「アルフ!?」 フェイトは何の前触れもなく、目覚めると同時にアルフの名前を叫んだ。本来ならまだ全快していないフェイトが目覚めることはない。だが彼女はリンカーコアを通して繋がっているアルフの危機を本能的に察知し、飛び起きたのだ。「うおっ! いきなり叫ぶんじゃねぇよ。ビックリするじゃねぇか」「フェイトちゃん? 身体はもう大丈夫なの?」 目覚めたフェイトに掛けられる二つの声。しかしフェイトにはその声に聞き覚えがなく、また同一人物の声にしか聞こえなかった。声のした方に目を向けると、そこには赤と赤紫のヒト型の異形体の姿がある。それを目にしたフェイトはとっさにバルディッシュを構え距離を取り、フォトンランサーを放とうとする。≪お待ちください。彼女たちは味方です≫「えっ?」 だがバルディッシュの言葉で、その攻撃が放たれることはなかった。そしてフェイトが眠っている間に起きた出来事の説明を受け、現状を把握した。「杏子、ありがとう」「へっ?」 バルディッシュの話を聞いて、フェイトが最初にしたことは杏子に感謝の言葉を告げることだった。「あなたが守ってくれなかったら、わたしは回復することはできなかった。それに使い魔にやられていたかもしれない。だからお礼を言わせて」 塗り潰されて他人には見ることはできないが、フェイトは顔を赤くして感謝の言葉を告げる。だがそれ以上に杏子の顔は真っ赤に染まっていた。彼女は感謝されることに慣れていない。ゆまを魔女から救いだした時は、彼女が茫然自失となっていたのでここまで正面から感謝されることはなかった。それ以前は敵を作るような戦い方をしていた。そう考えると杏子がまともに感謝されたのは、見滝原を飛び出して以来のことかもしれない。「き、気にすんなよ。あたしとしても、フェイトに回復してもらった方が、都合がよかったんだからさ。おそらくまだ全快はしていないようだけど、すずかもいるし、今回の魔女との戦いは二人に任せるぜ」 その照れ隠しのためか、どこか棘のある言い方になってしまった。「うん、わたしは勿論そのつもりだから安心して。……それとすずかもありがとう」 杏子に自信たっぷりな返事をしたフェイトは、そのまますずかにもお礼を告げた。「えっ? 私も」「うん。この前の魔女との戦いでわたしを助けてくれたお礼をまだ言ってなかったから」「あ、あれは、むしろ私の方がフェイトちゃんに助けられたんだよ!? お礼を言うのはこっちの方だよ!!」 そもそもすずかはフェイトに対して、僅かばかりの憧れを抱いていた。魔法少女になる前、命がけで自分を助けてくれたフェイト。その姿は今でも鮮明に思い出すことができる。そんな彼女の戦いっぷりを見たからこそ、すずかは「強く在りたい」とキュゥべえに願うことができたのだ。「ならこの結界から出たら、改めて顔を見てお礼を言い合おう」「うん、そうだね」 フェイトとすずかは互いに約束をする。それを微笑ましく眺める杏子。 そんな三人のやり取りに水を差すように、結界の奥から使い魔がやってくる。先ほどと同じ黒いヒト型。しかしその数が尋常ではなかった。先ほどとは桁を一つ間違えたような膨大な数のヒト型。しかもそれは全身が黒づくめのものではなく、きちんとした顔を持った男のヒト型だった。まるで下手な人間のようなヒト型の存在に気付いた三人はそれぞれ武器を構える。「ここは私に任せてください。一気に片付けます」 そう言ったのはすずかだ。すずかは二人を制止し、一歩前に出る。彼女はヒト型の来る方から、強大で禍々しい魔力が満ちていることに気付いていた。まず間違いなく、この結界を作り出した魔女だろう。ならばこんな場所で足止めを食らうわけにはいかない。それに先ほどの話から、二人が消耗しているのは明らかだ。それならばここは自分が敵を倒さなければならない。そう思っての発言だった。「いたっ……」「馬鹿、ここはあたしの出番なんだよ」 だがそれを杏子は許さなかった。杏子は先走ろうしているすずかの頭を、軽く槍で叩く。「いいか。この先には魔女もいるんだ。それなのに万全なあんたが力を消耗して全力で戦えなかったら、元も子もないだろう。こういう場合は、一番足手まといな奴が雑魚を引きつけるってのがお約束なんだよ」「それならわたしが……」 杏子の言葉に今度はフェイトが一歩前に出る。「なに言ってんだよ。なんのためにあたしが苦労して、フェイトを休ませたと思ってるんだ。魔女と戦ってもらうためだぜ。それなのにこんなところでせっかく回復した力を使おうとするんじゃねぇよ」「でも杏子、あなたの身体は……」「ガキがいっちょ前にあたしの心配なんてするな。あたしを誰だと思ってるんだ。あんな攻撃で受けたダメージなんて、もう毛ほどにも感じてねぇんだよ。……だから、早く行って魔女を倒してこい」 杏子の言葉に、杏子の背中に、フェイトはある覚悟を見た。「……わかりました。行こう、すずか」「えっ? いいの、フェイトちゃん!? 杏子さんを置いてっちゃって」 フェイトの言葉にすずかは驚きの声を上げる。「大丈夫、杏子が強いのは戦ったわたしが一番よく知ってるから」 それだけ言うと、フェイトは使い魔の大群に向かって突っ込んでいく。しかし彼女は一切、攻撃の手を加えようとはしない。その隙間を縫うように高速に抜けていく。「戦ったって? あっ、待ってよ、フェイトちゃん」 その後を追うようにすずかも続く。フェイトのように高速で動けないすずかは、火血刀を振るい、強引に道を切り開いていく。だがその剣筋には一切の魔力は込めていない。あくまで押しのけるためだけに使っているだけだった。 もちろん使い魔とて、そんな二人をただで通すわけがない。執拗に攻撃を仕掛ける。しかしフェイトは持ち前の速度でそのすべてをかわす。すずかは剣で受け流しながら道を切り開いていく。そうして大群の向こうに抜け出した二人を使い魔はさらに追いたてようとした。「……おいおい、あたしを無視すんじゃねぇよ」 だがそれは杏子の攻撃によって阻まれる。フェイトやすずかと同じように、使い魔の大群をいつの間にかすり抜けた杏子は、その場で仁王立つ。「さぁて、もってくれよ。あたしの身体」 そして迫りくる使い魔の大群に杏子は覚悟を決めて、一人で立ち向かっていった。 ☆ なのはとアルフは迫りくる敵を確実に撃退していった。殴りかかってくる男たちの攻撃を避けながら、ディバインシューターやフォトンランサーを使って距離を取りながら倒していく。今のところは敵の攻撃を食らわずに済んでいたが、それも時間の問題だった。「はぁ……はぁ……くぅ……」 アルフは肩で息をする。変貌した右足からひりついた痛みを感じる。時と共にその痛みはどんどん増していく。足に目をやると、先ほどよりも膿が広がっているように見える。初めは膝だけだったのが、今では足首や股関節の辺りまで到達しつつある。そのあまりの痛みに、いっそのこと自分の足を斬り落としてしまいたい思いだった。「アルフさん、大丈夫ですか?」 一方のなのははまだ少し余裕があった。先ほどから顔中から嫌な汗は噴き出ているものの、まだ敵と戦えていた。それはユーノがサポートに徹したおかげだろう。今のなのははまだ、飛行魔法を覚えたてなのだ。そんな彼女が飛びながらディバインシューターを敵に命中させるのは至難の技。そこでユーノはなのはの飛行魔法のリソースを自身に肩代わりし、その分、なのはには攻撃に専念させていた。 しかしその分、ユーノの疲労は確実に蓄積されていた。なのはと違い、ユーノの魔力量はそこまで多くはない。本来なら一人で飛ぶべき飛行魔法のリソースを二人分肩代わりし続けながら戦うというのには無理があった。「なんとか……って言いたいところだけど、このままじゃまずいね」「僕もそう思います」 なのはもそのことには薄々、気づいていた。今まで三人が戦ってきたのは、魔女の本体ではない。いくら襲いかかってくる男を撃退したところで、本体にダメージが通るわけがない。なんとか隙を作って魔力弾を飛ばすも、それが悉く男が身を挺して防いでしまうため、かすり傷すら与えることができていなかった。「ユーノくん、こういう時はどうしたらいいの?」「そうだね、単純に強大な一撃を放てればあるいは……」 射撃魔法の威力では、敵の本体に攻撃が届かない。それならばより強力な魔法を放つしかない。なのはの魔力ならそれも可能だろうが、まだユーノはそこまで強力な魔法を教えていなかった。「……強力な一撃だね。わかった。やってみる」≪Shooting Mode≫ ユーノの言葉になのはは念じる。そんななのはの思いに呼応するかのように、レイジングハートの形がシーリングモードからシューティングモードへと変化する。その先端には膨大な魔力が込められる。だがその魔力が放たれる前に、敵の攻撃によりなのはの態勢が崩される。「うわわっ!?」 その攻撃をかわすために空中で回転したレイジングハートの先からは、魔力が霧散してしまっていた。「このままじゃ、魔力を溜められないの!?」 本能的に発射のやり方は掴んでいたなのはだったが、まだ魔力を込めるのに十秒ほどの時間を要さなければならなかった。しかし今のなのはにはその時間を作ることができない。「あ、あの、少しの間でいいから、あの男の人たちの気を引いてくれませんか?」「僕からもお願いします」 だからこそ、なのはたちはアルフにお願いする。「わかった。でも長い時間は稼げないよ」 それに二つ返事で了承するアルフ。どちらにしてもこのままでは全滅してしまうのだ。それならば彼女に賭けた方がマシだった。「うぉぉぉおおおお!!」 アルフは覚悟を決め、男たちに向かって突っ込んでいく。自分に注意を惹きつけるために、ヒト型が群がった中心で、フォトンランサーを連発する。隣接されたら、ヒト型の身体を拳で直接砕いていく。その度にアルフの身体に男の欠片が降りかかる。破片がかかる度に、アルフの身体には激痛が走る。たった十秒、それだけの時間稼ぎのはずなのに、アルフには数時間にも感じられた。「できた!」 そんなアルフの奮闘もあり、レイジングハートには十分な魔力が蓄えられる。なのははそれをそのまま、魔女であろう部屋の中心にいる少女のヒト型に向けて発射した。「いっけぇぇぇええええ!!」≪Divine Buster≫ レイジングハートから射出される砲撃、ディバインバスター。それに気付いた男たちはアルフを放置し、少女を守るために壁になる。だがディバインバスターに当たる端から、男たちの姿は消滅していく。その勢いはとどまることを知らない。そしてそのまま、その場に蹲っていた少女のことをかき消した。「や、やった?」≪Mode Release≫ なのはの声と共に、レイジングハートがシーリングモードへと戻っていく。なのはの砲撃によって、辺りにいた男たちはほぼ全滅していた。残った男もなのはに近寄ってこようとしない。少女がいた辺りは、小さなクレーターが出来上がっていた。そこにいたはずの少女は、跡形も残っていない。少女を倒すことができたのは、誰の目から見ても明白だった。 ――そう、少女の形をした使い魔を倒すことができたのは……。 なのはの気が抜けた瞬間、少女の傍らにいた女のヒト型が背後に現れる。その手には包丁のようなものが握られており、それをなのはに向かって振り下ろした。「なのは!?」 いち早く気付いたユーノが叫ぶ。激突するプロテクションと包丁。男の拳と違い、プロテクションとぶつかるだけで砕けるということはなかったが、ジリジリとプロテクションに食い込んでいく。このままではプロテクションが破られるのは時間の問題だった。「くそっ」 それに気付いたアルフが女に攻撃を仕掛けようとする。しかし再び現れた無数の男のヒト型にその攻撃は悉く防がれ、なのはに近づくことすらできなかった。なんとか近づくための道筋を探るアルフは、周囲に目を向ける。そこで先ほどディバインバスターに呑み込まれたはずの少女が生きているのを見つけた。いや、正確には先ほどとは違う少女なのだろう。壁に描かれているイラストの中から出てくる少女。そのイラストに目を向けると、すでに男の姿もなく、女が一人淋しく描かれているだけのものになっていた。 新しく出てきた少女は、その場に座り込むと先ほどの少女と同じようにクレヨンで絵を書き始める。少女の元へ向かうことは簡単にできそうだが、今はなのはを助けるのが先決だ。アルフは一端、その少女のことを頭から忘れ、なんとか男たちを振り切ると、なのはに向かって飛んでいった。 だが時すでに遅し。アルフが男たちを振り切っている間に砕かれるプロテクション。そしてそのままなのは目がけて包丁を突き立てようとする。だがなのはに包丁が当たる直前、突如として飛んできた赤い剣閃によって、女の腕ごと包丁を斬り落としていた。 その隙をついて、女のヒト型から距離を取るなのは。攻撃が放たれた方向を見てみると、そこには今までの使い魔とは違う、金と赤紫のヒト型の姿があった。 ☆ 魔女のいる空間にたどり着いたフェイトとすずかが見たものは、混迷する戦闘模様だった。男のヒト型に囲まれた橙色のヒト型。そして女のヒト型に襲われている桃色のヒト型。そこから少し離れた場所にいる少女のヒト型と黒いヒト型。見た目で判別できない以上、誰が味方で誰が敵なのか、二人には見分けがつかなかった。「バルディッシュ。敵はどれ」≪サー。敵は塗り潰されていない男と女、それと壁際にいる少女です≫ だが二人には見えていなくても、インテリジェントデバイスであるバルディッシュには敵味方を明確に見分けることができていた。そしてその指摘通りなら、今、まさに桃色の少女が使い魔に止めを刺される寸前だった。「赫血閃ッ!」 それに気付いたすずかが火血刀を振り抜く。狙いは正確に女のヒト型に命中し、その身体を桃色のヒト型から引き離すことに成功した。ついでに辺りにいた男たちをアークセイバーと赫血閃で薙ぎ払った二人は、桃色のヒト型――なのはと合流する。 それを見ていた橙色のヒト型――アルフは、新たな敵がなのはを襲おうとしていると思い、フェイトに攻撃を仕掛ける。≪待ちなさい、アルフ≫「えっ? その声はバルディッシュ?」 突然、聞こえてきたバルディッシュの声にアルフの攻撃はぴたりと止まる。「もしかして、フェイト?」 名前の部分はかき消されてフェイトには聞こえていないはずだが、フェイトにはアルフが確かに自分の名前を口にしたことに気付いていた。「うん、そうだよ」「フェイト~」 目の前の金のヒト型がフェイトだということに気付いたアルフは、その身体に思いっきり抱きついてくる。いきなりのことで驚いたフェイトは、そんなアルフを宥める。「再会の喜びを祝うのは後。今はこの魔女を倒して、早く結界を解かないと」「そ、そうだね」 フェイトの指摘にアルフは気を引き締め直し、その身体から離れていく。「そちらもそれでいいですよね」「はい。僕たちもそれで構いません」「うん。……えと、その、さっき助けてくれたのはあなた?」「いえ、さっきのはこっちの子」 そう言ってフェイトは横にいるすずかを示す。「そうなんだ。さっきは間一髪のところを助けてくれてありがとう」「う、うん、あなたが無事でよかった」 なのはとすずかは互いに互いの正体に気づいていなかった。そのため普段と違い、どことなく硬い口調で会話していく。≪マスター≫「ん? どうしたの? レイジングハート」≪……いえ、なんでもありません≫ バルディッシュと同じく、インテリジェントデバイスであるレイジングハートにはもちろん、すずかの姿がはっきりと見えていた。そのことをなのはに伝えるべきかどうか悩んだが、今は命を掛けた戦闘中。なのはに余計な考え事を増やすのは得策ではないと判断し、この場では黙っていることにした。「ところでアルフ、わたしには皆、敵の使い魔に見えるんだけど魔女がどれかわかる?」「それなんだけどさ、あたしたちは最初、あの少女のヒト型が魔女だと思ったんだ。それで一度は倒したんだけど、結界は解けなかった。それどころか壁から再び復活してきたんだよ」「ということは、さっき吹き飛ばした女が魔女?」「それも違うと思うよ」 フェイトの考えを否定したのはすずかである。「さっきの剣閃なんだけど、とっさのことだからほとんと力を込められなかったんだ。だけどあの女の人は吹き飛んだでしょ。魔女は使い魔よりも強いはずだから、あれぐらいの威力じゃあ気を逸らすことはできても、ダメージを食らわすのなんて無理なんじゃないかな?」「それじゃあ一体、魔女はどこに」 フェイトたちは頭を巡らせる。しかしゆっくり考える時間を与えまいと言わんばかりに男たちが襲いかかってくる。それを散開して迎撃する一同。 フェイトは男たちを各個撃破していきながら、部屋の様子を注意深く観察した。今、この部屋の中にいるのは自分たち五人と少女と女のヒト型が一体ずつ、そして無数の男のヒト型だ。少女と女は一ヶ所に固まっており、男はこちらに対して襲いかかってくる。周囲の壁には、クレヨンで描かれた家族の絵が飾られている。しかしその絵は初めは三人だったものが、今ではそのほとんどが母親と少女の二人だけの絵になっている。そこに描かれていたはずの男は、今、目の前に襲いかかってくる使い魔だ。 絵から出てきた使い魔? そのことが気になったフェイトは、試しにフォトンランサーの一つを壁に描かれた絵に向かって放つ。だがその攻撃が絵に当たることはなかった。当たる直前、絵の中から女のヒト型が現れ、その攻撃を弾いたのだ。 だが使い魔のその行動が、フェイトに一つの答えを見出した。つまり男も女も少女も、ここにいるのは全部、使い魔だということに。それに気付いたフェイトはすずかの元に近づき、そのことを話した。「すずか、壁に飾られている絵だ。たぶんそれを攻撃すれば使い魔は消える」「……っ!? わかった、やってみる」 すずかはフェイトの言葉を聞き、刃を握る力を込める。そして赫血閃を壁に向かって放った。先ほどと同じように攻撃を防ぐために現れた女のヒト型。しかし赫血閃を弾こうと触れた瞬間、自身の身体が燃え、それは叶わなかった。そしてその炎は背後にあった絵に燃え移る。そしてそれは絵から絵と、芋づる式に燃え移っていった。「ギャァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッ」 部屋に響き渡る断末魔。燃え移っていく絵の端から、男の身体が燃えていく。突然、目の前で燃えていく男の姿に驚くなのはとアルフ。そんな二人と合流しつつ、フェイトたちは事の顛末を見守った。 燃え尽きた部屋の中に残ったのは、男のヒト型、ただ一人だけだった。だがそこから感じられる魔力の質、それは明らかに先ほどまでとは違った。その禍々しい魔力が解放されると同時に、まるでメッキが剥がれるように男の身体が崩れさる。 その中から現れたのは女のヒト型だった。しかし先ほどまでの女のヒト型とはまるで別人のように見えた。先ほどまでの女のヒト型はすらっとした若い女性をモデルにしたような感じだったが、目の前にいるのは小太りの女性だ。子供の描いたイラストであるようなタッチは変わらないが、その被写体がまるで別人ともいうべき変化。そしてそれこそが、この結界を作りだしたクレヨンの魔女、ラウラの真の姿だった。 魔女の咆哮と共に湧き出てくる男と女、そして少女のヒト型。先ほどまでと打って変わって、男だけでなく女や少女も際限なく湧き出てくる。それも絵の中からではなく、ラウラの足元からだ。無限に近いヒト型を生みだす。それがラウラの能力だった。 最初に動いたのは、フェイトだった。彼女は周囲に無数のフォトンランサーを一気に展開し、ラウラに向かって攻撃を仕掛ける。だがその一つひとつをラウラが生み出した使い魔が身体を張って防いでいく。フェイトに習い、なのはやアルフもアクセルシューターやフォトンランサーで攻撃するも、やはり結果は同じだった。「皆、どいてください」 そんな三人に対してすずかは声を掛ける。なのはたちが攻撃している間、すずかは火血刀に血を吸わせていた。細かい攻撃が聞かないなら、強力な一撃で仕留める。それは先ほど、なのはたちが少女に対してディバインバスターを放った時と同じ発想だった。その考えの元、赫血閃をラウラに向けて飛ばした。 しかし鼠算式に増えたヒト型が、赫血閃の射線上に並び、その威力を削いでいく。結局、赫血閃がラウラの元に届くことはなかった。 すずかはこの一撃で仕留めるつもりだったため、血を使いすぎたのかその動きに精彩を欠く。そんな隙をつき、すずかに対して執拗に使い魔は追いたてる。その群がる使い魔はなのはとフェイトの手によって撃退する。「あ、ありがとう」「すずか、さっきのもう一度、打てる?」 フェイトは尋ねる。すずかの赫血閃はラウラの元まで届かなかったとはいえ、まず間違いなく今の自分たちの持ち得る魔法の中で一番、強力な攻撃魔法だ。だからこそ、その可能性に賭けてみたかった。「……ごめん。打つことはできるけど、次に放ってもあそこまでの威力は出ないかな」 だがすずかは、先ほどに力を込めすぎたせいか、すでに血が足りなくなっていた。これ以上、血を使ってしまえば吸血鬼化を維持することすらできなくなる。次に赫血閃を放つとするなら、それこそ止めの一撃として至近距離で放つしかないだろう。「でも目の前で打つことができれば、今の弱った魔力でも倒すことはできると思う」「そうなると問題はどうやって魔女の元に近づくかだね」 フェイトの言葉を聞き、すずかにはある考えが浮かんでいた。だがそれを実行するためには、なのはの協力が必要不可欠だった。「すいません。さっき桃色の閃光を撃ったのはあなたですよね?」「えと、その、はい」「あれってもう一度、撃つことはできませんか?」 すずかの言葉になのはは言い淀む。先ほど撃ったのは、ほとんど出たとこ勝負で出した砲撃だ。同じことをやれと言われて、なのははやれるかどうか自信がなかった。≪問題ありません。マスターの魔力なら、いくらでも放つことが可能でしょう≫「レイジングハート?」≪マスター。あなたはもう少し自信を持った方が良い。それに彼女には何か考えがあるようです。それは魔女を倒すための必勝策。……違いますか?≫「その通りです。たぶん、あの防御を突破するには、これしか方法がありません」 そうしてすずかはなのはに自分の作戦を告げる。その作戦を聞いたなのはは酷く驚き、その案を否定した。「そんな……そんなこと、わたしにはできません」「どうして?」「だって失敗したらあなたが……」「……でもたぶん、これしか方法はないと思うから。そしてそのためにはあなたの力が必要なんです」 すずかはなのはに頭を下げる。その姿を見て、なのはは困惑した。できるかできないかで言われれば、できるとは確信している。しかし失敗した時、危険な状況に置かれるのは自分ではないのだ。失敗して自分が危険な目に遭うなら問題ないが、赤の他人を危険な目に合わせてしまう可能性のあることを実行できるわけがない。「……なのは、やってみよう」「ユーノくん?」 そんななのはを後押しするかのようにユーノが告げる。「彼女の話は到底、現実的ではないけど、僕もこの状況を打開するにはそれしかないと思う。それにこのままじゃあ、いずれ僕たちは全滅だ。それなら多少、危険でも賭けてみるしかないんじゃないかな?」「わたしもそう思う」 ユーノの言葉にフェイトが続ける。「このまま隙を伺うよりは、よっぽど効率的で最善な方法だ。本当ならもっと楽に勝てる方法もあるけど、今はそれをすることができない。だからお願い、あなたの力を貸して」 そう言ってフェイトが頭を下げた。彼女の言う楽な方法とは、広域攻撃魔法であるサンダーレイジで使い魔を一掃したところからのすずかの赫血閃を至近距離で放つという至極単純なものだ。しかし多少は回復したとはいえ、杏子との戦いで受けた傷は大きい。まだ強力な広域攻撃魔法を制御しきるほどの体力は回復していなかったのだ。一歩間違えれば味方をも巻き込んでしまう魔法を、こんな状況で使えるわけがない。「……うん、やってみる」 ユーノとフェイトの言葉がなのはの心を動かし、力強く頷く。「ありがとう」「ううん、お礼はあの魔女を倒してから、だよ」「そうだね」 なのはとすずかは和やかに笑う。笑いながら、この作戦が失敗することはないという確信を持てた。二人は互いに目の前の相手が長らく親しんだ相手のように感じていた。実際にそうなのだが、現状ではそのことを知らない二人は、互いに妙に息が合っていることに内心で驚いていた。「それじゃあわたしたちが使い魔の気を惹きつけるから、その間にお願い。行くよ、アルフ」「ほいきた」 フェイトとアルフはヒト型の気を惹きつけるために飛んでいく。その間になのははレイジングハートの先端に魔力を溜める。先ほど放った時よりも、遥かに大きな魔力。その魔力の大きさに気づいたヒト型がなのはの元に向かおうとするが、それはフェイトとアルフの連携で完全に防がれていた。そうして蓄えられた魔力は、すでに先ほどラウラに向けられた赫血閃よりも強大なものになっていた。「もしかしたら、私の出番はないのかもしれないね」「にゃはは、そんなことはないんじゃないかな?」 なのはから強大な魔力が放出されていることに気付いたラウラは、一端、攻撃の手を緩め、自分の周囲にヒト型を集めた。それだけでは飽き足らず、さらにヒト型を生み出し続けている。新しく生み出されたヒト型の手には、一様に楯のようなものを手にしている。全力で守りにきてる姿勢。しかし彼女たちには、この攻撃が防がれることはないと確信していた。「それじゃあ行くよ。準備はいい?」「うん、いつでも大丈夫」 なのはの言葉にすずかは火血刀に血を吸わせ始める。勝負は一瞬、使い魔が消え去ったその瞬間が勝負だ。「じゃああとはよろしくね。ディバイーン」≪Buster≫ レイジングハートの先端から放たれる桃色の光。それを防ごうとした使い魔を容赦なく呑み込んでいく。その膨大な威力の魔力の渦に、すずかは自分から飛び込んでいった。すずかの立てた作戦、それは自身をディバインバスターで押し出し、一気にラウラを叩き切るという至極単純なものだった。「くぅ……」 全身に感じる焼けるような痛み。その感覚を全て無視し、ディバインバスターの放たれる力を利用してラウラに一気に近づいていく。ディバインバスターの外から、すずかを掴もうとする使い魔の手が伸びる。だがディバインバスターに触れる端から、その手が消えてなくなっていく。先端の方では、使い魔が消滅していく姿が見える。しかし楯持ちの使い魔はその見た目通り、防御に特化しているのか、普通の使い魔よりも消滅するのに時間がかかっていた。だがそれでも、なのはのディバインバスターを防ぎきるには至らなかった。 しかしその軌道をずらすことには成功したようで、砲撃はラウラの横を通過していった。だがそれで手一杯。ラウラのすぐ目の前まで来たすずかは、ディバインバスターの中から飛び出す。ラウラと目が合うすずか。使い魔たちはディバインバスターの攻撃を防ぐのに手一杯で、すずかにまで手が回らなかった。「……さようなら」 ディバインバスターの中で力が込められ続けた赫血閃が降り抜かれる。その威力は先ほどのものよりは弱い。だがその赫血閃は閃光を飛ばすためのものではない。直接、魔女を斬り抜くものだ。縦に切り裂かれたラウラ。その切り口からはカラフルな液体がまるで血のように噴き出す。その姿を見て、なのはたちは勝利を確信した。……ただ一人を除いて。 それはラウラに攻撃を仕掛けたすずかである。本来なら赫血閃でラウラの身体は真っ二つに切り裂かれているはずだった。だが斬り裂かれたのは顔から上半身にかけてのみ。下半身は辛うじて繋がっている状態だった。 火血刀の一撃を止めていたのは、ラウラの体内に存在した一つの宝石だった。妖しく光る青い宝石。青い宝石に当たった火血刀は、その部分からぽっきりと折れる。普通の宝石だったとしたら、火血刀ならダイヤモンドだって一刀両断できるだろう。しかし今、奇しくも火血刀が斬ろうとした宝石には魔力が込められていた。それは他人の願いをも叶えられるレベルの魔力。 そう――それはジュエルシードと呼ばれる宝石だった。 それは一瞬の出来事だった。赫血閃によって刺激を受けたジュエルシードから膨大な魔力が放出された。それはさながら魔力の柱。青白く輝く膨大な魔力がラウラの肉体を一瞬で消滅させ、至近距離にいたすずかのことを吹き飛ばす。吹き飛ばされたすずかをアルフが支える。「大丈夫かい?」「あ、ありがとう、アルフさん」 そういうすずかは非常にぐったりしていた。魔力を使い果たしたところにあれほどの衝撃を受けたのだ。無理もない。彼女はもう魔法少女としての姿を維持することもできず、旅館の浴衣姿に戻っていた。 フェイトは横目ですずかの無事を確認すると、再びその視線を青白い魔力の柱に向ける。ある程度、放出しきったのか、魔力の柱は徐々に小さくなっていき、元の宝石の形へと戻る。しかしそのジュエルシードからは、膨大な魔力が不安定に溢れていた。このままでは先ほどよりもさらに強力な魔力が放出されるのは、誰の目から見ても明らかだった。 そことは反対側の位置からジュエルシードを見ていたなのはとユーノは、突然のことでまともに動くことができなかった。アルフもそうだが、二人は初めからこの付近にジュエルシードがあることに気付いていた。しかもそれを魔女が持っていると予測も立てていた。それなのにも関わらず、このような事態を招いてしまい、すずかはもちろん、この世界そのものを危険に晒して仕舞っていたことを悔いていた。 なんとかジュエルシードを封印しなおさなければならない。なのはとフェイト、二人の考えはこの時一つになっていた。 一気にジュエルシードに向かって飛んでいく二人。その飛行魔法の練度から、先にジュエルシードの元にたどり着いたのはフェイトだった。すでにジュエルシードはどんな刺激でも暴走してしまう状態だった。ならば自分の魔力を直接ぶつけて強制封印する他ない。フェイトはジュエルシードをその両手で握りしめた。「フェイト!? ダメだ、危ない!?」 そんなフェイトの姿を見てアルフが叫ぶ。しかしフェイトはそれに耳を貸さない。その場に座り込み、念じるように目を瞑り魔力を籠めていく。「止まれ、止まれ、止まれ、止まれ止まれ止まれ止まれ」 もし彼女が消耗していないのなら、それで十分、封印できていただろう。だが杏子から魔女との二連戦で、フェイトは自分の想像以上に消耗していた。彼女の両手は、ジュエルシードの魔力が抑えきれず裂けていく。その痛みを我慢しながら、それでもジュエルシードを握りしめた。(ダメ、このままじゃ、抑えきれない) 心の中で弱音を漏らす。もってあと十秒。その間にフェイトはアルフに逃げてと伝えようとする。だがその前に、フェイトの手は暖かいぬくもりに包まれた。 フェイトの手を上から握ったのはなのはであった。その姿はすでに魔女の結界によって塗り潰されたものではない。少し疲弊している様子も見え隠れするが、ラウラやその使い魔であるヒト型とは違う、きちんとした人間の顔がそこにあった。「わたしも手伝うから、一緒に頑張ろう」 そう告げると、なのはの手から放たれる魔力がフェイトに伝わる。なのはの魔力を受け、フェイトは気合を入れ直し、ジュエルシードを封印しようとする。二人の足元には金色と桃色の魔法陣が重なる。二人の指の間から洩れる、青白い輝きが徐々に失われていく。そしてその輝きが完全に失われた時、ジュエルシードはきちんと再封印された。「はぁ……はぁ……やった」「……うん、これでなんとか」 なのはは握りしめていたフェイトの手を離す。二人の手は互いの血で血まみれになっていた。なのははなんとか立ち上がることができたが、フェイトは立ちあがることすら困難だったため、その場で気絶するようにその意識を失った。「フェイト~」「フェイトちゃん」 それに気付いたアルフとすずかは、フェイトに向かって駆けよっていく。アルフは何事もなく、フェイトの元に駆け寄ったが、すずかの足はその途中で止まった。「な、なのはちゃん?」「すずかちゃん、なの?」 姿を隠すものがなくなった今、なのはとすずかは互いの姿を見る。先ほどまで魔女に対して共闘していた相手、それがまさか親友であったことになのはとすずかはその驚きを隠すことができなかった。☆☆☆★★★☆☆☆★★★☆☆☆★★★オマケ 魔女ラウラのパーソナルデータラウラクレヨンの魔女。その性質は痛み。魔法少女になる時の願いは「両親が自分に笑顔を向けてくれること」両親から虐待を受けていた彼女が望んだ淡い願い。しかし願いを叶えてもらっても両親の虐待は止まらない。ただその表情だけが笑顔に変わっただけだった。契約する前はクレヨンで仲の良い家族の絵ばかり描いていた。2012/8/2 初投稿、およびクレヨンの魔女ラウラのパーソナルデータを追加