよ。
「……それにしても造りこんでるわね……服の中はどうなってるのかしら……ちょっと見ちゃえ――」
「痴女にゃーーー!?」
――痴女だーーー!?
「誰が痴女かーー!って、え?」
「にゃ?」
――え?
「あなたマスターだったの!?」
えぇ、まぁ。不本意ながら。
「ちょ、ちょっと待ってよ。じゃ、じゃあ今調査でベタベタ触ってたわたしって――」
「痴女だにゃー」
「痴女言うな!アンタも笑うなー!」
俺は別に笑っていない。
明後日の方向を向いて憤慨する少女。
まるで誰かがそこにいるように振舞っている。
――あぁ、なるほど。
「少年、あれがぼっちのにゃれの果てにゃ」
脳内友達とは不憫な……
「誰がボッチかーー!アンタも爆笑するなーー!」
「あたしは少年がああにゃらないように傍にいるからにゃ……」
あぁ、ありがとう相棒――
「そこー!なんかいい話にしてわたしを可哀想な子にするなー!……はぁ、来て、ランサー」
少女がそう言った瞬間。少女の傍に青い人影がいた。
その姿は――
獰猛な瞳。
逆立った青い髪。
鍛え上げられた肉体。
そして……身体のラインを見せるピッチリスーツのその姿は――
「ククク!笑わせてもらったぜ!よぉ、坊主。オレは――」
「変態にゃーー!」
――変態だーー!
「誰が変態かーー!」
「アハハハハハ!」
なるほど、霊体化ね。そんなこともできるのか。
「普通のマスターはサーヴァントを霊体化しているわ。姿だって重要な情報になりえるしね」
なるほど。
聖杯戦争については説明を受けたけど、マスターとしての心得とかはさっぱりだから助かるよ。
「このくらい常識よ、常識……ところで、アレ……あなたの、サーヴァント……でいいのよね?」
あぁ、あの青い人にお手玉されてるUMAのことなら、遺憾ながら俺のサーヴァントだ。
「やめるにゃ変態!クルクル回すにゃー!」
「ははっ!なんだこいつ、オレの時代にもこんなのいなかったぞ!」
「にゃー!世界が回る、天が回る、地が回るー!もしかして今のあたしは世界の中心?」
「ははははは!」
「にゃー!世界の中心でモロモロぶちまけそうにゃーーー!」
遺憾ながら、俺の、サーヴァント、だ。
「そ、そう。その……なんかごめんなさい」
謝らないでくれ。
「はははは!そりゃ!」
「にゃー!ぶっ飛ばすぞ青いのーーー!」
――泣きそうになるから。
「本当にごめんなさい。マジで」
「それにしても、最初あなたを見たときはNPCかと思ったわ」
それは、なんというか、ごめん?
「もう、それはわたしのセリフ。ごめんね色々触っちゃって」
いや、いいよ。俺も抵抗しなかったし。
「まぁ少年は胸のドキドキでそれどころじゃにゃかったしにゃー」
「嬢ちゃんもなんだかんだいって楽しんでたからお互い様だろうよ」
――黙れナマモノ。
「黙りなさいランサー」
「にゃ!」「はい!」
「もう……あぁ、そうだ。まだ自己紹介もしてなかったわね。わたしは遠坂凛。あなたは?」
俺は、俺の名は……
――ナカオ(仮)だ。
「仮ってなによ。仮って」
いや、実は――
「はぁ!?記憶がない!?しかも名前もわからないって本当!?」
あぁ、本当だ、マジだ、事実だ。
「なにそれ、ハードモードとかそんな生易しいものじゃないわ」
ですよね。
ただでさえサーヴァントがあれなのに、縛りプレイにもほどがあると自分でも思う。
「はぁ……まぁ、ご愁傷様とだけ言っておくわ。でも記憶が無いなんて、最弱にもほどがあるわね……」
「少年は全身縛られるのが好みだからにゃー。セルフハードモードにゃ!」
「そう、変わった趣味ね……」
誰がハードMだ。
遠坂もやや離れないでくれ。
俺は泣くぞ。醜聞もなく泣くぞ。
「じょ、冗談よ。それにしても……あなた、戦う姿勢が取れて無いわね」
戦う、姿勢?
「そ、あまりに無防備で、あまりに短慮。いい?わたしも含め、ここにいるマスターは全て敵なの。わかる?」
――敵。
そうだ、これは戦争。
ただ1人が生き残るサバイバルゲーム。
目の前にいる少女も、俺の――敵。
でも……
「なんていうか、覇気が無いというか、緊張が無いというか……そう、現実味が無いのよあなた」
現実味、その言葉が心に刺さる。
目が覚めて、魔術師だといわれ、戦争だといわれた。
遠坂に言われるまでも無い。
俺はまだその現実を受け止められていないのだ。
遠坂に言われた言葉に、目を伏せる。
何も言い返せない。
いや、言い返すための自分が、俺にはまだない。
「はぁ……いい?どんな事でもいいから、覚悟しなさい」
遠坂が真っ直ぐに俺の瞳を見て諭す。
「聖杯に賭ける願いでも、死にたくない思いでもなんでもいいわ。このままじゃあなた、死ぬわよ」
わかっている、わかっている……つもりだった。
でもそれはやはり、『つもり』でしかなかったのだろう。
目の前にいる同い年くらいの少女に言われ、どこか空虚だった現実が重くのしかかってくる。
「……まだ理解できないって感じね」
――ごめん。
「ま、いいわ。わたしとしてはライバル……というほどでもないけど、競争相手が1人減っただけだから。さようなら、ナカオ君。あなたとの会話――嫌いじゃなかったわ」
遠坂が背を向け、屋上から出て行く。
その背にかける言葉など出てくるはずもなく、ただ俺は1人、屋上に取り残された。
「――クク」
「なによランサー」
「いや、随分とあの坊主に目をかけるんだな?」
「別に目をかけているわけじゃないわ。彼、あのままだとすぐ死にそうだし。アドバイスしたところで一緒だからよ」
「はっ――嬢ちゃんも大概お人よしだねぇ」
「うるさい……自分でもちょっと驚いてるの、あんなに話すなんて――」
「ははっ!いいじゃねぇか、戦争つったって、日常も隣にある。殺しあうまでは仲良くやろーぜ」
「何言ってんの。勝者は1人。仲良くなんかしたって無駄もいいところだわ。それに、彼……たぶん、生き残れないだろうし……」
「そうかい?」
「――ランサー?」
「オレはな、意外とあの坊主が……」
――最後の相手なんじゃねぇかって思うぜ?
「にゃー少年」
なんだナマモノ。
「気にすることにゃいぜー。あたしたちはマッタリほのぼのキルゼムオールの精神でいくにゃー」
見敵必殺にほのぼのしなければならない人生が嫌だ。
……ありがとな、ナマモノ。
この状況でいろいろと大変だけどさ。
お前と話してると、多少は気がまぎれるよ。
「にゃにゃ?デレた?デレた?」
デレてない。
「にゃふっふ。よもや感じていたネコミミパワーが少年のモノだったとは――お前もネコミミににゃれ~!」
誰がなるか――!
「にゃふー!……少年は好きにやればいいにゃ。あたしはそれに付き合うだけにゃー」
……あぁ。
――ありがとう。
「ところで食器たちのドキドキトライアングルハートだとお皿はどうにゃるのよ」
――お皿は隠しルートのヒロインに決まっているだろうが。