『失敗作だ』
始まりの言葉は、否定だった。
『なんという醜悪』
見下ろされる視線は汚物を見るような軽蔑したモノ。
『地上で最も尊い生命からこのような失敗作が生まれるなどと』
周りには否定しかなかった。
周りには拒絶しかなかった。
『この個体から一切の権利を剥奪する』
彼には絶望しかなかった。
彼には虚無しかなかった。
『次の個体へ移行する』
何も無い。真っ暗な闇の中で、少年は何を思うのか。
きっと、何も思わない。
思うだけの自分が無い。
それを抱くだけの自我が育たない。
故に、そこに在るのは死体となんら変わらない。
捨てられた廃棄物の名は無価値。
侮蔑と嘲笑、絶望と憎悪を抱え、彼はただ闇を漂う。
『あら、こんなところにどうしたの?』
――それは、一筋の光だった。
向けられた笑顔。
送られた言葉。
金色の長い髪を持つ女性の、優しげな眼差し。
無価値の少年に与えられた役割の中で出会った女性は、今までにない光だった。
『アリシア様、旦那様がお呼びです』
その光を振り払うように、感情を殺す。
与えられた役割をただこなす様に、少年が女性へ用件を伝えた。
『あら、もうそんな時間?ごめんなさいね、あんまりにもぽかぽかと日差しが気持ちよくて時間を忘れちゃった』
返ってきた言葉と、恥ずかしさを含んだ少女のような笑み。
ただの返事のはずなのに。
そこにはどうしようもなく少年への優しさが含まれていた。
静かで、穏やかで、優しい日々。
そんな日々が、少年にはあった。
生まれたときから否定されてきた少年にも、そんな日々があったのだ。
――だが、その日々は終わる。
少年自身の手によって。
寝台に眠る女性。
夜に染まる暗闇の中、少年は女性の傍にいる。
その手に、拳銃を握って。
その役割は、眠る女性の夫――少年の父から与えられた。
眠る女性の子、少年の異母兄弟、一族を背負うであろう弟の立場を磐石とするため、眠る女性を殺す。
それが少年に与えられた役割だった。
いつものように淡々とそれをこなす。
眠る女性へと拳銃を向け、引き金を、その引き金を――
『あの子を……弟を守ってあげてね――――――ユリウス』
あの日々は、二度と戻らない。
――そんな、欠けた夢を見た。
夢は終わり、視界は闇へ。
侵食された己の自我が悲鳴を上げる。
このまま闇に飲み込まれるのか。
そんな恐怖が湧き上る。
『コーン』
――獣の鳴き声が、聞こえたような気がした。
闇は光に塗りつぶされる。
冷たい世界を覆う太陽の輝き。
果ての無い芒が広がる黄金の原野。
こちらを見つめる金色の獣が――――――――
「少年!」
かけられた呼び声に、意識が浮上した。
まるで長い、永い夢を見たような倦怠感が全身を包んでいる。
激しい頭痛と、全身を襲う疲労感。
未だに思考がはっきりとしない。
俺は何だ、何がどうしてこうなった。
ぐるぐると考えを巡らせ、現状を確認する。
視界に入るのは、沈みかけの太陽が流れる水を赤く染める黄昏の世界。
ここは、そう――アリーナだ。
あぁ、段々と思い出してきた。
決勝戦へ向けて少しでも戦いの経験を積もうと、ネコと二人アリーナへと来たのだ。
そして、踏み込んだアリーナで俺は壊れたデータを見つけた。
まるで零れ落ちた宝石のようにゆらゆらと輝くそれに誘われた俺は――誰かの心に触れたのだ。
「少年の人の良さには呆れるにゃ!亡霊の言葉にゃんかに耳を傾けるにゃー!」
ネコが怒っている。
珍しく本気で。
だけどそれは、俺を心配してのことだと素直に受け入れられた。
すまん――ありがとう。
短いがそれだけでいい。
ネコは言い足りないのかやや憮然とした表情だが、こくりと頷いて俺の前へ立ち正面を睨みつけた。
目の前に立つ亡霊――ユリウス・ベルキスク・ハーウェイへと。
「いまさらにゃんの用にゃ亡霊。潔く消えたらどうよ?」
ネコの挑発に返答は無い。
ただ憎悪を秘めた目で俺を睨んでいる。
なぜ此処にいるのか、どうやって生き延びたのか。
疑問は尽き無い。
ただ分かっていることは、彼は確かにここにいて、俺達の歩みを邪魔している。
ユリウス――かつて倒した敵。
聖杯戦争のルールによって消えたはずの彼は、確かにそこに居た。
だが、その姿はかつてあったモノとかけ離れている。
全身のいたるところが欠損し、0と1で構成されたデータが漏れている。
それはいわば、全身から血を流しているようなもの。
立っているだけで苦痛に苛まれているだろうに、彼は確かにそこにいる。
「……し、ね」
ようやく返ってきた反応は短い言葉。
だが込められた殺意はあまりにも重い。
その一言に、ユリウスの傍に死が現れた。
「■■■■――!!」
空間が軋むような殺気。
爆発するような雄たけび。
かつてあった武人の姿は、獣の如き畜生へと成り下がっていた。
アサシン、ユリウスのサーヴァントである真紅の武道家は、ユリウスと同じように体のいたるところが欠損している。
向けられる殺気は苛烈。
だが、佇む構えは無様。
あの見惚れるような技術はそこには無い。
ただただ力ある限り暴れようとする暴虐と狂気の塊。
あれはどうみても暗殺者なんて存在ではない。
その有様は、バーサーカーとしか言いようが無い。
どういう芸当なのか検討もつかないが、あの存在が異常であることは分かる。
「二重属性<マルチクラス>……!?随分とまぁ無茶をするにゃあ……」
ネコはアサシンの豹変の仕組みがわかったようで、苦虫を潰したような表情で呟いた。
「あいつ、他のマスターの腕を令呪ごと移植してやがるにゃ。で、その令呪からバーサーカーの特性を無理やりアサシンにぶっこんでやがるにゃ」
その言葉にユリウスへと目を向ける。
たしかによくよく見れば、ユリウスの左右の手のバランスがおかしい。
左手は彼自身のものだろう。
だが右腕は細く短い。おそらくは女性のモノに違いない。
他人のアバターを組み込むなど、移植などと生易しいものじゃない。
あれはもはや改造、いや言葉にするにもおぞましく深い業だ。
「いけ……!」
「■■■■――!!」
ユリウスの叫びにアサシンが吼える。
かつてあった武の極致はそこには無く、爆発するような力を愚直にこちらへぶつける様に突進してきた。
「おっと!ここ通行止めにゃ!」
ネコがアサシンと相対する。
かつての武人ならばいざ知らず、力を叩きつけくる猪など取るに足らない。
俺達はそういった相手こそ得意としている。
バーサーカー、その特性は恐るべきものだが、技術を失った武道家などいくらでも搦め手でやり込めることができる。
だからこそ、ネコに任せた。
「少年?」
アサシンを連れて離れて戦ってくれ。
「それは――」
頼む。俺は、奴と向き合わなければならない。
「……」
それは無謀で馬鹿げた願いだろう。
かつてユリウス・アサシンと戦う時に一番危惧したのが、俺がユリウスに殺されることだったというのに。
だが、その願いを押し通したい。
体をボロボロにしてまで立ちふさがってきた彼と、俺は向き合わなければならないのだ。
「……了解。勝手に死んだらお墓に『馬鹿ここに眠る』って刻んでやるからにゃー!」
「■■■■――!!」
アサシンはこの場で最も脅威であるネコを追って、どこかへと去った。
これで、この場に残ったのは俺とユリウスだけだ。
全身に魔力を充足させ筋力を強化する、と同時にコードキャストでさらに身体能力を底上げする。
本来ならば、この程度の強化など戦闘のプロであるユリウスには到底叶わないが、今の崩れ落ちそうなユリウスならば対抗できるはずだ。
そんな思考を吹き飛ばすように、ユリウスは既に攻撃に移っていた。
振り上げられた拳、それを己の左腕で受け止める――っ!?
骨を軋ませる重たい一撃、体重はそう変わらないであろう俺を僅かながらも吹き飛ばすという諸行。
冗談じゃない、なにが死にかけだ。
ユリウスは、あの様になっても尚、俺の上を行っている――!
一瞬、ネコと離れたのは愚策だったかと思いかけるが、後悔なんぞしている暇はない。
俺は、彼と向き合うと決めた。
ユリウス、結局彼のことを知らないまま、大した会話もすることなく終わったと思っていた。
だが、今、目の前にいる。
ならば、俺は彼のことが知りたい。
聖杯戦争のルールに抗ってまで俺の前に立つ彼の意思を知りたい。
だから!
――ユリウス!お前の憎悪はなんだ!お前の何がお前を駆り立てる!?
返答は拳、無言のままに突きつけられた攻撃を必死で防御する。
殴られるたびに腕が悲鳴を上げるが、今は耐えるしかない。
一撃一撃に込められた怨念が重い。
防戦一方、なんとか現状を打破しなければと思案する刹那、ユリウスの小さな言葉が俺を穿つ。
「……まけ、られない。お前だけには、負けられない!」
その執念の深さよ。
俺だけは認められないと俺を真っ直ぐに睨みつけてくる。
「お前だけには!お前だけには負けられん!」
何がそうさせるのか。
俺と言う存在そのものが許せないのか。
呟きは叫びとなる。
――俺の何が許せない!ユリウス、その憎悪の元を教えろ!
一瞬途切れた攻撃の隙間を縫って、こちらも拳を振り上げるが、ユリウスのバックステップについていけず余裕をもって避けられた。
多少の距離が開き睨みあいとなる。
腕は幾度も殴られ、感覚が無い。
だが、この程度、倒れるほどじゃない。
「教えろ、か……いいだろう、教えてやる!俺は、誰かに負けるのならばいい!だが、貴様にだけは負けられん!それは――――――お前が、人間じゃないからだぁぁぁぁ!」
人間じゃない――!?
告げられた理由、あまりに唐突なそれに一瞬判断が遅れ頬を殴られる。
あまりの衝撃に後ろへと飛び逃げるが、その衝撃は足にきた様で膝がガクガクと震えた。
それは大きな隙を作り出すが、ユリウスもまた膝を付き息を切らしている。
もとより彼は死にかけなのだ。動くだけでも苦痛を感じているのだろう。
互いが痛みに動けない。だからこそ言葉を発した。
俺が人間じゃないとはどういうことだ、と。
息も絶え絶えにユリウスへ問いかける。
それに対しユリウスは睨みと共に答えた。
「死に抗う最中、俺は情報の坩堝たるセラフの狭間を垣間見た。お前は、人間なんかじゃあない。お前は記憶を失ったと思っているが違う。失ったんじゃない、元々持って無いんだ!お前は聖杯がこの聖杯戦争のために用意した人形、30年前の戦争で死んだ少年を再現した――――――NPCだ!」
俺が、NPC……?
「マスターじゃない、人間ですらない。このセラフでしか存在し得ない人形が、なんらかのバグを起こしただけの何か。そんな存在に負けるなど――承服できん!」
記憶がなかった。
だけど、俺はどこかで生きていて、いつかきっと記憶を取り戻すのだと信じた……けど違った。
始まりが人じゃない。
用意された人形。
なら、俺という存在の意義は――
「ふんっ!茫然自失か、人形。そこで項垂れて死ね――!」
助走をつけた渾身の一撃。
忘我の俺の顔面を狙った真っ直ぐな拳。
あまりの真実に驚くことしかできない俺は、その拳が突き刺さるのをただ待つことしか――
「――ぐっ!?」
俺の頬にユリウスの拳がめり込んだ。
と、同時に俺の拳がユリウスの頬にめり込み、苦悶を上げさせた。
「貴様!」
ユリウスの拳が俺の顔を胸を腹を穿つ。
それに返すように俺の拳がユリウスの体を穿つ。
防御はしない。必要ない。
今、俺に必要なのは――相手を倒す、攻撃だ!
「ぐぅっ!?何故だ、何故倒れない!何故お前は立ち向かってくる!?存在意義を否定されて何故折れない!?」
何故何故何故、か。
ユリウスは攻撃を続けながら、そして俺の攻撃を受けながらも疑問をぶつけてくる。
あぁ、確かに衝撃的だった。
自身の始まりが人ではないなどと、正直、吐き気すら催すほど動揺した。
「ならば何故だ!?どうしてお前は俺の前にいる!?」
簡単だ。実に単純な答えだ。
俺は人間じゃない。俺は聖杯に作り出されたNPC。
あぁ、それはきっと正解なのだろう。思い当たる節がいくらでもある。
なによりその答えを聞いて、あぁなるほどと納得がいった。
俺は人間じゃない、まったくもってその通りだ。
――だが、その真実は歩みを止める理由にならない。
「なんだと!?」
いいか、ユリウス。俺は、明日が欲しいんだ。俺には、欲望があるんだ。
この戦いを勝利し、聖杯を手に入れ、願いを叶えると言う欲望が!
「人形が何を願う!?お前にはそんな資格はない!」
資格か、ないのだろうな。
だが、そんなこと知ったことじゃない。
俺は俺の願いを勝ち取る。
そして叶えて見せるのさ。
――遠坂とラニを地上へ帰す!その願いを前に俺の出自など立ち止まる理由になりはしない!
「――カハッ!?」
全霊をかけた拳が、ユリウスの腹を穿つ。
その衝撃に踏鞴を踏み、痛みに悶えるように後ろへと下がっていった。
「何故、お前は諦めない……」
それは純粋な疑問だった。
今までのような禍々しさのない、ユリウスの本音。
その問いにこそ彼の本質が隠されているように感じた。
だが、その問いには答えない。
なぜなら――お前はもう答えを知っているはずだ、ユリウス。
「……何?」
お前だって、敗北を認めていないじゃないか。
俺に負けたくないんだろう?
それは――諦めてないってことだろう!
こいよ、ユリウス。決着をつけよう。
どっちも諦めてないんだ。ならどっちかが倒れるまでやるしかないじゃないか。
「――それだ、その瞳だ。その眼差しが俺を苛立たせる!」
先ほどまでの苦痛に揺れる体が嘘のような速度でユリウスが襲い掛かってくる。
お互い、コードキャストを使うほどの余裕は無い。
ユリウスは崩れる体に魔術回路が悲鳴を上げているため魔術を行使できない。
だから単純な拳打という攻撃しかできないのだろう。
俺はそのユリウスの単純な攻撃に対しコードキャストを返せるほどの技術が無い。
ユリウスのスピードを凌駕する魔術行使ができない以上、俺も拳を用いるしかない。
ただ殴り、ただ殴られる。
こっちは事前に強化を施しているというのに、尚ユリウスのほうが上だ。
まったく、冗談じゃない。
「お前は何故俺の前にいる!?」
知るか。対戦相手を決めたのはムーンセルだ。
「凡人程度の才で何故ここまでこれた!?」
知るか。死にたくなかったから頑張ったんだよ。
「お前は何故俺を真っ直ぐに見つめる!?」
阿呆か。お前が俺に真っ直ぐに向ってくるからだろう。
「何故、何故、何故――――――何故、お前は俺を憐れむ!?」
――――お前の心に触れたからだ!!
決着はあまりにもあっけない。
互いの拳が互いの頬を深く穿つ。
いっそ清清しいほどのクロスカウンター。
倒れたのはどちらが先か。
きっと、同時だろう。
二人して大地に仰向けになって大の字で倒れている。
体中が痛い。本当に勘弁して欲しい。
なぜマスターが肉弾戦なんてしているのだろうか。
なんて、自嘲気味に笑ってみるが、よくよく考えたら一回戦でも似たようなことをしていたな、俺。
痛む体をなんとか起こし、未だに倒れているユリウスを眺める。
――半透明の壁に遮られた彼を。
「俺は、負けたのか」
静かな声だった。
禍々しさも、憎悪も、怒りもそこにはない。
だからこそこちらも、負の感情を乗せずに素直に答えられた。
――お前は俺に負けたんじゃない。俺の相棒に負けたんだ。
「ふっ――そうか」
俺とユリウスの間には決着はつかなかった。
この結末は、俺が信じた相棒が、ユリウスが隷属させた暗殺者を倒した、それだけのことなのだ。
しばし、沈黙が流れる。
すでに、ユリウスの体は分解が始まっていた。
だが、俺も、ユリウスもこの奇妙でどこか優しい沈黙に身を委ねていた。
そんな静寂を破ったのは、ユリウスの言葉。
いや、それは独白といったほうが正しいだろう。
俺になにかを求めているのではなく、ただ誰かに聞いて欲しい。それだけのもの。
「本当は俺は……ハーウェイも聖杯もどうでもよかった。幼い頃、俺が弱かったころ……たったひとり、名を呼んでくれた女がいた。不要ですらない、あってはならない、無価値であると言われた俺に――命の意味を教えてくれた女だ」
静かに瞑目する彼の脳裏にはきっと、あの優しい笑顔を向ける女性が浮かんでいるのだろう。
ユリウスの表情は静かで……穏やかなものだ。
「だが……彼女は死んだ。あっけなく、死んだ。あっけなく……弟を守ってくれと頼んだ相手に……殺されたんだ」
重い、あまりのも重い懺悔だった。
だが、本人はそれを分かっていない。
いや、分かっているが、現実として理解していないのだろう。
「あれは……いつのころだったか……今思うと、まるで映画のようで現実感がない。いや……本当に映画だったのだろう。出来の悪い、悪趣味な、笑い話のような出来事だった」
理解できないからこそ、今言葉にして理解しようとしている。
ユリウスはまだ、足掻いている。
「だが、それが……女の言葉が俺の目的になった。俺は彼女が遺した願いを叶え――彼女の元に逝きたかったのだ。この手を血に染め、憎悪に身を焼かれ、それでも良かった。彼女の言葉だけが俺の意義だった。だが――」
ユリウスが言葉を切った。
目を開き、俺を見上げる。
視線がぶつかった先、ユリウスの瞳には、禍々しさなど何一つなかった。
「お前が、現れた。ハーウェイの、俺の敵として。お前のことを調べたよ。なぜこんな平凡な男が五回戦まで残っているのかと」
少しだけ自嘲したような、小さなため息が彼から漏れた。
「人間じゃないお前に負けたくないと言ったが……あれは嘘だ。俺はお前が妬ましかったんだ。どんなに弱くても前を見据えるお前の瞳が、俺を真っ直ぐに見返すお前の瞳が。お前は光だ。どんな闇の中であっても、絶望の淵にあっても、その瞳には光が在った。だから……あぁ、羨ましかったのだろうな……お前なら、アリシア様を救うことをきっと諦めなかったのだろうと……」
本当に、心底そう思っているのだろう。
羨ましかった。諦めない俺が羨ましいのだと。
だがそれは、大きな間違いだ。
間違いは正してやらなければならない。
それが、彼の敵だった俺の役目だろう。
――何言ってるんだユリウス。一つ、お前は勘違いをしている。
「勘違い……?」
お前は諦めてなんかいない。
だからこそこの聖杯戦争を勝ち上がったんだろう?
だからこそ死を認められなかったんだろう?
聖杯に興味がないなんて嘘だ。
倒れることも負けることも選ばなかったのは――聖杯を心底求めていたからだ。
――聖杯の力で、助けたいと願っていたからだ。
「――――!」
何でも願いを叶える奇跡なら、人一人ぐらい生き返すだろうよ。
死人を甦らせる、それが正しいか間違っているかなんて俺にはわからない。
だが、救いたいと足掻き、負けられないと叫んだお前はきっと、正しいよ。
――光は、お前にも在ったんだ、ユリウス。
「……あぁ……やはり、お前は妬ましい……こんなにも簡単に俺を救い上げるのだから……」
仰向けに倒れたまま、ユリウスは空を見上げる。
ボロボロの左腕で顔を覆う彼の表情はわからない。
だが、頬を伝う一筋は、なによりも眩しい輝きを放っていた。
「……何故、お前が泣いているんだ……」
苦笑を含んだ、からかいの声。
その声に、自分が涙していることにようやく気付いた。
なぜ、泣いているのか。
――さて、何故だろうか。きっと理由は無い。ただ泣きたいだけかもしれない。
「なんだそれは……くくっ」
俺も彼も泣きながら笑っていた。
もはや、しがらみはない。
こうして俺達は近くにいられるようになった。
それはたぶん、すごく素敵なことなのだろう。
だからこそ、欲が生まれる。
誤解を解いておきたいと思った。
「誤解?」
ユリウスの疑問に、懐からある物を取り出してみせる。
「お前……この状況で『それ』をだすか?」
苦笑と、やや怒りの篭った眼差し。
恨めしそうにユリウスは『AV(アニマルビデオ)』を見上げた。
ユリウス、勘違いしているな。
これはお前の物じゃない――俺が買った物だ。
「買った……?待て、お前が売ったの間違いじゃないか?」
買ったんだよユリウス。
だって購買部にぽつんと『AV』なんてあったら買うだろ。
喜び勇んださ。全力で走ったさ。どこぞの誰かが仕掛けたトラップを乗り越えて視聴覚室に飛び込んださ!
――結果はお察しの通りだ。
「は、はははは!トラップに引っかかったのはお前か!なんだそれは!『アレ』はお前が仕掛けた卑劣な罠じゃなかったのか!」
まさに卑劣だったよ。純情を弄ばれたんだ。自分のサーヴァントにな。
「はははは!なんだそれは、本当になんなんだお前は!ははは!」
そう笑うなご同輩。
俺もお前も騙されたんだよ。俺のサーヴァントにな。
「く、くくっ……聖杯戦争中に、なにをやっているのだろうな俺達は……」
仕方ないさ、なんせ俺達、男の子なんだから。
「は、はは……男の子、男の子か……なんだそれは、くくっ」
結局、俺もお前もいっぱしの男の子ってわけだ。
何も変じゃない、当然かつ普通だ。
「ああ……そうだな、普通か……普通、俺はそれが欲しかったんだな……かつてあったあの陽だまりのような日々が欲しかったんだ……」
普通なんてのはそこ等辺に転がっているものだが、中々見つけ難いものさ。
あぁ、だが一人で見つけ辛くても、誰かと一緒にならすぐに見つかるだろう。
――どうだ、一緒に捜しに行かないか?
「あぁ、それも悪くない……本当に、本当に悪くないな……」
なら約束だ。いつかきっと、共に行こう。
そうだな、次に会った時は普通の男の子らしく女性の好みでも語り合おうか。
「フッ――特段、こだわりはないが髪型はロングだ。これは譲れん――――――」
それが、最後の言葉だった。
闇を纏い闇に生きた男の最後は、淡い、笑みだった。
いつか、また。
叶うことも無いだろうが、そう願わずにはいられない。
在りえない可能性の彼方で、その時こそ、続きを大いに語り合おう。
そして、彼に伝えるのだ。
――俺は、おっぱいが大好きです、と。
「別れの言葉それで大丈夫にゃの?」
<あとがき>
――知らなかったのか?俺はお前の……同士らしいぞ?
AVが結んだ絆。
そんな月の裏側。感動が台無しですね。