「えと、杏子さんにはこの間は自己紹介できなかったけど、わたしの名前は高町なのは。私立聖祥大学付属小学校三年生、です」「小学校三年生なんだぁ。ならたぶん、わたしと同じ歳だね」「あれ? ゆまちゃんにはこの前、自己紹介をしたと思うけど?」「そうだっけ?」 一つのベンチに座る三人の少女。その中央に座っているゆまは満面の笑みで他愛のない話を繰り返していた。そのほとんどがなのはに向けられたものだ。ゆまはフェイトと同じくらいに、なのはとももう一度話をしたいと思っていた。なのはの言葉がなければ、ゆまは前に進むことができなかった。だからその時のお礼を言いたかったのだ。 ゆまの左手側に座っていたなのはは、その言葉を聞きながらチラチラと杏子の顔を伺う。ゆまとの再会もなのはにとって喜ばしいことではあったが、それ以上に杏子の存在が気になっていた。 なのはの視線を感じ取っていた杏子ではあったが、敢えて二人の会話には口を挟もうとはせず、思考を巡らせていた。海鳴市でフェイトより先に出会った魔導師。それがなのはだ。本来なら情報が少ない相手には警戒をして然るべきところではあったが、ゆまがなのはに懐いていることから危険はないと判断していた。「ところでなのはとキョーコはいつ知り合ったの?」 一頻り再会を喜んだゆまは、そんな質問を二人にぶつける。「それはこっちの台詞だ。ゆまはいったいどこでこいつと知り合ったんだ?」。「えーっと、ほら、あの時だよ。温泉宿に泊まっていた時、フェイトちゃんの部屋から飛び出して行ったでしょ? あの時になのはと少しお話したんだよ。ねっ?」「にゃはは……。えと、その、そんな感じです」 最後にゆまに同意を求められたなのはだったが、なのは視点から見れば泣いているゆまを追い駆けて話しただけなので、そんな曖昧な返事をすることしかできなかった。「そういえばキョーコには言ってなかったけど、なのはの言葉があったからわたしは我儘を言わないって決意をすることができたんだよ」 それまではゆまの話をただ聞いているだけの杏子であったが、次の言葉に目を大きく見開いた。ここで言うゆまの我儘というのは、すなわち「一人前になるまで魔法少女になるとは言わない」という彼女の決意表明を指す。 思い返してみれば部屋に戻ってきたゆまは妙に物わかりが良かった。特に杏子が諭すことなく、自分でその結論を口にした。あの時は一人で考えてそういう結論に行きついたのかと思っていたが、まさかなのはの言葉がきっかけになっていたとは、杏子には思いもよらなかった。「それならあたしはなのはにお礼を言わなきゃならないな」 そう言って杏子はなのはに頭を下げた。いきなり頭を下げた杏子の姿になのはとゆまは驚かされた特にゆまは素直にお礼を言う杏子の姿などを見るのは初めてのことだったので、思わず自分の頬を抓って、夢かどうかを確認してしまったぐらいだ。「えーっと、そのー、わたしにはなにがなんだか……」 お礼を言われる心当たりがまるでなかったなのはは、軽くパニックに陥る。「わからないならそれでもいいさ。あたしにもいったいゆまとの間でどんなやり取りがあったのかなんて知らないしな。でもなのはのおかげでゆまが魔法少女になるなんて戯言を言わなくなったんだ。だからあたしのお礼は素直に受け取ってくれ」「キョーコ、それ言っちゃっていいの!?」 魔法少女のことを隠さないで口にする杏子に対し、ゆまは今日一番の大声を上げる。「いいんだよ。こいつはフェイトと同じ、魔導師なんだから」「……ええええぇぇぇぇっ? そうなのーーーー?」 そしてその記録はすぐに塗り替えられることになった。「えーっと……」 ゆまに尋ねられ、なのはは答えを窮する。杏子の関係者とはいえ、話を聞く限りゆまは一般人だ。そんな相手に魔導師のことを話してしまってよいのか、なのはにはわかりかねた。「別に隠す必要はねぇよ。どうせ今、言わなくても後であたしが説明させられることになるしな」「そ、そうですか。……ところで杏子さんは魔導師じゃなくて魔法少女なんですよね?」「ま、そうだな」 あっけらかんと答える杏子。そんな杏子に対して、なのはは真面目な瞳を真っ直ぐに向けた。「杏子さん、魔女ってなんなんですか? それに魔法少女っていったい?」 ここで魔法少女である杏子と話す機会を得られたことは、なのはにとって非常に幸運なできごとだった。彼女から魔法少女や魔女についての話を聞けば、すずかの考えていることが少しは理解できるようになるかもしれない。だからこそ、なのはは真剣にならざるを得なかった。「いきなりそう言われても、どっから説明すればいいのやら……」 そんな真剣な態度に当てられた杏子だったが、漠然とそう聞かれるとどう答えて良いのか返答に窮した。「魔法少女っていうのは正義の味方で、魔女っていうのは人類の敵。そうだよね、キョーコ?」 そうして悩んでいる杏子を尻目に、ゆまがさらっと答える。「正義の味方?」「そうだよ。魔女っていう化け物から人々を守るために戦う正義の味方。それが魔法少女だよ。ま、キョーコは全然、正義の味方っぽくはないんだけどね」「あたしが正義の味方じゃないってこと以外は間違いだらけじゃねぇか!?」 思わずゆまの説明に突っ込む杏子。確かにゆまの言う通り、そういった信念で戦っている魔法少女もいないわけではない。杏子自身も正義のために、人々のために魔女と戦っていた時期も確かにある。しかしそれは幻想。事実とは程遠い。「えーっと、わたしが聞きたいのはそういった話じゃなくて、そもそもどうやって魔法少女になるかとか、なんで魔女っていう怪物がどういったものなのかなって話なんですけど……」 勘違いして得意げに語るゆまになのはは指摘を入れる。「どういうこと? なのはは魔法少女になりたいの?」「そういうわけじゃないんだけど……」「それならなんでそんなことを聞きたがるんだ? もしかして知り合いが魔法少女にでもなったのか?」「……えと、その、はい」 まさか冗談で言ったことが当たるとは思っていなかった杏子には次の言葉がすぐに浮かんでこなかった。だがすぐに、杏子にはなのはの知り合いという魔法少女が誰なのか見当がついた。「もしかして、すずかか?」「すずかちゃんを知ってるんですか!?」 杏子の口から語られた親友の名前に、なのはは思わず前のめりになって杏子に詰め寄る。「まぁ少しだけな。……なんかあったのか?」 魔法少女の話になってからなのはの様子はどこか変だ。真剣なように見えて心ここに在らずといった具合に物思いに耽るような顔を見せる。話の流れからその原因を作ったのはすずかに間違いないのだろうが、杏子の中でのすずかの印象はそんなに悪くない。初対面の時や魔女ラウラの結界内で戦った時に感じた恐怖心。それ自体は好ましいものではないが、実際に話してみた印象だけで言えば、ゆまよりも手のかからない子供といった印象だった。 それはフェイトや目の前にいるなのはもそうだ。常日頃からゆまという幼い少女と接しているせいか、杏子はそのぐらいの年頃の少女の気持ちが少しは理解できるようになっていた。 だからこそ杏子にはなのはが深く悩んでいることがわかった。思えば初めからなのはの表情にはどことなく憂いを帯びていた。ゆまと話している時も、自分と話している時も、表面上はきちんと返事をしているが、心ここに在らずといった感じだった。おそらくそのことにはゆまも気づいているだろう。「別に話したくないなら話さなくてもいいけどさ、たぶん話した方がすっきりすると思うぞ。実際、ゆまの悩みもなのはと話したから解決したようなもんだしな」「そうだよ! なのはがわたしと話してくれたから、わたしは一歩前に進むことができたんだよ。あの時、なのはが追いかけてきてくれなかったら、わたしはまだ杏子と仲直りできてなかったと思う。だからわたしも、なのはが困っていたら少しでも助けてあげたいんだ。なのはがわたしを助けてくれた時みたいに」 言い渋るなのはに対し、杏子とゆまは言葉を掛ける。そんな二人の言葉がなのはの心に浸透する。 思えばなのはには大切な家族や親友はいたが、悩みを相談できるような相手はいなかった。もし違った悩みならアリサやすずかに相談することができたかもしれない。だが今、なのはが悩んでいるのはそんな二人のことについてなのだ。それを当人に話せるわけもない。 それだけに杏子とゆまのその言葉は嬉しかった。二人とも今日で会ったのは二度目なのにも関わらず、自分に優しい手を差し伸べてくれている。幼い時に抱いていた孤独感と同じ物を感じていた今のなのはにとって、それは涙を流すほど嬉しいことだった。 ☆☆☆ 時の庭園から海鳴市に戻ってきたフェイトとアルフは、すぐに行動を開始した。一つは前々から行っていたジュエルシード探し。もう一つはプレシアから新たな任務だ。「キュゥべえ、それが無理なら魔法少女を一人、時の庭園まで連れてきなさい」 時の庭園で目覚めたフェイトに突きつけられた新しい指令、それはキュゥべえの捜索だった。二人にはプレシアの意図はわからなかったが、フェイトはそれを快く引き受けた。 そもそもプレシアの意図など、フェイトには関係ない。彼女はプレシアが喜んで、自分に優しい笑みを向けてくれればそれでいいのだ。だからこそフェイトは従順にプレシアから言われた仕事をこなそうとした。 一方のアルフは、プレシアから与えられた新たな任務を怪訝に思う。バルディッシュに記録されている映像は、後でフェイトと共に見たアルフだったが、特別変わったものは映されていなかった。強いて言えばアルフが直接見ていなかった杏子との戦いは興味深いものだったが、それがプレシアの興味を引くとは到底思えない。(どちらにしても、キュゥべえを時の庭園に招くのは、なんか嫌な予感がするよ) すずかなら何の心配もなく招くことができる。杏子も個人的には嫌いだが、特に問題はないだろう。……しかしキュゥべえは不味い。あの腹の底が見えない生物をプレシアに合わせたら、いったいどんな悪だくみをするかわかったものではない。だからアルフは、サーチャーの探査対象からキュゥべえを除外していた。フェイトに気付かれれば怒られてしまうかもしれない。それでもアルフは自分の悪い直感を信じて疑わなかった。 そうしてしばらく探していると、アルフのサーチャーが近くの繁華街の方からすずかの魔力反応を示す。【フェイト、見つけたよ。すずかだ】【こっちも杏子を見つけたんだけど、あの時の子も一緒みたい】【あの時の子? あのゆまって子のことか?】 彼女なら杏子と一緒にいてもおかしくない。もし仮に、また杏子と争うことになったとしても、何の力を持っていないゆまは障害にはならない。一度、フェイトが一人で杏子を打ち負かしている以上、二人で会いに行くのなら何の問題もないだろう。【その子もいるけど、もう一人。ほら、この前、一緒に魔女と戦ったミッドの魔導師の女の子】 だがフェイトの口から語られたのは、アルフの頭から抜け落ちていたもう一人の魔導師だった。自分とジュエルシードを巡って争い、魔女の結界内では共闘した白い魔導師。フェイトを助けてくれた恩もあるが、ジュエルシードを狙っているということは遠からず敵対することになる相手だろう。【ならここは、先にすずかのところに声を掛けにいかないかい? 念のため杏子の位置は常に補足しといておけば、すずかに断られたとしてもすぐに会いにいけるだろうし】 アルフとしては、病み上がりのフェイトに無茶をさせたくない。バルディッシュに残された映像から、すでに杏子とは敵対することはないだろうとは思ったが、今はなのはも一緒だ。もしかしたら二対二の戦闘に発展する可能性もある。 だがすずかなら安心だ。彼女はジュエルシードを必要としていないし、何よりフェイトを助けてくれた少女だ。戦闘になることなどまずあり得ない。アルフは安易にそう結論付けた。【……そうだね。それじゃあアルフ、あなたは先にすずかに事情を説明しといて。わたしもすぐに行くから】【りょーかい!】 フェイトは少し迷った様子だったが、結局すずかのところに先にいくことを了承してくれた。一端、念話を終えたアルフはすぐにすずかの元に向かった。「あれ? 珍しいね。フェイトと一緒じゃないなんて。今日はキミ一人だけなのかい?」 この時、アルフは一つのミスを犯していた。それはキュゥべえを探査対象から除外していたこと。だからアルフはすずかがキュゥべえと行動を共にしていることに気づけなかった。「なっ、なっ、なっ……、なんであんたがここにいるんだい!?」 今、一番会いたくなかった奴と遭遇したことでアルフの声が裏返る。「おかしなことを言うね。ボクが魔法少女になりたてのすずかと行動を共にするのは、そんなに驚くことなのかい?」 キュゥべえの主張は至極当然のものだった。だからこそ、アルフは二の句が告げず、言葉を詰まらせる。「……アルフさん、何か御用ですか?」 そんなアルフにすずかが低い声で尋ねる。そうして改めてすずかの顔を見た時、アルフの全身に鳥肌が立った。 血のように赤いすずかの瞳。それは何度か戦いの場で見ていた。だが記憶が確かなら、それは鮮やかな深紅だったはずだ。しかし今のすずかの瞳はどこか黒ずんでいる。不純物が混ざった鬱血したような色。その闇の深さにアルフは本能的に恐れてしまったのだ。「あ、あんた、その目は一体どうしたんだい?」「ああ、これですか。元の色が戻らなくなってしまって……。大丈夫ですよ、きちんと見えてますから」 色が変わろうとも、すずかの目はきちんと機能を果たしていた。……いや、正確には果たし過ぎていると言える。元々、すずかの視力は悪くない。さらに夜の一族の特性上、夜目も普通の人間以上に効く。だが今はそれだけではなく、魔力な微量の流れもその瞳に映し出していた。また魔眼としての機能にも磨きがかかり、一瞬でも視線を合わせるだけで相手に畏怖の感情を植え付けることができるようになっていた。アルフが必要以上に恐れてしまったのもそのためだろう。「それでアルフさん、いったい何の御用なんですか? できれば後にしてもらいたいんですけど……」「そ、そうなのかい? それじゃあまた今度にでも……」 すずかに怯えたというのもある。だがそれ以上にキュゥべえがいるこの場では話したくなかったアルフは、そう言って立ち去ろうとした。「アルフ、お待たせ」 しかし幸か不幸かそのタイミングでフェイトがやってきてしまう。フェイトが来てしまったことにより、アルフは立ち去るタイミングを完全に失ったことを悟る。 そんなアルフの胸中には気づいていなかったフェイトだが、場の空気がどこかおかしいことには気づいていた。アルフの身体は妙に縮こまっており、すずかからはどこか禍々しいとも言える魔力が感じられる。「すずか、その目は……?」 そうして注意深くすずかの様子を伺おうとしたフェイトは、すぐに彼女の目が赤く染まっていることに気付いた。服装は白いワンピースとまったく魔力を感じない普通の衣服なのに、その瞳からは強い魔力が放たれている。「ちょっと、ね。フェイトちゃんこそ、あの後、大丈夫だった?」 アルフの時とは違い、言葉を濁して返事をするすずか。それと同時にフェイトの身体も気に掛ける。 今のすずかは魔眼の力を完璧にコントロールができない。強弱くらいは付けることは可能だが、その力を抑えることはできなかった。そんな状態でフェイトと目を合わせたら、彼女の傷に障るかもしれない。だからこそ、すずかは決してフェイトとは目を合わせようとはしなかった。「うん。もう大丈夫だよ」「それならよかった」 フェイトの返事を聞いて、ほっと胸をなで降ろすすずか。その仕草自体はフェイトの知っているすずかそのものだ。だが彼女に帯びている雰囲気の禍々しさ。おそらく赤い瞳から放たれている魔力のせいなのだろうが、そんなすずかのちぐはぐさがフェイトに警戒心を抱かせた。「……ところで結局、キミたちは何をしにここに来たんだい?」 そんなすずかに対し、どう本題を切り出すべきかと悩んでいたフェイトに救いの手を差し伸べたのは意外にもキュゥべえだった。すずかに注意を取られていたせいで、この場にキュゥべえがいたことにフェイトは気付いていなかった。 しかし考えると、この場にキュゥべえがいるのはフェイトにとって都合が良い。元々、フェイトが優先的に探していたのはすずかや杏子ではなく、キュゥべえの方なのだ。だから一端、すずかからキュゥべえに視線を移し、自分の目的を伝えようとする。「実は、あなたにお願いがあってきたの」「お願い? それはもしかしてボクと契約して魔法少女になってくれるってことかい?」 フェイトから意外な申し出に思わず期待してしまうキュゥべえ。「そうじゃないよ。母さんがあなたに……」 ……会いたがっているから一緒に来てほしいんだ。 ――そう言い掛けたフェイトだったが、突然、魔法少女の姿になってフェイトの横を駆け抜けていったすずかを見て、その言葉を飲み込んだ。 その数瞬後にすずかの走っていった方から強い魔力が放たれているのを感じ取る。それはジュエルシードから発せられる魔力だった。幸い、まだ発動前のようだが、こんな町中で発動すればどんな被害が出るかわからない。 そのことにいち早く気付いたからこそ、すずかは周りの目を気にせずに全力で駆けだしたのだろう。「アルフ、わたしたちも行かないと。すずかだけじゃあ、ジュエルシードの封印をすることができないだろうし」「そ、そうだね」「……ごめん、キュゥべえ。さっきの話はまた後で」「ジュエルシードは危険なものだからね、仕方ないよ。でもボクもその場に同行させてもらう。それぐらいは構わないだろう?」「構わないけど、あんたにはジュエルシードはやらないからね」 ついてこようとするキュゥべえに釘を刺すアルフ。「別にそこまで図々しいことは言わないよ。それよりも今は、すずかのことが放っておけないからね」 このままいけばすずかは遠からず魔女になる。今のキュゥべえにとって、それは好ましいことではない。彼女は貴重な戦力なのだ。ここで失うのは欲しい。「それに話の続きは、移動しながらでもできるだろう?」「……そうだね」 アルフはどこか釈然としない思いがあったが、ここで問答していても仕方ないとキュゥべえの首根っこを掴んでフェイトに渡した。そして駆け足ですずかの後を追った。 ☆☆☆「変なところを見せちゃってごめんなさい!」 一頻り泣きやんだなのはは、杏子とゆまに向かって思いっきり頭を下げた。「いや、あたしは気にしてないからそっちも気にすんな」「もちろんわたしもね」 そんななのはに杏子とゆまの二人は笑顔を向ける。それを見て安心したなのははホッとした表情を浮かべた。「それでどうする? 泣いてすっきりしたっていうなら、あたしたちは無理にその話を聞きだそうとはしねぇけど?」 実際のところ、断片的にではあったものの、なのはは泣きながら自身の悩みを吐露していた。本人がそのことに気づいているのか気づいていないのかは知らないが、その内容を推察するに無理に聞き出すのを杏子には躊躇われた。「いえ、むしろ二人には聞いて欲しいです!」 なのはは目元に残った涙を拭いながら二人の顔を見つめる。そうして紡がれるなのはの悩み。ユーノとの出会いから始まったジュエルシード探し。始めて自分にできることが見つけられ、嬉しく思っていた浅ましい自分。そんな中、自分と同じようにジュエルシードを狙う存在との戦い、そして巻き込まれた魔女の結界。そうして魔女を撃破した場所には、幼い頃からの親友であるすずかの姿があった。そしてそんな彼女になのはは拒絶された。「杏子さんはどう思いますか? すずかちゃん、わたしにもう戦うなって言うんです。皆で戦ってやっと倒せた魔女との戦いにわたしを巻き込みたくないって気持ちはわかる。だけど、わたしにも戦える力がある。だから……」「……一つ、聞いていいか?」 なのはの悩み自体は杏子にも理解できた。だがそれに対してのアドバイスをする前に、魔導師であるなのはに確かめたいことがあった。「魔導師が魔法を使うのに何かしらの制約ってあるのか?」 魔法少女である自分やすずかが魔法を使えば、その度にソウルジェムへの穢れが溜まる。ソウルジェムが穢れれば魔法が使えなくなり、死に至る。杏子はキュゥべえからそう聞かされていた。 だが魔導師であるなのはやフェイトはどうなのだろう? 頭の中で思い出すなのはやフェイトの魔導師姿には、ソウルジェムのような宝石はついていない。宝石らしい宝石といえば、彼女たちが持つ杖の方だった。「えーっと、レイジングハート、制約ってあるのかな?」 なのはには杏子の問いの答えがわからなかったので、代わりにレイジングハートに答えてもらおうと問いかける。≪マスターの魔力が尽きれば、魔法は使うことができなくなりますが……≫「それじゃあ、その失った魔力はどんな風に回復するんだ?」≪その前に魔導師がどのように魔法を使用するかをお伝えします。魔導師の体内にはリンカーコアと呼ばれる魔力生成器官があり、魔法を使う際、その器官から魔力を生み出し使用しています。もちろん人体の器官なので、魔力を溜めておける貯蔵量には限界があります。しかしそうして限界まで魔力を使用したとしても、きちんとした食事と健康的な睡眠を繰り返せば、自然に回復していきます≫「そうか。それならすずかの言うことはあながち間違いじゃないな。……なのは、おまえはすずかの言う通り、魔女とは戦うべきじゃあない」「えっ? どうして杏子さんまでそんなことを言うんですか!?」 まさか杏子にまですずかと同じことを言われるとは思わなかったなのはは驚きの声を上げる。「理由は簡単だ」 杏子はなのはを納得させるために、懐からソウルジェムと一個のグリーフシードを取り出す。「こっちの赤いのがソウルジェム。魔導師で言うところのリンカーコアだな。よく見てみればわかると思うが、ここのところが少し黒く穢れてるだろ?」 杏子の指摘した部分を見てみると、黒いゴミのようなものが漂っていた。「ソウルジェムは魔法を使えば使うほど穢れていくんだ。そんな穢れを取るのがこっちのグリーフシード。ソウルジェムとグリーフシードをこうやって近づけると……」 なのはの目の前で、ソウルジェムの黒い穢れがグリーフシードに吸いこまれていく。改めてソウルジェムに目を向けると、先ほどまであった黒い汚れはそこにはなく、綺麗な赤い輝きを取り戻した宝石がそこにはあった。「こんな風にソウルジェムの穢れを取ることができるんだ。魔法少女の魔法は、ソウルジェムがなければ使うことができない。そうして使えば使うほど、さっきの穢れは溜まっていく。それは自然に綺麗になったりすることはない。だからこそ、魔法少女はグリーフシードを集める必要がある。――そしてここからが肝心なんだが、グリーフシードは魔女が落とすんだ」「えっ? それってつまり……」「そうだ。一度、魔法少女になった以上、グリーフシードは必要不可欠なものだ。それを手に入れるためには、どんなに危険でも魔女と戦わなければならない。でもなのは、おまえにはグリーフシードなんて必要ないだろ? だからすずかはそんな危険は冒す必要はないって意味で、そう言ったんじゃないか?」 なるべくなのはに理解してもらえるように、杏子は優しく諭すように告げる。だが杏子にもすずかの意図がわかり兼ねる部分があった。 それはなのはから聞かされた、魔女ラウラに対してとったすずかの戦術だ。自分を犠牲にした捨て身の攻撃。その話を聞いて、杏子は耳が痛くなる思いだった。 魔法少女になった当初は、杏子も似たような無茶をした記憶がある。だが魔法少女で在る限り、決してそんな戦い方をするべきではない。 ソウルジェムは魔法を使うだけでなく、身体の傷を癒すのにもその穢れを増す。それに対して魔女を倒してもグリーフシードが手に入るとは限らない。苦労して倒した結果、魔女がグリーフシードを落とさなければ、ただの骨折り損に終わるだけだ。仮にグリーフシードを落としたとしても魔女からダメージが大き過ぎれば、それ一つでソウルジェムの穢れを全て浄化できるとは限らない。だからこそ、魔女との戦いで傷を負うことは致命的なのだ。「でもわたしは……」 そう言い掛けた時、なのはは遠くの方でジュエルシードの魔力を感じる。そこまで大きな魔力ではないので、まだ発動はしていないようだが、その魔力が酷く不安定でいつ発動してもおかしくない状態であることは感じ取れた。それは杏子も同じようで、なのはと共に都市部の方に顔を向けていた。「二人とも、どうしたの?」 唯一、事情を察することができないゆまが問いかける。だがそんなゆまを無視して、なのはと杏子の二人はベンチから立ち上がる。「杏子さん、話の続きはこの後でいいですか?」「それは構わないが、あたしもついていっていいか?」「別に大丈夫ですけど……」 思いもよらない杏子の申し出になのはは遠慮がちに答える。ジュエルシードに興味がない杏子がここで着いていくと告げたのは、もしまたジュエルシードを魔女が手に入れた場合を想定してのことだった。なのはから聞かされた魔女ラウラを倒した時の状況を考えても、おそらく一人では倒すことは難しいだろう。ジュエルシードの魔力に気付いたフェイトがやってくることも考えられるが断言はできない以上、ここは杏子自身が向かうしかない。「もう、二人ともさっきからなんなの!? いったい、何が起きてるの!!」 最初はおとなしめに尋ねていたゆまだったが、自分に何も言わずにどこかに行こうとした二人を呼びとめる。その声でようやくこの場にゆまがいたことを思い出した杏子は、彼女の目線までしゃがみ言い聞かせるように告げた。「ゆま、あたしは今からなのはとジュエルシードの封印をしてくる。だからお前は先にホテルに帰ってろ。できるな?」 ジュエルシードという言葉を聞いて、ゆまもようやく杏子たちが抱いている危機感を察する。だが彼女は、それと同時にその場に行けばフェイトにも会える可能性にも思い当たった。「やだ。だってそこに行けば、フェイトに会えるかもしれないでしょ」 だからこそ、ゆまは杏子の言葉を一蹴した。「フェイトに会えるかもって、フェイトがやってこないかもしれないだろ?」「でもフェイトだってジュエルシードを探してるんだから、来るかもしれないじゃん?」 それは奇しくも、ついさっき杏子自身が考えたことと同じだった。フェイトがやってくると断言できないと同時に、フェイトが現れないとも言い切れない。だからこそ、杏子はゆまを説得することが不可能だと考えた。「……いいか。ゆまはあたしやなのはの前には出ないこと。もし戦闘になったら、すぐにその場から逃げ出すこと。その二つが守れれば連れてってやる」「上等だよ!」「ならあたしの背中に乗れ。そっちの方が早い」 杏子はゆまに背を向ける。そんな杏子の背中に抱きつくようにしがみつくゆま。杏子はほとんど重さを感じないゆまを背負いながら、何の苦もなく立ちあがる。「杏子さん、いいんですか? ゆまちゃんも連れて行っちゃって」 まさかゆまを連れていく判断をすると思わなかったなのはが尋ねる。「いいんだよ。いざという時はあたしが守ればいいだけなんだから。それにゆまを説得する時間ももったいないしな。……ところでなのはは空を飛べるか?」「はい。なんとか……」「なら飛んで先に行ってくれ。ジュエルシードが暴走したり、魔女に奪われる前に封印できれば、それに越したことはないしな」「わ、わかりました。……レイジングハート、お願い」≪Standby ready set up!≫ なのはは杏子の言葉に従いレイジングハートをセットアップする。学校の制服からバリアジャケットに変わったなのはを見て、ゆまは目を輝かせる。「それじゃあ杏子さん、いってきます」「ああ、あたしもなるべく急いで行くから、あんまり無茶するなよ」 飛んでいくなのはにそう声を掛ける杏子。それになのはは頷くと、真っ直ぐジュエルシードの反応に向かって飛んでいった。それを見送りながら、杏子は赤い魔法少女の衣装へと変身する。「それじゃあ行くか。ゆま、急いで行くからちゃんとしがみついてろよ。でないと振り落とされるぞ」「わかった」 そうして杏子もまた走り出す。急いで行くとは言ったが、ゆまを気遣う杏子の速度は、最高速の半分にも満たなかった。それでも十分早いので、ゆまは杏子の背中に目を瞑ってしがみついている。 すでに頭上にはなのはの姿は見えない。もしかしたら二人が着いた時にはことが全て終わっているかもしれない。だがそれでもいざという時のために、杏子は今出せる精一杯の速度で大通りに向けて駆けていった。 ☆☆☆【なのは、ジュエルシードが!?】 杏子の指示に従い、先行して飛行していたなのはの元にユーノからの念話が入ってくる。【わかってる。今、杏子さんと一緒にそっちに向かってるから】【杏子さんと!?】 すずかとはまた違う、未知の魔法少女。そんな人物となのはが一人で会っていたことにユーノは驚きを隠せなかった。【なのは、一体いつの間に杏子さんと知り合ったんだい?】【ついさっき、町で偶然】【偶然って、もしそうならもっと早くに僕に知らせてくれれば良かったのに】 優しく指摘するユーノだったが、内心ではなのはの無事を安心していた。最初に出会った時は戦闘になることはなかったが、あれからもう数週間経っている。その間に杏子がジュエルシードのことを知り、それを狙ってなのはに襲いかかってくる可能性もユーノは考えていた。 なのはの成長には目を見張るものがあったが、それでも彼女はまだ魔法に触れてからひと月にも満たないのだ。まだ自分がついていなければどこか危なっかしいところがある。【なのは、次にまたこういうことがあったらすぐに僕を呼んで。何かあってからじゃ大変だから】【ご、ごめんなさい】 素直に謝るなのは。しかし自分の悩みで頭がいっぱいだった彼女がそこまで気を回すことができなかったのは仕方ないことかもしれない。ユーノもなのはがすずかのことで悩んでいることを知っていたから、これ以上そのことで責めるような真似はしなかった。【それでなのは、杏子さんとは何を話したんだい?】【そ、それは秘密なの!?】 ユーノの問いかけになのはは恥ずかしそうに叫ぶ。【でも杏子さん、悪い人じゃないよ。たぶんジュエルシードも欲しがっていないし】 なのはは杏子と話した時に感じた印象を事細かくユーノに伝える。その絶賛ぶりにユーノはそれ以上、杏子のことを疑うことができなくなった。【あっ、ユーノくん。わたし、もうすぐジュエルシードのところに着くよ。まだ暴走はしていないみたい】 そんな話をしているうちになのははジュエルシードのある場所が見えてきた。どうやらジュエルシードはビルの屋上にあるらしい。地上にはたくさんの人がいるので、このままの姿で降りるのは難しかったから、なのはとしてはありがたい話だった。【わかった。僕ももう少ししたら着くと思う。でもなのは、油断しないで。万が一、封印する前に魔女に手に入れられたらすぐに逃げるんだよ。少なくとも、絶対に一人で相手にしようとは思わないで】【う、うん。わかった】 ユーノの言葉に返事をしながら、なのははビルの屋上に降り立つ。周囲を見渡してみても、魔女どころか人の姿すらない簡素な屋上。その中心には、青く輝くジュエルシードがあった。ジュエルシードからは不安定な魔力が放出されているものの、まだ暴走はしていない。これなら楽に封印できるだろう。そう思い、なのははレイジングハートをジュエルシードに向けた。 その時、屋上の扉が強い力で吹っ飛ばされる。何かが爆発したような轟音に釣られ、なのははそちらに目を向ける。「なのはちゃん、久しぶり」「すずか、ちゃん?」 そこにはすずかの姿があった。突然現れたすずかの姿に驚くなのは。それに対して、すずかは乾いた笑みを浮かべるだけだった。2012/8/20 初投稿2012/8/28 誤字脱字、および口調などを微修正