ラウラとの戦いから翌日、時の庭園の医務室内で、アルフは心配そうな表情でフェイトの寝顔を眺めていた。なのはたちを巻いたアルフはその足で時の庭園に戻り、フェイトを医務室に運び込んだ。医療知識のないアルフだったが、システムのアナウンスに従い、精一杯フェイトの治療を行った。その甲斐があってか、今は安らかな顔で眠っている。目を覚ますまで時間の問題だろう。『……アルフ』 アルフは身体を休めつつフェイトを眺めていると突然、ディスプレイの向こうから呼びかけられる。それは時の庭園の主でありフェイトの母親であるプレシア・テスタロッサからだった。「なんだい」 プレシアから話しかけられたアルフはあからさまに顔を顰める。アルフはプレシアのことが嫌いだ。 アルフにとって母親とは、何があっても子供を守るものだと思っていた。フェイトの使い魔になった当初は、顔を見せることは少ないが、フェイトが語り聞かせる優しいプレシアのエピソード。それにリニスの存在もあり、きちんとフェイトのことを気に掛けている立派な母親だと思っていた。 しかしリニスがいなくなってから次第に見せ始めるプレシアの本性。フェイトが何か失敗するたびに罵声を浴びせ、場合によっては鞭を振るう。任務を果たしたとしても特に褒めたりすることはない。それどころか休ませることもなく次の仕事に向かわせる。そんなプレシアのフェイトに対する所業はアルフにとって、とても許されたものではない。フェイトの前では口にしないが、内心では「鬼婆」と思っていた。『どうして戻ってきているの? まだ定期報告の時期ではなかったはずよ』「フェイトが大怪我をしたんだ。その治療に戻ってきたんだよ」『……そう』 フェイトが怪我をしたというのに、眉一つ動かさないプレシアにアルフは怒りを心頭させる。「……他にも何か言うことがあるんじゃないのかい」『そうね。アルフ、あなたは先に第97管理外世界に戻ってジュエルシードの捜索を行いなさい』「はっ?」 プレシアの口から出た言葉が、アルフには理解できなかった。アルフが想定していたのは、フェイトを心配する言葉だった。いくらプレシアが母親としては最低の部類だとしても、自分の知らないところで娘が怪我をして帰ってくれば、少しは心配するはずだとアルフは信じていた。だがそんなアルフの思いは予想外の形で裏切られる。『聞こえなかったのかしら? それならもう一度言うわ。あなたは先に地球に戻ってジュエルシードの捜索を続けなさい。転移ポートはすぐにでも使えるようにしておくから』 呆けているアルフに対し、プレシアはそう続けた。「ちょ、ちょっと待ちなよ。あんた、フェイトの母親だろ。少しは心配してもいいんじゃないのかい!?」 あまりにもプレシアが淡々とし過ぎているのを見て、アルフは慌てて指摘する。『……心配してるわよ。フェイトは貴重な戦力だもの。だからこそ今すぐ叩き起したりしないで、目を覚ますまでは待ってあげようと思っているんじゃない』「あ、あんたは……」 プレシアの言い分にアルフは言葉が回らなかった。プレシアがフェイトに向けている感情は決して心配などではない。ただ冷徹に利用価値があるかどうかを見定めているだけだ。その上で傷が完治すれば、フェイトはまだ戦えるから今は寝かせておくと言っているのだ。『でもアルフ、見たところあなたの傷なら十分、ジュエルシードを探しにいけるはずよ。何よりあなたはフェイトの使い魔なのでしょう? なら主が動けない間はその代わりに主のやるべきことを行う義務があるわ。フェイトのことは私が見てあげるから、あなたはさっさとジュエルシードを探しに行きなさい』 プレシアの言い分も少しは理解できる。自分はフェイトの使い魔なのだ。主に命じられたことはきちんとこなさなければならない。しかしその前に、アルフはプレシアに言っておくことがあった。「……プレシア、そもそもフェイトがどうしてこんなに大怪我して帰ってきたと思っているんだい?」 その言葉にプレシアは少し考える素振りを見せる。『大方、暴走したジュエルシードに巻き込まれたのでしょう』 プレシアの推理は実に簡単なものだ。地球は管理外世界。つまり魔導師のいない世界だ。質量兵器は使われているものの、結界を張ってしまえばその中に追ってこれる者はいない。ならば原因は単純明快だ。例えプレシアでなくても、地球が何の変哲もない管理外世界だと思っている人物なら同じ結論を出しただろう。「確かにそれもあるけど、それだけじゃない。あんた、あたしたちに言ったよね。地球は魔導師のいない管理外世界だって」『そうね。それは間違いないはずよ』「なのにどうして、あの世界に独自の魔法体系を持つ魔導師がいるんだい」『……どういうこと?』 アルフの言葉に初めてプレシアは驚愕の表情を浮かべる。地球出身の魔導師はミッドにもいる。しかしあの世界自体には魔法の技術そのものが存在しない。それは管理局のデータベースにも記載されている事柄なので、まず間違いないはずだった。「言葉通りの意味だよ。地球はただの管理外世界じゃない。魔女と呼ばれる怪物と魔法少女と呼ばれる人間が戦いあっている危険な世界だったんだよ!?」 そこまで言い切ったアルフは、いつの間にかプレシアを映していたディスプレイが消えているのに気づいた。話の途中で勝手に消えるなんて相変わらず身勝手な奴だ。そんな奴の命令なんて聞いてやる必要はない。そもそもアルフの主はフェイトなのだ。プレシアの命令を聞いてやる義理はアルフにはない。だからアルフはそのままフェイトの寝顔を見守り続けることにした。 だがそれも数分も持たなかった。いきなり医務室の入口の扉が開くと、そこにはプレシアの姿があった。まさか直接やってくると思っていなかったアルフは、プレシアの姿を見て戸惑う。 プレシアはそんなアルフを無視して、フェイトの眠っているベッドに歩み寄る。その顔を一瞥したプレシアの表情が、アルフには少しだけ曇ったように見えた。「アルフ、バルディッシュはどこ?」 だがそれも一瞬のことで、すぐにプレシアの表情が普段の仏頂面なものへと戻る。アルフは無言で部屋の脇にあるテーブルを指差した。傷一つないバルディッシュが置かれていた。プレシアはそれを手にすると、医務室から出ていこうとする。「ちょ、ちょっと、バルディッシュをどこに持っていこうっていうんだい?」「少し、あなたの言葉を確かめるだけよ」 バルディッシュをはじめとするデバイスには映像を記録する機能を持っている。ストレージデバイスなら魔導師の意思を介さなければ記録しないだろうが、自分の意思を持つインテリジェントデバイスなら話は別だ。彼らは自分たちの判断で戦闘の状況を記録する。特にバルディッシュはプレシアの使い魔であるリニスが予算を気にせずに作り出した最高のデバイスだ。もしアルフの言うようなイレギュラーな事態が起こったのなら、その出来事を記録していないことなどあり得ないだろう。「……あなたにもあとで確認することがあると思うから、フェイトの看病でもして暇を潰してなさい」「えっ?」 プレシアはアルフの方を向くこともなくそう告げると、医務室から出ていく。その意外な言葉にアルフはしばらくの間、呆気にとられるのであった。 ☆☆☆ 自室に戻ったプレシアは、早速バルディッシュに記録された映像を見ようとする。だがその前に、フェイトが回収したジュエルシードを確認することにした。「たった四つ。これはあまりにも酷いわ」 バルディッシュから放出されたジュエルシードはプレシアが想定していた数よりも、遥かに少ないものだった。フェイトたちが時の庭園を出たのが約三週間前、もし地球がただの管理外世界だったらプレシアはフェイトに対して鞭打ちを行っていただろう。 だがアルフの言葉を信じるのならば、地球には独自魔法体系があるのだという。それはプレシアの興味を十二分に惹きつけた。未知の魔法を知ることでプレシアの目的を叶える手がかりが見つけられるかもしれない。だからこそ、彼女はアルフに待機を命じたのだ。「さぁバルディッシュ。見せてごらんなさい。あなたが地球に行ってから見た光景、その全てを」 プレシアの魔力が込められたバルディッシュは、記録されていた映像を順に映し出す。見滝原に降り立ち、現地の魔法少女と共に魔女シャルロッテと戦ったこと。海鳴市に行きすずかを助けるために魔女バルバラと戦ったこと。ジュエルシードを巡って魔法少女である杏子と争ったこと。一度は出し抜かれた杏子からジュエルシードを奪い返したこと。他の魔導師や魔法少女と共に、強大な力を持った魔女ラウラを撃破したこと。「……どうやらアルフの話は嘘ではないようね」 映像を見終えたプレシアは小さく呟く。しかしその内心では驚きの連続だった。 違法研究に身を置いているプレシアには、裏の世界に精通している情報屋がいる。彼女は自分の研究材料となり得る存在を、そういった情報屋に探らせていた。ジュエルシードの情報もそんな情報屋の一人から買い取ったものだった。地球についてはちゃんとした情報を買ったわけではなかったが、それでも何か普通ではない存在がいれば情報屋はそういった存在を臭わせ、さらに金を毟り取ろうとしたはずだ。だがジュエルシードの情報を売ってきた情報屋からはそういった素振りは全くなかった。つまりその情報屋は本当にこの情報を知らなかったのだろう。 また管理局もそれは同じだ。プレシアの知る管理局が地球にこのような技術があることを知って放っておくはずがない。いくら極秘裏で地球の魔法少女と接触したとしても、必ずどこかから情報が漏れるはずだ。つまり管理局もここに映されている存在を知らないということになる。(……まぁそんなことはどうでもいいわ) プレシアはバルディッシュに記録された映像を操作し、ある人物の姿を映す。いや、それは決して人ではない。白い体毛に赤い瞳、プレシアが映したのはキュゥべえの姿だった。映像の中のキュゥべえはフェイトたちに対してこう口にする。「ボクはどんな願いでも一つだけ叶えてあげられる。その代わりにその後の人生は魔女との戦いに身を置いてもらうことになるけどね」 この発言で重要なのは「どんな願いでも一つだけ叶えてあげられる」という部分。その言葉はプレシアにとってとても魅力的なものだ。もし事実ならば、今までプレシアが行ってきた研究内容をすべてすっ飛ばし、彼女の目的を達成することができる。 しかしプレシアはキュゥべえの言葉をそのまま鵜呑みにしなかった。 そもそも彼女がフェイトに命じて集めさせているジュエルシードにも使用者の願いを叶える作用がある。酷く不安定なのでとても使えたものではないが、膨大な魔力を秘めている分こちらの方が汎用性に長けると言えるだろう。 だがもしキュゥべえの言葉が事実だとしたら……。プレシアは映像を操作し、魔女バルバラとの戦いをディスプレイに表示する。月村すずかという名の現地住民。彼女を助けるために、フェイトは自分の身を危険に晒した。バルバラの蔦に捕らわれ、その中で意識を失うフェイト。その暗闇が光に照らされた時、ただ守られているだけのすずかが強大な力を発していた。先ほどまで魔力の反応がまるで感じられなかったすずかから、あれだけの力が発揮される。あれがキュゥべえと契約し、魔法少女になるということなのだろう。 肝心な部分を見ることができなかったのではっきりしたことは言えないが、キュゥべえの言が本当ならフェイトが捕らわれている間にすずかの願いを叶えたということになる。そしてそれを目撃している人物が、当事者以外に一人だけいた。 それを問いただす前に、プレシアは最後に気になった部分を表示させる。それは旅館内で佐倉杏子という魔法少女と向かい合っている時に見せたアルフとキュゥべえのやり取りだった。「……あんたもジュエルシードを狙ってたっていうのかい?」「そういうことになるね」 キュゥべえがジュエルシードを狙っている事実。さらに……。「……魔法少女になった奴は不幸になる。そんな責務、ゆまに負わせたくない」 杏子が頑なに千歳ゆまを魔法少女にしたくないと主張している点。その二つがプレシアには引っかかった。 キュゥべえがジュエルシードを狙っている点については検討もつかないが、ゆまを魔法少女にしたくないという杏子の心情はある程度、推測できた。つまり魔法少女になることで、なにかしらのデメリットがあるのだ。彼女が口にしていた一生魔女と戦い続けなければならないというのもその一つだろう。だが果たしてそれだけなのだろうか? なにせ好きな願い事をかなえて貰うのだ。代償がたったそれだけであるはずがないとプレシアは予測を立てていた。 ある程度、今ある情報の考察を終えたプレシアは、改めて医務室に通信を繋ぐ。『今度はなんだい?』「バルディッシュに記録されている映像を見たわ」『ならあたしが言ったことは本当だってわかっただろ』「ええ、だけどいくつか確かめたい点があるから、今から言う質問に答えなさい」 プレシアの妙な態度に、アルフは顔をしかめる。基本的にプレシアとアルフは直接会話しない。そもそもお互いに話すことはないし、たまに話すことがあったとしてもその間には必ずフェイトがいた。二人が一日の間にこれほど言葉を交わすのは、初めてのことかもしれない。『……ま、まぁ、あたしにわかることなら』 医務室から出ていく時に見せたプレシアの言葉も相まってか、アルフの言葉に込められた刺々しさが薄まっていた。そんなことに意を止めないプレシアは淡々とアルフに確認事項を口にした。「アルフ、あなたは月村すずかがキュゥべえにどのような願いをしたか知っているかしら」 その質問はアルフには想定外のことだった。何故、ここですずかの名前が出てくる。キュゥべえや杏子ならまだわかる。胡散臭い要素が満載のキュゥべえとジュエルシードを巡って敵対している杏子。どちらもアルフにとっては警戒対象だった。 だがすずかは別である。彼女はジュエルシードを狙っていないし、何よりフェイトの命を救ってくれた。魔女ラウラとの戦いのときだって、彼女が自分の身を削る捨て身の攻撃を仕掛けなければ倒すことができなかっただろう。そんな相手に警戒心を抱くほど、アルフは疑り深い性格をしていなかった。フェイトの母親とはいえ、プレシアの方が信用できないくらいだ。『えーっと、確か、私も強くなりたい、とかだったかな? 何でそんなことを知りたがるんだい?』 だが特に黙っている理由もなかったので、アルフはその時の状況を思い出しながら答えた。しかしその答えはプレシアの望むものではなかった。即物的な願いならすずかの周辺にサーチャーを飛ばすだけで確かめることができただろう。しかしすずかの願いは概念的なことだ。事実として確かに彼女は強くなっているが、それが願いを叶えた結果なのか、魔法少女になったからなのか、プレシアには判断のしようがなかった。「キュゥべえがジュエルシードを狙う理由に心当たりはある?」 アルフの疑問に答えず次の問いかけをしてくるプレシア。そんな態度にアルフは少し腹が立ったが、この程度の対応はプレシアなら仕方がないと自己完結した。むしろ普段よりもまだとっつきやすさがあるぐらいだ。『そんなことあたしが知るわけないだろ。さっきからこんな話にどんな意味があるってんだい?』 だからアルフも少しなれなれしくプレシアに口をきく。「……使えない使い魔ね」『なっ……』 小声で呟いたプレシアの言葉はアルフの耳にもしっかりと届いていた。否、プレシアはわざとアルフに聞こえるようにそう口にしたのだ。アルフはすかさず言い返したが、プレシアはそんな言葉に耳を貸さず、通信を切った。 他にもまだ確認したいことはある。だがその答えをアルフは持ち合わせていないだろう。そしてバルディッシュと常に行動を共にしていたフェイトもまた、プレシアの疑問に対する回答を持ち合わせていないはずだ。 だがそれでも、フェイトが持ち帰った情報はプレシアに新たな可能性を見出した。管理外世界に存在した未知の魔法体系。何でも願いを叶える存在、キュゥべえ。絶望を撒き散らす魔女。それらの存在を知ることで、プレシアは自身の研究を完成させることができるかもしれない。もしくはそういった過程を飛ばして、キュゥべえに願いを告げるだけで彼女の生涯を賭けた目的を達成させることができるかもしれない。「もうすぐよ。もうすぐ、あの子の笑顔を再び見ることができる。もうすぐあの子を自由にしてあげることができる。待っててね、私の愛しいアリシア」 プレシアは誰にともなく呟く。その声はフェイトやアルフが今まで聞いたことのないくらい優しさに満ちていて、それでいて狂気的なものだった。2012/8/12 初投稿2012/8/15 台詞と字の分の行間が詰まっている箇所があったので修正