時空管理局本局に収容されていた次元空間航行艦船『アースラ』船内では、次の任務に向かうための補給と整備が行われていた。その艦長室で二人の人物の姿があった。それはアースラ艦長であるリンディ・ハラオウンと、その息子であり執務官のクロノ・ハラオウンだ。「クロノも資料には目を通していると思うけど、改めて確認するわね。先日、第97管理外世界、現地名称『地球』において小規模の次元震が二度、観測された。その観測時刻は一日ほどのズレがあるものの、『地球』が管理外世界であることから、自然発生のものではない可能性が高い。その調査、およびに同世界内に散らばっているロストロギア『ジュエルシード』の回収。それが今回の任務よ」 リンディは手元にある資料を読みながら今回の任務概要を口にする。次元震、そしてロストロギア。そのどちらも世界を滅ぼしかねない危険なものだ。管理局として放っておくわけにはいかない。だがそれ故に、クロノには解せない部分があった。「艦長、二つほど質問があるのですがよろしいですか?」「なんですか?」「一つはジュエルシードについて。ジュエルシードが時空航行間で事故に遭い、管理外世界に散らばった件は、すぐに本局に捜索願いが届けられていたはずです。だのにどうしてこんなに指令が下るのが遅かったのでしょうか?」 資料によると事故が起きた翌日には、ジュエルシードを発見した考古学者、ユーノ・スクライアからの捜索届けが願い出されている。ロストロギアは危険なものだ。いくら魔法に対する知識がない管理外世界に散らばったとはいえ、初動が遅すぎるようにクロノには感じられた。「その件については、対応した職員の不手際としか言いようがないわね。管理外世界で起きた事件だから後回しにしてもよいと思ったのでしょう。実際、次元震が発生しなければジュエルシードの捜索が始まるのは、もう少し後になるという話だったみたいだしね」 リンディは残念そうに呟きながら、ティーカップに口を付ける。その味を堪能しながら、上層部が今回の不手際をどのように収拾するかを想像した。 対応した職員のクビが切られるのは間違いないだろうが、その後の信用を回復させられるかが問題だ。今回の事件はミッドチルダのニュースでも大きく取り上げられている。突如、次元震が二度も発生した管理外世界。その原因を作りだしたロストロギア。そして捜索依頼がすでに管理局に届いていたのにも関わらず後回しにした怠慢さ。ミッドと直接関係はないとはいえ、世界を滅ぼしかねない不手際を管理局が行ったとして連日連夜、大々的にニュースに取り上げられていた。上層部は今、その対応に追われ忙しく過ごしていることだろう。 だからこそ、管理局の生え抜きであるアースラに今回の任務が下った。元々、ロストロギアの捜索および回収が主な任務とはいえ、今回はいささか事件の規模に対して動員される人員が多いように思える。指令書にも『極めて迅速に事態を収拾せよ』とある。本局は初動の遅さを事件解決の速度でカバーし、今回の不手際を有耶無耶にしてしまおうという腹なのだろう。 動機については賛成できるものではないが、早期解決できるならそれに越したことはない。だからリンディは増員の申し出を素直に受け入れた。 たった一度のやり取りでそういった背景があると推察したクロノは、この話を打ち切りもう一つの質問をすることにした。「もう一つは次元震についてです。今回、次元震が二度起きたのは本当なのでしょうか?」「……ええ、本当のことよ」 リンディの返答に、クロノは思わず息を飲む。もしも次元震が発生したのが一度だけなら、管理局がここまで叩かれることはなかっただろう。通常、次元震というのは世界の寿命が訪れない限り、滅多なことでは発生しない。それでも稀に自然現象として発生するケースもある。だがそれも精々、世界ごとに数百年に一度、あるかないかといった頻度だ。管理局が設立して以降、そのように自然発生したケースはたった一度しかない。 そもそも世界の寿命が尽きて滅んだケース自体、管理局のデータベースにすら残されていないのだ。それこそ、次元震が原因で滅んだ世界など、幼い頃に聞かされた『アルハザード』のおとぎ話ぐらいである。 だが今回に限ってそれはあり得ない。確かに短いスパンで次元震が二度起きたのは世界崩壊を臭わせるが、今回観測されたのはいずれも小規模次元震だ。世界が滅びの危機に瀕しているのだとすれば、起きるのは最低でも中規模以上の次元震だろう。何よりジュエルシードが地球に散らばったタイミングを考えても、原因はそちらにあると考えるべきなのは明白だった。『艦長』 続けて詳細な質問をしようとしたクロノだったが、艦長室のディスプレイにブリッジにいるアースラ通信主任のエイミィ・リミエッタからの通信が入る。『乗員予定の局員、搭乗し終えました。整備も終わりましたし、いつでも発進できます』 その連絡を聞いたリンディはクロノに目配せする。そこには「質問の続きはアースラを発進させてからね」という意味合いが込められていた。『わかったわ。今からブリッジに向かいます。あなたたちはすぐに発進できるように、引き続き準備をお願い』『ラジャーです』 通信を終えると二人はブリッジに向かう。ブリッジに着くと、ブリッジクルーの視線がリンディに集中する。リンディはそんな職員たちを一瞥すると、艦長席に腰を降ろす。クロノはその傍らに構えていた。「ではこれより、アースラ発進します。目的地、第97管理外世界『地球』」 リンディの掛け声とともに、アースラが躍動する。その躍動を肌で感じながら、クロノは今回の任務は一筋縄ではいかないと覚悟し、気を引き締めるのであった ☆ ☆ ☆ 数日後、クロノは地球に降り立ち、二人の少女の衝突を防いだ。そしてすかさず、これ以上の戦闘が行われないように、二人の身体にバインドを掛け、身動きを封じた。 バインドを掛けられた白い魔導師――高町なのはは目を丸くして茫然とした表情をしている。突然のことで何が起きたのか正確に把握できていないのだろう。その姿から彼女は戦闘経験が少ないとクロノには容易に想像できた。しかし攻撃を受け止めた際に手のひらに感じたなのはの魔力。それはとても強力なもので、並みの武装隊員では防ぎきることはできないほどの力が込められていた。 だがそれ以上に脅威に思えたのが、もう一人の刀を持つ少女――月村すずかである。驚き戸惑っているなのはに対し、すずかはあの一瞬で刀に込める力を強めた。少しでもバインドを掛けるのが遅かったら、あのままS2Uは叩き斬られていただろう。さらにバインドで拘束されてからも、彼女からは強い殺気を向けられている。それは視線だけで人を殺せると錯覚できるほど強いもので、執務官として様々な任務についてきたクロノでさえ、中々味わったことのない不快な視線だった。 さらにクロノが二人の戦闘に介入するのとほぼ同時に現れた少女たち。元々、彼女たちが近くにいることも覚悟の上での出撃だったが、実際にこうして対面してみるとなかなか厳しいものがあった。 なのはやすずかと同じ歳くらいの黒衣の魔導師――フェイト・テスタロッサからは先の二人同様、強大な魔力を感じられる。使い魔と思わしき耳と尻尾を生やしている女性――アルフもまた、素体となった動物次第では厄介な相手かもしれない。 だがクロノが一番警戒したのは、そんな彼女たちと一緒に現れた赤い装束を身に纏った少女――佐倉杏子に対してだった。他の少女たちはともかく、彼女だけは油断して立ちあったら即、敗北に繋がるとクロノの執務官の経験が告げていた。 それは彼女たちがこの場に現れた時、杏子だけが表情を崩さなかったからだ。フェイトやアルフ、ゆまといった少女たちは拘束されているなのはやすずかの姿を見て、少なからず驚きの表情を浮かべていた。しかし杏子だけはそんな二人に一瞥すると、すぐにクロノに対して警戒の眼差しを向けた。 一流の魔導師は戦いの場で自分の感情を見せず、常に冷静で在らねばならない。もし感情に任せて行動すれば、そのまま死に直結する。特に執務官という危険な犯罪者と個人で対面することもある仕事を目指したクロノは、その点を口酸っぱく師匠たちに言われてきた。今にして思えば一流魔導師の基本的な心構えであることをクロノは理解しているが、それを戦闘の中で意識せず行えるようになるまで数年の時を要した。だからこそわかるが、この技術をできる者はなかなかいない。感情任せに魔法を振るう犯罪者はもちろん、管理局の職員でさえ、この心構えを身につけていないものは多い。 しかし杏子に関してはそのようなことはないだろう。彼女の視線は現状を分析するために忙しなく動いている。この状況で自分がどう動くべきかを冷静に見定めている証拠だった。「改めて名乗らせてもらう。僕は時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ。詳しい事情を聞かせて欲しい」「時空管理局だって!?」 そう口を開いたのは、杏子の肩の上に乗っていたユーノだった。さらにフェイトやアルフもその言葉を聞いて、警戒心を強める。「おいユーノ、時空管理局ってなんだ?」 だがこの場において、その名前を知っているのは彼女たち三人だけである。拘束されているなのはたちや杏子はその存在すら知らなかった。「時空管理局は様々な次元世界に干渉する災害や犯罪を対策する組織だ。今回、僕たちは第97管理外世界『地球』……すなわちこの世界に置いて次元震を観測したため、その調査にやってきた」 杏子の疑問に対して、ユーノの代わりにクロノが答える。「次元震?」「次元震とは次元災害の一つで、放置してしまえば世界そのものを滅ぼしかねない危険なものだ。今回、その原因とされているのがロストロギア『ジュエルシード』。あれは次元干渉型の結晶体だ。流し込まれた魔力を媒体として次元震を引き起こすことがある。だからこの場での戦闘に介入させてもらった。……いきなり拘束してしまったことに対しては、すまないと思っている」 一頻り説明を終えたクロノはなのはとすずかに向き直り、軽く頭を下げる。しかしすずかから向けられる殺気は変わらず、なのはに至ってはクロノの言った言葉の意味を正確に理解できていないのか、首を傾げていた。「さて、これでこちらの事情は大体わかってもらえたと思う。だから今度はそちらの話を聞かせてくれないか? この世界で、何があった?」 二人から視線を外したクロノは再び杏子たちの方に向き直り、その挙動を観察する。クロノが事情を素直に話したのは、彼女たちがどのような目的を持った人物なのかわからなかったからだ。おそらくジュエルシードを求めているのには違いないが、何のためになのか推理することすらできない。自衛のために集めているのかもしれないし、そもそも彼女たちこそが次元震を引き起こした張本人なのかもしれない。だからこそデバイスを向けないまでも、クロノは警戒を緩めなかった。(しかし何故、彼女はあんな質問を……) クロノが疑問に思ったのは、杏子が最初に口にした言葉である。フェイトやアルフと違って地に足を付けているとはいえ、杏子から感じる魔力は魔導師特有のものだ。彼女が身につけている衣装や手に持つ槍からも魔力を感じることから、彼女が魔導師であることは間違いない。 それなのにも関わらず、彼女は最初『時空管理局』について尋ねた。管理世界出身の魔導師なら、そんな基本的な質問をする必要はない。魔法を修得し行使していく上で管理局の名前を耳にすることぐらいあるだろう。 そもそもここは管理外世界、すなわち魔法文明がまったく発達していない世界なのだ。そんな世界にこれほど強力な魔導師がいること自体おかしい。(やはり一筋縄ではいかない、か) クロノはジッと、杏子からの返答を待つ。彼女からどんな返答が来てもいいように、クロノは周囲に最大限の注意を払っていた。「……なるほどな。そっちの言い分は大体わかった。……けどさ」 言いながら杏子はクロノに向かって踏み込んだ。そして手に持った槍をクロノに向かって突き立てようとする。 そんな杏子からの返答は、クロノの予想の範疇のものだった。真正面から突っ込んできた杏子に対し、クロノは半歩移動しつつS2Uで槍の軌道を逸らす。さらにその無防備になった背中に対してスティンガーレイを発射した。 態勢を崩している杏子にそれを避ける術はない。だがその攻撃は杏子の背中に現れたラウンドシールドが阻んだ。それは杏子の衣服にしがみついていたユーノの手によるものだった。「ぐっ……」 それでも杏子は無傷というわけにはいかなかった。スティンガーレイのいくつかはラウンドシールドを貫き、杏子の背中に襲いかかる。その痛みに耐えながらも杏子は手近にいたすずかを抱え、クロノの傍から離脱した。 元々、杏子の狙いはクロノに攻撃を食らわせることではなく、二人の救出だった。思いの外、クロノの反撃が手厳しいものだったため、すずかしか助けることはできなかったが、それでも今は十分な戦果と言えるだろう。「だ、大丈夫か、すずか?」 槍を支えに態勢を立て直しながら、杏子が尋ねる。しかしすずかはどこか不満げな表情をしていた。「杏子さん! どうしてなのはちゃんを先に助けてあげなかったんですか!!」 そして感情のまま杏子に言葉をぶつける。今のすずかにとって一番優先するべき存在はなのはである。なのはから魔法の関わりを一切なくさせ、平和な世界に連れ戻す。それがすずかの目的だった。そのために親友に刃を向ける覚悟をしたすずかにとって、クロノの存在は邪魔者以外の何物でもない。 そんなクロノになのはは未だ拘束されている。それはすずかにとって到底許せるものではなかった。「そ、そんなこと言われてもな。たまたま手の届くところにいたのがすずかだけだったんだからしょうがないだろ」 礼を言われることはあっても文句を言われるとは思わなかった杏子は、戸惑いながら言い訳をする。その言葉にすずかは完全に納得できたわけではなかったが、杏子とてなのはを助け出そうとしたことには違いないのだ。いつまでも奴当たりをするのは筋違いというものだろう。「……わかりました。でも次にこういうことがあったら、その時はなのはちゃんを優先的に助けてあげてください」「あ、ああ……」 数日ぶりに会ったすずかの雰囲気の違いに戸惑いつつも、杏子は返事をする。そして彼女を縛っているバインドを切断すると、気を引き締めてクロノに向き直った。「……一つ聞きたいんだけど、どうして今の隙にあたしたちに追撃をしてこなかったんだ?」 警戒を怠ってなかったとはいえ、先ほどまでの杏子は無防備を装っていた。すずかに至ってはバインドで縛られたままだ。そうした絶好の隙を狙って攻めてきたところを返り討ちしようと思っていた杏子は、少し拍子抜けしてしまっていた。「こちらにはわざわざキミたちと敵対する理由はないからね。先ほども言ったと思うが、僕たちは事情を聞かせて欲しいだけなんだ。……だがもし事を構えるというのなら、僕も本気にならざるを得ないな」 クロノは鋭い視線を杏子とすずかの二人に向ける。それに応えるかのように、杏子は槍を握る力を強め、すずかは火血刀に自分の血を吸わせ始めた。 ☆ ☆ ☆【ねぇフェイト。あいつが杏子たちに気を取られている隙に、あたしたちは逃げ出さないかい?】 その様子を静観して眺めていたフェイトにアルフが問いかける。フェイトたちはここで管理局に捕まるわけにはいかない。彼女はプレシアのために管理局を出し抜き、ジュエルシードを集め続ける必要があるのだ。だからこそ、この場にあるジュエルシードを手に入れるための隙を伺っていた。(でも、それだけじゃない) フェイトは視線をバインドで縛られたなのはに向ける。彼女とはジュエルシードを奪い合う関係であることは、すでにアルフから聞いている。その彼女が動けない以上、クロノが杏子たちの戦闘に乗じてジュエルシードを奪って逃げ去るのはわけのないことだろう。 だがフェイトはこのままなのはを見捨てて逃げ出したくなかった。魔女ラウラの身体から出てきた暴走したジュエルシード。その強制封印に失敗しかけた自分に手を差し伸べてくれた少女。そんな彼女を放って逃げるような真似だけはしたくなかった。【アルフ、わたしはあの子を助けたい。ダメかな?】【フェ、フェイト!? なに言ってるんだい? 相手は管理局なんだよ! いくら杏子やすずかがいるからって、戦うなんて無茶だよ】【大丈夫。わたしはあの子を助け出すだけだから】 フェイトには初めからクロノから戦う気はない。なのはとすずかを一瞬でバインドし、杏子の攻撃に対して最小限の動きでやり過ごした手腕。一対一はもちろん、仮にすずかや杏子と連携して戦ったところで勝つのは難しいだろう。 さらに相手は管理局。矢面に立っているのはクロノだけだが、おそらく他にも仲間がいるはずだ。流石に執務官であるクロノより強い局員はいないだろうが、その可能性がないとは言い切れない。それに下手にクロノと戦って動けないなのはや魔法の使えないゆまを危険に晒すような真似は絶対に避けたかった。【でも……】【心配しないで、アルフ。わたしは大丈夫だから。だからアルフは、ゆまを守ってあげて】 フェイトはアルフに目配せする。その瞳を見て、アルフは何も言えなくなる。フェイトの使い魔をやっているからこそ、これ以上なにを言っても無駄だとアルフはすぐに悟った。【わかった。でもフェイト、あの子を助けたらすぐに逃げるよ。いいね?】【うん、ありがとう。アルフ】 フェイトは視線をクロノたちに戻す。クロノと杏子、そしてすずかは睨み合ったままその場に佇んでいた。おそらく互いに隙を伺っているのだろう。遠目から見てもクロノには隙が見当たらない。しかも彼の注意は目の前の二人だけではなく、こちらに対しても向けられている。この場から不意打ちを仕掛けたとしても、すぐに対処されてしまうだろう。 だからフェイトは信じた。すずかと杏子なら必ず、なのはを助け出すチャンスを作り出す。フェイトはその時が来るのをじっと待ち続けた。 ☆ ☆ ☆ クロノと睨み合っている杏子の背中は汗でびっしょり濡れていた。単純にクロノから感じる威圧に気圧されているというのもあるが、それ以上に横に立っているすずかの殺気が心労を募らせていた。【杏子さん、こうしていても埒が明きません。攻めましょう】【さっきから落ち付けって言ってんだろ。考えなしで突っ込んだらまた捕まるぞ?】【でもなのはちゃんが……】【わーってる。けど無策で突っ込んで行っても、なのはは助けられないぞ】【…………】 杏子の言葉に不服そうな目線を向けるすずか。杏子とて、すずかの焦る気持ちはわからなくもない。彼女となのはは親友だ。そしてすずかはなのはを危険な目に遭わせたくないはずだ。それなのにも関わらず、今のなのはは捕らわれている。そんな目に合わせたクロノのことをすずかが許すとは到底思えない。例え勝ち目がなかろうとも、彼女を助け出そうとするだろう。 だが何の策もなしに突っ込んでどうにかなる相手なら、先の一撃で二人とも助け出すことができていたはずだ。しかし結果は痛み分け。すずかを助けることはできたが、その代償に杏子は手痛い反撃を受けてしまった。ユーノが防いでくれなかったら、あの攻防だけで杏子が地に伏すことになっていたのは明らかだ。「杏子さん、待ってください。管理局は……」「敵じゃないって言いたいんだろう?」 ユーノの指摘を先読みして杏子は答える。「そうです。杏子さんたちが知らないのは無理もないことですが、管理局は世界の安寧のための組織なんです。……それに管理局に散らばったジュエルシードの回収を依頼したのは僕なんです。あれはとても危険なものだから、僕一人で全部見つけられるかわからなかったから……」 ユーノは必死に訴える。ジュエルシードの危険性はこの場にいる誰もが知っている。だからこそいち早く見つけ出し、然るべき処置を施し保管する必要があった。背後で静観しているフェイトたちはともかく、そういった目的が一致しているユーノと管理局が争う理由は全くなかった。「……なぁユーノ、それならなんであいつらは今頃になってのこのこと現れたんだ?」「えっ?」「ユーノが管理局にジュエルシードのことを依頼したのは、この世界に来る前なんだろ? あたしの知る限り、ジュエルシードは十日前にはこの世界に散らばったはずだぜ。本当に危険なものだって理解してるなら、今頃になってやってくるのはおかしいじゃねぇか? そもそもユーノはどうして管理局と一緒にこの世界にやってこなかったんだ?」「そ、それは……。管理局に依頼したら準備が整い次第、回収しに行くって言われて……。それでその前に少しでも見つけ出そうと……」「ユーノ一人でこの世界までやってきたってわけか。でもユーノは自分ひとりの手に余るものだってわかってたんじゃないのか?」 杏子はなのはをチラッと見る。もしユーノが管理局と一緒にやってきていれば、彼女は魔導師なんてものになることはなかっただろう。事故が起きてジュエルシードが散らばってしまったことは仕方のないことだし、それを一人で回収しに来たユーノを責める気もない。そんな彼に手を貸し、自ら日常を手放したなのはのことも一概に否定することはできない。すずかが魔法少女になったのはまた別の理由だろうが、それでもなのはのことで彼女がここまで固執するようなことはなかっただろう。「ユーノは気づいてないと思うけどな、今この町は魔女だらけなんだ。ジュエルシードの魔力に引き付けられた有象無象の化け物がそこら中を闊歩している。たらればなんて語る気はサラサラないけどさ、それでもあたしは思うんだよ。あいつらがもう少し早く来ていれば、もう少し状況はマシだったんじゃないかってな」 杏子の言葉にユーノは息を飲む。そんなユーノに杏子は言葉を続けた。「状況を考えれば、管理局に協力した方が効率的ではあるんだろうな。けどな、あとからやってきて自分たちの正義を押し付けるような真似、あたしは認めるわけにはいかなねぇんだよ!」 杏子は今まで、自分の力だけで生き抜いてきた。その中で何度も命の危機に遭遇し、時には他の魔法少女が死ぬ様も見てきた。そんな弱肉強食の世界の中で生きてきた杏子にとって信じられるものは自分の力だけなのだ。 だが力とは純然たる暴力であり、生き抜いていくために用いるものだ。どんな詭弁を並べたところで純然たる力の前では無意味である。勝ったものが正義であり、負けたものには死が待っている。例えどんな生き方だろうとそれを頭から否定し、自分の正義を押し付けるような真似を杏子は許容しない。……かつて自分が父親のために祈った願いがそうだったように、善意の押しつけを杏子は許さない。「だ、だけど……」 それでもなんとか杏子を説得しようとユーノは言葉を探す。「別にあたしがどうしようと関係ないだろ? そもそもあたしたちは味方でもなんでもないんだ。あたしが何をしようとそれはあたしの勝手だろ? ……だからユーノはこれ以上、あたしに付き合う必要はねぇよ」 そんなユーノに対して、杏子は自分の言い分を押し通そうとする。その言葉を聞いて、ユーノはこれ以上返す言葉を持たなかった。杏子には杏子の思いがあり、ユーノにはユーノの考えがある。これ以上の説得は無駄だと判断したユーノは杏子の肩の上から降り、戦闘の邪魔にならないように屋上の隅へと移動した。「杏子さん。その言い方だとなのはちゃんを助けるのはついでみたいですね」 それを見計らって黙って二人の話を聞いていたすずかが声を掛ける。その目つきは訝しげで、杏子に対する不信感がありありと現れていた。「まぁそうかもな。捕まっているのがすずかならともかく、なのはならあいつらも危害を加えることはなさそうだし」「……杏子さん、冗談でも怒りますよ?」「別に助けださねぇとは言ってねぇよ。でもさ、あたしがあいつと正面からぶつかり合ってる間にすずかがなのはを助ける。それでいいじゃねぇか」 杏子の言葉に対して納得しきれたわけではない。だがそれでも今、杏子と敵対しても何の得もない。すずかがこの場で優先すべきなのは、なのはの救出であり、杏子がなのはに危害を加えることは決してないのだから。「……そうですね。でも杏子さん、私もあの人と戦いますよ。あの人のやり方、私も許せませんから。だから逆の立場になった場合、杏子さんがなのはちゃんを助けてあげてください」 あの時、二人がぶつかりある直前、すずかは初めてなのはと本気で向き合えた。夜の一族であるという秘密を打ち明け、自分の思いを全てぶつけてもなのはは受け入れてくれた。それがすずかには嬉しかった。だからこそ今度はなのはの本気の思いを正面から受け止めるつもりだった。 それをクロノに邪魔された。あの一撃には単純に魔力だけじゃない。なのはとすずか、二人の思いも乗せられていた。それを片手で防ぎ、一切の警告もなしに拘束した。 自分たちの友情が踏みにじられた気分だった。そして今もまだ、なのははクロノの拘束を受けている。 ――許せるわけがない。どんな理由があろうとも、どんな言い訳をしようとも、目の前にいる男は敵だ。この手で切り裂き、灰も残さぬ業火で燃やす。相手が人間だろうと関係ない。すずかにとってクロノは敵以外の何者でもないのだから。「わかった。だけどすずか、一人で突っ張るような真似だけはするなよ」「……はい」 そうして二人は改めてクロノに向き直る。そんな二人の態度を見て、クロノは諦めに似たため息を吐く。「やはりキミたちは、素直に話を聞かせてくれる気はないんだね」「ああ。あたしたちの口を割らせたけりゃ、力づくできな。もしあたしたちをねじ伏せることができれば、その時はこの町で起きているだろうがスリーサイズだろうが何でも答えてやるよ」「……わかった。そういうことなら遠慮はいらないな」 今まで受け身のスタンスを取っていたクロノが、初めてS2Uを構える。クロノの目的はあくまで次元震の発生を突き止め、ジュエルシードを回収することだ。別に杏子たちと真っ向から争う必要はない。だが彼女たちを言葉で説得することはもはや不可能だろう。ならばクロノも力を振るうしかない。「それじゃあ、行くぜ!!」 その掛け声と共に、魔導師と魔法少女たちの戦いの火ぶたが切って落とされた。2012/10/5 初投稿2012/10/17 誤字脱字および一部台詞回しを修正