時は少しだけ遡る。すずかが屋敷の中に戻った後、なのはとアリサは二人でお話していた。ユーノはそんななのはの膝の上で目を閉じ眠っていた。実に穏やかな時間、今日はこのままのんびり一日を過ごそう。そう思った矢先の出来事だった。【なのは!?】 近くで発動しつつあるジュエルシードの反応。それに気付いたユーノはなのはに声を掛ける。もちろんなのはもそれに気付いていたが、すぐに動くことができなかった。この場にアリサがいる。自分が迂闊に動けば、アリサもついてくると思ったからだ。 そのことに察したユーノは、なのはの膝の上から飛び降り一目散に駆けていく。それを目で追うなのはとアリサ。「ユーノどうかしたの?」「う、うん。何か見つけたのかも、ちょっと探してくるね」 ユーノの意図に思い当ったなのははアリサにそう告げ、後を追おうとする。「なのは、もしかしてあたしを一人置いてく気?」「で、でもすずかちゃんが戻ってきた時、誰もいなかったらきっと困っちゃうよ」「……それもそうね。でもすぐ戻ってきなさいよね」「う、うん」 なのはのとっさの切り返しが功を奏したのか、アリサはそれ以上、追及してこなかった。なのはは慌ててユーノの後を追い、月村家の庭に広がっている森の中へと足を踏み入れた。 月村邸の敷地の広さは下手な自然公園よりも広大だ。敷地内に入ってから月村邸までの距離が徒歩一〇分と言えば、その広さはわかるだろう。その広大な敷地内にはたくさんの自然が溢れている。人が通るために整えた正面の道以外は、人の手はほとんど入っていない。ある意味、ジャングルに近いような空間だ。 その中をなのはとユーノは走っていた。フェレットであるユーノはともかく、なのはは足元に注意しながら慎重に奥へと進んでいく。「あっ、発動した!?」 なんとか発動前にジュエルシードを回収しようとした二人だったが、その願い空しく発動を感知する。人目を気にしたユーノは、結界を展開する。結界を張り終えた直後、なのはたちの目の前に現れる巨大な子猫。矛盾している言葉だが、この場合に限ってそれは正しい。まだ成熟していない子猫が、一〇メートル近い大きさでなのはたちの前に現れたのだ。それを見て思わず絶句する二人。「あ、あ、あ、あれは?」 なんとか振り絞るように言葉を紡ぎ出すなのは。「た、たぶん、あの子猫の大きくなりたいって思いが正しく叶えられたんじゃないかな、と……」「そ、そっか」 今まで暴走するジュエルシードばかり見てきたが、今回のように願いごとが正しく叶う場合もある。だがジュエルシードが叶えられる願いは単純な願いごとだけなのだ。あの子猫の身体が大きくなったのは、早く大人になりたいという願いを持っていたからだ。だが猫にはそこまで高度な知能はない。だからこそ、大きくなりたいという純粋な思いが叶ってしまったのだ。「だけど、このままじゃ危険だから元に戻さないと……」「そうだね。流石にあのサイズだとすずかちゃんも困っちゃうだろうし」 なのはは巨大な子猫を観察する。見たところ襲ってくる様子はない。それどころか、自分の身体が巨大になったことにも気付いてないのだろう。その場で毛づくろいを始めてしまった。「それじゃあ、ささっと封印しちゃ……」「おいおい、いつから日本はアマゾンになったんだ?」 なのはがバリアジャケットを展開しようとすると、どこからともかく女性の声が聞こえてきた。「結界の中に人が!?」 その声に一番驚いたのはユーノだ。ユーノは結界や防御などのサポート魔法を得意としている。戦闘に関してはなのはに劣る自覚のあるユーノだったが、そういった側面に関しては一族の子供の中でも秀でた存在だった。そんなユーノが結界を張って、一般人が紛れこんでしまうということはないはずだ。「つーか、なんだよこの結界。魔女も使い魔もいねぇじゃないか!?」 だが彼女も一般人ではなかった。彼女は魔法少女。キュゥべえと契約し、魔女と戦う者。常日頃から魔女の結界の中に侵入や脱出を繰り返す彼女にとって、ユーノの結界に入るのには何の苦もないことだった。「なぁ? どうなってんだよ?」 声の主は子猫の背中に降り立つ。なのはたちはその姿を見上げていた。なのはよりも少し年上の少女。その少女の特徴を一言で表すなら赤いという言葉が相応しい。髪の毛も赤。瞳の色も赤。そしてその服装も真っ赤である。唯一、その手に握られている長槍は赤くない。特に特徴のない、先端に金属が付いているただの槍。だがその槍には魔力が込められていることに二人とは気付く。【ユーノくん、この人】【うん。たぶん魔導師だ。でもどうして……】 ユーノが疑問に思ったのは、この世界が管理外世界という魔導師が存在しない世界だったという点だ。なのはのように魔力を持つ人間はいるものの、魔法技術はまったく発達していない。しかし目の前の少女はどこからどう見ても魔導師であることは間違いなかった。「おい! 聞いてんのか?」 彼女は反対の手に持っていたたい焼きを口に入れながらなのはたちの前に降り立ち、その槍を構える。「ま、待ってください」 今にも攻撃を仕掛けてきそうな少女の顔を見たユーノは慌ててなのはの前に立つ。それを見た少女は目を丸くした。「巨大な猫の次はしゃべるイタチってか。ここは仰天動物園かよ!?」「僕はイタチじゃなくてフェレットです!」「イタチでもフェレットでもどっちでもいい! あたしが聞きたいのは……あんたがこの町の魔法少女かってことだ」≪Protection≫ 少女はなのはに向かって槍を振り下ろす。少女は相手が一般人の可能性も考慮して、当たる寸前に槍の切っ先を止めるつもりだった。だがその前になのはの危機を察知したレイジングハートが、プロテクションを展開する。それを見て少女はにやりと笑った。「へぇ……」「な、何をするんだ!?」 ユーノが抗議の声を上げる。「いやさ、少しばかり挨拶でもしとこうって思ってね」 少女は槍を引っ込めると、なのはたちに背を向ける。「もうここには魔女も使い魔もいないみたいだし、今日のところは引いてやるけど、次に会ったら容赦しないからな」「ま、待って」 去ろうとする少女をなのはは反射的に呼びとめる。その声に少女は不機嫌そうに振り返る。「名前、あなたの名前は?」「……佐倉杏子。そんじゃあな」 それだけ告げると杏子は結界の中から姿を消した。 ☆ 杏子が去った後、なのはは何事もなく子猫についたジュエルシードを封印する。元の大きさに戻った子猫を抱えて、なのはたちはアリサの元へと戻っていく。「ねぇ、ユーノくん。杏子さんって何者なのかな?」「……わからない」 あの槍や衣装はデバイスやバリアジャケットに見えたが、それらの纏う魔力の雰囲気がユーノの知る魔導師のものとは違っていた。彼女が魔法を使えばもう少しはっきりしたのだが、残念なことに杏子は目立った魔法を一切使わなかった。 なのはと似たような名前の響きから、現地魔導師の可能性もある。だが地球は管理外世界、すなわち魔法技術がないとされている世界だ。もしそういった技術が発展していけば、それはすぐに管理局が察知するはずだ。 それに杏子が言っていた魔女や使い魔という言葉。その意味もわからない。言葉だけならユーノは意味を知っている。しかし杏子の口ぶりから、それは自分の知らない用法で使われていることは明らかだった。「次に会ったら、戦うことになるのかな?」 なのはは思う。槍を振るう杏子の姿にはまるで迷いがなかった。それは剣道ではなく剣術を生業としている自分の家族の姿に被って見えたのだ。相手を倒すためなら、自分の持てる力を全て振るい、ありとあらゆる手段で戦い抜くという覚悟。なのはは士郎や恭也、美由希がそういった実戦形式の試合をしているのを何度か見学させてもらっていた。普段の優しい様子からは想像できない、戦う時の家族の姿。その姿が杏子にダブって見えたのだ。 だからこそ、なのはは恐怖する。今までは町を守るために怪物と戦うだけだった。しかし初めてレイジングハートを受け取った時を除けば、簡単にジュエルシードを封印することができた。初めての時もただ魔法の使い方がわからず戸惑っただけで、知っていれば簡単に封印できただろう。 だが、もし杏子と戦うことになったら、そうは簡単にいかない。今の自分では杏子に手も足も出ない。それが本能的にわかっているからこそ、なのはは尋ねずにはいられなかった。「……わからない。でも事情を説明すれば、戦いを避けられると思う」「どうして?」「だって杏子は、ジュエルシードを持っている子猫に興味を示さなかったから」「あっ!?」 その言葉になのはは気付く。あの時、なのははレイジングハートのセットアップすらしていなかった。そして杏子は子猫の上に降り立ったのだ。それなのにも関わらず、杏子はジュエルシードにまるで興味を示さなかった。むしろ状況の把握もできていなかったように思える。【とりあえず杏子さんのことは忘れて、今日は休日を楽しみなよ。そのために来たんだからさ】【にゃはは、そうだね】 もうすぐアリサのいる中庭に戻る二人は、念話に切り替えて会話を続ける。なのはにはどこか釈然としないこともあったが、杏子のことはわからないことばかりだ。(今度会ったら、きちんとお話したいな) なのはは予感していた。杏子とはまた会えると。そしてその予感は、思いもよらない形で現実になることになる。 ☆「帰ったぞー」 海鳴市に数多あるホテルの一室、それが杏子の今の活動拠点だった。元々は見滝原で生まれ、そこで魔法少女になった杏子はマミと共に魔女と戦っていた。しかし自分の願いが家族を一家心中に追い込んでしまったのをきっかけに魔法少女としての姿勢を変えることになる。その結果、マミと決別し、見滝原を離れることとなった。 それからというもの、杏子は町から町へと渡り歩く魔法少女となった。その中で彼女は他の魔法少女と対立することもあった。魔女や敵対する魔法少女との戦いは苛烈を極め、その中で杏子が敗走することもあった。だがその経験が杏子を強くし、歴戦の魔法少女に成長させた。「キョーコ、おかえりー」 そんな杏子を出迎える小さな少女。歳の頃はなのはやフェイトと同じくらい。くりくりしとした青い瞳。その瞳はまっすぐ杏子の姿を映している。緑一色のワンピースを着ており、それがライムグリーンの髪の色とマッチして、少女の可愛さを惹き立てていた。 彼女の名前は千歳ゆま。杏子が魔女から偶然助け出した少女だ。「おう、ただいま、ゆま。飯買ってきたぞ」 言いながら杏子は袋からコンビニ弁当を取り出す。それを見たゆまは不満げに顔を膨らます。「えー、またコンビニ弁当なの~?」「カップラーメンよりマシだろ」「たまには高級料理が食いたいぞー」「ゆまにはまだ早い」「ぶーぶー」 しゃべりながら二人は飲み物を用意し、テーブルに座る。「それじゃ、いただきます」「いただきまーす」 その言葉と同時に、二人は夜飯を貪り食べ始める。 戦いに明け暮れた日常を送っていた杏子にとって、ゆまと一緒に行動し始めたこのひと月は、実に穏やかなものだった。そもそも杏子がゆまと出会ったきっかけは、彼女とその両親が魔女に襲われたことだった。グリーフシードが欲しかった杏子はその魔女を狩った。別にゆまたちを助けようとしたわけではない。たまたま自分の獲物の獲物がゆまの家族だった。ただそれだけだ。そのため、魔女を狩り終えた時には、すでにゆまの両親は事切れていた。その姿を見て茫然としているゆまを見て、杏子は自分のことを思い出した。 自分を残して一家心中してしまった杏子の家族。そこから一人で生き抜いていくことはとても大変だった。恥も外聞もない。世間一般では悪と呼ばれることもたくさんやった。グリーフシードを手に入れるために、使い魔を見逃したことも指では数え切れないほどある。他の魔法少女と戦い、奪ったことさえある。 そこまでして杏子は一人で生きてきた。初めはなにをやっても上手くは行かなかった。しかし繰り返すうちに慣れ、今では片手間でも生きていくことができるようになった。 だが目の前の少女は違う。彼女はこれから試行錯誤して生き抜く術を探さなければならない。その姿が過去の自分と重なったのだ。そんなゆまをそのまま放っておくことができなかった。だから杏子はせめて彼女に一人で生きていく術を教えようと行動を共にしていたのだ。「キョーコ、今日は魔女や使い魔を見つけたの?」 助けた時の経験からか、彼女は魔法少女に憧れていた。しかし杏子はゆまに魔法少女になってほしくなかった。いや、本当なら誰にも魔法少女になってほしくない。魔法少女になって杏子は不幸になった。そして今まで出会ってきた魔法少女たちも大なり小なり不幸な生い立ちを抱えているように思えた。だからこそ杏子はそんな宿命を背負わせたくないと思っていた。「いや、今日は空振りだ。……でもその代わり、変な奴らに会ったぜ」「変な奴ら?」「ああ。十メートルぐらいの猫としゃべるイタチだ。面白いだろ?」「えっ? なんなの? なにそれ!? もっと詳しく聞かせて!」 ゆまは目を輝かせて杏子に尋ねる。上手く魔法少女から話を逸らせたと杏子は内心ほくそ笑む。(しかし、本当にあいつらはなんだったんだ?) ゆまに面白おかしく脚色しながら話をする杏子だったが、その頭の中は実に冷静になのはたちのことを考えていた。 自分の攻撃をバリアのようなもので受け止めたことから、あの少女はまず間違いなく魔法少女だろう。だがあの猫とイタチがわからない。あれが彼女の願いから生まれた魔法だと考えるのが自然だが、動物を大きくしたり、しゃべらしたりしていったいどういう意味があるのか、杏子にはまるでわからなかった。(ま、もう一度出会うとは決まってないし、どうでもいいか) 杏子は考えるのを止め、今の楽しい時間を満喫することにしたのだった。2012/6/12 初投稿