「フェイト、一つ尋ねたいんだけど、魔導師というのは皆、キミたちのように強いものなのかい?」 クロノと杏子、そしてすずかの戦闘をフェイトの肩の上から観察していたキュゥべえは、自分の疑問を思わず口に出していた。 キュゥべえの知る限り、杏子は実に魔法少女らしい魔法少女である。自分のために力を振るい、意に沿わない相手がいれば問答無用で叩き伏せる。それがキュゥべえの知る佐倉杏子という魔法少女だ。ゆまと出会ってから多少甘くなった部分もあるが、それでも彼女ほどの実力を持つ魔法少女はなかなかいない。現存する全ての魔法少女と比べても、上位の実力を持っているのは間違いないだろう。 そしてすずかもまた、実力でいうなら杏子に負けていない。魔法少女としての戦闘経験は少ないが、彼女の強さには目を見張るものがある。契約する前に感じていた彼女の資質からは考えられないくらい強力な力。それが彼女の願いから生まれた結果だとしても、驚嘆に値するものだった。 そんな二人と相対してなお、クロノは優位に戦闘を運んでいた。近接戦闘に特化している杏子とすずかに対して、クロノはオールラウンダー型の魔導師だ。距離を詰めようと踏み込んでくる二人を軽く往なし、スティンガーレイやスティンガースナイプを巧みに操り距離をとり続けていた。 驚くべきことにクロノはそんな状態なのにも関わらず、まだフェイトに対しても警戒を続けていた。そのことに気づいているからこそ、フェイトはこの場から動けずにいた。「……たぶんそれはないと思う。あの人、自分のことを執務官って言っていたから」 次元世界という意味で尋ねたキュゥべえの質問を、管理局の中という解釈でフェイトが答える。その意図には齟齬があったが、それでもキュゥべえは望んだ答えがフェイトから得られたことに満足し、そして驚きを隠せなかった。 そもそもキュゥべえが知る魔導師というのは、なのは、フェイト、そしてクロノの三人だけである。そのいずれもが一級品の実力を持っており、キュゥべえの知らない仕組みで魔法を行使していた。そしてそんな彼らと契約し魔導師にするのがユーノ・スクライア……だと思っていた。 しかしクロノの説明に出てきた『次元世界』という言葉。それはすなわち彼らが別の世界からやってきたことを意味する。それはまだキュゥべえの仮説に過ぎなかったが、そう考えれば納得できる事柄がいくつかあった。 事の発端となったジュエルシード。この世界の隅々まで探したはずなのに発見することのできなかったエネルギー結晶体。だがそれも外部の世界から漂流してきたと考えれば簡単に説明がつく。さらにそれを追ってきたユーノ、そしてフェイトやクロノをはじめとする魔導師。今まで繋がらなかった点と点が線となって、キュゥべえの思考を駆け巡る。 そうして出た結論は、次元世界には魔導師が当たり前のように存在しているということだった。だがそれ自体は驚くべきことではない。キュゥべえの契約が必要とはいえ、人類は魔法少女になることができるのだ。身体の構造がほぼ同じなら何か別のきっかけで魔法に目覚めることがあってもおかしくはないだろう。(驚くべきは、別世界の人類とはいえ彼らに世界を渡航する技術があったことだろうね) キュゥべえの知る人類の印象は、遥か昔、彼らが地球にやってきた頃からまるで変わらない。知的生命体へなり得る頭脳と身体を持っているにも関わらず、それを使いこなすことのできない下等生物。それがキュゥべえが人類に抱いた印象だ。 エントロピーの法則に縛られないエネルギーを求めて地球にやってきたキュゥべえは、そこに住んでいる人類の姿を見て大変驚いた。彼らは穴倉の中で暮らし、石槍といった古典的な武器を用いて狩猟を行っていた。その姿は知能を持たない獣と何ら相違ない。武器や罠を作り出していることから少しは知能があるのだろうが、それでも目の前の生物を知的生命体だとは認めたくなかった。 それでも少しでも宇宙の寿命を延ばすためにと、キュゥべえは魔法の素質を持つ人類を見つけると、その端から強制的にソウルジェムへと変換し、エネルギーの回収を行った。当時は今のように効率よくエネルギーを回収できる方法を知らなかったため、質よりも量を重視してソウルジェムを量産していった。 そうしてソウルジェムへとなった人類のほとんどがすぐにグリーフシードへと姿を変えたが、一部のものはそうして得た魔法技術を使い、その生活を発展させ、敵対する他種族を滅ぼしていった。そういったことを何万年も繰り返していくうちに人類は徐々に高度な知能を身につけ、それと同時にキュゥべえもまたより効率よくエネルギーを回収する術を身につけていったのである。そうして人類社会と魔法少女システムは今の形へとなっていった。 もちろんキュゥべえの介入がなくても、人類が知的生命体として果てしない進化できた可能性もある。だが魔法と触れることで人類は急速に進化していった。キュゥべえが地球にやってこなければ、人類がここまで進化するのにさらに数万数億の年月を要しただろう。 そんな地球人類と見た目こそは大して変わらないのにも関わらず、フェイトやクロノはその身体に秘められた力を自由に行使している。(次元世界か。一度、行ってみる必要があるかもしれないね) 今のエネルギー回収効率を作りだすまでに費やした時間は数万年。それでもなお、キュゥべえの目的を果たすほどのエネルギーは回収できていない。だからこそキュゥべえは次元世界に興味を持った。 眼下で行われている魔導師と魔法少女の戦い。それを眺めながらキュゥべえは、今までの情報を纏め、今後自分がどのように動くべきなのかを考え始めるのであった。 ☆ ☆ ☆ バインドで拘束されているなのはは、すずかたちの戦いをただ見ていることしかできなかった。何もできない辛さというのは、なのはが一番よく知っている。だからこそなのはは、目の前の戦闘から目を逸らさず、その成り行きを真っ直ぐ見詰めていた。 まず間違いなく、この場を支配しているのはクロノだろう。杏子とすずかの二人を相手に一歩も引けを取らず、逆に圧倒している戦闘技術。戦闘に関しては素人に近いなのはであったが、恭也や美由希、士郎といった家族たちの稽古を見て育ったなのはには、クロノの動きがとても洗練されているように見えた。まるで杏子たちの移動先が読めているのではないかと思わせるほどに、正確に放たれているスティンガーレイ。隣接されたとしてもデバイスでその攻撃をきっちりと受け止め、すぐ様反撃し距離を取る体術。その一切に無駄がない。 そんなクロノに対し、すずかの動きはどこかぎこちないものだった。その理由はなのはを助けたいという焦りと、彼女を傷つけてしまう恐れからきていた。現在進行形でバインドが仕掛けられたなのはは自由に身動きを取ることができない。そんな彼女に赫血閃が当たったとしたら、避けるどころか防御することすらままならない。意識的にしろ無意識的にしろ、なのはが傷つくことを恐れるがあまり、どこかキレの悪い動きになっていた。 その一方で杏子は自分の手の内を極力隠し、また隙だらけを装っていた。クロノに迂闊に近づけないことを悟り、槍を伸ばして攻撃しているが、それはあくまで直線的にのみでその形状を一度も変形させていなかった。 それはクロノの絶好の隙を生みだすためだ。隙のない相手と敵対した場合、隙は自分で作り出さなければならない。だがそのためにはそれ相応の準備が必要である。その一つが相手に油断を作り出すこと。そのために杏子はわざと直線的な動きで戦っていた。自分を極力弱く見せ、攻撃手段を槍による直線的なものしかないと誤認させる。それが確認できた時、初めて曲線的な攻撃に移る。予想の外からの攻撃は、いくら戦闘に慣れていようとも対処が難しい。クロノが場数を踏んでいるということは、最初の立ち合いの時点で杏子にも理解できた。だからこそ彼女は念のいった方法を使ってクロノを倒そうと考えていた。 その様子を上空から眺めるフェイト。二度に渡り杏子と戦ったフェイトには、杏子の意図がなんとなく掴めていた。そしてその策を成した時が、なのはを助け出す絶好のチャンスとなる。だからこそフェイトは、杏子の動きを注意深く観察し続けた。「アルフ、わたしを降ろして。そうすればアルフは自由に動けるようになるでしょ?」 そんな中、なのはと同じように歯がゆい思いをしていたゆまが告げる。今、状況は完全に膠着している。ゆまの目から見ても戦闘はクロノ優勢で進められているのはわかる。もし自分が魔法少女なら、すぐに杏子を助けに行くことができるだろう。だけどゆまには何の力もない。戦闘に置いて自分は役立たず。砲撃を放つことも、素早く動くことも、斬撃を放つことも、駆け引きで相手を油断させることもできない。 それでもゆまは諦めたくなかった。自分は何もできないと決めつけ、ただ皆の戦いを眺めているだけでいることを拒んだ。何もできない自分でも何か役に立つことがある。それを必死に考え、そうして出した結論がアルフの存在だった。「あんた、自分が何を言っているのかわかってるのかい!?」「別におかしなことはゆってないよ。わたしがいなければアルフも戦えるよね?」「そりゃ確かにそうだけどさ……」 アルフが動けないのは、ゆまというお荷物を抱えている身体。しかしそのお荷物さえなくなれば、彼女は戦闘に参加することができる。未だ静観しているフェイトも含めれば四対一の構図。いくらクロノが強い魔導師だとしても、杏子たち四人を同時に止めることは不可能だろう。「だったら迷うことないよ。私を降ろしてキョーコやあの子、そしてなのはを助けてあげて」「でもあんたにもしものことがあったら……」「わたしは大丈夫! 杏子に目一杯鍛えてもらってるから。逃げ回るくらいわけないよ」 これで杏子たちが戦っている相手が魔女やジュエルシードの思念体なら、そのような発言に意味はなかっただろう。しかし今、彼女たちが戦っているのは人間である。それも次元犯罪者なとといった危険な思想を持つ人物ではなく、むしろそれを取り締まる側の管理局。無抵抗なゆまに手を上げるような真似はしないはずだ。 それでもアルフは決断を渋る。故意にゆまを攻撃するようなことはないだろうが、流れ弾が飛んでこないとも限らない。いくらゆまが逃げ回れると自己申告したとしても、彼女の安全を絶対に保証できなければ動くわけにはいかなかった。「わたしはキョーコの……みんなの足手まといにだけはなりたくない。だからお願い、ゆう通りにして!!」 アルフの迷いを見抜いたゆまは、彼女の目を真っ直ぐ見詰めて自分の主張を押し通そうとする。強い決意を帯びた藍色の瞳。それを見てアルフは自分のゆまに対する認識が間違っていたことを悟る。 アルフにとって、ゆまは杏子のオマケ程度の認識でしかなかった。小細工を弄してフェイトを翻弄した魔法少女。初めは敵として出会い、今でもアルフは心を許していない。 だが彼女がゆまを守るために戦っているであろうことは、アルフにも理解できた。ゆまのためにジュエルシードを集めようとし、彼女が魔法少女になることを頑なに拒む姿勢。それ自体はアルフにもどこか共感できるものがあった。 フェイトに拾われ、使い魔になることで命を救われたアルフ。素体が狼であったアルフは、初めこそフェイトより幼く弱い存在だったが、今では立派に成長し彼女を守れる爪と牙を得ることができた。そしてその精神も肉体に引っ張られ、大人と呼べるものになっていた。 そんなアルフにとってフェイトは大切なご主人様であると同時に、母親であり姉であり、そして妹のような存在なのだ。自分を救い、新たな命を与えてくれた母親としての側面。生まれたてで物事知らなかった自分にリニスと一緒になって様々なことを教えてくれた姉のような側面。……そして母親の愛に飢え、子供らしい感情を見せる妹のような側面。 いくら凄まじい魔力を持ち、並みの魔導師相手なら圧倒できる実力を持っているとしても、フェイトはまだほんの九歳の子供なのだ。そんな彼女に戦場は相応しくない。将来的に戦場を駆けるようなことがあっても、今のフェイトにはまだ早い。彼女にはまだ、リニスがいた時のような穏やかな生活を過ごして欲しかった。 もちろん今のフェイトとの関係には不満はない。しかしそれでもアルフにとってフェイトは守るべき対象なのだ。できることなら戦わせたくない。 おそらく杏子もゆまに対して同じように思っているからこそ、彼女を魔法少女にさせまいと必死なのだろう。そしてゆまも、そんな杏子を助けようとできる限りのことを精一杯やる姿勢を見せている。そんな二人の関係は、アルフにとってとても羨ましいと思えるものだった。 ――だからこそ、ゆまの提案を聞き入れるわけにはいかない。二人の関係を壊すような真似は絶対にしたくない。「……たぶん誰も、ゆまのことを足手まといなんて思ってないさ」「えっ?」「少なくとも杏子はそう思ってないはずだよ。でなきゃ、こんなところまでゆまを連れてくるわけがない。あいつはゆまを下に置いてきぼりにすることだってできたんだからね」 杏子の正確な意図はわからない。だが彼女がゆまを危険に晒すような真似だけはしないことはアルフにもわかる。その上で彼女はゆまの同行を許した。管理局がこのタイミングで介入することは杏子にも予想できなかっただろうが、それでもクロノに向かっていったということは、この場でゆまが危険な目に遭うことはないと判断したに違いない。「……それにあたしはフェイトに『ゆまを守ってあげて』って言われたんだよ。その信頼を裏切るわけにはいかない」「だ、だけどこのままじゃあ、キョーコとあの子が……」「大丈夫だって。あの二人なら相手が管理局だろうと負けやしないさ。……大体、ゆまが杏子のことを信じてあげないでどうするんだい?」「あっ……?」「あたしが直接戦ったわけじゃあないけどさ、フェイトと杏子は二回戦って、その両方をあたしは見てるんだ。その上で言わせてもらうけど、あいつはまだ全然本気出してないよ。だから今はあたしが下手に動くよりも、こうしてゆまを守りながら臨機応変に動ける状況でいた方がいいんだ。わかったらそんな馬鹿なことを言わないで、杏子の応援でもしてやんな」 アルフの言葉にどこか戸惑いながらゆまは頷く。できることなら自分自身の力で杏子の助けになりたい。しかし今のゆまにはそれができない。だからこそアルフにそれを託そうとした。 だがアルフの言葉で目が覚めた。杏子の勝利を信じていなかったわけではない。それでも現状、戦闘は二対一であるにも関わらず杏子たちが劣勢に立たされている。杏子とすずかの攻撃は悉く避けられているのに対し、クロノの攻撃は確実に二人にヒットしている。なのはもバインドで拘束され、フェイトも動かない。そのような有様を目の当たりにして口から零れた弱音。それをアルフに見抜かれ、そして恥じた。「キョーコ!! ガンバレー!! 負けるなー!!」 そんな不安を抱いた自分の感情を奮い立たせる意味でもゆまは叫ぶ。今の自分にできることは杏子を信じ、応援することだけなのだから。 ☆ ☆ ☆ クロノは戦闘を優位に運んでいた。だがそれと同時に余裕もなかった。杏子とすずか、二人の攻撃はとても重い一撃だった。もし食らってしまえば自分の動きが鈍り、二人の攻撃に対処できなくなる。そのためクロノは、それを一発たりとも受けるわけにはいかなかった。 そのためには、場の状況を正確に把握しておかなければならない。だからクロノは杏子やすずかだけではなく、フェイトやアルフにも細心の注意を払っていた。「キョーコ!! ガンバレー!! 負けるなー!!」 だからこそ、いきなり聞こえてきたゆまの叫びに一瞬、動きを止めざるを得なかった。もしクロノが目の前の二人だけに集中していれば、その声は耳に入ることすらなかっただろう。だが彼女たちからの攻撃の危険性があることを理解していたからこそ、クロノはその声を無視することができず、反射的に防御の構えを取ってしまった。 だが動きを止めたのはクロノだけではなかった。杏子もまた、突然聞こえてきたゆまの声に動きを止める。杏子の意識は目の前のクロノにのみ向いていたが、それでもゆまの声は杏子の集中力を貫いた。 二人の動きが止まったのは僅か一秒にも満たない。これがクロノと杏子、一対一の戦いだったのならば、何の支障をきたすこともなかっただろう。しかしこの場に置いて、戦闘に参加していたのは二人だけではなかった。そしてそのもう一人の少女、すずかには、ゆまの言葉が耳に入る余地は一切なかった。「しまっ……!?」 クロノの死角から斬りかかるすずか。視線を逸らしていなければ十分に対応できていた剣戟。しかし見当違いの方向に意識を向けていたクロノは一手遅れた。ラウンドシールドを展開している暇もなく、無理な体勢になりながらもS2Uで火血刀を受け止めようとする。 そんなクロノの思惑虚しく、S2Uはまるでキュウリのようにスパッと斬れた。そのままクロノ目がけて振り下ろされる火血刀。なのはに剣を構えていた時と違い、その剣筋に迷いはない。目の前にいるのはなのはを捕えた敵。例え相手が魔女やジュエルシードの思念体ではなく人間だとしても、なのはに危害を加えた相手を許す理由はどこにもない。「すずかちゃん! それはダメー!!」 その時、すずかの耳になのはの悲鳴に似た叫びが聞こえる。面識のないゆまと違い、なのはの声ははっきりとすずかの脳裏に響いた。反射的に声のする方を向き、そしてその言葉に従い攻撃を止めようとするすずか。しかしすでに勢いづいた火血刀は止めることができず、彼女の意思に関係なくクロノを切り裂いた。「……えっ?」 頭から火血刀を叩きつけられたクロノの身体は二つに裂ける。だがその手ごたえがまるでない。すずかの手には空を斬った感触しかなかった。そして次の瞬間には、クロノの姿は霞のように消え去った。「すまないが、少しの間だけ眠っていてもらう」 それと同時に、すずかの背中から申し訳なさそうな声が掛かる。そしてすずかは何一つ対応することができず、その意識を刈り取られた。その場で崩れ落ちるように倒れるすずかの身体を支えたのは声を掛けた張本人、クロノだった。「……さて、キミたちもこの戦いに参加するのか?」 クロノは気絶したすずかにバインドを掛けると、その場に優しく寝かせる。そしてS2Uを再生させながら改めて杏子たちの方に向き直り尋ねた。 だがその言葉は杏子にではなく、その横に立っているなのはとフェイトに向けられたものだった。フェイトもまた、あの一瞬の隙をついてなのはの元に近づきバインドを解除したのだ。「すずかちゃんを、どうする気なんですか?」 不安げな表情を浮かべながらなのはが尋ねる。先ほどの戦いを見る限り、クロノは悪い人ではないことをなのはは見抜いていた。それでもいざという時は、自分がすずかを助けに行こうとなのははレイジングハートを握る力を強めた。「別にどうもしない。詳しい事情を聞くだけだ」「ならわたしがお話するから、すずかちゃんを許してあげてください」 仏頂面で答えたクロノに対して、深く頭を下げるなのは。それを見てクロノはどこかバツの悪い気分に陥る。クロノからすれば杏子から執拗に挑発され、すずかに殺気を向けられ続けたから反撃に転じただけなのだ。「……僕は別に怒っているわけじゃあない。だが見たところキミたちは全員が仲間というわけじゃあないのだろう? なら互いに知らないことも知っているんじゃないか?」「そ、それはそうかもしれないけど……」 クロノがなのはの提案を聞き入れるのは簡単だ。情報が不足している現状、一人でも友好的に話を聞かせてくれるというのなら、他の人物を見逃すのも一つの手なのだろう。「なら僕はキミたち全員から話を聞く必要がある」 しかし彼女の提案を飲むということは、すずかを逃がすことになる。先ほどの立ち合いで、クロノはすずかの危険性を十二分に理解していた。『戦い』という舞台に置いては彼女よりも杏子の方が脅威だろう。しかし『殺し合い』となると話は変わる。すずかがクロノに向けた殺気。それは到底、彼女のような子供に出せるようなものではない。すずかの剣に躊躇いが生まれていなければ、クロノはあのまま斬られて死んでいただろう。「今更こんなことを言っても信じてもらえないかもしれないが、そちらから仕掛けなければこちらからは一切の危害を加えないと約束しよう。もちろん彼女にも……」 クロノは気絶しているすずかに視線を向ける。「だから事情を聞かせてくれないか?」 そして改めてなのはたちの方に向き直り頭を下げた。クロノにとって、この提案が通ることが最善。しかし他の少女はともかく、杏子がこの提案を受けないことはクロノには止そうがついていた。【艦長、先に彼女をアースラに転送できますか?】 だからこそクロノは、頭を下げながら次善策の準備をアースラにいるリンディに伝える。【もちろんできるわよ。でもいいの?】 リンディの懸念すること、それは彼女たちに黙ってすずかを転送してしまうことで、場の雰囲気がより険悪になるということだった。すずかや杏子からは明確な敵意を向けられているが、今話をしているのなのは、そして先ほどまで静観し続けていたフェイトたちがこちらに敵対する意思があるかどうかまではわからない。すずかを勝手にアースラに転送してしまえば、なのはたちは良い感情を浮かべないだろう。【この話し合いの結果次第、ですね】 杏子以外の全員がこちらの提案を飲んでくれれば、そんなリスクのある真似をする必要はないだろう。彼女と一体一の戦いになったとしても、クロノには負ける気がない。おそらくまだ隠し玉はあるだろうが、それでも地力でこちらが上回っているとクロノは確信していた。 問題なのは、全員が拒絶した場合だ。そうなった場合、彼女たちはまず間違いなくすずかを取り戻すために戦いを挑んでくるはずだ。杏子の力量はわかったが、他の二人は未知数だ。それに二人だけではなく、使い魔もいる。もし全員で掛かられた場合、流石のクロノでも勝利するのは難しいだろう。(果たして彼女たちはどう動くか) クロノは緊張しながら、彼女たちがどう出てくるかを待ち続けた。 ☆ ☆ ☆ 再び捕らわれたすずかを見て、フェイトは自分の失策にはっきりと気付く。当初の目的であるなのはを救いだすことに成功したフェイトだったが、その代わりにすずかが捕まってしまった。これではまるで意味がない。 しかも一度動いてしまった以上、もうクロノの不意をつくような真似は難しいだろう。まだ明確に敵とみなされたわけではないが、それでも先ほどより助け出す条件が厳しくなったのは確実だ。「……なのは、フェイト。あいつはあたしが惹きつけるから、あんたらはその隙に逃げな」「杏子!?」「杏子さん!?」 そうして思い悩んでいると、唐突に杏子が小声で呟く。「なのははともかくとして、フェイトたちはあいつに捕まりたくないんだろ?」「ど、どうしてそれを……!?」「見てりゃあわかるさ」 杏子の見立てでは、先の戦いでフェイトがクロノの隙をついて動こうとしているのは明らかだった。問題はその狙い。クロノの隙を突いて逃げるのか、はたまたジュエルシードを手に入れるために動くのか。その判断が杏子にはつかなかった。 だがどう動くにしても状況が変わるのには間違いない。逃げようとすればフェイトに注意が向き、こちらから仕掛ける隙が生まれるかもしれない。ジュエルシードもそうだ。クロノの注意がフェイトに集中し、死角から攻撃を突きやすくなるだろう。どちらにしても状況は動き、こちらが優位になるのには間違いない……はずだった。「ま、でもフェイトが真っ先になのはを助けに行くとは思ってなかったけどな」「それは……」 なのはとフェイトはジュエルシードを奪う敵同士。例え助けに向かうことがあっても、それはフェイトがジュエルシードを手に入れてから。むしろ助け出さずに去ってしまう可能性が高いと杏子は踏んでいた。 しかしフェイトはそんな杏子の予想を裏切り、また自分もクロノに隙を見せてしまった。その結果、すずかが再び捕らわれた。「別に責めてるわけじゃねぇよ。さっきも言ったと思うが、あたしたちは別に味方同士ってわけじゃあねぇんだ。それぞれの思惑があって動くのは当然だろ? ……だからこそ、ここからは優先度を間違えるな」 その言葉にフェイトはハッと気付く。フェイトがこの場にやってきた目的はなのはを助けることでも、すずかを助けることでもない。ジュエルシードを手に入れるためだ。そして今後もジュエルシードを集めるためには、ここで管理局に捕まるわけにはいかない。「なのはも余計なことは考えず、この場から離れることを考えな」「で、でも杏子さん、わたし、すずかちゃんのことが……」「心配すんな。そっちはあたしが意地でもなんとかしてやる。……だから二人とも、ゆまのことを頼む」「えっ? 杏子さん、それって……」 杏子の言葉を聞いて、なのはは疑問の声を上げる。それに対してフェイトは、これから杏子がやろうとしていることをなんとなく理解していたため、悲しげな表情をしながらも黙って頷いた。「それじゃあ、行ってくるぜ!」 その言葉を皮切りに、杏子は一気にクロノに突っ込む。最初の時と同様、槍を正面に向けて突いてくるその姿勢を見て、クロノは同様に対処するつもりだった。しかし杏子の背後でフェイトがジュエルシードに向かって駆けだしているのを見て、スティンガーレイを放つ。 放たれたスティンガーレイを杏子が槍で撃ち落とす。しかしそのいくつかは杏子ではなく、フェイトに狙いを定めて放たれていたものだった。ほとんど無防備で駆けていたフェイトは自分に向かって飛んできているスティンガーレイに気付くと被弾を覚悟する。 しかしフェイトにスティンガーレイが当たることはなかった。何故ならそれらは横から放たれた桜色の輝き――なのはのディバインバスターにかき消されたからだ。「……ありがとう。ジュエルシード、シリアルⅧ、封印!!」 一瞬、なのはの方に顔を向けたフェイトはそのままジュエルシードを封印する。それをバルディッシュの中に収納すると、その場から離脱を図ろうと飛び上がる。「ま、待て!!」 もちろんそれをクロノが黙って許すわけがない。すぐにフェイトの後を追いかけようと、自身も宙に浮かぶ。「お前の相手はこっちだ」 だがそんな隙を見せたクロノを杏子が見逃すはずがなかった。杏子の槍を鞭のように変形させ、クロノの身体に巻きつける。今まで直線的だった杏子の攻撃が曲線的になったことで、クロノは避けきることができず絡め取られてしまう。「アルフ、受け取れ!」 そうしてクロノの動きを阻害している間に、杏子は気絶しているすずかをアルフに向かって強引に投げ飛ばす。突然のことに慌てたアルフだったが、間一髪のところですずかを受け止めた。「あ、あんたいきなり何を……」 思わず文句を言おうとしたアルフだったが、その言葉を喉の奥に引っ込める。それは杏子の瞳が、先ほどのゆまの瞳と同様に決意に満ち溢れたものだったからだ。 そうして逡巡している間に、杏子の首筋にはクロノがS2Uを突きつけていた。だがそれと同時に杏子もまた、クロノの腹部に槍を突きつけていた。「存外、抜け出すまで早かったな」「あれがバインドの類だったら、こうも早く抜け出すことはできなかったけどね」 杏子がクロノの身体に巻きつけたのは、彼女の魔法で生みだした鞭である。魔法で生みだしたとはいえ、その鞭にバインドのような拘束性能はない。精々、少しの間動きを止めるのが精一杯の代物だった。「それでもしてやられたよ。キミは初めからこの状況を作り出そうとしていたんだろう?」「まぁな」 だがそれも杏子の狙いのうち。彼女はこうしてクロノと互いに牽制し合い、身動きを封じあう状況を作り出すことが目的だった。 その間にフェイトはアルフと合流する。そしてゆまの顔を見ると申し訳なさそうに一言呟いた。「行こう、アルフ」 そしてフェイトはアルフにそう告げる。その直後に彼女たちの足元に展開する魔法陣。それを見てゆまはフェイトたちが何をやろうとしているのかを悟る。「ちょ、ちょっと待って。まだキョーコがあそこに」「……ごめん、ゆま」 ゆまの方に顔を向けず、謝るフェイト。そんなフェイトに対してゆまが声を発する前に、彼女たちはこの場から姿を消した。【ゆま、しばしのお別れだ。元気でやれよ】 テレパシーに乗せた杏子の別れの言葉。それがゆまの元に届いたのかはわからない。だがとりあえずフェイトやすずかと一緒ならゆまも安心だろう。それよりも今は……。「なのは、お前は逃げなくていいのか?」 杏子はこの場に残っているなのはたちに声を掛ける。「杏子さんこそ、どうしてゆまちゃんと一緒に行ってあげなかったんですか!?」「どうしてって言われてもな、こうでもしなきゃフェイトたちが逃げ出すことは無理だったからな。仕方ねぇだろ。」「でもだからって……」「それよりも、なのはは良かったのか? すずかと一緒に行かなくて。仲直り、まだできてないんだろ? 今ならまだ、逃げ出せると思うぜ」 杏子の言葉になのはは押し黙る。なのはとて、すずかとは早く仲直りしたい。それでもなのはは一歩も動けなかった。 バインドで捕らわれていた時に見たすずかの動き。それはとても素早く、それでいて荒々しく、今の自分では到底ついていけるようなものではなかった。もしあの時、クロノが止めに入らず戦い続けたら、すずかの想いをきちんと最後まで受け取ることができただろうか?(強く、ならなきゃ。いざという時、すずかちゃんを止められるくらい、強く) 今のすずかはとても不安定だ。ちょっとしたきっかけで狂気に囚われ、なのはの知る優しいすずかが失われてしまうかもしれない。いざという時、そんなすずかを止められない。だからすずかと向き合う時は、今じゃない。 なのはは真っ直ぐ杏子を見つめる。そこに込められた強い意志。その理由までは杏子にはわからなかったが、それでも彼女がこの場から逃げ去る気はないということを知るには十分だった。「はぁ~。わーったよ」 杏子は呆れたようにそう言うと、手に持つ槍を引っ込める。そしてクロノに降参といった具合に、両手を上げた。 ……こうしてこの場での戦いに終止符が打たれた。 ☆ ☆ ☆「戦闘行動は停止。捜索者の半数は逃走」「追跡は?」「多重転移で逃走してます。追いきれませんね」「そう」 アースラ艦内で戦闘の一部始終を眺めていたリンディは、管制室メンバーの言葉を聞いて腰を降ろす。「本当にこれでよかったのかしら?」 今の戦闘を振り返ってリンディは思わず零す。クロノがなのはとすずか、二人の戦闘を迅速に停止させたところまでは良かった。しかし売り言葉に買い言葉で別の少女たちとの戦闘行動。その果てにロストロギアを奪われ、逃走も許される。相手の人数が多く、また一人ひとりが非凡な魔導師であったこともあって仕方ないとも思えるが、もう少し上手く立ちまわれたのではないかと疑問の残る戦闘だった。「特にクロノと直接戦ったあの子たち」 クロノとデバイスを突きつけ合っている赤い髪の少女と連れ去られた刀を使っていた少女。彼女たちの使う魔法はアースラのデータベースには一切記載されていないものだった。敵の使う魔法を素早く分析し、武装隊のサポートをするのも管制スタッフの役目だ。それらがまったくない状態でクロノは十分よくやったと言えるだろう。しかし少なからず、相手に反感を覚えさせてしまった。特に刀の少女は次に管理局と遭遇したら有無を言わさず襲いかかってくるに違いない。「クロノ、お疲れ様」 だが今は、彼女たちから事情を聞くのが最優先だ。リンディは映像通信をクロノに掛ける。『すいません。半数を逃がしてしまい、ロストロギアも奪われてしまいました』「まぁ今のところは大丈夫でしょ。それでちょっとお話を聞きたいから、そっちの子たちをアースラに案内してくれるかしら」『了解しました。すぐに戻ります』 それを聞いてリンディはクロノとの通信を切る。「それじゃあ私は事情聴取に立ちあってくるから、引き続き、情報収集の方をお願いね」 それだけ言うとリンディはブリッジを後にする、そうしてこれからやってくる客に対する準備を始めた。 2012/10/17 初投稿2012/10/31 誤字脱字修正