「……そろそろか」 ゆまとの話し合いを終えた杏子は、彼女を手当てした後、宣言通りみっちり扱いた。旅館内でできることなどたかが知れているが、それでも杏子はいつも以上に厳しい課題を課し、ゆまはそれを必死に行っていった。それらを全て終える頃には、すでに夜も耽り始めていた。 それはフェイトとの約束の時間を意味する。正確な時刻を決めていたわけではない。だが、そろそろ良い頃合いだ。 杏子がフェイトと決闘すると聞いた時、ゆまは最初、それを全力で止めた。すでに二人にとって、ジュエルシードは何の必要のないものになっていた。ゆまが一人前になるまで魔法少女にならないと約束した以上、キュゥべえとの取引を果たす義理は、今度こそ本当になくなったのだ。だからゆまは、戦うことなくフェイトにジュエルシードを譲ってしまえばいいと思っていた。 だがフェイトが決闘を挑んできた時の態度を聞き、その考えは一変する。杏子を馬鹿にした自信満々な態度。いくら自分を助けてくれた恩人とはいえ、杏子を馬鹿にすることはゆまにとって許せることではなかった。それでも杏子のことが心配だったゆまは、その決闘に立ち会おうとするが、それを杏子が止めた。「キョーコ、本当に一人で大丈夫?」「当たり前だろ。あたしは負けねぇ。絶対にだ」 杏子はゆまの頭を優しく撫でる。ゆまはとても気持ちよさそうに、杏子の手のひらの感触を楽しむ。その手が離れた時、少しだけ名残惜しくも感じてしまうが、ゆまはそれ以上せがむことはなかった。「別に起きて待ってる必要はないからな」「ううん、待ってるよ。キョーコの勝利を信じて」「……わかった。んじゃ、行ってくる」「いってらっしゃい」 ゆまに見送られた杏子は、隣のフェイトの部屋に向かう。だがノックする前にフェイトが部屋から出てくる。フェイトもまた、そろそろ杏子が来ると予想し、準備をしていたのだ。「待たせたな」「いいえ。それでは行きましょうか」 そうして二人は歩いていく。近くの森の中へ。なるべく人が立ち入らなさそうな、森の奥へ奥へと歩を進めていく。「ここでいいでしょう」 少し開けた場所に出たフェイトがそう告げ、その場を中心に結界を張る。そしてそのままバリアジャケットを展開し、バルディッシュを構える。杏子も普段着から魔法少女の姿になり、槍を持ちながら周囲を警戒した。「そういや、あいつはどうした?」 あいつとはアルフのことである。たとえ自分が戦わなくても、フェイトの戦う姿を見に来ると思っていたので、この場にいないのは以外だった。「アルフには別の仕事を頼みました。安心してください、不意打ちを仕掛けるような真似はしませんから。何でしたら、第三者が介入したら負けというルールを加えてもらっても構いませんよ」「そんなまどろっこしいことはしねぇよ。追加のルールは単純に二つだけだ。一つは空を飛ぶのを禁止。ジャンプ程度ならいいけど、浮遊はなしだ」 空を飛べない杏子にとって、この条件は必須である。こちらの攻撃が届かない空から、延々と魔力弾を打たれることになっては、勝ち目は薄い。「そしてもう一つは遠距離からの魔力弾は禁止だ。遠くからちまちま削るなんてちゃちな真似はせず、近距離で殴り合おうぜ」「……わかりました」 前回の戦闘で、二人は主に近接攻撃で戦った。だからこそ、杏子はこの誘いをフェイトに乗ると踏んでいた。 最も、遠距離攻撃をされて不利なのは、やはり杏子の方である。彼女が遠方の相手に攻撃する術など槍を伸ばすか、あるいは相手に投げつけるぐらいしかない。それに対して魔力弾を自在に展開し、飛ばせるフェイト。この違いは大きい。これを上手く利用されれば、地上戦のみでも杏子に勝ちの目はなかった。「んじゃ早速、押っ始めようぜ」 その言葉を皮きりに、杏子はフェイトに向かって突っ込んでいった。 ☆ 近接戦闘武器の中において、槍の優位性はそのリーチの長さにある。剣よりも細く長いその形状は、数ある近距離武器の中において他の武器よりも遠方から攻撃することができる。もちろん弓などの純粋な遠距離武器などと比較すれば近距離用の武器に違いないが、剣や斧と比べると、それは遥かに広い間合いを持つ。それだけである種の優位性を持つことができた。 普通の槍は一本の細長い形状だが、もしそれが自在に変形し、鞭や多節棍のように扱うことができれば、様々な状況に対応できる非常に使い勝手の良い武器に化けることになるだろう。 一方、斧はその一撃の威力が大きいとされている。剣より遥かに太い刃は、一撃を食らうだけでも致命傷は必至である。リーチが短く、また重いという点から扱いが難しいとされているが、その分、使いこなすことができればこれほど厄介な武器はない。 もしその重さを消すことができればそれだけで脅威だ。さらに斧の先端から別の刃を自在に生やすことができれば、リーチが短いという弱点も消せるだろう。もしそんな武器が存在したとすれば、それこそ一騎当千の活躍をこなせる武器になるのは間違いないはずだ。 フェイトと杏子の戦いはまず、そんな武器と武器との戦いの様相を呈していた。「うぉりゃああああ!!」 杏子は槍を振り回し、フェイトに仕掛ける。最小限の動きでそれを避けるフェイト。しかしそんなことは杏子にとっても百も承知だ。暇をつける間もなく、攻撃を繰り返す。避け続けるフェイトだが、その攻撃の激しさに次第にかわしきれなくなり、バルディッシュでその攻撃を受ける。 杏子はその時を待っていた。バルディッシュに当たる瞬間、武器の形状を槍から多節棍の形に変える。ぶつかった先から勢いよく折れ曲がり、フェイトの頭に迫る。≪Protection≫ しかしフェイトもそこまで甘くない。頭に当たるはずだった多節棍の先端は、バルディッシュのプロテクションでしっかり阻まれる。そのままの態勢でいては自分の不利を悟った杏子は、後ろに飛び、フェイトから距離を取る。案の定、先ほどまで杏子の身体があった辺りは、バルディッシュの鎌で切り裂かれていた。「ありがとう。バルディッシュ」≪No problem≫ 感謝の言葉を告げるフェイト。しかしその心は驚きに満ちていた。まさか槍があのように変形するとは思わなかった。前回の戦闘に置いて、杏子が自分に見せたのは槍を使った戦いだけだ。それ以外の攻撃方法は何一つとして見せていなかった。 思えばフェイトは魔法少女がどのような魔法を使うのか、全く知らない。マミはフェイトが来てすぐに気絶し、すずかの時はその逆。唯一、ほむらがシャルロッテを倒す姿は見ていたものの、それがどのような魔法による攻撃なのか、フェイトには全くわからなかった。(前回は圧倒できたから簡単に勝てると思ったけど、そう簡単にはいかないかもしれない) フェイトは自身の気の緩みを締め直す。これはジュエルシードを賭けた戦いなのだ。ここで負けるわけにはいかない。もし負けてしまってはプレシアに合わせる顔がない。フェイトは持てる全力の力を出して戦おうと冷静にどのように攻めるか考えた。「……ちっ。仕留め損なった」 一方の杏子はすでにいっぱいいっぱいである。小手先の技はいくつか考えてきたものの、地力ではあきらかに格下。自分に有利なルールを敷いたとはいえ、それでも辛いことは変わらない。杏子の本来の魔法を使えばまだ勝負はわからないが、彼女にその気がまるでない以上、今の戦い方を続けるしかない。「おい、仕掛けてこないのかよ」「……仕掛けてきて欲しいんですか?」「そういうわけじゃないけどさ、さっきはあたしから仕掛けたんだ。今度はそっちから仕掛けるのが、礼儀ってもんだろ? ……それともまたあたしから仕掛けていいのか? ルールを決めさせてくれたり、ずいぶんとサービスしてくれるんだな」 杏子はフェイトを挑発する。しかしフェイトはそれに耳を貸さない。言葉巧みに誘導して、相手のミスを誘う。それが杏子の戦闘スタイルであることを、フェイトは前回の戦闘で学んでいた。だからこそ、フェイトは隙だらけに見える杏子に対して、仕掛けようとはしなかった。「……せめて武器を構えてください。そんな隙だらけの相手に攻撃を仕掛けるほど、わたしは冷徹じゃありませんから。もちろん、そちらから仕掛けてもらっても構いませんが」「あっそ、んじゃ遠慮なく」 杏子は武器の形状を槍に戻し、フェイトに向かって突っ込んでいく。それに合わせて、フェイトも杏子に向かって突っ込んでいく。二人の間の中間地点での激突。まるで爆弾が爆発でもしたかのように、辺りに暴風が吹き荒れる。その中心では一進一退の攻防が繰り広げられていた。 フェイトがサイズスラッシュを仕掛けると、杏子は後ろに飛んで避け、二の足でフェイトに向かって槍を突き立てる。それをブリッツアクションで避けながら、杏子の後ろに回り込んでバルディッシュを振り下ろす。杏子はまるで後ろにも目があるが如く、彼女の攻撃を槍で受けると、器用に身体を捻り、反対にフェイトに向かって槍を振り下ろす。それを受けるまいとし、フェイトはバルディッシュを横に薙ぐ。互いの攻撃はそれぞれの肩と背中に当たる。「……ぐっ!!」 腰に攻撃を食らった杏子は声を上げながら吹き飛ばされる。しかしフェイトは再び、プロテクションを張り、肩への攻撃から自分の身を守っていた。 槍をつき立てながら、樹木の間から出てくる杏子。その口元には吐血したのか血液が流れている。それを腕で拭いながら、フェイトのプロテクションを突破する方法を考える。 そもそもプロテクションという魔法は、実はそこまで有用な魔法ではない。プロテクションでは全身を守ることはできない。あくまで一面からの攻撃のみを防御する魔法なのだ。それでも杏子の攻撃を全て防御しきれているのはフェイトとバルディッシュ、その両方が優秀であるからに他ならない。戦闘で相手の動きを先読みし、プロテクションを張るフェイトと、自分で考え、主のために全力で事に当たるバルディッシュ。その二つが組み合わさり、相乗効果となって杏子の攻撃を完全にシャットアウトしていたのだ。 そしてそのことを杏子は何度も攻撃を防がれたことで気づいていた。魔導師との本気での戦闘はこれが初めてだが、数多の魔法少女と戦ってきた杏子だからこそ、その魔法の性質に素早く気づくことができた。 フェイトは杏子のピンチを逃す前と一気にその距離を詰める。相手は槍をつかなければ立ってられないほど弱っている。フェイトはこれで勝負を決めるつもりで仕掛けた。しかしその攻撃は杏子の槍に止められてしまう。だがそこまではフェイトも予期していた。だからきちんと止めの一撃を用意した。「はぁーッ! アークセイバー!」≪Yes sir! Arc saver≫ フェイトは至近距離でアークセイバーを放つ。ルール上、遠距離からの魔力弾は禁止だが、至近距離で魔力弾をぶつけるのは禁止されていない。もちろん、自分も隣接しているので多少のダメージは覚悟しなければならないが、杏子を無傷で倒すことができると考えるほど、フェイトは舐めていない。だからこそ、必殺の一撃は彼女に気づかれないで放ちたかった。「読めてんだよ!」「なっ……!?」 しかしそれは全て、杏子に読まれていた。そもそもルールを決めたのは杏子である。狡賢い彼女が気づかずにそんなミスをするわけがない。杏子はわざと、そのようなルールの穴を用意し、フェイトの隙を誘ったのだ。杏子はアークセイバーの魔力弾を槍で貫く。そしてそのまま、フェイトの身体をも突いた。一瞬、反応に遅れたフェイトはそのダメージをモロに受けてしまう。口元を苦痛に歪ませながら、態勢を立て直そうと杏子から距離を取る。(いったい、何が……) フェイトにはアークセイバーを防ぎ、自分を攻撃した槍がどこから来たのかわからなかった。杏子の槍はあの時、バルディッシュを受け止めていた。魔力で重みを増していたので、とても片手では受け切れなかったはずだ。それならばあの槍はいったいどこから来たのだ? そう思い、杏子の手元を見て、フェイトは気づく。 いつの間にか杏子が手にした槍が伸びていた。伸びた槍はまるで巨大な三節棍のようにコの字型に曲がっている。その刃先とは反対側の先端が、フェイトを攻撃した槍の正体だった。「変形だけじゃなく、伸び縮みもできるんですね」「まあな」 先ほどの弱っていた様子とは打って変わって、その場で槍を振り回す。その動きは実に切れのある動きで、とても先ほど吐血した人間と同じ動きとは思えなかった。それを見てフェイトは、また杏子の演技に騙されたことを悟る。ダメージを全く与えていないわけではないのだろうが、それでも槍を杖代わりにしなければ立っていられないほどのダメージを負ったわけではなかった。 杏子は普通の人間ではない。魔法少女なのだ。普通の人間なら膝をついてしまうようなダメージでも、彼女にはあの程度のダメージで済む。そのことに気付けなかった時点で、フェイトは劣勢に立たされていた。「それじゃあ、第二ラウンドと行こうぜ」 そう言って杏子はその場に槍のフィールドを展開した。 ☆ 魔導師の使う魔法とは、自然摂理や物理法則をプログラム化し、それを任意に書き換え、書き加えたり消去したりすることで作用に変える技法である。主な作用は大きく分けて「変化」、「移動」、「幻惑」の三つである。攻撃魔法はこの内の「変化」に属する。すなわち術者の魔力を「変化」させ、攻撃属性を添付するというわけだ。そのような性質のため、得意不得意はあるが、魔力を持ち得る人物なら誰でもどのような魔法も使うことはできる。ただし使いこなせるかどうかは、本人の資質と練習によるものが大きい。 フェイト・テスタロッサはミッドチルダでも珍しい「金色」の魔力光の持ち主だ。さらに「電撃」の魔力変換資質を持つ。金の魔力光と電撃属性。この二つが合わさるフェイトの魔法は、ミッドチルダ式でもかなり独特な部類に入るだろう。また急ごしらえで戦闘を行えるように教育を受けたため、その独特さはさらに尖り、元々の才能もあってか、それが彼女の強みへとつながった。 魔法少女の使う魔法は、魔導師のものと違って、そこまで便利なものではない。少女たちの祈りが願いを叶え、魔法少女に変える。その願いの質、それが少女たちの魔法につながる。身体強化や感覚強化などは魔法少女になる時の副産物であり、彼女たちの使う魔法とは呼べない。あくまで願いの性質に属する魔法しか使用することができない。 杏子の願いは「皆が父親の話を聴くようになること」。実に家族想いな願いごとだが、その願いが生み出した杏子の魔法は「幻惑」である。しかし彼女はその魔法を一切、使おうとはしない。それは彼女の願いが、家族を死に追いやったからに他ならない。魔法少女になれば不幸になる。家族を失うきっかけになった力を杏子は否定し、二度と使ういと決めた。 ――自身の魔法を尖らしたフェイト。自身の魔法を否定した杏子。そんなある意味で魔法との向き合い方が正反対の二人の戦いは苛烈を極めた。 それはまるで槍のジャングルとでもいうのだろうか? フェイトの周りには、その行動を制限するように杏子の槍がそこら中から生えていた。無造作に生えた槍の檻。その本数は実に数百本。だが厳密には、それは無数の槍が生えているわけではない。元はとんでもなく長い一本の槍。それが複数に枝分かれ、フェイトの頭上や地面の下で繋がり、彼女の動きを邪魔していたのだ。一見すれば触れても大丈夫そうだが、微粒子レベルで見ればその柄にも無数の刃がついており、触ればその手は血まみれになってしまうだろう。 フェイトは杏子を睨みつける。それに対して杏子は笑う。笑いながら、彼女の手にした槍を伸ばし、槍の隙間を縫いながらフェイトに攻撃を仕掛ける。「どうだい? その檻から抜け出すことができるかい?」「……遠距離攻撃は禁止なんじゃなかったんですか?」「勘違いするなよ。あたしが禁止したのは遠距離から魔力弾を飛ばすことだぜ。あんたにはこの槍が魔力弾に見えるってのかい?」 ルールの穴を上手く突けるのは、そのルールを作りだした人物の方だ。杏子は初めからこの状況に持っていくことも想定して、あのルールを作りだしたのだ。彼女としてもあまり好ましくない卑怯な戦い方だが、フェイトの鼻っ柱を折るためにはこれぐらいするのも仕方ない。 遠くから攻撃を仕掛ける槍を避けるフェイト。だが避けて地面に生えている槍に触れるたびにその身体が少しずつ傷ついていく。その傷の一つひとつは大したことはないが、塵も積もれば山となるように、徐々にその動きが衰えていく。その間中、フェイトは杏子のことを睨みつけていた。「……まるで卑怯者って言いたげな目だね。まぁ自覚はあるよ。でもね、戦いに卑怯も正々堂々もありはしないんだ。あるのは勝つか負けるか。勝てば生き、負ければ死ぬ。今回はルールありの勝負だけど、勝つために手段を選んでるようじゃ、あんた、いずれ死ぬよ?」「……はぁ……はぁ……。……いえ、別にわたしは杏子のことを卑怯だとは思っていませんよ。むしろ杏子の言う通りだと思います」「なに?」「どんな手を使っても勝てばいい。わたしもそう思うって言ったんです。だからわたしはずっと観察してました」「観察ってなにを?」「杏子に攻撃が届く道筋を……」「いったい何を言って……」 杏子が言い終わる前に、彼女の視界からフェイトの姿が消えていた。そして次の瞬間、彼女は背後から金色の刃で切り裂かれた。「がっ……」 背中を大きく切り裂かれ、その場で膝をつく杏子。非殺傷設定での攻撃であったため血が噴き出すことはなかったが、切り裂かれた部分は電流が走り大きく火傷したように赤く染まっていた。そうして彼女が背後を向くと、そこには全身に引っかき傷を持つフェイトの姿があった。 フェイトが行ったのは、槍の合間を高速で移動する。ただそれだけである。そもそも杏子の槍がフェイトに届くほどの隙間はあるのだ。探せばフェイトが抜け出せる隙間もあるかもしれない。その箇所をフェイトは杏子の攻撃を避けながらずっと探していたのだ。 だがそれでも無傷と言うわけにはいかない。なるべく広い空間を移動していったとはいえ、急な方向転換を、自分の身体ギリギリの空間を通りながら何度も繰り返したのだ。全くの無傷で抜け出すなど無理な話だ。すでにフェイトらはマントが零れ落ち、無数に避けたバリアジャケットから彼女の軟肌が覗き見えていた。 一つの大きな傷を負ってしまった杏子と無数の小さな傷を受けたフェイト。フェイトは大きく肩を動かし、その場で呼吸をしながら杏子の様子を伺う。背後に大きな一撃を受けた杏子は感じる痛みと痺れを我慢しながらなんとかその場に立ち上がる。だが彼女もすでに立っているだけでやっとなのか、手に持った槍を支えにしていた。 ダメージ量で言えば、フェイトより杏子の方が大きい。もし普通の人間なら、それだけで致命傷の一撃だ。しかし彼女が魔法少女だ。魔法少女になったことで身体能力と治癒能力が向上していたからこそ、杏子は渾身の力で立ち上がることができた。 もちろんフェイトとて、すでに立っているのがやっとだ。本当ならば自分の持つ魔力全てを使って治癒にあたりたいほどの無数の傷。しかし杏子が立ち上がった以上、魔力を治療に当てることはできない。ここで魔力弾を打てれば楽なのだが、ルール上、それはできない。彼女は自分の命よりもジュエルシードを手に入れることを優先したのだ。「……だ」「……えっ? 今なんて?」 杏子が何かを口にする。しかし傷の痛みからその声がよく聞こえなかったフェイトは、杏子に尋ねる。だがその返答代わりに、杏子はフェイトにジュエルシードを手渡した。「……二度は言わねぇ。だが約束だ。そいつは持ってけ。もうあたしには必要ないものだしな」 まだ杏子にはなんとか戦う力はあった。しかしフェイトがジュエルシードを求める覚悟。それを目の当たりにした杏子は、卑怯な手を使った自分を恥じ、素直に負けを認めたのだ。 一瞬、自分の手の中に収まっているものが理解できないフェイトだったが、それがジュエルシードだとわかると、それまで張りつめていた気が緩み、杏子めがけて倒れこむ。杏子はその身体を倒れる前に支えた。杏子の胸の中で、フェイトは穏やかな寝息を立てていた。「……ったく、しょうがない奴だな」 そう愚痴を零すが、杏子の顔には笑みが浮かんでいた。 正直なところ、この場にアルフを呼んでもらって旅館まで連れ帰ってほしいところだったが、起こすのも悪いと判断した杏子はフェイトをお姫様抱っこする。そしてそのまま旅館まで連れ帰ることを決めた。「そういやこの結界、いつになったら解けるんだ?」 フェイトが戦いのために張った結界。それがまだ、杏子の周りには展開されていた。思わず自分に抱っこされているフェイトに目を向ける。杏子はその全身は僅かに光っていることに気付いた。それはフェイトが自身の治療に全魔力を集中させた証だった。身体中にある無数の傷口から血が止まり、中には塞がり始めているものまである。 そんな穏やかな表情を眺めていると、自然と彼女が張った結界が解除されていく。これで旅館に帰ることができる。この時はそう思っていた。「なっ……」 だがその考えはすぐさま否定される。結界が解けた先に広がっていた光景――それは元の世界ではなく魔女の結界の中だった。2012/7/10 初投稿