第7話 少しずつ変わりゆく時の中なの その4 地平線まで見渡せる広大な丘の上、果てしなく青空の元、一組の母子がピクニックにやってきていた。母親は二十代後半から三十代前半といったところの妙齢の女性。腰までとどく紺色の髪を風に揺らめかせながら、正面に座っている娘の様子を優しげな笑みを浮かべて眺めている。娘の方は四歳くらいの小さな少女で、頭の上に白い花冠を乗せ、屈託のない笑顔を母親に向けていた。 それはフェイトにとって懐かしい思い出。まだアルフと出会う前、リニスに魔法を教わる前、プレシアの休暇に合わせて草原にピクニックに来た日の出来事だった。(これは、夢?) 過去の自分たちの様子を第三者の目線から眺めるフェイトは、すぐに目の前の光景が自分の見ている夢だと気付く。眼前に広がる懐かしい光景を、フェイトは懐かしむと同時に胸の苦しい思いで見つめていた。 今のプレシアは夢の中のような穏やかな笑みなど浮かべたことは一度もない。何かに取り憑かれたように寝る間も惜しんで研究に没頭している。その手伝いができること自体は、フェイトも誇らしく感じていたが、たまに顔を合わせる度にやつれていくプレシアの姿には心を痛めていた。 プレシアと一緒に遊びたい、食事をしたい。そういった感情がフェイトにもないわけではない。だがそれ以上にフェイトは今のプレシアには休んで欲しかった。だから少しでも彼女の負担を減らすために、どんなに大変なことだろうともプレシアからの願いは全て聞き入れてきた。いなくなったリニスの分まで、自分がプレシアを支えなければならない。その一心で頑張ってきた。「――――、お誕生日のプレゼント、何か欲しいものある?」 夢の中のプレシアが尋ねる。思い返せばこの一週間後には自分の誕生日が控えていた。今のフェイトとしては、この日のようにプレシアと一緒に出かけられるだけで満足だが、この頃のフェイトはそこまで大人ではない。何かしらをねだったはずだ。(でも、この時わたしは母さんに何をねだったんだっけ?) 少し考えてみたものの、フェイトには思い出せない。この年の誕生日に貰ったプレゼントはハッキリと覚えている。……一匹の猫。後に母さんの使い魔になるリニスの素体。仕事で忙しくて留守にしがちだったプレシアが、一人でも寂しくないようにと自分に与えてくれた薄茶色の山猫。だがこの時、フェイトが願ったのは別のものだった気がする。「んーとね」 夢の中のフェイトが顎に手を当て考える。そしてすぐに何かを閃いたように口を開いた。「……イト、大丈夫かい? フェイト?」 だがそこから出てきた声は自分のものとは違う、感情の色がまったくない無機質な声だった。それと同時に目の前の幸せの時間が急にぼやけ始める。目の前の夢が急激に終わりを告げ、一気に現実に引き戻される。 ――そうして目を開けたフェイトに飛び込んできた光景は、傷一つないキュゥべえの姿だった。 ☆ ☆ ☆「キュゥ、べえ?」「フェイト、目が覚めたんだね。よかった」「あれ? わたしはどうして?」 重たい身体をゆっくりと身体を起こしながら、辺りの様子を確認するフェイト。そしてすぐに自分の横で同じように倒れているアルフとゆまの存在に気づく。そしてそれを見た瞬間、自分が意識を失う前の出来事を一気に思い出す。 悲しげな表情を浮かべながらフェイトたちの前から走り去るすずか。そんなすずかを必死に呼びとめようとした自分。なんとか追いかけようとしたが、身体が思うように動かず、次第に意識が遠のき、そのまま気絶してしまったのだ。「キュゥべえ、すずかはどこ?」「残念ながらボクにもわからない。ボクが気付いた時には、すでにこの家にはいなかったよ」「……そう」 キュゥべえの言葉を聞いて意気消沈するフェイト。 とりあえず二人をいつまでも床の上に寝かしておくわけにはいかない。フェイトは二人をベッドに移動させた後、改めて先ほどのことについて考える。 すずかの様子から見て、フェイトたちを気絶させてしまったのは彼女の意思によるものではない。……おそらくは魔力の暴走。魔法少女の魔法の使い方の仕組みはわからないが、すずかはまだ魔法少女となって日が浅い。自分の魔法のコントロールが上手く出来ずに暴走させてしまうことも十分に考えられる。そして今もまだ魔力の暴走が続いているのなら、探すのは簡単だ。町中にサーチャーを飛ばして捜索すればいい。だがそれは、同時に自分たちの居場所が管理局に察知されるリスクを伴う。すずかのことも心配だが、杏子からゆまを託されている以上、そのような危険な真似をするわけにはいかなかった。「ところでフェイト、さっきは聞きそびれたんだけど、キミたちがボクに頼みたいことっていうのは一体何だったんだい?」 すずかのことに頭を悩ましているフェイトに対して、キュゥべえは見当違いの言葉を掛ける。その言葉を聞いて、フェイトはすずかたちに会いに行った当初の目的を思い出し口にする。「あっ、えっとね、実はわたしの母さんがキュゥべえに会いたがっているんだ。だから一度、時の庭園まで来てほしいんだけど?」「キミの母親?」「うん。母さんはプレシア・テスタロッサって言うんだけど、魔法少女のことを話したらキュゥべえたちから一度話を聞いてみたいから連れてきてくれって」「それはいいけど、すずかが一緒じゃなくてもいいのかい?」「うん。母さんが一番話を聞きたがってたのはキュゥべえに対してだったから」 その申し出はキュゥべえにとっても願ってもないものだった。当初の予定ではフェイトに別れを告げ、なんとか杏子を通じて管理局と接触を図ろうと考えていた。そこで次元世界についての話を聞き、あわよくばそちらの世界からエネルギーを回収する算段を付けるつもりだった。 だが次元世界の話を聞けさえすれば、キュゥべえにとってその相手が管理局でなくても問題はない。いずれは管理局とも接触する必要も出てくるだろうが、向こうから接触を求めてくる存在を無視することはできなかった。「そういうことならボクは構わないよ。……それでいつ時の庭園に向かうんだい?」「母さんはすぐにでも連れてきて欲しいって言ってたんだけど……」 言葉を濁しながらフェイトは再びすずかのことを考える。キュゥべえを時の庭園まで案内するのは簡単だが、このまますずかを放っておいていいのだろうか? 今のすずかは誰かの助けを求めている。去り際に見せた彼女の悲しげな表情、それが顕著に物語っている。「……すずかのことが気になるんだね? それならボクに任せて欲しい」 そんなフェイトの心の機微を見抜いたキュゥべえがすかさず声を掛ける。「ボクがキミたちとこの町で初めて会った時、ボクが世界中に散らばっているって話はしたよね? 本来ならボクたちが世界中に散らばっているんだけど、今のこの町にはジュエルシードの魔力に惹かれた無数の魔女が集まりつつあるんだ。その対処するためにボクの仲間が他の町の魔法少女を連れてこの町に集まってきている。だからすずかのことは一端、ボクたちに任せてくれないか?」 それはフェイトの迷いを断ち切るための言葉だったが、キュゥべえとしてもここですずかという貴重な戦力を失うわけにはいかなかった。ジュエルシードを集める上で、杏子の協力を得ることは、もはや不可能に近いだろう。管理局やフェイトたちといった勢力と争うために、すずかの強力な魔法の力はキュゥべえにとって必要不可欠なものだった。「それにこのまま彼女たちを放っておくわけにもいかないだろう?」 思案顔のフェイトにキュゥべえは未だ意識を取り戻さないアルフとゆまを示す。二人とも規則正しい寝息を立てているが、時折り苦しそうにうめき声を上げていた。「これはボクの推察でしかないけど、時の庭園に行けばここよりも医療器具が揃っているんじゃないかな? そういった意味でもボクたちはすぐにでも時の庭園に向かうべきだと思うよ」 キュゥべえの言っていることは正しい。このまま寝かしておくよりは、時の庭園の医務室でメディカルチェックを掛けた方が確実で早く二人を目覚めさせることはできるだろう。すずかのことも気になるが、今後、管理局を出し抜いてジュエルシードを手に入れるためには、あまり悠長にことを構えている時間はない。 別れ際に杏子が口にした言葉を思い出す。「優先度を間違えるな」。今のフェイトが優先すべきことはすずかを探しに行くことではない。プレシアの願いを叶えることなのだ。それを果たすのに、こんなところでのんびり迷っている時間などない。「……わかった。それじゃあキュゥべえはベッドの上に乗って」 心残りがないと言えば嘘になる。それでも今のフェイトにできることはキュゥべえを時の庭園に連れていくことぐらいなのだ。ならば一端、すずかのことは忘れよう。彼女のことは改めて海鳴市に戻ってきてから考えればいい。「これでいいかい?」「うん」 キュゥべえがベッドの上に乗ったのを確認したフェイトは、時の庭園に向かうために次元座標を呟き始める。ベッドを中心に魔法陣が展開され、フェイトの言葉と共にその輝きを徐々に増していく。「――開け、誘いの扉。時の庭園、テスタロッサの主の元へ」 そしてフェイトが呪文を唱え終わると、その場から彼女たちの姿は一瞬で消え去った。 ☆ ☆ ☆「母さん、キュゥべえを連れてきました」 時の庭園に着いたフェイトは、先にアルフとゆまを医務室に寝かせ、それからキュゥべえをプレシアのいる応接室に案内した。応接室に入ると、プレシアからの鋭い視線がフェイトを貫く。だがその視線はすぐにその足元にいるキュゥべえに向けられた。 キュゥべえもまた、そんなプレシアに視線がくぎ付けになっていた。彼女の全身から溢れ出る魔力。それはキュゥべえが今まで数えるほどしか見たことのないほど、極上のものだった。もし彼女が魔法少女だとしたら、魔女になる時に回収できるエネルギーは質、量ともに素晴らしいものだろう。「……御苦労さま、フェイト。あなたはもう下がっていいわ」「えっ、でも……」「私の言うことが聞けないの?」 すぐに退室しようとしないフェイトに厳しい目線を向けるプレシア。その視線にフェイトは渋々、応接室を後にする。それを確認した後に、プレシアは改めてキュゥべえに目を向けた。バルディッシュに記憶された映像と同じ、白い体毛に赤い瞳を持つ未知な生物。その鋭い瞳に睨みつけられてもなお、キュゥべえは飄々とした面持ちでその場に佇んでいた。「はじめまして、プレシア・テスタロッサ。それでキミは、一体ボクに何の用なんだい?」「……そうね。あなたには色々と聞きたいことがあるわね。でも初めに一つだけハッキリさせておきたいことがあるわ。――あなた、ジュエルシードを何の目的で集めようとしているの?」「フェイトから聞いたのかい?」「いいから質問に答えなさい」「……本当だよ。でも残念ながら、ボク一人の力では手に入れるに至ってはないけどね」 実際のところは見滝原で織莉子から一つ譲り受けているが、それをここでプレシアに語る必要はない。「……そう」「どうしてそんなことを聞くんだい?」「単純な好奇心よ。それで、あなたはジュエルシードを手に入れて何をしようっていうのかしら?」「その質問にはどうしても答えないと駄目かい?」「別に答えたくないなら答えなくてもいいわ。でもこれからの話し合い次第によっては、私が持つジュエルシードをすべて、あなたに譲ってあげてもいい」 フェイトがジュエルシードを求める理由は間違いなくプレシアのためだろう。それなのにも関わらずプレシアは何の感情も浮かべず淡々とそのようなことを口にする。感情がないキュゥべえといえども、驚くには十分な内容だった。「……それは一体どういう意味だい?」 だがそれ故にプレシアの考えが読めない。ジュエルシードの莫大なエネルギーはキュゥべえとしても喉から手が出るほど欲しい。それはプレシアとて同じはずだ。それを話し合いだけで譲るなど正気の沙汰とは思えなかった。「私にとってジュエルシード自体はそれほど重要なものではないの。ジュエルシードはあくまで私の目的のために必要なエネルギー結晶体。その目的が叶うのならば、こんなものは必要ないわ」「つまりプレシア、キミはボクがその目的を果たすために必要な情報、もしくは力を持っていると考えているわけだね」「その通りよ」「ならキミからの問いに答える前に、ボクからも一つ質問をさせてくれ。キミの目的は一体何だい? それがわからないことには、ボクとしても協力のしようがない」「……残念だけどその問いには答えられないわね。まだあなたのことを完全に信用できるわけではないもの。――それはあなたも同じでしょう?」 プレシアの目つきが一際、鋭くなり、手に持つ杖をキュゥべえに向ける。彼女の機嫌を損ねるような発言をすれば、キュゥべえは容赦なく攻撃されるだろう。それに抗う術を一切持たないキュゥべえにとって、それは致命的だ。だからこそキュゥべえは敢えて強気に告げる。「確かにキミの言うことにも一理ある。だからといってキミは、迂闊にボクに攻撃を仕掛けることはできないはずだ。ここで安易にボクに攻撃を仕掛ければ、今後二度とボクとの交渉の機会は生まれない。それはキミとしても困るだろう?」 プレシアの魔力は明らかにフェイト以上だ。それも過去に何らかの形で歴史に名を残すことになった稀代の魔法少女たちと同等の力を秘めている。抗う力を持たないキュゥべえなど、一発で黒焦げになるのは間違いない。 だが相手はそれでも人間である。異世界人とはいえ、人間相手の交渉をキュゥべえは数万年もの間、繰り返してきたのだ。キュゥべえとしても求める情報がある以上、腹の探り合いで簡単に負けるわけにはいかなかった。「……そうね」 プレシアはキュゥべえに向けた杖を消し去り、椅子に腰を降ろす。それを見てキュゥべえは安堵のため息をついた。「ふぅ~、肝が冷える思いだったよ。できればあのような真似は二度と御免蒙りたいね」「それはあなたの態度次第よ」 鋭い目付きでキュゥべえを射抜くプレシア。その目はすぐに攻撃する気はなくとも、彼女にとって利を生みださなければ速やかに排除するという意思がありありと現れていた。「……それでプレシア、結局のところキミがボクに聞きたいことってなんなんだい? まさかジュエルシードの用途を聞くためだけにボクをここまで連れて来させたわけではないんだろう?」 キュゥべえは改めてプレシアに尋ねる。本当なら彼女の目的を聞きたいところだが、これ以上しつこく詮索すれば二度とプレシアとの交渉の機会は失ってしまうだろう。今後、どう動けばいいのか判断のし辛いこの状況では、断片的な情報を得て推測を立てていくしかない。(はてさて、鬼が出るか蛇が出るか。どちらにしてもフェイトには感謝しないといけないな。異世界の情報を得る貴重な機会を与えてくれたんだから) ☆ ☆ ☆ 応接室を追いだされたフェイトはアルフとゆまを寝かせている医務室に顔を出す。未だ二人は目覚めた様子はなかった。フェイトは心配そうにベッドの間の椅子に腰を降ろし、その顔を覗き見る。静かに寝息を立てているゆまに対して、アルフは苦しそうに寝汗をかいていた。その汗をタオルで優しく拭きながら、フェイトは二人が目覚めるのを待つ。 そうしながら頭をよぎるのはすずかのこと。キュゥべえに諭されてすずかのことを後回しにしてしまったが、本当にこれでよかったのだろうか? 今なら先に地球に戻り、すずかを探しに行くこともできるだろう。だがこのままアルフたちを放っていくのも気が引ける。 そんなことを考えていると、事前に行っていた二人のメディカルチェックの結果が出る。二人ともに、あと数時間も経てば自然と目が覚めるようだ。それを見てホッと一安心するフェイト。ついでにそれ以外にも二人の身体にどこか異常がないかとフェイトは調べ始める。「えっ? これって……?」 そうして調べていった結果を見て、フェイトは思わず声を上げる。アルフの方には全く問題ない。彼女の身体は健康そのもの。戦闘で生じた古い傷などの診断結果は出ているが、特に気になるようなものではない。おそらく彼女自身も「放っておけば治る」と一蹴してしまうような細かい傷ばかりだった。 問題なのはゆまの方だ。彼女の身体に見つかった夥しい数の古傷。傷の治り具合から二ヶ月以上前に受けたものがほとんどだが、診断結果を見る限りそれ以前は断続的に行われていたようだった。「ゆま、ちょっとごめんね」 気になったフェイトはゆまの着ている上着をめくる。露わになったゆまの上半身には無数の痣があった。それ以外にも刃物で切り付けられたような切り傷や煙草を押し付けられたような火傷の痕もある。そしてそれらの傷は明らかに何者かに暴行を受けたことを示していた。「どういうこと……?」 杏子がこのような真似をするとは思えない。杏子は何よりもゆまのことを大事に思っている。彼女の目がある場所でゆまにこのような傷を付ける者がいたとすれば、それこそ相手が普通の人間だろうと杏子は容赦しないだろう。 フェイトの中の疑問は尽きないが、少なくともそのような傷をいつまでも残しておいて良いものではない。フェイトは医務室に備え付けられた端末の前に座り、なんとかゆまの身体についた傷痕を消し去ろうとキーボードを打ち始めるのであった。 ☆ ☆ ☆「私があなたに尋ねたいこと。それはキュゥべえ、あなたは本当にどんな願いごとでも叶えることができるのか、ということよ」 プレシアの口から告げられた質問。それを聞いてキュゥべえは内心、呆れていた。プレシアは限りなく強大な力を持っている。異世界の技術力がどの程度のものかはわからないが、時の庭園だけでも人類には過ぎた技術の塊だ。その上でなお、彼女はさらに望みがあるという。それがキュゥべえにはとても滑稽なことに感じられた。「キミがどのような願いを抱いているかはわからないけど――可能だよ。ボクと契約すれば、それが例えどんな願いであろうとも奇跡の名の元に叶えられ……って何をするんだい!?」 キュゥべえの言葉にプレシアは無言でフォトンランサーを放つ。それらはキュゥべえの身体を囲むように床に突き刺さる。「御託を並べるのもいい加減になさい。奇跡というものは、そう簡単には起きないから奇跡というのよ。あなたの言うことが仮に事実だとしても、それ以外にもデメリットが複数あるのでしょう。まずはそれを話しなさい」 奇跡の代償は大きい。プレシアはそのことは十分に理解していた。狂気に囚われながら二十五年もの間、研究をし続けられたのがその証拠だろう。だからこそ、キュゥべえの言を鵜呑みにはできない。願いを祈るだけで叶えられるといった夢物語があるなどと信じらるわけがない。「それを答えるのは別に構わないけど、キミはどの程度ボクと魔法少女について知っているんだい? 省略できる部分は省略して説明したいからね」 キュゥべえをキッと睨みつけるプレシア。その目は口より物を語っていた。「……はぁ~、わかったよ。それじゃあ一から説明するよ」 そうしてキュゥべえはプレシアに魔法少女について順序立てて説明していく。少女と契約を交わす時、願いが叶いソウルジェムを生み出すこと。ソウルジェムは魔法を使えば使うほど穢れを溜めること。その穢れは魔女を倒した際に手に入るグリーフシードを使えば浄化できること。――そしてソウルジェムは契約した少女の魂を元に創られるということ。「……正直、この話はあまりしたくなかったんだ。これを話すとそれまで契約するのに乗り気だった人でも、手のひらを返すようにボクとの接触を避けるようになるからね」 大抵の場合はソウルジェムの真実について語ることのないキュゥべえだが、それでも契約前の質問内容によっては今回のように語らなければならない場合も出てくる。そういった時、嘘偽りなく説明することにしているが、それを聞いて契約しようなどと言った少女は過去に数例しかなかった。「それでプレシア、キミはどうする? 本来なら第二次成長期の少女としか契約しないんだけど、キミほどの魔力を持っているなら話は別だ。この話を聞いてもまだ契約する気があるなら、ボクは快くキミの願いを叶えよう」 キュゥべえが少女としか契約しないのは、回収できるエネルギー量の関係からだ。思春期の少女の持つ感情エネルギーは極上だ。戦士としての資質は同程度だとしても、魔女へと変貌する時に発生するエネルギーの総量や質に明確な差がある。不必要に魔女を増やさない意味でも、キュゥべえは意図的に少女にターゲットを絞っていた。 しかしプレシアは違う。彼女は少女と呼ぶには歳を取り過ぎている年齢だが、内に秘めた魔力は素晴らしい。また彼女が抱えた因果もフェイトやなのはには劣るものの目を見張るものがある。これなら後に回収できるエネルギーも申し分ない。魔女としては強すぎる部類のものが誕生してしまう恐れもあるが、エネルギー回収ノルマがもうじき達成できる以上、そこは度外視しても問題ないだろう。「勘違いしないでちょうだい。私ははじめから、あなたと契約する気なんてないわ」「どういう意味だい?」 プレシアから放たれた言葉、それはキュゥべえにとって予想外のだった。「今の話を聞いて契約する気をなくしたというのならわかる。しかし初めから契約する気はないというのは、どういうことだい?」「言葉通りの意味よ」 プレシアは短く語る。だがその言葉だけで納得できるはずがない。願いが叶えられるかの有無を聞き、さらにはその代償までプレシアは尋ねたのだ。契約する気がなければそのようなことを尋ねる理由がないはずだ。「それじゃあ、どうしてボクをここまで連れてきたんだい? キミはさっき言ってたじゃないか。ボクに願いを叶えられるのかって。それはボクと契約したかったからじゃないのかい?」「……そうね。あなたと契約したいという思いも確かにあるわ。でもね、キュゥべえ、ソウルジェムに作り替えられた者の末路がわかってて、契約する人間がいると思う?」「どうしてそれを……?」「あなたは知らないでしょうけど、バルディッシュにはデータを映像として記録する機能がついているのよ。その映像を調べてすぐにわかったわ。魔法少女の使う魔法と魔女が使う魔法の仕組みが同じということにね。――それを確かめる意味でも、あなたに直接話を聞いてみたかったのだけれど、その反応だとどうやら本当みたいね。……残念だわ」 どのような条件で魔女になるのかはプレシアにも把握しきれてはいなかったが、契約してアリシアを甦らしたとしても、そんな彼女を残して化け物になるような道をプレシアが選べるはずがない。そもそも彼女が望むのはアリシアとの平穏な生活だ。日夜、地球で魔女と戦うような未来が目に見えている時点で、プレシアには契約の意思はなかった。「……そのことを黙って契約しようとしたことは謝るよ。でもそれを知っていたなら、なおのことボクと話をしたがった理由が見えてこないんだが……」「そうね。それじゃあ本題に入りましょう。私があなたとしたかったのは契約ではなく取引。今から言うことを実行してくれれば、私が持っている全てのジュエルシードをあなたに譲りましょう。なんだったらその後も、あなたのジュエルシード集めを手伝ってもいいわ」 プレシアはアリシアの蘇生という奇跡を求めた。その果てに長い研究を重ね、そうしてプロジェクトF.A.T.E.により、フェイトという失敗作を生み出した。長い年月を掛けて完成させたフェイトは、アリシアとは似ても似つかない紛い物として誕生した。 だがプレシアとて、フェイトに対して全く関心がないわけではない。フェイトはアリシアではない。だがフェイトは間違いなくアリシアでもあるのだ。フェイトを形作るDNA、それらは紛れもなくアリシアと同一のものだ。長い年月を掛けて完成させたフェイトは、アリシアとは似ても似つかない紛い物として誕生した。だからこそプレシアにとってフェイトは憎しみの対象となり、すぐに処分することができなかった。「……ボクは何をすればいいんだい?」 キュゥべえの目には、プレシアが震えているように見えた。両の目を大きく見開き、大望の成就を確信したような笑みを浮かべている。 この時、キュゥべえはプレシアに対して脅威を覚えていた。ごく少量の情報から魔法少女の真実に気付いた頭脳、そして彼女が最初から持ち合わせている魔力。さらに時の庭園のような施設を個人で所有している。どれをとってもプレシアは強大な存在だと思えた。 だからこそキュゥべえはこのチャンスを逃すわけにはいかない。今ならプレシアとの取引に応じれば、ジュエルシードを譲ってもらえるのだ。その言葉が真実かどうかは判断のしようがないが、少なくとも今はまだプレシアに敵と見なされていない。それだけでもこの状況は有益だ。それ故に、キュゥべえはプレシアからどんな無理難題を命じられても、それに応じる覚悟でいた。「キュゥべえ、あなたにはフェイトと契約してもらうわ。ただしその契約でフェイトに私の願いを叶えさせなさい」 ――しかしプレシアの口から出された取引の内容、それはキュゥべえにとっても前代未聞の内容だった。2012/11/10 初投稿2012/11/23 台詞回しを微修正