【ユーノくん、ここっていったい?】【時空管理局の次元航行船の中だね】 クロノに連れられアースラ船内へ足を踏み入れたなのはは、その後に続きながらユーノに尋ねる。その言葉だけではなのはが理解できないと思ったので、ユーノはわかりやすく説明しなおしたが、それでもなのはにはその言葉の意味がほとんど理解できなかった。 なのはは不安げに隣を歩いている杏子の方を見る。クロノによってバインドを掛けられた杏子は、実に窮屈そうに顔を歪めていた。射殺すような目で前を歩くクロノを睨みつけながら、なんとかバインドを解除しようと腕に力を込めている。「……いい加減、人を睨みつけるのは止めてくれないか?」 そんな杏子の視線がいい加減鬱陶しくなったのだろう。クロノは足を止めてこちらを振り向くと、観念したような口調で告げる。「てめぇがこれを解けば、すぐに止めてやるよ」「……バインドを解除した途端、襲ってこないだろうね?」「ここまで来てそんなことしねーよ!!」「……わかった、信じよう。だがキミもすぐに武装は解除してくれよ」 怒鳴りつけるように文句を言う杏子に対して、クロノは諦めに似たため息を吐きつつも、彼女の身体を拘束しているバインドを解除した。拘束が解除され私服姿に戻った杏子は、その場で伸びの運動をしながら身体を解す。「キミたちも、バリアジャケットとデバイスは解除してもらって平気だよ」「あっ、はい」 クロノの言葉に従い、なのははバリアジャケットを解除する。「……キミもだ。そっちが本来の姿じゃないんだろう?」「ああ、そういえばそうですね。ずっとこの姿でいたから忘れてました」 ユーノはそう言うと、全身を輝かせそのシルエットがフェレットのものから人型へと変化していく。そうして光の中から出てきたのは、なのはと同じ年頃の一人の少年だった。「なのはにこの姿を見せるのは、久しぶりになるのかな?」 ユーノと同じ髪の色をし、ユーノと同じ目の色をした少年は、優しげな笑みを浮かべながらなのはに語りかける。その声もまた、紛れもなくユーノのもので、目の前の少年がユーノであることは、もはや疑いようがなかった。だがその衝撃的な事実になのはの理解が追いつかず、その驚きは叫びへと変わった。「ふぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」 アースラ艦内に響き渡るなのはの叫び声。そんななのはの態度を見て、ユーノも驚き戸惑う。「な、なのは?」「ユーノくんて、ユーノくんて、あの、その、なに!? えーっと、だって、嘘!!?」「……ユーノ、おまえ、人間だったのか!?」 なのはの横で同様に驚いた表情を見せた杏子が、その言葉を代弁する。それを聞いてなのはは首を縦に思いっきり振る。「あ、あれ? 杏子さんはともかくとして、なのはと僕が最初に出会った時って僕はこの姿じゃ……」「違う違う! 最初っからフェレットだったよー!!」 首を大きく横に振り否定するなのは。そんななのはの姿を見て、ユーノは出会った時の状況を回想する。そしてすぐに自分の勘違いだったことに思い至った。「あーっ! そうだ、ごめんごめん。この姿、見せてなかった」「だよね! そうだよね! ビックリしたー」「……あの、ちょっといいか? キミたちの事情はよく知らないが、艦長を待たせているので、できれば早めに話を聞きたいんだが」 そんな二人のやり取りに呆れつつも、クロノは自分の職務を思い出し、声を掛ける。クロノの言葉に申し訳なさそうな表情を見せるなのはとユーノ。「別にいいじゃねぇか。こんなところに連れ込まれちまった以上、あたしたちはもう逃げられねーんだからさ」 そんな二人を庇うように杏子が声を掛けるが、その途端にクロノに睨まれる。「わーったよ。でも一つだけ質問させてくれ。念のために確認しとくけど、ユーノはそっちが本当の姿なんだよな? イタチの方が本当の姿ってわけじゃあねぇよな?」「ち、違いますよ! 正真正銘、僕はれっきとした人間ですから!!」「そっか。ならいいんだ。それじゃあ行こうぜ。執務官さん」「あ、あぁ、それではこちらへ」 そう言ってクロノは三人を先導する。そうして歩きながら、杏子が何故そのような質問をしたのかを考える。だがこの時のクロノは、結局その答えを見つけることができなかった。「艦長、来てもらいました」 クロノの案内で連れられたミーティングルーム。それはなのはたちが想像していたものとは趣が異なり、日本的な和の雰囲気に包まれていた。無数の盆栽が飾り付けられている壁際。敷き詰められた絨毯の上には茶道で使う釜や柄杓が用意され、人数分の茶器と和菓子が並べられている。さらに部屋の隅では鹿威しが一定のリズムで水の滴る音と竹のぶつかる音を奏でていた。「お疲れ様。皆さん、よく来てくれましたね」 そんな部屋の中心に座って待っていたリンディはなのはたちがやってきたことに気づくと、屈託のない笑みを浮かべる。「あんたは?」「初めまして、私は時空管理局提督、リンディ・ハラオウンです。とりあえず皆、こっちに来て座って楽にして」「あっ、はい」 リンディに案内されるがままに絨毯の上に正座になる一同。そしてなのはたちは簡単に自己紹介を済まし、今までの経緯をリンディとクロノに説明した。「そうですか。あのロストロギア、ジュエルシードを発掘したのはあなただったんですね」「はい。それで僕が回収しようと……」 ユーノの名前を聞いた段階で、リンディとクロノは彼がジュエルシードの発掘者であることは見抜いていた。管理局に救援を求め、それが叶わないから一人で回収に向かう。「立派だわ」「だけど、同時に無謀でもある」 そんなユーノの話を聞いた感想を二人が告げる。厳しい言葉を掛けるクロノだったが、ユーノの心意気自体は否定する気はない。それはユーノがきちんと正規の手順を踏んで管理局に依頼を出していたからだ。本来なら管理局がすぐ動くべきところであったはずなのに動いてもらえなかった。だから自分ひとりでなんとかしようとした。その考え自体はクロノにもある程度は理解できた。「あの、ロストロギアってなんなんですか?」 意気消沈のユーノの姿を見て、話を逸らす意味でもなのはが質問する。「遺失世界の遺産……って言ってもわからないわね。次元空間の中にはいくつもの世界があるの。その中にはよくない形で進化し過ぎる世界があるの。進化し過ぎた技術や科学が自分たちの世界を滅ぼしてしまって、その後に取り残された失われた世界の危険な技術の遺産」「それらを総称してロストロギアと呼ぶ。使用法は不明だが、使いようによっては世界どころか、次元空間さえ滅ぼすほどの力を持つことのある危険な技術」「然るべき手続きを持って、然るべき場所に保管されていなければいけない代物。あなたたちが探しているジュエルシードもその一つ。あれは次元干渉型のエネルギー結晶体。流し込まれた魔力を媒体として、次元震を引き起こすこともある危険物」「それについてはキミたちの方が、よく知っているはずだ」 クロノの言葉でなのはは魔女ラウラとの戦いの顛末を思い出す。青白い膨大な魔力の柱。柱に吹き飛ばされたすずかは傷つき、封印する時も二人がかりでやっとできたようなものだった。「たった一つのジュエルシードでも、あれだけの威力があるんだ。複数個集まって動かした時の影響は計り知れない」「大規模次元震やその上の災害、次元断層が起きれば世界の一つや二つ、簡単に消滅してしまうわ。そんな自体は防がなきゃ」「だからキミたち……いやキミが知っている情報を教えて欲しい。佐倉杏子」 クロノの言葉で一同の視線が杏子に集中する。杏子は最初に名乗った後、この場で一度も口を開いていなかった。それは魔法少女と魔女のことを話して良いものかと図り兼ねていたからだ。 しかしリンディたちが語ったジュエルシードの危険性。それは杏子の想像を遥かに上回るものだった。彼女たちの言うことを鵜呑みにすることはできないが、実際にジュエルシードの暴走を目にした身としては、あながち嘘とも言い切れない。もし本当だとすれば、杏子ひとりの手には余る代物だ。近くの町の魔法少女に声を掛けて協力を募ったとしても、肝心のジュエルシードを封印できる技術を持っているとは限らない。海鳴市の現状を考えると、二度手間になるようなことに時間を割いている暇すらないだろう。「……そいつに負けたわけじゃねぇから、何も話す気なんてなかったんだけどな」「それじゃあ、話してくれるのかしら?」「ああ、いいぜ。どこから聞きたい?」「そうね。……まずは杏子さんの出身世界とクロノとの戦闘で使って見せた魔法について聞きたいわ」「出身世界?」「ええ。なのはさんたちの世界は管理外世界に認定されているの。この管理外世界というのはね、人類が社会形成を成している世界の中で、魔法技術が発達していない世界を指して使う言葉なの。ユーノくんに魔法を教えて貰ったなのはさんはともかく、杏子さんの魔法は私たちの使うミッドチルダ式の魔法と大きく異なるわよね?」「……なるほどな。それであんたたちはあたしが別世界からやってきた魔法使いだと考えたわけか。――だがその予想は的外れだ。あたしは正真正銘、なのはたちの同じ世界の出身だよ。それにあたしの使う魔法は誰かに教わって身に付けたものでもねぇ。あたしの内から生まれてきたもんだ」「そんな馬鹿な!? キミはあれほどの戦い方を自力で身につけたというのか!!」 杏子の言葉にクロノが身を乗り出して声を荒げる。一対多数の戦いだったとはいえ、クロノがフェイトたちを逃がすきっかけを作ったのは間違いなく杏子である。さらに彼女の状況判断能力は執務官である自分に匹敵するものがあった。執務官である自分を出し抜く戦闘センスを自力で身に付けたなど、クロノにとっては悪夢のような事実だった。「……ま、正確に言うと戦い方については少しばかり教わっていたこともあるし、あたし本来の魔法ってのは諸事情があって今は使えないんだけどな」 クロノの指摘に杏子は思わず、昔の自分の事を思い出す。魔法少女になり立ての、まだ正義に燃えていた頃の自分。今、杏子たちがやろうとしていることはこの世界を救うという、いかにも正義の味方が好んでやりそうなことだった。正直、自分本位で暮らしている今の杏子にとっては忌避すべき事柄。(こういう時、あいつなら率先して協力しようとするんだろうな) 杏子は思わず、見滝原で出会った先輩の魔法少女のことを思い出す。少しの間だけ彼女を師事し、色々なことを教わりながら協力し魔女と戦った日常。魔法少女としての方針の違いから喧嘩別れになってしまったが、彼女は今頃どうしているだろう?「杏子さん?」「あ、ああ、わりぃ。……とにかくだ、あたしやすずかの使う魔法はこの世界特有のものだ……と思うぜ」 断言すべきところだったかもしれないが、杏子は言葉に詰まらせ、最後にそう付け加えた。「杏子さん、あなたは本当にそう思っているのでしょうか?」 もちろん杏子のそんな挙動の違和感をリンディが見逃すわけがない。彼女はすでに管理局に十五年以上も務めているのだ。いくら杏子が他人を出し抜く術が優れているからといっても、リンディとは年季が違った。「…………あたしも昨日まではそんなこと、考えたことはなかったんだけどな。でもあんたらみたいな別世界があるとなると話は変わってくる」 そこで杏子は一度、言葉を区切るとお茶菓子の水羊羹を一口で飲み込む。そして真剣な面持ちで続きを口にした。「――あいつは、キュゥべえはもしかしたら別の世界からやってきたのかもしれない」「キュゥべえ、くん? 杏子さん、キュゥべえくんのこと、知ってるの?」「そ、そうだ。杏子さんにあの動物のことについて聞こうと思ってたんだ!」 意外なことに杏子の口からキュゥべえの名前が出ると、真っ先に反応してきたのはなのはとユーノだった。「なんだ? 二人ともキュゥべえのことを知ってたのか?」「は、はい。わたしが初めてユーノくんと会った夜、ジュエルシードに取り込まれたキュゥべえくんと戦ったんです。それでジュエルシードを封印した後、傷ついたキュゥべえくんをどうしようかと思ったら、別のキュゥべえくんがやってきて連れてっちゃって」「なのは、それ本当!?」「えっ? なんでユーノくんが驚くの? ユーノくんには話したよね?」「確かに聞いたけど、僕はてっきりキュゥべえは現地の生物で、飼い主が連れ去っていったんだと思ってたから」「そんなことないよ! 地球には言葉を話す動物はいないもん。だからわたしはユーノくんとキュゥべえくんは同じところからやってきたんだと思ってたんだもん」「……だからキミは、ユーノが本当に人間かどうかを確かめたわけか」 言い争いをしている二人を尻目に、クロノは杏子に確認するように尋ねる。「ああ、もしかしたらキュゥべえも人間の可能性があるんじゃないかって思ってな」 思い返してみると、キュゥべえは自分のことをほとんど口にしない。魔女を倒す魔法少女を探している不気味な生物。穢れの溜まったグリーフシードを回収し、魔法少女にとって有益な情報があれば伝えてくれることもあるそれ以上のことを杏子は知らない。普通に考えれば、キュゥべえが地球上の生物であると考える方が無理のある話だ。だがもし、ユーノと同じように変身魔法で動物に化けているのだとしたら……。「それで杏子、そのキュゥべえという生物は何者なんだ?」「簡単に言えば、あたしを魔法少女にした胡散臭い動物……ってところか」 そうして杏子は順序立てて、自分が魔法少女になった経緯を話していく。 話をしながら杏子は、フェイトに託したゆまのことを思う。フェイトの元なら今のところはゆまが危険に遭う可能性は少ないだろう。だが海鳴で行われる戦いは、今後さらに苛烈なものになっていくのは間違いない。ならばいつまでもゆまを海鳴市に留まらせるわけにはいかない。なんとかしてゆまと合流し、彼女を安全なところに避難させる必要がある。(といっても、流石にここには置けないよな) 根なし草の杏子に帰る家など残されていない。だからといってアースラに連れてくるのも気が引ける。(……気は進まないけど、他に選択肢はないよな) 今の杏子には、頼れる人は一人しかいない。自分から決別した一人の魔法少女。杏子の知る限り、魔法少女の中で唯一、人を守るために戦っている先輩――巴マミ。彼女なら信用できる。(マミが許してくれるまで、ゆまを預かってもらえるまで頭を下げる。……ある意味で、ジュエルシードを取り込んだ魔女との戦いよりも辛いものになるかもしんないな) それでも杏子はやらなければならない。彼女を守るためなら何だってする。杏子にとってゆまはかけがいのない存在なのだから。 ☆ ☆ ☆ 同時刻、管理局を撒くことに成功したフェイトたちは、隠れ家へと戻ってきていた。未だ意識の戻らないすずかをベッドに寝かせると、フェイトは改めてゆまに声を掛ける。「ゆ、ゆま、あのね」「……どーして? どーしてキョーコを置いて逃げたりしたの?」 ゆまは暗い面持ちでフェイトとアルフに尋ねる。目元に涙を溜め、恨みがましそうな表情で二人を見る。「し、仕方なかったんだよ。あの状況だと杏子を助けに行く余裕は……」「あったよ。フェイトもアルフも、キョーコを助けにゆくことはできたはずだよ」 あの時、アルフはゆまを抱えていた。だがその前にゆまは自分を気にせず、杏子たちを助けに行ってくれと頼んだ。もしアルフがそれを拒まず受け入れてくれていれば、彼女は自由に動くことができただろう。 そしてフェイトは杏子よりもジュエルシードを優先した。杏子がクロノに向かって突っ込んでいった時、フェイトの援護があれば杏子はクロノを倒しきることができていたかもしれない。少なくとも、すずかを助けるのに放り投げるなんて無茶な真似はしなかったはずだ。「……そうだね。少なくともわたしには、杏子を助けに行くことができたと思う」「フェイト!?」 フェイトの言葉に思わず驚きの声を上げる。だが驚いたのは、ゆまも同じだった。「なら、どうしてキョーコのことを助けなかったの?」「それは杏子がわたしに、ゆまを連れて逃げることを望んでいたから」「えっ……?」「アルフがゆまを抱えていたというのもあると思うけど、あの場で管理局の追尾を撒くことができたのは、たぶんわたしたちだけだったと思うから。だから杏子はいざという時、ゆまを巻き込まないために自ら囮になったんだと思う」 フェイトの言葉に、ゆまはそれ以上なにも言わずぽろぽろと涙を零す。「ゆ、ゆま!? 大丈夫だって。あたしたちがこんなことを言うのもなんだけど、管理局はミッドの司法組織なんだから。だから杏子はそんな酷い目に遭うことはないって」 いきなり泣き出したゆまを見て、アルフは狼狽し慰めの言葉を掛ける。だがゆまは頭を横に振った。「ひっく、ひっく、そうじゃない……そうじゃないの……」 ゆまの涙の理由、それは彼女が何もできずに杏子に守られたからだ。 初めて杏子に出会ったあの日から、少しは成長できたと思っていた。魔法少女にはなってないけど、杏子の教えを元に少しは成長できたと思っていた。 でも結局、ゆまはただの足手まといで終わってしまった。どんなに周りに否定されても、ゆまはあの場で何一つ役に立つことができなかった。それがとにかく悲しかった。「ごめんね、ゆま」 そんなゆまをフェイトが優しく抱きしめる。「あの時、もう少しゆまの気持ちを考えてあげれば良かった。少し考えれば、ゆまが悲しむのはわかるはずなのに……。それなのにわたしは……」「ううん、フェイトは悪くない。悪いのは、何の力もないわたしだから……。何も考えずにキョーコたちについてったわたしだから……」 フェイトに会ってもう一度、話がしたい。その思いがあったからこそ、ゆまは何も考えずに杏子に無理を言ってついていった。だが今回、屋上に向かうまでに立ち止まれるチャンスは二度もあった。その時にゆまが杏子についていこうとせず待っていれば、このような結果にならなかっただろう。少なくともアルフは自由に動け、杏子もゆまを逃がすために囮を買って出るような真似はしなかったはずだ。(――強くなりたい。皆の足を引っ張らないくらい、そしてキョーコを守れるくらい強く) ゆまは改めて決心する。杏子との約束でまだ、キュゥべえと契約はできない。しかし魔法少女にならなくても、強くなる方法はあるはずだ。 ゆまは涙を腕で拭う。とめどなく流れ出ようとする涙を、無理に我慢する。そうして一頻り涙を拭いたゆまがフェイトを見る。そこには明確な決意の炎が灯っていた。「ねぇ、フェイト。一つだけ、わたしのお願い聞いてもらっていい?」「……うん。わたしにできることなら」 ゆまの瞳を見て、フェイトはなんとなくこれからゆまが告げるであろう言葉が予想できていた。「――なら、わたしに魔法を教えて」 ゆまは真っ直ぐフェイトを見つめて告げる。杏子には「魔法少女になるな」と言われ続けた。だからゆまは、なのはに言われた通り精一杯、別の方法を考えた。キュゥべえと契約することなく、魔法を使えるようになる方法。その答え自体は、実に簡単に見つかった。魔法少女になれなければ、魔導師になればいい。魔法少女としてではなく、魔導師として杏子の隣に立つ。(ごめんね、キョーコ。キョーコはきっと、こんなこと望んでないよね) 杏子がゆまに望んでいるのは平穏な生活だ。それを杏子が口にしたことはないが、ゆまはそれをなんとなく理解していた。……そしてそのために、いつか杏子が自分の前から去っていくつもりであることも。(でもわたしはずっとキョーコと一緒にいたい。そのためになら、わたしはなんだってする。……これを最後の別れにするために。だからキョーコ、待っててね。次に会う時には、わたしも一緒に戦えるようになってるから) 杏子がゆまを大事に思うように、ゆまもまた杏子のことを大切に思っていた。だからどんなに杏子に否定されても、強くなることを諦めることはできない。それが杏子に助けられ、彼女の背中を見て育ち、彼女の隣に立つことを目標としているゆまの願いなのだから。 ☆ ☆ ☆「つまり話を纏めると、キミはキュゥべえに願いを叶えてもらう代わりに魔法少女になり、魔女と呼ばれる怪物と戦っている。そういうことでいいのか?」「ああ、概ね間違ってねぇよ」 杏子の話はこの場にいた全員にとって衝撃的な話だった。魔法技術のない管理外世界だと思っていた地球の魔法。それは確かに技術によって生み出された魔法ではなかった。地球の魔法の根源は少女たちの祈り。技術ではなく奇跡の名の元に行使される魔法。杏子の話を一言で纏めたクロノ自身、彼女の言葉を素直に受け入れられなかった。「杏子、キミのソウルジェムを見せてもらってもいいか?」「ああ、こいつがそうだ」 自分の手のひらにソウルジェムを乗せる杏子。手のひらに収まる小さな赤い宝石。海鳴市にやってきてからソウルジェムの浄化を怠っていたためか、杏子のソウルジェムは少し濁っていた。それに気づいた杏子は、ついでと言わんばかりにグリーフシードを取り出すと、全員の見ている前でソウルジェムから穢れを取るのを実演する。「うわぁ、きれ~い」 輝きを取り戻したソウルジェムを見たなのはが小さく呟く。その一方でクロノは難しい表情でその現象を眺めていた。杏子の手の中にある二つの宝石からは、確かに魔力を感じる。ジュエルシードと比べれば遥かに小さい魔力だが、それでもこんな小さな宝石から魔力を生み出す技術は、それ自体がロストロギアと呼べなくもない代物だった。「ねぇ、杏子さん。ソウルジェムとグリーフシードを調べさせてもらえないかしら?」「そいつはダメだ」 クロノと同様の考えに至ったリンディは杏子に尋ねてみる。だがそれは一刀両断の元に断られた。「理由を聞いても?」「あたしはまだあんたらのことを完全に信用したわけじゃねぇ」 杏子が素直に事情を話したのは、地球に危機が迫っていたからだ。もし自体が自分ひとりでどうにかなるようなものなら、彼女は決して魔女と魔法少女のことを管理局には口にしなかっただろう。「仮に信用できたとしても、ソウルジェムを預けようとは思わねぇけどな」 杏子にとってソウルジェムとは力である。自身の忌むべき願いが生み出し、家族を崩壊させた宝石。だがソウルジェムがなければ杏子は魔女と戦うことはできない。例えゆまにだって、ソウルジェムを預けることはできないだろう。「そうね。そういうことなら仕方ないわね」 残念そうに呟いたリンディは、シュガーブロックを放り込んだお茶に口をつける。それを見てなのはは目を丸くし、杏子は自分がゲテモノ料理でも食べたかのようなうめき声を上げた。「……では、これよりロストロギア、ジュエルシードの回収については時空管理局が全権を持ちます。――その上で佐倉杏子さん、改めてあなたにお願いがあります。あなたはこのままアースラに残って、魔女との戦い方を私たちに教えてくれないかしら?」「か、艦長!? 彼女は民間人ですよ!!」 思いもよらないリンディの言葉にクロノは声を荒げる。「あら? 私は妥当な判断だと思うわよ。杏子さんはこの世界独自の魔法を使い、この世界独自の怪物と戦い続けたエキスパートなんだから。それに彼女自身、このまま引き下がるような性格だとは思えないしね」「そ、それはそうですけど……」「それにフェイトさんとすずかさん、あの二人のこともあります。もしまたどこかで遭遇した時、私たちと一緒に杏子さんがいれば彼女たちも不必要に戦いを挑んでくることもないでしょう」「あのさ、あたしが口を挟むことじゃあないけど、それはないと思うぜ」 黙って聞いていた杏子がリンディに指摘する。「あら? どうしてかしら?」「フェイトはなのはたちとは別の理由でジュエルシードを狙ってる。あんたたちがジュエルシードを回収するっていうなら、間違いなく争うことになると思うぜ。それとすずかはたぶん、個人的にクロノに対して敵対心を持ってるから、あたしがいても関係なく襲ってくると思うぞ」「すずかちゃんはそんなことしないよ!」 杏子の指摘に今度はなのはが反論を入れる。しかし杏子はなのはの言葉をそっと制し、してリンディに話し続ける。「……すずかのことは置いておくとしても、あたしとしては地球が滅びさえしなけりゃ、どっちがジュエルシードを手に入れてもいいんだけどな。そして個人的にはあんたらよりもフェイトの方が信用できる」「この期に及んでキミはまだ僕たちと争うっていうのか!?」「別にそうは言ってねーよ。ただ協力するに際し、いくつか条件があるだけだ」「聞きましょう」「条件は三つ。一つはあたしの行動に口を挟まないこと。あたしに命令するのはいいけど、従うか従わないかを決めるのはあくまであたしってことだ。別に構わねぇよな?」「……いいでしょう。次は?」「なのはたちを家に帰すこと」「杏子さん!?」 自分の名前が出てきたことになのはが驚き、声を上げる。そんななのはを無視して杏子は言葉を続けた。「協力するのはあたしだけ。なのはたちからこれ以上、話を聞く必要もないだろ? だったら家に帰してやれ」「それについては、こちらもそのつもりだったので異論はありません」 一つ目の条件と違い、リンディは迷う素振りを見せることなくその条件を呑む。「ちょ、ちょっと待ってよ! わたしそんなの嫌だよ。わたしだって戦えるし、それにジュエルシードを探すって決めたのは、わたし自身なんだもん。このまま中途半端で放りだすことなんてできないよ!」 だがそれに納得できないのはなのはである。自分の関わりのないところで、そんな重要なこことを勝手に決められるわけにはいかない。「次元干渉に関わる事件だ。民間人に介入してもらうレベルの話じゃない。……僕としては杏子に協力してもらうことにも反対なんだ。その上でキミたちの手を借りることになんてこと、容認できない」「で、でも……」「なのは、もう一度だけ言う。――優先度を間違えるな。なのはにはジュエルシードを探す前に、やらなきゃいけないことがあるだろう? まずはそれを済ましてこい」 杏子の言うなのはがやらなければならないこと。それはすずかときちんと話し合うことだ。クロノの介入で中途半端に終わってしまったすずかとの話し合い。杏子はなのはに先にそれを済ましてこいと言っているのだ。「それを済ました後でなら、管理局を手伝おうとフェイトを手伝おうと独自にジュエルシードを集めようと、あたしは何も文句は言わねーよ。けどな、このまま言いたいことも言えずに喧嘩別れなんて真似になるようなことだけは、あたしがぜってぇ許さない」 温泉宿で会った時に比べて、すずかは荒んでいた。表情も厳しく、まともに食事を摂っていないのか頬がこけていた。クロノに挑む姿勢もかなり好戦的だったこともそうだが、なのはに対する執着度が異常だ。そしてその原因がなのはとの確執にあるのは明らかだった。「……なのは、杏子の言うことに従おう。もしなのはが魔法に出会ったせいで、すずかと喧嘩したままになってしまうのは、僕も嫌だ」 杏子以上にすずかを知っているユーノは、よりそのことを敏感に感じ取っていた。なのはが魔導師だと知ってからのすずかは、それ以前とはまるで違う。このまますずかを放置すれば、きっとなのはは不幸になる。それはユーノにとっても望まないことだった。「杏子さん、ユーノくん。……うん、わかった。わたし、すずかちゃんときちんと話してみる」 すずかとの力量差は一長一短には埋められない。このまま戦っても負けるのはわかってる。……だけどそれならそれで構わない。なのはの目的はすずかに勝つことではなく、すずかと話しあうことなのだから。「でも杏子さん、それが終わったら改めてわたしにもジュエルシード探しを手伝わせて」「……それはなのはとすずかが決めることだ。あたしの決めることじゃねぇ。……だからその辺のことも含めて、しっかり話し合ってこい」「はい!」 杏子の言葉になのはは虚を突かれ、目を丸くする。だがその意味をすぐに理解し、なのはは力強く笑顔で返事をした。 ☆ ☆ ☆「やぁすずか、ようやく目を覚ましたみたいだね」「キュゥ、べえ?」「そうだよ。身体の方は大丈夫かい? あれから数時間もキミは眠りっぱなしだったんだから」 キュゥべえの言葉を聞きながら、気絶する前のことをぼんやりと思い出していくすずか。久しぶりに家の外に出て、フェイトと再会して、ジュエルシードの気配を感じて、そして……。「――そうだ! なのはちゃんは!? なのはちゃんはどこ!?」 なのはのことを思い出したすずかはベッドの上から飛び起き、辺りの様子を観察する。見覚えのない室内、無機質な鉄の壁に囲まれた飾り気のない部屋。部屋の中にいるのはキュゥべえとすずかだけで、他の人物の姿はない。「ねぇキュゥべえ、なのはちゃんは、なのはちゃんはどこ!? 無事なの、ねぇってば!!」 興奮したすずかはキュゥべえに掴みかかり、その身体をシェイクする。「お、落ち着いてすすか。そんなに揺らされたら話しにくいじゃないか」「何でもいいから早く教えてよ!!」「……ぼ、ボクたちはフェイトたちの転送魔法でここまで逃げてきたんだ。なのはがその後、どうなったかはボクにもわからないよ」 すずかの剣幕に押されたキュゥべえは、観念したように呟く。だが今のすずかにとって、その言葉は逆効果でしかなかった。「嘘!? 何で!! どーして!! どーしてなのはちゃんを連れてこなかったの!! ねぇ、キュゥべえ、なんでよ!!」 キュゥべえを握る力を強めたすずかは、焦点の合ってない瞳でキュゥべえを問い詰める。そんなすずかからなんとか逃れようともがくキュゥべえ。だがもがけばもがくほど、すずかの爪がキュゥべえの腹に食い込み、痛覚を刺激していった。「すず……、やめっ……苦し……、離し……」 必死に助けを求めるキュゥべえだったが、腹を圧迫されていることで上手く声を出せない。そうしているうちにその意識が徐々に遠のき、口から泡を噴き出しながらキュゥべえの意識は刈り取られる。「ねぇ、キュゥべえ、答えてよ、ねぇってば!!」 それでもすずかは追求を止めない。爪が肉に深く食い込むほどの力でキュゥべえを揺さぶりながら、唾が飛ぶほどの大声で問いただし続ける。そうしているうちに、騒ぎを聞きつけたフェイトとアルフ、ゆまが部屋の中に飛び込んでくる。「すずか、目が覚めたんだ。よかっ……」 元気そうにしているすずかの後ろ姿を見て、安心するフェイトたち。だがすずかが向き直った瞬間、彼女の魔眼によって動きを縛られる。「……フェイトちゃん、キュゥべえからなのはちゃんを置いて逃げたってけど、ホント?」 眼球を震わしながら尋ねるすずか。その視線はフェイトを中心に向けられたものだったが、魔法に一切の抵抗力を持たなかったゆまは、その強烈な視線に耐えられるはずもなく、意識を一瞬で刈り取られる。 フェイトとアルフは気絶することはなかったが、すずかの瞳を見た瞬間に無数のヴィジョンが脳裏に浮かぶ。イメージの中でありとあらゆる責め苦を味わうフェイトたち。幻視だとわかっているはずなのに抗うことができず、二人の心を消耗させていた。 なんとかフェイトだけでも逃がしたいと思うアルフだったが、魔眼に囚われた彼女は瞬き一つ自由にこなすことができなかった。「……だ、大丈夫だよ、すずか」 そんなアルフたちの横で、フェイトはやっとの思いで声を絞り出す。金縛りによって声帯が上手く動かせず、その声は掠れていたがすずかにもはっきりと聞き取れた。「だいじょうぶ? なにがだいじょうぶなの? フェイトちゃん?」「すずかがあの執務官の隙を突いてくれたから、なのはを助け出すことができたんだよ」「……えっ?」 フェイトの言葉にすずかは気の抜けた声を上げる。そしてクロノに気絶させられる直前に見た光景を思い出す。自分を止めるなのはの叫び声。その先にいたバインドの解かれたなのはとそれを支えるフェイト。杏子とフェイトの助けを借りつつも、きちんとクロノの手からなのはを助けることができたことをはっきりと思い出す。「あ、あはは……、なのはちゃん、無事だったんだ」 安心したことですずかの魔眼の力が弱まったのか、その場に崩れ落ちるように二人は倒れる。アルフはそのまま突っ伏すように気絶したが、フェイトは手で身体を支え、すずかを安心させるように笑顔を向けた。 そんなフェイトたちの姿を見て、すずかはようやく正気を取り戻し、自分の魔眼が皆を苦しめていたことに気付く。「ご、ごめんね。フェイトちゃん。私、私……、目が……」 視線を逸らし、目の辺りを手で隠しながらすずかは謝る。謝りながら、魔眼が収まるように力を入れ、暴走している血の瞳を無理やり魔力で押さえつける。深呼吸を繰り返し、精神の高ぶりを落ち付かせ、冷静さを取り戻す。 そんなすずかの目に飛び込んできたのは、部屋の中の惨状。床に倒れたキュゥべえの腹は無残に切り裂かれ、桃色の肉が体毛の節々から覗き見えている。ゆまとアルフの意識はなく、辛うじて目を開けているフェイトは息も絶え絶えだ。それを招いたのが自分であるということがわかるからこそ、すずかはショックを隠せなかった。「だ、大丈夫だよ、すずか。気にしないで……」 フェイトはか細い声ですずかを気遣うように声を掛ける。だがすでに彼女に向けられた魔眼の効果は切れているというのに、全身から冷や汗が止まらない。すずかの瞳を見た瞬間に襲ってきた恐怖心が脳裏にこびりついており、身体の震えが止まらない。 それでもなお、フェイトは笑顔を浮かべていた。すずかを憂う優しい笑顔。それと同時にその笑顔がとても痛々しい。顔の皮膚が麻痺しているかのようなぎこちない笑み。そんなフェイトの顔を見るだけで、すずかは胸が締め付けられる思いだった。「ごめん、フェイトちゃん!!」 すずかはこれ以上、皆を傷つけるわけにはいかないと、部屋の外に飛び出す。「す、すずか、待って、すずか!!」 その背後からフェイトの呼びとめる声が聞こえる。それでもすずかは足を止めなかった。靴も履かずにフェイトたちの隠れ家のビルの一室から飛び出し、無我夢中で走り続けた。「あっ……」 そうしてたどり着いた場所、それは喫茶『翠屋』だった。無意識のうちになのはを思い続けたすずかが翠屋に行きついてしまうのは、ある意味では当然の話だろう。 中に入る勇気を持てなかったすずかは、そっと窓から中の様子を覗き見る。翠屋の中になのはの姿はなかったが、その代わりに忍と恭也が仲睦まじくウェイトレスとして働いていた。労働の中でも楽しげな笑みを浮かべる姉の姿を見て、すずかの胸が苦しくなり、自然と目元から涙が溢れる。 少し前まで、すずかも今の忍のように自然な笑顔を浮かべながら日常を満喫していた。夜の一族である秘密を抱えながらも、なのはやアリサと過ごす他愛のない日々が楽しくて仕方なかった。魔法少女になったばかりの頃も、自分がその笑顔を守ることができると嬉しくてたまらなかった。 ……だけど今の自分はどうだろう? 自分を助けてくれたフェイトたちを傷つけ、魔導師になったなのはとは未だにわかりあえていない。こんな自分が心の底から笑えるはずがない。表面上は取り繕うことはできても、きっと本心から笑うことはできないだろう。(……私、何のために魔法少女になったんだっけ?) 自分のソウルジェムを取り出し、すずかは自問自答を続ける。強く在りたいという願いが生み出したソウルジェム。穢れを溜め、今では赤紫色というよりも黒に近い輝きを放つそれを初めて手にした時、すずかは生まれ変われた気さえした。今まで嫌いだった夜の一族である自分を受け入れ、その力を使って人々の笑顔を守るために戦っていく。魔女は怖かったが、それでも皆のためならとやりがいさえ感じていた。 だがなのはが魔導師になったと知った時、すずかの中で何かが崩れた。魔法少女としてこの町に住む人々を、忍やアリサ、そしてなのはを守っていたはずなのに、すずかの知らないところでなのはも戦いの中に身を置いていた。そのことがただただ悲しく、それでいて許せなかった。そして自分の意思に関係なく、吸血欲求に従いなのはを傷つけてしまい、そして武器を向けあった。 自分が夜の一族であるということを話しても受け入れてくれたのは嬉しかったが、すずかはなのはが魔導師であることを受け入れることはできない。(今なら、杏子さんの気持ちがわかるような気がする) 魔女と戦うのは危険だから、魔法少女にはさせたくない。温泉街で杏子が口にした言葉。あの時は単純に魔女との戦いで命を落とす可能性があることについて示唆しているだけかと思った。もちろんそういう意味も込められていないわけではないが、それ以上に魔法少女自体が危うい存在なのだ。自分の願いを叶えて手に入れた魔法。しかしその願いに揺らぎが生じた場合、すぐにそのコントロールが上手くいかなくなる。 窓ガラスに反射したすずかの真っ赤な瞳。魔眼の効力を抑えていても、夜の一族としての力を解放していなくても、元の色に戻らない。指先からは鋭利に爪が伸び、口の中で歯を噛み合わせると、今朝よりも犬歯が伸びている事に気づく。魔力こそ意識的に抑えてはいるが、少しでも気を抜くとすずかの意思に関係なく解放されてしまうのは明らかだった。 すずかの願いは強く在ること。確かに彼女は強くなった。……肉体的に。内に秘めた魔力は日が経つごとに増え続け、身体能力も今や人間を遥かに上回る。すずかの願った抽象的な願いが、彼女を際限なく強くし続けた。その結果、人間としてのすずかは壊れ、夜の一族、延いては吸血鬼としての側面を強めていった。 ……そしてその先に待ち受ける自分の行く末も、すずかにはなんとなく想像がついていた。 すずかは翠屋に背を向け、ゆっくりと歩き出す。フェイトたちの元に戻ろうにも、どのような道順でここまで来たのかわからない。だからといって忍の元にも帰れない。今のすずかは導火線に火がついた爆弾みたいなものだ。それを自覚しているからこそ、忍たちの傍にもいられない。(ごめんね、お姉ちゃん、フェイトちゃん、なのはちゃん。私はもう……) 自分の力を抑えられない以上、すずかはもう平穏な生活には戻れない。彼女の前に広がるのは戦いの日々、それだけだ。だからせめて戦って戦って、それで守りたい人の生活だけは最後まで守り抜きたい。(さようなら、皆) 最後にもう一度、翠屋の方を振り返る。目元に溜めた拭いながら心の中で別れを告げる。そして翠屋の中にいる忍の顔を目に焼き付けたすずかは、その場から消えるように忽然と姿を消し去った。2012/10/31 初投稿