「待っていたわ。よく来てくれたわね」 空に輝く綺麗な満月の光に照らされる鉄塔の上に、一人の少女の姿があった。どうやって持ち込んだのか、鉄塔の上には似つかわしくない白いテーブルが置かれていた。その席に着きながら少女は白いカップに淹れられた紅茶を飲みながら来訪者に声を掛けた。 少女はとにかく白かった。足跡のない純白の雪景色のような白さ――ではない。まるで嘘で塗り固められたペンキのような白さだ。白を基調としたゴシックドレスに身を包み、その頭には純白なショールがあしらわれた帽子をかぶっている。胸元につけられたパールホワイトの輝きを放つ宝石は、星々の輝きと組み合わさり、煌びやかに反射している。それは彼女の銀色の髪も同じで、彼女を中心とした一角は実に幻想的な雰囲気に包まれていた。「これがキミの言っていた見せたかったものかい?」 そんな彼女に返事をした来訪者は、人間ではなかった。白い毛皮に赤い模様、感情の籠っていない宝石のような赤い瞳。猫のような小さな矮躯と可愛らしい仕草で数多の少女を魔法少女に勧誘してきた知的生命体、キュゥべえである。「ええ。実に興味深い光景だと思わない?」 白の少女は視線をテーブルの上に置かれた水晶に向ける。水晶に映されたのは、この近くの廃れた工場で繰り広げられている非現実的な光景だ。華美な衣装に身を包んだ年端もゆかぬ黒髪の少女が、異形の怪物との戦いを繰り広げていた。黒髪の少女は魔法少女と呼ばれる正義の味方だ。そんな彼女と相対しているのは魔女と呼ばれる絶望を振りまく存在だ。 だが当然、そのようなことは当然、キュゥべえは知っている。魔法少女になる少女たちの願いを叶えるのはキュゥべえだし、そもそも魔女を「魔女」と名付けたのは彼なのだ。だからこそ、目の前の少女が自分を態々こんなところに呼んだ理由がわからなかった。「わからないな。一体、この戦いにはどのような意味があるんだい?」「あら、気づかないかしら? あの魔女の異様な魔力に」「異様な魔力?」 少女の言葉に、キュゥべえは魔女の魔力エネルギーを探る。すると驚くべきことに、目の前にいる魔女は、並みの魔女の数倍の力を持っていた。「これはいったい、どういうことだい?」「貴方も知っているわよね。ここから三時間ほど行ったところの町で発見された魔力を帯びた宝石、ジュエルシード。それをね、あの魔女……いえ、使い魔だったものに与えたのよ」「……使い魔だって?」 驚愕の声を上げるキュゥべえ。そんな彼を尻目に白の少女は淡々と話し続ける。「そうよ。使い魔がジュエルシードを手に入れたらどうなるかという実験。結果はご覧の通り、ジュエルシードの魔力を吸収した使い魔はすぐさま魔女へと変貌し、それどころか並みの魔女以上の力を得るまでに至ったわ」 キュゥべえは水晶の中に目を向ける。確かに水晶に映されている魔女の繰り出す攻撃や放っている魔力は通常の魔女より遥かに強力なものだった。 その姿を見て、海鳴市で初めて遭遇した魔女――バルバラのことを思い出す。思えばバルバラも通常の魔女より遥かに強い魔力を放っていた。さらにすずかがバルバラを倒した時、そこにはジュエルシードとグリーフシードのほかに、真っ二つに切り裂かれた使い魔の死骸があった。見間違いかとも思ったが、やはりあの使い魔こそがバルバラの正体だったのだ。「キミはあのジュエルシードが魔女の手に渡ることは考えなかったのかい?」 そう考えると恐ろしいのは、ジュエルシードが元々、魔女の手に渡った場合だ。使い魔でさえ、あれほどの力を放つ魔女へと変異するのだ。もし初めから魔女が手にしていたら、それこそワルプルギスの夜のような魔女の集合体並みの力を発揮してもおかしくはなかった。「その点については大丈夫よ。ジュエルシードを手に入れた段階で、使い魔の方がそれを生みだした魔女より強くなっていたから。使い魔が魔女を喰らう光景なんて、初めて見たわ」 紅茶を口に含みながら、白の少女はその時の光景を思い出しす。彼女自身には、その光景に対して何の感想もない。ただ予想が予想通りの結果に終わっただけだ。唯一の例外は、使い魔が魔女を喰らいさらに力を付けたことだが、それでも予測の範囲から洩れたとは言えないだろう。それにいくら力を付けたと言えど、この町にいる魔法少女が力を合わせれば十分勝てる相手だ。特に心配する必要もない。「ところで肝心なことを聞き忘れていたけど、ジュエルシードはいったいどうやって手に入れたんだい?」 使い魔の話で逸れてしまったが、そもそも何故、彼女がジュエルシードを知り、手に入れることができたのか。自分がジュエルシードを入手する上でも、その方法がキュゥべえにとっては喉から手が出るほど知りたかった。「そうね。ただ彼女たちの戦いっぷりを見ているだけでは、貴方にとってはつまらないかもしれないわね。それじゃあ少しだけお話させてもらおうかしら? あれは確か、十日ほど前のことね」 そうして白の少女――美国織莉子は軽い口調で語り始めた。 ★★★ その日、高町なのはは月村すずか、アリサ・バニングスと共に父親である士郎がコーチ兼オーナーをしているサッカーチーム、翠屋JFCの試合を応援に来ていた。なのはたちの応援の甲斐もあってか、二対〇で勝利を決めた。 今はその祝賀会。なのはたちは翠屋のテーブルで、昼食がてらおしゃべりに興じていた。しばらく和やかに話していると、祝賀会が終わったのか翠屋JFCのメンバーが店から出てきた。少年たちはそれぞれの帰路についていく。その中の一人が鞄の中から青い宝石を取り出し、ポケットに入れる姿をなのはは偶然、目撃した。(あれってジュエルシード? ……でも、気のせいだよね。ユーノくんも何も言ってないし) マネージャーの女の子と一緒に帰っていく少年の後ろ姿を見ながら、なのはは思う。「さて、じゃあ、あたしたちも解散?」「そうだね」「そっか、今日は皆、午後から用があるんだよね」 先ほど聞いた話では、アリサは久しぶりに日本に帰ってきた父親とお買いもの。すずかは忍と出掛けることになっているのだという。「いいなぁ。月曜日にお話、聞かせてね」「うん、任せなさい」 何故か自信満々に答えるアリサ。しかしすずかの表情はどこかぎこちないものだった。実のところ、彼女が忍と出掛けるというのは嘘である。本当はキュゥべえと共に魔女探しを行う予定だったのだ。まだすずかは魔法少女を上手く見つけることができない。慣れれば魔女や使い魔の魔力を敏感に感じ取れるようになるらしいのだが、すずかは未だにそれを感じ取ることができなかった。「おっ? 皆も解散か?」 少年たちを見送った士郎がなのはたちに話しかける。どう誤魔化そうか思案していたすずかは、そんな士郎に心の中で感謝した。「今日はお誘いいただきまして、ありがとうございました」「試合、格好良かったです」「すずかちゃんもアリサちゃんもありがとな。応援してくれて。帰るのなら送って行こうか?」「大丈夫です」「同じくですー」「……なのははどうするんだ?」「うーん、おうちに帰ってのんびりする」「そうか。父さんも家に戻ってひとっぷろ浴びて、お仕事再開だ。一緒に帰るか?」「うん」 そうしてなのはと士郎はアリサとすずかを見送り、その後、帰路に着いた。 その道すがら、二人は一人の女の子と出会った。その少女の姿に、士郎の視線は釘づけになる。黒いショートカットに金の瞳、何故かその服装は休日にも関わらず制服だ。まだ幼さの残る身体つきから、おそらく高校生ではなく中学生だろう。しかしその制服はこの近くでは見たことのないものだった。 だが問題なのはそういった見た目ではなく、彼女から漂う血の臭いだった。目的のためなら息をするかのごとく、人を殺しそうな気配。それは士郎がボディガードを行っていた時代、幾度となく戦った殺し屋や達人たちの雰囲気と同じものだった。「お父さん、どうしたの? 顔、恐いよ」 なのはが不思議そうな表情で声を掛ける。そんななのはに心配をかけないようにと、士郎は努めて穏やかな笑顔を浮かべた。「いや、なんでもないよ。ちょっと新しいメニューについて考えていただけさ」 そんな話をしている間に、黒の少女――呉キリカは士郎たちとすれ違っていく。彼女の狙いはわからないが、この町で争い事は止めてほしい。士郎はそう切実に願うのだった。 ★★★ 翠屋JFCのキーパーとマネージャーの女の子は家が隣同士の幼馴染である。兄妹のように育った二人の間に恋心が生まれるのは当然の帰結だった。だからこそ少女は、少年がサッカーチームに入ると言いだした時、自分もマネージャーとしてチームに参加することにしたのだ。「今日も凄かったね」「いや、そんなことないよ。ほら、うちはディフェンスがいいからね」「でも、格好良かった」 少女の言葉に少年は顔を赤くする。「あっ、そうだ。……はい」「きれーい」「ただの石だとは思うんだけど、綺麗だったから」 少年は少女の笑顔が好きだった。だからサッカー場に向かう途中の土手で拾った青い石を少女にプレゼントした。思った通り、少女の顔は笑顔に包まれる。それを見て、少年の心も温かくなっていった。「ひょい」 だがその石を少女が手にする前に、いきなり背後に現れた女性に取られてしまう。それはキリカだった。キリカは少年が手にした石――ジュエルシードを見つけ、それを何の躊躇もなく掴み取る。「なっ、なんなんですか、あなたは!?」「悪いな、少年。これは織莉子が欲しがってるものなんだ」「織莉子? いや、それが誰だっていい。それは僕が彼女に上げようとした石なんだ。勝手に取るなよ!」 少年は力強く、キリカを睨む。その後ろで少女は怯えながらその様子を眺めている。だがそんな二人のことなど、すでに眼中にないかの如くキリカは振る舞う。「織莉子、私がきちんとジュエルシード手に入れたって知ったら喜んでくれるかな~。そうだ、きちんとお使いを果たしたんだし、何かをねだろう。何が良いかな~? やっぱり抱き締めてもらうのがいいかな? いや、膝枕も捨てがたい。いっそ一日デートしてもらうっていうのも悪くない。……でもよく考えると、私って今、織莉子から二七三キロメートルも離れた場所にいるんだよね。そんな場所に一人で向かわせるなんて……織莉子の意地悪。この寂しさを埋めるには一日デートじゃ物足りない。一週間はデートしないと……。でも、そんなこと織莉子に頼んだらやっぱり迷惑かなぁ。……そうだよね、織莉子は私と違って忙しいはずだし、あまり身勝手を言うのは悪いよね。私が我慢して織莉子の頼みを聞き続ければ、それだけで織莉子は幸せになってくれるはずなんだ。ほんのちょっとの寂しさぐらい、我慢できるはずだ。……けど少しぐらい我儘を言うのはいいかな? そこの少年もそう思うよね?」「……えっ? そ、そうですね」 「だよね~。私の愛は無限だけど、この時の流れは有限なんだ。その短い時の中では、たまにその愛を確かめ合うことも重要だもんね。もちろん織莉子が私に向ける愛を疑ってるわけじゃあないけど、でも目に見えない愛というものを実感するためには、やっぱり行動で示してもらうしかないもんね。私が示したんだから、たまには織莉子にも示してもらわなきゃ。そうと決まったらさっさと見滝原に帰らないと……。待っててね織莉子、あなたのキリカが今から帰るから」 キリカは身体をくねらせながら歩き出す。その背中を少年と少女はただ唖然として見ていることができなかった。「なんだったの、あれ?」「さぁ?」 二人が口を開けたのは、キリカの姿が見えなくなって、さらに数分が経過してからだった。 ★★★「織莉子~、ただいま~」 家に飛び込んできたキリカはそのまま織莉子の身体に抱きつく。そんなキリカを受け止めた織莉子もまた、彼女のことを強く抱きしめていた。キリカは甘えた声を上げながら織莉子に頬擦りをする。織莉子はそんなキリカを成すがままにしていた。「ところでキリカ、ジュエルシードはきちんと手に入れられたの?」 三〇分後、一頻り満足した様子を見せ始めたキリカに織莉子が問いかける。「ばっちし。ほら見てよ、これ~」 そう言うとキリカはポケットの中に無造作にしまってあったジュエルシードを取り出す。それ受け取ると、織莉子は満足そうに目を細める。「ありがとう、キリカ」 織莉子はキリカの頭を優しく撫でる。キリカは頬を赤らめ、目を閉じ、その感触を堪能する。そんなキリカを尻目に、織莉子は撫でながら自分の手の中に収まるジュエルシードに目を向ける。 封印状態のため、そこまで強大な魔力は感じない。しかし微かに漏れる魔力が、ただの宝石でないことを確かに示していた。 だが問題はその用途である。織莉子もただの好奇心でジュエルシードを手に入れたわけではない。彼女には明確な目的があった。しかしどのように使用すれば効率よく運用できるのか。ジュエルシードの不安定な魔力エネルギー。それを暴走させることなく、織莉子の目的のために使うにはどうすればいいか。 彼女は目を閉じる。途端に瞼の裏側には様々な映像が流れる。まるでかつて自分が体験してきたような記憶の残照。だがそれはまだ、織莉子が体験したことのないものだ。 織莉子の魔法は予知である。彼女は未来を見通す。未来で起きることを知ることができれば、危機回避も可能だ。もちろん織莉子が望む未来が必ず見ることができるわけではないが、それでも行動の指針にするには十分な情報だった。「織莉子?」 キリカの声に織莉子は目を開ける。キリカは織莉子のことを心配そうに見つめていた。そんなキリカを安心させるために、織莉子は優しく微笑む。「ねぇキリカ、今から少し出掛けない?」 そうして織莉子は右手にジュエルシード、左手に織莉子の右手を握りしめ、家の外に出た。 頭の中でこれから起こることに胸を膨らませる。彼女の見た予知通りなら、これでジュエルシードの使い方がある程度は理解できるはずだ。あとは間違えなければいい。予知した未来の通りの台詞、行動をなぞっていけばいい。「ふふっ……」 口から妖しい笑みが零れる。その笑いを見て、キリカは自分と出掛けるのがそんなに嬉しいのかと思い、顔を輝かせるのであった。 ★★★「……そうして私はキリカと手頃な使い魔を連日連夜、探し続けた。そうしてようやく見つけたあの使い魔にジュエルシードを埋め込んだというわけ。突然、魔女に姿が変貌したせいでジュエルシードを取り出すことはできなくなったけど、おかげでどうすれば効率よく運用できるかを知ることができたわ」 事の経緯を話し終えた織莉子は、すでに冷めてしまった紅茶に口を付ける。織莉子がどのようにしてジュエルシードを手に入れたのか、それはキュゥべえにも理解できた。だがやはりわからないことがある。「織莉子、キミはどうしてジュエルシードを求めるんだい?」 織莉子の話を聞く限り、彼女はジュエルシードを手に入れるためにキリカを送りだした節がある。だがその目的がわからない。織莉子の能力についてはキュゥべえも知っている。織莉子と契約したのも彼なのだ。彼女がどのような魔法に目覚め、どのような方法で魔女と戦うのかを全て把握していた。 その上でキュゥべえは美国織莉子という少女が危険な存在だと認識していた。初めはどこにでもいる普通の少女だった。強いていえば思春期特有の悩み深い少し暗い性格の少女。それがキュゥべえの見た織莉子の第一印象だ。しかし彼女は願いを叶え――変わった。 変わること自体は多くの魔法少女に起きる変化だろう。今まで他人に誇れるものがなかった少女たちが、普通の人とは違う異能の力を手に入れたのだ。変わらない方がおかしい。多くの少女は使命感に目覚め平和のために戦い続けた。また力に溺れ、身を滅ぼした少女たちもいた。中には願い自体で別人になることを求める少女もいた。 だが織莉子の変化はそのいずれとも違った。目先のことにしか見ていなかった彼女が、魔法少女になった途端、俯瞰的な瞳をするようになった。キュゥべえが魔女との戦い方を教えなくても織莉子は自分の戦い方を知っていた。時には魔法少女の素養を持つ少女のことを見つけてくることもあった。 常日頃から個体別に感情を持つ人類という種を理解できないキュゥべえだが、中でも織莉子は別格だった。彼女の行動は一貫性がない。しかしそれでいて、何か大きな目的のために動いているようにも思える。だからこそキュゥべえは織莉子という人物に警戒を覚えていた。「……そうね。強いて言うのならこの世界を救うため、かしら」「いくらボクでも、それが嘘だということぐらいわかるよ」「残念ね、信じてもらえないなんて」 織莉子はうすら笑いを浮かべながら薄っぺらい言葉を紡ぐ。だが言葉とは裏腹に、織莉子は目の前の魔女を退治しようとはしない。水晶の中で繰り広げられている戦いを、まるで映画鑑賞のように楽しんでいるだけだった。 そちらに目を向けると黒髪のイレギュラーな魔法少女が、その仲間であるらしい金髪のベテラン魔法少女と青い髪の素人魔法少女と合流しているところだった。彼女たちは二言三言、会話を交わすと攻撃の手を仕掛ける。突然、爆発する魔女。それに畳みかけるように金髪の魔法少女が止めの一撃を食らわす。すると魔女の身体から強大な魔力が放出される。おそらくはジュエルシードに蓄えられていた魔力だろう。そして次の瞬間、結界を突き破ったその巨大な魔力は現実世界に現れ、天まで届く青い柱となる。「キュゥべえ、貴方、こんなところにいていいの?」「……どういう意味だい?」「いえ、あなたはエネルギー回収を目的として地球にやってきているのでしょう? あれほどのエネルギーが無駄に霧散していく様を黙って見ていていいのかなと思って」「……キミは、どこまで知っているんだい?」 織莉子の発言にキュゥべえは驚かされた。キュゥべえが織莉子にそのことを話した記憶はない。契約を迫る際、相手の少女に尋ねられれば話している事実であるが、そうでない限り話すことはないキュゥべえの秘密の一つだった。「少なくとも私たち魔法少女の行く末と、貴方の正体は知っているわね」「……それを知ることができたのも、キミの力なのかい?」 別に知られてしまって困るようなことではない。織莉子が口にしたのは、聞かれれば素直に答えられるようなことだけだ。それを知った少女たちは大方、絶望し、非難めいた言葉をぶつけてくるが、所詮はそれだけだ。場合によっては肉体が死に至ることはあるが、キュゥべえにとってそれは何ら不都合なことではない。「ええ、そうよ」 だが問題なのは、織莉子の魔法がどの程度の範囲で有効なのかということだ。もし誰かの口から聞かされたのならいい。特に気にする必要もなかった。 しかし彼女はキュゥべえの問いを肯定した。こうなってくると、キュゥべえにとって不都合な事実も織莉子に掴まれてしまった可能性もある。彼女の力は有益だが、今後のことを考えると排除してしまった方が良いかもしれない。「キュゥべえ、あのジュエルシードなのだけれど、貴方にあげるわ」 青い柱が漸減していく様を見ながら、織莉子はそんなことを告げる。その言葉にすっかり毒気が抜かれたキュゥべえは、思わずため息をついてしまった。「……せっかくのジュエルシードを自ら手放してしまうなんて、ボクにはわけがわからないよ。本当に貰ってしまってもいいのかい?」「ええ。その代わり、しばらくは私に干渉しないでくれない?」 キュゥべえが自分に対してどう思っているかも織莉子は知っていた。だからこその提案。ジュエルシード一つでキュゥべえの動きを制限できるなら、それは安いものだった。「……わかったよ。ボクとしても貴重な魔法少女を処分してしまうのは、勿体ないしね」 織莉子に自分の考えが知られていることに気付いたキュゥべえは、もはや隠す素振りも見せようとしない。キュゥべえにとって織莉子はすでに危険な魔法少女だ。だからといって、キュゥべえ自身には織莉子を始末する手立てはない。彼にできることは、他の魔法少女を先導して織莉子にぶつけることだけだ。だが織莉子はあくまでキュゥべえの秘密を知ったというだけで、他の魔法少女は彼女の存在自体、認知していないだろう。「キュゥべえ。これは忠告だけど、そういう発言は思っていても控えた方がいいわ」「どうし」 キュゥべえが織莉子の言葉に疑問を唱える前に、その肉体はかぎ爪によって三枚におろされていた。それはキリカの手によるものである。織莉子とは対照的な黒い装束に身を包んだキリカの魔法少女姿。その手に握られたかぎ爪には、赤い液体と白い毛皮がこべりついていた。「だって私には、頼もしいナイトがいるのだから。不用意にそんなことを言ってしまったら、すぐに殺されてしまうもの」 すでに事切れているキュゥべえに対して、織莉子はたむけの言葉を与えた。「……ねぇ、織莉子。どうしてあのジュエルシードをキュゥべえなんかにあげちゃったの?」 不機嫌そうな表情で織莉子に尋ねるキリカ。「あら? もしかして拗ねてるの?」「うん」 織莉子の言葉に素直に頷くキリカ。彼女が拗ねた理由はただ一つ、自分がプレゼントしたジュエルシードを織莉子が第三者の手に渡したということだ。自分の愛情を籠ったプレゼントがないがしろにされた。キリカは自分以上に織莉子のことを大切にしたいと思っている。彼女に対して無限の愛を誓い、そのためなら何だってする覚悟がある。 だからこそキリカは不安だった。キリカなら織莉子に貰ったものは例え鼻水ついたティッシュペーパーだろうと大事に取っておく。だが織莉子はどんな貴重な物でも簡単に手放してしまうのだ。そのことがキリカには我慢ならなかった。 愛とは一方通行。自分が無償の愛を向けても、相手が愛してくれるとは限らない。だがそれでもキリカは織莉子に愛してほしかった。自分が愛するほどの愛を織莉子にも持ってほしかった。それが我儘だということはわかっている。それでも自分が寂しい思いをしてまで取ってきたジュエルシードを、一日も経たずに手放してしまうような真似は止めて欲しかった。「まったく、キリカは可愛いわね」「えっ?」 織莉子はキリカのことを優しく抱きしめる。労わるように優しく、愛おしくその身体を包み込む。織莉子の体温を間近で感じ、キリカの頭は徐々に熱を上げていく。そんなキリカに対して、織莉子は耳元でぼそっと呟いた。「別にいいじゃない、一個ぐらい。これからもっとジュエルシードを取りに行くんだから。……二人で」「二人で?」「そうよ。あの一個はいわば撒き餌。キュゥべえの注意を惹きつけるためのね」 キュゥべえがジュエルシードに多大な関心を示しつつも、入手できていないことを、そしてその巨大な魔力の暴走にエネルギー回収に失敗したことも織莉子は知っていた。だからこそ一個でも手に入れれば、キュゥべえがジュエルシードに秘められた魔力を効率よく回収する方法を考えることに専念するはずだ。「キュゥべえがたった一個のジュエルシードに気を取られている間に、私たちは残りのジュエルシードを手に入れる。どう?」「す、凄いよ、織莉子。まさかそこまで考えていたなんて」 キリカは先ほどまでの自分を恥じた。織莉子が自分を裏切るわけがない。織莉子は自分にはおよびのつかないほどの考えの元で動いている。そんな彼女のことを疑ってはいけない。疑うこと自体、織莉子に対する愛情の裏切りなのだ。織莉子のすることは正しい。織莉子のすることは絶対。これからはただただ、それだけを信じよう。「それじゃあ今日のところは家に帰って、明日の朝一で向かいましょうか。運命の町、海鳴へ」「うん」 そうして白の少女と黒の少女は仲良く帰路に着いた。2012/9/22 初投稿