「フェイト、この反応は!?」「うん、あの杏子って人の魔力反応だ」 海鳴郊外でジュエルシードの捜索を始めたフェイトたちは、ジュエルシードを探す広域サーチで杏子の魔力を補足した。肝心のジュエルシードの反応はまだ見つからないが、少なくともこの前奪われた一個は彼女が持っていることは確実だ。接触しない手はない。 だが見つけた魔力反応は杏子の物だけではなかった。そのすぐ近くで一緒に移動している三つの魔力。そのうちの一つはアルフに覚えのあるものだった。「フェイト、こっちの反応の一つはすずかだよ」「そうなの? アルフ」「うん、間違いないよ」 すずかが魔法少女になった時に意識をなくしていたフェイトはすずかの魔力を知らない。だがアルフはフェイトを助け出したすずかの強力な魔力をその肌で感じ、はっきりと覚えていた。「すずかの魔力ってどれ?」「んと、これだよ」 アルフが示したのは、三つの中で一番小さい魔力反応だ。アルフの話からすずかの実力は相当高いものだと思い込んでいたフェイトは、アルフの指摘を意外に思う。三つの中の一つは自分に匹敵する魔力量であり、事前に聞いていた話からすずかの魔力値が高いと思い込んでいたから当然だろう。「だけど、前に会った時よりずいぶんと小さいような……。あの時はそれこそ、こっちの魔力量ぐらいあった気がするよ」 そんなフェイトの勘違いに訂正を入れるアルフ。 すずかの魔法は吸血鬼化である。吸血鬼になったところで魔力の総量が上がるわけではないが、その出力が向上する。さらにあの時、すずかは全力だった。だからこそアルフには、すずかの魔力量がフェイト並みにあると勘違いしていたのだ。「フェイト、すずかに会いに行くかい?」「うん。でもその前に杏子からジュエルシードを取り戻さないと」「そうだね。……しかしそうなると、この位置関係は問題だね」 仮にこの場で結界を張り、杏子を逃げられないようにするとしたら、ほぼ確実にすずかたちを巻き込んでしまうだろう。事情を知らないすずかがその状況を見て、どのような行動をとるかはわからない。「とりあえず近くまで行ってみようか? 杏子には気づかれるかもしれないけど、それで距離を取ってくれればこちらとしても都合が良いし」 二人は杏子の魔力反応に向かって飛んでいく。そこにあった旅館を見て、二人は杏子とすずかが近くにいる理由に得心がいった。「すずかたち、ここに泊まりに来たのかな?」「たぶん杏子って奴もそうなんだろうね」 だけどこれは非常に厄介だ。旅館ということは二人が別々に泊まりに来たのか、それとも今は別行動しているだけなのかがわからない。すずかと一緒にいる二人も含めて、この地域にいる魔法少女が一同に介しているのかもしれない。すずかだけなら有無を言わずに敵対するということはないだろうが、彼女は魔法少女だ。同じ魔法少女である杏子と共闘する可能性もある。もしそうなれば、すずかを含め四対二の戦闘になってしまうだろう。 それを確かめるためにサーチャーを飛ばして、情報収集をするという手段もある。だが魔力反応に敏感な人物がいたら、すぐに気づかれてしまうだろう。「アルフ、わたしたちもあの旅館に行こう」「フェ、フェイト?」「わたしたちにはあまり時間がない。ここで待っていれば、杏子だけどこかに出掛けるということもあるかもしれないけど、できればその前に仕掛けたい」 前回の戦闘でフェイトは杏子が狡猾だと学んだ。そんな彼女が一人で出掛けるということは、油断していると見せかけて逃げ出す準備が万全に整ったからなのかもしれない。あるいは、逆にこちらの不意を突き、さらにジュエルシードを奪いに来ることも考えられる。それを見分ける術はフェイトたちにはない。ならば多少、危険だが直接乗り込んだ方が確実だ。「そ、そんな危険な橋を渡らなくても……。もう少し周囲を探せば、ジュエルシードが見つかるかもしれないし」「でも、見つからないかもしれない。だったらわたしは、確実にジュエルシードがある場所に行きたい」 フェイトの焦りがアルフにも伝わる。すでにフェイトの中では、杏子と対峙するのは決定事項なのだ。いかなる説得も通用しないだろう。「……わかったよ。でもフェイト、無茶だけはしないでよ」「大丈夫だよ、アルフ。わたし、強いから」 そうして二人は旅館の入り口から、堂々と中に入っていった。 ☆「じゃあお姉ちゃん、忍さん、お先でーす」「はーい」 温泉に入って早一時間、なのはたち三人は美由希と忍を残して、先に上がることにした。温泉を堪能し、すっかりリフレッシュできたなのはたちだが、一人だけ、温泉に入る前よりぐったりとしている者がいた。 ――ユーノである。 ユーノは浴場での自分の危行を思い出す。 アリサはユーノを満足のいくまで洗った後、羨ましそうにそれを眺めているすずかの視線に気づいた。「もしかして、すずかもユーノを洗いたかった?」 アリサの問いかけにすずかはゆっくりと頷く。それを見たアリサは、ユーノをすずかに渡す。「ならすずかも洗ってみたら? ユーノの身体、凄く気持ちいいわよ」「でも……」 すずかはユーノの様子に目を向ける。すでにユーノの口からは半分ほど魂が抜けだしていた。すずかの手の中でぐったりとしている。「きっとよっぽど気持ちよかったのね。最初のうちは嫌がってたけど、すぐに大人しくなったわよ? 案外、洗われるの好きなんじゃない?」 正確には自我が軽く崩壊しただけなのだが、そのことに気付かないアリサは自分の都合よく解釈した。「そう、なのかな?」「そうよ。だからすずかも洗ってあげたら? きっと喜んでくれるわよ」 それを横で聞いていたなのはは、少しだけユーノのことが心配になる。普段、家ではユーノが自分で身体を洗っているので、なのはが洗ったことはない。だがそれでも、あのようにぐったりしているユーノの姿を目撃したことはなかった。【ユーノくん、大丈夫?】 念話でユーノに声を掛けるも、返事はない。なのはは不安になり、すずかの手の中のユーノを覗きこむ。 ――笑ってる。 全身に力なく横たわっているが、その口元は少しだけつり上がっていた。それがなのはには笑っているように見えたのだ。【ユ、ユーノくん!?】【アハハハハッ!!】 乾いた笑い声がなのはの脳裏に響き渡る。その若干、狂気を帯びたユーノの笑い声になのははすずかからユーノを攫い取る。「なのはちゃん?」「すずかちゃん、ごめんね。ユーノくん、どうしたの? ユーノくん!?」【アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――――ッ!!】 ユーノを揺さぶって正気に戻そうとするなのはだが、一向に頭に響く笑い声は止まない。【ユーノくん? ユーノくん!?】【アハハハ――ッ!! ……ああ、なのはか? いったいどうしたんだい?】【どうしたって、それはこっちの台詞だよ!?】【いや、なに、少しこの世界から見たら、自分という存在がちっぽけだということを感じてね。笑わずにはいられなかったのさ】【ユーノくんが何を言ってるのか全然わからないの!!?】【うん、僕にも自分が何を言っているのかわからない。でもなのは、心配しなくていいよ。もう何も恐くないからッ!!】 そういうと、ユーノは自分からすずかの元に戻る。【こうなったらとことん洗ってもらおうじゃないか。コンチクショー!!!】【ユ、ユーノくんが壊れちゃったの……】 ユーノの変貌ぶりに唖然とするなのは。そうしている間にも、すずかの手によって、ユーノの身体が再び現れ始める。すずかの手がユーノの身体に触れるたびに、ユーノの口からはフェレットの鳴き声が漏れる。「なによ。あたしの洗い方が気持ち良くなかったわけ!?」 その様子が嬉しそうに見えたアリサは、すっかり拗ねて頬を膨らます。 ユーノを洗っているすずかは徐々に楽しくなってくる。今度、キュゥべえを洗うのも楽しいかもしれない。 そうして楽しく洗っていると、今度は美由希がすずかに羨ましそうな目を向け始める。 ……そういった感じで連鎖し始め、最終的にはなのはを除く四人にユーノは身体を許した。しばらくの間は壊れたままのユーノだったが、洗面器に溜められた湯船に浸かりしばらくした辺りで、自意識を取り戻し、己の行動を恥じるのだった。【ユーノくん、大丈夫?】【な、なんとか……】 脱衣所で浴衣に着替え、廊下を歩き始めたなのはから、ユーノを気遣うような声がかかる。フェレットの姿をしているのでわからないが、今、人間形態に戻ったらその瞳の輝きは失われていることだろう。「すっごい気持ちよかったね~」「ねぇ、温泉で汗流したし、卓球しない?」「うーん、アタシさ、ちょっとお土産見たかったんだけど……」 なのはの前ではアリサとすずかがこれからどこに行くかを話し合っている。なのははユーノのことはしばらくそっとしといた方が良いと判断し、二人の会話に混ざることにした。「それじゃあ、どっちから行くか、じゃんけんしたら?」「それもそうね。それじゃあいくわよ、すずか。最初はグー」「えっ、アリサちゃん、ちょっと待って」「じゃんけんぽん」 アリサが出したのはパーだ。何も考えてないようで、アリサは実は深い考えの元、パーを繰り出していた。いきなり仕掛けて反応のできないすずかが出すのはグーかパーのどちらかだろう。反射的にチョキのような複雑な手が作れるとは思えない。だからこそ、その二つに負けることのないパーを選んだのだ。 が、しかし……。「アリサちゃん、私の勝ちだね」「そ、そんな~」 すずかが出したのは、そのチョキだった。アリサの敗因は、むしろいきなりじゃんけんを挑んだことにあっただろう。アリサが拳を繰り出す瞬間、すずかの瞳が一瞬だけ赤く染まった。突然のことすぎて、反射的に吸血鬼の力を使ってしまったのだ。その結果、アリサの手の動きが遅く見えたすずかは、それに合わせるようにチョキを出したのだ。(つい反射的に能力を使っちゃったけど、別にいいよね?) 自分に言い訳をしたすずかは、なのはやアリサと共に卓球場に向かっていった。 ☆ 旅館に入ったからといっても、フェイトたちは杏子やすずかたちの前に直接、姿を見せるつもりはなかった。あくまでここでは情報収集に徹し、戦闘は杏子が一人で外に出掛けた時に仕掛ける。旅館にいたもの全員が共闘するリスクもある以上、フェイトたちにはその選択肢を取ることしかできなかった。 だがその考えは、受付を済まし、部屋に案内される段階で崩されることになる。「て、てめぇ。どうしてここに……」 仲居の案内で連れて行かれた部屋は、なんと杏子たちの部屋の隣だった。さらに運が悪いことに、ちょうど彼女たちが部屋を出たところに遭遇してしまう。 早々に杏子にばれてしまったことに動揺したフェイトは、反射的にバルディッシュを出そうと構える。「あ、あの、この前の魔法少女の子だよね? わたしのことを助けてくれてありがとう」 しかしゆまにお礼を言われたことで、そのタイミングを逃した。それは杏子も同じようで、頭を掻きながらこの状況をどう納めるべきかを思案した。「とりあえずそこの仲居が待ってるし、部屋に荷物を置いてきたらどうだ? あたしは待っててやるから」「……そう言って、また逃げ出すつもりじゃないだろうね?」「逃げねぇよ。不安だったら、そっちの部屋までついてってやろうか?」 結局、念のために杏子たちに部屋についてきてもらうことにしたフェイトは、その場でテーブルを囲み、話し合いの場を設けることになった。 杏子からすれば、この状況は彼女の油断が招いた結果に他ならない。実際に会うまで、フェイトたちが近くに来ていることに気付かなかった。そんな自分の迂闊さを呪わずにはいられない。(あたしも甘くなったな) 横にいるゆまにチラッと目をやる。どうしても一人で動いていた時より、制約は多い。その現状が楽しいと思えるのも事実だが、誰かと行動を共にすることは油断していいという理由にはならない。むしろ守るべき相手がいる以上、一人の時よりも気を張っていなくてはならないだろう。 それをこの中で一番理解しているのは、アルフだ。話し合いの席となったが、彼女が杏子に向ける目線は厳しいものだ。杏子がいつ、槍を取り出し、フェイトの喉元に突き立ててくるかわからない。だからこそ、アルフは常に戦闘になってもいいように、自分の拳に魔力を溜めていた。【アルフ、話し合う前からそんなんじゃダメだよ】 そんなアルフをフェイトが窘める。フェイトは少なくともこの場では戦闘にならないと思っていた。その理由はゆまがいたからだ。この前会った時、杏子はゆまを守るように行動していた。そんな彼女がいる状況で、戦闘に打って出てくるとは思えない。こちらから戦闘を仕掛けるような行動を取るのも、杏子の怒りを無駄に買うだけだ。【で、でも……】【大丈夫だから。だからその拳を解いて】 フェイトの言葉は納得できるものではなかったが、アルフは仕方なくといった感じで拳を緩める。それでもその視線は杏子の一挙手一投足を見逃さないと言わんばかりに釘付けになる。 そのためか、場の空気はとてもピリピリしたものになっていた。そしてそれを敏感に感じ取ったゆまは何も言うことはできなかった。ゆまからしたら、フェイトは自分を助けてくれた同年代の魔法少女である。――そう、彼女は自分と同年代なのだ。先ほど間近で見た時に改めて思ったが、フェイトとゆまの身長はほとんど変わらなかった。精々、数センチ程度の差だろう。そんな彼女が魔法少女をやっている。そんなフェイトのことをゆまが気にしないわけがない。 また、ゆまが杏子以外の魔法少女に会うのは、実はこれが初めてである。杏子はゆまがこれ以上、魔法少女に興味を持たないように、極力会わないように町を移動していた。それなのにも関わらず、ゆまが最初に目にした魔法少女が、彼女と同年代のフェイトというのは、ある意味、皮肉な話だろう。「……おい、そんな睨みつけるなよ」 しばしの沈黙の末、最初に口を発したのは杏子だった。「あんたが姑息なのはわかってるからね。常に注意を払っておきたいんだよ」「なんだそりゃ、話し合いじゃなかったのかよ。それとも話す言葉は持ち合わせていないってか? まぁいいや。やり合いたいっていうならいいぜ。表出ろよ」 杏子はアルフを挑発する。その言葉にアルフは立ちあがる。その顔は真っ赤に染まっていた。「待ってください! アルフもほら、落ち着いて」「でもフェイト、こいつは……」「今のはアルフが悪いよ。まだ戦いになるとは決まってないんだから。ほら、座って」 仕方なく、アルフはその場にふんぞり返るように座る。(どうしてフェイトはこんな奴に遠慮してるんだい? 二人で掛かれば、簡単に倒せるじゃないか) 納得できないアルフは、心の中で愚痴る。だがフェイトが決めたことに口を挟むつもりはない。もし杏子がフェイトの想いを踏みにじるのなら、その時に容赦なく戦えばいい。「すいませんでした」「いや、別にあたしは気にしてないから。……しかし驚いたな。あたしはてっきり、見つかったらそいつみたく有無を言わさず襲いかかってくると思ってたんだがな」 杏子とて、ジュエルシードを騙し取ったことに対してまったく罪悪感がないわけじゃない。犯罪行為を良心の呵責なく行ってしまうようになってはおしまいだ。あくまで必要だから行っているだけで、そういう行為を杏子自身が好ましく思ったことは一度もないのだ。「いえ、戦闘しないに越したことはありませんから」「つまり、必要とあれば、戦うことも辞さないってわけだな」「……その通りです」「あたしは好きだぜ、そういうの」 傍から見ているゆまには、すでにフェイトと杏子は戦っているように見えていた。魔法を使った派手な戦いではない。論理と言葉を使った静かな戦い。それが今、彼女の目の前で繰り広げられていた。「ねぇ、キョーコ」 だからこそ、ゆまは口をはさまずにはいられなかった。「なんだよ、ゆま。今、忙しいんだから後にしろよ」「でもさ、そもそもどうして……えっと」「フェイトです。フェイト・テスタロッサ。こっちはアルフ」「あっ、わたしは千歳ゆまっていいます。よろしく、フェイト、アルフ」 ゆまとフェイトは互いに自己紹介をしていないことを思い出し、軽く名乗り合う。そしてゆまは再び杏子に視線を向けた。「それでキョーコ、どうしてフェイトと言い争ってるの?」 ゆまに指摘され、杏子は視線を泳がせる。なんとか誤魔化す手はないかと考えるが、すでにこの状況では誤魔化しようがない。杏子は素直に事実を口にすることにした。「あー、それはな、あたしがフェイトからこいつを奪っちまったからだ」 そう言って杏子はジュエルシードを取り出し、テーブルに置く。「うわぁ、きれ~い」 ゆまはジュエルシードを手に取ろうとする。「触っちゃダメ!」 それを見てフェイトが叫ぶ。魔法を使える人間ならともかく、そうでない一般人がジュエルシードに触れれば、封印状態とはいえ、発動してしまうかもしれない。その声に驚いたゆまは目を丸くする。その先には申し訳なさそうな表情を浮かべるフェイトの姿があった。「いきなり大声を出してごめんなさい。でもこれは危険なものだから」「そうなんだ……。それでキョーコ、これをフェイトから奪ったってどういうこと?」 杏子は観念して、自分がフェイトを騙してジュエルシードを手に入れた経緯を口にする。「キョーコ、ジュエルシードはフェイトに返そう」「でもな、ゆま」「わたし、キョーコにそんなことしてもらっても嬉しくないよ」 ゆまにはすぐに杏子が自分のためにジュエルシードを持ってきたことがわかった。自分を魔法少女にさせないためにキュゥべえに渡すつもりで手に入れた。それほどまで杏子に思われていることは嬉しかったが、そのために他人を騙して奪うのは許容できるものではない。「ごめん、フェイト。ジュエルシードは返すよ」「おい、ゆま。おまえ、何を勝手に……」「キョーコは黙ってて! ……でもね、キョーコを責めないであげてほしいんだ。キョーコはたぶん、わたしのためにジュエルシードを持ってきたはずだから」「……どういうこと?」「それはボクから説明させてもらうよ」 フェイトが疑問を浮かべるのと同時に、その場に現れるキュゥべえ。それを見てフェイトは驚き、アルフは嫌悪感を露わにする。杏子は面倒な奴が来たと頭に手を抱え、ゆまは成り行きを見守るために黙ることにした。「実はね、ボクは杏子にある取引を持ちかけたんだ」「取引?」「そうさ。ジュエルシードをボクにくれたら、ゆまを魔法少女に勧誘しないという取引だ」「……あんたもジュエルシードを狙ってたっていうのかい?」「そういうことになるね」 この場でそれをフェイトたちに明かすのは若干リスキーではある。しかしこうでも言わなければ、せっかく杏子が手に入れたジュエルシードはフェイトの手に渡ってしまうだろう。杏子から手に入れる手段はキュゥべえに用意できるが、フェイトからはおそらく不可能だ。それにこれをきっかけに今後、杏子はジュエルシード探しに消極的になる可能性もある。まさかゆまが杏子を諫めるとは思っていなかったキュゥべえにとって、この状況は完全に予想外のものだった。【フェイト、やっぱりこいつ、信用できないよ。ずっと前からあたしたちに会ってたのに、自分もジュエルシードを狙っていることを隠しているなんて】 アルフはキュゥべえに対する不信感をさらに強める。ここまで来ると狼の本能など関係ない。絶対にキュゥべえのことを信用してはならないのは明白だった。「ところで、どうしてジュエルシードを渡す代わりにゆまを魔法少女にしないの?」 フェイトは純粋に疑問を口にする。目の前の杏子を筆頭に、マミやほむら、さらにはすずかといった魔法少女をフェイトは見てきた。彼女たちは特に不自由な点は感じられない。それどころか願いを叶えてもらった上で戦う力までもらえる。そのどこに不都合があるのか、フェイトには理解できなかった。「それは杏子に直接、聞いてくれないかい? ボクとしては資質のある子を眠らせておくのは惜しいんだけどね」 杏子に皆の視線が集まる。思えばゆまも杏子から「魔法少女にはなるな」と言われ続けてきたが、その理由をちゃんと聞いたことがない。だから固唾を飲んで、杏子の言葉を待った。「……魔法少女になった奴は不幸になる。それに魔女と一生、戦い続けなければならない。そんな責務、ゆまに負わせたくない。それだけだ」 願いを叶える代償に、日常という尊いものを失う。今にして思えば、杏子は魔法少女になる前の自分を不幸だと思ったことは一度もなかった。父親の説法を聞いてもらえないと悔しい思いはしたが、それでも笑顔の絶えない家庭だった。貧しいながらも、皆、幸せに暮らしていたと思う。 そんな日常は二度と帰ってこない。これから杏子が大人になっても、彼女には恋して愛して結婚して家庭を持つことはできないだろう。魔女はどこにでもいる。子など生したら、それこそ戦うことはできない。魔法を使わなくても、ソウルジェムは穢れていく。契約した時はそういうことを考えたこともなかったが、魔法少女になるというのはその後の人生を諦めなければならない。杏子はそんな想いをゆまにさせたくなかった。「……キョーコは勝手だよ」「ゆ、ゆま」「だってそうじゃん。自分一人で戦って、わたしを守ってさ」 ゆまの想いを杏子は痛いほど理解していた。だからこそゆまに厳しい課題を出しつつも、日々の雑務は全てゆまに任せていた。「わたしだって魔法少女になればキョーコの手伝いができるのに。キョーコの隣で、ずっと一緒にいられるのに」 ゆまは涙を浮かべている。彼女にとって、すでに杏子の存在は家族以上のものになっていたのだ。そもそもゆまは両親に虐待されていたのだ。そのせいかゆまは保育園や小学校にもまともに通えていなかった。そのため、ゆまに初めて優しく接したのは杏子ということになる。だからこそ、ゆまは杏子のために精一杯やれることをやりたかったのだ。 家族以上の存在と感じていたのは、杏子とて同じだ。一緒にいた期間は一ヶ月あまりだが、その一ヶ月は彼女の家族が心中してからの中で唯一、色のある一ヶ月だった。それ以外の期間は色褪せた世界を惰性で生きてきたに過ぎない。いつ絶望してもおかしくない状況、そんな時に出会ったゆまは杏子には希望に思えたのだ。 そんなゆまにだからこそ、杏子は拒絶の言葉を口にする。「……ダメだ。おまえは魔法少女になるな」「キョーコの……キョーコの……馬鹿ァァァァアアアア!!!」 今まで溜めこんでいたモノが爆発したのだろう。ゆまは叫んで部屋から飛び出していった。杏子はその背中を追おうとはしなかった。「……追わなくていいんですか?」「ほっとけ。仮に一人になったとしても、キュゥべえの野郎はここにいるんだ。勝手に魔法少女になるということもない」「……まったく、そこまでゆまを魔法少女にしたくないなら、素直にジュエルシードを渡してくれればよかったのに」「えっ?」「どういうことだい?」 キュゥべえの言葉に疑問の声をあげるフェイトとアルフ。「ああ、言ってなかったね。実は今朝、杏子にジュエルシードを渡してくれと頼みにいったんだよ。でも何故か断られてしまったんだ」 その言葉にフェイトはまた、杏子という人物がわからなくなった。ゆまを大切にしていることはその様子から明らかだ。しかしその行動の指針というのが、まるで見えない。「杏子が言うには、ジュエルシードを三個手に入れたら、一個はボクにくれるって話だけど、それって不思議だよね。まるで自分もジュエルシードに叶えたい願いがあるみたいじゃないか?」 キュゥべえはそう言うが、フェイトには杏子がそんな人物でないように思えた。彼女の場合、どんな願いも自分の力で叶えようとする。杏子のことを深く知っているわけではないが、フェイトには漠然とそう思えた。 だからこそ、彼女がジュエルシードをキュゥべえに渡さない理由がわからない。今、彼女の一番の目的がゆまを魔法少女にしないということは間違いない。だがそのためにジュエルシードを二個も必要としないはずだ。目の前にあるジュエルシードをキュゥべえに渡す。ただそれだけでその目的は達成できるだろう。「……ゆまはああ言ったけど、そういうわけだから、このジュエルシードはどちらにも渡せねぇな」 杏子は現状を冷静に理解しつつ、その命取りとも言いかねない台詞を口にした。キュゥべえ相手なら、無理やり奪おうとしてきても自分の力だけで叩きつぶすことができる。しかしフェイトたちは別だ。ゆまがこの場からいなくなった以上、杏子は一人で好きに立ちまわることができるが、それでも勝つことは難しいだろう。一番最悪なのは、フェイトたちの戦闘に夢中になっている間に、キュゥべえにゆまとの接触を許すことだ。 にも関わらず杏子がこのような挑発的な態度を取ったのは、ある意味でフェイトを信頼していたからだ。彼女なら今すぐ、この場で戦闘を仕掛けることはない。それは先ほど、アルフを窘めた一件から明らかだ。「わかりました。ではこういうのはどうでしょう?」 フェイトはバルディッシュに収納していたジュエルシードを一つ取り出す。「わたしと杏子、それぞれのジュエルシードを一つずつ賭けて戦いましょう」「……それってあたしに不利じゃねぇか? そっちは二人だろ?」「アルフには手出しさせません。それにその他、細かい条件も杏子に決めてもらって構いません」「フェイト!?」 フェイトの言葉にアルフが声を荒げる。そんな条件、馬鹿げてる。二人がかりで仕掛ければ、確実に倒せるはずだ。それなのに、そんなフェイトにとって不利な条件を設定するなんて。 そしてそれは杏子も同じ思いだった。だがこのような好条件、一度言い出した以上、撤回させるつもりはさらさらない。「へぇ~。いいのかい? そんなこと言って負けても、言い訳は聞いてやんないぞ」「いいですよ。それでも勝つのはわたしですから」「面白ぇ。その鼻っ柱へし折ってやるよ。……なんだったら今からやるか?」 フェイトの自信満々な表情が杏子に火をつけた。「いえ、杏子はゆまときちんと話してきてください。決闘はその後で」「わ、わかったよ」 ゆまの話を振られ、動揺する杏子。この場に留まってはいるが、ゆまのことは気にならずにはいられない。それは誰の目から見ても明らかだ。 実のところ、フェイトは杏子とゆまの関係が羨ましく感じられた。互いに互いを思いやる関係。それはフェイトがいつか、プレシアと築きたい関係であった。だからこそ、そんな二人が喧嘩したままでいるのは、彼女としても望むところではなかった。「ちょっと待ってよ。あたしは納得したわけじゃないよ! フェイト一人を戦わせるなんて」「平気だよ。わたし、強いから」「だけど……」 アルフはさらに言葉を続けようとしたが、フェイトの目を見て何も言えなくなる。彼女の目には覚悟があった。そんな目をしたフェイトの心を迷わせるようなことを、アルフには言うことができなかった。「話はまとまったか?」「はい。大丈夫です。では今夜、ゆまとの話し合いが終わったら迎えに来てください」「わーった」 杏子はそう言うと、キュゥべえの首筋を掴む。「な、なにをするんだい、杏子?」「おまえはゆまが見つかるまではあたしと一緒だ。理由は言わなくてもわかるだろ?」「……今日は何があってもゆまとは契約しないよ。……って口にしても、きっと無駄なんだろうね」「よくわかってるじゃないか」 キュゥべえは今日一日の予定が潰れたことにショックを隠せなかったが、渋々、杏子と行動を共にすることにした。「んじゃ、また後でな」 そうして杏子とキュゥべえはフェイトたちの部屋を後にした。2012/7/3 初投稿2012/7/4 ご指摘いただいた誤字修正、および一部表現を変更