月村邸には現在、八名の人物が集まっていた。互いに顔を見合わせた室内は重苦しい雰囲気に包まれている。だが決して静まり返っているわけではない。場に集まったうちの半数以上の人物が、なのはの口から語られている話を聞き逃さないように耳を傾けていた。 何も知らない人が聞けばそれは荒唐無稽な御伽噺。一人の少女が一匹の動物と出会い、魔法を使って怪物と戦っていく。それは何の捻りもない王道な物語。もしこれが毎週放映されているアニメだったら、きっと笑いながら語り合うことができただろう。 ――だが決してそうではないことをアリサは知っていた。 昨日まで何も知らず、二人の親友が何かに巻き込まれているとは気付いてはいたものの、その核心には迫ることはできていなかった。しかしこの期に及んで、なのはに嘘をつく理由はない。あえて理由を挙げるとすれば、忍たちを心配させないためにというものだが、今更それは不可能だろう。それに仮に嘘をつくとしたら、こんな荒唐無稽な話をするはずがない。もっと現実的で実際に起こり得そうな話をするはずだ。 それに話を始める前に行われたユーノによる『魔法』の実演。なのはが空を飛んでいる姿にも驚いたが、それ以上に驚かされたのはただのフェレットだと思っていたユーノが人間に変身したことだ。あれを見てしまえばもはや信じざるを得ないだろう。 なのはの口から語られる『ジュエルシード』という宝石を巡って行われている戦い。その過程で出会った『魔女』と呼ばれる怪物。そしてその『魔女』を狩るために存在する『魔法少女』。 ……確かに危険な行為である。今まで何も知らなかった一般人が『魔法』に触れ、戦いに身を投じる。本人はこの町を守るために必死に戦っているつもりなのだろうが、それを知らされる家族としては溜まったものではない。現に恭也も時折り、なのはが戦う原因を作りだしたユーノに鋭い目線を向けていた。 もちろん叱咤の気持ちを抱いているのは忍も同じだが、その一方でホッとしている自分もいた。それはまだなのはもすずかも目に見える形で傷ついたわけではないからだ。話を聞く限り、綱渡りのような危うい戦いもあったのだろうが、なのはもすずかもまだ取り返しのつく場所にいる。ならば今からでも彼女たちを戦いから遠ざけ、大人である自分たちがその戦いに決着をつける。彼女たちが納得しないようだったら、一緒に手伝わせればいい。――そう楽観的に考えていた。 ――しかし現実はそこまで甘くはない。 なのはの横に立つ魔法少女から語られる救いようのない事実。その言葉を聞いた瞬間、忍の頭は真っ白になる。そしてすぐさま、否定の言葉を少女にぶつける。理屈も何もあったものではない感情に任せた言葉。その度に、少女は理詰めで一つひとつを丁寧に説明していく。 魔法の世界は知らないまでも、忍がいるのは裏の世界だ。人外が跋扈し、油断すればすぐに命を失うこともある。そんな世界に身を置いているからこそ、少女の口から語られる言葉がまぎれもない事実だと納得させられてしまう。 忍はもはや自力で立つことは叶わなかった。その場にへたり込んでしまいそうになったところを恭也が支えるが、すでにその意識を留めておくことすら不可能に近かった。 本来ならば主である忍がそのような姿を見せれば駆けつけるはずの二人の従者――ノエルとファリンもまた、少女の言葉に狼狽していた。ノエルの顔色は真っ青を通り越して真っ白になっている。胸の内から溢れる想いを必死に抑えてはいるが、その頬からは静かに涙が流れ落ちていた。ファリンはその逆で、その場に蹲り嗚咽を必死に抑えながら顔を涙に濡らしていた。 そしてその話はなのはやユーノにとっても与り知らぬところだった。魔導師であるなのはにはなく、魔法少女であるすずかにのみ起きる悲劇。そのことを聞かされた瞬間、まるで時が止まったかのように部屋の空気が固まり、この場に集まった全員を絶望の底へと叩き落としたのだ。「もう一度だけ言うわ。魔法少女はね、いずれ魔女になる。……例外などなく、否応なしに」 そう語った魔法少女――美国織莉子は静かに目を閉じる。目の前で絶望に打ちひしがれている者たちから目を逸らし、自分の思考に没頭する。そうして考えるのは先ほどの出会い。なのはたちからすれば偶然の出会いであるそれは、織莉子にとっては自身の魔法で導き出した必然の出会いだった。 ☆ ☆ ☆ 屋上でアリサの想いに触れたなのはは、彼女を連れて月村邸へと向かった。元々、忍たちには全てを話す必要があったのだ。今ここでアリサ一人に話すより、その場に集まって全員に同時に聞かせようと考えるのは当然のことだろう。 アリサの執事が運転する車で向かうことも考えたが、話し合いがいつ終わるかわからないと考えたアリサは「今日は徒歩で帰る」と家に告げていた。そのため迎えの車もなく、それを待っている時間が勿体ないので歩いて帰ることにしたのだ。 硬く手を繋いで月村邸へと向かう二人だが、そこに会話はない。本来ならば今すぐにでも聞きたいアリサだったが、ここで一つでも質問をすれば間違いなく言葉が止まらなくなってしまうだろう。だから彼女は自分の欲求をぐっと我慢し、その弊害で口を開くことができなかった。【ねぇ、ユーノくん。できれば杏子さんかクロノくんを呼んだ方がいいと思うんだけど……】 その一方でなのははユーノと念話を用いて会話を行っていた。杏子かクロノとは言いつつも、本当の意味で必要なのは魔法少女である杏子の方だ。多少は杏子から魔法少女について聞いてはいるとはいえ、実際のところなのははほとんど知らない。自分のことについても説明しなくてはならないが、今回はあくまですずかがメインの話になるだろう。その時に魔法少女である杏子と一緒の方が話がスムーズに進むと考えたのだ。【そうだね。杏子とは直接、連絡をつけることはできないけど、アースラにいるのなら僕の方から連絡を取るのは可能だよ】【そうなの? それじゃあお願いしてもいい?】【うん、わかった。やっ――】 その時、まるでいきなり電波が遮断されたかの如く、ユーノの声が不自然に途切れる。「な、なのは? ねぇ、なんかおかしくない?」 それと同時に、先ほどまで黙っていたアリサが不安げに声を掛けてくる。「えっ? これって?」 思わずなのはは零す。二人の目の前で周囲の景色が目まぐるしく変化していく。まったく同じものではないが、なのはにはその変化に覚えがあった。「レイジングハート、これって?」≪間違いありません、魔女の結界です≫ それを聞いて、なのはは内心でゾッとする。かつて戦ったクレヨンの魔女。その時のことを思い出し身震いする。あの時はすずかやフェイト、アルフの協力もあって倒すことができた。だが今回はユーノすらいない。この場で戦えるのは自分ひとりだけ。そんな状況で果たして魔女と戦い、勝利することができるだろうか?「な、なのは? いったい誰としゃべってるの?」 そんななのはの姿を見て、アリサは戸惑いながら声を掛ける。「それに何? この薄気味悪い感じ? 辺りの景色も急に変わっちゃうし、一体どうなってるわけ?」 言葉こそいつもの強気な口調なアリサだったが、握った手からは彼女の震えがしっかりと伝わっていた。(そうだ。ここにはアリサちゃんもいるんだ) すずかやフェイトとは違い、アリサは戦う力を持たない。そんな彼女を守れるのはこの場にただ一人、自分だけなのだ。だからこそなのはは自分がしっかりしなければと気を引き締める。そしてなのははそっとアリサから手を離すと、そのまま彼女を真っ直ぐ見つめて告げた。「あ、アリサちゃん!? えーっと、わたしから絶対に離れないで! それからたぶんビックリすると思うけど驚かないで!」「な、なのは? どういうこと?」 アリサはそう尋ねるが、なのはの耳にはその言葉は入っていないようで、手に持った赤い宝石に向けて独り言のようにぶつぶつと呟く。「レイジングハート、わたし一人でもアリサちゃんを守ることってできるよね?」≪All right. My master≫ なのはの疑問に力強く答えるレイジングハート。その答えになのはは大きく頷くと、いつものようにレイジングハートを天に掲げ、呪文を呟く。「いくよ! レイジングハート、セーットアップ!!」 その掛け声とともに展開されるバリアジャケット。その姿の変化にアリサは唖然としていた。頭の中に数え切れないほどの疑問が生まれて積み重なっていく。そんなアリサを尻目に、なのははハニカミながらそっと右手を差し出した。「な、なのは? あなたいったい?」「その質問は後! それよりもアリサちゃん、ぜーったいにわたしの手を離さないでね」「う、うん」 そうして改めて二人は硬く手を握り合うと、結界の中を一目散に駆けていった。 ☆ ☆ ☆ 一方その頃、突然なのはとの念話が切れてしまったユーノは急いで月村邸から駆け出していた。通常では考えられないような不自然な念話の切れ方。そしてそれ以降、感じられなくなったなのはの魔力。その代わりに微粒ながらも魔女の結界の気配を感じ取ったユーノは、なのはの危機を察知し、現場へと向かって急行したのだ。『アースラ。こちら、ユーノ・スクライア。聞こえますか!?』 そうして向かいながら、ユーノはアースラに連絡を入れる。『はい。こちら時空管理局次元空間航行船アースラ、管制のエイミィ・リミエ……』『杏子さんはいますか!?』 エイミィの言葉を遮る形でユーノは自分の用件を口にする。管理局員でもなのはの救援は行えるかもしれないが、万全を期すために魔女との戦いのスペシャリストである杏子と直接コンタクトを取りたかった。『杏子? ごめん、彼女は今、クロノくんと一緒に魔女の結界の中に行っちゃってて……。もしかして急ぎの用?』 だがそんなユーノの願い虚しく、杏子は現在、不在なのだという。もしかしたら同一の魔女の結界なのかもしれないが、そこまで楽観的に考えるほどユーノは愚か者ではなかった。『実は……』 ユーノは端的に状況をエイミィに説明する。とりあえずなのはが消えたと思われる座標をユーノから教えてもらうと、確かにそこには魔女の結界が展開されていた。 だが今のエイミィにできるのはそこまでである。先ほどから二人が入った結界の中に何度も通信で呼びかけているが、聞こえてくるのはノイズばかり。おそらく戻るように伝えても、二人にその声は届かないだろう。他の武装隊員が艦内に待機しているとはいえ、杏子の口から告げられた魔女の実力を考えるに、彼らだけで救援に向かわせて良いものか考えあぐねる。『エイミィ、ユーノさん、話は聞かせてもらいました。私が直接、武装局員を引き連れてなのはさんの救援に向かいます』 そうして悩んでいると、リンディが二人の会話に入ってくる。『艦長、いいんですか!?』 その言葉に驚くエイミィ。『えぇ、なのはさんもいるし、なんとかなるでしょう。それよりも支度を急いで頂戴』『わ、わかりました』 そうしてエイミィはアースラの転送装置の転送座標を、なのはたちを取り込んだ魔女の結界付近に設定しようとする。だが……。『あ、あれ?』『どうしたの、エイミィ?』『さっきまであったはずの結界がなくなってる? それに……』 アースラに映し出されるサーチャーから送られてくる映像。そこにはバリアジャケットを展開したなのはの姿がハッキリと映しだされていた。 ☆ ☆ ☆ なのはとアリサは結界内を駆ける。周囲の光景などに目もくれず、襲いくる使い魔をディバインシューターで追い払いながら、結界の出口を探していく。だがいくら探しても出口は見つからず、走り続けたためか次第に二人の息が切れてくる。 流石に限界を迎えたのか、なのははその場で足を止め、肩で息を吐く。元来、なのはは運動が苦手である。今までの戦闘時は飛行魔法を使って移動していたため息を乱すことはなかったが、全力に近い速度で走りながら魔法を行使すればこうなるのはある意味で当然だろう。なのはほどではないとはいえアリサも息を乱してはいるが、それでも彼女はその場にへたり込むほどではなかった。「ぜぇ……ぜぇ……。あ、アリサちゃん……、だ、だいじょう、ぶ?」「人のことより自分の心配をしなさいよ」 疲れきっているなのはの代わりに、アリサが周囲に警戒を向ける。先ほどまではじっくりと観察する余裕がなかったのでわからなかったが、どうやらこの空間は騙し絵の迷路みたいに入り組んでいるらしい。頭上に目を向けるとそこには階段や扉があり、時折り異形の化け物が闊歩していた。(……確かにこんなの、人には言えないわよね) まだ直接、彼女の口から聞かされたわけではないが、それでもこうして今、巻き込まれている現状がなのはたちが秘密にしていたことだとアリサは悟っていた。基本的に現実主義なアリサとはいえ、こうして目の前でファンタジーの実物を目の当たりにしたら、信じざるを得ない。もしも日常の中でこのような話を聞かされたとしても、それは冗談か御伽噺にしか思えなかっただろう。「ねぇなのは、あなたたちが今まで秘密にしていたことってやっぱり……」 それでもアリサは、なのはの口から真実を聞きたかった。今更、秘密にしていたことをどうこう言う気はない。だがそれでも、確かめずにはいられなかった。「……うん」 アリサの疑問になのはは一言、そう頷く。その表情は暗い。魔導師や魔法少女について話すこと自体には抵抗はない。しかし実際に巻き込んでしまうとなると話は別だ。魔女がなのはたちを結界内に取り込んだのは偶然なのかもしれないが、それでも自分と一緒じゃなければアリサを巻き込まずに済んだのではないかと思わずにはいられなかった。「それならさっさとここから出て、話の続きを聞かせて貰わなくちゃね」 そんななのはの責任感を感じ取ってか、アリサは努めて明るくそう告げる。その言葉に茫然とするなのは。「どーしたのよ? そんなあっけに取られたような表情をして?」「だ、だって、もっと色々聞いてくるかと思って……」「そりゃ聞きたいことは山ほどあるわよ。でも今はそんな場合じゃないでしょ? まずはここから出て、話はそれからよ」「アリサちゃん、うん、そうだね!」 なのははアリサの気遣いが嬉しかった。それと同時にもっと早くすずかのことを話していればという後悔が生まれる。なのはとしても本当は今すぐにでも話を始めたいところだったが、ここはアリサの言う通り、結界から出る方法を考えるのが先決だろう。「……ところで、なのははどうやったらここから出られるのかもちろん知ってるのよね?」「えっ!?」 アリサの疑問になのはは驚きの声を上げる。その声にアリサはどことなく嫌な予感を覚えた。「もしかして、知らないなんて言わないでしょうね?」「えーっと、そのー、実はそうだったりして……」 厳密に言えば、魔女の結界の抜け出し方を一つだけ知っている。それは結界を作り出している魔女を倒すこと。だがなのはは海鳴温泉で出会ったクレヨンの魔女しか知らないのだ。あの魔女はジュエルシードを取り込んだことにより大幅に強くなっていたが、なのははそのことを知らない。だから彼女はこの結界を作り出している魔女も同等の力を持つのではないかと考えていた。「……なのは、今更隠しごとをしてもあたしにはお見通しよ。何か方法があるんだったらさっさと話しなさい」 その考えが表情に出ていたのだろう。アリサは毅然とした態度でなのはに問いかける。ジッとアリサに強い眼差しで見つめられたなのはは、観念したように魔女を倒せば結界が消えることを告げた。「なら話は簡単ね。行くわよ、なのは」 そう言うとアリサはそっとなのはに手を伸ばす。なのははその手に捕まり、引っ張られるように立ち上がる。「あ、アリサちゃん!? 行くってまさか……」「決まってるでしょ? あたしたちをこんなところに閉じ込めた魔女って奴を懲らしめに行くのよ!」「ま、待って!? 魔女って言うのはアリサちゃんが考えてるような……」「シャラップ! 黙りなさい、なのは。あたしはね、こう見えても頭に来てるのよ。せっかくなのはと仲直りして今まで隠していたことを聞けると思ったのに、こんなことに巻き込まれて先送りにしなければならない現状。なんとなく秘密にしていたことはわかったけど、それでも到底許せるものじゃないわよ。一言、文句でも言ってやらないと気が済まないわ」 アリサはなのはの手を強く握ると、そのまま結界の中を進んでいく。そんなアリサの剣幕になのはは何も言い返すことができなかった。 しばらく結界の中を歩いたなのはたちは、開けた空間に出た。先ほどまでいた狭苦しい迷路のような道ではなく、東京ドーム並みの広さ。その中心部から、なのはは激しい魔力のぶつかり合いを感じ取っていた。その一方でアリサも、先ほどまでいた場所との空気の違いを敏感に感じ取る。 なのはは周囲に警戒をしつつ、魔力の発生源へとゆっくり近づいていく。遮蔽物で身を隠しながら何が起こっているのか覗き見る。ある程度、近づいた二人は物陰からそっと顔を出しながら様子を眺める。アリサには、そこで二人の人物が戦っているように見えた。 一人は全身を白いドレスに身を包んだ若い女性。頭には十字架を象られた帽子を被っており、手には一冊の本が握られている。そんな彼女の周囲には大きな宝石のようなものが無数に浮いていた。それを彼女は自由に操作し、目の前にいる相手に飛ばしていく。 それを弾き返すのは西洋の騎士甲冑に似たような姿をした人物だった。一見すれば鎧に身を付けた人間とも勘違いできそうな格好だがその実は違う。なのはたちの位置からはわからないが、近くで見ると尻尾が生えており、また腕も四本ある。尻尾の先には掌が付いており、その四本の腕と一本の尻尾にはそれぞれ違った武器が握られていた。騎士の 魔女はそれらを巧みに操りながら、魔法少女からの攻撃を弾き返し、さらにそこから空気の刃を発生させて攻撃していた。 二者から発せられる魔力の質の違いから、なのはには白いドレスに身を包んだ女性が魔法少女であり、騎士の方が魔女であることはすぐにわかった。 しかしアリサはそうではない。一般的に『魔女』と聞いて思い浮かべるのは怪物ではなく人間の女性だ。そして彼女の前にいるのはどちらも人型。近くで見れば騎士の方が怪物であることはわかっただろうが、あいにくとそれがわかる距離ではなかったため、アリサは白い女性の方が自分たちを閉じ込めた魔女だと判断していた。 本来ならば一言、文句を言ってやろうと思っていたアリサだったが、魔女と魔法少女の戦いはとてもアリサのような一般人が立ち入る余地のないものだった。「アリサちゃん、わたし、あの人を助けに行ってくるね」「ちょっと待ちなさい! なのは、正気?」 だがなのははそこに何の躊躇もなく助けに行こうとする素振りを見せる。それを慌てて止めるアリサ。いくらなのはに不思議な力があるとはいえ、そんな危険な場所に見す見す親友を送りだすような真似はしたくなかった。「にゃはは……。酷いな、アリサちゃん。わたしだって戦えるんだよ? それにあの程度の相手ならあの人と二人で掛かればなんとかなると思う」 実際、騎士風の魔女から感じる威圧感はそれほど大きなものではない。下手をすればクレヨンの魔女の結界内で遭遇した使い魔などよりも小さいとも思えるぐらいに。おそらくは自分が手を貸さなくても、あの魔法少女一人で魔女を倒すことはできるだろう。だが見ず知らずの人に戦いを任せ、自分は見ているだけというのはなのはには我慢のならないことだった。「……ッ、わかった。だけどなのは、絶対に無茶だけはしないでね」 力になれない自分が悔しいと思いながらも、アリサはなのはに告げる。本当ならしがみついてでもなのはを止めたい。だがそれを聞き入れるなのはではないことも、アリサは知っていた。彼女は決して、困っている人を放っておかない。それはなのはの美徳であり、そんな彼女がいたからこそ、すずかを含めて自分たちは親友になれたのだと思っているアリサには、なのはを強く引き留めることができなかった。「うん、それじゃあ行ってくるけど、アリサちゃんは絶対にこっちに来ちゃダメだよ」 そう言ってなのはそっとアリサから手を離す。失われた感触を名残惜しそうに感じながらも、アリサはなのはを送りだした。「あら? ようやく来たのね。待ちくたびれたわ」 なのはが自分に近づいてくるのを横目で気付いた白い魔法少女が優しく微笑みながら語りかける。視線こそなのはに向けているものの、その前方では騎士の魔女を相手に球体を巧みに操り、こちらに近づけないようにしていた。「あ、あの、あなたは魔法少女、ですよね?」「えぇ、そうよ。私の名前は美国織莉子。よろしくね、高町なのはさん」「えっ? どうしてわたしの名前を?」「キュゥべえから少し、ね」 実際のところ、織莉子は自身の魔法でなのはの存在を知ったわけだが、そのことを今の彼女に語る必要はない。「ところで会ったばかりで悪いんだけど、私のお願いを聞いてもらっても良いかしら?」「お願い?」「そう、今、私が戦っているあの魔女、彼女には貴女の手で止めを刺してもらえないかしら?」 織莉子の頼みを聞いてなのはは不思議そうに首を傾げる。その理由がまったく理解できないといった風体だ。そんななのはに対して織莉子は説明を入れる。「魔女を倒せば結界が消滅し、現実世界に戻るということはあなたも知っているわよね? その姿を誰にも見せたくないの。本来、私はこの町にいるべき存在じゃないから、できる限り目立つような行動は取りたくないのよ」 織莉子が警戒しているもの、それは管理局のサーチャーとキュゥべえである。未来を知ることのできる彼女にとって、海鳴市が管理局の監視下にあることを知るのは実に容易いことだった。いずれは管理局とも接触しなければならない時が来るかもしれないが、それは少なくとも今ではない。自分の動きが管理局に縛られ、監視される状況に陥ることだけは絶対に避けなければならなかった。キュゥべえに関しては言うまでもない。「だから貴女が魔女に止めを刺す前に私は身を隠したいの。お願いできるかしら?」「えっと、それならわたしも織莉子さんに一つお願いがあるんですけど……」「何かしら? 私にできることなら叶えてあげるわよ」「あそこの物陰に隠れているアリサちゃん、わたしの友達を守ってあげてくれませんか?」 結界の中には魔女だけではなく使い魔もいる。もし魔女との戦いの最中にアリサが使い魔に襲われたら、なのはには救い出す手はないだろう。だが織莉子にアリサのことを守ってもらえれば、なのはも心置きなく魔女と戦うことができる。「……なのはさん、一つだけ忠告しておくけれど、見ず知らずの相手をあまり信用しない方がいいわ」「えっ?」「確かに私は魔法少女だけど、中には悪い魔法少女もいるのよ。自分の利益のために一般人を見殺しにするような、そんな娘もね。それに魔法少女じゃなくても、世の中には悪いことを考えている人がたくさんいるの。だからそう簡単に他人を信用するものではないわ」「でも織莉子さんは、悪い魔法少女じゃないですよね?」「……どうしてそう思うのかしら?」「だって織莉子さん、凄く優しい目をしてるから」 その言葉に織莉子は虚を突かれ、目を丸くする。そして次第に口から小さな笑い声が漏れだした。「ふふっ、ありがとう、なのはさん。そんな風に言われちゃったら、頼みを聞かないわけにはいかないわね。あなたの友達は責任を持って、私が守らせていただくわ。だけどその代わり、魔女を倒すのは貴女に任せたわよ」「わ、わかりました」 そうして二人はそれぞれ背を向けて動き出す。片や飛ぶように魔女に向かっていくなのは。片やのんびりと散歩するように歩を進める織莉子。その途中で織莉子はチラッと後方を振り返る。その表情は先ほどまでの楽しげなものではなく、どこか悲しげなものへと変わっていた。 ☆ ☆ ☆ アリサは物陰からなのはの様子を気が気ではない思いで見つめていた。それはなのはは真っ直ぐ『魔女』と思わしき白いドレスに身を包んだ女性に向かって突き進んだからだ。だが予想外なことに、『魔女』はなのはに攻撃を仕掛ける気配はない。それどころかどこか楽しげに会話しているようにも見えた。 どういうことなのか考えていると、『魔女』が自分に向かって近づいてくるのに気付く。思わずアリサは身構える。それと同時になのはがどこにいるのかを探る。するとなのははあろうことか、騎士風の人物と戦っていた。「初めまして、貴女がなのはさんの友達ね。私の名前は美国織莉子、よろしくね」 そんな風に疑問に思っていると、いつの間にか白いドレスの女性――織莉子が目の前までやってきていた。いきなりのことで戸惑うアリサだったが、先ほどまで感じていた怒りを思い出し、アリサは強気に言い放つ。「あなたね、あたしたちをこんなところに閉じ込めたのは!? さっさとここから出しなさいよ!!」 いきなり怒鳴り声をあげられ、織莉子は驚きの表情を浮かべる。「……貴女、何か勘違いしていないかしら?」「勘違いなものですか!? あたしはなのはから『魔女』があたしたちを結界の中に取り込んだってことは聞いてるのよ!? 誤魔化そうとしたってそうはいかないわよ!!」 その言葉を聞いて、織莉子は考えるように目を細める。そしてその勘違いにすぐに思い当たった。「もしかして、貴女は私のことを『魔女』だと思っていたりする?」「……? おかしなことを聞くわね。それじゃあまるであなたが魔女じゃないみたいじゃない」 アリサの言葉に、織莉子は再び笑い出す。その態度が気に入らなかったのだろう。アリサは戸惑いながらも織莉子に尋ねる。「な、なにがおかしいのよ!?」 普段、織莉子は感情を露わにしない方だが、それでもこの時は淑女らしさを微塵もなく、少女らしい無邪気な笑みを浮かべていた。「ふふっ、ごめんなさい。さっきのなのはさんといい、貴女といい、今日は良く笑わせられる日だわ」 織莉子は目元を拭いながらアリサに告げる。そんな織莉子の態度を見て、アリサは何か自分が勘違いしているのではないかとようやく考え始めた。「まず一つ、訂正させてもらうけど、私は魔女じゃない。魔女は今、なのはさんが戦っている方ね」 織莉子が指差す方を見ていると、なのはが騎士風の人物と戦う姿が見えた。なのはの杖から放たれる砲撃を騎士は武器を使って切り払っていた。「そもそも魔女というのはね、人間ではないの。ここからでは見えにくいとは思うけど、あの騎士風の魔女には四本の腕と尻尾があるわ。果たしてそんな人間がこの世界にいるのかしら?」 織莉子の言葉にアリサは目を細めて騎士の姿を凝視する。すると織莉子の言う通りであることがすぐにわかった。「ご、ごめんなさい。あたしてっきり……」「ふふっ、気にしてないからそんなに頭下げてもらわなくてもいいわよ」「で、でも……」「それならまずは貴女の名前を教えていただけるかしら?」 その言葉を聞いて、アリサは未だ自分が名乗っていなかったことを思い出す。「あっ、はい。アリサ・バニングスです」「そう、それじゃあアリサさん。行きましょうか」 そう言って織莉子はアリサの手を掴むと、ゆっくりと歩き出す。「ちょ、ちょっと、どこに行くって言うんですか!?」「決まってるじゃない。この結界の外よ」「へっ? でも魔女を倒さなきゃ結界の外には出られないんじゃ……?」「別にそういうわけではないわ。入ってきた場所さえ覚えていれば、自由に魔女の結界から抜け出すことは可能よ。最も、今回の貴女たちは取り込まれて結界の中に入ったわけだから、その出入り口の場所を知らないでしょうけど」「ま、待って、織莉子さん。それならなのはも一緒に……」「残念だけど、それはできないわ。なのはさんにはあの魔女を倒してもらわないといけないもの」 織莉子は遠い目をしながらそう告げる。その目を見て、アリサは底知れぬ恐怖を覚える。まるで全てを見透かし、それでいて深いナニカを感じさせる灰色の瞳。「だったら織莉子さんもなのはと一緒に戦ってあげてください」 それでもアリサはその場に立ち止まる。織莉子の手を振り払い、真っ直ぐとその目を見て、自分の意見を主張する。「安心なさい。なのはさんが負けることはない。むしろ貴女がここにいたら、なのはさんの足手まといになるだけよ。そのことは貴女もわかっているでしょう?」 織莉子の言葉は正論だ。何の力も持たないアリサがこの場に留まる意味は全くないだろう。それでも自分だけ安全なところに避難するというのには我慢ならなかった。これが我儘だということはアリサにもわかっている。だがなのはの友達として、彼女の戦いを最後まで見届けたかった。「そ、それでも……あたしは逃げ出したくない。一緒に戦うことができなかったとしても、それでもなのはを、友達を置いて逃げ出すような真似だけはしたくない」 アリサは振り絞るような声で告げる。その姿を見て、織莉子は小さく笑った。それはアリサがなのはに向ける気持ちが、自分がキリカに向ける気持ちに近いモノを感じたからだった。「……わかった。貴女を結界から先に連れ出すのは止めにするわ」 だから織莉子は気まぐれに、アリサの願いを叶えることにした。 本来ならば無理にでもアリサを結界の外に連れ出すべきなのだろう。織莉子にはそれを行うだけの力はあるし、アリサには抗う力はない。だが彼女がなのはに向ける強い気持ちが織莉子の心を動かしたのだ。「えっ? いいの?」 まさか聞き入れられるとは思っていなかったのだろう。アリサは茫然としながらも確認のためにそう尋ねてくる。「ええ。だけどこの場に留まり続けるというわけにはいかないわ。ここは聊か、戦いの場に近過ぎるもの。私の傍にいる限り安全は保障するけど、それでも万が一があっては困るでしょ? だからもう少しだけ距離を取りましょう。いいわね?」「わ、わかりました」 そうして二人は戦いの場から距離を取る。その過程で何体かの使い魔が襲いくるが、二人が歩を緩めることはなかった。それを織莉子は球体を操り蹴散らしていく。「ここら辺でいいかしら?」 そうして二人がやってきたのは空間の端っこ。そこからなのはたちの戦いを見ようとするアリサだったが、遮蔽物に遮られさらに距離もあるこの位置ではなのはの姿がほとんど見えなくなっていた。目を細めてなんとかなのはの姿を見れないかと奮闘するアリサ。だがなのはの砲撃の光は辛うじて見えるものの、肝心のなのはがどこにいるかは全くわからなかった。「アリサさん、こっちに来て」 そんなアリサを織莉子は手招きをして呼び寄せる。その手にはいつの間にか水晶が置かれていた。そしてその水晶にはなのはが魔女と戦う姿がありありと映されていた。「織莉子さん、これって?」「私の魔法でなのはさんの戦う様子を映し出しているの。これならなのはさんの戦う気配を感じながら、その姿も見ることができるでしょ?」 アリサから尋ねたことだったが、すでに彼女の耳には織莉子の言葉は入っていなかった。アリサの目は水晶の中で展開するなのはと魔女の戦いに釘づけになっていた。 なのはの周囲に浮かぶ桜色の弾。それがなのはの掛け声とともに魔女に向かって飛び交っていく。それを魔女は時に避け、時に薙ぎ払っていく。そして攻撃が止んだタイミングで一気になのはに向かって突っ込んでいく。それを急上昇でかわすなのは。迂闊に突っ走った魔女の武器は空を切り、体制を崩す。それを狙っていたとばかりに、なのはは特大の砲撃を魔女に浴びせる。 やったと思ったアリサだったが、なのはの表情は未だ固い。そしてそれを裏付けるように爆炎の中から魔女の持っていた武器がなのはに向かって飛んでくる。そのことはなのはにも予想がついていたのだろう。なのはは特に慌てた様子もなく一つひとつかわしていく。 そうして煙が晴れたところにいた魔女は、騎士甲冑が崩れ、先ほどとは大きく姿を変えていた。人型なのには間違いないが、それは明らかに人ではない風体だ。顔に当たる部分には口や鼻などはなく、大きな赤い目だまが一つだけ付いているのみ。全身は黒い鱗に覆われており、お腹に当たる部分が大きく裂けていた。 驚くべきことに魔女はその裂けた腹に自分の腕を突き入れる。そしてそこから先ほどなのはに向かって投げつけた武器と同じ物を取り出すと再びなのはに向かって投擲する。流石のなのはもその姿に面を食らったのか驚いた表情をしていたが、その攻撃を確実にかわしていく。だが魔女は四本の腕を使い、なのはに攻撃の態勢に移らせる暇もなく投げ続ける。「おそらく、いくら待ってもあの武器がなくなることはないでしょうね」「……どうしてそう思うんですか?」 なのはの動きを見て零した織莉子の呟きに、アリサは反射的に反応する。その言葉に返答する代わりに、織莉子は水晶で魔女が投げた武器を映す。しばらくは壁に突き刺さっているのみで何の変化もなかったが、次第にその形を崩壊させていく。そうしてできたのは黒い靄のようなモノ。それらは一直線に魔女に向かって飛んでいく。そしてその身体に触れると、自然と魔女の身体へと溶け込んでいった。「あれは魔女が作り出した武器の形をしたモノ。厳密に言えば武器ですらない。だから魔力が尽きない限り、あの攻撃が止むことはない。そしてその魔力も一度投げたモノを回収することによって極力消費しないようにしている。実に良くできたカラクリね」 その言葉を聞いて、アリサの顔色が悪くなる。織莉子が言っていることが事実だとすれば、なのはに勝機などあるのだろうか? このままではなのははやられてしまうのではないだろうか? そんな不安がアリサの中から止めどなく溢れてくる。「安心なさい。さっきも言ったと思うけど、なのはさんが負けることはない」「ど、どうしてそんなことが言い切れるんですか!? 織莉子さんが助けてくれるって言うんですか!?」「いいえ、私が手を貸すことはできないわ。ここで手を貸してしまったらなのはさんのためにならないもの。……それにね、ハッキリ言ってなのはさんは強い。おそらく私なんかよりもずっとね。だからアリサさん、貴女はそんな彼女を信じてあげなさい。彼女は今、貴女のために戦っているのだから」「あたしの、ため?」「そうよ。魔導師であるなのはさんは本来ならば魔女と戦う必要はないの。魔女と戦うのは私たち魔法少女の役目。それでも彼女が戦う理由があるとすれば、それはアリサさんが結界に取り込まれてしまったから。もちろん自衛のためというのもあるのでしょうけど、それ以上にあなたを守りたいという強い思いがあるはずだわ。そうでなかったら初めて会った私に貴女の護衛を頼むはずはないもの」 交換条件であったとはいえ、なのはは考える素振りも見せずアリサのことを織莉子に託した。二人で戦った方が魔女を早く倒すことができるのはなのはにもわかったはずだ。その上でこちらの願いを聞き入れ、なおかつアリサの身の安全を保障するような条件を提示した。深い考えがあってのことではないのだろう。だがそれでもなのはがアリサを想う気持ちは織莉子には痛いほどわかった。 そしてアリサもまた、なのはのことを大事に想っている。自分ひとりで結界から抜け出そうとせず、なのはの戦いを見届けたいと思う心。決して興味本意ではなく、真になのはのことを大事に思っているのが会話の節々からわかる。「人はね、守るべきものを持つと強くなれるの。なのはさんもそう。……でもただ黙って守られる方は辛いわよね。友達を危険な場所に置いて、自分は安全なところでぬくぬくしている。そんなこと、貴女には許せないのでしょう? でもねアリサさん、貴女にだってできることはある。――それはなのはさんを信じること。彼女の勝利を疑わず、心の底から応援してあげること。例えは声が届かなくても、その想いは必ず届く。貴女たちが真に友情で結ばれているのなら、ね」 そう言って織莉子はアリサに手を握る。突然のことにアリサは戸惑うが、それを尻目に織莉子は言葉を続ける。「さぁアリサさん、念じなさい。ここからじゃあどんなに声を張り上げてもなのはさんには届かないでしょう。だけど私がその声を届けてあげる。貴女の声援が何よりの力となるはずよ」 その言葉にアリサは無言で従い、織莉子の手をぎゅっと握る。そして目を瞑り、必死になのはのことを祈りはじめる。 ……なのはが魔女を倒したのは、それからすぐのことだった。 ☆ ☆ ☆「どうやら、私たちの出番はなかったみたいね」 結界から解放されたなのはの姿を見て、リンディは安心したように零す。すでにユーノとは通信を終えている。結界が消滅し、なのはが無事に解放されたことを伝えたら、ユーノは喜び勇んでなのはの元へと駆けていった。「ふぅ~、一時はどうなる事かと思いましたよ」「あら? エイミィ、もしかして私のこと心配してくれた?」「そりゃしますよ! 艦長がいなくなったら、アースラは立ち行かなくなってしまうんですから。ホント、艦長自ら結界の中に行くって言った時は、焦りましたよ」「ごめんなさい。でもね、私も一度、自分の目で魔女の姿を見てみたかったの」 杏子から聞かされた魔女の話、それが実際どの程度の存在なのか、リンディは自分の目でも見定めたいと考えていた。もちろん彼女が戦場に赴くのはよっぽどな時を置いて他ならない。人員が足りている現状では、中々難しいだろう。「艦長のことだから、何か考えがあるんでしょうけど、それでもあたしたちに黙って勝手に行くのだけは勘弁してくださいね」「あら? 私が今まで、そんな危険な真似をした時があったかしら?」「そりゃないですけど、何事も気の迷いって奴がありますからね。気を付けてくださいよ~」「安心なさい、エイミィ。少なくとも一人で戦場に赴くような真似はしませんから。それじゃあ、私は艦長室に戻ってるから、エイミィは引き続き、クロノたちから送られてきた映像の解析をお願いね」「わっかりました~」 そう言ってリンディは自室に戻っていき、エイミィは映像の解析作業の続きを始める。 ……だがその間もサーチャーはなのはの姿を映し続けていた。先ほどまで一人だったなのはがアリサ、そして織莉子と合流し、仲良さげに歩いていく。その映像を見たものは、管理局の中に誰一人として、存在しなかった。 ☆ ☆ ☆ その後のことは語るまでもない。なのはと合流した織莉子は月村邸でこれから行う魔法少女についての説明を頼まれ、それを快く引き受けた。そしてなのはすらも知らない魔法少女の真実を無慈悲に明かした。ただそれだけである。 その結果、その場に集まったものは全員、何らかの形で打ちひしがれている。すずかのことを嘆き悲しみ涙を流す者。頭が真っ白になりその場に立ち尽くす者。そうして少なからず全員がショックを受けている中、たった一人、織莉子を鋭い目つきで睨みつけている人物がいた。「……アリサさん、何か言いたいことがありそうね」「……あたしは信じないわよ。すずかを救えないなんて。あなたはまだ、あたしたちに言ってないことがあるんでしょ、違う?」 目に涙を溜めながら、アリサは力強く織莉子に告げる。アリサは思い出していた。魔女の結界の中で見せた織莉子の底知れぬ瞳。彼女の言葉はおそらく本当のことなのだろう。だがそれだけではないはずだ。目の前の女性は何かを隠している。アリサはそう確信していた。「……どうしてそう思うのかしら?」「そんなの、あなたの目を見ればわかるわよ。あなたの目はあたしたちに向けられてない。どこか遠い何かを見ている。そんな目をした人が本当のことを全部言うわけがない」 アリサの言葉に織莉子は驚きの表情を浮かべ、そして微笑みかけた。「バレてしまったのならしょうがないわね。……確かに私はまだ、貴女たちに言っていないことがある。だけどこの話をしたところで、すずかさんを救うことができるのかと問われると、ごく僅かな可能性しかないわ。それこそ自分の命を賭けて、望むだけの未来を引き寄せる力がないと到底不可能な話よ。アリサさん、貴女にそれだけの覚悟と力があるのかしら?」「……アリサちゃんだけじゃないよ」「アリサちゃんだけじゃない。忍さんもノエルさんもファリンさんも、それにわたしだってすずかちゃんを救いたいと思ってる」 先ほどまで俯いて泣いていたなのはが立ち上がる。その目には強い輝きが宿っていた。魔法少女はいずれ魔女になる。それを聞かされた時、なのはは絶望に包まれた。今にして思えば、魔法少女として再会したすずかの変調。あれも魔女になり掛けている証だったのだろう。そう思えたからこそ、なのはの思考はそこでストップし、悲しみに暮れた。 だがアリサの言葉がなのはの目を覚ました。すずかはまだ、魔女になったわけではない。それならば絶望するには速過ぎる。なのははまだ、すずかにきちんと自分の想いをぶつけていないのだから。「そう、ね。なのはちゃんの言う通りだわ」 そんななのはの言葉に呼応するかのように、その場でへたり込んでいた忍もまた、立ち上がる。「忍、大丈夫なのか?」「ええ、もう大丈夫よ、恭也。心配かけてごめんなさい。でも今はこんなところで泣いている場合じゃないもの。――そうでしょ? ノエル、ファリン」「はい。私たちが途方に暮れたところで、すずかお嬢様が救われるわけではありませんからね」「すずかちゃんのためなら、私、なんだってやりますよ~」 忍の言葉にノエルとファリンがそれぞれ、自分の強い意思を告げる。それを見て、忍は満足そうに頷いた。「確かに、私たちには覚悟はあっても力が足りないかもしれない。魔女というものを実際に見たことがあるのはなのはちゃんとアリサちゃんだけだし、織莉子さんから見れば戦えるとなったらなのはちゃんだけなのかもしれない。でもね、そんなのやってみなければわからないのよ? 恭也は強いし、その気になればノエルやファリン、そして私も戦える。……だから話してくれない? 私たちはすずかを救いたいの」 忍の言葉に織莉子以外の全員が力強く頷いた。 先ほどまで葬式のようだった部屋の雰囲気が嘘のように晴れやかになっている。それ自体は、織莉子の予想の範疇である。彼女の見た未来の一つには、魔法少女の真実を知った彼女たちが悲痛に暮れながらも立ち上がり、すずかを助けるために奮起するものもあった。だがそれを促した人物、それがアリサだったことが織莉子にとっては予想外だった。 ……そもそも、彼女が最初に見た未来では、魔女の結界に取り込まれるのはなのはだけだった。そこでなのはを助け、彼女に魔法少女についての真実を話す。ただそれだけだったのだ。 織莉子の知らないところで未来が大きく変わりつつある。それが果たして良い方向なのか悪い方向になのかはわからない。「……貴女方の覚悟はわかりました」 だが今、この場で織莉子がやることは変わらない。自分の見た未来に従い、予定通りの言葉を予定通りの人物に口にする。それで未来はまた大きく変わる。その変化の先にある明日を掴むために、織莉子は満を持して口を開いた。「結論から言わせてもらうと、魔法少女でいる限り魔女化を防ぐことはできません。でももし、魔法少女から人間に戻すことができれば、その限りではありません」 それは荒唐無稽かつ夢物語。だが口にしている織莉子は至って真面目で、聞き手であるなのはたちはそれ以上に真剣に織莉子の言葉に耳を傾けていた。「そして私の知る限り、キュゥべえと契約という形を取ることによってのみ、その願いは成就される」 誰かが魔法少女になることによって、魔法少女を人間に戻す。だがそこには一つ、問題があった。「しかし厄介なことに、その願いは誰でも叶えられるわけではない。他者の願いを否定する願いであるそれを叶えるには、最初に願いを叶えた少女の因果を大きく上回る因果を持つ少女でなければならない」 人を呪わば穴二つ。だがこれは呪術ではなく、純然たる契約なのだ。その契約を破棄させるには、より対価を大きく差し出さなければならない。この場合、対価とは魔法少女としての素質だ。少女の因果をさらに大きな因果によって上書きさせる。そうすることで初めて、魔法少女から人間に戻すという願いが達成される。「そしてこの場にいる人物の中で、それほどまでに大きな因果を持つ少女はたった一人しかいない。……それはなのはさん、貴女よ」 その言葉に部屋中の視線がなのはに向けられる。突然、名前を呼ばれたことでなのはは驚きの表情を浮かべるが、すぐに元の真剣な顔つきに戻り自分の決意を口にした。「わ、わかりました。わたし、キュゥべえくんと契約して魔法少女に――」「「「「「「ダメだ(よ)、なのは(ちゃん)!?」」」」」」 だがその言葉が最後まで紡がれることなく、なのはと織莉子以外の全員に止められる。すずかを救いたいという気持ちは皆、少なからずあるだろう。しかしだからといって、なのはを犠牲にしてまでそれを成したいと思うほど冷酷な人物は、この場には一人もいなかった。 そして口々になのはに言葉をぶつける一同。それを尻目に織莉子はゆっくりと部屋の出口に向かって歩を進める。「織莉子さん、どこへ?」 それに気付いたなのはが呼びとめる。「もう話せることは全て話したから、私は帰ることにするわ。あとは貴女方で話し合ってどうするか決めなさい。だけどなのはさん、最後に一つだけ忠告させてもらうけど、私としてはこの方法はあまりお勧めしないわ。他に方法がなかったとしても、ね。……それじゃあまたいつか会いましょう」 ――そうして織莉子は月村邸を後にした。別れ際に彼女が口にした言葉は紛れもない本心である。だがそれと同時に彼女の目的とは相反する言葉であることを、この時の織莉子はまだ気付いていなかった。2013/1/7 初投稿